テイルズ オブ フェータリアン ー希望を紡ぎ出すRPGー   作:逢月

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Tune.65 堕ちた侯爵家と仮初めの王子

 

「ここが……シャーベルグ……」

 

 ローティア平原、ラファリナ湿原を数日掛けて越え、エリック達は大都市シャーベルグへとやって来た。湿原からやってくる魔物対策なのだろう、レンガ造りの高い塀に囲まれたそこは、遠目から見ると巨大な建築物のように見えた。

 

「すごい……! すごい、何もかもが大きいぞ……!」

 

「そうだな。機嫌が治ったみたいで良かったよ」

 

 道中(特にラファリナ湿原で)、あまりの湿気に不機嫌になっていたディアナだったが、初めて踏み入れる大都市に目を輝かせている。そんな彼女の様子を微笑ましく眺めながらも、エリックは都市に近付くにつれて汚れていく空気を敏感に感じとっていた。

 

 

「瘴気がどうこうってわけじゃないよな。妙に呼吸が苦しくなるんだが……?」

 

 シャーベルグはオブリガード大陸と物理的に近い位置にある。しかし、この都市は精霊の加護を受けているとは思えない程に空気が澱んでいる。ノームの神殿とルネリアルのような関係は築けていないらしかった。首筋を抑え、深呼吸するエリックの傍で、クリフォードが小さく唸る。

 

「んー、精霊自体が極端に少ないようですね」

 

「つまり、精霊にとって暮らしにくい都市ってことか?」

 

「そう考えるのが早いな。恐らく、エリックの不調は体内精霊達の拒否反応から来ているのかと。あまり長居するとライの身体に障りそうです」

 

 そう言ってクリフォードはチラリとライオネルの顔色を伺う。つられてエリックもライオネルへと視線を移した。

 心なしか、彼の顔色が悪い。呼吸も少々苦しげだ。エリックの視線に気付いたのか、彼は困ったように笑い、肩を竦めてみせる。

 

「否定したいけど、無理だなこりゃ。マクスウェル様の加護が弱くなってる。ついでにイチハ兄も駄目だ。完全に意識やられてる。もはやただの鳥でしかないぞ」

 

「でしょうね……しかし、シャーベルグはここまで精霊が少ない都市だったか? 十四年間でここまで変わるのでしょうか?」

 

 塀の切れ目、唯一の出入り口である門に繋がるこれまた巨大な橋は、もう目の前だ。

 不思議そうに前方を眺めるクリフォードの表情は落ち着いており、これといって心配すべきものは無いように感じられる。密かにエリックは、彼の精神状態を心配していたのだ。

 

 

『クリフォード、無理なら無理で良いんだぞ。ディアナとポプリはまあ置いといて……お前に関しては、その……』

 

 ここに来るまでの間、エリックはクリフォードに対して「本当に大丈夫なのか」と探りを入れていた。

 シャーベルグはクリフォードの生まれ故郷であり、彼の精神に致命的な傷を残した場所でもある。だからこそ、この地に来ても大丈夫なのかどうかが酷く気になったのだ。

 

『ありがとうございます。でも多分、僕が駄目なのはトゥリモラだけだ。シャーベルグに関しては、本当に何とも思っていないんです……家から、一度も出たことが無かったので。街並みを見るだけで錯乱はしないさ』

 

 しかし、彼はあまりにもこの地で「生きた」という記憶が無かった。だから大丈夫なのだと、彼は笑ってみせた。

 家から出たことが無いのに、街並みだけで恐怖を抱く程に、自分は堕ちてはいない――それは彼がヴァイスハイトであったが故の、虐待されて育ったが故の、皮肉な幸運だった。

 

 

 そのまま、エリック達は街の内部へと足を進めていく。橋を渡り、門を抜けた先にあったのは、ルネリアルやディミヌエンドのような統一性は無いものの、賑やかに立ち並ぶ数々の建築物。古今を問わない多く建築様式が一斉に集ったようなこの空間は非常に面白く、興味をそそられるものであった。

 

 しかし、この地の最大の特徴はそこではなく、街自体が階層に分かれていることだろう。大きく分けて下層・中層・上層と三つの階層に分かれており、縦に伸びたような街並みだ。巨大な塔を思わせるような作りのこの街では、あちこちで昇降機が作動している。

