テイルズ オブ フェータリアン ー希望を紡ぎ出すRPGー   作:逢月

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Tune.57 ルーンラシスの住民達

 

 途中で地面を這っていたライオネルを回収し、エリック達はイチハの案内に従ってクリフォードの家へと向かう。その際、不憫に思ったらしいマルーシャが治癒術を発動させてライオネルの傷を癒していた。

 ライオネルが「天使かよ……」などと言い出した件に関してはあえてスルーを決め込み、エリックは目の前に現れた直径百メートル弱程の広い泉――と、その中心にあるログハウスへと視線を向けた。

 

「……。どういう構造になってるんだこれは」

 

「クリフがまだ力の制御できてなかった頃に、泉湧かせちゃったんだよね。基本、あの子は家に引きこもりがちだから、上手いこと家の周りが泉に」

 

「よく沈まなかったわね、それ……」

 

「マクスウェル様がいれば大体何とかなるんだよ」

 

 イチハがへらへらと笑うその横顔を、ライオネルが眺めている。酷く痛め付けられたことへの憎悪かと思いきや、彼の眼差しはどこか不安げなものであった。それに気付いたアルディスが、少し躊躇いがちに口を開いた。

 

「ライオネルさん。えーと……イチハさんの、姿の話なんですけれど……」

 

「ん? おお、敬語使われるの初めてだわ。丁寧な奴だなぁ……それはさておき、お前が思ってる通りだ。イチハ兄は、精霊の加護下なら人間の姿を保てるんだ。特にルーンラシスを加護するのは神格精霊であるマクスウェル様だからな、神殿から少々離れてもイチハ兄は人間の姿を保てるんだ」

 

「! え、俺、まだ何も……!!」

 

 他に優先すべき出来事がいくつか発生した上に、大体そういう事情だろうということで流していたイチハの姿。その理由が明らかになったのは良いが、ライオネルが聞いていないことまで話してくれたことにアルディスは驚き、狼狽える。それに対し、ライオネルは牙を見せるように笑ってみせた。

 

透視干渉(クラレンス・ラティマー)。オレもクリフと同じ能力なんだよ。ま、オレはクリフほど有能じゃない上に、物質透視が専門なんだけどな。多分お前、意志支配(アーノルド・カミーユ)能力者だろ?」

 

「ああ、なるほど。はい、意志支配能力者です」

 

「悪いな。普段、対人相手にはあまり使わないんだが、何か共解現象(レゾナンストローク)が起こったから使ってみた。でも、オレ相手でここまで綺麗に共解現象起こせるんだったら、クリフ相手だと暴走しまくって大変だったろ」

 

「あはは……そう、ですね……」

 

 ライオネルは、あまり能力を使いこなせていないのだという。元々、扱いの難しい能力だ。それは無理もない。しかし、マクスウェルの傍で暮らしているためか、能力に対する知識はそれなりにあるらしい。

 いきなり戦闘になってしまった相手ではあるものの、もう襲いかかってくる気配は無いどころか友好的に接してくれる彼に安心しつつ、アルディスは泉へと視線を向ける。

 

 

「……。ところで、これ、どうやってクリフさんのとこまで行けば良いんですか?」

 

 今現在の問題はむしろ、こちらの方だ。水が苦手なアルディスとしては、非常に困った状況である。少しはマシになったとはいえ、完全にトラウマを克服したわけではないのだ。

 

「んあ? オレは飛ぶし、イチハ兄は特殊能力使って水上走行。お前らは飛べば良いじゃん……って、そこのピンクのは純血じゃねぇのか」

 

「あたし髪色以外特徴無いのかしら……まあ良いわ。その、純血組もそんなに飛べないのよ。ディアナ君は大丈夫だけど、ノアとマルーシャちゃんは無理、エリック君も多分……」

 

「この距離じゃ、途中で落ちるな……」

 

 どうやって進めば良いんだろう。頭を悩ませ始めたエリック達を見て、イチハはちらりとライオネルを見る。ライオネルは、あからさまに嫌そうな顔をした。

 

「……やっぱ、それしかねーの? そこのデカイ金髪は重そうだから嫌なんだけど」

 

「ごめん、それしかない。俺様飛べないから手伝えないや。エリックは本当重いし、ディアナちゃん手伝わせるの嫌だし、もう沈めて良いよ。沈めよう?」

 

