テイルズ オブ フェータリアン ー希望を紡ぎ出すRPGー   作:逢月

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Tune.72 漆黒の翼

 

 沈んでいた意識が、少しずつ上昇していく。瞼を開ければ、見慣れた白い天井が視界に入った。

 

(あれ……ここは……)

 

 そこが、エリックの自室であるということに気付くのはそう難しいことではない。電気が落とされ、暗い室内。寝かされていたベッドからゆっくりと身体を起こすと、「まだ寝ておけ」と声が掛かった。

 

「ディアナ、か……?」

 

「ああ。倒れていたから、驚いた……目覚めてくれて、良かった」

 

 寝ておけとは言われたものの、ディアナ以外の人の気配に気付いたエリックは辺りを見回した。床に敷かれた布団の上で、ポプリとマルーシャがすやすやと眠っている――これは一体、どういう状況なのだろう?

 

「でぃ、ディアナ……?」

 

「ちなみにアルは上だ」

 

「上!?」

 

 上、というと屋根である。アルディスは屋根の上に寝袋を持って上がり、そこで就寝中らしい。雨は上がっているものの、どうしてわざわざそんなことをしているのだろうか。そんなエリックの疑問を察したのか、ディアナは顔を引きつらせながらこう言った。

 

「ほら……ゼノビア陛下が寝ている間に来たら、うん……その……」

 

「みなまで言うな」

 

 凄まじく失礼な話ではあるが、仕方がない。こればかりは仕方がない。自分の母に親友が誘拐される等という緊急事態は全力で回避したいため、むしろ屋根の上に上がってくれてありがたい。

 

「アルのことは、とりあえず置いておくぞ……お互いが持つ情報を整理したいんだ。寝る気がないのなら、少し私と話をしないか?」

 

 頭を抱えるエリックの傍に、ディアナが音もなく静かに飛んできた。その表情からして、恐らくあまり良い話は聞かせてもらえないのだろう。覚悟を決め、エリックは頷いた。

 

「多分、僕の方が話す内容はあっさりしてるかな……クリフォードがいない理由も説明しておいた方が良いだろうから、先に話をさせてくれ」

 

 ライオネルとイチハの姿は見えないが、それ以外のメンバーは揃っている。そのこともあって、エリックは先に自分達側であった出来事についてディアナに説明した。

 

 

「分かった、ジャンのところへは私が後で行ってくる。あなたはもう少し休んだ方が良い」

 

 クリフォードに関しては後でディアナが様子を見に行くことになった。貧血を起こしているのかエリック自身が本調子ではないためだ。その貧血を起こした理由について語れば、ディアナは神妙な面持ちで口を開いた。

 

「その……ダリウスの傷は私達が原因だったりする」

 

「ど、どういうことだ?」

 

「……そうだな。マルーシャが目覚める前に、話しておくべきだろう」

 

 エリック視点では、『ゾディートと一戦を交えた後、重傷を負ったダリウスが乱入してきた』という話になるのだが、ディアナ側では少し事情が異なるらしい。彼女は頭の中で言葉を整理した後、静かに口を開いた。

 

 

「私達がマルーシャに追いついた頃には、マルーシャのご両親はもう……亡くなっていたそうだ」

 

「え……」

 

「マルーシャが燃え盛る屋敷に駆け込み、その後に何故かダリウスが入っていった。私達も突入するつもりだったが、その前に屋敷の入口付近が崩壊してしまってな……」

 

 マルーシャの両親、クレールとビアンカの顔が脳裏を過る。エリック自身はそこまで親密な付き合いは無かったものの、流石に知人の死となると胸が痛む。だが、それ以上に彼らの“娘”であるマルーシャのことが気になった。

 

「それ、マルーシャは……」

 

「知っている……というより、彼女はご両親の亡骸をその目で見ているそうだ。ショックで気を失ったらしい彼女を屋敷から引っ張り出してくれたのがダリウスだな」

 

「……」

 

