テイルズ オブ フェータリアン ー希望を紡ぎ出すRPGー   作:逢月

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Tune.53 紫色の少女

 

「俺達が持っている、剣……? 一体、何の話だ?」

 

 宝剣キルヒェンリートを取り出し、その柄を握り締めながらアルディスはベリアルの言葉を反復する。一体何の話だ、とでも言いたげな様子だが、エリックはひとつ、思い当たる節があった。

 

「もしかして、そういうことだったのか……?」

 

「エリック? ……いや、それどころじゃ無さそうだ!」

 

 叫び、アルディスはベリアルの元へと駆けた。彼は大鎌を振り上げ、飛び上がった彼女の傍まで大きく飛躍すると空中で剣を薙刀へと変化させ、防御の姿勢を取る。

 

牙霊閃華(がりょうせんか)!」

 

 ベリアルの大鎌の刃が、不気味な紫の炎を纏ってアルディスを襲う! 身を焼かれる痛みに耐えながらも、アルディスは身体を捻り、薙刀を振るった。

 

「ッ、蒼破刃(そうはじん)!」

 

「――連撃せよ、夜明けを告げし赤き大翼!」

 

 至近距離から飛んできた青白い衝撃波に、ベリアルが怯む。エリックはすかさず指先へと意識を集中させ、赤い炎を纏った矢を生成する。

 

暁緋鶴(あかつきひづる)!」

 

 指を離れ、放たれたのは赤き五連の矢。それらは真っ直ぐにベリアルへと飛んでいき、その小さな身体を容赦なく焼いていった。

 

「ひっ! きゃああぁ!!」

 

 幼い悲鳴が上がるのを聞きながら、エリックは弓を剣へと変化させる。以前よりも僅かに細身になった宝剣ヴィーゲンリート――フェルリオ横断中に、少しずつ形状を自分に合わせて変えていったものだ――を構え、エリックはアルディスと入れ替わるように前へと飛び出した。地に落ちてきたベリアルの真下に、十字の陣を描く。

 

絶破(ぜっぱ)十字衝(じゅうじしょう)!」

 

 地面から湧き上がるように、冷気を纏った衝撃波がベリアルを襲う。だが、ベリアルは苦痛に顔を歪め、その瞳に涙を浮かべながらも体制を立て直し、そのまま勢いに任せて大鎌を振るった。

 

「――(ごう)煉哭衝(れんごくしょう)!」

 

 刃の切っ先はエリックの足元を抉っていた。それは一見、狙いを外してしまったかのように思えた。だが、抉られた床は、眩い光を放っている。まずい、とエリックは大きく後ろに飛躍した――その時!

 

「ッ!? がっ、ああぁあっ!!」

 

 地面から吹き出した細い、数多の光線が一斉にエリックに襲いかかり、彼の身を貫き、焼いた。焦げ臭さと血の臭いが辺りに広がっていく。衝撃を受け、ふらつく足を叱責し、エリックは再び剣の柄を握り直した。

 

 

「――穢れなき生命の波動よ。傷付きし我が友に、今希望をもたらせ!」

 

「――豪傑の慧眼よ。己が道を往く我らに、終えぬ闘志を宿せ!」

 

「!」

 

 背後から聴こえて来たのは、よく知る少女達の声。エリックは傍にいたアルディスと顔を見合わせた後、再び上空に飛び上がったベリアルの元へと駆けていった。

 

「――キュア!」

 

「――ブレイブコンダクター!」

 

 少女達の声に応え、出現した淡い色の暖かな光がエリックを包み、負ったばかりの傷を塞いでいく。右手に感じるのは、熱さを感じるほどに力強い闘気。同じく気を纏ったアルディスと共に、エリックは高く飛躍した。

 

飛天翔駆(ひてんしょうく)!」

 

鳳凰天駆(ほうおうてんく)!」

 

 身体を捻り、ベリアルよりも高く飛び上がった二人は交差するように少女に向かって急降下する。だが、二人が描く軌道を見切ったのだろう。ベリアルは瞬時に翼を消し、足場の悪い甲板の上に降り立った。

 

「――奏でよ、そして響け! 獰猛たる大地の咆哮! ロックブレイク!」

 

 規模は小さいが、再び岩が甲板の床を突き出し、地に降りた直後のエリック達に向けて襲いかかった! 避けることは叶わず、岩はエリック、アルディスの身を割き、貫いた。

 

「ッ、流石……詠唱が早い。全部止めるのは、厳しいかもね」

 

