テイルズ オブ フェータリアン ー希望を紡ぎ出すRPGー   作:逢月

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Tune.51 前を向いて

 

 コンコン、とドアを軽くノックし、開く。ベッドに腰掛けていたジャンクは、こちらに気付くと穏やかに微笑んでみせた。

 

「ジャン、調子はどうだ?」

 

 ジャンクが目を覚ましてから、三日が経った。

 最初はアルディスの件を気にして早くここを出るべきだと主張していたジャンクであったが、まだ魔力の安定していない彼を逆に心配して留まるように主張したアルディスの意見が勝ったのである。その意見が決して間違っていなかったことは、ジャンクの顔色が証明してくれている。

 

「大丈夫、とだけ言ったら怒るのでしょう?」

 

「当然だ。まあ、僕よりアルが怒るだろうな」

 

 まだ敬語癖が抜けていないが、この件に関しては後々“ある件”と一緒に指摘してみようとエリックは思っている。とりあえず、今は本人の回復が最優先だ。

 ジャンクは左手でだらりと垂れた右腕に触れつつ、エリックの問いに答えてくれた。

 

「……。右腕はしばらく時間がかかるでしょうが、透視干渉(クラレンス・ラティマー)の発動は問題なくできるようになりました。なのでもう、僕は本当に大丈夫ですよ? 後衛としてなら、戦闘にも参加できます」

 

「戦闘参加を前提にするのやめてくれ……」

 

 今までは精霊術で肉体を強化していただけであって、ジャンクは元々、実験の後遺症で素の腕力が極端に弱いのだという。足技を主体とした格闘技を使うのは、そのためだ。

 だから足さえ動けば右腕が使えなくても戦闘にはそこまで支障がない。大丈夫もう行ける――などというとんでもない主張で押し切ろうとしていたことは記憶に新しい。

 

「そもそもジャン、お前の戦闘能力は精霊の使徒(エレミヤ)契約があってこそのものなんだろう? しばらくお前を戦闘メンバーに組み込む気はないよ」

 

「!? え……っ」

 

 第一、ジャンクはあまり戦闘に参加していない。エリック達と旅をし始めてからというものの、何かと訳あって彼は戦闘から外れていることが多かった。そんな事情もあり、尚更この状況の彼を戦闘要員として組み込もうとは到底思えなかったのだ。

 

「別にお前が邪魔とかそういう奴じゃないからな」

 

 念のため前置きをした後、エリックは軽く息を吐いてから話を続ける。

 

「お前が『行かない』って決めない限りは、僕はお前を連れ回す気でいた……だけど、それが正しいことなのか、正直悩んでいるんだ」

 

「……」

 

「ここに残るっていう選択肢もあるんだからな、ジャン」

 

 本当に、この村からジャンクを連れ出して良いのだろうか――それは、この三日間彼の様子を見ていて感じたことであった。

 

 最初こそ他人への恐怖が勝ってしまい、誰かが同伴しなければ外に出なかったジャンクであったが、彼の祖母を始めとする村人達の積極的なアプローチによって、彼は少しずつ村人達と接するようになっていった。間違いなく、良い変化である。だからこそ、彼をここに残していくべきなのではないかと、エリックを含む五人は考えるようになっていったのだ。

 

 それは、最終的にはジャンク本人が決めるべきことではあるが、今のジャンクは何かしら言ってしまえば間違いなくそれに引っ張られてしまうだろうし、言わなくても自分の意思がどうであれ着いてくる可能性が高い。結局彼はこれからどうしたいのか、それを先に聞いておいた方が良いだろうと考えたのだ。

 

「勿論、ジャンが僕らに着いてきてくれると助かるんだ。ただそれ以上に、無理矢理お前を連れ出したくはない」

 

 そう言ってエリックが赤い目を細めて笑えば、ジャンクは困惑を隠せない様子ではあったもの、やんわりと笑い返してくれた。悪い方向に受け取られないかが心配でたまらなかったのだが、この表情を見る限りでは大丈夫そうである。

 

「大丈夫ですよ。エリック達が僕のことを考えてくれていることは分かっていますから。ありがとうございます……ですが少し、考えさせてくれませんか?」

 

 即決で着いていく、と言わないか心配していたのだが、案外ジャンクはちゃんと悩んでいたらしい。「勿論だ」と返すエリックの声は、安堵の色を含んでいた。

 

 

 

 

「マルーシャ、ディアナ」

 