 ちらりとエリックは眠るマルーシャの姿を見た。彼女は何故か首元に包帯を巻いているが、それだけである。燃え盛る屋敷に飛び込んだとは思えない姿だった。

 

「ダリウスは、ウィルナビス男爵と知り合いだったんだ。アイツも多分、夫妻の無事を確かめたかったんだろうな」

 

「そう、だったのか……マルーシャを助けに入った様子では無かったから、気にはなっていたんだ。そういうことか」

 

 ディアナの話によると、マルーシャを抱えたダリウスは精霊術で壁を壊して強引に屋敷から脱出したのは良いものの、運悪く近くの風車が崩れ、その下敷きになってしまったらしい。

 

「身動きの取れないダリウスの指示で、私はやむを得ずファイアボールで瓦礫を飛ばした。当然彼は火傷を負ったし、それ以前に崩れた風車によって酷い傷を負っていた……なのに、彼はゾディート殿下を助けに行くと言って飛び去ってしまった。いくらなんでも無謀だったし、マルーシャが助かったのはあの人のお蔭だったから、私は彼の後を追ったんだ」

 

「……そう、だったのか」

 

「ダリウスには追い付けなかったんだが、ちょうど倒れたあなたを発見したから、追いかけて良かったとは思っているよ。皆と合流できたしな」

 

 ゾディートが作り出した氷の壁は様々な場所から見えるものだったらしく、ディアナが到着した後、ポプリとライオネル、チャッピーの姿をしたイチハと彼が運ぶマルーシャが壁を目印に庭園までやって来たそうだ。

 ダリウスの事情を知り、エリックは何とも言えない複雑な気持ちになってしまった。そんなエリックを見て、ディアナは躊躇いがちに話を続ける。

 

 

「ところがライオネルが時間切れで発作を起こし、イチハはそのライオネルを船まで運んでいき、イチハと一緒に来るはずだったアルは来ないし、あなたとマルーシャは気絶しているし、ライオネルに担がれて魔術連発させられてたらしいポプリも魔力切れで倒れるし、ついでにあなたと一緒にいるはずのジャンはいない……という、さらなる緊急事態が発生した」

 

「……お、おう」

 

 複雑な気持ちになっている場合ではなかった。後から話だけ聞く分には緊急事態過ぎて逆に面白いのだが、彼女にとってはそれどころでは無かったはずだ。

 つまり集まったのは良いが、ディアナしか動ける人間がいなかったのだ。アルディスとクリフォードにいたっては安否不明である。残されたのが彼女だけという時点で、ここルネリアルでは場を動くことすら困難だっただろう。

 

「そ、それ、どうしたんだ……!?」

 

 しかし今現在、皆はエリックの部屋に集合している。安否不明だったアルディスも屋根上なら無事だったのだろう。どうやってその緊急事態を脱したのかと問えば、ディアナは軽く首を傾げながら、かなり言葉に悩みながら語り始めた。

 

 

「何か……二メートル近くありそうな、マッチョな男達……ライオネルと外見的特徴がよく似ていたから戦舞(バーサーカー)だと思う。同じ顔してたから、双子だろうな……えーと、つまり、戦舞が二人やってきて……」

 

「ん?」

 

「双子の『兄』と呼ばれた方は気を失ったアルを小脇に抱えてた」

 

「えっ」

 

「『兄』って呼ばれてた方はそのまま反対の腕でエリックも抱えてくれて、『弟』って呼ばれてた方がマルーシャとポプリと、それから私を肩車してくれた」

 

「お、おぅ?」

 

「城まで運んでくれたんだが、城内に入れなかったからとりあえずエリックの部屋まで運んでくれた」

 

「ちょっと待て、色々待ってくれ!」

 

 本当に色々待って欲しかった。まだ何か言いたそうなディアナを静止し、エリックはゆっくりと深呼吸する。

 

「ふ、双子の戦舞(バーサーカー)?」

 

「ああ。黒い服を着ていた」

 

「服はどうでも良いな。えーと、そいつらがアルを抱えてやってきた」

 

