テイルズ オブ フェータリアン ー希望を紡ぎ出すRPGー 作:逢月
あの後、すぐにライオネルが合流してくれたのは不幸中の幸いだった。
エリック達は意識のないアルディス、ディアナ、ポプリを抱え、大至急アドゥシールへと向かった。トゥリモラにも船内にも、まともな宿泊設備が無いためだ。
アルディスはアドゥシールについた頃に目を覚ましたものの、あまりにも絶望的な状況を目の当たりにし、無茶な特攻をしてしまったが故に気を失ったことを酷く後悔していた。とはいえ、彼が悪いわけではない。誰も、悪くはないのだ。
何とか息を吹き返したものの、ポプリは今も変わらず意識不明の重体だった。
彼女に関してはレイズデッドでもサクリファイスでも治しきれなかった程に身体の損傷が激しく、どうやら表面のみならず内臓器官も深刻な状況になっているらしい。もはや、生きているのが奇跡と言える状態なのだそうだ。まだまだ処置が必要である。
しかし、これ以上治癒術を使えばクリフォードが命を落としてしまうとウンディーネに警告され、やむを得ずポプリに関してはクリフォードが直にメスを入れることになったのだ。
「……」
そして今は、手術が終わるのを別室でただただ待ち続けている状態だ。ポプリとクリフォード以外、全員が同室にいるのだが、会話らしい会話は無い。
生きているのが奇跡と言える状況のポプリ。誰も問うことは出来なかったが、恐らく、彼女の命を繋いだのはディアナのサクリファイスだ。
ベッドに寝かされたディアナは、ポプリ同様に意識を取り戻すことなく震え続けている。魘され、酷く苦しんでいる様子でもあった。これが、自己犠牲の第三楽章『サクリファイス』を歌った者の末路だというのか――少しでも彼女の支えになれば、とディアナの手を握り締めたアルディスの顔も真っ青である。
「ごめん、エリック……これじゃ足りないんだと思う。毛布、貰ってきてくれる?」
先程から、彼女の体温が急速に下がっているようなのだ。クリフォードにディアナの容態の変化を伝えに行きたいところだが、ここで慌ててしまえばディアナもポプリも救えない結果になりかねない。エリックは奥歯を噛み締め、頭を振るう。
「毛布は貰ってくる……が、手っ取り早く暖めるなら、人肌の方が早い。アル、ディアナの上着脱がせて、お前もローブ脱げ。それで毛布に包まって抱きついとけ」
「えっ」
「頼むから覚悟を決めてくれ。お前がやらないなら美貌お化けに頼むからな」
「や、やります……!」
視界の片隅でイチハが変な顔をしていたが、放置だ。彼らが抱いている感情はさておき、ただでさえ酷く責任を感じて塞ぎ込んでいるアルディスをそのままにしておくわけにはいかなかった。
(アルの呪いが少しだけ緩和されていたのも、間違いなくサクリファイスの影響だろうしな……)
唯一の救いは、アルディスの容態に僅かながら改善が見られたことだ。まだ右腕には僅かに痺れるような感覚が残っているようだが、首に巻きついていた呪いの痣が消えていた。
皮肉なことに「これなら問題なく動ける」とアルディスが手放しで喜べるような状況では決して無かったわけだが。
むしろ、その代償にディアナが昏睡状態――サクリファイスは『術者が望む者全てを救う術』であるため、ディアナにアルディスを救いたいという意思があったことは確かである――に陥ってしまったこと、さらに言えばポプリが命を賭けて発動したあの術は『アルディスに術を使わせないため』という意図があったことを思えば、今、アルディスが正気を保っているだけ良かったのかもしれない。
とにかく、このままではディアナが凍死してしまう。エリックはアルディスにディアナを任せ、ホテルの従業員に毛布を分けて貰えるよう交渉に走った。
▼
「どうだ?」
「駄目だね……引っ付いてる俺が、凍傷になるんじゃないかってくらい冷たい……」