 エリック達がロビーで待っていると、ジャンクはその手に水晶の原石のようなものを持って部屋から出てきた。待っていた五人は彼の登場を待っていたと言わんばかりに視線を向ける。特にエリックは「作りたいものを思い出したので部屋を出て頂けますか?」と何とも言えないことを言われて部屋を追い出されたために、少し不安になっていたのだ。

 だが、心配は杞憂だったようで、ジャンクは先程と変わらない様子でこちらにやって来て、マルーシャとディアナに手にしていた結晶を手渡した。

 

「うわぁ、綺麗な石……」

 

「ジャン、これは?」

 

 それは近くで見ると、水晶というよりはアクアマリンを思わせる水色がかった結晶であった。触れてみるとほのかに暖かい感じがする。それは気持ちの悪い暖かさではなく、マルーシャやディアナの治癒術を受けた時に感じる暖かさによく似ていた。

 

「僕が持つ治癒の力を、凝縮したものです。ほんの一部ではありますが、少しは二人の役に立つのではないかと」

 

「! ちょ、ちょっと! それ、先生に何かしら影響が……!」

 

 そういえば、ジャンクは数日前に「能力を分ける」といったことを言っていた。それを有言実行してきたのだろう。だが、そんなことをして大丈夫なのかとポプリは不安げに声を震わせる。しかし、ジャンクは脳天気にクスクスと笑ってみせた。

 

「出ませんよ、これくらいじゃ。逆を言えば、これくらいではそこまで大きな力にはならないのですが……一番良いのは、獣化した状態で角を折ることだったんですけれど、多分、それをやったら君達は怒るかなー、と」

 

 怒ってくれたら、それはそれで嬉しいんですけどね。と、どこか悲しげに笑うジャンクの言葉にアルディスが「冗談じゃない……!」と声を震わせている。よく分からないが、アルディスの反応を見る限りその行為がもたらす代償は極めて大きなものであることは間違いない。同じヴァイスハイト同士、危険性を理解しているのだろう。

 

「な、なら良いんだが……すまない、助かる」

 

「とりあえず、ジャンの角折っちゃダメなんだろうなってことは理解したよ。ありがとう、ジャン」

 

 ディアナとマルーシャの言葉に反応するかのように、結晶は魔力の塊となり、二人の身体に吸い込まれていった。だが、これは本当に大丈夫なのだろうかと、不安になったエリックはジャンクの顔色をちらりと伺った。するとジャンクは決まりが悪そうに「えーと」と呟き、視線を泳がせる。

 

「あの、本当に大丈夫ですから……血を流す、という手段もあったのですが、それも今回は使いませんでしたし……貧血起こして倒れたら迷惑かかるかな、と思ったので……」

 

「ケルピウスの血は良薬って奴か……いや、それも違うんだったら、お前、どうやって」

 

「精霊もですが、こういうものは『音』と相性が良いんですよ」

 

「こ、答えになってない!」

 

 そうエリックが言うと、ジャンクはエリックから目をそらし、微かに顔を赤くして口元を押さえてしまった。

 

「……。お前はピアノを弾けるようですが、僕は何も弾けませんし、楽器も持ってません。そんな僕が音を、旋律を刻む方法は、ひとつしか無いんです……今回は複雑な旋律を刻む必要があったので、鈴ではどうにもならず……」

 

「え……」

 

 ディアナのこと、尊敬してます――最後にそう言ってジャンクは口を閉ざしてしまった。

 

「へ……っ!?」

 

「あ、あぁ……」

 

 言われてみれば、確かにディアナはすごいと思う。恥ずかしがらず、平然と人前で“それ”をしてしまうのだから。

 別に度胸があるとか、そういうわけではなく、彼女の場合は単純に能力によるものがあるのだろう……が、改めて考えてみると、本当にすごいと思う。

 もし万が一、自分が聖歌祈祷(イグナーツ・エリス)能力者であったら、と想像するとゾッとする。無理だ、自分にはできない。絶対にやりたくない。

 

「な、なあ……あまり良い褒められ方をしたとは思えないんだが! どういうことだ!?」

 

「……気にするな」

 

 困惑するディアナにこれを言ってしまうと非常に可哀想なことになりそうだ。ここは話をそらした方が良いだろうと考え、エリックは適当な話題を探し始めた。だが、その必要は無さそうだ。

 

 

「クリフォード君、元気そうだね」

 