「兵士相手に無双してたそうなんだが、途中で呪いの影響で動けなくなってしまったそうなんだ。そんな絶体絶命な時に、その、双子が」

 

 謎の双子はアルディスのことも助けてくれたらしかった。しかし、アルディスが彼らに回収されたのはどうやら気を失った後らしく、結局謎の双子を見たのはディアナだけらしい。そして困ったことにディアナもよく分からないまま運ばれているらしかった――そのまま変なところに連れて行かれたら、この娘、一体どうしたのだろうか……。

 

「気になったのは、エリックが王子だと分かっている様子だったことだ」

 

「それは僕も気になった。城に連れて来てくれたんだろう?」

 

「入れなかったけどな。ゼノビア陛下も面会謝絶とのことだった……多分、あなたが行っても駄目だと思う」

 

 どういうことだとエリックが問えば、ディアナは「気を悪くしないでくれ」と前置きした後、口を開く。

 

「これは、双子の戦舞(バーサーカー)が言っていたことだ。だが、城門前にいた兵士の反応からして間違いないと思う……裏切り者がいたんだと。内部に」

 

「え……」

 

「今回のこの騒動。確かに黒衣の龍の人間も混ざっていたそうだが、主体となったのは彼らではなく、黒衣の龍に扮した王国騎士団だったそうだ。事情はよく分からない。主犯と思われる人間は捕まったそうだが、落ち着くまでゼノビア陛下は面会謝絶という形を取るらしい。エリック、それはあなたも例外ではないそうだ……何せ主犯の人間は、陛下の側近だったらしいからな」

 

「……」

 

 語られた真相に、エリックは絶句してしまった。だが、納得は出来る。襲撃に王国騎士団が全く動かなかったこと、明らかに貴族と思わしき人間が黒衣の龍の装束をまとって死んでいたこと、庭園のすぐ傍にあった騎士団の宿舎が無事であったこと――王国騎士団が黒であったとするならば、この辺りの事象に説明が付く。

 

「エリック……」

 

 心配そうに顔を覗き込んでくるディアナの頭を「大丈夫だ」と言って撫でる。だが、今後のことを考えればどうにかこの件に関する情報を収集した方が良いかもしれない。エリックはベッドから降り、寝ているポプリとマルーシャに気をつけながらドアへと向かう。

 

「お、おい!」

 

「その話聞いたら、さっさとクリフォード回収した方が良いかな、と……何が敵になるか、現状さっぱり分からない」

 

「わ、私が行くとさっき……!」

 

「クリフォード運べるのは僕しかいないと思うぞ」

 

 見に行くだけなら出来るだろうが、と笑いかければ、ディアナは奥歯を噛み締めて悔しそうに「う……」と声を漏らした。

 

「私が戦舞(バーサーカー)双子くらいのマッチョだったら……」

 

「そんなお前、僕は見たくないぞ僕……!」

 

 マッチョなディアナって何だ。ホラーか。

 そう言って寄ってきたディアナの額を突けば、彼女は「そういえば」と口を開いた。何かを思い出したらしい。

 

「あの双子、『漆黒の翼』って名乗ってたぞ」

 

「……。これ以上よく分からない情報いらなかったかな……」

 

「あと何かあったんだが……わ、忘れた……」

 

「おい……」

 

 

 

 

 エリックはディアナと共に貴族街の入口へとやってきた。先程軽く彼女に治癒術を掛けてもらったため、身体の方はもう問題ないだろう。

 この辺りは普段ならば街灯で明るく照らされているのだが、その街灯はひとつ残らず折れてしまっていた。そのため、すっかり日の落ちた街は真っ暗で、ディアナが灯してくれたタロットの火だけが頼りだった。

 

「あった、あの家だ……氷は、無くなってるな」

 

 氷の箱に守られていた建物は、昼間と変わらず無事な姿を保ち、明かりが灯されていた。住民も無事だったのだろう。物音を立てないように気を付けつつ、エリックは建物の裏へとまわる。