「ははっ、やっぱり単独でも充分強いな……悪い、マルーシャ、ディアナ。行けそうな時に治癒術頼む」

 

 それでも、これだけで倒れるほど今のエリック達は弱くない。流れる血を拭いつつ、彼らは目の前の幼い少女へと目を向ける。見た目で侮ってはいけない。こちらも本気で行かなければ。

 

「その……あんまり派手にやっちゃうと、船沈んじゃうかも……」

 

「今はポプリとジャンが何とかしてくれてるが、さっさと終わらせないと危険だ!」

 

 忠告し、マルーシャとディアナが詠唱を開始する。ポプリとクリフォードがここに来なかった理由はそれかと、エリックはどうしようも無い程に傷付いた甲板をちらりと見た後、ベリアルに視線を戻した。

 

「……だ、そうなんだが……」

 

「え、ええと……! 関係ない、です! その剣を手に入れるためなら!」

 

「誰に命じられた? 兄上か? ヴァロンか?」

 

「……」

 

 言いたくない、言えない、という様子だった。消していた両翼を出現させ、ベリアルはエリックの元に飛び込んでくる。その手に握られた大鎌は、バチバチと青白い火花を散らしていた。

 

「――狂乱桜(きょうらんざくら)(いかずち)!」

 

 切っ先から放たれる、青の雷撃。それはベリアルが振るう大鎌の軌跡に沿って散り、エリックの周囲でバラバラになって爆ぜた。奥歯を噛み締めて衝撃に耐え、ベリアルの攻撃を受け止める。

 

「――爪竜連牙斬(そうりゅうれんがざん)!」

 

 エリックと向き合っていたベリアルは、横から迫って来ていたアルディスの存在に気付けていなかった。彼女は短く悲鳴を上げ、そのままアルディスの連撃に巻き込まれていく!

 

「……ッ、負け、ない……!」

 

「――光明纏いし、天の御使い。代行者たる我の前に舞い降りよ!」

 

 即座に剣を弓に変化させ、エリックは指先に出現させた眩い光の矢をベリアルではなく、上空へと放った。

 

天来白鴉(てんらいはくあ)!」

 

 刹那の間。その後に降り注いだのは数多の光の矢。それらは逃げ場等ないと告げるかのように甲板を、そしてベリアルの身体を貫いていく。痛みに生理的な涙を浮かべながらも、少女は倒れなかった。

 

「――清き羽衣、傷付きし者を包みて癒せ! ファーストエイド!」

 

 素早い詠唱が、少女の傷を癒していく。だが、彼女にそこまでの余裕が無いということは、使った治癒術が下級のものであったことからして明白だ。ベリアルは上空に飛び上がり、再び詠唱を開始する。それを阻もうと駆け出したエリック、アルディスは、潮の香りや血や埃の臭いと混ざってほのかな花の香りがすることに気が付いた。

 

 

「――凛と咲き乱れし花々よ! 我が想いに応え、艶やかに舞い上がらん!」

 

 マルーシャの詠唱だ。複雑な魔法陣が、甲板に描かれる。そして恐らく、この術はたった今得たものなのだろう。その文言は、初めて聞くものであった。

 

「アリーヴェデルチ!」

 

 海上で舞い上がる、艶やかな花びら。それにより、他の臭いを打ち消すほどの心地よい花の香りが周囲を包み込んだ。一体何の術なのだろうと思ったが、その答えは戦いの中で負った傷が、少しずつ癒されていったことによって判明した――マルーシャの、新たな治癒術だ。

 

「きゃあぁあっ!!」

 

 だが、この術はただ癒すだけでは無かったらしい。エリック達を癒した花びらは、同時にベリアルを切り裂く刃であったのだ。美しい花びらに混じって、ベリアルの血が宙に散る。悲痛な叫び声を上げ、体勢を崩してしまった彼女の元に、レイピアを握り締め、身に炎を纏ったディアナが勢いよく突っ込んでいく!

