テイルズ オブ フェータリアン ー希望を紡ぎ出すRPGー   作:逢月

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Tune.48 隠された真実

 

「こんばんは。話、とは何でしょうか……?」

 

 アルディスがやって来たのは、エリックとジャンクが話し終えて数十分後のことだった。彼はどこか不安げにドアを開き、ゆっくりと部屋の中に入ってきた。

 

「お前、何でそんな不安そうに入ってくるんだよ……」

 

「その、ええと、俺、は……」

 

「別にお前を責めるために呼んだわけではありません。ただ、お前が持つ情報と僕の持つ情報を照らし合わせたかったのです……その上で、相談したいことが」

 

 どうにもアルディスはジャンクの件を酷く気にしているらしい。だからこそ、突然呼び出されたことに恐怖を感じてしまったのだろう。そんなアルディスの態度を見て、エリックはふと、ディアナのことを思い出した。

 

「そうだ。僕もお前ら二人とは話しておきたいことがある。ジャンの話が終わったら、僕の話も聞いてくれないか?」

 

 エリック及び当事者であるディアナ以外は気付いていないのだが、アルディスの行為によって傷付いたのはジャンクだけではない。ディアナは、『アルディスを守れなかった』ということを口実に貴族の娘達に虐められていた。

 この出来事によってエリックはディアナの本当の性別に気付いてしまったし、同時にいくつか、確認したいことができていた。ディアナには『聞かないで欲しい』と言われたが、万が一の時に備え、こっそり対策をしておくべきだと考えたのだ。

 

「……うん、あの子のこと、だよね。了解。とりあえず、先にジャンさんの話を聞こうか」

 

 アルディスはエリックが誰の話をしたいのか察したらしい。彼は意外にも冷静に頷くと、ジャンクの方を向いて彼に話をするように促した。

 

「僕からで、良いのですか? では、話させて頂きますが……エリック、アルディス。この件に関しては、お前達二人の正直な意見を聞きたい」

 

 そう言ってジャンクは、彼が普段腰に巻いている布――今は畳んでベッド横の机の上に置いていた――をベッドの上に広げてみせた。

 

「それ、黒衣の龍の衣服の刺繍に良く似てる……よな。広げたってことは、無関係じゃない、よな?」

 

 よく見ると、布の上部が丁寧に繕われている。本来はもっと長かったが、腰に巻きやすいように裁断したのだろうか?

 エリックが問うと、ジャンクは首を横に振るい、エリックに思いもよらぬ質問を投げかけてきた。

 

 

「前王を殺したのはカイン殿下だというのが、通説ですね。ですがお前は、それを信じていない。それは、今も変わりませんか?」

 

「え……?」

 

「アル、お前はこの件をどう思っていますか? 僕はお前にも、全く同じ質問をさせていただきます」

 

 ゾディートが、前王ヴィンセントを殺したという話。その話を信じているかどうかを、ジャンクはエリックとアルディスに聞いてきた。まさか、彼の口からそんな言葉が出てくるなどと、誰が思ったか。エリックが困惑していると、アルディスは躊躇いがちに口を開いた。

 

「カイン殿下は、俺を“手段”として扱うことはあれども、殺すつもりはないようです……きっと、ものすごく優しい方なのでしょう。だから俺は、あまり信じたくないです。カイン殿下の、父親殺しの話を」

 

「しゅ、手段……!?」

 

 驚き、エリックはアルディスとジャンクを交互に見つめた。何も言わない辺り、ジャンクはアルディスと同意見なのだろう。

 

「俺の立場としてはものすごく嫌な話だけどさ、エリックを成長させるためには、俺を動かすのが一番手っ取り早いって考えられたんだと思う。しかも、結果的に俺も前向いて生きていくきっかけになってるし……今となっては全部、彼に仕組まれてて、彼に動かされてた気がしてならないんだ」

 

「……!」

 

 

――きっと、変わらない毎日が壊れるきっかけとなった、あの襲撃が無ければ。

 

 

 エリックとマルーシャは真実から目を背け続けただろうし、アルディスは真実を隠し続け、自分自身が背負うべき責任からも逃げ続けたことだろう。

 そして、スウェーラルの地でエリックとアルディスが刃を交え、互いの立場をかけて戦うきっかけとなったのも他ならぬ兄の言葉にあった。

 偶然だと、思っていた。しかし、あれが偶然などではなく、兄によって起こされた“必然”だったとすれば……?