 

「あれ……?」

 

 しかし、そこにいる筈のクリフォードがいないのだ。あの足でどこかに行けるとは思えず、嫌な予感が脳裏を過ぎったエリックの頬を冷や汗が流れる。

 

「お、おい! 建物間違えたとかじゃないだろうな!?」

 

「いやいやいや、それはない……!」

 

 何しろ、周りが崩れている中で一軒だけ無事な建物である。いくら氷の箱が無くなっていようと、見間違える筈が無い。何かに巻き込まれたのだろうか、まさか拐われてしまったのだろうかと狼狽えるエリック達の後ろで、ガラリと窓が開いた。

 

「!?」

 

「あの……どちら様、でしょうか?」

 

 建物の住民らしき、明るい茶色の髪に赤い瞳をした女性が顔を出している。左側のサイドテールまで続く綺麗な編み込みと、赤紫色の薔薇の髪飾りが上品な雰囲気を醸し出した若い女性だった。エリックは咄嗟に翼を出していたディアナを背に隠し、顔に笑みを貼り付ける。

 

「え、ええと、その、怪しい者では無いんです……! 本当ですよ!!」

 

「うふふ、その発言が怪しすぎるので、聞かなかったことにしますね」

 

「……」

 

 笑われてしまった――。

 

 だが、不幸中の幸い警戒されてはいないらしい。コホンと咳払いし、エリックは改めて口を開く。

 

「突然騒いで申し訳ありません、この辺りで青い髪をした男性をみませんでしたか?」

 

「! ああ、それなら……!」

 

 にこり、と女性は微笑んだと同時に、エリック達の傍にあったドアが開いた。裏口があったらしい。

 

「何だか辛そうだったので、保護しちゃったんです。心配させてしまいましたね、すみません」

 

「いやいやいや……! ありがたいです、ありがとうございます!」

 

 女性は窓から顔を出していたというのに、少し離れた場所にあったドアが開いた。他にも住民がいるのだろうか、とエリックは首を傾げつつ、ディアナに翼をしまわせて彼女を背負った。容姿からして女性は龍王族(ヴィーゲヒア)である。ディアナの種族は隠しておいた方が良い。

 

「え、ええと……お邪魔しま、す……?」

 

 罠ではないことを祈りながら、エリックは裏口から建物の中に入った。以前、アドゥシールの店で嗅いだような薬草の臭いが充満している。どうやらここは薬屋だったらしい……それ以上に、エリックは自身の顔の傍で緑の蔦がうねうねしているのが気になった。

 

「蔦……」

 

「はい、蔦です」

 

 蔦の根元は、女性の後ろ――正確には、女性が腰掛けている木製の車椅子から伸びていた。紫色の上品なワンピースを纏った女性は軽く首を傾げ、困ったように笑ってみせる。

 

「この通り、足が不自由なもので。ちょっと離れた物を動かす時は蔦を動かしてます。見慣れないと、驚いちゃいますよね。すみません」

 

 他の住民ではなく、蔦で裏口のドアを開けたらしい。植物を操る特殊能力者なのか、地属性の魔術の応用なのかは分からないが、とりあえず罠ではなさそうだ。事実、エリック達の探し人は足に白い包帯を巻かれ、額に濡れタオルを乗せられた状態で寝かされていた。

 

「あ、申し遅れましたが、わたしはハルモニカ=ミュリエルロバン。皆にはモニカ、と呼ばれています」

 

「! こちらこそ、夜分に申し訳ありません。僕はエリック、後ろにいるのがディアナです」

 

「いえいえ、お気になさらず。この騒動で、外に出るに出られず……話し相手が欲しかったところなんです。この方はずっとぐったりしてましたし、今は寝てますし」

 

「はは……」

 

 椅子を引かれ、「どうぞ」と言われたので素直に腰掛ければ、今度は紅茶が出てきた。このハルモニカという女性は客人をもてなすのが好きなのかもしれない。なお彼女、この二つの動作はどちらも蔦で行っていた。彼女の場合はやむを得ないとはいえ、本当に便利な蔦である。

