テイルズ オブ フェータリアン ー希望を紡ぎ出すRPGー   作:逢月

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Tune.71 氷纏いし兄騎士と癒えぬ傷

 

 兄はセルシウスの名を叫んだが、セルシウスの姿は見えない。しかし、彼の氷に覆われた手首にはこれまでには無かったバングルが控えめに存在を主張していた。あれは、アルディスやマルーシャが着けていた物と同じバングルである。石の色を見ても、あれはセルシウスの契約者が身に付ける装飾品であると判断して間違いないだろう。

 

「……」

 

 ゾディートは何も言わず、右手で握っていた剣の柄に左手を這わせた。そのまま柄を握り込めば、固定するかのように氷に包み込まれていく。あれでは、短剣を握ることはできない。彼は、エリックと同じ長剣と短剣を使う戦い方、もしくは左手に鞘を持つ戦い方をしていたというのに。

 

(両手持ちで戦う、のか……? セルシウス契約の影響か?)

 

 構えが違うのならば、スウェーラルでの戦いと同じ戦法――それは必然的にエリックと同様のものだ――で来ることは無いだろう。どちらにせよ、兄に敵意があることは間違いない。思わぬ不意打ちを受けないように、右手と両足に意識を向けたまま、エリックはゾディートの出方を伺う。ゾディートの一層冷たさの増した瞳が、エリックを捉えたかと思えば、彼の姿が消えた。

 

「ッ!」

 

「――ストレッタ!」

 

 次の瞬間、ゾディートの剣はエリックの目の前に迫っていた。エリックは辛うじてそれを短剣で受け流すが、兄はすぐさま踵を返し、低い位置から再び斬りかかってきた!

 

(早い……ッ)

 

 咄嗟に身体を逸らすも、完全には避けきれなかった。服の布地が裂け、抉られた左肩から血が吹き出す。痛みに顔をしかめつつも、エリックは大きく後ろに飛躍した。

 ゾディートの技は魔術に近い感覚もあったものの、基本的にはアルディスやクリフォードが得意とするような体全体を使った素早い連撃だった。このような連撃はエルマ流剣術をはじめとした龍王族(ヴィーゲニア)の戦術ではあまり見られないものだ。だが、恐らく兄は鳳凰族(キルヒェニア)である。元々、このような戦闘スタイルの方が合っていたのかもしれない。

 

「――アナクルーシス!」

 

 エリックの着地点目掛けて、飛んできたのは冷気を纏った衝撃波。それを剣で薙ぎ払い、ゾディートが距離を詰めてくるのを待ち構える。

 

「――獅子戦吼(ししせんこう)!」

 

「――リフレイン!」

 

 放つのは、獅子を模した闘気。それをゾディートは切っ先から生み出した無数の氷の刃で打ち消す――が、威力不足だったのだろう。彼は消しきれなかった闘気を氷に包まれた剣で受け止めた。ずりり、と彼の足元で砂利が音を鳴らす。息を漏らす声が聞こえたため、少なからずダメージを受けたらしいことは分かった。

 

「スウェーラルでお会いした時と比べれば、私も強くなったと思いますよ。あの時のように、何も出来ないまま倒れはしない!」

 

 エリックは強く地を蹴り、大きく飛躍した。手にした刃に纏うは、雷。

 

「――雷牙召令(らいがしょうじん)!」

 

 真下のゾディートに突き立てるように、剣を振り下ろす。大きな動作故、当然ながらゾディートは後ろに飛んでそれをかわした。だが、この技は斬撃が目的ではない!

 

「ッ、ち……っ」

 

 刃が地面と接触したその瞬間。バチリと青い火花が散り、地から眩い雷が上がった。ゾディートの腕を守る氷が激しく砕け散る。飛び散った破片が光を受け、青く瞬いた。怯んだゾディートの懐に入り込み、エリックは剣を前方に突き出す。

 

「――光龍槍(こうりゅうそう)!」

 

 エリックの突き出した剣が魔力を纏い、光の槍と化す。ゾディートは咄嗟に剣の柄でそれを受け止めるが、衝撃で大きく後ろに飛ばされてしまった。しかし、その程度で倒れ、剣を落とすほど彼はひ弱ではない。

 

「ふ……そのようだな」

 

 不敵な笑みを浮かべた彼の周囲で、鮮やかな下位精霊達が舞う。見覚えのある光景に、エリックはハッとした。

 

精霊術師(フェアトラーカー)……ッ!?)

