オーバーロードと大きな蜘蛛さん   作:粘体スライム狂い

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27話

金具の立てる極僅かな音と共に扉が閉まってからたっぷり5分間。

執務室だけではなく、スイートルームを模したこの広大な部屋からメイドや護衛を含む部下達が余裕を持って退室できる時間を経てからモモンガとクーゲルシュライバーの二人は大きなため息と共に姿勢を崩した。

 

「あぁぁぁ……ようやく終わったよ」

「予想していたとはいえアルベドは強敵でしたねクーゲルシュライバーさん」

 

この世界に転移してから7日と21時間。

いい加減慣れてきた自室にてモモンガは愛用の執務机に突っ伏した。

違法ギリギリの長時間サービス残業によって意識が飛んだサラリーマンのような格好だ。

そのだらけきった姿はモモンガ自らが情報収集のためナザリック外へ赴く件について、NPC達の承諾を得るのがどれ程困難な作業だったのかを如実に表していた。

 

「上位者二人でタッグを組んでもこれほど手こずるとはなぁ。デミウルゴスの援護がなければどうなっていたか……頭がいい人を相手にするのは難しいねモモンガさん」

「ほんとに疲れますよぉ。いや、私アンデッドだから疲労無効ですけど」

「ナイス死体ジョーク。いい感じに疲れてますね。そんなモモンガさんに、はい。これお土産です」

「おみやげ?」

「えぇ。今日アウラと一緒に森を探索した時に見つけたんです」

 

上半身を起こしてクーゲルシュライバーに視線を向ければ、黒檀色の擬腕には小さな花のブーケと洋ナシに似た形の果実が握られていた。

それらがそっと机に置かれれば、得も言われぬ甘い芳香がモモンガの嗅覚を刺激した。

これは一体どうしたのだろうかとクーゲルシュライバーを見れば、邪神は擬腕の掌をあわせていた。

 

「お供え物」

「死体ジョークですか!?そりゃあ私は死体だけどそれでも生きてるんですよ!」

「うーん、じゃあ即身仏とかどうだろう!」

「そういわれるほど皮ついていませんって」

「でも仏みたいなもんじゃないですか」

「どこが?」

「……モモンガさんが思っている以上にアルベドの件についてありがたく思ってるんですよ?いや、本当に感謝してますモモンガ大菩薩様」

「あ、あー……」

 

急に畏まった態度で頭を下げるクーゲルシュライバーにモモンガはむず痒さを覚えた。

こうしてギルドメンバーに面と向かって感謝されるとどうにも気恥ずかしい。しかしモモンガはその気恥ずかしさが嫌ではなかった。

あぁ、自分はいまギルドの役に立っている。

指先で頬を掻く。カリカリと骨が擦れる乾いた小さな音が鮮明に二人の耳をくすぐった。

 

「その件はもういいですって。人間何かしら無理なことはありますし……というかギルドメンバーが困っているんですからギルド長としてお手伝いするのは当たり前というか」

「いや、こんなの私の我がままなんですから普通はもっと怒ってもおかしくないんですよ?いくらギルド長だからって……」

「いいんです、いいんですって!そりゃ最初はちょっと思う所はありましたけど、その……なんというか」

 

言葉を濁すモモンガの顔をクーゲルシュライバーが凝視する。

その視線の圧が続きはなんだと問いかけているようで、しかし続く言葉を口にするのが恥ずかしくモモンガは視線を泳がせた。

フラフラと意味もなく部屋の内装を行き来する視線は、最終的に机上の花束と果実へとたどり着いて止まった。

くだらないジョークが挟まれたが、これらの品々はクーゲルシュライバーが自分への感謝の気持ちとして持ってきた物なのだろう。

見た目と香りで楽しめる物をチョイスしたのは食事が出来ない自分を思いやっての事に違いない。

我ながらチョロイなと思うがこうして気遣ってくれる仲間の心が嬉しくて、本来ならあやふやになって消えていくはずだった言葉をモモンガは口にすることが出来た。

 

「だって、友達じゃないですか」

「はうっ!?」

「えっ、なんですその反応!?もしかして私の勘違いですか!?」

 

