テイルズ オブ フェータリアン ー希望を紡ぎ出すRPGー   作:逢月

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Tune.7 治癒の力

 

 

「アル! マルーシャ!!」

 

 エリック自身は全く把握していなかったのだが、洞窟を出た後、ふらふらと歩いているうちにかなり遠くまで行っていたらしい。小走りで洞窟に戻ったものの、辿り着く頃にはすっかり夜が更けていた。

 もう寝ているかもしれないと思いつつ、腕の中で震えるポプリのことを優先したエリックは洞窟の入口付近で迷うことなく見知った二人の名を呼んでいた。

 

「エリック、かな……?」

 

 すると、すぐに奥からひょっこりとマルーシャが出てきた。もしかすると、心配して起きて待っていてくれたのかもしれない。仮にそうなら、申し訳ないことをしてしまったとエリックは奥歯を噛み締める。

 

「良かった、帰ってきたんだね! 一体どうし……って、大変!」

 

 案の定、マルーシャはエリックのことを心配していたらしい。だが、彼女は何よりも先に、その心配していた人物の腕に抱かれていたポプリの姿を見て焦りと驚きで目を見開くこととなった。

 彼女が何かを言うよりも先に、エリックとディアナが事情を説明し始める。

 

「行った先で出会ったんだ。今の僕らに余裕が無いのは分かっているんだが、意識が無い上に高熱を出している……放っておけなかったんだ」

 

「だからといって、相談もせずに勝手に連れ帰ってきてしまったことは謝る」

 

 突然の襲撃に、戦闘に慣れているアルディスとディアナの負傷。このような状態でまた新たに怪我人を増やす余裕など、あるはずがない。そんなことは分かっていた。しかし、それでもエリックもディアナもこうせずにはいられなかったのだ。

 そんな二人の心境を察したのだろう。マルーシャはゆるゆると頭を振るい、困ったように笑ってみせる。どうしてそんなことを気にするの、と言いたげな様子だ。

 

「ううん、謝る必要なんてないよ。エリックとディアナがその人を放って帰ってきてたら、わたし、二人のこと軽蔑してたと思うな」

 

「……。ありがとう。ただ、もしかしたらマルーシャ、君に負担を強いるかもしれない……」

 

「そんなの気にしないで! わたしが倒れない範囲で、にはなっちゃうと思うけど、精一杯頑張るから!」

 

 そう言って、マルーシャは小首を傾げて花が咲くような満面の笑みを浮かべてみせた。その笑みに釣られ、エリックとディアナも思わず微笑んでしまう。

 マルーシャは「とにかく治療しないと」と言ってエリックの元に駆け寄ると同時、彼の姿を見て叫んだ。

 

「エリックどうしたの!? エリックも怪我してるよ!!」

 

「ん? ああ、僕は大したことないよ」

 

「嘘ばっかり! 大したことある顔してるもん!!」

 

 雨でぬかるんだ地面に倒れ、転がり、血まで吐いた。傷自体は多少ディアナが治してくれたものの、完治はしていない。ついでに腹部には未だに酷い痛みが残っている。鏡で見たわけではないが、酷い有様になっているだろうことはエリック自身も理解していた。だが、どうやら思っていた以上に酷いことになっているらしい。

 見知った人物、それも全く想定外だったエリックの負傷という突然の事態に恐怖してしまったのだろう。マルーシャは少し涙目になってしまっていた。そんな彼女にエリックが申し訳なさを感じていると、それ以上に申し訳なさそうな顔をしたディアナが静かに口を開いた。

 

「それなんだが……マルーシャ、疲れているところ申し訳ないが、協力してくれないか? この娘……ポプリ、というそうなんだが。その、ポプリかエリックか、どちらかを重点的に治療してやって欲しいんだ。すまない、オレが傍にいながら、エリックに怪我をさせてしまった……」

 

 ディアナの言葉に対し、「それはお前のせいじゃないだろ」とエリックは言いかけた。言えなかったのは、すぐさまマルーシャが真剣な眼差しをディアナに向けていたからだ。

 

「当然だよ! 協力するなって言われてもするよ! あと、ディアナは悪くないよ!」

 

「マルーシャ……ありがとう……」

 