 文明の進歩を感じさせる街並みとは対照的に、自然物はルネリアルと比較すると全くと言って良い程に無く、全体的に無機質で人工的な印象を与える都市であった。不思議な場所であるが、その不思議さと間違いなく存在する利便さゆえに多くの人々が訪れるのも納得できる。

 

「……悪い、エリック。造船場着いたら、オレは抜ける。この状態であちこち移動するのは、流石にきっつい……」

 

「ああ、分かった。何か買ってきて欲しいものがあったら、言ってくれ」

 

 しかし、利便さを追求することによって、人々は精霊達への配慮を忘れてしまったのだろう――精霊達の加護が受けられないせいか、ライオネルは笑ってこそいるが、冷や汗を流しながら胸元を押さえている。イチハは精神汚染が進んでいるようであるし、相当なものなのだろう。

 

「……エリック」

 

 この地が肉体的に辛いと感じるのは彼らだけでは無かったようで、どこか弱々しいアルディスの声が聞こえてきた。

 

「精霊の加護って、大事だね……俺も、造船場着いたら、離れても良い? ごめん……」

 

「いやいや、むしろその方が良い。アルは目立つのも良くないだろうし、お前も何か買うものあったら言ってくれ」

 

 ここに来るまでの戦闘で疲れが出てきたのか、呪いの影響なのかは分からないが、アルディスが少々ふらついている。彼も早いところ休ませた方が良さそうだ。そう言うエリック自身も、決して無理はできそうにない状態であったが。

 

 ひとまず造船場を目指そうと、昇降機には乗らずに下層エリアの奥へと向かう。造船上は住宅街を経由した先にある。進めば進む程に、少しずつ人の姿が増えていく――そして、ある問題に気付いてしまった。

 

 

「すみません、僕も彼らと一緒に退場した方が良さそうですね……」

 

「ははは……何なんだ、これ……」

 

 ひそひそと、こちらを見ながら人々が話をしている。その視線の先は王子であるエリックや容姿の目立つアルディスやディアナではなく、クリフォードだった。彼だけが、妙に悪目立ちしてしまっている。

 彼は別に開眼もしていないし、風貌だけを見ればただ目を閉じているだけの普通の人間だ。彼がヴァイスハイトであるということを、見抜ける人間はまずここにはいないだろう。

 では、何故このようなことになっているのか。エリックは強烈な既視感を覚えながら、頭痛を耐えるように頭を押さえた。

 

「悪いが、それで頼む。生まれ故郷を見て回りたかったかもしれないが、今はちょっとやめた方が良い……そうだよな、マルーシャの父親はお前の容姿でジェラルディーンの次男って見抜いたもんな……」

 

「ああ、あの場所でも見抜かれたんですね……いや、別に街並み見たかったわけではないのですが……もう、本当に……母の遺伝子が怖いんですけど……」

 

 

――母、というよりは大体全部ダリウスのせいだ。

 

 

 ダリウス、もとい黒衣の龍副団長ダークネスは現在指名手配中である。そういう意味で視線を集めてしまうのもあるだろうし、クレールのようにジェラルディーン嫡男時代のダリウスを知る者ならば、クリフォードの容姿を見て色々引っかかるものがあってもおかしくはない。

 優性遺伝らしく、ラドクリフ王国でもそこまで希少ではない空色髪だが、ここシャーベルグでは酷く悪目立ちしてしまうようだ。せめて、クリフォードとダリウスの容姿が似ていなければ良かったのだろうが……。

 

「その、あたしは前科あるからこそ、言うんだけど……似てるのよ、ねぇ。多分、どっちかを見慣れてないと、一緒に見えると思うの……ダリウスは普段目元隠してるし、今のクリフの状態が素顔って思われてるのかも……」

 

「あはは……困ったな。あまり気にしていなかったのですが、僕も容姿を隠して生活した方が良いのかもしれませんね……覆面でも買ってこようか」

 

「覆面は尚更目立つだろやめてくれ……とりあえず造船場に行こうか。ディアナは街が見たいだろうから連れていくとして、アルとクリフォードとライオネルは待機だ。どのみち買い出しはしとくべきだから買い出しだけさっさとしてくる。船ができてなければ時間潰してくる。これで良いな?」

 

 これで変な行動を起こせば、一発で騒ぎになってしまう。それだけは色んな意味で避けたい……エリック達は人々の視線に耐えつつ、そそくさと早歩きで造船場へと向かっていった。