「ちょっと待て」

 

 何やら嫌な会話が繰り広げられている。思わず口出ししたエリックに対し、ライオネルとイチハは全く迷いのない様子で口を開いた。

 

「お前、自力で頑張って飛べよ。お前はどう見ても一番重いから嫌だ」

 

「練習も大事だよ。さて……ライ、悪いんだけど任せるよ。俺は先に行ってるね」

 

「おう、任せろ!」

 

 とん、と地面を軽く蹴り、イチハはその両足に魔力を込める。そのまま、彼は泉の中心にある家の玄関先まで走っていった。あれをエリック達に使わなかったのは、水面走行がそれなりに技術を要するものだからなのだろう。

 ライオネルはアルディスをひょいと抱え、その背に翼を出現させて家へと向かう。そして帰ってきたかと思うと、今度はポプリを抱えてエリックの方を見た。

 

「……」

 

「分かってる。何とか、やってみる……」

 

 どうやら本当に運んで貰えないらしい。覚悟を決めたエリックは、背に翼を出現させ、地を蹴った。上着はディアナが着ているからもう良い。この際泳いで渡った方が早い気がしてきたが、イチハの言う通り練習も大事だ。そう、ただ真っ直ぐ前に飛べば良いだけだ。頭では分かっているのだ。

 

「ッ! や、やっぱり……無理だ!!」

 

 二十メートルくらいは、進んだだろうか。ふいに翼が消えてしまったらしく――エリックは、勢いよく水の中に沈むこととなった。

 

 

 

 

「ぶ……っ! ふっ、ふふ……く、クリフにタオル借りようか……! ちょっと待ってて、一枚取ってくる」

 

「……。反省も後悔もしていないぞ」

 

「お前ら良い性格してるよ、本当に……!」

 

 数分後。自力で泉を泳ぎ切ったエリックを待っていたのは、ルーンラシスの住民達の労うつもりが一切ない言葉だった。水を滴らせ、寒さに震えるエリックをディアナが炎で温めている。

 

「エリックは泳ぐの、得意なんだな」

 

「僕はただの風邪でもすぐに重症化させるからな。体力付けるためによく泳いでたんだよ。武術の鍛錬は止められることが多かったが、水泳はそんなに神経質な対応されなかったから……まあ、温水プール以外は禁止だったんだが」

 

「ああ……なるほど。それで重いって話になるわけだ……」

 

「そうそう。筋肉は重いからな」

 

 そんな会話をしていると、横から嫌な気配を感じた――ライオネルだ。

 

「何となく、そんな気はしていた。お前……アベル王子か?」

 

 

『でも、多分ライは君のこと、無理だから。あの子は、性格も格好良い俺様とは違ってお子ちゃまだから……覚悟しといた方が良いんじゃないかな』

 

 

 イチハに、警告された言葉を思い出した。

 だが、今更変に隠すのも、誤魔化すのもおかしい。ここは堂々としているべきだろう。エリックはライオネルの赤紫色の目を真っ直ぐに見据え、口を開く。

 

「ご名答だ。僕はエリック=アベル=ラドクリフ……悪い、名乗るのをすっかり忘れていた。騙すつもりは、無かったんだ」

 

「……」

 

 これは、流石にエリックも分かっていた。戦舞(バーサーカー)であれば、仕方のない反応だ。しかし今現在、ラドクリフ王家と戦舞の間に生じた亀裂を理解しているものは、殆ど存在しない。現に、エリック以外の仲間達は事情を察することができていなかった。

 

「……別に、どう思われても構わないさ。それだけのことを、こっちはやっている」

 

 戦舞(バーサーカー)、というのは純血龍王(クラル・ヴィーゲニア)の中にごく少数存在する種族だ。強靭な力、不屈の精神を持つ、戦闘種族――ゆえに、数十年前まではラドクリフ王家の奴隷や、娯楽のための剣闘士として重宝された存在だった。彼らが今やごく少数しか存在しないのは、過去に乱獲され、数が減ってしまったからである。

 これはあくまでもラドクリフ王家の内々で処理されていたため、一般市民の認知度は低い。だが、ラドクリフ王家が犯した罪の歴史の一つとして、エリックはこれを頭に入れていたのだ。そして今現在も、ラドクリフ王国は恐らく戦舞に対して危害を加えているに違いない。クリフォードやダリウス、イチハの件を考えれば、この可能性は極めて高い。そもそもライオネルの身近な存在は皆、似たような境遇にあるのだ。

