気付くと、私は博麗神社の布団で横になっていた。
夢、か。
そうよね、昨日のは全部夢だったのよ。
あんなことがあったのなら私が今生きてるはずがないもの。
「よかった霊夢! 身体の調子はどうだ? 痛いところとかないか?」
だけど、今までの経験上、わかっている。
母さんの泣きそうな顔を見ればわかる。
夢だと信じたいことが本当に夢であることなんて、基本的にあり得ないのだ。
だから、何よりも先に確認したいことがあった。
「平気よ。 私は平気。 それより、魔理沙は?」
「あ……魔理沙ちゃんは無事だ。 心配はいらないぞ」
あの状況で私が風見幽香から薬草をもらえたとは思えない。
だから、魔理沙のことは多分母さんが何とかしてくれたのだろう。
「……そっか。 よかった」
一つ安心できたけど、今どういう状況なのかは正直わからない。
それでも、わかっていることが1つだけある。
最後に起こったあの大惨事の原因が、私にあるだろうこと。
未だに信じられないあの時の出来事。
私の中から突然湧き上がった何かが、目の前の世界を消し去っていた。
その意識が消える間際に見えたのは、尻餅をついたまま境界の力に飲み込まれていく風見幽香の姿だった。
ならば、少なくとも紫は近くにいたのだろう。
だから、私はあの場で何があったのか、一刻も早く紫に確認しなければならない。
「母さん。 紫は……」
だけど、母さんは私から目を逸らして言った。
「紫は、来ない」
「え?」
「もう、霊夢には近づかせない」
そこには確かに後悔と、そして怒りの色が見えた。
いつも楽しそうに紫を呼んでた母さんは、そこにはいなかった。
「どうしたの? 一体、何があったの?」
「……」
「答えてよ母さん。 私は納得してないよ。 紫との間に、一体何が……」
「全部、紫の計画通りだったんだとよ」
「え?」
私には、母さんが何を言っているのかわからなかった。
そんな私に、母さんはあの時何があったのかを詳しく説明してくれた。
実はあの実戦訓練の時、私の攻撃の直撃と同時に境界の力を使って衝撃を吸収することで、魔理沙へのダメージを無効化していたこと。
ただその後に生死の境界を一時的に弄って重体に見せていただけで、本当は魔理沙は全然平気だったということ。
魔理沙が危険な状態だという嘘を利用して、私を風見幽香のもとに一人で向かわせたこと。
先生とはぐれさせて私を孤立させ、わざと花畑の上に境界を開き、必要以上に花畑を荒らして風見幽香を怒らせたこと。
いや、怒らせたように見せかけただけだという。
子供が誤って花を踏んだくらいでは、実際は風見幽香はそこまで怒ったりはしない。
実は私が荒らしてしまった花畑は紫が創った偽物で、今回の件に関して紫と風見幽香は最初からグルだったらしい。
つまりは、何かしらの手段を使って魔理沙を死にかけの状態に見せて、風見幽香のところに向かわせた私を痛めつけることまで、全て予定通りの出来事だったという。
「なんで、そんなことを……」
「修業の、次のステップに進むためらしい」
「次のステップ?」
「ああ。 霊夢にまだ恐怖が……強い感情の突出が足りなかったんだって。 最初から紫や私みたいなのの相手ばっかりしてたから、戦いや、誰かを傷つけることを恐れる機会がなかったと。 だから、邪神の力とやらをうまく引き出すために、霊夢が自分の力で友達を傷つけてしまう恐怖と、本当の命の危機に身を投じる恐怖を一度体験させたんだとさ」
そうだ。 もう2年近くも何もなかったから、半分くらい忘れていた。
私の中には紫が封印した邪神が住んでいて、それを制御するために紫たちが私に接触したこと。
それが、紫たちが私と一緒にいる理由だったことを。
「……だけどな。 そんなことのためにこれ以上霊夢を傷つけるのは許さない」
母さんの口調は、いつもとは違う強く芯が通った声になっていた。
聞き覚えのあるこの声は、この前夢で見た博麗の巫女のそれを思い出させた。
いつものおちゃらけた態度ではない、多分これが母さんの本当の姿なのだろう。
気付いていなかったわけじゃない。 ただ、考えないようにしていただけだった。
「……だから、もう邪神の力の制御なんてしなくていい。 ここから2人でやり直そう。 霊夢が自由に生きられるように」
「え?」
……私が、自由に?