 

 

 

 

 造船場には、エリック達がかつて破壊してしまった船が一回り小さくなってしまった状態で停まっていた。修復まであと何日も掛かると言われてしまったらどうしようかと思っていたのだが、幸いにも半日もすれば動くようになるらしい。

 その間に買い出しを済ませようという話になり、予定通り、エリック、マルーシャ、ディアナ、ポプリの四人で買い出しを行い、残りの三名がここで待機という形になった。

 

 エリック達は造船場を出て、商店街があるという中層エリアへと向かった。近くにあった昇降機に乗り、流れていく風景を楽しむ。造船場を持っていることもあり、この街は海や川に囲まれた作りになっている。賑やかな街並みを眺めるのも悪くないが、陽光に照らされてキラキラと輝く水面もとても美しい。

 

(……あれ?)

 

 綺麗な風景を見てほっと息を吐くエリックであったが、昇降機が中層エリアで止まらなかったことに気付いてしまった。これは風景を眺めている場合ではないと、慌ててポプリに視線を移す。

 

「……。乗る昇降機を間違えたみたいね。これ、多分上層エリア直通の昇降機だわ」

 

 あーあ、とポプリは苦笑して小さくなっていく下層エリアの街並みを眺めた。かなり高いところまで上がってきているらしい。マルーシャも「あはは」と乾いた笑い声を上げている。

 

「ごめんね、わたしが気付けば良かったんだけど……上層エリアから降りるの面倒くさいんだよね。上層エリアって貴族街だからか、そもそも昇降機が少ないから……」

 

「これにそのまま乗って降りられないのか?」

 

「これは昇り専用だから無理かな。昇降機って名前だけどね」

 

 マルーシャの話によると、上層エリアを繋ぐ昇降機は昇るか降りるかのどちらかしか出来ないものばかりなのだという。それはもはや『昇降機』では無いだろうと言いたくなったが、ここで暮らしている貴族達が急な襲撃に合わないように、行き来が面倒臭い作りになっているらしい。

 

「も、勿論チェンバレンってここに住んでるんだよな?」

 

「うん、そうだね……貴族街だし、貴族はみんな上層エリアに住んでるかなぁ……ここは旧ジェラルディーン領だけど、実質チェンバレン領みたいな感じだし……」

 

「……というより、今となっては全域チェンバレン領みたいなものなんだろ? 分かった、あまり目立たないように気を付けながら進もう」

 

 これはさっさと上層エリアを抜けるべきだ。でなければ少なくともディアナ以外の面々にとって面倒なことになりそうだ。ディアナもディアナで面倒なことに巻き込まれない保証は全くない。うっかりチャッピーから転落するようなことがあれば大惨事だ。

 

(ただ、綺麗な場所ではあるんだよなぁ……)

 

 青々と広がる空の真下に広がるのは、下層エリアには全くなかった自然。それらは人工的に植えられた街路樹や花壇、芝生のみではあるものの、それでもあるのと無いのとでは全く雰囲気が違う。立ち並ぶ屋敷はどれも白く輝く石を主体に使っており、どことなくラドクリフ城に近いものを感じられた。案外、立ち並ぶ屋敷は全て国のシンボルとも言える城とデザインを合わせているのかもしれない。

 淡い灰色の敷石が描く道筋から少し逸れた場所には、しっかりと均等に整えられた街路樹の葉と、辺り一面に広がる芝生。一定の法則に従って植えられたカラフルな花々。そして所々に浅い水路が張り巡らされている。水路には一切の濁りが無い、無色透明な水が流れていた。

 

 確かに自然に囲まれた空間ではあるのだが、ここはルーンラシスのようなほっと息を吐けるような場所ではなく、まっさらなキャンバスの上に描かれた、見事な芸術作品を思わせるような場所であった。

 仮に死後の世界、『天界』というものがあるのならこのような場所だろうかと考えていたエリックの目が、ある屋敷を捉えた。

 

「ん……?」

 

 そこは周囲にある建物と比較すると、妙に規模が大きな屋敷だった。しかし手入れが行き届いていないのか白塗りの壁は薄汚れて枯れかけた緑の蔦を纏い、所々にひびが入ってしまっている。屋敷周囲に植えられた木々は好き放題に枝を伸ばしており、花壇には花という存在がない――統制された上層エリアの中で、明らかに異様で、浮いた存在の屋敷だった。