毛布を大量に確保し、全てアルディスとディアナに巻きつけてみたが、アルディスは平然としている。それだけディアナの身体が冷え切っているのだろう。これは本当に、早く対処しなければ危険だ。しかしエリック達のみでできることなど、たかが知れている。
「ちょっと良いか?」
そんな時、マクスウェルに対処法を探ってもらっていたライオネルがすっと手を挙げた。話を聞け、ということらしい。
「恐らく、今のディアナは氷の魔力が大暴走してる状態なんだってさ。セルシウスは契約中だから、クリフに頼んでイフリート呼んでもらって火の魔力を活性化してもらえって言われた」
「や、やっぱりクリフォードいないと駄目なのか……で、氷の魔力? こいつの天性属性は火だが……」
「その子、他に光と氷の属性を秘めてるんだってさ。珍しいらしいよ、この組み合わせ」
ライオネルの話を聞き、苦しむディアナへと視線を戻す。凍えているのとは別に悪夢に魘されているらしく、ディアナは度々閉ざした瞳から涙を流していた。その姿はあまりにも痛々しく、アルディスの腕に力がこもっているのがよく分かる。
「アル、力入り過ぎだって。ディアナが潰れる」
「だ、だって、ディアナ、泣いて……」
「お前が泣いてどうするんだ!」
置かれた立場と心境を考えれば無理もないが、とうとうアルディスが泣き出してしまった。もう収拾が付かなくなってきたぞ、とエリックまでもが狼狽えそうになっていたその時、壁際にいたマルーシャが急に窓を開いた。
「マルーシャ?」
「えーと、お客様だよ?」
「は……?」
ここはホテルの三階である。そんなところから客が来るはずがないだろう、とマルーシャの言葉を一蹴しようとしたエリックの視線の先にある窓から、突然ひょっこりと女性が顔を覗かせた。
『あ、やっぱりここだ。入って良い?』
「ええぇ……? ど、どうぞ……?」
煮え切らない返事をすれば、女性はふわりと浮かんで部屋の中に入ってきた。別に翼があるわけではなく、文字通り宙に浮いているのだ。
花型の大きな髪飾りを着けたセルリアンブルーの長い髪を靡かせ、女性はじっとディアナを見つめている。彼女の身体は透けておらず、完全に実体化している状態だった。
『あー……サクリファイス、使っちゃったんだね。まだ、こんなに小さいのに……』
「あなたは、今は契約中とお聞きしております。どうして、こんな場所に……」
『とりあえず、その邪魔な毛布剥げ。お前はどけ、目障り』
「あ、はい……」
何故かアルディスに対する当たりが厳しいが、彼女からはディアナを何とかしようという意思が感じられた。
適当に宙に浮かんでいた彼女はディアナが寝かされたベッドに腰掛け、苦しむディアナの頬を愛おしそうに撫でている。女性の指は青白い。そして尋常でない美しさを持つ彼女は身に冷気を纏っていた。部屋の温度が下がったのが感じられる。
ここにいる大半の者は、彼女とは初対面であった。しかし、その正体にはもう全員が既に気付いていた。故に、彼女の行動に対して誰も、何も言わなかった。
女性は憂いを帯びた瞳でディアナを見つめていたが、やがて切れ長の氷のような瞳をエリックへと向ける。一体何を言われるのかと、エリックは思わず背筋を伸ばした。
『ねえ、弟犬は?』
「誰ッ!?」
弟犬――突然の珍発言だった。
美しい彼女の口から『犬』という言葉が飛び出すことなど、全く想定していなかった。
(まあ、確かに最近犬っぽいなぁとは思ってたが……)
しかし、残念すぎることに心当たりが大いにあったエリックは軽く咳払いをし、彼女の問いに答えた。
「実は今、もうひとり命が危うい奴がいる。弟犬は医学の知識があるから、そっちに行ってもらっている」
『そうか、なら仕方ない。ここは私が少し動こうか……お嬢じゃなくて、兄犬から魔力を貰えば問題ないし』
(なあ……セルシウス、一体ジェラルディーン兄弟はお前に何をしたんだ……何の恨みがあるんだよ……!!)