 

 鳳凰族(キルヒェニア)でありながら、騎士として果敢に戦う兄。その力の源は、精霊達にあったのだ。精霊術師(フェアトラーカー)は腕力や持久力、跳躍力を得る等、精霊達の力を借りることによって限度はあれども自身の肉体的限界を超えることを可能とする。驚きはしたが、むしろ彼の持つ力の理由が知れて良かったと思う。精霊達が上空に戻るのと同時に、エリックは彼の元へと駆けた。それを、再び腕を氷に覆われた兄が待ち受ける。

 

「――具現せよ、氷結の牢獄!」

 

 エリックの前方を、否、周囲を氷の柱が取り囲む。一瞬の出来事にエリックは怯んでしまったが、落ち着いて前方の柱を砕きにかかった――だが、

 

「――フィデリオ!」

 

 柱を砕いたのは、エリックではない。ゾディートだった。彼はたった一閃でエリックの周囲を囲む全ての柱を両断したのだ。もちろん、中心にいたエリックも無事ではない。瞬時の判断で身体を捻って致命傷を負うことこそ防いだものの、左腕に深い傷を負ってしまった。

 

「ぐ……っ」

 

 短剣が左腕から滑り落ち、刃を傷口から流れる鮮血が染め上げていく。燃えるような痛みに顔を歪めつつもエリックは右腕に力を込め、握る剣の切っ先を地面に突き立てた。

 

「――神羅昇華(しんらしょうか)氷乱(ひょうらん)!」

 

 地面から飛び出したのは、槍を思わせる鋭さを持った氷の柱。それらは直線上に次々と出現し、ゾディートに襲いかかる!

 

「ッ! ――テトラコード!」

 

 かわしきれないと判断したのだろう。彼は大きく飛躍し、襲いかかる氷の槍を次々と破壊しながら空中を自在に駆ける。翼があるのではないかと思うほどの、軽やかな剣捌きだった。氷の槍を砕きつくし、彼はそのままエリックに斬り掛かる。しかし、先程まではそこにいたはずの弟の姿が無かった。

 

「――飛天翔駆(ひてんしょうく)!」

 

 声が聞こえたのは背後。振り返るも、迫り来るは闘気を纏った弟の姿。瞬きをも許さぬ刹那の瞬間の出来事。受け流す余裕は、無い!

 

「ぐっ!? がは……っ!!」

 

 ゾディートが纏う氷が砕け、鮮血と共に舞い散る。致命的な傷を負わせることは叶わなかったものの、刃はゾディートの右腕を傷付け、脇腹を貫いていた。

 エリックは空中で体制を立て直し、地面に叩きつけられた兄から距離を取る。その背にあった光の翼を消し、べったりと刃にまとわりついた血を払った。

 

「そうか、覚醒、したのか……いや、お前の場合は擬似覚醒か……」

 

 消えた翼を見て、ゾディートは苦痛に顔を歪めながらも呟く。脇腹から血を流しながらも、彼は立ち上がった。まだ戦意を失ったわけではないらしい。

 

「兄上は私の身体のこと……ご存知、だったのですか?」

 

「……」

 

「兄上……!」

 

 エリックの身体には、いるはずの体内精霊がいないということ。それ故に身体が不安定で、病弱な体質と化していること。どうやら兄は、それを知っていたらしい。語ろうとしない兄に向かって声を荒げれば、彼はふっと肩の力を抜き、不敵に微笑んでみせた。

 

 

「知っているに決まっている。お前の身体がそうなった原因は……お前がこれまでに味わってきた苦しみの元凶は全て、この私にあるのだからな!」

 

 

 ドクン、と心臓が一際大きく鼓動したのを、エリックは感じ取った。

 

「え……」

 

 氷に囲まれているが故に、肌寒い風が肌を撫でる。兄の黒髪がさらりと動き、彼の綺麗な顔を隠す。その直後、驚きのあまり固まってしまったエリック相手でも容赦しないと言わんばかりに、兄が駆け出した。

 

「どうした? 先程までの威勢はどこに行った?」

 

 流石に剣を振るわれればそれを受け止めるだけの気力はあった。だが、それ以外頭が働かない。防戦一方になってしまったエリックを煽りながらも、キリがないと判断したゾディートは軽く距離を取り、エリックに向けて切っ先を向けた。

 

