ネビル・ロングボトムと四葉のお茶会   作:鈴貴

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9. 「先生、盾の呪文はまだ習ってません」

 女子トイレの中はひどいありさまだった。

 洗面台は残らず砕け、タイルは割れ、個室は仕切り板がすべて半ばから叩き折られて、もう個室の役目を果たしていない。

 スネイプ先生はちらりとトロールを一瞥し、起きそうな気配がないのを確認してから、室内の様子にすばやく目を走らせた。一方、クィレル先生は「ヒィ」と悲鳴を上げてトイレの床にへなへなと崩れ落ちて、マルフォイにひややかな目で見られている。この人はいったい、何をしに来たのだろう?

 

「寮にいるべきあなた方が、どうしてここにいるのです?」

 

 マクゴナガル先生はいよいよ目を厳しくして、重ねて僕らに詰問した。

 アリーはそっと目を伏せ、おなかの前で指を組んだ。ロンはどこか逃げ場がないかというようにきょろきょろしているが、さっぱりと見通しがよくなったトイレの中に、そんなものはありはしない。僕はいっそこの場から消えてしまえたらと願った――もし将来僕が目くらまし術が使えるようになったとしても、マクゴナガル先生に通用するかは疑問だが。

 

「マクゴナガル先生、聞いてください。みんなは、私を探しに来たんです」

 

 僕の隣から、小さな声があがった。

 ハーマイオニーは、まだ少し震えながら、何かを決心したような顔で一歩前に進み出た。

 

「みんなが駆けつけてくれた時は、私、殺される寸前でした。アリーがトロールの目をつぶして、暴れるトロールの棍棒をネビルがぐにゃぐにゃにしてくれました。そしてロンが、トロールの頭にがれきを落としてノックアウトしてくれたんです」

 

 マクゴナガル先生はまばたきして僕を見つめ、スネイプ先生は疑わしげに棍棒と僕を見比べた。信じられない気持ちはよく分かるが、とどめを刺したのはロンだ。見つめるならロンを見つめてほしい。

 

「事情は分かりましたが……そもそも、ミス・グレンジャーはここで一体なにを?」

 

 ごくりと唾を飲み込み、ハーマイオニーは口を開いた。

 

「あの――あの、私、トロールをさが……」

「新しく調合した魔法薬を試して、吐き気が止まらなくなっちゃったんです」

 

 アリーが何食わぬ顔で口をはさんだ。

 

「だからハーマイオニー、やっぱりニガヨモギ入れすぎだったのよ。絶対失敗してるって言ったのに、よりによってハロウィンパーティーの日に試すなんて!」

 

 アリーはそう言いながらハーマイオニーにしきりに目くばせする。ハーマイオニーは自分が調合に失敗などするはずがないという顔をしていたが、先生ふたりにじっと見られて、仕方なく頷いた。

 

「まあ、そういうことでしたら……しかし、殺されないだけでも運が良かったのですよ。そもそもまだ経験の浅い一年生が、監督もなしに授業以外で作った魔法薬をかるがるしく口にするのは避けるべきです。

スネイプ先生からも、なにか一言ありますか?」

 

 マクゴナガル先生はひとまず矛先を収め、スネイプ先生を振り返った。

 スネイプ先生は重々しく頷き、アリーにひたと暗い目を向けて口を開いた。

 

「まずポジショニングが最悪だ。こんな狭い場所で、大型魔法生物に中途半端に手傷を負わせたら暴れだすことはわかりきっているだろう。まずは盾の呪文なりで攻撃をかわしながら、全員の退路を確保すべきだった。スリザリン5点減点」

 

 マクゴナガル先生のように危険な行為を怒るのかと思ったら、まさかの戦闘内容への駄目だしだった。

 ロンはぽかんと口を開け、ハーマイオニーが小声で異議を唱える。

 

「先生、盾の呪文はまだ習ってません」

 

「――だいたいなぜ、教員なり監督生なりに報告して対処を要請しなかったのかね」

 

 無視された。

 

 アリーはむっと頬を膨らませ、腰に手をあてて勢いよくまくしたてた。

 

「私が先生を探さないわけないじゃないですか!なのに先生はまっさきに出てっちゃうし、ジェマ・ファーレイは『グリフィンドールの監督生に任せておけばいいわ』としか言わないし、マーカス・フリントの糞野郎なんて、『マグル生まれのグリフィンドール生なんてどうなろうが知ったことじゃない』なんて抜かすんです!クィンタペッドみたいな間抜け面してるくせして――見てらっしゃい、あのうすのろがキャプテンに居座ってる間は私、クィディッチ選抜チームになんて絶対参加しないんだから!」