 

「そ、そんな……まさか……っ」

 

「あの時はとにかく必死で、何も不思議に思わなかった。でもね、今にして思うと……あんなに隙だらけだった俺に致命傷を与えることなく、しかもそのまま逃がすなんておかしすぎる……それにね」

 

 アルディスは自身の後頭部に手を回し、眼帯の結び目を解いた。彼はそのまま、慣れた手付きでそれを外し、軽く首を振るって前髪を横に流す。すると、簡単に彼の右目に残された痛々しい十字傷が露出した。

 

「傷、二つあるだろ? 今まで言わなかったけれど、ひとつは、カイン殿下に付けられたものなんだ。俺はこの傷を負った時、ふらついてそのまま海に落ちたんだ」

 

「……」

 

「その時、俺のすぐ近くに前ラドクリフ国王が迫っていた。俺は完全に魔力も尽きていて、もう普通に戦うしかない状態だった……けど、君も分かるだろ? 俺が魔術無しで純血龍王(クラル・ヴィーゲニア)の戦士と戦えるわけなんかないんだよ。絶対に、勝てる状態じゃなかったんだ」

 

 何となく、アルディスの言いたいことを察してしまった。しかし、本当にそんなことがあり得るのだろうかとエリックは奥歯を噛み締める。

 仮にそうだとすれば、兄の行為は完全にラドクリフへの反逆行為だ。戦時中だというのに、敵国の皇子をわざと逃がしたというのか。

 

「右目を斬り付け、嵐で荒れた海に落とす……普通なら死ぬよ。だけど、あの人は俺の眼球にはほとんど傷を付けないように、ただ顔に傷だけを残すように斬りつけたんだ……“偶然”で、こんな傷付けられると思う?」

 

 その行為の意味はさておき、アルディスの問いに対しては「無理だ」とエリックは感じていた。しかし、上手く言葉にならなかった。

 

「ヴァイスハイトは、簡単には死なない。力さえ残っていれば、海に落ちたくらいじゃ死なないよ……溺れはしたし、当時の俺は死んだって思ったけどさ。その日は潮の流れがいつもと違ったみたいで、流されていくのも妙に早かったし」

 

「そのまま、お前はペルストラまで流されて行ったんだな……」

 

「俺もね、悔しいから信じたくないよ……そもそも俺は、崖の上で戦うなんて無謀な真似してなかった。なのに、カイン皇子と応戦してるうちに、気がついたら崖の上にいたんだ……もし、これが“ペルストラ行きの潮”が流れている場所に落ちるように、俺が誘導されていたんだとしたら。もうそれは、最初から俺の負けだったってことなんだよ」

 

 流石に俺が力を奪われるところまでは想像してなかったと思うけどね、とアルディスは苦笑しつつ、眼帯を再び身に付けた。

 

「俺の仮説が正しいものとすれば……本当に前ラドクリフ国王をカイン王子が殺したのだとすれば、きっと、もっと巧妙に殺害すると思う。それこそ、自分に疑いが掛からないように、ね……仮に違ったとしても、俺がカイン王子に生かされたのは事実だ。敵国の皇子を生かすような、そんな人が。自分の父親を殺せるとは思えない」

 

 確かにアルディスの話は、彼の仮説は、筋が通ったものであった。それに、とエリックは思う。ゾディートは昔、このようなことを言っていたな、と……。

 

 

『キルヒェンリートを探し出せ。誰かが所持しているのならば、奪わなくとも良い……ただ、それが“卑しき男”の手に渡ることだけは全力で防げ』

 

 

「奪わなくとも良い……ただ、“卑しき男”には渡すな、か……」

 

「エリック?」

 

 不思議そうに自分を見つめるアルディスの瞳を見た後、エリックは彼が身に付けたレーツェルへと視線を移す。兄が探せと言っていたキルヒェンリートは、目の前にある。

 

「……。アル、お前の仮説が正しいなら。兄上は本当に無実なのかもしれない。僕はただ、直感でそうだと思っていたし、今もそう思っているんだが……」

 

 数年前、兄はエリックにフェルリオの宝剣を探せと言ってきた。兄は知っていたはずだ。その剣の行方を。その剣の持ち主を――つまり兄は、最初から自分とアルディスを合わせるつもりだったのではないだろうか?

