私は今、博麗神社の前に立っている。
母さんが帰ってくるのを、神社前で仁王立ちで待っている。
昨日、もう紫たちとの和解は済んだ。
……済んだ、のかしら?
なんかいろいろショックを受けた様子の藍と、結局彼岸から帰れなかった紫と、気絶しっぱなしの死神さん。
いろいろと疑問や聞きそびれたこともあったけど、それでもとても収拾できずに思わず放置して帰ってしまったあの時の状況。
……いや、ちゃんと話し合ったことにしよう!
なんだかんだで改めて思った。
紫たちも、私には絶対に必要な家族なのだ。
だから、何とかして母さんにそれをわかってもらわなきゃいけない。
詳しいことはまだわからないけど、多分私のためにこんな計画を進めていた紫。
冷静に紫をサポートしながら、それぞれの立場を気遣いつつも、なんやかんやで人知れずこの家族を下から支えてる藍。
そして、神社近くの木陰から、今の私の様子を固唾を飲んで見守っている橙。
……何かそんな橙を見てたら、親に内緒で捨て猫を拾ってきた子供みたいな気分になってきたわ。
「橙。 出てきていいわよ」
「えっ!?」
あれで、気付かれていないつもりだったのだろうか。
だとしたら、私も随分と馬鹿にされたものだ。
実戦訓練の戦績は、今や私の10連勝中だというのに。
「で、でも、霊夢に近づいちゃいけないって言われてて……」
「私が許すわ」
「許すって…」
「いいのよ。 子供にはね、反抗期ってのが許される時期があるのよ」
私は今、母さんの言いつけを破って橙と一緒にいる。
別にそれだけで怒られるとは思ってはいない。
これはただ単に、母さんの言うとおりにするつもりはないという、私なりの気持ちの表し方なのだ。
「さーて、来たわね」
神社の階段を、登ってくる音がする。
橙が少しだけ何かに怯えていたけど、私は何も恐れてはいない。
私の気持ちは、もう決まっていたから。
今までみたいに、母さんと一緒に暮らしたい。
だけど、紫や藍や橙も私の家族だから、これからもずっと一緒にいたい。
私は、こう見えて欲張りなのだ。
「……霊夢」
「え?」
でも、聞こえてきたのは後ろめたい何かを隠すような、遠慮がちな声だった。
博麗神社に現れた母さんの目は暗く、あまりにも弱弱しい佇まいだった。
あの時のような強い目をした母さんではない。
こんなに、何もかもに疲れてしまったような母さんの姿は、私は初めて見た。
「母さん……?」
「ごめん霊夢、ダメだった。 でも次は、次こそは絶対に霊夢を…っ!?」
「ぁ……」
「橙!! 何をしてる、ここに来るなとあれほど言っただろ!」
「ご、ごめんなさい、私…」
そう怒鳴る母さんと、怯えたように再び木陰に隠れる橙。
母さんは、昨日までとはまるで別人のようだった。
目の下にできた大きな隈と血走った眼差し、そして疲れ切って痩せ細ったボロボロな姿。
一体どうやったら、たった一日でこんなにも変わり果てるのか想像もつかないくらいだった。
……いや、本当は少しだけ予想はついている。
彼岸に渡って閻魔に喧嘩を売ったという話も、普通ならそれだけで地獄に落とされても仕方のない所業のはずなのだ。
しかも、母さんがしたことは多分それだけじゃない。
母さんは今までずっと、たった一日でここまで変わり果ててしまうほどに危ないことを続けてきたのだろう。
紫ですらどうにもできない私の中の邪神をどうにかしようと、一人で必死に奔走していたのだろう。
それでも、ダメだったのだ。
だけど、どう見ても母さんは諦めたようには見えない。
このままじゃ、母さんは自分のことなど何も考えずに、私なんかのために心も体も壊してしまうかもしれない。
そんな姿は、もう見ていられないから。
だから、私は母さんを肯定しない。
ただ強く、橙に向かって言う。
「橙! いいから、ここにいなさい」
「……霊夢?」
「母さん。 私の友好関係にまで口を出さないでよ。 私がどうしたいのかは、私が決めるから」
「う、うるさい、霊夢は口を挟むな!」
母さんは、そんなことさえも聞いてくれなかった。
でも、母さんにあるのは多分、私を無理に従わせようという支配的な感情などではない。
母さんは、焦っているのだ。
私を助けると言いながらもできなかった自分を、責めているだけ。
母さんは私なんかとは違って、ただ優しすぎるだけなのだ。