「私はお前が得られる筈だった名誉を、幸せを台無しにしたも同然……アベル、私が憎いのではないか? ――リフレイン!」

 

 放たれたのは、無数の氷の刃。それらを薙ぎ払い、エリックはゾディートに向かって叫ぶ。

 

「それが本当だと言うのであれば、その目的は一体何なのですか!?」

 

「……さあな」

 

「兄上……ッ」

 

 肝心な部分は、答えてくれないらしい。ゾディートは脇腹に傷を負っているにも関わらず、変わらず涼しい顔をしていた。

 

 エリックが体内精霊を失った理由はゾディートにある。これが真実だとするならば、その背景には一体何があったのか。

 確かにエリックが味わってきた苦しみは体内精霊の欠落が原因だと言い切っても良い。確かに憎悪を呼び起こす話ではある。だが、だからと言ってここでゾディートに負の感情をぶつける理由にはならないのだ。

 

「……来ないのか? 私が憎いだろう?」

 

「いいえ」

 

 そう言い切ってみせれば、ゾディートは目を丸くして驚いた表情を見せる。しかし、それはほんの僅かな出来事であった。彼は頭を振るい、無表情でエリックを見据えて口を開いた。

 

「何故だ?」

 

「兄上」

 

 何となく、何となくだが。以前、体験した出来事とゾディートの発言が繋がった。その時とは異なり、理由は全く見当も付かないのだが……きっと、そうなのだろう。

 ゾディートの問いには、答えない。答えるつもりもない。エリックは軽く息を吐き、口を開いた。

 

 

「兄上は、私に殺されたいのですか?」

 

――兄の発言が、フェルリオ城でのアルディスの行動と重なって見えたのだ。

 

 

「な……」

 

 フェルリオ城にて、エリックに殺されようと立ち回ったアルディス。世界平和のために、戦争を起こさないために、ひとりの王による政治が行われるべきだ、自分は死ぬべきだと彼は決意し、エリックに刃を向けた。その際に彼は、あえてエリックを怒らせるような行為を繰り返した。そんなアルディスと、今のゾディートが重なって見えたのだ。

 

「違いますか?」

 

 エリックの問いかけに、ゾディートは答えない。剣を下ろすこともない。

 

「もしそうだと思うのなら、私を殺してみるといい。殺せるものならな」

 

「そうですね。あなたは、とても強い。簡単なことではないでしょう……だから、変に手を抜かないで下さいね」

 

 何を言っている、と言わんばかりにゾディートは不敵な微笑を浮かべ、地を蹴って駆け出した。戦いは、まだ続くということだ。彼の戦意は、決して途切れない。

 

(気のせい、だったんだろうか……)

 

 どちらにせよ、ここで彼と戦い続けていてはいつまで経っても先に進めない。どうにかして突破しなければならない。防戦一方では駄目なのだ。

 近付いて来るゾディートの動向を伺いつつ、エリックは腰を低く落とした。ふたりの距離が狭まっていく。ゾディートが間合いに入った、その刹那。エリックは両足をバネのように使って一気に飛び上がった!

 

「――閃空(せんくう)翔烈破(しょうれっぱ)!」

 

 身体ごと回転し、位置を変えていく刃をかわすためにゾディートは後方に飛躍する、否、その目的は攻撃を回避するためではなかった。その勢いのまま、彼はエリック同様に上空へと飛んだ。

 

「――テトラコード!」

 

 竜巻のように刃を振るうエリックの懐に、ゾディートは氷を纏った剣と共に突っ込んできた。当然ながら、エリックの剣はゾディートの肉体を傷付ける。しかしエリックは上空。翼も出しておらず、まともに反撃も防御も出来ない状態だった。ゾディートの剣が、エリックの腹を斬り裂く。吹き出す血には目もくれず、エリックは重力を利用して身体をぐるりと縦に回転させた。

 

「――裂空斬(れっくうざん)!」

 

 回転した先には、ゾディートの姿があった。このまま行けば彼を両断することができるだろうが、当然ながらそんなに簡単にはいかない。ゾディートはエリック同様に重力を利用し、身体を翻す。狙いが外れ、エリックはゾディートからかなり離れた位置に着地した。とはいえ、どちらかといえば距離を取ることが目的であったため、別に構わない。空中戦となると、不意を付かない限りはゾディートに有利に働いてしまうとエリックは察したのだ。上手く、陸上のみで戦うべきだろう。

 

 ぼたり、ぼたりと身体のいたることころから血が流れ落ちる。少々攻撃を受け過ぎたかもしれない。それはエリック、ゾディート両者に共通する話であった。体力的にも、そろそろ厳しいものがある。早く、決着を付けなければ――何かが砕ける音が聴こえたのは、その時だった。

 

(兄上……ッ!?)