とても聞きたかった。しかし、聞いてはいけない気がしたので触れないことにした。
謎の女性ことセルシウスはディアナの腹部にそっと手を乗せ、深く息を吐いた。ディアナに対して何かしら働きかけてくれているらしい。その力の源は、どうやらダリウスのようなのだが……。
「……。兄上と兄犬、元気か?」
それはさておき、セルシウスの現契約者はゾディートだ。彼女がこんなところにいるということは、ゾディートも近くにいるのだろう。世間話のような感じで聞いてみれば、セルシウスは再びディアナに視線を戻しながらも話をしてくれた。
『今は元気そうだよ。出歩いても良いですよってお嬢に言われたから、兄犬に任せて私はウロウロしてたんだ。そしたら、何か急に氷の魔力が放出されるから、気になって来ただけ』
「兄上達も、アドゥシールに……でも、そのお蔭でセルシウスがここに来てくれたのか」
『だね。まあ、この子可哀想だから、弟犬来るまでの間はここにいるよ。私がこの子の中で暴走してる氷の魔力を落ち着かせるから、後で弟犬にババア呼ぶように頼んで』
「ババア」
セルシウスはウンディーネより少し年下くらいに見える女性精霊だが、ウンディーネとは随分雰囲気が違うな、とエリックは苦笑する。
一見すると冷たさを感じる程に整った顔立ちにやや露出の多い衣服、喋り方からは『強気な女性』という印象を受けるのだが、発言が少しずれていて面白い。ゾディートもダリウスも彼女に振り回されていそうだ。
『……セルシウス』
壁を通り抜けて、ウンディーネがこちら側にやってきた。姿を現しているということはクリフォードが召喚していたのだろうが、セルシウスの気配を感じ取って様子を見に来たのだろう。
セルシウスはディアナに処置を施しながらも、ウンディーネの存在に気付いて白い歯を見せて微笑んだ。
『ウンディーネじゃん……ってことは弟犬、ついに精霊契約やったんだ』
『な、何故、犬……』
非常に気になっていたことをウンディーネが聞いてくれた。空気が重々しくなっていたため、彼女らが場を和ませてくれるのならば幸いだ。
『兄犬がなぁ、忠犬と見せかけ駄犬だったんだよ。あのくそったれタラシめ……うん、まあ詳しいことは置いといて。兄犬が犬なら弟も犬だろ』
『く、くそったれタラシ……?』
『そうだ、くそったれタラシだ。あの駄犬酷いんだから。お嬢に軽々しく……っ、ああもう! 思い出したら腹立ってきた!!』
意味が分からない。意味が分からないが、とりあえずダリウスが『お嬢』に対して何かしらやらかしたらしいことは全員しっかりと理解してしまった。
しかし、さっきからずっと思っていたのだが、『お嬢』って誰だ。まさかとは思うが、契約者であるゾディートのことを指しているのでは――と、エリックが思ったところで静かに扉が開いた。
「こっちは終わりました。ポプリの方は、もう大丈夫です」
疲れきった様子のクリフォードが部屋に入ってきた。ポプリの出血が酷かったのだろう。白衣も衣服も血に塗れ、酷い有様である。
しかし、申し訳ないが彼の仕事はまだ終わらない。少し躊躇いつつも、エリックはおもむろに口を開いた。
「なあ、犬……申し訳ないが、頼みたいことが……」
「犬!?」
「ッ!? すまん! 間違えた!! クリフォード、こっちもあまり良くない状況で……」
「待って下さい! 何でセルシウス様がここに!? そして犬って何なんですか!?」
――とりあえず先に、着替えてきて貰ってから現在の状況説明をする方が良さそうだ。
▼
「なるほど。ディアナの身体が急速に冷えている。それにセルシウス様が気付き自発的に助けに来て下さったと……ありがとうございます。そして、申し訳ありません! 兄がお嬢様に大変な失礼を……!!」
何だかさらによく分からないことになってしまった。
恐らくクリフォードも、最後の部分は全く分かっていないのに謝っている。理由も分からず、多分『お嬢様』の特定すら出来てもいないのに土下座している……可哀想に。
一体何があったのか聞きたいところだが、セルシウスは決して口を割らなかった。アルディスに至っては開口すれば「黙れ」と言われてしまうために声を発することさえ許されなかった。一体どうしてなのだろうか……。
土下座状態では何も出来ないため、クリフォードに立つように促し、ディアナの様子を診てもらった。結果はすぐに出た。マクスウェルやセルシウスの判断が正しかったためだ。
