ネビル・ロングボトムと四葉のお茶会   作:鈴貴

4 / 11
4.「ほら、アニメーション映画で見たことあるし」

 朝食を食べる手を止めた僕は、ばあちゃんが今しがたふくろう便で送ってきた思い出し玉を転がしながら、大きく唸った。手の中の思い出し玉の色は真っ赤に光り、僕がなにかを忘れていることを示している。

 しかし、どうやら僕は、何を忘れているかということすら忘れているらしい。

 

「あなたはそういうものよりもまず、魔法のかかっていない小さな手帳を買うべきね」

 

 ハーマイオニーは呆れたように頭を振った。

 

「忘れそうなことはなんでも、そこに書き留めておくの。きっと思い出し玉より、ずっと安くて役に立つわ。もちろん、手帳そのものを忘れなければの話だけど」

 

 僕には手帳を忘れないでいられる自信はまったくなかったが、それを認めるのもなんだかいやだったので、ふくろう便がくる前まで話を戻した。今日の午後にある、スリザリンと合同の飛行訓練の授業についてだ。

 

「理論はだいたいわかったけど、初めて乗るからやっぱり不安だなあ。ばあちゃんは一度も、僕を箒に乗らせてくれたことなかったんだ」

「僕には君のおばあさんの気持ちがわかる気がするな。君ったら、地に足がついていてさえ、しょっちゅう何かやらかしてるんだもの」

 

 ベーコンをフォークでぐさぐさとつつきながら、ロンがぼやいた。

 

「僕の大鍋なんて、このグレイビー・ボートみたいな形に縮んじゃってるしな」

 

 ソース入れを片手に、うらめしげにシェーマスが追撃する。先週の金曜、はじめての魔法薬学の授業で、僕は調合に失敗してシェーマスの大鍋を無残な姿に変えてしまったのだ。学校の備品の鍋を使わなければいけなくなったシェーマスには申し訳ないことをしたが、まともに失敗した薬をかぶった僕は体中赤いできものだらけになったり、スネイプ先生に恐ろしい顔で叱りつけられたり、それをマルフォイに鼻で笑われたり、とにかく散々な目にあった。特に減点されたりはしなかったが、当然あまり慰めにはならない。

 

 授業がはじまると、やはりというべきだろう。まわりの好奇と期待のまなざしは、だいぶ生ぬるく憐みのまじったものに変化してきていた。変身術では僕のマッチは色すら変わりはしなかったし、妖精の呪文の授業では光よ(ルーモス)の魔法が、なんだか死にかけた蛍みたいなことになっていた。組分け帽子に言われた通り、僕は杖を使う魔法にはちょっと苦手意識があるようだ。

 

 かといって杖を使わない魔法薬学ならばいいかというとごらんの有様なわけで、唯一僕が上手くやっていけそうな授業が薬草学だった。このあいだも授業で植えた苗の様子を放課後にこっそり温室に見に行き、出くわした薬草学担当のスプラウト先生とちょっと仲良くなって、今度の週末にハッフルパフ有志のきのこ狩りに混ぜてもらう約束を……

 

「あ、そうか」

 

 ハッフルパフ監督生のガブリエル・トゥルーマンに、僕からもきのこ狩り参加の連絡をしておくように言われたんだった。ようやく思い出して手の中を見ると、思い出し玉の赤い光が消え、中に白い煙のようなものが渦巻いているだけに戻っている。やはり、忘れていたのはこれだったらしい。

 

 ちょうどいい、ガブリエルが食事を終える前に言っておこう、と思って立ち上がった僕は、いきなり横から手の中の思い出し玉をひったくられた。

 怒るよりむしろあっけにとられて、僕は意地悪そうに笑うドラコ・マルフォイを見つめた。視界の端でロンがはじけるように立ち上がり、ハーマイオニーが眉根を寄せて怖い顔をしている。

その場にピリッとした空気が流れかけたとき、マクゴナガル先生がめざとくそれを見つけてやってきた。

 

「なにごとですか」

「別に。ちょっとロングボトムのおもちゃを見ていただけですよ……」

 

 僕が口を開くよりも早く、肩をすくめてマルフォイが言い訳する。ロンがそれに食ってかかろうとしたところへ、背後からひややかな声が響いた。

 

ドラコ(・・・)

 

 マルフォイがぎょっとしたように振り返ると、アリーが腕組みをして冷めきった目でマルフォイを見ていた。アリーはそれきり、何か弁解しようとするマルフォイがそこにいないかのように無視して通り過ぎ、ハーマイオニーにだけ「合同飛行訓練、楽しみにしてるわね」とにこやかに告げて去って行った。マルフォイは慌てて思い出し玉をテーブルに放り出し、彼女を追って行ってしまった。