 だからこそ、エリックはライオネルに対して下手に出た。それが、ライオネルにとっては予想外なものであったらしい。

 

「アベル王子ってことは……今、十八か。それなのに、そんな察したような、諦めたような態度……無性に腹は立つが、お前が悪くないってのは知ってる。だから、そんなの、やめろ」

 

「僕は、悪くない……と?」

 

「お前がやったわけじゃない。ただ、お前がそれを繰り返さないとは思っていない。そう思えるだけの材料が揃ってない……すぐに、信用できるほど、オレはお前ら一族を良く思ってない。だから、しばらく様子見させろ。あのクリフが懐いたんだ、何かしら持ってんだろうとは思ってるよ」

 

 困ったように首を軽く傾げ、ライオネルは微笑する。信用する気はないが、危害を加える気はない、と言いたいようだ。「ありがとう」とエリックが口にすれば、ライオネルは決まりが悪そうに視線を逸らしてしまう。

 

「えーと……とりあえず、大丈夫、ですかね? 俺も名乗っておきますね。俺は、アルディスといいます。フルネームは、アルディス=ノア=フェルリオ。あと、女性陣はマルーシャとポプリ姉さんとディアナです」

 

「!? 今度はノア皇子!? マクスウェル様から、生きてるって話は聞いてたが……ってことはお前、ヴァイスハイトか。それで妙に見た目幼いんだな……昔のクリフを思い出すわ……」

 

「ああ、クリフさんも見た目幼かったんですね……なら安心した。俺も成長できそうだ」

 

「だな。ヴァイスハイトの成長期は十六、七くらいから始まるらしいから、安心して良いんじゃね? しっかし、オレの周り見た目と実年齢合ってない奴らばっかだなぁ……」

 

 ははは、とライオネルが笑っていると、イチハが帰ってきた。彼は何故か、疲れたような笑みを浮かべている。

 

「だよね。俺様、やっぱりここ出たくらいから見た目の変化無いよね」

 

「……。雰囲気で、歳はそこそこ行ってるのは分かるんだが……見た目だけを見れば、今年で二十八歳とは思えないな。少なからず、身体の成長に遅れが出てるんだと思うぜ」

 

「そっか。まあ、若く見えるのは悪くないんだけど」

 

 エリックにタオルを渡しつつ、イチハはどこか悲しげに笑う。彼はやれやれと肩を竦め、力なく頭を振るう。

 

「体内精霊が異常な状況になれば、見た目に影響が出るのは知ってた。だから、ライに見た目で追い抜かれるのは覚悟してたんだけど……このままじゃ、クリフにさえ抜かれかねないな。ただでさえ、目の色変わっちゃったのに……本当に、これじゃ……」

 

「……。妙に、帰ってくるの遅いと思ったら」

 

 どこか憔悴した様子さえ感じられたイチハであったが、心配そうに顔を覗き込む弟分を見て、正気に返ったのだろう。彼はライオネルの頭をポンポンと叩き、ドアノブに手を掛けた。

 

「さて、俺の話はもう良いよ。クリフ、諦めて不貞寝してるっぽいし、さっさと助けてあげよう?」

 

「不貞寝!?」

 

 一体どんな状況になっているのか。

 イチハのことが気になりはしたものの、話の腰を折ってきた彼の気持ちを考え、エリックはあえてそこを追求することなくタオルで身体を拭いた後、クリフォードの家に入った。

 

 

「……は?」

 

 そこは、木目が美しいログハウスだった。泉の中心に位置するにも関わらず、不思議と床は腐っていない。シンプルな木のテーブルに椅子、藍色のラグマットが引かれた――家の中に蔦が入り込んでいたり、ところどころに苔が生えていたり、何故か家の一角で湧水が湧いていたりと、変に自然と共存しているらしい家だった。

 それ以上に異様だったのは、テーブルのさらに奥にある、巨大な本棚だろう。壁が本棚になっているのかと思えば、どうやら違うらしい。イチハとライオネルは真っ直ぐに本棚へと向かい、本を数冊手に取った。

 

「……。ライ、一番最近のはどんな感じだった?」

 

