テイルズ オブ フェータリアン ー希望を紡ぎ出すRPGー 作:逢月
「すごいな……本当に、これ、あなたのためだけに作られた塔なんだな……」
「きゅー!」
ラドクリフ城からさほど離れていないシンプルな作りの円柱状の塔。その塔はただひとりの王子のために作られた建物であった。地面と塔の最上階――エリックの部屋を結ぶ昇降機に揺られながら、ディアナはポツリと贅沢なこの建築物の感想を述べた。
「税金と時間の無駄遣いだとは思ってるよ……」
「いや、あなたの身体のことを思えば仕方なかったんじゃないか? 唯一の王位継承者なんだから」
「いや、まあ……でもここまで立派なの作らなくても……とは思ってる」
「はは……でも、すごいなぁ、昇降機って」
ライオネルは少し元気を無くしていたため、今はアルディスの家で待機している。したがって、ここにいるのは彼らを除いた六名と、現在は完全に鳥と化しているらしいイチハのみだ。エリックとマルーシャ以外は、見慣れない昇降機に興味津々な様子である。中でもディアナは非常に楽しそうだった。
そうこうしているうちに、目的地に着いた。真っ先に昇降機から降り、ディアナは塔の壁に取り付けられた螺旋階段を見ながら目を輝かせている。エリックの部屋に行くだけで凄まじく体力を消費しそうなそれの存在によって、尚更昇降機の偉大さが強く感じられるのだろう。
「うーん、フェルリオを馬鹿にする気はないんだけど……ラドクリフには、シャーベルグっていう機械生産に特化した都市があるの。あそこに行けば、街中でもこういうの、いっぱいあるわよ……まあ、ここまで立派じゃないけれどね」
「そ、そうなのか? すごいなぁ……!」
案外こういうものに興味があるのか、ポプリの話を聞いたディアナは嬉しそうに胸の前で両手を合わせた。そんな彼女とは対照的にマルーシャの表情が暗くなる。
「うん、チェンバレンブランドの、ハイランク昇降機だよ」
「チェンバレン」
チェンバレン。ルーンラシスでマルーシャが珍しく悪い言い回しで表現した、シャーベルグの子爵家。余程彼女は、あの一族が嫌なのだろう。それこそ、話題になることさえ嫌悪するほど……そう思ったディアナの顔から、笑みが消えた。
「なるほど、陰湿で有名なチェンバレン産か。全く、こんな良い物作っときながら、陰湿一家か。ふーん、思い上がりも良いところだ。そうだろう、ポプリ?」
「そうね、陰湿で有名なチェンバレン家。思い上がりというか、成り上がりね。あの一族って、機械専門の商人兼研究者から貴族に成り上がった一族なの。丁度ダリウスと同い年くらいの三男がいるんだけど……あの三男、今でもふくよか子豚さんなのかしら……出荷は済んだかしら……?」
「ふくよか子豚? ダリウスと同い年なのだろう? なら今はただの豚なんじゃないか?」
「え!? ご、ごめん……! わたしのせいだよね、ごめん。やめて、二人ともごめん、暴言合戦やめて、ごめんなさい……っ!!」
突然の暴言合戦にマルーシャの表情が変化する。決して笑っているわけではなく、むしろかなり困惑した様子である。それでも、悲しげな表情をしているよりは良いのかもしれない。
そんな女性陣のやり取りを見ていた男性陣はディアナとポプリの見事な貶しっぷりに若干の恐怖を抱きつつ、心の中で拍手を送りながらエリックの部屋へと視線を移した。
「へえ、こんな感じなんだ……」
王子の部屋、ということで興味深そうに中を覗くアルディスとクリフォード、そして暴言合戦を終えたディアナとポプリの姿に、エリックは苦笑しつつ肩を竦めた。
「……とまあ、こういう感じなんだが。そんなに変わった部屋では無いと思うぞ……」
エリック達が王都ルネリアルに到着したのは、三十分程前の話である。エリックとしては早くゼノビアと話がしたかったのだが、残念ながら彼女は大臣達と会議中だった。
それを聞いたマルーシャ以外の四人が揃いも揃って「エリックの部屋を見てみたい」と言い出したために、何故か大して広くもない丸い部屋の中に六人が集うこととなった。
「白と青の組み合わせ、か……うん、清涼感が漂っている。白いグランドピアノも良いな。部屋の中でも浮いてないし、むしろ一風変わったアクセントになっているな。お、絵があるな……描きかけ、か。これはこれで味が出て……」
「ディアナ、いきなりどうしたんだ。お前は何を目指しているんだ。恥ずかしいから僕の部屋を鑑定するんじゃない」