大きく身をのけぞらせて奇声を上げたクーゲルシュライバーの姿に、モモンガも思わず立ち上がった。

勝手に友達だと思いこんでいたが、相手にとって自分は友達扱いではなかったとしたら悲しい以上に恥ずかしすぎる。

 

「い、いや!?違う違う!友達友達!私達友達ですよ!そう友達!」

「うっわなにその取り繕うような反応!違うなら言ってくれていいんですからね!?」

「いやいやいやモモンガさん落ち着いて!嘘じゃないから!嘘じゃないからお願い、後光背負って眼から炎みたいなの吹き上げながら迫ってこないで!なんか怖いよ!」

 

その言葉に、クーゲルシュライバーのツヤツヤと黒光りする擬頭に映りこんだ自分の姿に気付いたモモンガは倒れこむように椅子へともたれ込んだ。

連発されていた精神作用無効化により感情も安定してきた。

それにより先ほどまでの自身の醜態を冷静に理解できたモモンガは、もう一度精神を抑圧されてから冷静さを取り戻した。

 

「……すみません。取り乱しました」

「あ、はい」

 

二人の間に無言の静寂が訪れた。

 非常に、大変に気まずい空気だった。

居もしない天使が通り過ぎていく様を幻視するほどに。

なにか、話題をずらそう。

そう思って口を開こうとしたモモンガに先んじて、クーゲルシュライバーが蝕肢を蠢かせながらポツリと呟いた。

 

「モモンガさんが俺を友達と思ってくれてるように、俺もモモンガさんの事を友達だと思ってますよ。ホントです」

「えっ」

「だぁからぁ!俺達は五分五分の友情で結ばれた友達同士ですって言ってるんですよ!二人だけの時はもう私とか言いませんからね!」

「そういうのって一人称よりも敬語をやめるのが先なんじゃ……」

「あなた相手の癖だからしょうがないんですよぉ!というかなんなんですかコレ!甘酸っぱいよ!なんでいい歳したおっさん同士で、骸骨と蜘蛛でこんなローティーンめいたやり取りしてるんですかぁ!」

「あの、俺そういう趣味無いんで……」

「そんなん知ってるよ!俺だって女の子の方が好きだよ!」

 

漫画のように大袈裟な身振り手振りで騒ぐクーゲルシュライバーが突然動きを止めた。

しげしげと自分を見つめる八つの真紅の瞳をモモンガはいたずらに首を傾げ軽やかに見つめ返した。

 

「……あれ、今モモンガさん俺って言いました?」

「言いましたが、なにか?」

「え、いや、なにかって……」

 

しどろもどろになって擬頭を掻くクーゲルシュライバーを見てモモンガは小さく笑った。

 

「五分と五分なんでしょう?だったら俺も二人の時は私なんて言いませんよ」

 

支配者ロールをしていない自分本来の声でモモンガは恥ずかしげもなく言い切った。

あっけに取られたように棒立ちになるクーゲルシュライバー(友達)が見ていてとても面白かった。

あぁ、なんていい気分なんだろうか。

精神作用無効化を解除していなかった事が本当に悔やまれる。

 

「モモンガさんって、ホントもうさぁ……」

「なんですか?」

「いや、いいです。なんでもないです」

「えー、なんですか?気になるから言ってくださいよ」

「なんでもないんですってば!ほら、こんな事してる場合じゃないでしょ?モモンガさんは明日出発なんだからさっさと連絡会終わらせちゃいましょうよ」

 

クーゲルシュライバーが虚空より封筒を取り出して押し付けるように差し出してくる。

もう少しジャレていたいなと思いながら、モモンガは封筒を受け取ると自らも机の中から同じ封筒を取り出しクーゲルシュライバーへと差し出した。

クーゲルシュライバーが開封するのを見届けるとモモンガも蜜蝋をへし折り封筒の中身を取り出す。

中から出てきたのは「キャラクターシートver.2.1」と表記された紙を先頭にした数枚の書類だった。

 

「あ、新規の部分にカラーマーカー引いてくれたんですね」

「前貰ったモモンガさんのキャラシに引いてあったから。ホントすみません、俺って書類仕事とかしたこと無いから……今まで読みにくかったでしょう?」

「いやいや大丈夫ですよ。読みやすくなったってだけで、今までのが読みにくかったわけじゃないので」

 