多分何を言ったところで、今の母さんには届かない。
ならば、私がすることは一つだ。
「あれ? 母さん、こういう時はどうするんだっけ」
「何?」
「私は母さんの言うことを聞く気はない、母さんも譲る気はない。 なら、これはもう決闘しかないでしょ?」
そう。 これは、私と母さんの戦争なのだ。
頑なに紫たちを許そうとしない母さんへの、宣戦布告。
だけど、私はもうわかっている。
母さんは本当の実力を隠している。
本気になった母さんは、多分紫よりも強い。
まだ一度も藍に勝ててすらいない私が、そんな母さんを叩きのめすことなんてできるはずがないのだ。
だけど、それはあくまで実戦訓練での話だ。
我が家においてはもう一つ、喧嘩をするときのルールがある。
ここ2年くらいご無沙汰だったけど、勝った方が負けた方に無理矢理言うことを聞かせる方法がある。
「『いつもの』、ってほど最近やってないけど、忘れた訳じゃないよね」
「……ああ」
母さんが霊力を込めた弾を放ち、それを一定時間避けられれば私の勝ちという「遊び」。
この遊びにおいても、私はまだ母さんに勝ったことはない。
だけど、それは昔の話だ。
実戦で勝てるはずがないのならば、今の私が母さんを負かすことのできる可能性があるのは、これだけなのだ。
「懐かしいな、まだ霊夢と私の2人だけだった頃」
「そうね。 でも、今はもう2人だけじゃないわ」
「……だが、これでまた元通りだ。 私が勝てば、もう二度と紫たちに霊夢を好き勝手にはさせない」
その言葉は、私の奥底までずっしりと響いた。
あくまでも、母さんが紫たちを許すつもりはないという言葉。
そう言った母さんの目は、明らかに無理をしていることがバレバレだった。
母さんは自分の感情の一切を捨てて、それでも前に進もうとしているのだ。
だけど、そんなのは違う。
母さんの心を犠牲にして進む未来に、一体何の価値があるのか。
そんな未来の果てには、今までみたいに楽しいことも苦しいことも一緒に分かち合っていけるような、そんな時間はきっと来ないから。
だから、私が掲げるのは、紫たちを許してあげてという願いではない。
ただ自然と、私は口を開いていた。
「……じゃあ、私が勝ったらこれからは私が博麗の巫女になるわ」
「何?」
そんなこと、今この瞬間までは考えたこともなかった。
それでも、私は新たに芽生えたその決意を、言葉にしていた。
「そしたら、これからは母さんじゃなくて私がこの神社の主よ。 もう紫たちが来ることに文句は言わせない。 もう二度と、母さんにそんな辛そうな顔なんて絶対させない!」
母さんが、少しだけ驚いた顔をしていた。
だけど、私はそんなの気にしない。
私は、本気で怒っているのだ。
本当は母さんも、紫たちと一緒にいたいと思ってるくせに。
紫も、藍も、橙も、本当は家族みたいに愛してるくせに。
私なんかのために、自分の身も、幸せも、何も顧みない母さんに怒っているのだ。
「だから、これで本当に全部元通りにする。 母さんの目を覚まして、もう一度幸せな日常を始めるんだから!」
それだけ伝えて、私は背を向けた。
母さんが何か言っていたけど、聞き入れない。
距離をとって、動きやすい体勢を整える。
不思議と、気持ちは楽だった。
守りたいものがあるから。
そのために戦うのなら、何も怖くはなかった。
……ほんと、昔からは考えられないわよね。
昔の私は、どこか人生を諦めていたのに。
孤独な自分に大切なものができるだなんて、思ってもみなかったのに。
でも、今は違う。
母さんがいて、紫たちがいて。
魔理沙がいて、先生がいて。
きっと、これからもっと多くの人と関わっていくのだろう。
これから多くの苦難を乗り越えていくのだろう。
でも、怖くはない。
今の私には、私を見守ってくれる大切な人たちがいるから。
きっと明日からもまた、この幻想郷で幸せな日々が待っているから。
もう、母さんだけに背負わせたりしない。
「さあ、始めよう母さん。 私は、絶対負けないから!!」
これからは私が、母さんを支えていけるくらい強くなるから―――
次回予告
新たな決意を胸に始まった、霊夢と巫女の意地と意地とのぶつかり合い。
霊夢は無事、平和な日常を取り戻すことはできるのか。
次回
第22話 : 真剣勝負