 

「紅の波動、示すは終焉への軌跡。その身を赤く染め、汝が道を断たん!」

 

 鮮やかなディアナの両翼の色が落ち、白へと変わってく。一見するとそれが分からなかったのは、彼女が纏う炎の赤さゆえだろう。目にも留まらぬ速さでベリアルを斬り付けながらも宙を駆け巡る彼女が描くのは、眩いほどの朱色の輝きを放つ、焔の陣。

 

 その完成と共に、ディアナは陣から距離を取り、レイピアの刃に手を添え、叫んだ。

 

 

「煌めけ! ――焔舞(えんぶ)烈砕煌(れっさいこう)!!」

 

 

 陣が爆ぜ、周囲を焼き尽くさんばかりの熱風が広がる。聖火に身を焼かれ、悲鳴を上げることさえもできず、ベリアルは無抵抗に瓦礫の山と化した甲板に墜落した。

 

「ッ、は……っ、はぁ……」

 

 荒い息遣いは、未だ意識を保ち続けるベリアルと、そして力を出し尽くしたらしいディアナのものであった。ベリアルが起き上がり、まだ戦おうと大鎌を握り締める姿を見て、ディアナは目を丸くしている。己の全力をもってしても幼い彼女を立ち上がらせてしまったことに、少なからずショックを受けているのだろう。しかし、ベリアルはもう戦える状態などではない。エリックは出現させた矢を、静かにベリアルの足元を狙って放った。

 

鴇ノ雅(ときのみやび)

 

 無詠唱で放たれた、橙色の矢。それは床板に突き刺さり、少女の周囲に色鮮やかな美しい花々を芽吹かせた。芽吹いた花の香りは弱ったベリアルの鼻腔を刺激し、少女の瞼を強制的に重くし、閉ざさせる。そして少女は、ふっと身体の力を失くし、花の中に埋もれるようにして意識を失った。

 

 

「良かった、決まった……ギリギリってところか……」

 

 エリックが放つ地属性の矢『鴇ノ雅(ときのみやび)』には殺傷能力が無い。その代わり、対象を強制的に眠りにつかせる効果がある。だがそれは、対象に抗う力がある状態では通用しないのだ。マルーシャの『アリーヴェデルチ』、ディアナの『焔舞烈砕煌(えんぶれっさいこう)』がベリアルの体力を大幅に削っていなければ、強い意思を持っていた彼女には効かなかったに違いない。

 エリックが気を失い、倒れたベリアルを確保し、アルディスが疲れ果てて座り込んだディアナの元へと向かう。マルーシャは、エリックとベリアルの元へと歩いて行った。その足取りがどこか覚束無いものに、エリックは気付いた。

 

「マルーシャ、お疲れ様。僕らは助かったが、君は大丈夫か? 疲れているように見えるんだが……」

 

「ううん、大丈夫だよ」

 

「それにしても、アリーヴェデルチ、だったか? すごい術だったな」

 

 ベリアルを抱きかかえながら、エリックはマルーシャに微笑みかける。マルーシャは気を失い、ぐったりとしたベリアルの顔へと視線を移し、口を開いた。

 

「……。うん、そうだね……わたしも、びっくりしちゃった、かな……」

 

 そう言って、マルーシャは顔を上げて「えへへ」と控えめに笑ってみせる。そんな彼女の小さな笑い声を打ち消すように、アルディスとディアナが叫んだ。

 

 

「ちょっとこれ、何とかしないと本当に船沈むと思うんだけど!!」

 

「すまない、オレのせいだ!! ジャンを呼んできてくれ!! 消火だ!!」

 

 

――船は、あまりにも無残なものと化していた。

 

 

 

 

「ああ、うん……大丈夫よ、これくらい。ただ、セーニョ港からあたし、戦線離脱させてもらうわね……さっきも戦ってなかったのに、ごめんね……」

 

「いいよ、わたし達に任せて! 水の遮断は大事だもん!! ……こっちこそ、ごめんね」

 

「ディアナ、君の火はなかなか手強かったです。良い経験になったんじゃないか? 精霊同化(オーバーリミッツ)に続いて、秘奥義も取得するなんて」

 

「な、何か……行けそうだったから、行ってしまった……こんなところで火の技使ってすまない、船が燃え尽きなくて、良かった……」

 

 船を沈ませないために、戦闘に参加していなかったポプリとクリフォードが船上を駆け回る。いたる所に空いた穴から水が入らないように術式を刻み、所々で燃え盛る炎を強引に水属性魔術で消火し、何とか船を海の上に浮かせ続ける――この二名がいなければ、間違いなく船は沈没していただろう。

 しかもポプリに関しては目覚めたベリアルが暴れないようにと、彼女の行動を制限する魔術まで使っている。どう考えても負担が大きすぎる。セーニョ港まで持てば良いのだが。

 なお、エリックとアルディスは迷うことなく船長に全力で頭を下げに行っていた。両国の代表に頭を下げられる船長は一体どんな気持ちになったのだろうか……。

 