モモンガもクーゲルシュライバーも慣れた手つきでお互いが提出した書類を読み進めていく。

クーゲルシュライバー手製のキャラクターシートを使った情報共有は毎日欠かさず行われており、書き込まれる情報の量は日に日に増すばかりだ。

能力の検証結果から部下達に行った様々な対応まで細やかに記された書類にお互い嘘は書かない約束だった。

 

モモンガの胸に小さな痛みが走る。

アルベドとの夜の関係について、クーゲルシュライバーに渡した書類には一切記載されていない。

隠し事や嘘が許されない書類に、自分は隠し事も嘘も忍ばせているのだ。

それはもちろんモモンガ個人の感情もあるが殆どはクーゲルシュライバーを思いやっての行為である。

とはいえ先ほど友情を暖めあったばかりの友人に隠し事をしている自分がモモンガは好きではなかった。

 

もやもやした気持ちを抱えながらモモンガは書類を注意深く読み進める。

クーゲルシュライバーの渡してくる書類には時折驚くような内容が記されている。

最近ではエントマに褒美として《ウォール・オブ・ヴァーミン》の卵を渡したという記述がそれにあたる。

はじめてその記述を見たときはアルベドと一夜を共にした後だったので今更感はあったが色々と合点がいった。

アルベドがあんな無茶なアプローチを取った原因はエントマの持つ卵であり、ひいてはそれを渡したクーゲルシュライバーにあったというわけだ。

 

その事に気付いていなかったクーゲルシュライバーに事の真相を伝えてみれば、それはもう見事な落ち込みっぷりを披露してくれた。

唐突に擬頭を前肢で切り落としたときは本当に焦ったものだ。数分後には時間経過による自動回復によって元通りに生えてきたがなんとも肝を潰す光景だった。

そこまで責任を感じるならその分アルベドへの謝罪に心を込めてやってくれと伝え、もう二度と迂闊に卵をプレゼントしない事を約束させてこの一件は一応は落着したのだった。

 

(それぞれの発生時期から考えてあの時は無理だったけど、情報があと少しだけ早く手に入っていたらアルベドとクーゲルシュライバーさんが衝突するのを回避できたかもしれない。情報はしっかり把握しておかないとな)

 

情報と、それを手に入れるまでの時間の大切さを再確認したモモンガは慎重に書類を読み進めていく。

その赤い眼光がピタリと止まる。

 そして止まった付近を何度もなぞるように行き来すると、モモンガはクーゲルシュライバーを睨むように凝視した。

 

「あの、クーゲルシュライバーさん?ちょっとここに書いてあることなんですけど」

「もう其処まで読んだんですか?モモンガさんは読むの早いですね」

「……どういうことか説明してくれるんですよね?」

 

能天気なクーゲルシュライバーの声にあくまで真剣に言葉を返す。

返答如何によってはモモンガの骨の右手が白い稲妻となって邪神を打ち据えるだろう。

 

「もちろんです。元々モモンガさんに相談するつもりだったんですよ」

 

相談するならもっと前に相談して欲しい。

そう思いながらモモンガは手に持っていた書類を机上に投げ出した。

空気を含み柔らかに着地する書類。

蛍光マーカーで強調された一文にはこうかかれていた。

 

――森林探索時の取得アイテム:現地生物との受精卵(蜘蛛型生物×クーゲルシュライバー)

 

とにかく、モモンガには説明が必要だった。

 

 

 

■■■

 

 

 

クーゲルシュライバーの目にその光景が飛び込んできたのはアウラと一緒に未踏破領域の偵察を行っていた時だった。

僅かに開けた森の一角で複数のゴブリンと、それよりも巨大で逞しい肉体を持った見るからに知性が低そうな亜人種人食い大鬼(オーガ)の集団がなにかを袋叩きにしている。

別に珍しいことではない。

この森は多種多様な種族の生活の場であり生存競争の場だ。

ここまでの行軍で似たような光景は幾度となく見かけていた。

クーゲルシュライバーもアウラも今更特に何を言うわけでもなく、あぁやっているな、と一瞥してハイド状態のまま通り過ぎようとした。

だからクーゲルシュライバーがそれに気付けたのは偶然であり、センチメンタルな言葉に直せば運命だったのかもしれない。

 