「これは、イフリート様だけでは難しかったかもしれません。こんなにも早く魔力が安定したのは、セルシウス様のお蔭です……本当に、ありがとうございます」
ディアナの体温低下は収まっている。しかし、彼女の身体は既に凍っているのかと錯覚する程に冷たくなってしまっていた。セルシウス曰く、ディアナでなければとっくに凍死している状態らしい。
『そもそもね、サクリファイスが使える適応者である時点で身体は人並み以上に頑丈なのよ。あれは自殺のための歌ではないし、非適応者が歌っても発動しないんだ。発動したってことは適応者確定なんだけど、この子はまだ幼すぎるし、話聞いた感じだと一人はとんでもない状態から蘇生したらしいから、その分負荷が掛かってここまで追い込まれたんだろうね』
セルシウスの話によると、サクリファイスは確かに術者に苦痛を与える術であるが、必ずしも術者の命を奪うような代物ではないそうだ。
サクリファイスを使用できるのは
しかしその特性上、自身の限界以上に魔力を失ってしまった場合には命を落とす可能性も生じるのだ。ポプリを完全に癒せず、アルディスの解呪が出来なかったのは、彼女らはディアナの火の魔力全てを代償にしても救いきれなかった程に重症であったということだ――逆を言えば、ディアナ自身は火の魔力を完全に失っている状態である。
「これに、書いてあったんだけど……」
セルシウスの補足を聞いて、ライオネルが立ち上がった。彼の手には、ポプリの手術が始まった後に手渡した資料が握られている。トゥリモラの研究施設でポプリが見つけていた資料だ。
「聖者一族って本来は光属性を天性属性に持って生まれてくるんだと。複合でも光属性が勝つらしい。天性が光のヴァイスハイトなアルを見たらよく分かるな。でも、数百年に一度レベルの突然変異で、火か氷属性を同時に保有した上でそのどちらかを天性属性に持つ奴が生まれるらしくて。そうなるとちょっと体質が変わるらしい。あと……」
「髪色だろ。その三属性持って生まれたら、髪が綺麗な藍色になるんだろ」
ライオネルが頷いた。ディアナが気にしていた、不思議な髪色の謎が解けた瞬間だった。ただの突然変異であって、決して“忌み子”などではない――この言葉を、ディアナに聞かせてやりたかった。
「ねえ、クリフ。ディアナちゃん、さっきから魘されてるんだけど……あれは間違いなく魔力の暴走とは関係ないよね? 何とかしてあげられないの?」
「それ、なのですが……」
困ったことに、ディアナの問題は魔力の暴走以外にもあったようだ。クリフォードはディアナの頭を撫で、奥歯を噛み締める。
「フェリシティがディアナの記憶を封じ込めていた……それは皆、分かっているよな? そんな状態にも関わらず、身体的なショックでディアナは自発的に記憶を取り戻してしまったんです。表面に出てこようとする記憶を、術が押さえ込んでいる……その結果、ディアナは『自身が記憶を手放す程の記憶』に夢の中で苛まれ続けている。術を解かない限りは目覚めることも無いでしょう」
「え……っ、そ、それ……どうにか出来ないんですか!?」
セルシウスに禁じられていたにも関わらず、思わずといった様子でアルディスが口を開いた。
ただ、流石にこれに関してはセルシウスは何も言わなかった。ディアナが現在置かれている状況を思えば、無理もないと判断してくれたのだろう。
記憶を失わなければ、心が壊れてしまう程の経験。今のディアナはその記憶に延々と苛まれ続けている。決して逃げ出せない、絶望的な恐怖に苦しんでいる。救いたいと思うのは、ここにいる全員に共通する思いだろう。
しかし、クリフォードは無情にも首を横に振るうのだった。
「ポプリなら術の解除が可能だろうな。彼女も
「……ッ!」
現時点では、ディアナを救うことは叶わない。この事実を突き付けられ、エリック達は俯いてしまった。皆が黙り込めば、ディアナが誰の耳にも届かない程に小さな声で助けを求める声が聞こえてくる……それなのに、助けられないのだ。
「ひとまず、ディアナの魔力を何とかします。イフリートの召喚を行います!」
落胆するエリック達を見つめ、クリフォードはゆるゆると頭を振るう。そして彼は床に赤い魔法陣を展開させた。
「イチハ兄さん、ライ、下がっていて下さい。ていうか逃げて下さい。隣の部屋に逃げて下さい。エリックとアルも危なそうなんで逃げておきましょう。特にエリックはイチハ兄さんと一緒にいっそ宿屋から、いえ、アドゥシールから逃げて下さい。ここは僕に任せて、行って下さい!!」
……え?