「これが、あの有名な侵入用窓……マルーシャ、すごいですね。この壁をよじ登るんですか。結構高さあるじゃないですか……ということは、こっちがあの有名な脱走用窓……」
「クリフォード、やめろ。僕の部屋は観光地じゃない。やめろ」
好き勝手にエリックの部屋を楽しむディアナとクリフォードも気になったが、視界の片隅にさらに気になる上に不愉快な動きをする者を見つけてしまった。
エリックはさりげなく、ベッドの下やら本棚に並べた本の裏、クローゼットの服の下等をこっそり覗き込むアルディスの背後に回り込み、フードにすっぽりと包まれた彼の頭に手刀を落とした。
「あだっ!」
「次やったらお前の日記音読するからな」
「ごめんなさい」
探したくなる気持ちは分かる。だが、嫌なものは嫌だ。不幸中の幸いなのは、マルーシャはこのやり取りを全く見ていなかったことか。彼女はピアノ横の楽譜入れに目を通している最中だった。
「……。エリック」
「リベンジか? リベンジすれば良いのか?」
楽譜の山を見ているということはフェルリオに渡る前に失敗した、あの曲を弾いて欲しいということだろう。そう思い、エリックは比較的前にあった楽譜を手に取る。それを見て、マルーシャはゆるゆると首を横に振った。
「その、そっち……じゃなくって」
「ん? ああ、アレか」
マルーシャが求めている曲が分かった。しかし、エリックは少し考えた後、首を横に振るう。
「ま、また、今度な。その、皆がいる場所だと……」
「恥ずかしい? えへへ……じゃあ、わたしとエリックの秘密の曲、だね」
「……ッ!」
マルーシャのために練習した曲を、他の人間に聴かれたくなかった――だが、結果的にこっちの方が何だか恥ずかしい。リクエストに答え、素直に弾いた方が良かったかもしれない。
「うん、まあ……そういうこと、になる、のか……」
「わたしは別に良いよ。特別扱いしてくれるの、嬉しいもん」
「そ、そうか」
エリックは変な羞恥心に負けてしまったことを恥じたが、マルーシャが嬉しそうなのでこれはこれで悪くないと無理矢理納得することにした。
「うーん……マルーシャ、譜めくり頼んで良いか? 皆がいるから、嫌なんだが……やらないと、いつまでもできない気がする。第七楽章の練習がしたいんだ」
「もちろん!」
せっかく目の前にピアノがあるのに、練習しないのは勿体無い。そう思い、マルーシャに譜めくりを頼めば快く受けてくれた。
(暗譜……しようとは思ったんだが……)
マルーシャの手を煩わせないために、暗譜も考えた。しかし、この真っ黒な譜面を暗譜するのはちょっとやそっとの努力では不可能だ。ついでに自力で譜をめくるのはまず無理だ。そんなことをしようものなら盛大に不協和音を奏でることになるだろう。
「よ、よし、や――」
やるぞ、と言いかけたその瞬間。コンコンと部屋の扉が叩かれた。返事をすれば、静かに扉を開き、城に仕えるメイドが部屋に入ってきた。
「ゼノビア陛下から伝言を預かって参りました。『一時間後、全員揃って謁見の間に来て欲しい』とのことです」
「一時間後……はい、分かりました。ありがとうございます」
旅先ではメイドに遭遇することなど無かったものだから、何だか懐かしい気持ちになりつつエリックは軽く結い上げていた髪を解いた。そんな彼の方を、ディアナとポプリ、クリフォードがじっと見つめている。
「なんだ?」
何か、気になることがあったらしい。彼女らはエリックが『そのこと』に気付いていないことを察し、メイドへと視線を移した。おずおずと、ポプリが口を開く。
「あ、あの……あ、あたし達、も?」
「はい、殿下が連れている者全てを、と」
「良いの、か……? それ……」
「僕達は一国の王と顔を合わせるような身分では無いと思うのですが……」
ディアナは記憶喪失で、自分の素性が全く分かっていない状況、ポプリとクリフォードは貴族の生まれではあるものの、両者共に今や一般市民と大して変わらない身分である。
そのため、エリックの部屋には入れても、女王であるゼノビアとは会えないと思っていたらしい。揃いも揃って「全員で来い」というゼノビアの指示に驚いている様子だった。
「いえいえ、陛下は六人か七人だと仰ってましたから、間違いないかと」
「に、人数が把握されている、だと……?」
メイドの言葉にディアナは不信感丸出しな青い瞳をエリックに向けてくる。しかし、これにはエリックも驚いた。六人、だけならまだ分かる。エリックの部屋に行くところを目撃した使用人がゼノビアに話した可能性が高いからだ。だが……
(何で、ライオネルの存在を認識しているんだ……?)