 

「……」

 

 上手く言葉が続かず、エリックは黙り込んでしまった。一方のアルディスも、これ以上何を言えば良いのか分からなくなっているのだろう。彼も、何も喋らなくなっていた。

 沈黙が続く中、今まで二人の話を静かに聞いていたジャンクが、口を開いた。

 

 

「その通り、です。きっと何者かに、罪を被せられてしまったのでしょう――カイン殿下は、無実です」

 

 

 驚き、目を見開くエリックとアルディスに対し、ジャンクは「これが真実です」と言わんばかりにおもむろに頷いてみせた。彼の目に、迷いはない。

 

「僕らは……僕と兄さんは、時期は違いますが共にカイン殿下に助けられたのです。あの方が……マクスウェル様が、カイン殿下を導いたそうです」

 

「え……」

 

「この布は、カイン殿下に頂いた物なんだそうです。なんでも、カイン殿下が身に付けていた衣服を破り、僕に被せていたんだとか……僕の意識はもう、ほとんど無いに等しかったので、マクスウェル様から聞いただけなのですが」

 

 無理もない話だが、施設から助け出された直後のジャンクは完全に精神が崩壊しており、満足に会話ができるまで回復するのに数年の月日を要したのだという。そのこともあってか、ジャンクは助け出された後はそのままマクスウェルの元へ連れて行かれ、ゾディートではなくマクスウェルの保護下にいたそうだ。

 そういえば、ゾディートはケルピウス状態のジャンクに対して言葉を投げかけていた。それも、彼を心配するような言葉であった。辛いだろうが、生き延びろ、と……今にして思えば、あれは間違いなく、ケルピウスの正体及びジャンクのことを知った上で出た言葉だったのだ。

 

「カイン殿下は、何か目的を持って動いているようなのです。マクスウェル様が加担されるということは、恐らくこの世界に関係する事柄です。ですが、それをたったひとりで、犯してもいない罪を被せられたまま成し遂げるなんてことはきっと、どんな屈強な精神を持った人物であろうと耐えられないことだと思うのです」

 

「! だから、マクスウェルはカイン殿下の無実を、迷わず主張できる人物を生み出した……?」

 

 アルディスの言葉にジャンクは頷き、エリックの方へと視線を向ける。

 

「僕らは、真犯人までは知りません。ですが、マクスウェル様の働きかけによってカイン殿下が無実であるという真実は知っています……ですがきっと、僕らのような“生み出された味方”よりも、エリックのように何の根拠もなく自分を信じてくれる存在。そんな存在が、カイン殿下にとっては何よりも救いだったのではないでしょうか?」

 

 エリックは――自分は、兄に思われていたということだろうか。

 今にして思えばそれは、無理のある主張ではない。確かに兄は、自分を殺そうとしていた。だが、それはあくまでも言葉だけの話であった。

 もし、本当に自分を殺したかったのならば。アルディスの家で皆殺しにするという選択肢も存在していたし、何よりジャンクの介入があったとはいえ、スウェーラルでの戦いで自分にとどめを指すこともできた筈だ。

 

「……なら、どうして」

 

 兄が無実であることは分かった。しかし、エリックはどうしても、ある一点だけ納得がいかないことがあった。彼は目を伏せ、奥歯を噛み締めた後、口を開いた。

 

 

「どうして兄上は、黒衣の龍は、ペルストラを襲った? スウェーラルだってそうだ……それが、兄上の目的だっていうのか……!?」

 

 

――黒衣の龍が、二つの街を壊滅させたこと。これは、揺るがぬ事実だ。

 

 

「アルを動かすことが目的だったとしても、街を壊滅させて、関係の無い住民を犠牲にする……そうしなければならなかった理由は、一体どこにあるんだ? 僕には、どうしてもそれが理解できない……!」

 

 何か、理由があるのかもしれない。エリックはずっと、そう思い続けていたし、そうであって欲しいと願い続けていた。そして、その解を持っていそうな人物が、今、目の前にいる。縋るような思いで、エリックはその人物――ジャンクへと視線を向けた。

 

「そ、それは……」

 

 ジャンクも、エリックに期待されているのに気が付いたらしい。しかし彼は、ゆるゆると力なく首を横に振るうことしかできなかった。

 

「分から、ないのです……僕にも、その理由は……」

 

 本当か? 何か隠していないか? 嘘を吐いているんじゃないか?