 

 大惨事がひと段落し、六人は再び甲板に集った。甲板は見るも無残な姿と化してはいたものの、辛うじて人が難なく立てる状況は保っている。とりあえずこの船は母に頭を下げてでも買い取ろうと思う――そんなことを考えていたエリックの耳に、少女の悲痛な悲鳴が届いた。

 

「! 今のは!?」

 

「行こう、エリック!」

 

 ベリアルが目覚めたのだろうが、目覚めて早々悲鳴を上げるとは思えない。何かがあったのだろうと考えるべきだ。エリックはアルディスと共に、ベリアルを軟禁していた部屋へと駆け込んだ。

 

 そこで見たのは、アルディスが『傲慢な皇子ごっこ』で脅迫した男二人の姿だった。

 

「へへ、純血鳳凰(クラル・キルヒェニア)は高く売れるからなぁ……おい、そこの鳥! 邪魔だ!!」

 

「ノア皇子は無理でも、こいつらなら大丈夫だろう」

 

「……」

 

 見たくなかった。部屋の隅でチャッピーに縋り付きながら可哀想な程震える幼い少女と、その少女にニヤニヤと気持ちの悪い笑みを浮かべながら近寄る男達の姿なんて。心の底から見たくなかった。

 ついでにこんな男達に劣等感を刺激されて暴走した約一ヶ月前の自分に対して吐き気しかしない。

 

 エリックは無言で、ベルトに指していた短剣に手を伸ばす。奇遇にもアルディスの手にもナイフが握られている。恐ろしい程の団結力を発揮した彼らは、すっと男達の背後に近寄り、彼らの両手を拘束してその首筋に刃物を突きつけた。

 

 

「そんなに胴体と別れたいようだな。別れ話は済んだか? この下衆が……ッ」

 

「我らに勝てぬからといって、幼い少女に手を出すとはなぁ……無様で間抜けなものよ」

 

 

――嗚呼、やる予定なかったのに。『傲慢な王子ごっこ』。

 

 拘束を緩めてやれば、男達は悲鳴を上げながら抜かしてしまったらしい腰と戦いつつ部屋を飛び出していった。本当に、どうしようもない程に小物臭しかしない。

 エリックは部屋に残されたベリアルへと視線を移す。チャッピーの首に縋り付き、震える彼女の涙腺が――とうとう、決壊した。

 

 

「ふ……っ、ふぇえええぇん!!! もうやだぁあああぁあ!!!」

 

 

「!!??」

 

 菫色の瞳から大粒の涙を流し、ベリアルが泣き叫ぶ。黒衣の龍幹部とはいえ、ベリアルはどう見ても幼い少女。本来ならもう限界を迎えてしまっていてもおかしくはなかった。ギリギリのところで耐えていたものが、理性の壁が、男達の襲撃によって崩壊してしまったのだろう。

 

「あ、ああもう泣くな! 大丈夫だから、な?」

 

「助けて、怖いよぉ……! ダリ、フェリ……うえぇええん、うわぁあああぁん!!!」

 

「そんな泣かれたら俺達誘拐犯みたいじゃないか! 泣かないでよ……!!」

 

 少女の我慢がキャパオーバーしている。どうしたものかと狼狽えるエリックとアルディスの元に、仲間達が次々と駆け付けた。

 

「だ、ダリとフェリって誰かな……」

 

「ひょっとして他の黒衣幹部の愛称か? ダリウスの愛称がダリなら納得できる」

 

「! そうだ、ダリはいないけどダリの弟はいるわ!! 泣いてる子どもは苦手だって、部屋の外で狼狽えちゃってるけど……」

 

「んなもん知るか! クリフォード、来い!!」

 

「は、はい!」

 

 名を呼ばれ、ダリの弟ことクリフォードが開いたままになっていた入口から部屋に入ってくる。本当に泣いている子どもが苦手らしく、目を閉ざしたまま、酷く顔を引きつらせた彼は、恐る恐るといった様子でベリアルへと近付いていった。

 

「ううっ、ひっく……ぐす……うええぇええん……っ!」

 

「……。あの、そ、そのー……」

 

 泣き喚く少女に近付く、オドオドした青年という図もなかなか酷いものであったが、それでも先程の男達よりはマシだ。道を開けてやれば、クリフォードはゆっくりとした動きでベリアルの前へと移動し、これまたゆっくりとした動きで少女の前に屈み込んだ。

 

「……? だ、ダリ……?」

 