 どういたしまして、と八重歯を見せながらマルーシャは笑う。そして彼女はエリックが抱えているポプリと、エリックを交互に見て眉尻を下げつつ首を傾げた。

 

「……どうしよう、わたし、両方は無理だと思うの。どっちを、癒したら良いのかな……?」

 

 マルーシャの問いに、ディアナは小さく唸り「それなんだよ」と言って首を傾げた。

 

「オレとマルーシャの能力は両方救済系だが、少なからず違いがあるからな。適材適所ってものがある……そして、あなたの言うようにどちらも使える力は残り少ない。だったら、より効果のある方に付くのが正解なんだろうが……」

 

「よく分かんない、よね。その女の人の高熱の原因が分かったら早いんだけど……」

 

 

 どうしよう、とマルーシャとディアナは顔を見合わせる。そんな時、洞窟の奥からアルディスが出てきた。

 顔色は悪く、かなり辛そうではあるが歩けている。ひそかにエリックはそのことを安堵していた。

 

「……ごめん、マルーシャに甘えて出遅れた。何か、問題が起きてるみたいだね」

 

「アル、無理させて悪い……ちょっと、怪我人がいて、な……」

 

「怪我人?」

 

 連れてきたのか、とアルディスはどこか怪訝そうな表情を浮かべる。マルーシャの時とは対照的に、アルディスにはあまり良い印象を与えなかったようだが、彼の警戒心の強さを思えば当然の反応だろう。しかし、それでも彼は迷わずエリックの傍に寄っていき、ポプリの姿を確認する。

 

 

――そして彼はポプリに対し、“明らかに”異様な反応を見せた。

 

 

「アル?」

 

「な、な……なん、で……?」

 

「アル、しっかりしろ! どうしたんだ!?」

 

 吐き気をこらえるかのように、アルディスは自身の口元を覆っていた。ただでさえ悪かった顔色は蒼白になり、その身体はカタカタと微かに震えている。

 一体何が、とエリックは女性を抱えたままアルディスの顔を覗き込んだ。

 

「もう、二度と……会いたく、なかったのに……」

 

「ア、アル……」

 

 アルディスの翡翠の碧眼は、涙で酷く潤んでいた。今にも泣き出してしまいそうな、不安定な姿だった。

 彼は元々人間不信ではあるが、これはそういう問題ではない。例外的な反応だろうとエリックは察した。そして、自らの軽率な行動を本気で後悔した。

 

「アル……悪い。その……」

 

「……」

 

 だからといって、今更どうしたら良いのか。酷く悩み始めたエリックであったが、それは杞憂に終わった。

 アルディスは自身の顔をパンパンと強く叩き、力なく垂らされたポプリの右手首にそっと触れる。

 

「明らかに熱いし、脈が早い……熱があるのは間違いないとして、でも見た感じ身体の傷は発熱を伴うほどじゃないし、風邪を引いている様子でもないから毒だろうね。それも、放っておけば命に関わるくらいの猛毒……ディアナ、お前になら何とかできると思うんだけど」

 

「えっと……?」

 

 先ほどまでとは打って変わった、冷静な様子だった。しかも、どうやら話し声がしっかり聴こえていたらしい。

 彼はポプリの置かれている状況を判断するとともに、いまいち理由を理解できていないらしいディアナの方に向き直った。

 

聖歌祈祷(イグナーツ・エリス)は純粋な治癒力では天恵治癒(エルフリーデ・イヴ)に劣るけど、浄化や支援といった方向に特化した能力なんだ……でも、その様子だとお前は力の使い方を知らないみたいだね」

 

「う……」

 

 困ったなあ、とアルディスは肩を竦める。それでも彼はしばし悩んだ後、「ちゃんと説明すれば分かるかな」とディアナの胸の十字架を指差し、再び口を開いた。

 

聖歌祈祷(イグナーツ・エリス)能力者特有の魔術、神託術(オプファリス)は分かるかい? これが分かってるなら、下級神託術の『リカバー』が使えるかなって思うんだけど」

 

「その、そうかどうか自信がないんだが……それらしい奴で、シャープネスと、バリアーなら、使える……」

 

「え、えぇ?」

 