 

「なあ、マルーシャ。ここ、旧ジェラルディーン領って言ったよな?」

 

「うん……ここ、ジェラルディーンのお屋敷だね」

 

「やっぱり、そうか……」

 

 ここは、ジェラルディーン侯爵家の屋敷だった。かつては壮観で美しかっただろう建物が劣化しきった様を眺めていると、何とも言えない思いが込み上げてきた。

 

「……」

 

 おもむろにエリックは屋敷に向かって頭を下げ、踵を返す。過去は、変えられない。変に考え込んでしまう前に、早くこの場を離れようと思ったのだ。

 

 

「おやおや、これはこれは……」

 

「……ッ」

 

 しかし、そういう訳にはいかなかったらしい。目の前に現れた中年男性は、ニタニタと笑いながらマルーシャとポプリを交互に見ている。

 

「揃いも揃って、墓参り、ですか? いやぁ、感心感心」

 

 茶髪に赤い目をした、色黒肌でかなり長身の男性。ちらちらと覗く歯は尖っており、エリックと同じ純血龍王(クラル・ヴィーゲニア)であることが伺える。男の名を知っているエリックは何か言いたげなマルーシャ達の前に出、口を開いた。

 

「お久しぶりです、チェンバレン卿。まさか、こんなところでお会いするなんて……私も運が良い。お元気でしたか?」

 

 社交辞令とはまさにこのことだ。にこやかに微笑みながら、エリックは男――チェンバレン子爵家当主、ドゥーガル=チェンバレンの元へと歩み寄る。何とか自分にだけ注意を向けさせようと思ったのだが、ドゥーガルはそう甘い男ではなかった。

 

「ええ、お陰様で。ところでアベル殿下、あなたと一緒にいる娘のことなのですが……ああ、ウィルナビスの小娘ではなく、そこの桜色の髪の方です」

 

「ッ!」

 

 本当に、エリック以外はどうでも良いとでも言いたげな口振りだった。ドゥーガルの言葉にマルーシャとポプリが揃って萎縮してしまったのを感じ取り、エリックは笑みを絶やさぬように気を付けつつ、わざとらしく肩を竦めてみせた。

 

「チェンバレン卿……少々、言葉遣いが荒いようですが、何か気に障ることでも?」

 

「いえ、あなた様に対しては全く? ただ、そこの娘……クロードの一人娘に対して、色々と聞きたいことがありまして、ねぇ?」

 

 嫌味な笑みを向けられ、カチンと来たのだろう。ポプリは無表情のまま、静かに口を開いた。

 

「……。何でしょうか?」

 

「返事をした……ということは本当に“ポプリお嬢様”なのですね。いやはや、まさか本当に自身の領土を離れて旅をしてらっしゃるとは、驚きましたよ」

 

「ええ、そうです。今は、アベル殿下と共に旅をしております。それが何か?」

 

 ポプリはあくまでも冷静に、淡々と言葉を返す。ただ、彼女の表情は変わらない。余程ドゥーガルの態度にイライラしているのだろう。無論、その気持ちはただ様子を見ているだけのエリックにも分かるのだが。

 

「いやぁ、特に何も言うことはございません。ただ、あれだけ寂れた故郷を放り出すなんて、私にはとてもとてもできませんなぁと」

 

「ああ……なるほど。まあ、そのように思われても仕方ないでしょうね」

 

「故郷で、復興作業に励もうとは思わなかったのですか?」

 

「ペルストラには、わたくし以外にも大勢の人々がいます……だから、わたくしは社会勉強を優先した。ただ、それだけです。冷たい領主だと思ってくださっても結構です」

 

 まるで人形のように、ポプリの表情が変わらない。苛立ちを隠すために、感情を押し殺しているのかもしれない。いつもとは違う彼女の様子に驚きつつも、エリックは二人の様子を見守り続ける。

 クレールは「チェンバレンがペルストラの統治権を得ようとしている」と言っていた。そして恐らくポプリは、そのことを知っている。だからこそ、相手に自分の感情を読ませないような態度を取っているのだろう。

 わざとポプリを怒らせて情報を引き出そうと考えていたのか、相手の一貫した態度を見たドゥーガルはやれやれと肩を竦めて赤い目を細めてみせた。

 

