テイルズ オブ フェータリアン ー希望を紡ぎ出すRPGー 作:逢月
シャーベルグでの買い出しを終え、エリック達は修理された船の中を探索していた――笑えるくらいに、狭い船だった。
「……探索、終わったな……」
確かに遠目で見ても船が小さくなったことは分かっていたのだが、修理のために船を取り囲んでいた設備や機材が外され、実際に乗船してみてそんなものではないと初めて分かったのだ。この船は今や、「少し小さくなった」程度の可愛らしい状況ではないのだと。
(ここまで酷いとは……本当よく沈まなかったな、これ……!!)
流石のゼノビアも「いくらでも金を使え」とは言えなかったらしい――使われるのは国家予算であるため、それで良かったのだが――少ない予算の中で何とか操行可能な状態に持っていったところ、操舵室やボイラー室といった最低限のものしか存在しないこぢんまりとした船が誕生したそうだ。「客室は二部屋が限界でした」と謝る修理工を宥めるのには本当に苦労した。
元は貨物船だというのにもはや娯楽用のクルーザーレベルである。イチハを含めて八人で旅をするには丁度良いサイズなのだが、元々の姿を思えば何とも可哀想なことになってしまった。
「うん、まあ……あまり大き過ぎても困るし、な……」
狭すぎる船の内部をさっさと探索し終え、エリックは操舵室へと向かった。綺麗に磨かれた重厚な扉を開けば、のんびりと舵輪に手を掛けたライオネルの姿があった。
「ん? どうした? 操縦ならオレに任せてくれよ、アルディスの傍にいてやらなくて良いのか?」
「いや、まあ……そうなんだが……クリフォード着いてるし、別に、僕いなくても良いかなって……」
そう返せば、ライオネルは「それもそうか」と呟き、エリックの方を見て苦笑する。
「……嫌な思い出でもあるのか?」
「意識の無いアルと一週間向かい合ったことなら」
「あ、あー……確かに、それはキツいなぁ……」
買い出しから戻ったエリック達を待っていたのは船だけではなかった。船が直ったという報告と共に、アルディスが倒れたという知らせを聞くこととなったのだ。
幸いにもクリフォードを一緒に残していっていたために大事に至ることは無かったのだが、これは決して良い状況ではない。マクスウェルに命じられたこともあり、一刻も早くウンディーネとの契約を済ませるべきだろうと慌てて出港することとなったのだ。
「お前は大丈夫なのか?」
「オレか? オレはもう大丈夫だ。操舵室弄ってオレの部屋にさせてもらったし、ここにいる限りは万全体制でいれるから、安心してくれ」
「お、おう……」
言われてみれば、この一室はライオネルの私物と思われるものがいくつも転がっており、操舵室兼彼の自室と化している……天井からハンモックがぶら下がっているのには、流石に苦笑してしまったが。
「目的地までどれくらいかかるんだ?」
「大体五日くらいだと思う。割とかかるな」
「そ、そんなに……ヴィーデ港までなら三日だったんだが……」
「海流やら海底火山やらの都合だな。ちょっと変なとこにあるから、大きく回り道しねぇと駄目なんだ」
器用にも後ろを向いたまま舵輪を操作しつつ、ライオネルはエリックの顔を真っ直ぐに見つめてくる。そして彼は、眼鏡の下の赤紫色の瞳を細め、ふっと笑った。
「お前……あれか。不安になると、じっとしとけないタイプだろ」
「……。否定はしない」
「じゃあ肯定と取るぞ。どうした? 多分、何かあったんだよな? 悪ぃけど、何かあったならルネリアル辺りからまとめて話してくれねぇか? 話し聞くついでにマクスウェル様にご報告をしたいんだ」
マクスウェルとライオネルは視覚と聴覚を共有しているそうなのだが、この場合当然『ライオネルがその場にいない』場合は情報がマクスウェルまで届かない。だから自分がいなかった時の話をして欲しいとライオネルは言い出したのだ。何ならマクスウェルに助言を求めることもできるから、と。
「……え、えーと……」
そう言われ、エリックは頭を悩ませ始める。ゾディートの件はともかく、ゼノビアの件をどうしようかと考えたのだ。流石にライオネルもマクスウェルも、
「その……兄上に、『私はお前の兄ではない』って言われたんだ」