 何だその反応は、とアルディスは思わず間抜けな声を出してしまった。対するディアナは、しゅんとうなだれてしまっている。

 これは今に始まったことではないのだが、今回もディアナの反応が妙である。全ての質問に同じ反応をするわけではないが、彼の“それ”は少々目立ちすぎた。それも、勘の良い者ならばそこにある共通点、及び隠された事実にうっかり気付いてしまいそうなほどに――しかし、それでもアルディスはこれまで同様に“それ”に気付かない振りをして、ディアナの頭をポンポンと撫でた。

 

「うん、まあ……うん。そう、それだよ。それが、神託術(オプファリス)。シャープネスもバリアーも、両手を組んで詠唱するだろ? 同じように両手を組んで、彼女の毒を消し去ることを願ってみな。上手く行けば、すぐに言うべき言葉が分かるから」

 

「わ、分かった……」

 

「中に運んでおいた。ディアナ、頼む」

 

 どこか不安げな様子で、ディアナはエリックが洞窟の奥に寝かせてくれたポプリの傍へと飛んでいく。

 そして彼は言われた通りに両手を組み、静かに念じ始めた。刹那、集中するために目を閉ざしていた彼の肩がぴくりと動いた。

 

「よし、分かったみたいだね? じゃあ、そのまま今浮かんだ言葉を唱えてみて」

 

 エリックとマルーシャにはよく分からなかったが、アルディスが的確な指示を出していたらしいことは確かだ。両手を組んだままのディアナと、ポプリの真下に白く輝く魔法陣が出現していた。

 

「――浄化の、奇跡よ……リカバー!」

 

 魔法陣から浮かび上がった天使の輪を思わせる淡い白の光輪が意識のないポプリを包み、そのまま彼女の身体に同化する。

 すると彼女は意識こそ戻らなかったものの、悪かった顔色は次第に良くなっていき、乱れていた呼吸もすぐに正常なものへと変わっていった。解毒に、成功したようだ。

 

「やった、できた……!」

 

「嬉しそうだね……でも、悪いけどもう少しだけ頑張って。傷、治してあげないと雑菌が入ってまた熱を出す、なんてことになりそうだから……ああでも、これなら聖歌(イグナティア)を歌うほどじゃないかな、下級治癒術で十分だと思う」

 

 喜ぶディアナに対するアルディスの言葉は言い回しこそ厳しいが、どこか優しさの含まれたものだった。

 それを感じ取ったらしいディアナは不貞腐れることなく、こくりと頷いて今度はタロットカードを一枚だけ残して宙に放り投げ、残した一枚を額に当てて両目を閉ざした。彼とポプリの足元には、淡い水色の魔法陣が浮かび上がっている。

 

「安らぎの羽音、響け――ピクシーサークル!」

 

 宙に放り投げられたタロットカードが、魔法陣と同じ色の光を放つ小さな妖精のような姿になり、ディアナとポプリを囲むように円を描く。妖精の羽から散った鱗粉は軌跡となり、ポプリとディアナ双方の傷を癒した。

 役目を終えたタロットカードが勝手にケースの中に戻っていくのを見て、マルーシャは感嘆の声を上げた。

 

「綺麗……! 手品みたい、格好良い!」

 

「そう、か……? 何か、気がついたら、使えていたんだが……」

 

「……うん?」

 

 無意識にやってしまうのだろうが、ディアナの悪い癖が出た。またか、とアルディスはこめかみを抑える。どう考えてもその癖が出てしまう理由には触れて欲しくないのだろうに、これでは質問されるのは時間の問題だろう。

 そうなる前にと、アルディスは話題を変えるべく口を開く。

 

「確かに変わった詠唱媒介だなぁ……でもマルーシャの反応を見る限り、俺の傷は全部聖歌(イグナティア)で治してくれたのかな。ごめん、必要以上に疲れたろ?」

 

「い、いや、別に……」

 

 アルディスがディアナに話しかけたせいか、マルーシャはエリックに声を掛けていた。彼女の意識が別の方向へ向いたのを確認し、ディアナはほっと胸を撫で下ろしていた――その様子を見て、アルディスは「これくらいしか考えられない」とひとつの仮説を立てていた。

 

(ディアナ……)

 