 

 砕けたのは、兄の身体と剣を覆う氷だった。庭園を囲む氷の壁にも、少しずつヒビが入り始めている。

 

「ッ、は……っ、く……っ!」

 

 ゾディートの手から、剣が滑り落ちた。そのまま、彼は崩れ落ちるように地面に両膝を着いた。左腕はだらりと地面に触れており、右腕は喉元の布地を強く握りしめている。荒い呼吸を繰り返しながら、彼はそのままうつ伏せに倒れてしまった。

 

「あ、兄上……!」

 

 傷口を押さえるのではなく、喉元を押さえている。つまり、戦いで負った傷以外で彼は苦しんでいる。エリックは思わず駆け寄ろうとして、足を止めた。

 

 

――もし、これが演技であったなら?

 

 

 エリックの脳裏に、そんな考えが浮かぶ。ここで不容易な行動を取るべきではない。アルディスとの戦いで学んだことでもある。敵に情けをかけるな、と。

 

(兄上は……敵、なのか?)

 

 分からない。彼は、何も言ってくれないから。

 遠目に見ても苦しげな様子を見せる兄の姿。その意味も、理由も、エリックには分からない。

 

「……」

 

 剣の柄を、いつでも振るえるように強く握り締める。その上でエリックはゾディートに近付いていった。

 

「ぐ……っ! う、ッ……は、ぁ……」

 

 近付けば近付く程に、苦しげな声が聞こえてくる。黒い髪の間から覗く白い肌には、冷や汗が滲んでいた。白い衣服は、赤く色を変えていく。

 

「兄上……」

 

 残り二メートル程度まで距離を狭めたところで、エリックは剣の切っ先を兄の顔へと向けた。頭を過るのは、兄と戦う直前にも考えたことだ。

 

 自分は今ここで、黒衣の龍団長であるゾディートを殺すべきなのではないか、と……。

 

 ここで見逃して先に進むという選択肢は、後々兄が驚異として立ちはだかる危険性をはらんでいる。エリック自身、何度も彼と戦える程の気力はない。既に限界が近いのだ。見逃した結果、仲間達の誰かが危険な目に合う可能性もある……それは、彼が“敵”であったならの話ではあるが、敵か味方かの判断が出来ない状態である以上、ゾディートという脅威を放置して先に進むわけにはいかないだろう。

 ならば、しばらくは動けなくなるような、そんな傷を負わせれば良い。我ながら残酷な選択だとは思いつつ、エリックはゾディートに歩み寄った――その時だった!

 

「がはっ!?」

 

 鈍い音と共に、鈍器で思いきり殴られたかのような強烈な痛みを腹部に感じた。衝撃でエリックは後ろに吹き飛ばされ、崩れかけていた氷の壁に衝突する。

 砕けたのは、背後の壁か、自身の骨か。喉の奥から、血の混じった胃液が逆流してくる。息が出来ない――そんなエリックの耳に届いたのは、痛々しい咆哮だった。

 

「がっ、あああぁあああッ!!」

 

 生理的な涙で滲んだ視界が捉えたのは、ゾディートの前で横向きに転がったダリウスの姿だった。

 

「ッ、ダリ……ウス……!」

 

 エリックは何とか身体を起こそうとする。それだけで息が止まる程の激痛が走り、意識が飛びそうだった。腹部を見れば、べったりと血が付着している。折れた骨が皮膚を突き破ったのかと背筋が凍りついたが、そうではない。そもそもそれは、自分の血では無かった。それに気付いたエリックは両目を擦り、地面に転がり苦しむダリウスへと視線を向ける。

 

「あッ、ぐぅう……っ、がっ、ぁ……」

 

 彼はいつものように、上空から現れたのだろう。そしてゾディートに刃を振り下ろさんとする自分を見つけ、間に入って自分を蹴り飛ばしたのだとエリックは理解した。だが、問題は自分を蹴り飛ばしたと思われる足だ――彼の左足は数多の木片が突き刺さった上に火傷とこびりついた血で赤黒く染まり、酷く腫れ上がっていた。