「は? あの人に? あのお人好しが服着て歩いてるような奴に? あの人が自分の弟本気で悩ませるようなこと言ったのか?」
「……。何か、色々気になる単語が出てきたな」
――何だ、『お人好しが服着て歩いてるような奴』って。
言いたいことが分かったのか、ライオネルはくすくすと笑いつつ舵輪へと視線を戻した。別にエリックから視線を逸らしたかったわけではなく、近くに大岩が迫っており、大きく舵を切る必要があったためだろう。事実、彼は少し前方を確認した後、すぐにエリックの方へ向き直った。
「まあ、少なくとも二人は救命してるし、ディアナとも関係あるような感じだしな、兄上……それよりお前、あの二人とは面識あったんだな」
「よく来るんだよ。特にお前の兄貴の方は」
「……は?」
「詳しいことは口止めされてるから言わねぇぞ」
ライオネルは振り返ることなく舵輪を回す。間違いなく操縦の経験など無いだろうに、安定した手さばきから彼の
それにしても、兄のことだけでもここまで口が固いとなると、ゼノビアのことを聞き出すのはまず絶望的だろう。無理だな、とエリックは首を横に振るい、軽く肩を竦めてみせた。
「……それくらい、かな。今はとにかく、アルのことが気になる……アイツは大丈夫でも、他の奴に影響が出るって聞いてるし」
「そうだな。アルディスはむしろ、案外とあっさり何とかなるかもしれねぇ。何かのついでに治ったりするかもな。アイツじゃないの方も、あの妙な容姿見た感じ、多分大丈夫だろう……むしろオレは、お前が心配だ」
「妙な容姿? ……って、僕か? 何を言ってるんだ。僕は、全然……」
話す必要はない、話す意味が無い。そう判断したエリックに投げかけられたのは、予想外の言葉だった。思わず変な笑みを浮かべてしまったエリックを振り返ったライオネルの表情は、ありえないものを見るかのように、微かに歪んでいた。
「お前、マクスウェル様と自分の容姿がそっくりなの見て、何も思わなかったのか?」
「え……?」
マクスウェルと、自分の容姿。
確かに、自分と彼は、恐ろしい程によく似ていた。ある意味血縁関係だからこうなったと、彼は言っていた。それで、納得したつもりだった。
しかし、ライオネルはゆるゆると首を横に振るい、憐れむような眼差しをエリックに向けてきた。
「……。絶対クリフもイチハ兄も、マクスウェル様ご本人もこんなこと言わないから、オレが代わりに言う。オレは、吐き気がする程に気味が悪かったよ」
「そりゃ、ラドクリフの王子が親のような存在に似てたら、気味が悪いだろうさ」
「そうじゃねぇよ! そうじゃなくて……ああもう、上手く言えねぇ! とにかく、お前は悪くない。悪くないからこそ……気味が悪いんだ。お前が不憫で、仕方が無い……」
「どういうことだ……?」
駄目元でそう問えば、ライオネルは視線を泳がせ、息を呑んだ。喋るべきか否か、悩んでいるのだろう。それは守秘義務故か、それとも、彼の意志によるものか。
「もう良い、無理に話さなくても大丈夫だ」
「いや、言っとくよ。手遅れにしたくないし、こんなのオレか、ポプリくらいしか言えねぇだろうから……エリック、こんなことを言うオレのことなんか、“嫌ってくれても良い”。だから、反発せずに真面目に聞け」
嫌ってくれても良い。そう言い切ったライオネルの表情は、強気な彼にしては珍しく、どこか寂しげなものであった。
「……。お前、自分の母親を過信し過ぎるな。少なくとも、“お前が関わっていない”部分では、絶対に信用するな」
「ッ!?」
そして紡がれた言葉は、心を読まれているのかと疑う程に、今のエリックに刺さるもの。動揺が隠せない様子を見てか、ライオネルは物悲しささえ感じられた瞳を伏せ、舵輪にもたれ掛かった。
「多分、多分、な。悪い奴じゃ無いんだ。少なくとも最初は間違いなく善人だった筈だ。ただただ純粋で、だからこそ、おかしくなっちまったんだろう……この先、お前が同じようにならないか、オレは不安だ。お前の母親……女王陛下は、優しい人、なんだろう?」
「……ああ」
「お前も優しい奴だよ。母親に似たんだろうな、その性格は。だから、不安なんだ……そういう奴の心が折れてしまった時、一体何が起こるのか……ってね」