 

 

「……」

 

「な、何か?」

 

 ハルモニカはまじまじとエリックの顔を見た後、何故かフライパンを手にして口を開いた。

 

「あの、念の為にお尋ねするのですが、王国騎士団の方、ですか?」

 

「ああ、僕の容姿でそう判断されたのですね……違いますよ。貴族の血を引く者ではありますが」

 

「で、ですよね……! とても穏やかそうな方ですから、きっとそうだとは思ったのですが……!」

 

 身分をはぐらかしつつ、ここで「そうだ」と言ったらフライパンで殴られた奴だな、とエリックは苦笑する。だが、これは情報収集の手間が省けるかも知れない。どうやら王国騎士団を警戒しているらしいハルモニカに、エリックは言葉を選びつつ問い掛ける。

 

「モニカさん、今回の騒動……主に動いていた団体が王国騎士団であることは、ご存知ですか?」

 

「! やっぱり、そうだったのですね」

 

 騒動の原因については知らなかったらしい。しかし怪しんでいた様子ではある。つまり、彼女は何らかの理由で騒動の前から王国騎士団を嫌っているようだ。何故かを問おうとしたが、それよりも早くハルモニカはクリフォードの傍に移動する。そしてエリックの方へ向き直り、彼女はおもむろに口を開いた。

 

「この方には、お兄さんがいませんか?」

 

「え……?」

 

 突然どうしたのかと思いつつ、兄の所在を肯定すると彼女はどこか悲しげに微笑んでみせた。

 

「似ているな、と思ったんです。やっぱり、そうだった……」

 

「……モニカ、さん?」

 

「この方のお兄さんは元々王国騎士団の所属でした。その後色々あったのですが……それが、わたしが王国騎士団を嫌う最大の理由です」

 

 先程までの柔和な雰囲気が消え、キッとした強い眼差しがエリックに向けられる。それだけで、彼女が抱く王国騎士団への憎悪の感情が強烈に伝わってくる。思わずたじろいでしまったエリックに向けて、今まで黙っていたディアナが口を開いた。

 

「ダリウスは部下に当たる複数人に襲われたって言っていた。それで、研究所送りになったって……その部下って、普通に考えたら王国騎士団だから、それだろう」

 

「!? ディアナ、お前その話どこで……!」

 

「カルチェ山脈であの人と野宿したことあったろ? その時、ポプリに話していたのを聞いた」

 

「……聞き耳立てたのか、お前」

 

 そう問えば、ディアナは何も言わずぐっと親指を立てた。自分も彼女には気を付けた方が良いかもしれないと思いつつ、ハルモニカへと視線を移す。彼女はエリックの視線に気付き、薔薇の髪飾りに触れてどこか悲しげに笑った。

 

「あの人は部下複数人相手に負けるほど弱くないですよ。あの人がやられたのは、全部、わたしのせいです」

 

「それは、一体どういう……」

 

「うふふ……お話、しましょうかね。あの人、わたしのことはどうも一言も話さなかったみたいですし。それにしても、ダリウスがポプリって方だけにその話をしたってことは、多分その方のことが好きなんでしょうね。だったら、わたしのことを話した方が格好良くみせられたでしょうに……不器用な人」

 

 様子を見る限り随分親しかったようだが、あの薔薇の髪飾りはダリウスに貰った物なのだろうか。よく見ると髪飾りと、それと同じ物と思われる胸元のリボンについたブローチには何度も修理された形跡が見られた。大切にしているらしいことが伺える。

 

「十二年前、わたしは王国騎士団の男達に捕まりました。ダリウスを誘き寄せ、抵抗させないための餌として」

 

「な……っ!?」

 

「あの人は本当に抵抗しなかった。そのせいで、精霊術師(フェアトラーカー)の力を封じられて……隙を見て逃げ出したわたしが助けを呼んできた頃には、もう手遅れで……後々助かったそうなのですが、会えなくなっちゃいました。詳細は、彼の名誉のために伏せさせてください」

