階段を上がると、所長室と書かれた扉のある部屋が見えた。
どうやらジェイソンというグールはそこにいるようで、中で話し声が聞こえる。
別に話し声が聞こえても普段なら特定できないが、ジェイソンという単語が聞こえてきたし、何より話し手の片方が非常に丁寧な言葉遣いなので理解できた。
教祖や高位の者が下の者に丁寧に話すということは宗教によっては稀にあるようだが、普通は逆だろう。
二回扉をノックする。
すると、中から入って良いとの声がかかったため、開ける。
「失礼します」
仮にも相手は宗教者で、高位な人。
いかに私が元他宗教であろうとも、礼儀はあるのだ。
「やぁ、君か。入ってくれ」
そう言ってくれたグールを見て、私は少々驚いた。
なにせ、そのグールはただのグールではなく、光りし者だったからだ。
通常、光りし者までグール化が進めば理性などない。
現に、今までそんなグールは見てこなかった。
私が驚いたのはボロボロのスーツから見える、緑に光る身体だけではない。
声にも違和感があったのだ。
グールの声は、お世辞にも美声とは言えない。
大体のグールはしゃがれたような、何とも言えない声になってしまっている。
稀に渋いというだけで済むグールもいるが、彼の声はレコードから聞こえてくるようなダンディな美声だった。
「驚いたかね?無理もない。さ、かけてくれ」
光りし者が近くの椅子を指したので、一礼してED-Eを抱えて座る。
彼は隣にいた部下を部屋から優しく追い出すと、向かいの椅子に座った。
「このような質素な場所で申し訳ない。本当の家は遥彼方の地にあるものでね」
ウェイストランドにしてはとても紳士的な口調でそう語ると、隣りのテーブルにあったカップを持ち、中身の飲み物を一口。
「あぁ……コーヒーはいいものだ。君もどうだい?」
喉は今乾いていなかったし、見ず知らずの、はっきり言って怪しい人物から飲み物を受け取る気分にはなれなかった。
そう安々と人の善意を信じられるほどウェイストランドは甘くない。
「いえ、結構です」
ふむ、と私の拒否を聞いてジェイソンは残念そうに相槌を打った。
彼はしばしコーヒーを飲むと、突然話を切り出してきた。
「宗教は嫌いかな?」
唐突だったために一瞬返しに戸惑う。
だが、彼はそんな私を手で制止する。
「言わなくていい。君の立場を考えると、言い辛いだろうからな」
まるで私の事を知っているかのような言い振りだった。
もちろん私は彼とは会った事がない。
光りし者と話したことはないし、こんな声を持ったグールと会話したことさえないのだから。
「私を知っているのですか?」
「もちろん。直接会って話したことはないがね。君は運び屋だろう?」
そっと、ポンチョの下に隠し持っていた9㎜ピストルを手に取る。
彼は危険かもしれない。
私を知っている人間はこのモハビでは数少ないはずなのに。
だが、ジェイソンはそんな私の心配をよそにコーヒーを口にする。
「ああ、そう言えば自己紹介がまだだったね。私はジェイソン・ブライト。小さいながらも、君たちが言う宗教の長を務めている者だ」
「……クロエです」
自己紹介は必ずしも回答する義務はない。
それもウェイストランドなら特に。
だが相手の出方が分からない以上、とりあえずは相手の話に乗ってみてもいいだろう。
「君が警戒するのも無理はない。私は少々特殊でね、色々なビジョンが見えてしまうのだ」
「ビジョン?」
まるでインチキ詐欺師が使うような言葉だ。
「そうだ。君の事はビジョンで知った。ここに来ること、そして君が歩んできた旅路。別に覗こうとしたんじゃない。勝手に見えてしまうんだ」
私はなんて返せばいいのだろうか。
そうですかとも返せない。それは貴方の錯覚だとも言えない。
宗教の創設者もこういう感じなのだろうか。
「まぁそれは今はどうでもいい。“彼”と違って君は初めてだったね。それじゃあ本題に入ろうか」
彼?初めて?いったい何のことだろうか。
分からない事が多すぎる。
こうやって分からない事を並べて神秘性を高めているのだろうか。
でも、なぜだか彼には確信めいたものを感じる。
「偉大なる旅。私はそう呼んでいる」
「え?」