安心させようと思ったのか、ライオネルはふふ、と力無く笑ってみせる。きっと、これ以上のことを彼は話そうとしないだろう。だが、少なからずゼノビアと面識がある、もしくはゼノビアについて彼は何か知っているのだろう。
(ずっと、ルーンラシスにいるんだもんな。ひょっとしたら、クリフォードより色んなことを知っているのかもしれない)
おかしくなってしまった、というのはあの異様なスウェーラルへの執着心のことだろうか。やはり、報告せずとも彼は、そしてマクスウェルはこの件を知っているに違いない。
「……ありがとう、ちゃんと、胸に刻んでおくよ」
彼の忠告は決して、良いものではなかった。しかし真剣な彼の姿を思えば、こう返さずにはいられなかった。微笑み返したエリックを見て、安堵したのだろう。ライオネルは「おう」と短く言葉を発し、ニコリと笑ってみせた。
▼
かつて、一度は沈没しかけた船であったが、そんなことは感じさせない程順調に、船は海上を進んでいった。
結局アルディスは丸二日間眠ったままであったものの、三日目には元気な姿を見せてくれた。彼の容態以外はこれといった問題も起こらず、むしろ良い休息期間となったように思われる。終始操舵室に篭もりきりのライオネルも、時々同能力者のクリフォードと操縦を変わって休息を挟み、無理のない航海を行うことができた――しかし五日後、緊急事態が発生した。
「……、う……」
身体が痛む。それは何故かと薄目を開いて理由を察した。固い地面に寝転されていたせいだ。両腕は後ろ手に拘束されているようであったが、何とか身体を起こすことはできた。
「目が覚めましたか? エリック……」
「ッ、クリフォード!?」
振り返れば、自分と同じように後ろ手に拘束された状態でクリフォードがぐったりと壁に身体をもたれさせている。見たところ外傷は無さそうだが、彼のトラウマを思えばこの状況は最悪だ。だが今のところ、彼は平常心を保てているようであった。
「無事です、大丈夫ですよ。僕を含め、全員無傷です……しかし、油断しました。すみません……まさか、こんなことになるなんて……」
あれから、一体どれ程の時間が経過しただろうか――カプリス大陸に上陸しようとした瞬間、エリック達の意識が一斉に遠のいた。原因は、この大陸全域に張り巡らされていた結界だ。ここに住む聖者一族が外から訪れる者を排除するために生み出したものだろうとクリフォードは語る。
「二度目ですね。僕が余計なこと言って行き先を変えて、お前達に迷惑を掛けてしまうのは……言い訳をするつもりはありませんが、本当に気が付かなかったんです……申し訳ありません……!」
「いやいや、お前は悪くないって……第一、ライオネルが気付かなかった時点でマクスウェルの力も無効なんだろう? 凄まじい結界だな……」
会話をしていたせいだろうか。傍に転がされていた他の者達が目を覚まし、身体を起こし始める。その様子を眺め、クリフォードは微かに顔を歪ませ、奥歯を噛み締めた。
「それに関しては同感です……不幸中の幸いは、皆揃って同じ牢に入れられたこと、でしょうか……」
エリック達は今現在、カプリス大陸に来ている――しかし、彼らが今現在いるのは恐らく、聖者一族の街『レイバース』の中に位置する地下牢だ。
「えぇ……っ!? ろ、牢屋……!? え、ええと……どうしたら……!?」
「困ったわね……術が封じられてるわ。これじゃ牢を破壊して逃走ってわけにもいかないわね……」
「残念ながら、武器も取り上げられて、いますね……物理的突破も、厳しそうです……」
「どうしてポプリとアルは破壊前提で話を進めるんだ!? と、とにかく、どうにかしなければ……! できれば破壊以外で……!!」
牢に放り込まれるという未だかつてない経験をした者、経験があるが故に顔色の悪い者と反応は様々だが、とりあえず物理的に逃走しようとするクロード脳筋義姉弟は止めた方が良いだろう。
「と、とりあえず落ち着け! それと、イチハがいない! アイツの見た目鳥だから仕方ないとはいえ……くそ、本当にどうしたら良いんだこれは……!!」
落ち着けと言いつつ、落ち着ける気がしない。何よりこの場にいないイチハと、目は覚ましているのだが一言も発さないライオネルと「大丈夫」とは言うが恐らく大丈夫ではないクリフォードの三名が心配だ。特にイチハは魔物か何かと間違われて殺されかねない!