足りない一人は、十中八九ライオネルのことを指しているに違いない。それ以外には考えられない。つまりゼノビアは、ライオネルの存在を把握しているということだ――そういえば、以前も似たようなことがあった気がする。
『そろそろ、頃合ですね。もう行きなさい』
『早く、行きなさい……間に合わなくなってしまいます……』
フェルリオ行きを命じられた際、出発を躊躇うエリックに対し、ゼノビアがかけた言葉。この言葉通りに城を発てば、丁度グミを購入しているクリフォードと再会した。
『はい、勿論です! お連れ様もどうぞこちらへ、客室は二人部屋を三部屋しかご用意できなかったのですが……』
フェルリオ行きの船に乗る時。何故か、船長はエリックとマルーシャに四人の同行者がいることを把握していた。まず間違いなく、彼はゼノビアから話を聞いて部屋を用意している。つまり、ゼノビアは四人の同行者の存在を把握していたということになる。
(な、何故だ……一体、どうして……)
「アベル殿下?」
困惑するエリックを心配し、メイドが声をかけてきた。それに「何でもない」と返し、エリックは首を横に振るう。
(そうだ、話を聞けば良い。母上に、話を、聞けば……)
「ねえ、エリック」
「! な、何だ? アル」
今度はアルディスだ。後ろから、彼の声が聞こえた。一体何だろうと振り返れば、その手には少し大きめの鞄が握られていた。それはディミヌエンドを出る際に、彼が市民に渡されたものである。
「驚かせてごめん。ちょっと、ここで着替えさせて貰っても良いかな? 俺、一応フェルリオの代表って形で来てるから、この格好で行くのは、ちょっと……」
「いや、こっちこそ悪かった……なるほど、それ正装が入ってたのか。僕もさくっと着替えるとして、マルーシャも着替えてくるよな?」
「当然! あ、ディアナ、ポプリ、それからジャン! 皆もわたしに着いてきて?」
「えっ?」
着替えてから合流ね、とマルーシャはディアナ達を連れて外に出ていく。なるほど、とエリックはマルーシャの機転に感心した。
「僕らと一緒に来るのに、そのままってのはあいつらも嫌だろうしな」
女王との面会を想定していなかった三人が正装を持っていないことは明らかだった。彼らも「今のままの服装が好ましくない」ことは気付いているだろうし、後々酷く気にして落ち込むことは目に見えていた。だからこそ、マルーシャは彼らを連れて行ったのだ。
「うん、女子が揃って向こう行ったから、待ち時間絶対長くなるね」
「はは、仕方ないさ。それよりお前含め、どういうことになるか楽しみだよ。僕らばっかり、ギャップがあるとか言わせないぞ」
「いや、どれだけ着飾っても、君には負けると思う。君、見た目と言動の時点で既にギャップ生まれてるのに」
エリックのお忍び服こと、旅先での服装はマルーシャの趣味だ。決して自分の趣味ではない。そのため、エリックの内面とはあまり一致しない格好になってしまっている。エリックがもっと強気で自信に満ち溢れた性格であれば、内面と格好に変なギャップが生まれることはなかったのに。この件については、エリックも少し気にしていた。
「……」
「ぶっ!?」
アルディスに指摘されずともそんなことは分かっていると言わんばかりに、エリックは上着を脱ぎ、それをアルディスの顔面に思い切り投げつけた。
▼
「遅くなってごめん! お待たせ!」
「いやいや、大丈夫だ。それ、新しいリボンか?」
「あ、うん……」
エリック達が着替えを終え、塔の前で待つこと数十分。コーダ港でも見せてくれた青いショート丈のドレスを身に纏ったマルーシャがエリック達の元へと駆けて来た。あの時と違うのは、ひらひらとした水色の可愛らしいリボンが彼女の髪を彩っていることだろう。よく似合っているな、とエリックは思わず笑みを浮かべる。
さらに少し待つと、ポプリとクリフォード、それからチャッピーとディアナが揃って現れた。
「うーん……ポプリとクリフォードは、そんなに驚く程の変化じゃない、か。別に普段の格好がぶっ飛んでるわけじゃないしな……ポプリの生足はともかく」
「ど、どういうことよ……」