「古書を真ん中、図録を上、小説を右、学術書を左、魔導書を下に集める奴だった」

 

「よし、まずはそれ試してみようか」

 

 二人は本を抜いてはテーブルに置き、抜いてはテーブルに置き、を繰り返して本棚を空にしていく。何となく、事情を察したらしいマルーシャが、彼らの傍に行き、手伝い始めた。

 

「マルーシャ?」

 

「エリックも手伝って。これ多分、隠し扉だよ!」

 

「はあ!?」

 

 驚き、動揺するエリックを見て、イチハとライオネルが作業の手を止めぬまま口を開く。

 

「マクスウェル様の趣味は、俺達の家に勝手に変な仕掛けを作ること。この家、本当は広いワンルームなんだけど……真ん中に本棚風隠し扉が出現しちゃったものだから、リビングが二部屋に分かれちゃったんだ。それでも、俺達の家みたく突然落とし穴が開くとか槍が降ってくるとか、そんなんは無いから安心だけど」

 

「この隠し扉は本を決まった位置に配置しないと開かないんだ。困ったことにオレらの能力は無効化される。実は反対側からでも操作出来るんだが、パズルとかそういうのが苦手なクリフはまず自力で解けない。だから今回みたく向こう側にアイツが閉じ込められた場合はオレらが来るまで出られないとかいう意味不明なことになる」

 

(何だそれ……)

 

 ここの住民達はこの怪現象に慣れきっているらしく、もはや当たり前のように推理を始めている。イチハとライオネルの家は冗談などではなく本気で殺しにくる家のようであるし、クリフォードのパズル屋敷は可愛らしいものなのだろう。

 

「なにそれ面白いわね……で、家主は不貞寝確定なの?」

 

「返事がないから不貞寝してるとしか思えない。多分、さっさと諦めたんだと思う。まあ、君達も知ってると思うけど、あの子は身体が限界訴えるか倒れるまで寝ないから、寝れる環境にあったらすぐ寝るしね。睡眠取らせる意味じゃ、パズルも良いんだけど」

 

「一回試しに放置してみたこともあるんだが、その睡眠時間込みで出てくるまでに一週間掛かった。どれだけパズル解除に時間掛けたのかは知らないが、オレらが解いた方が絶対に早いのは確かだな」

 

 そうこうしているうちに、本棚の本を抜ききった。後は、この本の山をどう並べるかだ。

 

「さあ、どう並べる? 君達の意見を聞こうじゃないか」

 

「……」

 

 とりあえず、相当な時間が掛かるであろうことを、エリック達は覚悟した。

 

 

 

 

「あはは、なるほどね。こっち側だけで生活できるようにはなってるんだね……」

 

 本棚の向こうは、寝室になっていた。ドアがいくつかあり、そこが浴室や台所などに繋がっているらしいことが伺える。一週間閉じ込められても問題無いわけだとマルーシャは呆れたような笑みを浮かべた。

 参加人数が多かったためか、パズルは一時間足らずで解くことができた。なお、解答は『ジャンルの違う本を交互に並べていく』だった。マクスウェルは相当暇を持て余しているらしい。そして「これはうちの罠配置も変わってるなぁ」とため息を吐くライオネルとイチハは怒っていいと思う――それはさておき。

 

 

「……あ、おはようございます」

 

 人の気配を感じたらしく、目を覚ました家主クリフォードがこちらを見てへらへら笑っている。外傷もなく、元気そうなその姿に安堵したのはエリックだけではないだろう。

 

「ま、マクスウェルからクリフさんがひっくり返ったと聞いたんで、心配したんですよ……?」

 

「はは……情けないが、結構緊張していたんだ。契約違反の代償として殺される覚悟もしていたんです……あとまあ、自覚は無かったんだが睡眠が足りていなかったようで……」

 

「だからと言って、あたし達を置いていくことないじゃない……!」

 

「その、あれだ。八つ裂きになった姿なんて、見せたくなかったんです……とりあえず、大体分かってそうだが、事情を説明しておきましょうか」

 

 話によると、クリフォードはマクスウェルから何のお咎めも無かったことで気が抜け、睡眠不足もたたってその場で気絶。さらにここで目覚めたのは良いが、出られなかったので諦めて寝た……という素晴らしく間抜けなことになっていたらしい。