 ごめん、と彼は心の中で静かに呟いた。口に出さなかったのは、ディアナの心境と自分自身の立場を考えてのことだ。

 今この状況で軽率な行動は取れない。言うにしても二人きりになった時にするべき話だろうし、そもそもディアナはこの話をするのを嫌がる可能性が高い。だが、ディアナの安全を考えれば、いち早く確認しておきたい事項ではある。

 

 

「――ディス、アルディス!」

 

「!?」

 

 どちらを優先すべきかと、アルディスが一人思い悩んでいた時。マルーシャがポンポンと彼の肩を叩いてきた。どうやら、彼女に名前を呼ばれていたことに気付いていなかったらしい。

 驚き、びくりと肩を震わせたアルディスに対し、マルーシャは「驚かせてごめんなさい」と申し訳なさそうに眉尻を下げた。

 しかし、悪いのはこちらの方だ。「ごめん、どうしたの?」とアルディスは軽く首を傾げてマルーシャの方へと向き直った。

 

「あ、あのね……わたしにも、何か治癒術教えて欲しいなって……」

 

「え……」

 

「だめ?」

 

 マルーシャは、詠唱を用いるような正式な術を使うことが出来ない。それは彼女の周りに救済系能力者がいなかった上、唯一治癒術の使い方を教えられるアルディスもあえてマルーシャにそれを教えず、詠唱をせずに発動できる微弱な力の使い方しか教えてこなかった。それは彼が、マルーシャに治癒術を使わせるのは危険だと考えていたからだ。

 

「君に術なんか教えたら、乱用しそうで怖いんだよ……マルーシャは優しいから、自分の限界を超えた魔術の使い方しそうで」

 

 マルーシャは、本当に心優しい少女だ。地方貴族ウィルナビス男爵家の娘でありながら、エリック――王位継承権を持つ王子の許嫁となったことで他の貴族達から村八分のような扱いをされているにも関わらず。彼女はひねくれることなく育ってきた。だからこそ、不安なのだとアルディスは目を細める。

 そんなアルディスの心境を知ってか知らずか。マルーシャはえっへんと腰に手を当て、にんまりと笑ってみせた。

 

「大丈夫だよ! そんな無理しないよ! アルディスが死にかけでもしたら分かんないけど!!」

 

「笑えない冗談はよせ!!」

 

 こっちの気も知らないで、とフードの下の白銀の髪をガシガシと掻きながら、アルディスは大きく溜め息を吐く。そして長い長い溜め息が終わった後、アルディスはマルーシャの黄緑色の目を真っ直ぐに見つめて口を開いた。

 

「分かった、教えてあげる。どうせ言ったってきかないでしょ? その代わり」

 

「その代わり?」

 

「絶対に自分の限界を超えて魔術を使わないこと。仮に」

 

 この先の言葉を言うべきか言わざるべきか。悩んだアルディスは翡翠色の右目を閉ざすことで、マルーシャから目を反らした。

 そして彼は、左手を自身の胸元にそえ、一番近くにいる彼女以外は聞き取れないほどの小さな声で、言葉の続きを紡ぐ。

 

 

「俺が死にそうになっていたとしても、そんなことはしないと約束して。万が一、俺がそんな状況に陥ったとしたら、それはきっと、俺の“ワガママ”が招いた結果だから……」

 

「ッ!?」

 

 マルーシャは黄緑色の瞳をこぼれ落ちそうなほど大きくし、奥歯を噛み締めて震えていた。アルディスの発言は、それだけ強烈な衝撃を与えるものであった。

 

「な、何で……!? 何で、そんなこと……」

 

 今にも泣き出しそうにマルーシャは声を震わせる。アルディスは軽く首を横に振った後、腰のレーツェルから薙刀を取り出した。

 

「ごめん……ごめんね。ただの冗談返し、だから。気にしないで。さあ、術を教えるから。これでも握ってて」

 

 絶対に冗談などではなかった。本気だった――それを感じ取っていたマルーシャは明らかに納得のいっていない様子であったが、アルディスは問答無用といった様子で彼女に薙刀を押し付けていた。

 薙刀は戦闘用の道具である。刃を交えた経験など無いのだから当然ではあるが、マルーシャはしっかりとアルディスの薙刀を見たことが無かった。アルディスの不穏な発言に戸惑いを隠せなかった彼女ではあるが、見慣れぬ物を渡された好奇心は抑えきれるような簡単なものではない。