 止血のためか彼が普段顔を覆っている布が乱雑に太腿辺りに巻かれていたが、もはや意味を成していない。それ程に酷い有様であった。

 あれだけの威力の蹴りを放つならば、片足を軸足にしなければならない。つまりダリウスは、無事な右足を軸足にし、あの無残な状態と化している左足でエリックを蹴り飛ばしたのだ。そんなことをすれば、結果は見えている。ゾディートへの忠誠心故に成せたのだろうが、並大抵の精神では真似できない行為だ。

 

 飛びそうになる意識を何とか引き止めながら、エリックはゆっくりと立ち上がる。気が狂いそうになる程の激痛こそ健在だが、足や腕は動く。一方的にやられることは無いだろう。

 

「くそ……っ」

 

 エリックが立ち上がるのを見て、ダリウスもゆらりと身体を起こす。一方的にやられてしまっては困るのは、彼も同じだということだ。

 

(何があったんだ、あれは……)

 

 自身を棚に上げて同情してしまいたくなる程に、ダリウスは既に満身創痍だった。

 衣服は滅茶苦茶に破れ、焼け焦げ、彼の上半身を半分ほど晒している。辛うじて『シャーベルグで着ていた衣服と同じ物だ』とは分かるが、酷く損傷してしまっていた。そしてそれは、彼自身も同様であった。

 右足のみで立ち上がりはしたものの、痛みが収まらないのか荒い呼吸を繰り返す彼は背に大火傷を負っており、身体には足同様いたる所に木片が突き刺さっている。爆発か何かに巻き込まれたらしい彼は、自身の左足に視線を向けて舌打ちした。

 

(あれを治さないってことは、精霊術を使う体力も無いってこと、だよな……)

 

 左足の負傷は彼にとって致命的なのではないか、とエリックは思う。ダリウスは格闘技、それも足技をメインとした格闘家だ。彼の場合、両足が使えなければ話にならない。拳を使って戦うにしろ、拳に体重を乗せるにはどう足掻いても両足が必要だ。そんなことは、恐らく本人も分かっているのだろう。何とか左足を動かそうとしているようだが、先程の一撃が仇となったようだ。全く使い物にならないらしい。

 

 自分も大概に厳しい状況ではあるものの、ダリウスに比べればまだ動ける。剣を手にしたまま、エリックはゆっくりとダリウスに歩み寄った。走ることは、出来そうにない。

 

「ッ、く……っ!」

 

 何とかしなければ、と考えたのだろう。彼はズボンのポケットからレーツェルを取り出し、細身の長剣を出現させた。イチハの持つ刀と非常によく似たそれは、カルチェ山脈でポプリに渡していた、あの剣だ。

 

「なっ、お前……!」

 

 ポプリから簡単に話は聞いているが、ダリウスは元々剣士だったそうだ。しかし彼はあることがきっかけで剣が使えなくなり、格闘技を使って戦うようになったらしい。

 

「……ッ」

 

 左手で剣の柄を握り、右手で鞘を握る。両目が固く閉ざされている上、彼の手は酷く震えていた。何故か、剣を抜くことを恐れている。それでも戦わねばならないのだと、自身に言い聞かせているらしい。しかし、鯉口を切る音を聞いた瞬間に彼の様子は一変した。

 

 

「ひ……っ、……ッ!?」

 

 聞こえたのは、ダリウスらしからぬ弱々しい声。それでも何とか剣を抜こうとしていたが、鞘からはばきの部分が出切った瞬間、彼の精神は限界を迎えてしまった。

 

「い、いやだ……ッ、いやだ、やめろ……!!」

 

 彼の手から離れた剣がレーツェルに戻り、地面に落ちてカツンと乾いた音を鳴らした。ダリウスが両膝を付いたのは、その直後だった。

 

「やめろ……いやだ、やめてくれ、もう……許してくれ……!」

 

 傍目から見ても、酷く震えている。明らかに正気ではない。剣を抜いたことにより、過去の出来事がフラッシュバックしたと考えるのが適当な状況だろう。両目を閉ざし、頭を抱える彼の姿からは、普段の勝気な様子は全く伺うことは出来ない。それどころか、ただただ痛々しい姿を晒していた。

 

「……」

 

 思わず、エリックはダリウスから距離を取った。ブリランテで怯え、震えていた彼の弟の姿が脳裏を過ぎったのだ。自分の容姿はきっと、彼の心の傷を刺激してしまう。彼の容姿がクリフォードと似ていることもあって、戦意など抱ける筈も無かった。