「だ、駄目だ! クリフだけ置いてはいけない!!」
「お前も一緒に逃げる手段は!? 何とかならないのかよ!?」
「良いんです、どちらにせよ、僕は逃げられないんです……せめて、既に何回か犠牲になっているイチハ兄さんだけでも逃げて下さい! 早く!!」
急に空気がおかしくなってしまった。
困ったことにルーンラシス三人衆は物凄く必死である。ウンディーネは両手で顔を覆って震えているし、セルシウスに至っては大爆笑していた。何だこの状況――と思っている間にイチハが「すまない!」と言い残して窓から逃亡した。
「……え、これ本当に逃げないとまずいのか?」
『うーん、エリック王子は確定でやばいと思うから毛布被っといた方が良いと思うよ。くそっ、ここに兄犬がいたら突き出すんだけどなぁ!』
何となく分かってしまったようで、マルーシャが苦笑している。彼女は毛布を一枚確保してからエリックとアルディスの間に座り、全員揃って毛布を被ってから口を開いた。
「格好良い男性とか、綺麗な男性がアウトなんだと思うよ……大人びていたらなお良しって感じかなぁ」
「……。ああ、美貌お化けは絶対に逃げないと駄目な奴だ、それ……」
過去に何回か犠牲になっている、の件を詳しく聞きたいところだったが、本人は逃走を図ったためそれは叶わない。エリックは頭の上の毛布を握り締め、事の巻末をしっかりと見守ることにした。
「イチハ兄さん……もう遠くまで逃げました、よね……? では、行きます!」
魔力を消耗してしまっているためか、準備が整うまでに時間が掛かっていたようだ。しかし、何とか完了したらしい。クリフォードは両手を前に突き出し、複数回深呼吸した後に若干震えた声で叫んだ。
「
ごう、とクリフォードの少し手前で炎が巻き上がる。不思議なことに、その炎は周囲の物を一切燃やすことなく密度を増していく。
『嫉妬の炎は紫よぉ~ん』
部屋に響く、野太く低い声――徐々に沈静化していく炎の渦の中央には、橙色の逞しい身体を持つ男性、イフリートが立っていた。深いスリットの入った紫の炎を纏う不思議な赤いドレスが、彼の筋肉質な身体を際立たせている。
立派な縦巻きロールが特徴的なロングヘアーをばさりと後ろに流し、イフリートは部屋の中を見回した。
「イフリート、お願いが」
『あらやだぁ、イチハちゃんいないじゃなーい』
「お願」
『イチハちゃぁん、どこぉ~!?』
イチハが探されている。その隙にとクリフォードとライオネルがエリック達の背後に回り込んだ。毛布の中の人口密度が異常である。
「エリック……」
「おっ、おい、やめろ! そんな助けを求めるような声で僕を呼ぶな!!」
勇気を出して呼び出したのに、話を全く聞いてもらえなかったことに落ち込んでいるらしいクリフォードのか細い声がエリックの良心を揺さぶる。ちらりとライオネルを見ると、眼鏡が飛んでいくのではないかという速度で首をぶんぶん横に振っていた。
『イフリートさん……落ち着いて下さいな』
『イチ……んん? あらぁ、ウンディーネじゃない。元気にしてたぁ?』
このままではイフリートがイチハを探しに外に行ってしまいそうだ。見かねたウンディーネがイフリートに声を掛けてくれた。そして漸くイフリートは複数の精霊が集まっているこの部屋の異常性に気が付く。
『ねぇ、何かあったの? 精霊が三人も集まるなんて……』
『私はクリフォードと契約していますし、セルシウスはたまたまここに』
『そうそう。この子が氷の魔力大放出しててね。それは収まったんだけど……』
『あらぁ、可愛い子じゃな~い』