「スリザリンの女生徒ともあろうものが、なんという言葉遣いだ。口を慎みたまえ――スリザリン5点減点」

 

 がんがん減らされていくスリザリンの寮点に、むしろハーマイオニーの方が青ざめて、勢いよくスネイプ先生に言い返すアリーの袖をひっぱりながら、頭をふるふると振っている。しかし僕は、アリーがこんなに激昂しているということは、おそらくマーカス・フリントは「マグル生まれの」などというお行儀の良い言い方はしなかったんだろうな、と思った。

 

 ところで、クィンタペッドってなんだっけ?

 

「セブルス、皆無事だったわけですし、そのくらいでよいでしょう」

 

 マクゴナガル先生は厳格そうな表情を保ってそう言ったが、よく見ると唇の端が笑いをこらえるようにかすかに上がっていた。

 

「大人の野生トロールと対決できる一年生はそうざらにはいません。ミスター・ウィーズリー、ミスター・ロングボトム、ミス・ポッターの3人には、ひとり5点ずつあげましょう。ミス・グレンジャー、吐き気は……」

「もう平気です!」

 

 気遣うような顔を向けられ、ハーマイオニーは慌てて言った。少し、後ろめたそうな顔をしている。

 

「よろしい。では、怪我がないなら、全員寮におもどりなさい。生徒たちが寮でパーティーの続きをやっています」

 

 はい先生、と僕たちは答え、ぞろぞろと女子トイレを後にした。

 廊下に出ると、それまで難しい顔をして黙っていたマルフォイが、乱暴にアリーの腕を取った。そのまま引きずるように歩きだし、アリーが軽くよろめく。

 

「あの、痛いわ、ドラコ……」

「うるさい!君が悪いんだ――いつだって勝手なことばっかりして!」

 

 マルフォイは振り向きもせず、怒った声でアリーの抗議をさえぎった。

 

「さっきだって、上級生に散々文句言って飛び出して! 僕がとりなさなきゃ、どうなってたと思うんだ? あげく、やっと教授を連れてきてみれば部屋じゅう滅茶苦茶じゃないか! 僕に気を揉ませるのがそんなに楽しいのか?」

 

 アリーは少しきまりわるそうな顔をして、小声で「ごめんなさい」と呟き、おとなしくマルフォイに連れられて地下へ続く階段を下りて行った。

 

「僕らも戻ろうか」

 

 自分たちがなんとなく立ち止まって見送っていたのに気づき、僕はロンとハーマイオニーを促した。ふたりとも無言で頷き、お互い目をあわさないように、グリフィンドール塔までの長い階段を黙って上った。

 

「あの、ありがとう」

 

 2階分のぼったところで、気まずい沈黙を破り、ハーマイオニーがぽつりと言った。

 

「こちらこそ……それと、ごめん、ひどいこと言って」

 

 ロンはちょっとぶっきらぼうに、早口で謝った。

 ハーマイオニーはやっと、少しだけ笑みを浮かべた。

 

「本当よね。でも、たしかに私にもいけないところはあったし、それに私自身、どこかでアリーのこと信じてなかったのかもしれない。だから、そのうちあの子も離れていくって言われて、そうかもって思ってしまったのよ」

「ポッターがそんな奴じゃないのはよく分かったよ。まあ、油断がならない奴なのは間違いなさそうだけど」

 

 ロンもいくらか素直な口調にもどって、ニヤリと笑った。

 

「聞いたかい、魔法薬の調合に失敗したんだってさ――君がだよ?」

「よくあんなもっともらしい言い訳を考え付くわよね。アリーには悪いことをしてしまったわ。あんなに活躍したのに結局、マイナス5点だなんて」

「それだよ。マクゴナガル先生も、ひとり10点くれればよかったのにさ。スリザリンにはちょうど埋め合わせになるし、ネビルには呪文が成功したご褒美込みってことで」

「やめてよ、ようやく初歩の呪文がひとつ成功しただけじゃないか」

 

少し頬が熱くなるのを感じながら、僕は頭を振った。

 

「それにマクゴナガル先生は公平だから、そんなえこひいきみたいな配点はしないと思うよ」

「そうなんだよな。それに引きかえ、スネイプときたら……聞いたかい、あの言いがかりみたいな減点理由。自分の寮生だっていうのに、いったい何が気に入らないんだか。あいつの足なんて、うんと痛めばいいんだ」

 

ロンは階段の柵を軽く蹴とばしながら、口をとがらせた。

 