「ダリの……ダリウスの、弟、です……」

 

 少女の涙が、ピタリと止まる。ダリ=ダリウスで間違いなかったようで、エリック達はクリフォードに悪いと思いつつ安堵した。ベリアルは涙に濡れた顔を必死に拭い、目の前で盛大に視線を泳がせている青年の顔をまじまじと見つめながら、口を開いた。

 

「本当だ……似てるけど、ダリより、女の子っぽい……?」

 

「初対面の人にそう言うこと言っちゃダメって兄から教わってないですか!?」

 

 泣き止むなり、少女はいきなりクリフォードのコンプレックスを盛大に刺激した。余程ダリウスと仲が良いのだろうが、その弟に対して非常に馴れ馴れしい。

 

「……。僕は、母親似なんですよ。だから、その……」

 

「女の子っぽいの?」

 

「ッ、き、気にしてるんで次からそれ禁止だ……!」

 

 ベリアルが軽く首を傾げ、悪びれる様子もなくクリフォードに言葉の刃を突き立てる。青年は少女の連撃に若干挫けそうになっている。これには耐え切れず、エリック達が吹き出した。

 

「とりあえず、泣き止んでよかった……すまん、クリフォード」

 

「もう良いです……兄は男らしく育ったんだなって思っときます……」

 

「いや、ダリウスも割と中性的だったかな……」

 

「……母の遺伝子強すぎませんかね……」

 

 エリックの言葉にがっくりと肩を落とし、クリフォードは頭痛に耐えるようにこめかみを押さえている。しかし、そのままでは駄目だと思ったのだろう。彼は顔を上げ、両目を開くとベリアルの菫色の大きな瞳を見据えて微笑んだ。

 

「ダリウスの弟、クリフォードと申します。君の名前を、教えて頂けませんか?」

 

 知人に似た容姿と、穏やかな口調に安心したのだろう。少女は少し考え、ゆっくりと口を開く。

 

 

「ベティーナ。ベティーナ=ウィンズロー……名前、“ベリアル”じゃなくて、こっちが良いんです……よね?」

 

 

 菫色の瞳を細め、微笑む彼女はもう、自分達に警戒心を抱いていないようであった。

 

 

 

 

 彼女の立場を考えると大丈夫なのか不安になったが、黒衣の龍幹部の少女、ベティーナは「わたしのことだったら、良いんです」とエリック達に色々なことを話してくれた。

 

 ベティーナは十一年前に実験施設で誕生した、ラドクリフ生まれの少女だった。しかし、そのまま実験体になることはなく、特殊能力が希少な天恵治癒(エルフリーデ・イヴ)であったことを理由にヴァロンに見出され、そのまま彼に仕えているらしい。彼女が言うことを聞くことを条件に、両親はまだ生かされているとのことだ――その時点で脅迫なのではないか、とエリック達は眉をひそめたが、ベティーナは「怖いけど嘘は吐かないから平気です」と微笑んでみせた。

 ダリウスは幼い少女にとって兄のような存在らしい。彼の口から、弟がいるという話を度々聞くので、どんな人か気になっていたとのことだった。だが、それ以上は聞かせてもらえず、ダリウスの次の行動を予測することは不可能だった。

 

「ベティーナ。“フェリ”っていうのは、フェレニーのことかしら」

 

「……何も、言えません」

 

「そう……」

 

 それは“フェリ”という人物についても同様だった。ダークネスを名乗るダリウス、ヴァルガを名乗るヴァロン、そしてベリアルを名乗るベティーナというように仕事名と本名が繋がっている流れを見る限り、恐らくフェレニーのことを指しているであろうことは確かだ。だが、詳細は不明であった。少女は最初に言った通り、やはり自分のこと以外は話す気がないらしい。それはエリックとアルディスの持つ宝剣を狙った理由についても同様で、その件について彼女は何も口にしなかった。

 ポプリには何か思うところがあるようで、彼女は“フェリ”という人物について特に知りたがっている様子だった。それでも、ただ聞くだけだ。レーツェルを取り上げ、更に術が使えないように魔術封じを発動してはいるものの、ベティーナに危害を加えるつもりはない。そんな彼女らの様子を感じ、ベティーナは不思議そうに首を傾げてみせた。

 

「……皆さんは、優しいんですね。拷問とか、しないんですね」

 

 覚悟してたんですよ、とベティーナは笑う。油断させておいて後から……という発想には至らない辺りが、彼女の子どもらしさなのだろうと感じる。勿論、そのつもりはエリック達には無かったが。