 

 エリックの脳裏を過るのは、剣を抜こうとしてフラッシュバックを起こし、酷く怯えていたダリウスの姿。ハルモニカを助けた結果、彼は酷い目にあった。彼は顔面にも傷痕を残しているが、まさか『会えなくなった』理由は傷痕ではないだろう。ハルモニカは伏せているが、今のエリックなら分かる。どう考えても、その理由は心理的なものだと。

 

「元々、ダリウスは種族故か王国騎士団内でろくな扱いをされていなかったと聞きます……そんな、よく分からない理由で才能を潰す組織なんて、大嫌いです……」

 

 ほんの少しだけ涙で潤んだ瞳を隠すように、ハルモニカは視線をクリフォードへと移し、彼の額のタオルを近くに置いてあった氷水で濡らした。この処置をするということは、彼は発熱しているのだろう。

 

 

「騎士団の悪口を聞いても、あなた方は怒らないのですね」

 

「……まあ、そうですね」

 

「だったら、わたしの知っていること……お話した方が良いですか?」

 

 何故か、自分達はハルモニカにえらく信用されているらしい。こくりと肯けば、彼女はクリフォードの額にタオルを置いてから話し始めた。

 

「今回の騒動は、王国騎士団内部の戦を求める声が大きくなったが故に起こったものだそうです。ゼノビア陛下も、その後継者に当たるアベル殿下も平和主義で、陛下に至ってはノア皇子宛に親書まで用意されていましたから。それが騎士団や、騎士団関係者は気に喰わなかったんでしょう」

 

「戦……!」

 

「戦争は金になるからな。しかもラドクリフ王国は先代王の影響で兵が多い。給料や待遇のことを考えれば、平和なんていらないんだろう」

 

 つまり、最終的な目的としてはゼノビアを狙ったということか――平和が何よりも良いことだと考えるエリックにとっては、あまりにも衝撃的な話であった。

 

「多分、王族の根絶やしが目的だったんでしょうね。聞いたところ、流石に城を落とすことは不可能だったようですが……凄まじい勢いで、上流の貴族が狩られていったそうです。わたしも血筋的には割と王家に近いので危なかったんですが、間一髪救われました」

 

「……」

 

「万が一、アベル殿下がお亡くなりになったら大騒動になるでしょうね……王家の血の濃さを優先するならば、混血の王が誕生することは避けられないとの話です」

 

 つまり、ルネリアルに住む公爵家や伯爵家辺りの貴族達は全滅してしまったということだ。ハルモニカが言っている“王家の血が濃い人間”となると、もうシャーベルグに住む混血の貴族しか残されていない。一体どれほどの人間が犠牲になったのかと、エリックは奥歯を噛み締めて両目を固く閉ざす。

 

 

「……どうして、あなたはそんなに王国騎士団について詳しいんだ?」

 

 黙り込んでしまったエリックの背を撫でながら、ディアナはハルモニカにある意味一番気になっていたことを問いかける。明らかに内部事情に詳しすぎる彼女の情報源は、確かに気になるところだった。まさかエリックが無知なだけではないだろう。

 事実、あまり知られていない情報をハルモニカは掴んでいたらしい。彼女はしばらく悩んだ後、「ふふ」と誤魔化すように笑ってから口を開いた。

 

「こういうことを調べるのが得意な“お友達”に教わった、とだけ言っておきます。彼女達の話をどこまでして良いのか、ちょっと分からないので」

 

 そして彼女は、小さな小瓶をエリックの前に置く。小瓶の中には、複数の錠剤が入っていた。顔を上げたエリックと、ハルモニカの赤い瞳が合う。

 

「ただ、あなた達の手でダリウスの弟さんを助けたいならば、彼女に会えるように手配しておきます」

 

「! 毒が抜けたわけではない、と……!?」

 