 そんな問いが、エリックの脳裏を過ぎっていく。それでも彼は、その問いを口にしなかった――無条件にジャンクを信じると、誓ったから。

 この誓いを破りたくは無かったし、どう見ても今のジャンクの表情は嘘を吐いているようには見えなかった。

 

「ただ、僕もカイン殿下が何の意味もなく、街を壊滅させたとは思っていない。だから、僕もカイン殿下の真意を知りたい……そう、思っています」

 

 分かった、今度はそういうことか――ジャンクがこの話を始めた理由。それを察したエリックはおもむろに頷いてみせた。

 ジャンクはゾディートの無実を知っていた。彼が、マクスウェルが手を貸す程の使命を持っていることも知っていた。しかし彼は、彼が率いる黒衣の龍は二つの街を壊滅させている。その意図は、全くと言っていい程に読めない。そして真意を知らないにも関わらず、エリック達はゾディートを完全に敵と見なしている……この状況を、ジャンクは良く思っていなかったのだろう。何より、共に真実を追求する仲間が欲しかったのだろう。

 

「そうだね。俺も、カイン殿下の真意が知りたいよ……それならどうして、ペルストラとスウェーラルを壊す必要があったのかを。俺が……カイン殿下に報復する必要は、あるのかどうかを」

 

「! アル……!?」

 

 報復。あまりにも物騒な言葉に、エリックは驚き、僅かに声を震わせる。それに対し、アルディスは軽く頭を振るい、口を開いた。

 

「ペルストラも、スウェーラルも、俺にとっては故郷なんだよ。その故郷を、壊された……俺のせいではあるんだろうけれど、だからと言ってそれだけで納得できるほど、俺は大人じゃない」

 

「……っ」

 

 黒衣の龍によって、大切な故郷を破壊された。それは、決して否定のできない事実である。何も言い返すことができず、エリックは口をつぐむ。だが、そんなエリックに対してアルディスは困ったように笑ってみせた。

 

「だけど、俺だって何かがおかしい気はしてる。だから、真実を見極めてから動きたいとは思ってる。思い込みで行動するのは良くないって、痛い程に学んだから」

 

 今はまだ、焦らない。そう口にしたアルディスの表情に、不穏な色はなかった。

 判明した真実によっては、アルディスはゾディートに剣を向けるのだろう。だが、それは今悩んでも仕方のないことなのだ。こればかりは、そうなってしまった時に考えるしかない。

 

 

「この話は、今日のところはここまでにしておこう……それでアル、それからジャン。僕の話をさせてくれ……ディアナのことなんだが」

 

 ディアナ。その名前を聞いたジャンクは「あ、あー……」と非常に煮え切らない声を上げ、エリックから目を逸らし額に手を当ててため息を吐いた。どうやら、内容を察してしまったらしい。

 

「あの馬鹿……今度はエリックですか? 一体何をやらかしたのですか……!?」

 

「……」

 

 

――ディアナの件だけでも、ジャンクは結構抱え込んでいるらしいことが分かった。

 

 

 

 

「俺がいない間にそんなことに……! くそっ!!」

 

 間違いなく気付いているだろうとは思っていたが、エリックの読み通り、アルディスもジャンクもディアナの性別については気付いていた。

 エリックが気付いた経緯を聞かれたため、所々伏せた上で説明したところ、案の定アルディスは怒りに震えていた――シルフの判断は、悲しい程に的確だった。

 

「落ち着け。間違ってもディアナに詳細聞きに突撃するなよ……絶対、思い出して傷付くから」

 

「う……っ」

 

「おかしいとは思ってたんだよな。記憶も無い、足も動かない……そんな奴が、ラドクリフ王国にいる“らしい”フェルリオ皇子の捜索と護衛を押し付けられるなんて。嫌がらせか何かだとしか思えなかった」

 

 エリックの言葉に、アルディスは奥歯を噛み締めて目を泳がせる。何とか怒りを鎮めようと、彼なりに頑張っているのだろう。その間に、エリックはジャンクへと視線を移した。

 

「アルにも言ったんだが、性別に気付いたことは……」

 

「言わないよ。ところでジャン、お前、一年くらい前にディアナに会ってるんだよな? その時アイツ、どんな髪型してた?」

 

「っ!?」

 

「あ……」

 

 ああ、やってしまった……とエリックは思った。一瞬ではあったが、ジャンクが明らかに怯えた目をしたのだ。多分、無意識のうちにエリックは真顔になっていて、そのまま威圧的に質問してしまったのだ。

 しかも彼は狼狽えたまま、何も言えなくなってしまった。つまりそれは、今のエリックに“言えないようなこと”が、質問の答えだということ。

 