「私が最初に、そして今でも見続けているビジョンさ」
そう、彼はちぐはぐな文脈で言った。
「ある日から、私は遥彼方にある地のビジョンを見続けている。私達はそこが、何物にも、特にヒューマン達の迫害から逃れられる唯一の場所だと考えているのだ」
「よくある話ね。約束の地、聖地への到達……」
「君で言う所のメッカだったかな」
驚愕した。
この廃れた世界で、まさかその名を聞くことがあるとは。
私は今度こそなにも言えなかった。ジェイソンはそれでも話を続ける。
私はただ聞き続けた。
「ならば君にも気持ちが分かるだろう。聖なる場所へ行きたくとも、それが野蛮なる悪魔たちに妨げられるこの気持ちが」
急転してジェイソンは、静かに、そして情熱的に語る。
痛いほどわかるその気持ちに、私も心から同情しかける。しかけて、強く抱きすぎたED-Eが悲鳴を鳴らしたことでその支配から脱却できた。
首をブンブンと横に振り、彼と対峙した。
「私に何をさせようと?」
これ以外に選択肢がなかった。
半分誘導尋問のようなものだが、そうと分かっていても私は彼の提案を飲むことしかできなかった。
「地下に潜む悪魔たちを葬ってほしい」
「悪魔?」
頷くと、ジェイソンは立ち上がった。
「そうだ。私たちがここに眠るロケットを見つけて少し経った頃の話だ」
「ロケット?そんなものがあるの?」
「戦前、ここはロケットを生産していたからおかしな話ではない。ロケットのミニチュアが回収された事件はよく覚えているよ」
懐かしむように語る。
だが、ロケットなんてあっても役に立たないのに、どうしたのだろう。
「あぁそうか、話して無かったな。約束の地にはここのロケットで行くのさ」
「……宇宙なの?」
「左様。それで……ある朝、地下へ礼拝に行こうとしたら、奴らがやって来たのだ」
奴ら、と聞いて閃いた。
グールと戦っていた相手……それは。
「ナイトキンね」
彼は静かに、力強く頷いた。
「我々は突然の襲撃に応戦したが、いかんせん姿が見えなくてね。信徒の半分が犠牲になり、ここへの退却を余儀なくされたのだ」
なるほど、あの扉を破ったナイトキン達はその戦闘で死んだのか。
「加えて奴らが来てしまったことにより、フェラル・グール達の大半がここから解き放たれてしまったのだ」
それがあのフェラル・グールの大群か。
全ては繋がったわけだが……この流れはもしや。
「君にはあの悪魔たちを排除してもらいたい」
やっぱり。
どいつもこいつも何とかしろって……私傭兵じゃないのに。
そんな私の心境を察してか、ジェイソンは申し訳なさそうに笑った。
「すまないな、こんな事を頼んでしまって」
「いえ、もう慣れたわ。それにしても、どうして奴らはここを襲ってこないの?」
疑問をぶつける。
スーパーミュータントなら、いくら鉄の扉があっても気休め程度にしかならない。
聞いた感じ、複数体いるのだから、彼らが死んでいない事が不思議でしょうがない。
「インターホン越しで主張するには、ここから動かなければ殺さないと。他にも支離滅裂な事を言っていたが……私には悪魔の心は理解出来ん」
「そう……わかったわ。なら早いこと済ませましょう」
そう言って立ち上がり、ED-Eと部屋を出ようとする。
その時、ふとジェイソンが私を呼び止めた。
「これを持って行くといい」
そう言って彼がロッカーから出したのは、ショットガンだった。
ハンティング用のポンプアクション式ショットガン……レミントン社のM870だった。
彼はそれを私に投げ渡す。
受け取ると、両手でしっかりと保持してフォアエンドを引いた。
ガシャっという心地よい音を発てたM870。
その
よく手入れされているようで、埃一つ無い。
「これも使いなさい」
今度は直接手渡す。
12ゲージのショットシェル……スラッグ弾だ。
確かに皮膚の分厚いスーパーミュータント相手には有効だろう。
「……貰っておくわ」
そして部屋を後にする。
間際、ジェイソンが言った。
「
足が止まる。
そして上半身だけを翻して彼を心の底から睨んだ。
「異教徒がその名を語るな、殺すぞ」
私が去った後の扉を、ジェイソンは心底楽しんだような顔で眺める。
地下へ。
悪魔を倒す使者を見送る。