「この方の身体に入ったのは科学毒です。痛みを抑え、全身に回るのを遅くする薬は用意できましたが、わたしの力では解毒することは不可能です……トゥリモラで直接、この毒の中和剤を入手する必要があります」

 

 トゥリモラ。クリフォードがかつて本気で行くのを嫌がった、人体実験が行われていた都市。いずれ行きたいとは思っていた地名を聞き、エリックは息を呑む。

 

「行かないと言うのであれば、ダリウスへの恩返しも兼ねてわたしが行きます。ですが……あなたは、たったひとりでも向かわれるのではないですか?」

 

 ハルモニカに微笑みかけられ、エリックは深く頷いた。エリック自身の意志もあったが、きっと仲間達は皆同じ結論を出すだろう。トゥリモラにトラウマを持つ者はどこかで待機してもらえば良い――そんなことを考えていたエリックの前で、ハルモニカは苦笑した。

 

「……でも、ちょっと心配ですね」

 

「え……?」

 

 つい、気の抜けた間抜けな声を出してしまったエリックを見て、ハルモニカは頭痛をこらえるようにこめかみを押さえた。

 

 

「だって、話には聞いていましたけれど、本当に人を疑わないんですもの。もう一度言いますけれど、『あなた』が亡くなるとこの国、大変なことになりますから……気を付けて下さいね」

 

 

「……は?」

 

 ハルモニカは、今、何と言った……?

 

 自分は今、さぞかし間抜けな顔をしているのだろう、とエリックは思う。だが、それ以外の顔を今できる気がしない。

 まともに反応を返せないエリックを見て、ハルモニカは耐え切れないと言わんばかりに口に手を当ててくすくすと笑う。これは間違いなく、エリックという人間をしっかり理解している態度だ。そうでなければ、王子相手にこんな無礼な態度は取れないだろう。

 

「申し訳ありません。わたしは“知人”に、もしあなたが来たら王国騎士団についてお話するよう頼まれていたんです。話の途中で、あなたがアベル王子だと確信したので、王国騎士団の話をしたのですよ」

 

「い、一体何故……」

 

「『あなたは、あなたが思っている以上に重要な存在なのだと自覚して欲しい』と仰ってました。ところで、あの……私の店に来るように、どなたかから伺っていませんか?」

 

 一体誰だ、その知人は。大体そんな話聞いてないぞとエリックが言おうとすると、ふいにディアナが「あっ!」と大声を出した。

 

「ど、どうしたディアナ……」

 

「『漆黒の翼』から『薬屋ミュリエルロバン』に行くように、そこの店主に話を聞くようにエリックに伝えて欲しいと指示されていたのを忘れていた……」

 

「あ、はい。うちですよ、『薬屋ミュリエルロバン』」

 

「ディアナ……っ!」

 

 ディアナが『漆黒の翼』関連で一番話さないといけなかったのは、どう考えてもこの話だろう。たまたま用が合って来たから良かったものの、来なければきっと彼女は忘れ去っていたに違いない。

 ディアナの額を指で弾き、エリックはハルモニカに軽く頭を下げる。

 

「……申し訳ありません、何とも言えないところをお見せしてしまいました……」

 

「いえいえ、楽しかったです」

 

「よ、良かった……! 思い出して良かった……!」

 

「言っておくが手遅れだからな、ディアナ……!」

 

 一体、ハルモニカは誰が用意した語り部なのだろうか。彼女の言う“お友達”や“知人”とは一体誰なのか。それ以上に『漆黒の翼』とは結局何なのだろうか――全力でよく分からない謎を残したまま、エリック達は少しだけハルモニカとの雑談を楽しみ、途中で目を覚ましたクリフォードを連れて帰路についた。

 

 

 

―――― To be continued.

 




ハルモニカ(自作絵)

【挿絵表示】

本編では名前のあるモブなのでここで少し紹介。
ダリウスに好意を持つ女性。現在23歳。つまりクリフォードと同い年。故にブラコンを拗らせたダリウスに妹扱いされてた上に女の勘で失恋を察したちょっと可哀想な子←

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