 

「……」

 

 思わず、エリックは無言で部屋の隅に移動し――その壁を全力で殴りつけていた。

 

「ッ、エリック!?」

 

 これには流石のアルディスも驚いていたし、それ以上にジャンクがどうしようもない程に狼狽えてしまっていた。

 

「み、ミイラ取りがミイラになってどうするのですか……っ! お、落ち着いてください、エリック、アルディス!!」

 

 腹が立つものは腹が立つのだから仕方がないだろうと言いたかったが、これでは話し合いにならないのも事実だ。

 エリックは深呼吸を繰り返しながら、素直に元の位置へと戻った。

 

 

「い……意外とタチの悪い怒り方をするのですね……」

 

「その、普段はピアノ弾いて発散してるんだが……はは、悪い。ちょっと余裕無かった……」

 

「ピアノはロビーにありましたね。明日ここの宿屋の人にでも借りましょう……それにしても、髪色、ですか」

 

 不幸を呼ぶ娘、ダイアナの話は三人共通で知っているようだった。エリックがディアナから聞いた情報、それからアルディスの持つ情報を共有し、話をまとめていく――途中でまたしてもアルディスが怒りでおかしくなりそうになっていたが、そこは何とか宥めた。

 

「“忌み子もどき”、か……なあアル、ディアナには、聞かないで欲しいって言われたんだが……」

 

「え?」

 

「その、左耳のピアスについて聞きたい」

 

 アルディスの左耳で、月を象ったピアスがちりんと音を立てて揺れる。間違いなく、そのピアスはディアナの持つものと同じ物であった。

 

「フェルリオには、男が女に右耳のピアスを贈る風習があるのか?」

 

 あえて、過去にアルディスがダイアナにピアスを渡したことはあるのか、とは聞かなかった。だが、アルディスは質問の意図を察したのだろう。彼は、酷く悲しげな表情をしていた。

 

「見たんだね。ディアナが、これと同じピアスを持っているのを」

 

「……ああ」

 

「なら……よっぽど、捻れた解釈をしない限りは、確定、だね……」

 

 

――ディアナは、忌み子“もどき”ではなかった。

 

 

「ピアスは、女達に取られていたんだ。取り返して渡したら、アイツ、泣いてたよ……記憶は無いけれど、持っているだけで落ち着くんだって」

 

「……」

 

「ディアナは、確認しないで欲しいって言ってたんだ。お前の持つピアスの片割れが、どこに行ったのかを……怖いって言ってた。多分、自分が“忌み子”だって、気付きたくないんだと思う……」

 

 

――何も、していないのに。ダイアナは、何も悪くないのに。

 

 

「ディアナが、ただひとつだけ欲しがった物、何だと思う? 実在していなくても良い、記憶があるだけで良いって……そう、願った物。何だと、思うか……?」

 

 少しずつ、目の前の景色が歪み始めた。親友の泣き虫がうつってしまったのだろうか?

 だが、それを恥ずかしく思うよりも強い感情が胸の奥から込み上げてくる。何故か悔しくて、憎たらしくてたまらなかった。

 

「暖かな、家族だってさ……それくらい、与えてやって欲しいよな……」

 

「……」

 

「気付いたよ、僕だって。ダイアナには、“それ”さえ無かったことくらい……!!」

 

 

『寂しいんだ。ひとりは、嫌なんだ……』

 

 ディアナのささやかな、たった一つの願い。

 

『この容姿ではきっと、友人はいなかっただろうが……オレに、家族はいたのだろうか?』

 

 大粒の涙を零しながら紡がれた、あまりにも悲しい言葉。

 

『どんな家庭でも良い……ただ、優しい両親が居てくれれば、それで良いんだ……』

 

 

『このご時世だから、もう亡くなっているかもしれない。それでも、優しい両親が『いた』という記憶が欲しい……オレが失った記憶の中に、そういう人達は、いるのだろうか……?』

 

 決して高望みでは無いというのに。

 決して欲張りでは無いというのに。

 それなのに、こんな願いさえも。“神”は受け入れてくれないというのか――。

 

 

「……エリック、アル」

 

 心配そうな、ジャンクの声が耳に入る。潤んだ両目を乱暴に擦り、声の主の顔を見据えた。その声の主も、酷く悲しげな表情をしていた。

 

(ああ、そうか……)

 