そう言って耳元に手を持っていくポプリは淡い赤と黒の清楚なロングワンピースを身にまとい、いつもは垂らされている桜色の髪は高い位置で綺麗にまとめられている。
だが、ぷいと逸らした彼女の目元が少し赤い。泣いたのだろうか。
「僕は落ち着きませんけどね。真っ黒ですし、かっちりしてますし」
「まあ、確かに黒いな。でも、お前に関してはダリウスで見慣れてるから、そんなに驚かない」
「僕より兄さんのが格好良いと思うのですが……」
「……」
境遇を思えば当然なのかもしれないが、突然ブラコンを披露しないで欲しい。眼鏡を外し、黒いタキシード服を身に纏ったクリフォードは、小首を傾げてくすくすと笑っている。何も考えていなさそうだ。
ただ、彼自身は何も言わないが、何やらポプリに服の裾を掴まれている。やはり何かがあったようだ。
「エリック」
聞いていいものか、とエリックが悩んでいることに気付いたのだろう。マルーシャが「あのね」とこっそり耳打ちしてくれた。
「ポプリってモデルさんみたいにスタイル良いから、メイドさん達が色んな服を着せようと盛り上がっちゃって……でも、ポプリの身体には火傷痕があるでしょ? 無理矢理脱がせたんだと思うけど、心の準備してない状態で火傷痕を見て驚いたメイドさんが思わず悲鳴上げちゃったの……それで、ポプリ……」
「……なるほどな」
多分、それを宥めて、何とかここに連れてきたのがクリフォードなのだろう。行為に感謝こそするが、これは自分がどうにかする話ではないため、エリックはチャッピーにしがみついて震えているディアナへと視線を移した。
「そしてディアナが標的になったと」
「……ッ! なんで……私、こんな、格好……!!」
「ああ、うん。驚きすぎて逆に冷静になったよ」
ディアナが身に纏うのは厳かな雰囲気を持つ繊細な装飾の美しい黒のゴシックドレス。純白のフリルやリボンがアクセントになっており、可愛らしさも演出している。
「や、やだよ……こんなの……っ!」
ただ、普通のドレスではないのだ。ボディスーツのようにぴったりとしたそれは、身体のラインがはっきりと浮き出るようなデザインになっていた。しかも所々透けるような素材になっており、深いスリットまで入っている。可愛らしさよりは、色気を前面に出したようなデザインだ――ポプリの件といい、少々マルーシャのところのメイドは着せ替えに生命をかけているらしい。屋敷の一人娘が脱走ばかりで全く着せ替え人形になってくれなかった反動だろうか。
「アル」
「……」
「そうだな、正解だ。顔を覆うのは正解だ。絶対お前今、変な顔してるだろうからな」
色気全開なドレスを身に纏う想い人。どうも女性への耐性があまりないらしいアルディスは何も言わずに自身の顔を隠していた。ラドクリフに旅立つアルディスのためにと、ディミヌエンドの市民が用意してくれた黒の軽鎧が不憫になるほどの残念さである。
話によると、フェルリオでは大賢者スウェーラルが術師でありながら軽鎧を着ていたことにちなんで、戴冠式では軽鎧を身に纏うのだという。
「……酷いなぁ、俺を、何だと思ってるんだ」
「よし、復活したな? 大丈夫だな? じゃあ行くぞ」
「あ、ちょ……っ!」
「えっ!? こ、このまま!?」
ポプリは泣き止んでいるので、問題なのは物凄く恥ずかしがっているディアナと、そのディアナにときめき過ぎているアルディスだ。何とも言えない表情をしている二人の意思とは無関係に、エリックは城内の謁見の間へと歩き始めた。
「仕方ないだろ、母上を待たせるわけにはいかないんだ……悪い、我慢してくれ」
そう王子に言われてしまえば、従わないわけにはいかないだろう。エリックは五人がしっかり着いてきていることを確認し、久方ぶりのラドクリフ城に足を踏み入れた。
(まあ、数ヶ月で変わるわけないか……)
絢爛豪華な装飾が眩しい城内。大理石の床は綺麗に磨かれ、エリック達の姿を映していた。エントランスの中央に敷かれた青いマットには王家の紋章が金色の糸で刺繍されている。そのマットの先にある、白い木材で作られた巨大な長い階段。その先が、謁見の間である。濃紺色の扉に閉ざされ、内部は見えない。