「まあ、ポプリお嬢様の件は良いでしょう……それにしても、イリスお嬢様はいつ見てもお美しい……お美しいのですが、恐ろしい程にご両親とは違う顔立ちですねぇ……」

 

「……ッ!」

 

 ポプリを問い詰めるのを諦めたのか、ドゥーガルはマルーシャへと視線を移す。完全に“格下”だと考えているのだろう。彼の顔からは、歪な微笑がそげ落ちていた。

 

「アベル殿下も、不思議だと思われないのですか? あまりにも、似ていない娘……奇妙だとは、気味が悪いとは、思われませんか?」

 

「な……っ!」

 

 エリックはドゥーガルと面識が無いわけではなかったし、それなりに会話をしたこともあった。しかし、ここまで突っ込んだことを聞かれるのは初めてだ――酷くチェンバレン家を拒絶していた辺り、マルーシャは彼や彼の家族とよく話しているのだろうが。

 

「そう、ですね……私は特に、気にしてはいませんよ。むしろ、彼女のような聡明で麗しい人物と婚約関係にあることを誇りに思っております」

 

 突然の問いに驚きつつも、エリックは頭を振るい、再び微笑みを浮かべてみせる。両の拳は強く握り締められ、爪が手のひらに食い込んでいた。

 

「ですので……そういうの、やめて頂けませんか? 正直、とても不愉快です」

 

「! え、エリック……!?」

 

 ちゃんと笑えているか、自信が無い。軽く小首を傾げてみせれば、ドゥーガルは一歩後ろに下がってしまった……多分、笑えてないなとエリックは気付いてしまったが、この際どうでも良いことにする。

 信じられないとでも言いたげにマルーシャが顔を見上げてくるので、エリックは黙って彼女の頭を撫でた。これで引き下がってくれれば良い。そう思ってエリックはドゥーガルへと視線を移す。

 

「いや、しかしですね……アベル殿下。イリスお嬢様の容姿は、到底ありえないようなものであって……」

 

 しかし、困ったことに彼には引く気がないらしい。チャッピーの手綱を握り締め、ローブを目深に被ったディアナが震えている。相当怒っているようだが、彼女が口を出せば非常に面倒臭いことになってしまう。それを理解しているのだろう……が、このままだと時間の問題かもしれない。

 

「あのですね、チェンバレン卿……」

 

 ここは強めに出て、さっさと退けてしまった方が良いだろう。そう思ったエリックの視界に白いローブを身に纏う人物が現れた。

 

 

(……?)

 

 エリックと同じくらいの身長であることを考えれば、恐らく男性だろう。

 魔術師のように見えるその男の顔は、ローブと一体化したフードに隠れて全く見えない。少なくとも、ここに住む貴族では無さそうだ。一体どこに隠れていたのか、男はドゥーガルから少し離れた場所で立ち止まり、躊躇うことなく口を開いた。

 

「不毛な話だ。お前がどう思おうが、最終的にウィルナビス嬢が選ばれたという事実には関係ないだろう? 何の問題がある?」

 

 聞き覚えのある落ち着いた声が、静かな空間に響き、ドゥーガルは慌てて背後を振り返る。

 すると男は顔を隠すフードを下ろすと共に、ローブの中に手を入れて隠していた髪を豪快に外に出した。

 

「ッ!?」

 

「……き、貴様……ッ!!」

 

 フードの下から現れたのは、色白の肌を際立たせる漆黒の長い髪。切れ長の銀の瞳で目の前のドゥーガルを蔑むように見た後、男――ゾディートはエリックへと視線を移した。

 

「あ、兄、上……?」

 

「アベル、お前も大変だな。コレ相手に強く出ると、お前の立場だと後々面倒なのだろう?」

 

「え!? ええ、と……ですねぇ……?」

 

 全くもってその通りなのだが、そういう問題ではない……助かりは、したのだが。

 突然の兄の登場に固まってしまったのはエリックだけではない。怒りを隠しきれていなかったディアナとポプリ、そして何も言い返せずにいたマルーシャもぽかんとした表情をしている。

 

「ふん、そうか。貴様も“選ばれなかった側”の人間だからな! どうだ? 弟に王位継承権を奪われた気持ちは? 情けないとは思わんか?」

 