 今更ながら、気付いてしまった。彼もまた、暖かな家庭を得られなかった者のひとりであることを。

 だからこそ彼は、ディアナに酷く感情移入してしまったのだろう。どんなに手を伸ばしても、それを得られなかった。その悲しみを、嘆きを、彼は知っていたから。

 

「ディアナは……記憶を、無くしています。厳密には、封じ込めてしまっています。そこを探ろうとしましたが、阻まれてしまいました……何者かが彼女に施した、術式によって」

 

「それは思い出されると不都合なことを隠すため……なのか?」

 

「多分、違うと思います」

 

 躊躇いつつも「そのような理由なら、いっそ殺してしまった方が早いでしょう?」とジャンクはエリックに問いかける。

 

「きっと、ディアナは酷く、辛い目にあった」

 

「……」

 

「死にたい、と、強く思う程に。それを迷わず、実行しようとしてしまう程に」

 

 不快な悪寒を感じる程に、説得力のある言葉だった。奥歯を噛み締めるエリックを見て、ジャンクは迷いつつも、言葉の続きを紡ぐ。

 

「ディアナは、自分自身でその記憶を封じ込めてしまった。そして、恐らくは彼女が苦しむ姿を近くで見ていた者がいたのでしょう……哀れに思ったその者は、ディアナが決して記憶を取り戻すことの無いように、さらにその記憶を封じ込めてしまったのだと思います」

 

 そういえば、とエリックは思う。ディアナは一言も、「失った記憶を取り戻したい」とは言っていない。気にはしているが、そんなことは一切望んでいないのだ。

 

(多分、気付いてるんだろうな……無意識に、思い出してはいけない記憶だって)

 

 思い出せば、自分が自分ではいられなくなってしまう。狂ってしまう――それを、ディアナはどこかで分かっている。そのため、彼女は記憶を取り戻すことに対して消極的になっているのだろう。

 

「悲しみの記憶を、乗り越えるだけの強さを彼女が得るその日まで……その日が来るまでは、今のままでいるべきなのだろうと思っています。ですが、万が一。万が一、彼女が記憶を取り戻した……その時は、僕達は一体、どうすれば良いのでしょうか?」

 

 その答えは恐らく、“ダイアナ”にとっての救いであった、アルディスにある。

 

「……考えて、おきます。いざという時、俺は、どうするべきか」

 

 そのことをしっかり理解しているらしいアルディスの目に、迷いはない。しかし、エリックもジャンクも無関心でいるわけにはいかないだろう。これは彼だけで、抱え切れる問題ではない。

 

「とにかく今は、普通にディアナのことを見守っていよう。変な動きをすれば、それこそアイツを不安にさせかねない」

 

 ゾディートの件もそうだが、これもまた今すぐにどうにかできる問題ではないだろう。今はただ、“その時”が来た時のために、覚悟をしておこう――エリックの言葉に、否は無かった。

 

 

 

 

「……愛、とは強い感情なのですね。アルを見ていると、本当にそう思います」

 

「お、おう……」

 

 アルディスが部屋を出てすぐに、ジャンクがこんなことを口にした。色々と思うところがあり過ぎて、思わずエリックは何とも言えない返事をしてしまっていた。

 

「好いている人間に対しては、他の人間とは違った行動を取ってしまうものなのですか? エリック、お前もそれは同じなのですか?」

 

「……。何が言いたい?」

 

 嫌な、予感がした。

 そういえば、バタバタし過ぎてジャンクにはまだ話せていないことがあったな、とエリックは思う。

 

「これはお前に、話して良いことなのか悩みました……ですが、伝えておかないと取り返しのつかないことになる気がします。だから……」

 

 エリックが、“そのこと”を口にするよりも先、ジャンクは三枚の紙をエリックに差し出した。よく見るとそれは、医療用のカルテだった。

 

「先程も話しましたが、僕は文字の読み書きが苦手です。文法や綴りがおかしいことがよくあります。当然ですが、そのままだと後々困るんですよね」

 

「……」

 

「なので、カルテは基本的にポプリにチェックして貰っているのですが……性別を隠すディアナ含め、お前達のカルテは、チェックをお願いしていません。できないのです……あまりにも、“おかしい者”がいるから」

 

 渡されたカルテは、エリック、アルディス、それからマルーシャのものであった。ジャンクが言うように、カルテには頻繁に文法のおかしい文章や綴りのミスが見られる。これではポプリのチェックが必要となるのも無理はない。