「ッ! 皆、静かに!」
騒いでいると、ディアナが声を張り上げた。一斉に口を閉ざせば、カツンカツンと、前方の階段から人が降りてくる音がした。やたら遠く聞こえる靴音からして、ここはかなり地下深くに作られた牢らしい。
「目が覚めたか? 不法侵入者共」
やって来たのは、武装した銀髪の男だった。武装こそしているものの、王国騎士団のような重装備ではなく、どちらかと言うと術師を思わせるような格好をしている。恐らく、
とにかく、ここから出して貰わぬことには話にならない。そう思い、何か言葉を発そうと頭を悩ませる。エリックが考え込んでいるほんの僅かな間に、彼らの前に出ていたクリフォードが静かに口を開いた。
「不法侵入、という結果になってしまったのは謝罪致します。ですが、私達はどうしても、この大陸に大事な用があったのです。貴方々の生活に害を及ぼさないことは約束致します。ですから、どうか解放して頂けないでしょうか?」
「!? クリフォード!?」
彼はあまりにも正直過ぎる程に、自分達の目的を口にした。彼が見上げる男の怪訝そうなサファイアブルーの瞳が、クリフォードの姿を捉えている。
「ヴァイスハイト……それに、その髪色。ブリランテの
「はい。出身はブリランテではありませんが、精霊術師の血統です」
「ほう……つまり、ウンディーネとの契約が目的か。見たところ水属性のようであるし、ヴァイスハイトである貴様ならば、もしかすると可能かもしれない、と……成程、信用に足る話だな」
驚いたことに、クリフォードは開眼した状態で青年と会話しているらしい。しかし、青年は発する言葉に対し、その表情は目の前のクリフォードを蔑むような、卑下するような、そんな嫌味なものであった。そして彼は、口を開く。
「――所詮はヒトの形をした紛い物か。バカバカしい。お前如きに、ウンディーネとの契約ができるものか」
発せられたのは、目の前のクリフォードを酷く傷付けるような鋭利な言葉。
「ッ、あなた……!!」
怒り、飛び出そうとしたアルディスをエリックは咄嗟に止めた。今の彼が飛び出したところで、できることは限られている。そもそも、クリフォードがこの言葉を予測していなかったとは思えない。何か、考えがあってのことなのだろう。
「ええ、僕は普通の人とは違う。そもそも、普通のヴァイスハイトとも違いますよ……だから、ウンディーネとの契約も、僕以外には不可能な筈。事実、数百年間ウンディーネの契約者は現れていないでしょう?」
「は……? 何だ? お前は自分が聖獣ケルピウスの化身だとでも言うのか?」
相変わらず、蔑むような男の視線。しかし、ここまで来るとクリフォードの狙いが何であったかエリック達にも分かってしまった。彼は男がこの言葉を発するように、上手く誘導していたのだ。
そして見事、男は『聖獣ケルピウスの化身』と、クリフォードが狙っていた言葉を発した。ふふ、とクリフォードが小さく笑い声を上げる。
「そうだと、言ったら?」
軽く小首を傾げて彼がそう言えば、男は奥歯を噛み締め、腰に差していた剣に手を掛けた。鈍い輝きを放つ刃が、その姿を現す。
「!? クリフォード!!」
これには思わず、エリックは声を荒らげていた。その声と、大量の血が飛び散るのは、ほぼ同時。遅れて、ポプリの悲鳴が聴こえる。
「クリフォードさん!! な……っ!? なんてことを……!!」
激昂するアルディスを、今度は止められない。エリック自身も、いかにしてこの場を突破するか、そのようなことを考えていた――だが、
「大丈夫ですよ。というより……この人、優しいです。急所を狙いませんでしたし」
穏やかな、クリフォードの声。それを聞いて、皆の動きが止まる。振り返った彼は、額から血を流してはいたものの、平然とした様子で笑ってみせた。
「頭切ったら血が沢山出るものですよ。大体……これくらい被って貰わないと、傷は治りませんし……ねえ、傷は、治りましたか?」
再び男を見上げ、クリフォードは小首を傾げて笑ってみせる。その、明らかに異常な様子に、右手に巻いていた包帯の下が普通の素肌をしていることに、男はガタガタと身体を震わせ始める。
「聖獣ケルピウスの血は、傷を癒します。この状況ではこれ以上ない、証明でしょう? あんまりやり過ぎると貧血起こして倒れちゃいますから、これくらいで勘弁して頂けますか? 今なら……“何もしません”よ?」