 ゾディートが王位継承権を持たない王子であること、加えて指名手配中の身であるためか、ドゥーガルはかなり強気な態度を見せている。

 だが、彼の問いにはエリックも引っかかるものがあった。「弟には与えられた王位継承権が自分には無いこと」を彼自身は一体どのように考えているのか。今までずっと、気にはなっていたのだが、当事者である以上、聞くことが出来なかったことだ。

 あまり良くない考えであることは分かっているが、ドゥーガルがこれを聞いてくれて良かったと思う。ゾディートの解答次第では、エリック自身の今後の立ち振る舞い方も考えなくてはならない。

 

「……?」

 

 ドゥーガルの問いに激昂するのではないかと思っていたのだが、杞憂だった。ゾディートは何故か拍子抜けしたような表情でドゥーガルを見つめている。そして……。

 

 

「愚問だな……普通、私のような者を選ばないだろう? 当然の結果だ。何とも思わん……まさかお前なら、私を選ぶというのか? それこそ、奇妙で気味が悪く、ありえない決定だろう?」

 

「は? 兄上……?」

 

 

――こんなことを、平然と言い放った。

 

 

「……」

 

 ゾディートは思わず声を出してしまったエリックをそれこそありえないようなものを見るような目で見た後、再びドゥーガルへと視線を戻す。一方のドゥーガルはこんなことを言い返されるとは思っていなかったのだろう。わなわなと悔しそうに震え、奥歯を噛み締めている。

 

「そうか……なるほどな。本当に貴様は、“捨て犬”だったのだな……その恩を忘れ、“飼い主”を噛み殺したというのか……ヒース家の恥さらしめ。前王も貴様を拾ったことを公開しているに違いない!」

 

(な……っ!?)

 

 “捨て犬”、“飼い主”――これらの言葉が、何を示しているのかを察せない程、エリックは愚かではない。

 前王の旧名は、ヴィンセント=ヒースだ。つまり、ゾディートは元々ヒース家の人間だった、ということになる。それどころか、ドゥーガルの言い方からすれば……。

 

「ふふふ、どうだ? 何か言ってみろ」

 

 相手を怒らせ、言質を取る。それがドゥーガルの立ち回り方なのだろう。本当に陰湿で、嫌気がさすやり方だ。だが、その挑発に軽々しく乗る程、ゾディートは短気では無かった。

 

「……だから?」

 

 軽く首を傾げ、腕を組んだ状態でゾディートはドゥーガルに問いかける。怒り狂う気配等、微塵も無い。

 

「何が『だから?』だ。否定も弁解もせんのか?」

 

「否定も弁解も面倒だ。お前ごときに労力を使う必要は無いと判断した……それとも、何か言って欲しかったか?」

 

「ち……っ、時間の無駄だ! 貴様なんぞ、さっさと女王陛下に突き出すべきだったな。衛兵を呼んでやる!!」

 

 一切変わらないゾディートの態度。勝ち目が無いと判断したらしいドゥーガルは、目の前のゾディートを突き飛ばすようにして走り去っていく。衝撃で若干ふらつきこそしたが、その場に踏みとどまったゾディートはやれやれと肩を竦め、ジェラルディーンの屋敷を見上げた。

 

 

「……。アレは本当に衛兵を呼ぶな。このままここにいると捕まる。さっさと移動したいが……」

 

「あ……もしかして、ダリウスも一緒なのですか?」

 

「ああ。私達は本当に“墓参り”をしに来たからな。知っているようだから話すが、当事者が不在というのもなかなかおかしな話だろう? まあ、連れてきたのは、初めてだが……」

 

 意外にも、ゾディートはエリックの問いに素直に答えてくれる。しかも、その表情はどこか柔らかなものだった――ここ数年、見たことのない人間味を帯びた表情だ。

 

 何を思ったか詳細を語ってくれたゾディートの話によると、ジェラルディーン夫妻の墓は屋敷の中央にある中庭に作られているのだという。

 妻のシェリルは純血鳳凰(クラル・キルヒェニア)ゆえに表に出せない存在であったし、彼女を心から愛していた夫のディヴィッドの墓を離す気にはなれず、夫妻共に屋敷内に墓を作ったそうだ。

 チェンバレン家や他の貴族達に屋敷を取り壊されないようにと、ゾディートは定期的にここにやって来ていたそうだ。要は勝手な行動を起こされないように、圧力を掛けていたのだろう。

 