それって、どういうこと?
「私は、霊夢からその力を引き剥がせる可能性に心当たりがある」
「え? 待って、なんで…」
「紫たちにも内緒にしてきたことだけどな。 多分、何とかできると思うんだ」
私は母さんが何を言ってるのか、いつもみたいにすぐには理解できなかった。
ただ呆然と聞いている私に、母さんは顔を寄せて言った。
「だから霊夢、もう少しだけ待っててくれ。 明日には、その苦しみを取り払ってあげるから」
「待ってよ、私別にそんなこと頼んでない…」
「本当に?」
母さんが、真剣な表情で私の目を見てくる。
そして、手を握ってくる。
震えていた。
気付かない内に、私の手は震えていた。
本当は怖かった。
母さんはあえて話題に出さないけど、わかっている。
あの時、私はこの世界の一部を消し去った。
多分、あの一瞬だけで私は数千や数万以上の命を奪ったのだ。
あの風見幽香ですら、もし紫がいなければ、なす術もなく塵に還っていたのだろう。
私のせいで、世界が壊れる。
何の罪もない命が、ゴミのように簡単に散っていく。
それが、怖くない訳がなかった。
「安心して。 明日までにはその震えを、私が止めてあげるから」
「でも、私…」
「そしたらさ。 せっかくここからもう一度始まるんだから、霊夢にも教えてあげる」
「え? 何を……」
「私の、名前」
ドクン、と私の胸は高鳴った。
今までずっと母さんとしか呼んでこなかった。
誰一人として、その名を呼ぶ人もいなかった。
だから、それはきっと知ってはいけないものなんだと思っていた。
「どうして……」
「決まってるだろ?」
そして母さんは、もう一度ぎゅっと私の手を握って、満面の笑みで、
「家族、だからな」
そう言った後、勝手に一人で赤面して顔を逸らすように、一人立ち上がった。
「だから、今日はもうゆっくり休んで。 疲れてるだろ?」
「……うん」
言いたいこともあった。
納得いかないこともあった。
それでも、不思議と今は止めようとは思わなかった。
母さんを信じて、全部終わってから聞こう。
「おやすみなさい、母さん」
そして、私は目を閉じた。
何が起こってるのか、まだ整理しきれていない。
どんな方法を使うのかは知らないけど、紫たちですらどうしようもない邪神の力を、母さんが私から引き剥がしてくれるという。
それが済んだら、それを制御する修業なんてせずに、普通の親子のようにこれから暮らしていこうという。
ああ、何だろう。 涙が出てきた。
寝坊する私を母さんが起こして、一緒に朝ご飯を食べて、寺子屋なんて行きたくないとだだをこねる私を前に困った様子の母さんを見て、しぶしぶ私は寺子屋に足を運ぶ。
帰ってきた私をまた母さんが笑顔で迎えてくれて、今日こんなことがあったよ、と先生のバカ話でもしながら夜ご飯を食べて、明日に期待を膨らませながら眠りにつく。
そんな、幸せな普通の日常が、もう一度始まるのだろう。
……だけど、それをそのまま受け入れる訳にはいかなかった。
私はもう、知ってしまったから。
私の世界にいるのは、母さんだけじゃない。
家族は、2人だけじゃないことを。
橙。 いつも元気に私と張り合おうとする私の妹。
藍。 根っこは優しいのに不器用で口下手な私の姉さん。
そして、紫。 厳しくて、バカみたいで、それでも私に必要な、私にとってもう一人の母さん。
その5人が揃って初めて、本当に幸せな日常が始まるんだ。
だから、私は決めた。
今夜、私は……
・母さんを、説得する。
・紫たちと、話をつけてくる。
ルート分岐。