 しかし、エリック達のカルテには、必要な筈のチェックを入れることができなかった。それは一枚、極めておかしなものがあるためだ。チェックをする立場のものが、間違いなくその異変に気付いてしまう程に、異常なものがあるためだ。

 

「……なん、だよ、これ……」

 

 医学に関してはド素人の、エリックでも分かる。明らかに、おかしな数値の者がいた。

 その数値が示すのは――妙に高低差のある身体能力と、体内精霊が活発に動いているのだとしても異常に高い血中魔力、その魔力の質も通常では考えられないような、混沌としたものであるということ。そして何より、この数値は明らかにその者の種族では“ありえない”値であるということ。

 

「体内精霊は、“入れ物”の身体を作り変えることができるんです……ですが、それは純血龍王(クラル・ヴィーゲニア)に対してはほとんど通用しません。あの、見た目ではほとんど違和感のない容姿。外部から何かしらの働きかけがあるのは間違いないでしょうが、“入れ物”は純血鳳凰(クラル・キルヒェニア)でしょうね」

 

「……ッ」

 

 そう、見た目はほとんど違和感が無い。確かに、種族を考えれば少々非力であるし、牙は平均と比べるとかなり短い。それにやけに色は白いが――それでも、“彼女”の見た目は完全に純血龍王(クラル・ヴィーゲニア)だ。今まではそこに、何の疑いも無かった。

 

「アイ、ツは……マルーシャ、は……スウェーラルで一度、純血鳳凰(クラル・キルヒェニア)の姿に、なったんだ……」

 

 声が震える。誤魔化すことができなかった数字の羅列が記された紙は、エリックの手を離れて床に落ちていた。

 

「ゆるいウェーブのかかった白銀の髪に、青い……ディアナのような、青い、瞳だった……色白の肌に、尖った耳……」

 

「……。典型的な聖者一族の容姿ですね」

 

「何となく……何となく、なんだが、アイツ……よく見ると普段からそんな感じだったんだが、容姿が似てしまうと、なおさら……」

 

 そんなつもりは無かった。ただ、仲の良い二人を見て、抱いていた感情だった。双方の持つ感情が明らかに恋愛感情ではなかったために安心して見ていたのだが、彼女らの姿は、親友というよりは、まるで――。

 

 

「マルーシャは……アルの、妹みたいだなって、そう……思ってた……」

 

 

 三枚のカルテを見せられたエリックが、最も目を背けたかった数値。それは、『魔力周波』と呼ばれるものだった。

 魔力周波は厳密には体内精霊が放つ信号のようなものを示す値だが、そこまで詳しく知らない者でも、この値が持つ意味は知っている。

 この値は、その人物を構成する魔力の流れや質、属性などを総合的に統計して出される数値である。そして魔力周波を構成する要素は全て、親から遺伝する。

 つまり、比較対象となる双方に血の繋がりがあれば数値は何かしらの共通点を持ち、自分と近い限りなく近い親族であれば、ほぼ一致したものとなるのだ。遠縁とはいえ、エリックとマルーシャは親戚関係に当たる。つまり、双方の数値には何かしらの共通点があるはず。

 

 

 そう――フェルリオ皇子アルディスとラドクリフ貴族である“はず”のマルーシャの数値がほぼ一致するなどという自体は、通常ならばまずありえないことなのだ。

 

 

「申し訳ありません、ですが、これこそ最もお前に話さなければならない真実だと、僕は考えていました」

 

 床に座り込んでしまったエリックと目を合わせ、ジャンクは散らばったカルテには目も留めずに話し始めた。

 

 

「マルーシャは、マルーシャです。アルカ姫とは、違うのです」

 

 

――意味が、分からなかった。

 

 

「ど、どうい……う……」

 

「僕は、体内精霊が既にいる“入れ物”に別の体内精霊が入ってきた場合、通常は元いる体内精霊が後から来た体内精霊よりも優位に立つと……そう、言いましたね」

 

 これは、ヴァイスハイトや純血鳳凰(クラル・キルヒェニア)の能力を奪い取った時の話だ。身体の外に放り出された体内精霊はそれだけで弱ってしまうから、咄嗟に入り込んだ別の器の中に既に住んでいた精霊より弱い立場に立つ、と――たしか、そういう話だったと思う。

 

「待ってくれ。その前提だと、さ……元々いた体内精霊よりも、後から入ってきた体内精霊の方が強くて、さらに上手く共存できなかった場合って……まさか……」

 