イフリートが漸くディアナのことを気にし始めた。アルディスは胸の前で十字を切った後、毛布を飛び出す。ありがとう、お前の勇気は忘れない――エリック達は彼の無事を祈った。
「イフリート様! お願いがあります!!」
もうさっさと要件を言ってしまおうと考えたのだろう。イフリートから一定の距離を保ったまま、アルディスは叫ぶ。イフリートの瞳が輝いた。
『あらぁ! スウェーラル様にそっくりねぇ……』
「――ッ!?!?」
アルディスの顔色が真っ青になった。誰のせいとは言わないが、『スウェーラルそっくり』がトラウマワードになっているようだ。誰のせいとは言わないが……もはや責任しか感じなかったエリックも毛布から抜け出し、アルディスの横に立った。
『やっだぁ、いっけめーん!!』
「イフリート、頼む。一回ディアナを見たんだから、こっちを見るな。頼む」
「そ、そうです……! 俺達は全力でどうでも良いんですけど、ディアナが危ないんです!!」
『えー、そんなぁ……』
そんなぁ、じゃない。頼むから。頼むから!!
このままじゃディアナが危ないから、今だけでも良いから言うこと聞いて欲しい。
「あ、あぁもう……! えーと、シルフは調子悪そうですね……だったら、あの方しかいない! え、えーと、僕は
埒があかないと思ったのか、毛布から飛び出したクリフォードが完全にやけくそ状態でレムを召喚した。詠唱ももう滅茶苦茶だ。
しかし魔法陣は問題なく展開され、光を纏う青年が姿を現した。
『雑にも程があるが……マクスウェルが大笑いしながら実況していたがゆえ、状況は分かっている。さあ、イフリート、こっちだ』
滅茶苦茶な詠唱だったにも関わらず、天使の如き優しさでレムが召喚に応じてくれたようだ。久しぶりに見た美しい金髪に、透けるような大きな翼は健在で、彼は涼しげな銀の瞳でアルディスを見て微笑み、イフリートの身体を強引にディアナの方へと導いた。
「レム……」
『久しいな、主。呪いの進行が進んでいるがゆえ、再契約とはいかないが……時が来たら、またよろしく頼むぞ』
「……うん、いつか。必ず……その時は、本契約を」
『主であろうが、手は抜かぬぞ。心しておくが良い』
アルディスとレムはスウェーラル以来の再会なのだが、意外にも彼らの間で交わされる会話は少ないものであった。
状況ゆえにこうなった可能性も高いが、そもそも彼らは仲違いして契約切れに至ったわけではない。通じ合う何かがあるのかもしれない……状況ゆえにこうなった可能性も高いが。
イフリートの扱いが上手いのか、レムは的確に彼を導いてみせる。セルシウスやウンディーネも混ざり、四体の精霊達はディアナを取り囲んで話し合いを開始した。
彼らの顔色を見る限り、どうやら何らかの問題が起こっているらしい。毛布に隠れていたマルーシャとライオネルも姿を現し、精霊達の様子を見守った。
『結論が出たわね。じゃあ、アンタらちょっと話聞いてくれ』
しばらくして、セルシウスが声を掛けてきた。エリック達が反応するのを見て、召喚直後の暴走を忘れそうになる程に真剣な表情をしたイフリートが口を開く。
『魔力が暴走したのと、かなり強い術が掛かってたこと……そして何より、人為的に色々弄り回されてるみたいだから、その影響ね。この子の体内精霊、かなり弱ってるの。一度にまとまった量の魔力注ぎ込んだりしたら、多分壊れちゃうわ』
「え……」
困惑するエリックに資料を差し出しつつ、ライオネルは眉尻を下げて目線を逸らした。
「ああ、うん。色々されてたのは確か。この資料軽く見た感じ、ディアナはかなり色んな実験をされたらしい」
「……そんな、気はしていたが。改めて聞くと、嫌なもんだな……」