 宿屋の入口の扉を開き、中に入ってきたのはジャンクの叔父であるロジャーズだった。最初こそ彼に酷く怯えていたジャンクであったが、今では若干の違和感こそあるものの、過剰な反応を見せずに接することができるようになっていた。

 

「準備はできています。もう、行けますよ」

 

「そうか。じゃあ、お願いしても良いかな?」

 

 どうやら何か約束をしていたらしく、ジャンクはそのままロジャーズに着いていこうとした……が、流石に何も言わずに出て行くのはどうかと思ったのだろう。彼は立ち止まり、エリック達を振り返って事情を説明し始めた。

 

 

 ジャンクは約束、と言うよりは切実な相談を受けていたらしい。それも、ロジャーズどころか村人全員から村の存続に関わるような、そんな重大な相談を。

 

「ブリランテの奥地には、精霊の神殿があるそうなのです……どの精霊の神殿であるかは、今は言いません。本人も、言いたくないようなので……話が逸れましたが、どうやらここ数年、そこが瘴気に侵されているそうなのです。その瘴気を浄化しなければ、土地に影響が出てしまう――今、ブリランテはそのような状況に置かれているのだとか」

 

「! そうか、ジャンさんには瘴気浄化の能力があるから……!」

 

「はい。厳密には、ケルピウスという種に瘴気浄化の能力があるそうなのです。浄化の力を発揮する手段は、村の皆さんに教えて頂きました……ので、行ってきます」

 

 その言葉の裏に、「誰も着いて来ないでください」という思いがあることを察するのは、そう難しいことではなかった。だが……

 

 

「ちょ、ちょっと待ってよ!! 何でひとりで行こうとしちゃうのかな!? 来ないで欲しい感そんなに出されると気になっちゃうよ!!」

 

「そうよ! 先生、どうしちゃったの!?」

 

 

――それを全面に出されてしまうと、かえって気になってしまうということを彼は学ぶべきだ!

 

 

「ッ、い、嫌です……!」

 

「何で!?」

 

「言えば絶対に君達は『気になる』って言い出しますから! とにかく、着いて来ないでください!!」

 

 ジャンクの口から出たのは、明らかな拒絶の言葉。しかし、それは逆効果だ。そんなことを言えば、逆に着いて行きたくなるだろう。あまりのジャンクの必死さに、ロジャーズが我慢できずにケラケラと笑い出してしまっている。

 

「……ジャン、お前、墓穴掘りまくってるから……もう無理だ、諦めろ……」

 

「僕はディアナじゃないんですから!! 絶対に無理……あっ」

 

 だが、ジャンクは何かに気付いたらしい。またしてもディアナを困惑させるような言葉を口走った後、彼はディアナを見て「これだ」と呟いた。

 

「そうだ……最初から、得意な子にやってもらえば良いんですよ。幸い僕は、支援系の能力に長けている……い、良いですよね? ロジャーズさん!」

 

 ジャンクが必死だ。怒り狂うマルーシャ並に珍しい彼の様子に、エリックも腹痛を感じる程の愉快さを感じつつあった。

 

「い、良いけど……クリフォード君、母親譲りの上手さなんだから自信持っていいのに……本当に嫌なんだね、鈴使うよりこっちのが効率良いのに……」

 

「それとこれとは話が違うんです……ッ!! あ、エリック! お前は絶対に着いて来ないでくださいね!!」

 

「はあっ!?」

 

 

 

 

 やって来たのは、ブリランテの中心から少し離れた場所。そこは低い雑草くらいしかないため、先がよく見える。開けた荒地、とでも言えばいいだろうか。少し遠くに、朽ちた建物が見えた。

 

「ディアナ、すみません……嫌なんです、本っ当に嫌なんです……!」

 

「ああ、構わないが……そうか、世間一般的に見れば、オレの能力って変なんだな……」

 

「! そうじゃなくて! そうじゃなくて……!!」

 

 その建物の前で、ジャンクとディアナが妙な言い争いをしている――嗚呼、だから話を変えようとしたのに。こっそりと岩陰に隠れ、彼らの様子を眺めるエリックは、盛大にため息を吐いた。

 

「もう良い……じゃあ、始めるか。援護、よろしく頼むぞ」

 

 少し不貞腐れた様子ではあったが、ディアナはジャンクに協力することにしたようだった。能力を解放させるためだろう。ジャンクが半獣化するのを見た後、彼女はすっと軽く息を吸い込み、そして美しいソプラノの旋律を刻み始めた。