「チ、チビスケッ!」

「うえぇっ!?私ですか!?」

 

シャルティアが自分を呼ぶ時の名を叫んだクーゲルシュライバーに、先導するアウラが何事かと目を白黒させる。

そんなアウラに目もくれずにクーゲルシュライバーは前肢を振り上げ集団暴行の場へと風よりも速く駆け出していた。

オーガが咥える枯れ枝のような脚にも、ゴブリンの隙間から見える歪に盛り上がった大きな腹にもクーゲルシュライバーは見覚えがあった。

 どの部位も胸が温かくなるほど愛らしい造形であり、見間違うことなど無いほどに特徴的だ。

袋叩きにあっているのは自分に一途な恋心を捧げるあの美少年蜘蛛で間違いなかった。

 

「クソが!」

 

口を衝いて出てきた罵倒と共にクーゲルシュライバーの首切り鉈めいた前肢が振るわれる。

風のうねりと言うには余りにも短く低い爆音と共に、分厚い前肢の腹がゴブリンとオーガ達を叩いた。

 鎧を身に着けていない相手に対するハイド状態からの奇襲は、峰打ちに近い殴打にも拘らず、触れた者の首を鋭利に切断した上でその全身を木っ端微塵に打ち砕いた。

クーゲルシュライバーの取得する職業に由来する常時発動型特殊技術(パッシブスキル)の内、切断魔(スラッシャー)による鎧を装備していない者に対する通常攻撃が必ずクリティカルになる《ソフトスキンキラー》、ハイド状態からの攻撃の威力を増大する捕食者(プレデター)と各種ホラー系職業(クラス)が持つ複数の《不意打ち》の効果が、クリティカルした相手の首を切断し即死させる首切り(ヴォーパル)が付与された爪に乗った結果である。

ゴブリン達だった血煙を前肢で扇いで散らし、クーゲルシュライバーは身を屈めて倒れ伏す蜘蛛、チビスケを見た。

 

「……馬鹿な子だ」

 

チビスケは虫の息だった。

二本あった雄らしくないほっそりとした可愛らしい蝕肢は片方を毟り取られているし、4対8本あるはずの歩脚は千切られたり叩き潰されたりしてたった3本しか残っていない。

執拗に殴打されたからだろう、頭胸部と腹部を繋ぐ節は引き伸ばされカクカクと頼りなく揺れ動いており、八つあった円らな瞳は一つ残らず潰れていた。

ボロボロになっても尚クーゲルシュライバーに美しさを感じさせるチビスケだったが、その身を彩る傷の数々はまぎれもなく致命傷だ。

 

「アウラに元居た場所に帰れと言われたじゃないか。なんでこんな所でウロウロしてたんだ」

 

問いかけてはみるものの、すでにクーゲルシュライバーにはその答えが分かっていた。

チビスケは体の下に自分よりも大きなゴブリンの絞殺死体を抱えていた。

まるで誰かに奪われないよう庇うかのように。

 

「あれだけ貢物を突っ返されてまだ懲りてなかったのか。こんなの、お前が死に掛けてるのは自業自得だぞ」

 

クーゲルシュライバーの声が聞こえたのだろうか?

チビスケが残った蝕肢をかすかに蠢かせ、クーゲルシュライバーのいる方向へ伸ばされる。

その小さな触肢の向かう先にクーゲルシュライバーは無言で自分の巨大な蝕肢を差し出した。

チビスケの繊細な触肢がクーゲルシュライバーの蝕肢を捉え愛おしそうに撫でた。

クーゲルシュライバーはなされるがままにそれを放置した。

 

――キィ、キィ。

 

チビスケは甲高くかすれた声を上げると残った3本の脚でゴブリンの死体から自らの体を退かした。

そして力なくゴブリンの死体をクーゲルシュライバーへと押した。

また貢物だ。

バカの一つ覚えにも程がある。

そんな事をしても無駄なのだ。どうしてそれを分かってくれないのか。

 

「この畜生めが」

 

クーゲルシュライバーはアイテムボックスに擬腕を突っ込んだ。

内部で掴むは最も安価で最も効果が低い回復ポーションだ。

これを使えば死は免れるだろう。

しかしクーゲルシュライバーはポーションを掴んだその手を引き抜けなかった。

 

(補給の目途も立ってない消耗品をこんな所で使っていいのか?いや、それよりも)

 

コイツを助けてなにかメリットでもあるのか?