「そりゃそうだよな……あと、これ返しとくわ。あの子は女の子だし、実験の詳細なんてものを男のオレが読んでしまうと何かしら不都合あるかもしれねぇ……ポプリに任せた方が良いと思う」
渡された分厚い資料。これの中身は、トゥリモラの研究員がディアナに対して行った研究の数々。どれも、非道で残虐なものであったことは想像するに容易い。ギリ、と奥歯を噛み締め、エリックは宙に浮かぶ精霊達を見上げた。
『そんな目で見つめないでちょうだいな。助ける方法は勿論あるから、明日にでも早速行ってきて欲しいの。今はとりあえず、限界スレスレのとこまでは注いどくわ。でもこれだけじゃ三日くらいしか持たないし、追加で補充すると耐え切れなくなる危険性があるから、悪いけど急いで欲しいわねぇ』
『結論を言うと、火属性の魔鉱石を使いましょうって話になったの。ちょうどここはスカーラ鉱山最寄りの街。鉱山はすぐそこだし、二日もあれば魔鉱石を取って地上に帰って来れると思うわ。あそこは下に潜っていくと魔物の巣だって聞いているから、大変だとは思うけれど……』
『しかも、重体患者が二人いるこの状況。流石にクリフォードは宿屋を離れられんだろうし、ライオネルは鉱山内でマクスウェルの加護が切れてしまう危険性から外した方が良いだろう。イチハも、クリフォードが行けない時点で不可能だな』
『つまり、未成年三人だけで鉱山行ってこいって話になるんだよね……私達もね、結構な無茶振りしてる自覚はあるんだよ。でも、これしか方法が無いんだよね……』
治癒術に頼らず、二日掛かる鉱山探索を三人だけでこなしてこい、という話だ。なかなかに無茶な話ではある。だが、首を横に振る者はここにはいなかった。
「今日中に準備を整えて、明日の朝出発ってところだろうか。良かった、まだ雑貨屋は開いている時間だな」
「うん、手分けして色々と買い揃えよう。多分、買う物沢山あるから、さっさと行ったほうが良いね……俺、弾丸欲しいんだけど」
「えーと、確か、グミ系もボトル系も全滅してるし、食材も結構悲惨だったかな……これもう、雑貨屋だけじゃ駄目な気がするなぁ……」
「オレも買い物だけなら手伝えるから! 荷物運びなら任せてくれ」
特に何の話し合いもしていないが、皆『明日鉱山に行く』ことを前提に動こうとしている。そんな時、クリフォードが床に膝を付いてしまった。
「す、すみません……ウンディーネ、レム。それぞれの場所にお戻り頂いても良いでしょうか……イフリート様も、早めにお願いします……そろそろ、僕が持ちません……!」
『あらぁ、クリフォードちゃん辛そう。分かったわ、急ぐわね』
無理もない話だが、クリフォードは精霊三体同時召喚・維持出来る体力を有していなかったらしい。ウンディーネは彼の腕輪に飛び込んで彼のサポートに戻り、レムはセルシウスを見て微笑み、何かを言った後に姿を消した。イフリートはディアナに集中している。
「エリック達は買い出しに行くんですよね? すみませんが、僕はちょっと休ませて下さい……あと、荷物係のポプリがいませんから、あまり買い過ぎないように気を付けろよ」
「おう、休める時に休んでくれ。それと、買い過ぎには気を付ける……そうか、大量に買い込めば良いってわけじゃ無いんだよなぁ」
治癒術使い不在の上、荷物の総量はしっかりと考えなくてはならない。なかなかに難しい状況だが、諦めるという選択肢は無かった。とにかく店が閉まってしまう前に買い物を終えなくては。
エリック達は現在持っている物を確認し、必要な物をざっくりと紙にまとめて宿屋を出た。
―――― To be continued.