「足?」

「なんだ、君たち見なかったの? さっき部屋に入ってきたとき、あいつ、ちょっと足を引きずってたじゃないか」

 

 僕とハーマイオニーは立ちどまって顔を見合わせた。先に行きかけていたロンは、気づいて数段もどってきて、弁解するように言った。

 

「どうしたんだ? あの陰険教師が少し痛い目見たくらい、いい気味だと思ったって別にかまわないだろう?」

「違うんだよ、ロン。さっき僕ら、トロールより先にスネイプ先生を見かけたじゃないか。そのとき、足なんてひきずってたっけ?」

「それにトロールはまっすぐ女子トイレにやってきて、そこであなたたちにやっつけられた。つまり、怪我をしたとしたら、トロールと戦ってのことじゃない。あなたたちが見かけてから、女子トイレにもどってくるまでの間に、何かがあったのよ」

 

 僕の疑問に、ハーマイオニーが補足した。僕らは長い階段の途中で、息をのんで視線を交わしあった。

 

「あいつ、4階へ向かってた」

 

 ロンがささやくように言った。それで充分だった。

 4階には何がある?

 あの、立ち入り禁止の廊下。3頭犬が守っていた、仕掛け扉がある場所だ。

 

「もしかしたら、トロールが3頭犬と戦ってないか、確かめにいったのかもしれないわ」

「逆かもしれないぜ。3頭犬の守ってる何かを奪おうとして、おとりにするために地下室にトロールを入れたんだ。さもなきゃ、ホグワーツに野良トロールが迷い込むなんてありえない」

 

 確かにそうだ。ばあちゃんは、ホグワーツの中はグリンゴッツより安全だと言ってた。誰かが――それがスネイプ先生かそうでないかはさておき――誘い込まない限り、地下室へトロールが入り込むなんて考えられなかった。ホグワーツの守りを出し抜くには、トロールでは少しばかり荷が重いだろう。

 

 ハーマイオニーは目を見開いた。

 

「そんなはずはないわ。たしかに意地悪だけど、ダンブルドアが守っているものを盗もうとするような、だいそれたまねをする人ではないわ!」

「さあ、わかったもんじゃないと思うけどな。4階が立入禁止になったのは今学期から。

スネイプが就職したのも今学期からだ。隠されている何かを盗もうとしてホグワーツの教授に応募したんじゃなきゃ、タイミングがよすぎる」

「むしろ、その何かを守るためにこのタイミングで呼ばれた可能性もあるわ」

 

 ハーマイオニーの反論に、ロンはとても疑わしそうな顔をした。

 

「あいつが? 口は誰よりも達者だけど、そんな強そうには見えないよ。なんかひょろっちいし」

「それもそうね……」

 

 駄目だ、結論が出ない。

 僕にはハーマイオニーとロン、どちらの主張もそれなりに筋が通っているように聞こえた。あの仕掛け扉の先になにがあるのか分からなければ、明日の朝まで話し合っても決着はつかないだろう。そして僕はあまり、そこまで詮索したい気分にはなれなかった。

 

 そこで僕は、少し遠慮がちに提案してみた。

 

「とりあえず、寮に戻らない?もしスネイプ先生が何か盗みたかったんだとしても、3頭犬に怪我させられたんだったら、治るまでは再挑戦しようとは思わないんじゃないかな。

それに、早くしないと食べるものがなくなっちゃうよ」

 

 そこでようやく、ふたりも自分たちがとても空腹なのを思い出したようだった。なにしろ、4メートルもあるトロールを倒すという、1年生ではふつうありえないような大冒険をやってのけたのだ。僕らは、せっかくのパンプキンパイがすべて食べられてしまう前に帰ろうと、大急ぎでグリフィンドール塔まで駆け戻った。

 

 

 

 

 

 それ以来、ロンとハーマイオニーは仲直りした。ハーマイオニーは規則についてあまり口やかましくなくなったし、ロンもつんけんした態度をとることはなくなった。僕らはあの冒険のおかげで、とても仲良しになったのだ、と言ってもいいかもしれない。

 

 ただ、例の仕掛け扉の先にふたりとも興味しんしんで、隙あらば僕を巻き込もうとしてくるのは、ちょっとどうかと思う。




クィンタペッド:別名、毛むくじゃら(ヘアリー)マクブーン。
ヨコハマタイヤに毛を生やして足を5本つけたような、すっごいキモい魔法生物。
あほそうな見た目の割に、魔法省の分類ではドラゴンやバジリスクなみに危険とされる。肉食。

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