生じた疑問に対して答えは一つ。

メリットなど無い、だ。

 

ここで助けたところでまた付き纏われるだけだ。

そしてそれはチビスケに望みの無い求愛を続けさせるという事につながる。

今日はじめて出会いそのうえ野生動物の蜘蛛であるチビスケだが、クーゲルシュライバーはこの美少年に対してすっかり情が湧いてしまっていた。

チビスケの一途ぶりにはクーゲルシュライバーが何をおいても応援したくなる尊さがあり、同情すべき悲しさがあった。

だからこそクーゲルシュライバーは決断した。

 

アイテムボックスから引き抜かれた擬腕にはポーションは掴まれてなかった。

そしてクーゲルシュライバーは引き抜いたその擬腕でゴブリンの死体を掴み、引き寄せて蝕肢に挟み込んだ。

 

「……」

 

ドサッ。

今まで押していたゴブリンの死体が無くなった事でチビスケは前のめりに地面に倒れこむ事になった。

力なく蝕肢が周囲を探っている。ゴブリンの死体がない事を確認しているのだろう。

やがで死体が元あった場所から消えている事、そして今はクーゲルシュライバーの蝕肢に保持されている事を理解できたのか、チビスケはキィキィと苦しそうな鳴き声を上げながら3本の脚で這うようにクーゲルシュライバーへと近づいていく。

何度もクーゲルシュライバーの体を蝕肢や歩脚で確かめながらチビスケが進んだ先は、彼の体に倍する巨大な腹部の直下だった。

 

――キィ、キィキィ。

 

チビスケの蝕肢がクーゲルシュライバーの腹部と頭胸部の境界付近をなぞる。

なぞる。なぞる。なぞる。

何かを探しているのだろう。

チビスケの蝕肢はまたなぞろうとして、重力に引かれて地に落ちた。

そしてチビスケは一言だけ、キィと啼いてそれきり動かなくなった。

チビスケは死んだのだ。

 

「悪いけど子作りはさせてやれないんだ。でもまぁ、それなりに満足しただろう?」

 

クーゲルシュライバーは外雌器を覆う蓋を閉める筋肉の力を抜いてからゴブリンの死体を遠くへ放り投げると、一途に心を捧げてくれた可愛い男の子の亡骸をそっと撫でた。

最期の最期、真意看破を使用して垣間見たチビスケの心は、やっぱり馬鹿な畜生らしくシンプルなものだった。

 

「あの、クーゲルシュライバー様。そいつがお気に入りでしたら」

 

今まで事態を静観していたアウラが恐る恐る話しかけてきたところを、クーゲルシュライバーは手を掲げて制止した。

 

「生き返らせない。コイツはうれしい、うれしいと喜びながら死んでいった。なにかに心焦がす事無く穏やかに死んだコイツに二度目の生は不要だ」

「わかりました。クーゲルシュライバー様の仰せのままに」

 

クーゲルシュライバーが前肢を一振りさせる。

たった一撃で腐葉土が空中に舞い大地に穴が穿たれる。

その穴にチビスケの亡骸をそっと入れると、クーゲルシュライバーはチビスケに残った最期の触肢を根元からへし折った。

手に入れた触肢をアイテムボックスに放り込むと、クーゲルシュライバーはチビスケの眠る穴に土を被せていく。

 

「おやすみチビスケ」

 

土を被せ終わったクーゲルシュライバーは優しさを込めた声でそう呟くと、複雑な表情をして「チビスケって名前だとなんだか私が言われてるみたいで恥ずかしくなるよ」などと小声で言っているアウラに声をかけた。

 

「アウラ、待たせて悪かったな。そろそろ任務に戻ろう」

「わかりました!あの、でもその前に少しお聞きしてもいいですか?」

 

別に構わないと答えれば、アウラは心底不思議そうな顔で質問してきた。

 

「なんでクーゲルシュライバー様はあの蜘蛛にあれほどの慈悲をおかけになったんですか?」

 

あんな下等生物に対してなぜ?