 鈍い銀色の光を放つ薙刀の刀身と、そこから繋がる暗い紅色の柄。全長は二メートル近いだろう。刀身と柄の接続部からは、純白のリボン状の布が数本垂れていた。特徴と言える特徴はその布程度に見えるが、よく見ると柄に華美な装飾が施されており、控えめな美しさを持つ薙刀だとマルーシャは思った。

 

「例外もあるとはいえ、普通は術を使う時には媒介がいるんだ。杖だったり、剣だったり、色々あるんだけど……まあ、今回は俺の薙刀を媒介にして魔術を発動させてみて欲しい。君の背中に引っ付いてる短剣でも良かったんだけど、多分君は長さのある媒介の方が使いやすいだろうから」

 

 薙刀は思っていた以上に軽く、細いマルーシャの腕でも問題なく持つことができていた。マルーシャは薙刀を持ったまま、くるりとエリックの方へと向き直った。

 

「エリック。わたし、頑張るから、ね?」

 

「……助かる、よ」

 

 マルーシャの言葉に、いつの間にか壁際に移動していたエリックはぐったりと岩にもたれかかったまま、真っ青な顔をして控えめに笑ってみせる。

 強がってはいたが、彼も辛かったのだろう。先程から何も言葉を発さなかったのはこのせいか、とアルディスは今日何度目かも分からなくなってきた溜め息を吐く。

 

「なるほど、だからマルーシャが慌てて術の使い方聞いてきたんだ……分かった。じゃあマルーシャ、薙刀を君が持ちやすいように構え直して。それで戦うわけじゃないから、戦うことを前提にした構えじゃなくて良いよ」

 

「う、うん……!」

 

 アルディスの指示に従い、マルーシャは両手で薙刀の柄を持ち、地面に対し平行になるように構えた。それを見届け、アルディスはマルーシャの横に屈み込む。

 

「よし。じゃあ、いつも君が力を使う時みたいにエリックに、それから薙刀自体に意識を集中してみて」

 

 こくり、と頷き、マルーシャは両目を閉ざす。その刹那、マルーシャの周りで見えない魔力の流れが生じたのをアルディスは感じ取った。来たかな、と彼は右手に付けた金色のバングルに触れ、口を開く。

 

「そのまま。集中しといて……で、難しいだろうけど集中したまま俺の話聞いてて。君が覚醒した時に、きっと頭の中に自分じゃない誰かの“声”が聴こえてきたと思うんだ。それと同じ声が、聴こえると思う……それは、君の能力や体質に合った術の詠唱。その声が聴こえたら、それをそのまま口に出して」

 

 覚醒時に頭の中に聴こえてくる、謎の声。それは、人それぞれ異なる。男性の声であったり、女性の声であったり、様々だ。

 だからこそ、ここで「どのような声」というのをはっきりと教えられないのがとても歯がゆいなとアルディスは感じていた。

 ディアナに対しては彼自身の発言に不思議な点はあれど、他の術を使えているらしいことから説明を省いたのだが、マルーシャの場合は違う。ピコハンは使えたという話だったが、あれはあまりにも簡単過ぎて、もはや魔術のうちに入らない。要するに、今まで全くといって良いほど魔術を使ってこなかった彼女は、完全なる初心者なのだ。

 この説明で分かるだろうか、とアルディスはマルーシャの横顔を心配そうに眺める。しかも、マルーシャは魔術を苦手とする純血龍王(クラル・ヴィーゲニア)だ。声が聴こえたとしても、詠唱が紡げたとしても、上手く術を発動出来ない可能性もある。

 

「――旋風、其は女神の息吹……慈愛の力、ここに来たれ」

 

「え……?」

 

 しかし、マルーシャは驚くほどにあっさりと、自身の力を使いこなしてみせたのだ――淡い水色の大きな魔法陣が、マルーシャとエリックの真下に浮かび上がっている。

 おかしい、とアルディスは首を横に振るう。これは中級治癒魔術の魔法陣だ。これを、今のマルーシャが使うのはいくらなんでも危険すぎる!