 

「なんだい、ありゃあ」

 

 ロンは毒気を抜かれたような顔ですとんと座り、誰にともなく疑問を口にした。

 何ともいえない空気のまま朝食はお開きとなり、僕はガブリエルにきのこ狩りの話をするのをまた忘れていたことを、1時間目の授業の最中に思い出した。

 

 

 

 その日の昼下がりはよく晴れていて、校庭の芝生の上には気持ちのいいそよ風が吹いていた。飛行訓練を楽しみにしている生徒にとっては絶好の日和だろうな、と僕は他人事ながら思った。

 そう、他人事だ。こうやって箒の横に立った今、僕は改めて怖気づいていた。なんでみんな、平気そうどころか、待ちきれないみたいな顔をしているんだろうか。そもそも煙突飛行粉(フルーパウダー)で何処へでも行けるようになった時代に、どうしていまさら箒で空を飛ぶ必要があるんだろうか。クィディッチなんて、何故あんな恐ろしいスポーツをみんなプレイしたがるのか、さっぱりわからない。

 

「右手を箒の上に突き出して、『上がれ』と唱えて!」

 

 僕の内心の愚痴をよそに、マダム・フーチがきびきびと号令をかけた。全員、声をそろえて「上がれ!」と唱えたが、1回で箒を掴めたのは数人だけだった。もちろん、僕の箒は頑として1センチも動いていない。

 

「ほら、マルフォイが持ち方直されてるよ! クィディッチがうまいとか、あんなに自慢してたくせに」

 

 ロンがニヤニヤしながらシェーマスに囁いていたが、四苦八苦してようやく手の中に箒を収めた僕にしてみれば、多少持ち方が自己流だろうが、クィディッチで試合が成立するくらい飛べるならたいしたものだ、と思った。

 

「では、笛を吹いたら強く地面を蹴ってください。2メートルくらい浮上したら、前かがみになって降りてくること。いいですか、笛を吹いたらですよ――1、2の――ネビル(・・・)戻ってきなさい(・・・・・・・)!」

 

 やってしまった。

 出遅れまいと強く地面を蹴った僕の箒は、フライングして猛烈な勢いで空中に飛び出した。マダム・フーチの怒鳴り声が、あっという間に下へと遠ざかる。

 僕は前かがみになって降りようとしたが、急角度で飛び出したせいでのけぞってしまい、なかなか体勢が立て直せない。じゃあ、旋回して引き返して降りれば――いや待て、箒で旋回って、どうすればいいんだ!

 

 このまま降りられずにどんどん高くへあがってしまい、いずれ力尽きて落ちて死んでしまうんじゃないか。そんな恐ろしい想像が頭をかすめ、僕の目は恐怖の涙でいっぱいになった。

 そのとき、はるか下からどよめきが起こった。

 ヒュウッと風を切る音が、どんどん後ろから近づいてくる。僕ははっとして、いつのまにか緩みかけていた箒の柄を持つ手をしっかりと握りなおそうとし――緊張の汗で、手がずるりと滑った。

 

 とたんにあがる、遠くからの悲鳴。

 そして次の瞬間、右手首と、肩に衝撃が走った。

 

 目を開けると、禁じられた森の木々がかなり近くに見えた。下を見ると、僕の足が宙吊りになっている。

 視線を上にずらすと、僕の右手首は、しっかりとアリーの白い手に掴まれていた。アリーは必死な顔をして歯を食いしばり、残った片手で柄をぐいと横に倒して、箒をゆるやかに旋回させた。ゆっくりと地上が近づき、みんなの表情が見えるようになる。だれもかれも一様に、ぽかんと口を開けていた。

 

 僕らが地面に降り立つと、マダム・フーチが真っ青な顔をして駆け寄ってきた。

 

「無事ですか、ネビル、アリー!?まったく、あなたたちときたら――こんな無茶をして!」

 

 マダム・フーチは憤懣やるかたない、という口調だったが、アリーはともかく、僕は特に無茶しようとしたつもりもないことをわかってほしい。

 それに、僕らはそう無事なわけでもなかった。僕はどちらかといえば背は低い方だが、体重は……まあ、この年齢の平均よりは少し多いかもしれない。その重さを、それなりのスピードで突っ込んでいって、空中で掴まえようとするとどうなるか?