 

「――、――――……」

 

 発せられたのは、謎の言葉であった。またフェルリオの旧言語かと思ったが、多分違うだろうとエリックは感じていた。ジャンクに教わったのだろうか。

 もっと近くで、ディアナの歌声を聴いてみたい。そう思い、彼は少しずつ、距離を狭めていく。幸い、仲間達はディアナの歌声に夢中でこちらに気付いていない。

 

「ッ! ……っ」

 

 それが愚かな行為だったことに気付いたのは、数歩足を踏み出した途端、喉が明らかにおかしな音を鳴らした時のことであった。いつもの発作かと思ったが、違う――普段の発作はこんなものではない!

 

「ごほっ、げほげほげほ……ッ!! ッ、ごほっごほ……っ、ひゅ……ぅ……っ」

 

 息ができない。身体が痺れてくる。喉を押さえ、その場に崩れ落ちてしまったエリックの存在に、流石に仲間達が気付いた。

 

「エリック!」

 

 嗚呼、ジャンクが「絶対に着いてくるな」と言ったのはこのせいだったのかと薄れかかった意識の中でエリックは考える。言うまでもなく言葉足らずだったわけだが、あまりにも必死だったジャンクは、そこまで頭が回らなかったのだろう。

 

「ど、どうしよう……っ! あまり効いてない……!!」

 

「あの……ディアナ、申し訳ありません……多分、今の君ならできると思うので……」

 

 マルーシャが涙声になってしまっているが、今のエリックにはそれを宥める手段が無かった。全く酸素を取り込めず、苦しむことしかできないエリックであったが、その状況はディアナの歌声が聴こえてきた瞬間に少しずつ、改善されつつあった。

 

(え……?)

 

 旋律には、聞き覚えがある。これは第五楽章こと、『ホーリーソング』だ。

 だが、それはいつもと違っていた。言語が、聞き取れないのだ。先ほどディアナが歌っていたものとは違い、今度はフェルリオの旧言語である。

 

 呼吸が少しずつ落ち着いてきたエリックは、おもむろに顔を上げ、ディアナの姿を見た。堂々と清らかな歌声を発する彼女の背には、いつもとは違う白く神々しい翼があった。恐らく、あれはディアナが精霊同化(オーバーリミッツ)した姿だ。

 エリックやアルディスの精霊同化が戦闘に特化したものであるとすれば、ディアナの精霊同化は癒しに特化したものなのだろう――美しいな、とエリックは素直にそう思った。

 

「ッ、わ、悪い……来るなって、言ったのは……こういうこと、だったんだな……」

 

「エリック!」

 

 エリックが絞り出すように発した言葉に反応し、マルーシャが悲鳴に近い声を上げる。申し訳ない、と近くにいた彼女の頭を撫で、エリックは苦笑した。

 

「これなら、ディアナ単独でも浄化できそうですね。流石、聖歌祈祷(イグナーツ・エリス)……もうこのまま任せてしまいましょう。で、エリックは大丈夫ですか?」

 

 怒られるかと思ったが、決してそんなことはなく。困ったように笑うジャンクの視線に、エリックは乾いた笑い声を上げた。

 

「来るなって言われたのに、悪かったよ……良いもの見れたから、後悔はしていない」

 

 開き直ったような態度のエリックが気に入らないのだろう。傍にやって来たのは、誰よりもディアナの姿に見とれていたアルディスだった。

 

「ジャンさんの代わりに、俺が後でエリックをお説教しようかな……でも、あれを“忌み子”なんて言うんだから、同胞のセンスの無さを感じてるよ」

 

「はは……悪かったって……」

 

 軽い調子で返してみたものの、本当にディアナもといダイアナを“忌み子”と称し、蔑む聖者一族に対しては怒りを覚える。力を解放した彼女の翼は、彼女の夜空のような藍色の髪をより一層美しく魅せてくれている。

 しかし、聖者一族からしてみれば、どう足掻いてもあれは穢らわしいものとしてしか受け取れないのだろう。エリック達には、到底理解できない価値観である。

 

 ディアナが歌い終える頃には、辺り一面の空気が確かに浄化されたような感じがした。瘴気は目には見えないが確かに存在しているのだということを、身をもって感じることができた瞬間である。

 

「……」

 

 目を閉じ、ディアナが力を抜く。少しずつ、彼女の翼に色が戻っていく。そのどこか幻想的な姿を、エリック達は静かに眺めていた。

 

 

「……。先生が歌ってるのを聴いてみたかった気もするんだけど、ね」

 

「そう言うと思ったから、嫌だったんです……」

 

「ねえ、今度歌ってみせてよ」

 

「嫌です……!!」

 

 

――を、盛大にぶち壊しにされたのだが、エリックの件を棚上げにして怒っても良いだろうか?