「ひ……ッ!? わ、分かった……! 分かった、信じるから……! 出してやるから……!! 俺を、“呪うんじゃない”ぞ……ッ!?」
慌てて鍵を取り出す男の姿を、エリック達は唖然と見つめていた。どうやらクリフォードが「とっておきの交渉術」を使ったらしいことはよく分かったのだが、何だかよく分からない。こればかりは全てが済んでから彼に説明を求めるしかなさそうだ。
「後ろにいるのは、僕の仲間達なのですが」
「……ッ! ぜ、全員は出さないぞ、それでも良いな!?」
取り出しかけた鍵を握り締め、男は牢の中にいるエリック達を睨み付ける。
「金髪と、赤毛の男……それから、桜色の髪の娘、だな。こいつらだけなら、許してやる! お前が何を言おうが、残りのは絶対に駄目だ! 許さないからな!!」
つまり、エリックとライオネル、ポプリの同伴は許可するがアルディス、マルーシャ、ディアナは不可ということだ。この状況である。エリック達が許可されただけでも喜ぶべきだ。怒り狂うのではないかと心配していたが、薄々却下された理由が分かっているらしい。アルディスとディアナは意外にも黙り込んだままであった。ここで自分達が騒いで、クリフォードの交渉を無駄にするべきではないと分かっているのだろう。
「ッ、何で……!?」
「そ、そうだ! 藍色髪の私やノア皇子が駄目なのは、まだ分かる……! だが、彼女は……!!」
しかし、マルーシャは訳が分からないと声を震わせている。彼女に関しては、無理もないだろう。ディアナも、せめてマルーシャはと男に向かって声を発した。しかし、男は首を横に振るう。
「『気持ちが悪い娘』だと、教皇様が仰ったからだ。俺も理由は知らん……だが、忌み子と同じ髪色の貴様と、皇子以上に教皇様はそこの娘を嫌悪していた。だからだ」
「え……」
「ッ、お前……!」
気持ちが悪い娘――マルーシャの黄緑色の瞳が潤む。エリックは拘束された両の拳を握り締め、男へと向き直る。だが彼女は、「待って」と小さく呟いた。
「マルーシャ……?」
振り返ると、彼女はゆるゆると頭を振るい、無理矢理に笑みを作ってみせた。
「怒ってくれて、嬉しいよ……でもね、お願い、我慢して。ジャンと一緒に、行ってきて」
「ま、マルーシャ……!?」
「わたし達、大人しく待ってる。大丈夫だよ」
泣くのを我慢して、必死にマルーシャは笑っている。あまりにも痛々しく、見ているこっちが叫びたくなるような姿だった。そんな彼女を見つめているうちに、錆びた重々しい扉が開いた。
「俺からも……お願い。ごめん……俺が、キレそうだから、早く」
怒りに震えながらも、懸命に自分を律している様子のアルディスが、翡翠の瞳をこちらに向けている。ディアナに視線を移すと、彼女も悲痛な面持ちのまま、静かに頷いてみせた。
「残していくことを承諾する代わりに、こいつらに危害を加えないと約束してくれるか?」
拘束を解かれ、牢の外に出された後、エリックは男に問いかける。返答次第ではこの場で押さえつけてやるつもりであった。だが、男は顔色一つ変えずに言葉を紡ぐ。
「お前らの行動次第だ。契約後、真っ直ぐにここに戻ってこい。そうすれば、こいつらを解放してやる」
「……その言葉に、偽りはないな?」
契約を完了し、戻ってきたらアルディス達が死んでいた、等ということが起きて欲しく無い。威圧的な目を男に向けているのを覚悟で、エリックは男に再び問う。その問いに、さらにクリフォードが言葉を重ねてきた。
「彼らは、僕にとって恩人なんです……恩を感じている彼らに何かあれば、僕の命に代えてでも、貴方々を“祟り殺します”――良いですね?」
「ッ!?」
それは、聞いているだけでゾッとするような、その場の空気さえ冷え切るような発言。男が震えながらも頷いた時点で、これは真実なのだろう。
「エリック、大丈夫です。ケルピウスの祟りは本当に“島くらいならあっさり沈めます”から……行きましょう?」
「あ、ああ……」
ケルピウスは恐らく、恩を感じた相手に尽くす存在であると共に、恨みを感じた相手を祟る存在なのだ――装備品を返されながら、エリックはしれっと怖いことを強調して口にしたクリフォードに微かな恐怖を感じつつ、彼が味方であることを心の底から安堵していた。
―――― To be continued.