 もう怒る気にもなれなかったので、エリック側も起きた出来事をまとめて話すことにした。

 

「……ああ、なるほど。なら、幼い頃のエリックはあんな感じなんですね」

 

「多分。目を赤くしたら僕になると思う」

 

 ディアナの件も話したのだが、彼女を気遣ってかクリフォードはそこにはあまり触れず、本棚から一冊の古書を抜き取った。

 

「目が青いのはスウェーラル様の遺伝らしいぞ。だから、マクスウェル様はアルとも親戚関係になるな。容姿がエリック寄りなだけで。そういえば、アルはスウェーラル様に良く似ているから、数年後には本当に瓜二つになるかもしれませんね」

 

 彼は慣れた手つきでぱらぱらと紙を捲り、大きな挿絵の入った一頁を開いた。その頁に描かれていたのは、ルネリアルとスウェーラルの色褪せた肖像画だった。

 すっと本を覗き込んだマルーシャが楽しげに目を輝かせる。その二人が、彼女の見知った人物達とそっくりだったからだろう。

 

「本当だ! ルネリアル、ゼノビアお義母様の若い頃に良く似てる! それに、スウェーラルは大きくなったアルディスだね」

 

「大きくなった俺って表現やめてよマルーシャ……だけど、変だな。俺、髪色以外は完全に父上似なんだけど……」

 

 自身の白銀の髪を掴み、アルディスは小さく唸る。母親似でスウェーラルそっくりならまだ分かるが、父親似でこうなるのが納得できないのだろう。それもそうだ、彼の父親は、聖者一族ではないのだから。

 

「実は、大昔は暗舞(ピオナージ)の一族がフェルリオを統治してた、とか?」

 

「それは無いんじゃないかな……ああでも、そうだな……」

 

 スウェーラルの肖像画をまじまじと見つめ、アルディスは苦笑する。

 

「見た目は少し母上寄りだったシンシアとはちょっと違うから、案外スウェーラルって暗舞(ピオナージ)と関係がある存在だったのかもね」

 

「……シンシア……」

 

「ああ、知ってると思うけど、俺の妹。生きてたら、丁度君と同い年になるんだよ……未練がましいって、笑うかい?」

 

 翡翠の左目を伏せ、アルディスは「ははは」と力無く笑った。その笑顔が、どこか悲しげで、辛そうで。

 

「アルディス……」

 

 何か声を掛けなければと動いたマルーシャだったが、彼女はアルディスの次の一言で停止してしまった。

 

 

「今更だけど、シンシアって――君に、よく似てるんだよね」

 

 

 事情を知らないのだから、仕方がない。しかしそれは、マルーシャにとってはあまりにも残酷な言葉であった。

 ただ、マルーシャが真相を知らないのは不幸中の幸いだったとエリックは感じていた。アルディスに関してもそうだ。本当に、彼女らが真実を知ってしまえば大変なことになるに違いない……いつ、どのようにして真実を知らせば良いのだろう。

 そんなエリックの悩みなど知らず、アルディスは言葉を続ける。

 

「だから俺は八年前、君とエリックを放置できなかったんだと思う……シスコンって言われちゃいそうだけど、今でもシンシアは、俺にとって大切な妹だから」

 

 妹に、シンシアに会いたいのだろう。生きた彼女と、再会したいのだろう。あまりアルディスの身内の話を聞いたことが無かったのだが、少なからず、彼は自分の家族を大切に思っていた筈だから。

 

「……」

 

「マルーシャ?」

 

 悲しげに笑うアルディスに、何の言葉も掛けることができずにマルーシャは震えている。そんな彼女を不思議そうに眺めていたアルディスの肩を、クリフォードが叩いた。

 

「アル、ちょっと良いか?」

 

「クリフさん? えーと……はい、大丈夫です。どうしましたか?」

 

 本を閉じ、クリフォードがアルディスを手招きして部屋の奥へと向かう。恐らく、シンシアの件で探りを入れるつもりなのだろう。彼が、マルーシャとシンシアの関係をアルディスに話すとは思えない。

 

(そういえば、シンシア本人のことは僕もよく知らないんだよな……)

 

 今の言葉を、シンシアが聞いたらどう思うのだろう。きっと、嬉しいに違いない。そんなことを思いながら、エリックはふと、マルーシャへと視線を向け――驚愕した。

 