 どうやら当事者であるダリウスとは別行動を取っているようなのだが、姿が見えない。この様子を見る限り、屋敷から出てこなくなってしまったのだろう。

 

「……まだ、早かっただろうか」

 

 ダリウスの境遇を考えれば無理もないが、屋敷を見つめるゾディートの瞳は、どこか不安げだった。本気で心配しているのだろう。

 

「兄上、少し見ない間に、随分と、その……表情が……」

 

「豊かになった、とでも言いたいのか? 単純にお前と一緒にいなかっただけだろう……豊かになったこと自体を否定はしないが……それより」

 

 屋敷から視線を外し、ゾディートはエリックを見る。その表情から、何やら「呆れられている」らしいことが伺えた。

 

 

「アベル、まさかとは思うが……お前は本気で、私を血の繋がった兄だと思っていたのか?」

 

「うっ、えぇっ!?」

 

 

 投げかけられた質問に動転し、エリックは後ろに控えている仲間達へと視線を移す。困ったことに、彼女らもゾディートと全く同じような表情をしていた。

 

「……いや、その……失礼ながら、どう見ても種族から違うだろう……? 黒髪って、暗舞(ピオナージ)特有のものじゃないか……」

 

「そもそもエリック君の両親って金髪赤目よね? 仮に完全に兄弟だとしたら、一体どこから黒髪銀目の遺伝子を引っ張ってきたのよ……」

 

「流石にわたしも、連れ子さんだろうなぁ……くらいには思ってたんだけど……」

 

 どうやら完全にゾディートを“兄”だと思っていたのはエリックだけだったらしい。疑ったことが一度も無いとは言わないが、ゾディートの容姿は遺伝子の奇跡か何かだろうと、そう思っていたのだ……王子という立場上仕方がないが、色々ありすぎて考えるのが嫌になり、思考停止していたことは確かだが。

 だからといってまさか、面と向かって「兄弟ではない」と言われたに等しい展開になると、誰が予想したか。

 

「その……」

 

 何も言えなくなって、ただ狼狽えるだけになってしまったエリックを見て、ゾディートは額を押さえながら深く、本当に深く、ため息を吐いた。

 

「……。この、たわけ」

 

 たった五文字の、短い言葉。そこに込められた複雑な思いを感じ取ってしまえば、もう何も言えなくなってしまった。どうにか話を変えたいと思っていた、そんな時、屋敷の扉がゆっくりと開いた。

 

 ダリウスだ。彼も薄紫色のローブと黒のロングコートといった具合にゾディート同様普段と全く違う格好をしているが、フードで顔を隠していなかったために、すぐ分かった。

 

「……」

 

(ダリ、ウス……?)

 

 落ち込んでしまっているのか、その表情は酷く陰鬱なものであった。目は虚ろで、何故か額からは血を流している。何かに強く打ち付けたような傷だった。

 

「ダリウス、すまないが恐らく衛兵を呼ばれた。場所を移動するぞ」

 

 ゾディートがダリウスに声を掛ければ、ダリウスは顔を上げて頷き、彼の傍へと駆け寄った。エリック達の存在に気付いた様子ではあったものの、彼は何も言わなかった――否、言える精神状態ではなかったのだろう。

 

「承知しました……お待たせしてしまい、申し訳ありません」

 

「……気にするな。それよりお前、また……」

 

 近くにやって来たダリウスの額を見て、ゾディートは僅かに顔をしかめる。だが、特に多くのことは聞かず、彼は自身の胸元に手を当てて魔力を高め始めた。

 

「小さき者、瞬きの円輪を描かん――ピクシーサークル」

 

 ゾディートが素早く詠唱を終えると共に、淡い緑色の円輪がダリウスを中心に展開され、額の傷を癒す。ゾディートは懐からハンカチを取り出し、彼の頬を伝う血を拭った。

 

「殿下……」

 

「まだ、これくらいなら普通に使えるな……良い実験になった。礼を言おうか」

 

 ダリウスが、一体どんな表情をしていたのか。それは、ゾディートが被せたフードによって遮られ、窺うことは叶わなかった。少なくとも、今のダリウスが本調子では無いことは確かだ。エリック達の前で虚勢を張るだけの気力も無い彼がドゥーガルと対峙していたら、一方的に言い負かされてしまった可能性もある。彼が屋敷からすぐに出てこられない状態になっていたのは、不幸中の幸いだったとも言えるだろう。