 

 

 

 

「ありがとう! 流石ケルピウス、だね」

 

「作物に影響が出始めていたから、どうしたものかと悩んでいたのよ。助かったわ」

 

「え、ええと……」

 

 村に戻るなり、ジャンクは村人達に感謝の言葉を投げかけられていた……が、今回の件はほとんど彼の出る幕無しだったこともあり、どこか居心地の悪さを感じているようだった。

 

「……その、実際には、僕がやったわけでは」

 

「どちらにせよ、君が受け入れてくれなければ解決しなかったんだ。助かったよ、クリフォード君」

 

 弁解しようとしたジャンクの肩を叩き、ロジャーズは彼に微笑みかけた。それに対し、へらりと困ったように笑うジャンクの顔を見れば、やはりエリック達の中であの疑問が過ぎってしまう。

 

「……」

 

 何せ、ここに来るまでは一度も見たことが無かったのだ。ジャンクのあんな、力の抜けた柔らかな笑みを。今にして思えば、彼は悲しいほどに作り笑いが上手な青年だったのだ。

 

「……エリック君」

 

 そう思ったのは、エリックだけではないようで。この中の誰よりも彼を想っているであろうポプリが、複雑そうな表情をしてこちらを見ている。

 ジャンクが村人達に囲まれている隙に、こっそり村を発ってしまった方が彼のためになるのではないだろうか――そんなことをエリック達が考え始めた、その時だった。

 

 

「そういえば、クリフォード君は彼らに違う名で呼ばれているよね。それは、どうしてなんだ?」

 

 

 エリックが最も気になっていた、彼の名に関する問いがロジャーズの口から発された。

 

「……。僕の本名は、クリフォード=ジェラルディーンです。けれど僕は、この姓にあまり良い思いを抱いていません……そうなると、名前の方も似たようなものです。それでも違う名を名乗ると不便なので、名前に関しては基本的に使うようにしてきました。ポプリよりも前に会った人に関しては、僕を本名で呼びますよ」

 

 それが普通だ。自分の物と思えないかけ離れた名前を使うのは、なかなかに苦労が伴うものだ。後に聞いた話だが、アルディスが完全な偽名を使わなかったのもこのような理由らしい。

 例外的にディアナは“ディアナ”を自分の名だと思ってはいないだろうが、彼女の場合はそもそも本当の名で呼ばれた記憶が無い。だから、不具合が生じていないといっても過言ではないのだろう。

 

「せ、先生……じゃあ、なんで、あたしには……」

 

 ならば、どうしてポプリには変な偽名を使ってきたのか。少なからず傷付いたらしいポプリが、縋るようにジャンクを見つめる。一方のジャンクはポプリの様子にたじろいだ後、ためらいつつも口を開いた。

 

 

「……物理的なショックで記憶が一時的に消し飛んでいたんですよ。ただ、単純に……あの時、すぐに自分の名前が思い出せなかったんです……」

 

「えぇっ!?」

 

 

 ジャンクの偽名には、きっと悲しい理由があるに違いない――誰もが、そう思っていた。なのにまさか、こんな反応に困る答えが返ってくるなどと、誰が想像したか。

 

 

「君のせいですよ……君のせいで、僕はよく分からない偽名を名乗ったんです……!」

 

「あ、あたしのせい……!? あたしのせい、なの……!? あたしのせいだわ……!!」

 

 これはポプリが悪い。何せ、出会ったばかりのジャンクに全力の攻撃術という名の物理的ショックを与えたのは、他でもないポプリだ。

 

「記憶が消し飛んだとはいえ、一部でした。なので、残った部分を咄嗟に繋ぎ合わせた結果が『ジャンク=エルヴァータ』です……“ジャンク”は時々ヴァロン様に呼ばれていた呼び名で、“エルヴァータ”は友人の姓ですね。慣れたら一緒ですから、もう良いんですけれど」

 