言外にそう言うアウラにクーゲルシュライバーは暫し思索すると少々かっこつけた言い方で答えた。

 

「向けられる純粋な願いに報いてやるのが神ってものだろう?」

 

私は邪神だけどな!

それだけ言ってクーゲルシュライバーはまだ見ぬ森の深部へと走り出した。

 

 

 

■■■

 

 

 

「という事があったんですけど、その後アウラ達の隙を見てチビスケの触肢に入ってた精液をスキルで産んだ卵にかけてみたら受精しちゃったっぽいんですよ」

「色々言いたい事はあるけど、とりあえずなんで体外受精を試みちゃったんですか……」

 

モモンガは肩を落とし、額に手をあてながら質問した。

 

「一応実験のつもりだったんです。ほら、モモンガさんが見せてくれた階層守護者の面談結果に世継ぎが欲しいっていうのがあったのを思い出して」

「あぁ、コキュートスの……」

「骸骨のモモンガさんには難しい要求ですけど、肉体がある俺なら何とかなるかもしれないじゃないですか。体外受精にしたのは流石に直に入れると気持ち悪いというか俺的にアウトというか……」

「あー!あーあー!いい!いいです!直に入れるとかそういう生々しいの言わなくてもいいですから!」

 

両手で耳を塞ぐとモモンガは執務机に突っ伏した。

友人のそういう話はあまり聞きたいものではない。

というか体外受精とはいえクーゲルシュライバーは相手が野生動物でいいのだろうか?

自分の知らないうちに友人が人間の嗜好をはるかに越えた超越者になってしまったようで色々と心配になってしまう。

 

「これがその受精卵です」

 

モモンガの前に白い布に乗った小さな球体の山が置かれた。

クーゲルシュライバーがアイテムボックスから取り出したものだ。

粒の一つ一つは殆ど透明であり一部分だけクリーム色に変色している部分があった。

 

「本当に受精してるんですかね?」

「わからないです。でも比較用に産んだ卵と比べると確かに差があるんですよ。ほら、この不透明の部分です。何もしてない卵にこういう特徴は見られませんでした」

「……不確定ですか。そうすると検証の為にはしばらく様子をみる必要がありますね」

「ええ。そこでモモンガさんに判断を仰ごうと思って。ぶっちゃけこの卵育てちゃっていいんですかね?今はモモンガさん以外には知られてないけど、育てるってなると如何してもNPC達にばれてしまいます」

 

そうなれば大騒動待った無しじゃないか。

モモンガの脳裏にアルベドの顔が浮かぶ。

自分の愛を受け取ろうとしない愛しのクーゲルシュライバーがある日突然どこぞの野生動物との卵をもって帰ってきて甲斐甲斐しく世話を焼いている。

そんな事になったらアルベドの頭がおかしくなるに決まっている。

それに問題はアルベドだけではない。

生まれてくる後継者が一人だけならばシンプルだが、クーゲルシュライバーの卵は虫らしく非常に数が多い。

 ナザリックの恵まれた環境に育まれてこれら全てが孵ったとしたら、後継者候補の数は100を優に超えるだろう。

熾烈な後継者争いの予感がモモンガの背筋を冷たくさせる。

さらに後継者が生まれることによってNPC達に見捨てられるのではないかという恐怖もあった。

即座にという事は無いだろうが、子供たちはアルベドやデミウルゴスに後継者として相応しいように生まれたその時から教育を施されるだろう。

そんなエリート相手に支配者として勝てる自信が微塵も湧かなかった。

 

「かなりまずいかもしれないですね。でも戦力の充実という面で考えると検証だけはしておきたい気持ちも……いや、やっぱりダメか?」

 

モモンガの脳裏に様々な考えが浮かんでは消えていく。

ああでもないこうでもない、いやでもしかし。

思考の迷路に迷い込んだモモンガは無意識の内に悩みの元凶である卵の山に手を伸ばした。

骨の指先で卵の一つを優しくつまんだ時、モモンガは自身の手首に尋常ではない圧を感じて意識を現実へと帰還させた。

 

「……あー、クーゲルシュライバーさん?」

「弄っちゃダメです」

「あ、はい。わかりました」

 