 ゾディートは黙ってダリウスの背を押し、先に行くようにと促す。彼が歩き出したのを見て、ゾディートはエリックへと視線を戻した。

 

 

「アベル……これだけは教えておこうか」

 

 風が吹き、ゾディートの黒髪が白いローブの上を流れる。彼は一息吐いた後、どこか憂いを帯びた表情を浮かべ、語り始めた。

 

「私はヒース家の前に捨てられていたところを父に拾われ、養子となった人間。ドゥーガルの言うように、捨て犬と変わらん存在だ……父が王家に入った際、名を変えて共に王家に入り、“公表はしていなかったが実は存在していた”第一王子、という立場になった……だが、当然ながら王族の血は引いていないから継承権は無い。そもそも、奴らは私を監視するために近場に置いておきたかっただけなのだろう」

 

「え……」

 

「無理もない話だが、女王は私を好いていない。当時は私だけ放り出されるかと思ったが、そうはならなかった。というより……いや、これは言わない方が良い、か」

 

 驚くエリック達に向かって、ゾディートはふっと笑みを浮かべてみせる。久々に見る、兄の笑顔だった――しかし、何も嬉しくなかった。その笑顔は決して、明るいものではなかったからだろう。

 

「そこの純血鳳凰(クラル・キルヒェニア)の娘が言うように、私の髪は暗舞(ピオナージ)特有の黒髪。さらに肌の色を考えればダリウスやクリフォードと同じ、限りなく鳳凰族(キルヒェニア)寄りの体質なのだろう……だが、正直なところ詳しいことは全く分からん。黒髪だから暗舞の子かと思えば、目覚めた能力はそうとは思えない妙な物だった。だから、私は案外まともな生まれ方をしていないのかもしれない。人の子では無い、と言われても驚かない自信がある」

 

 白いローブをまとっているせいなのか、兄は恐ろしい程に、息を呑む程に、美しくも儚い存在であるように感じられた。

 兄の、氷のような銀の眼差しはエリックを真っ直ぐに捉えている。

 

「そんな私を、兄と慕う愚弟よ……忠告しておく。少しは、人を疑え。そうでなければ、心が壊れるぞ」

 

 すっと、背を冷たいもので撫でられるような感覚がした。固まってしまったエリックの横を、ゾディートが通り過ぎて行く。

 

「恐らく、次に会う時は敵同士。その時は、私を殺すつもりで来い」

 

「……あっ、兄上……!」

 

 その横顔が、兄が、何故か今にも消えてしまいそうに感じられ、エリックは思わず手を伸ばした。咄嗟に掴んだのは、兄の手首だった。

 

「ッ!?」

 

 元々、兄は女性と大差無いのではないかと思う程に華奢な体格の持ち主だった。恐らく単純な筋力ではエリックの方が圧倒的に上だろう。

 しかし、たった今掴んだ、普段は衣服に隠れている手首はやけに――それこそ、病的なものを感じる程に、細かった。

 

「……ッ!」

 

「あ……」

 

 驚くエリックの手を振り解き、ゾディートは何も言わずに立ち去っていく。その背を追いかけようとしたが、両足が地面に縫い付けられたかのように、動かない。たらりと、頬を冷や汗が伝っていく。ドクドクと、心臓が煩く脈打っている。

 

「エリック……?」

 

 余程酷い顔をしていたのか、マルーシャが心配そうにエリックの顔を覗き込む。彼女の顔を見て、エリックはハッとして深く息を吐き出した。胸元の服を強く握り、ゆるゆると首を横に振るう。違う、気のせいだと、自分に言い聞かせるように。

 

 

『アベル……これだけは教えておこうか』

 

『そんな私を、兄と慕う愚弟よ……忠告しておく。少しは、人を疑え。そうでなければ、心が壊れるぞ』

 

『恐らく、次に会う時は敵同士。その時は、私を殺すつもりで来い』

 

 

 兄が言い残した言葉。向けてきた表情。白い衣を身に纏う、儚き兄の姿は。

 

(まるで、遺言……みたいじゃないか……)

 

 

――これが『最期』だと、言わんばかりのものであった。

 

 

 

―――― To be continued.

 




 
ゾディート(お忍び服)

【挿絵表示】


ダリウス(お忍び服)

【挿絵表示】


(絵:長次郎様)

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