 ははは、とジャンクは笑うが、あまり笑える話ではない。ポプリは絶句してしまっているし、それはエリック達も同じだ。どこから訂正してやれば良いのか分からなくなってしまった。

 

「せ、先生……」

 

「気にしないでくださいね。ちょっと意地悪がしたくなっただけです。変な名前だとは思いますが、気にしてないので」

 

 何とか絞り出すようにして言葉を発したポプリに対し、ジャンクは穏やかな笑みを向けてみせる。彼のアシンメトリーな瞳に、恨みや怒りといった感情は一切含まれていなかった。

 

「きっと、“クリフォード”という僕の名を知っていても、君は……君達は、変わらなかったでしょう? ジャンクでもクリフォードでも、君達は『精霊の愛し子』でも『可哀想な子』でもなく、『僕』という人格を見て、接してくれただろうと、そう思っているんです」

 

 ああ、そういうことか、とエリックは思う。何らかの肩書きを前提に見られ、肩書きを元に勝手に『自分』を判断される悲しみを、エリックは知っていた。それに加えてジャンクの場合は、畏敬や恐怖、侮蔑や同情といった何らかの感情越しに接されることが多かったのだろう。『ジャンク』という名は自分の名前に、それどころか自分自身に大した価値を見出していないジャンクだからこそ、成立した名前だったのだ。

 そもそもポプリは、自分達は、彼を蔑む目的で『ジャンク』と呼んだことは、一度も無い。

 ジャンクはしっかりと、それを感じ取っていたのだろう。エリック達に向ける彼の笑みは、どこまでも優しいものであった。

 

 

「呼び方なんて、どうでも良いんです。そこに、僕への想いが感じられるから……だから、これからも。好きに呼んでくださって結構ですよ」

 

 

 これからも、という彼の言葉に。彼が「これからどうしたいのか」という想いが込められていた。

 

「……。良いのか? 絶対お前、辛い目に合うと思うんだが」

 

「はい。全く悩まなかったかと言えば嘘になりますが、決断はこれでも早かったんですよ?」

 

「敬語が取れないのに? 僕らに対して敬語のままなのに?」

 

「あ……そういえば、崩すのを忘れていたよ。まあ、敬語で喋ってしまうのは僕の癖なので、どう足掻いても完全には抜けないが、まあ、今まで通りですね?」

 

 意思は、硬いらしい。やはり癖だったらしい敬語が崩れ、聞きなれたあの変な喋り方に戻る。それができるくらいの、余裕があるのは間違いなさそうだ。

 

 ふいに、「あーあ」と残念そうな声が聴こえてきた。ロジャーズを含む、村人達であった。

 

「残ってくれないかなーとは思ったけど、駄目だったか。まあ、無理強いするつもりはないから、たまに帰っておいでよ。たまに、で良いから」

 

「君がどこに住んでいたのかは知らないけれど、ここは君の故郷同然なんだから。本当に、いつでも帰っておいで」

 

 残念だとは言うが、止める気はないらしい。いつの間にかやってきていたミカエラも、同じような反応を見せている。祖母の目線に合わせ、しゃがみこんだジャンクの頬に、ミカエラは愛おしそうに触れた。

 

「可愛い孫が決めたことだからね。寂しいけれど、仕方ないね」

 

「……ミカエラさん」

 

「“お婆ちゃん”って呼んでくれても良いんだけどねぇ?」

 

「そ……それは、ちょっと……」

 

 困惑するジャンクの両頬をぺちぺちと軽く叩き、ミカエラは笑う。「仕方ないね」と彼女は呟き、エリックを見上げた。

 

「孫を、頼むよ」

 

「……はい」

 

 実兄に続き、祖母にまでジャンクを託されてしまった。きちんとした形で愛されてこなかっただけに本人には届きにくいのだろうが、『家族の愛』というものをジャンクは一心に受けているではないかとエリックは思う。

 

 

「じゃあ、行こうか。本当に良いんだな? ――“クリフォード”」

 

 エリックに名を呼ばれ、空色の髪の青年は少し驚いた様子だった。しかし、彼は一切嫌悪感を見せず、少しだけ泣きだしそうな笑みを浮かべてみせる。

 

「二言はないさ。どこまでも着いて行きますよ……『僕』という存在を受け入れてくれた、お前達に」

 

 

 そうして青年は、母の生まれた村を旅立つ――今まで、飢える程に欲していた愛情を、確かにその身に感じながら。

 

 

 

―――― To be continued.

 


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