流石に中には連れて行けないと入口前の装飾にチャッピーの手綱を結んでいるディアナが自分達に追い付くのを待ちつつ、エリックはすっかり黙り込んでしまったアルディスの表情を伺った。
「……」
エリックやマルーシャからしてみれば見慣れた光景であるが、他の四人はそうではない。特に自国フェルリオの代表としてここに足を踏み入れたアルディスは緊張で微かに顔を引きつらせていた。ディアナにときめいている場合ではないのだ。
「アル、大丈夫か?」
「その、あはは……えーと……」
「深呼吸な。大丈夫だって、親書の内容は知らないが、悪いこと書いて無かったんだろ?」
「……。気になることは、あったけどね」
悪いことは、書いていなかった。しかし、気になることはあった。
今まで、そんな素振りを見せていなかったアルディスが、ここに来て漏らした言葉。
「大丈夫。君も、絶対に嫌だろうし……承諾するつもりはない」
「ど、どういう……」
君も絶対に嫌。
それは、どのような意味なのだろうか。
問い詰めたかったが、今は時間がない。とにかく先にゼノビアに会うべきだと判断したエリックは階段を登り、謁見の間へと足を運ぶ。想像通り、ゼノビアは奥に置かれた椅子に腰掛けてエリック達を待っていた。
「お帰りなさい、エリック」
優しい声が、投げかけられる。心を落ち着かせる、そんな声だ。不安が、一気に拭い去られた――そんな時だった。
「ッ、クリフ!」
背後で大きな物音がした直後、ポプリの声が謁見の間に響いた。振り返れば、クリフォードがぐったりと扉を跨いだ辺りで俯せに倒れている。ここに足を踏み入れた途端に意識を失ってしまったらしい。
「あらあら大変! 使用人を呼びますわね!」
異変に気付いたゼノビアが手を叩けば、近くにいた使用人が集まってきた。彼らが意識の無いクリフォードを取り囲む様を見たポプリは、迷わずその後を追おうとする。心配なのは分かるが、流石にそれはどうなのかと考えたエリックは彼女の肩を強めに叩いた。
「ごめんなさい……でも、クリフと一緒に行かせて。絶対に“おかしい”もの。あたしなんかが役に立つとは思えないけれど、それでも」
「分かる、分かるよ。だけどな、お前もここに呼ばれてるんだ。後は、使用人達に任せて、ここに残れ」
「……ごめんなさい、嫌な予感がするの」
確かに、先程まで元気だった青年が唐突に倒れたのだ。おかしいと感じるのも無理はない。しかし、何だか母や城の使用人を疑われているような気がして、エリックはポプリに対して確かな不快感を覚えた。いきなり倒れたクリフォードもクリフォードだが、女王に呼ばれたというのにそれを無視するポプリも、かなりの無礼者だろう。
「エリック、気にしなくても良いのですよ。お仲間を心配するのは、当然のことでしょう?」
「ッ、母上……」
エリックが動揺し、視線をゼノビアへと移した途端、ポプリはクリフォードを追ってこの場を離れてしまった。苛立ちはあったものの、気持ちが全く分からないわけではない。自分も、仮にマルーシャが倒れたとすれば慌てて後を追おうとしたに違いないから。
「お顔は拝見できましたし、構いません。大切な方々ですからね、一度確認しておきたかったのです……
「い、いえ……」
何故、ディアナ、ポプリ、クリフォードを呼んだのか。気になっていた理由は『ただ顔を見たかった』というものだったらしい。エリックにとって、三人は共に旅をした大切な仲間達だ。そのことを母も分かっているのだろう。
「ええと、大丈夫ですか? あなたとマルーシャも、先程の彼らを追っても構いませんよ。エリックとノア皇子には、流石に残っていただかなくては困りますが」
気になるのではないかと、ゼノビアはディアナと、そしてマルーシャに語りかける。その言葉に動いたのはマルーシャだった。彼女は「ありがとうございます」という言葉とともに深く一礼し、謁見の間を去った。
「……ディアナ?」
ディアナは、この場に留まった。マルーシャまで立ち去ったとなれば、逆に行かなくて良いのか気になってしまったのだ。しかし彼女の場合、本来狩られる立場であることを考慮して行かなかったのかもしれない。
「話は通しているから、鳳凰狩りのことは気にしなくても良いんだぞ?」