 エリックが武器をレーツェルに戻しても、ダリウスは変わらず震え続けている。そこでエリックは気付いた。ダリウスの身体には、おびただしい程の傷跡があるということに。

 

(刃物で傷付けられたもの、だよな……だけど、あれは……)

 

 それらの大半は切り傷であった。傷跡がくっきりと残る程の深さであったことは間違いないのだろうが、命を奪うものとしてはあまりにも浅い――錯乱した彼が口にする懇願の言葉からして恐らく彼には、心に深い傷を残す程の残虐な拷問を受けた経験があるのだ。

 詳細は全く分からないが、拷問の記憶が『剣を抜く』という動作と何かしら関連しているのだろう。そうでなければ、彼があのような姿を晒す筈がない。

 

 どうしたものか、とエリックは考える。敵に情けをかけるなとは言うが、未だ懇願の言葉を呟き続ける今のダリウスにはとてもではないが襲い掛かる気にはなれない。このまま先に行くには、自分自身あまりにも深手を負いすぎた。それでも、ここで立ち止まっていては何も変わらない。

 

「――万物に宿りし精霊よ。汝らが伝承に刻まれし祝福の言ノ葉を今ここに刻め」

 

「!?」

 

 不意に、ゾディートの声が聞こえてきた。聞いたことのない詠唱だが、魔法陣がダリウスの真下に展開されている以上、何らかの支援的効果をもたらす術なのだろう。ゾディートはゆっくりと身体を起こし、ダリウスの頭を撫でた。

 

「――フォークロア・ブリス」

 

 エリックが止める間も無く、詠唱が完成する。魔法陣が弾け、刻まれた紋様が鮮やかな花びらへと姿を変えた。花びらはダリウスの傷に触れ、そこにあった傷ごと消えていく。

 

「ッ、殿、下……?」

 

 急に痛みが引いたことによって、正気を取り戻したらしい。顔を上げたダリウスの後ろで、ドサリとゾディートが崩れ落ちる。

 

「殿下……!!」

 

 今度は完全に意識を手放してしまったらしいゾディートの身体を揺すり、ダリウスが叫ぶ。流石に傷が深すぎたのか、治癒術の効果が薄かったのか。ダリウスの身体には治りきらなかった傷が多く残っていた。足の方も少しはマシになったか酷い有様で、結局戦える状況ではない。ゾディートはあくまでもダリウスを正気に戻すためだけに治癒術を使ったのだろう。その結果、彼の身体は限界を迎えてしまったようだが。

 

「……」

 

 ダリウスは転がったレーツェルを再びポケットに戻し、ゾディートを抱えた後、エリックを一瞥する。エリックに戦意が無いことに気付いたらしい彼は、口の動きだけで何かを訴え、上空から急降下してきたマッセルにそのまま飛び乗ってどこかへ行ってしまった。

 

「ダリウス……兄上……」

 

 シャーベルグでもそうだったが、兄は治癒術を使えるらしい。クリフォードのような例外や精霊術師(フェアトラーカー)の精霊術を除けば、通常治癒術はそれに関連する特殊能力の使い手以外には使用できないものだ。一体何故、兄は治癒術を使えるのだろうか。

 

(……それに、見間違えじゃなければ……)

 

 最後に残したダリウスの言葉は恐らく『すまない、感謝する』だった。情けを掛けたことに対する言葉なのかもしれないが、根本的に敵に送る言葉としてはふさわしくないものである。本当に、彼らの目的が読めない。

 

 

「ッ、ぐ……っ」

 

 脅威が去ったことによって、気が抜けてしまったのだろうか。身体が酷くぐらついた。このままではいけないと何とか足を踏ん張るが、今度は意識が朦朧としてくる。そんな時、ぽたり、ぽたりと何かが頬を濡らした。

 

「あ、め……?」

 

 天から落ちる冷たい雫。それは次第に勢いを増し、エリックの服を濡らしていく。服が濡れたことによる、ほんのかすかな重みが、エリックの膝を折った。もう、限界だった。

 

(ああ、でも……これで、火は消える。火災は、収まる……良かっ、た……)

 

 冷たい地面に崩れ落ちたエリックの瞼が、少しずつ落ちていく。遠ざかっていく意識の中、ディアナの声を聞いた気がした。

 

 

 

―――― To be continued.


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