 

「あの、僕、肩がグキッてなってて……」

 

 それはもう、脱臼くらいは当然覚悟しないといけないだろう。

 僕は、糸繰り人形のようにプラプラしている右手を、マダム・フーチに見せて訴えた。

 

「私も、ちょっと……多分、折れたりまではしていないと思いますけど」

 

 アリーも、ちょっと顔をしかめて手首をさすっている。

マダム・フーチは頷くと、みんなの方に向き直り、厳しい口調で言った。

 

「私はこの子たちを医務室へつれて行きます。あなたがたはこのまま、ここで待っていなさい。もちろん、箒もそのままにしておくんですよ! 勝手に乗って遊んだりしたら、クィディッチのクの字を言う前に、ホグワーツから出て行ってもらいますからね!」

 

 そしてマダム・フーチは僕とアリーを促し、医務室へ向かった。

 

 

 

 医務室の先生、マダム・ポンフリーは、僕とアリーの前にごとりとゴブレットを置いた。

 

「ネビルは脱臼、アリーは捻挫ね。ふたりとも骨が折れたりはしていませんから、これを飲んだら、もう戻ってかまいませんよ」

 

 骨はもうはめ直してもらったのに、どうしてもこれを飲まないといけないんだろうか、と、僕はマーブル状に黒が混ざった紫の液体を見つめた。アリーもとても嫌そうな顔をしていたが、マダム・ポンフリーの無言の圧力に、僕らはおとなしくゴブレットを手に取った。

 飲んでみると、物凄い色のわりに、味はそう悪くない。せいぜい、少し変わったハーブティーくらいのものだった。

 

「さて、それでは寮監の先生方から、あなたがたにお話があるそうですよ。ミネルバ、セブルス。弁解の余地はあると思いますから、お手柔らかに」

 

 マダム・フーチは苦笑交じりにそう言うと、さっさと出て行ってしまった。授業を中断して来ているのだから仕方ないといえばそうなのだが、正直、残っていてほしかった。

 

「ロングボトム」「ポッター」

 

 来た……!

 僕らがびくりと肩をはねさせて振り返ると、マクゴナガル先生が眼鏡をぎらりと光らせて仁王立ちし、スネイプ先生は薄い唇に、いっそ楽しそうにすら見える酷薄な笑みを浮かべてこちらを見下ろしていた。

 

「いったいあなたは、落ち着きがなさすぎます!聞けば、これまで箒に乗った経験もないのに、合図よりさきに飛び出していったそうじゃありませんか。わかっているのですか、首の骨を折るかもしれなかったのですよ!授業中、ふと外を見てあなたがあんなに高くまで上がっているのを見て、私がどんな思いをしたと……」

 

 僕が凄まじい勢いでマクゴナガル先生に叱り飛ばされている横で、アリーはスネイプ先生にねちねちと説教されて涙目になっている。僕は、心からアリーに申し訳なく思った。

 

「……しかし、いかに危険を顧みない軽薄な英雄気取りの行動とはいえ、級友の救助に動いた点は、まあ一応は評価してもいい。スリザリンに5点」

 

 スネイプ先生がそうしめくくってようやく解放され、僕らはよろよろしながら医務室を後にした。アリーはしょげきっていたが、最後に加点されたことでちょっとだけ気分が持ち直したようだった。

 

「あの、ごめんね、僕のせいで。それと、助けてくれてありがとう」

 

 お礼を言うと、アリーはどことなく儚く微笑んだ。

 

「ううん、いいのよ。後先考えず飛び出して行って、無茶なことやったのは私自身だし、怒られたって仕方ないわ。でも、『そういうところが父親そっくりで最悪』だなんて……」

 

 これは駄目だ。意味はよく分からないけど、重症だ。

 僕は慌てて、またちょっと涙ぐんだアリーの気持ちを少しでも上向かせるために、彼女の飛行技術をほめちぎった。

 

「降りるときのあの滑らかなターン、片手だけの操作なのにすごかったね!それに、僕の箒も結構なスピードで暴走してたと思うのに、あっさり追いついて落ちるの止めるだなんて、きっと上級生でもできる人、ほとんどいないよ!君、本当に箒上手なんだね!」

 

 僕の必死のフォローに、アリーは少しはにかんだ。

 

「さっきは夢中だったからできただけだと思うわ。あと、ほら、ちょうど同じようなシーンを、魔女が主人公のアニメーション映画で見たことあるし、あれならやれそうって思ったのもあるんだけど……やっぱり駄目ね、フィクションはフィクションだったわ」

 

 まさか肩が抜けるとは思わなかったわ、などと言っているアリーをよそに、僕は首を傾げた。

 あにめーしょんえいがって、何だ?

 

 

 

 

 アリーと手を振って別れ、授業はもう終わっている時間だったので寮の談話室に戻ると、ロンが申し訳なさそうに、ハンカチにくるまれた思い出し玉の、粉々になった破片を差し出してきた。

 

 なんだこれ。僕らがいない間に、一体なにがあったの?


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。