 

「マルーシャ、待て!」

 

「えっ!?」

 

 突然声を荒らげたアルディスに驚き、マルーシャは集中を切らしてしまった。魔法陣は砕けるように消え去り、術が発動されることはなかった。「間に合って良かった」とアルディスは胸を撫でおろす。

 

「今のは多分、『ヒールウインド』の詠唱だよね? 聴こえてきたのは、本当にそれだったのかい?」

 

「う、うん……術の名前も、それであってるよ……?」」

 

 やっぱりおかしい、とアルディスは怪訝な表情を浮かべ、首を横に振るう。

 

「ヒールウインドは中級魔術。今の君がそんな強い術を使うのはあまりにも危険だ……なのに、どうして……第一、純血龍王(クラル・ヴィーゲニア)の君が、当たり前のように魔法陣を展開させるなんて。しかも、詠唱も妙に早い……」

 

 彼はマルーシャから目をそらし、どういうことだと考え込んでしまった。その姿を見て、当然ながらマルーシャは不安げに瞳を潤ませている。

 

「……。アル、悩む気持ちは、分かるん、だが……」

 

 見かねたエリックがアルディスに声を掛けると、アルディスはハッとした様子で目の前のマルーシャの顔を見て、すぐに「ごめん」と謝った。自分がマルーシャを怯えさせてしまったことに気がついたのだ。

 

「考えたって仕方ない。君の場合ならディアナと同じ教え方でもいけるってことは分かったから、別の方法で教える。今君に使って欲しいのは下級治癒魔術の『ファーストエイド』。これを使って、エリックの身体を癒すんだって頭の中で考えてみて」

 

 分かった、と笑うマルーシャの声音は、ほんの少しだけ暗い。エリックとアルディス、そしてこちらに飛んできていたディアナを含めた三人は、すぐに集中し始めたマルーシャを心配そうに眺めていた。

 

「――癒しの波動よ……ファーストエイド!」

 

 明らかに自分の力に見合っていない中級治癒魔術を発動しようとしていたのだから当然かもしれないが、マルーシャは何の問題もなくファーストエイドを発動してみせた。魔法陣から出た光の粒子がエリックの身体を包み、癒していく。その様子を見て、アルディスはマルーシャの頭をぽんぽんと軽く叩いた。

 

「成功、だね。君には魔術の素質があるみたい……正直びっくりしたよ、魔術を使いこなすのは、純血龍王(クラル・ヴィーゲニア)には難しいことだから。うん、誇って良いよ」

 

「そう、なの……?」

 

「ああ、紛れもなく成功だな。身体、本当に楽になった……ありがとう、マルーシャ」

 

「! 良かった!」

 

 アルディスとエリックの言葉を聞き、マルーシャはまだ少々不安げな様子ではあったが、それでも彼女は嬉しそうに笑ってみせた。ディアナも安心したのか、マルーシャの視界の隅でうんうんと頷いている。

 

「さっきの術も、あなたの力が強くなれば問題なく使えるようになるんじゃないか?」

 

「そうなるの、かな……? 楽しみだな、頑張らなきゃ」

 

「うん、無理はしないでよ……さて、と……悪いんだけど」

 

 再びマルーシャの頭を軽く叩き、アルディスはゆっくりと立ち上がった。彼はまだ意識を取り戻していないポプリの姿を目に焼き付けるかのように眺めた後、彼女に背を向けるように洞窟の外へと歩き出した。

 

「アルディス!?」

 

「ごめん……俺さ、どうしてもその人と、顔を合わせたくないんだ。大丈夫、そんなに遠くにはいかないから。だから……」

 

 お願いだから止めないで、と言って一瞬だけ振り返ったアルディスの横顔は、陶器製の人形のように無機質で、あまりにも変化が無い。ただ、同じように何の変化もないと思われた彼の翡翠色の右目は、涙に潤んでいて。

 止められるわけがないじゃないか、とエリックは肩をすくめ、困ったような微笑を浮かべてみせる。

 

「分かった。何かあったら、僕が声を掛けに行く。それで良いか?」

 

「ごめん……ありがとう」

 

 アルディスは無機質な表情のまま礼を言い、そのまま一人闇に溶け込んでいった――誰も、その悲しげな背を追うことはできなかった。

 

 

 

―――― To be continued.

 


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