 

「……そうだ、よね……ごめん、ごめんね……ごめんなさい……ッ」

 

 

 マルーシャが、大きな黄緑色の瞳から涙を流している。エリックの視線に、気付いている様子はない。彼女は譫言のように、“何か”に謝り続けている。

 一体どうしたのだろうか、心配して近付いたエリックの存在に漸く気付いたのだろう。マルーシャはハッとして目を見開き、踵を返して部屋を飛び出した。

 

「おい、マルーシャ!!」

 

 思わず声を荒らげ、エリックはマルーシャの細い腕を掴んだ。だが、それがいけなかったのだろう。

 

 

「離して!!」

 

 

 エリックの手は、明らかな拒絶の意志を持って振り払われた。思わず固まってしまったエリックを見て、マルーシャは新たな涙を流す。

 

「……ぁ……」

 

 ごめんなさい、とマルーシャの口が動いた。今度は、エリックに向けられた言葉だった。

 

 

「……。マルーシャ、だったか? ひとりになりたい気分なんじゃないか? オレ、泉の向こう側まで送ってやろうか?」

 

 流石にこの異常事態に気付いたアルディス達よりも先に言葉を発し、彼らの動きを抑制したのは、意外にもライオネルだった。無言で頷いたマルーシャの手を取り、ライオネルは玄関へと向かう。

 状況からして、仕方ないというのに。マルーシャがライオネルの手を振り払わなかったことに、エリックはどうしようもなく無性に腹が立ってしまった。

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ……!」

 

「待たねえよ!」

 

 せめて一声掛けさせて欲しいと、エリックが絞り出した言葉。それに対し、ライオネルは苛立ちを隠せない様子で叫んだ。

 

「……ッ」

 

 これには、エリックのみならず他の仲間達も動けなくなってしまった。しんと静まった場には、マルーシャがすすり泣く声だけが響いている。こんな状況だというのに、エリックはブリランテの宿屋のロビーでの出来事を思い出していた――また、マルーシャを泣かせてしまったのだと、気付いてしまった。

 

「ち……っ、そんな顔、すんなよな……!」

 

 自分は一体、どんな顔をしていたというのだろうか。ライオネルは舌打ちし、苛立った様子のまま、マルーシャをちらりと見てから口を開く。

 

「分かってやれよ……何が何だか知らねぇけど、この子、今はお前と一緒にいたくないんだろうよ……」

 

 そう言い残し、ライオネルはマルーシャを連れて出て行ってしまった。恐らく、ライオネルの言葉に間違いはないのだろう。マルーシャは、一言も彼の言葉を否定しなかったから――。

 

「……」

 

 力が抜けたように、エリックはその場に座り込んでしまった。

 

(……そんなに、僕は頼りない、か?)

 

 マルーシャが、何かに悩んでいる。それは、間違いないというのに。

 なのに彼女は、何も教えてくれない。ただ泣くだけで、救いを求めてはくれないのだ。

 挙句の果てには、手を振り払われてしまった。自分に相談する気はない。そういうことなのだろう。

 

(ごめんな……こんな奴が、許婚で)

 

 自分達は、親に結婚を定められた存在だ。けれど夫婦とは本来、共に助け合う存在なのだと思っている。少なくとも、自分だけが一方的に助けられているこの状況は、決して好ましいものではない――なのに。

 

「困った、な……」

 

 顔を上げることはできなかったが、仲間達が、自分の周囲に集まってきていることは、感じていた。だからこそエリックは、助けを求める意味合いも込めて、こんな言葉を口にした。

 

 

「今のマルーシャに、なんて、声を掛けるべきか……何をしてやれば良いのか……全然、分からないんだ……!」

 

 

 助けてやりたいのに。傍にいてやりたいのに。そんなことさえ、できないというのか。

 仲間達に八つ当たりしなかっただけ、自分も大人になったとは思う。しかし、それだけでは足りないのだ。それだけでは、駄目なのだ。

 

「ただ、笑ってて欲しい……それだけ、なのに……」

 

 マルーシャの笑顔。

 最近、あまり見れなくなってしまったそれが、今はどうしようもなく、恋しかった。

 

 

 

―――― To be continued.

 




 
ルネリアル

【挿絵表示】


スウェーラル

【挿絵表示】


(絵:長次郎様)

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