凶悪な握力でもって自分の手首を握り締めるクーゲルシュライバーの黒い腕。

発せられた穏やかでありながら凄味を感じさせる声にモモンガはつまんだ卵をそっと戻そうとする。

しかし――

 

「あの、クーゲルシュライバーさん。手、手が動かないから放してほしいんですけど」

「え?あ、すみませんでした!痛く無かったですか?」

「ええ、痛みはまったくないのでお気になさらず」

 

クーゲルシュライバーが手を離し、自由を取り戻したモモンガは細心の注意を払って卵を元あった山へと戻した。

そして先ほどの現象は一体なんだったのかと思いを巡らせ、やがて控えめにクーゲルシュライバーへと声をかけた。

 

「ところでクーゲルシュライバーさんはどうしたいんですか? その卵を育てたいですか?」

「俺ですか?俺は……別に何が何でも育てたいわけじゃないです。ただ折角だし育てられるなら育ててみたい気持ちはありますよ」

「ふーん」

「なんですかその気の抜けた返事は。……まぁ育てるとなると色々と問題がありそうですから、スキルで産んだ卵を普通に孵化させる事ができるかを検証している事にすればいいんじゃないかなとは思うんです」

「なるほど、その手があったか」

 

クーゲルシュライバーの言葉に一理あるとモモンガは手を叩いた。

この卵の問題部分がすべて隠蔽される良い案だと思われた。

 

「普通にクーゲルシュライバーさんが一人でスキルを使って産んだ卵だから、後継者としては扱わないという事ですよね?」

「そういう事です。エントマに渡した卵と同じ扱いですよ」

「なるほど。……そうそう思いだした、エントマの卵についてメイド達を中心にかなり誤解されてるんでそっちの修正お願いしますね?」

「うぐっ!しかし自分のまいた種……やっておきます」

「お願いします。エントマの卵の二の舞になってはいけないので今回は先手を打って大々的に公開してしまいましょう。そうすれば皆私達の言い分を信じてくれるはずです」

 

クーゲルシュライバーの纏う雰囲気が会話の度に明るくなっていくのが分かる。

わかりやすい人だなぁと内心微笑むが、楽しそうにしている友人にこれから冷水をかけなくてはならない事を思い出したモモンガは気を引き締めた。

どうしても言っておかなければならない事があるのだ。

 

「うん。その卵育ててもらって結構ですよ」

「本当ですか!ありがとうございますモモンガさん。これで検証がはかどりますよ!」

「ですが、もしもナザリックに大きな損害をあたえかねない状況になったら。卵のままだろうと孵化した後だろうと責任を持って処分してもらいます。それでもいいですか?」

 

これだけは約束してもらわねばならない事だった。

モモンガは未来に起る全てのリスクを想定できるほど優秀ではない。

 よく考えた上で受精卵育成の許可を出したつもりだが、モモンガが思いも寄らなかった問題が発生する可能性は十分ある。

最悪の事態を想定すれば予め覚悟を決めておいてもらわねばならなかった。

 

「わかりました。俺にとってもこんな卵よりナザリックが、いやモモンガさんの方が大事です。モモンガさんを困らせたくはありません。たとえ情がうつったとしても、その時が来たら責任をもって必ず処分しますよ」

 

目と目をあわせてそう断言するクーゲルシュライバーの姿は真剣そのものだ。

卵よりもモモンガが大事というクーゲルシュライバーだが、先ほど見せた様子から怪しいものだとモモンガは思う。

しかしこうして面と向かって真剣に宣言してもらったからには、もうモモンガには言う事などなかった。

 

「それじゃあそういうことでお願いします。報告楽しみにしているんで大事に育ててあげてくださいね」

「はい!専用の用紙に書いて提出しますね」

「了解です。じゃあ次の質問なんですけど……」

 

慣れた手つきで卵を糸で織った布に包んでいくクーゲルシュライバーを見ながら、モモンガは書類を手に質問を続けた。

モモンガがエ・ランテルに旅立つ前日。

モモンガとクーゲルシュライバー、超越者達の夜はまだまだ終わらない。

 

 




ボールペンのアウトセーフの境界ギリギリのお話でした。
色々と書いてて胸と胃が痛くなってくる。

あ、次あたりからモモンガ様視点が多くなる予感です。

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