 

「あー、そうだな……お前があまりにも無防備で暴れないから、こっちもそういう発想にならなかったんだよな。信じるかどうかは別だが、正直その類のことをする気はないよ」

 

「アベル王子……?」

 

「そうだ。僕らは前にダリウスに助けられてるんだ。だから、その借りを返すって形でどうだ?」

 

 ちらり、とエリックは仲間達へと視線を移す。異議は無いようだ。後々のことを考えれば、甘すぎる判断だろう。だが、ここまで自分達に心を開いてくれている幼い少女を殺す気にはどうしても慣れなかった。

 むしろ、そうするくらいならば黒衣の龍を相手にした交渉材料として、彼女を捕虜として連れていた方が賢いような気がする。捕虜として使えるかどうかは、その時に分かる。どうしようも無ければその時に考えれば良い……と、楽観的なことをエリックが考えていた時のことだった。

 

 

「……ゾディート様が心配するのも、分かる気がする」

 

 

 ぽつり、とベティーナが口にした言葉。その言葉を、エリックは聞き逃さなかった。

 

「どういうことだ?」

 

「あ……」

 

 うっかり、口を滑らしてしまったのだろうか。ベティーナは両手で口を覆い、エリック達から顔を背けてしまった。どうしたものか、とエリック達がベティーナの反応を伺っていると、彼女はおどおどとエリックを見上げ、口を開いた。

 

「助けて頂いたお礼、です……偉そうで、ごめんなさい」

 

 何かを、言うつもりらしい。先に謝ってきた時点で想像はできたが、彼女の口からは少し言いにくい言葉のようだ。

 

「えと……わ、わたし……甘すぎるのは、危ないと思うんです。あと……その、甘いのは、良いことではないと、思うんです。そこを、狙われることだってあるから……誰にも守ってもらえない、そんな立場になってしまうと……本当に、危ないんです、よ……?」

 

 たどたどしい言葉で紡がれたのは、エリック達が持つ『甘え』への忠告。いざとなったら、情け無用で相手を殺せと、そう言いたいのだろう。甘えを見せた相手に、何をされるか分からないから、と。

 確かに、今の彼女の立場を思えばこれは言いにくい発言であったことだろう。しかし話の流れから推測するに、恐らくこれはベティーナの言葉というよりはゾディートの言葉だ。ベティーナは何も言わないが、その可能性も考えた上で動くべきだ。

 

「忠告、ありがとう」

 

「お礼、ですから。今のわたしには、みなさんの甘えが、ありがたいんです」

 

 そう言って、少女は控えめに笑ってみせる。こうして見ると、本当に年相応の幼い子どもだ。栄養失調気味なのか、一般的な十一歳の少女と比べると随分小柄なのが、どうしても気になってしまうが。

 

 彼女は、自分が置かれた境遇を不満に思ってはいないらしい。しかし、それは普通の少女が過ごしているような環境を経験していないからこその感情なのだろう。事実、ヴァロンに対しては酷く怯えているし、無理矢理言うことを聞かされていることは間違いない――では、ゾディートとの関係はどうなのだろうか?

 恐らく悪いものではないが、あまりにも不明確過ぎる。エリックはそこを探りたかったが、少女は口を割らない。

 もし、彼女が言うように拷問を行ったとしても、彼女の意思は硬そうである。「助けて」と泣き喚くことはあれども、死ぬまで口を割らないような気がする。彼女にも、黒衣の龍幹部としてのプライドがあるということなのだろうか。

 

「……」

 

 何かしらの強い信念を持ち、ゾディートに仕えるダリウスの姿が脳裏を過る。もしかすると彼女らも、それは同様なのだろうか。

 ゾディートのためならば己の命を投げ捨てても構わないと、そう思っているのだろうか。それは一体、何故なのだろうか。

 少なくとも、ダリウスやベティーナに世界征服や戦争の発生を望んでいる節は全く見られない。破壊行動の目立つ黒衣の龍に、彼らが所属している理由が分からない。そもそも破壊行動が目的なのだとすれば、クリフォードが言っていた『神格精霊マクスウェルがゾディートに加担している』という事実にも様々な疑問が生じてしまう。

 

 黒衣の龍は、兄は、一体何を目的として動いているのだろうか……?

 

(兄上に、会わないと。会って、話を……)

 

 セーニョ港に着くまでの三日間。エリックは一人、そんなことを考え続けていた。

 

 

 

―――― To be continued.


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