アルディスもそうだが、ディアナの件についても例外として扱って欲しいと申し出ている。そのため、ディアナは城内で翼を出すことができたのだ。だから、大丈夫なのだと。そんなエリックの話を聞いても、ディアナの意思は変わらなかった。
「私は残る。マルーシャが行くなら、私が残っていても問題無いだろう?」
「それはそうだが……まあ、残ってくれた方が良いか」
自分の意思で残るというのなら、何も問題あるまい。ディアナとの話を終え、エリックはゼノビアへと視線を移す。彼女は、母は、アルディスをじっと、見つめていた。
「母上……?」
「ふふ、親書を破り捨てられることも覚悟していたのですが……ちゃんと、来てくださったのですね……」
立ち上がったゼノビアは、ゆっくりとエリック達――否、その場に片膝を付き、胸元に左手を当てた状態のアルディスへと近付いていく。極めて、異様な光景であった。
「親書を送って下さった、女王陛下を……無視することなど、私には、できません。ですから、私は、帝国の代表として、ここに参りました」
「そう硬くならずとも良いのですよ……面をあげなさい」
アルディスが顔を上げる。さらりと、美しい白銀の髪が流れた。その様子を、ゼノビアはうっとりと眺め、彼女もまた、床に膝をついた。
「ああ……やはり、よく似ていますわね……スウェーラル、美しき大賢者に……」
「……ッ」
ゼノビアの指が、アルディスの頬を撫でる。じっと耐えて、我慢しているがアルディスがあまりよく思っていないのは明白だ。
「は、母上! 落ち着いて下さい!」
これは良くないのではないか。そう思ったエリックはアルディスを立ち上がらせ、母から距離を置かせる。案の定、アルディスの身体は微かに震えていた。
「ねえ……、エリック?」
母の――何故、だろうか。妙に“ねっとりと”した声が、耳障りに感じられた。
「父親が、欲しくはありませんか?」
――父親。
「は……?」
父親。つまり、母は再婚を考えているということ。そしてこの状況。誰を相手に考えているかは、明白だった。
「ねえ……? 同い年の父親……というのも、面白いのではないでしょうか?」
「――ッ!?」
絶句した。
母は、一体、何を考えているのだ?
混乱する息子のことなど知らないとでも言うのだろうか。ゼノビアは、母は、静かに、口を開いた。
「ラドクリフとフェルリオ。双方の和平の証として、私達が婚姻関係を結ぶ……とても分かりやすいと、思いませんか?」
「な、何を、言って……」
「親書にもそのように書いていたのですよ。ノア皇子がここに来たということは、承諾……してくださるのでしょう?」
「……」
アルディスは何も言わない。だが、それでは駄目だと考えたのだろう。彼は胸元に左手を当てたまま、重い口を開いた。
「……親書には、双国の休戦についての……文章が、書かれておりました。あなた様が仰るのは、最後に記された、一文のこと、ですよね? 私があなた様と婚姻関係を結べば、多額の寄付金を、我が国に授けて下さる……と」
「ええ、その通りです」
アルディスは固く目を閉ざし、再び小さく身体を震わせた。恐怖に打ち勝つためにあがき、さらに勇気を振り絞っている。そんな様子であった。
そしてアルディスは、「お断り致します」とはっきりと口にした。
「フェルリオ帝国は、自力で復興活動を行います……そうでなければ、あの国は遅かれ早かれ……駄目になってしまう。寄付金で成り立つような国が、この先、残っていけるとは考えられません」
寄付金はいらない、だから婚姻関係は結ばない。
その言葉にゼノビアは目を丸くし、ゆらりと首を傾げる。
「そもそも、私は最後の、フェルリオ皇帝家の人間です。私の代で、皇帝家を終わりにすることは、できません」
「それも、そうですわね……」
分かってくれたか、とエリックは胸を撫で下ろす。
だが、ゼノビアは再び口を開いたのだった。
「悲しいです……ああ、スウェーラル……」
「ッ!!」
ぞわり、と鳥肌が立つのを感じた。
「い……いい加減にしろ! アルディスはアルディスだ!! スウェーラルじゃない!!」
流石に黙っていられないと、ディアナが激昂する。当然だ。ゼノビアが求めているのは、アルディスではない。アルディスにある、スウェーラルの面影だ。
「あらあら……無礼な子。ご自分の立場が、分かっているのかしら?」
「その言葉、そのままあなたに返す! あなたのアルディスへの……ノア皇子に対する行為、発言! それが無礼なものでは無いと言うのか!? しっかりと、自分の頭でよく考えてみろ!!」
叫び、ディアナはアルディスの手を掴んで謁見の間を飛び出していった。あまりの出来事に放心してしまっていたのか、いとも簡単にアルディスは連れ去られていく。残されたのは、エリックただ一人となった。
「は……母上……」
「誰もいなくなってしまいましたね……なら、私はあなたに、大切な話ができますね」
にこり、と優しい微笑みを浮かべるゼノビア。いつもの、見慣れた彼女の姿――先程の出来事は、白昼夢でも見ていたのではないかと、そう思ってしまうほどに『いつもの』母の姿だった。
「先程、倒れた殿方……あの殿方は、
「え……」
しかし、その口から発せられた言葉は極めて返答に困るものであった。何も言えず、固まるエリックの頬に触れ、ゼノビアは小首を傾げて笑ってみせる。
「
「精霊の使徒同士……? 母上、まさか……」
「ええ、私も、精霊の使徒なのですよ、エリック」
「ッ! そ、そうだったの、ですか……!?」
きっと母は、マクスウェルの力で様々なものを透視することができるのだ。だからエリックの仲間達の存在を理解していたし、時期を読んで行動することができた。常に監視されているようであまり気分の良いものではなかったが、この監視そのものがマクスウェルの意思なのかもしれない。
「驚きましたか? もっと驚くことを言いましょうか?」
「……いや、母上が
「うふふ、そんなことを言わないで、エリック」
まるで悪戯っ子のように、ゼノビアは笑う。決して笑い事ではないのだが、そんなことを口にしたところで何も変わらないだろう。エリックが黙っていると、ゼノビアは鍵束を取り出して首を傾げてみせた。
「船を、壊しましたね?」
「ッ、う……っ!」
じゃらじゃら、と鍵束を揺らしてゼノビアはエリックの目をじっと見つめてくる。恐らく、鍵束は船長室かどこかの鍵なのだろう。逃げ出したくなったが、そんなことをするわけにはいかない。
「申し訳ありません……」
震えそうになる声で、謝罪の言葉を口にする。それを見たゼノビアは、満足そうに微笑んでみせた。
「あの船は今、シャーベルグで修理中です。修理が完了次第、そのまま乗っていくと良いのでは? 船があったら便利でしょう?」
「えっ!? 良いのですか……!」
船があれば、国家間の移動が楽になる。次の目的地はフェルリオ帝国領のカプリス大陸。アルディスの話によると船が必須の大陸らしく、船を貰えるとなれば大変ありがたいことであった。思わず声を弾ませるエリックの頭を、ゼノビアは少し背伸びをして優しく撫でた。
「ええ。元々、国が所有する船ですもの。今はそんなに船の行き来もありませんし、使ってない船も沢山あるのですよ。だから、問題ありません。ただ、酷く壊れてしまっていたようなので船自体はかなり小さくなってしまいましたし、あなた達が使わないなら廃棄ですね」
「頂きます」
「それで宜しい」
うふふ、と上品に笑ってみせる母からは、先程の異様な様子は一切感じられない。本当に、一体あれは何だったのか――恐怖をも感じさせる、あの狂気の姿は。
「……」
冗談であったとは到底思えない。だが、本気であると考えたくはなかった。
本当に、アルディスとの婚姻は和平の証としか考えていないのだろうか。もしそうならば、スウェーラルへの執着は一体何だというのか。
(……考えたく、ない)
狂っていた。確かに、あの瞬間の母は狂っていた。
「ここに留まって欲しいのですが……どうせ、すぐに行ってしまうのでしょう? せめて、少し休んでから出発してください。シャーベルグには、話を通しておきますから」
目の前には、自分がよく知る優しい母。その母の顔が、歪むのを見たくはない。逃げているのは分かっている……それでも。
「はい、ありがとう……ございます」
エリックはこの件を追及する気には、どうしてもなれなかった。
―――― To be continued.