 現在、エリックの体内には複数の下位精霊が存在しているが、彼らは本来の身体の持ち主であるエリックに遠慮しているのか、意思表示こそするもののエリックに害を加えることはほとんどない。

 しかし、エリックは一度体験している。自分自身の意思ではどうにもならなかった、完全に身体の自由を奪われた状態を。だからこそ、ジャンクの告げる答えにも察しがついていた。

 

 

「その場合は――」

 

 

……その答えが、いかに残酷であるかということにも。

 

 

 

 

「……っ、う……っ」

 

 宿屋から遠く離れた森の中。しゃがみ込み、震える少女の姿がそこにはあった。

 

(嘘……嘘、だ……)

 

 カタカタと震える少女の唇は真っ青だった。白い頬を、冷や汗が流れていく。

 

――盗み聞きなんて、するんじゃなかった。

 

 ある部屋から、ポプリとアルディスが順番に出て行く姿を見た。アルディスに至っては、あまり良い顔色をしていなかった。だから、気になってしまったのだ。

 こっそりと、ドアに耳を当てる。最初の頃は、何を言っているのか分からなかった。しかし、よくよく聞いていると分かる。それは、自分の話である、と。

 

『アイ、ツは……マルーシャ、は……スウェーラルで一度、純血鳳凰(クラル・キルヒェニア)の姿に、なったんだ……』

 

『ゆるいウェーブのかかった白銀の髪に、青い……ディアナのような、青い、瞳だった……色白の肌に、尖った耳……』

 

『……。典型的な聖者一族の容姿ですね』

 

 自分の話を、自分の知らない場所でされるというのはあまり良い気分ではない。帰ろうと思ったが、エリックがジャンクに語っているのは、自分自身も気になっていたスウェーラルでの変化のことだった。もう少し聞いて帰ろう。そう思ったのが、間違いだった。

 

『何となく……何となく、なんだが、アイツ……よく見ると普段からそんな感じだったんだが、容姿が似てしまうと、なおさら……』

 

『マルーシャは……アルの、妹みたいだなって、そう……思ってた……』

 

 

――その時、自分の中で、何かが動いた気がした。

 

 

『僕は、体内精霊が既にいる“入れ物”に別の体内精霊が入ってきた場合、通常は元いる体内精霊が後から来た体内精霊よりも優位に立つと……そう、言いましたね』

 

『待ってくれ。その前提だと、さ……元々いた体内精霊よりも、後から入ってきた体内精霊の方が強くて、さらに上手く共存できなかった場合って……まさか……』

 

 二人の話は、難しくてよく分からなかった。しかし、自分の中で動いた“何か”によって、感覚的に理解できてしまった。

 

 

『その場合は、後から来た体内精霊が全てを奪い取ります。発動する特殊能力の種類も、肉体の制御権も……何から、何まで』

 

 

 その言葉を聞いた途端、マルーシャは音もなく駆け、宿屋の外へと飛び出していた。

 

 嗚呼、嗚呼……気付かなければ、良かったのだろう。だが、もう遅いのだ。“彼女”の存在に、気付いてしまった。眠っていた“彼女”が、目を覚ましてしまった。

 

 

「わ、わ、わた……し……わたし、は……」

 

『かえして』

 

「わたし……ッ!!」

 

『返して、返してよ、ねえ。全部、私のものなの。ねえ……』

 

 頭の中で、響き渡る声。

 今まで、その存在に気付かなかったのはきっと、自分が無知であったから。無知であるが故に、その存在に気付かぬまま、封じ込めていられたのであろう。

 

『あんたが全部取った! 私の人生も、私の家族も……お兄様も!!』

 

 しかし、マルーシャは気付いてしまった。気付いてしまった、知ってしまったものを、知らなかったことにはできない。そして、再び“彼女”を封じ込める術を、マルーシャは知らなかった。

 

 

『返してよ! 私の身体!! 返せ! 私の身体を返せえぇぇ――!!』

 

 

 耳を押さえようとも、止むことなく聞こえ続ける声。

 この身体の、“本当の持ち主”の声。

 

 

「……ねえ、待って……じゃ、じゃあ……わ、たしの……身体、は……?」

 

 気付いていた。しかし、認めたくなかった。

 恐怖のあまり、涙が止まらない。エリックの右手にあるものと同じ紋章が刻まれた胸元を押さえる。その少し下に、人間の肌ではない“硬い物”があった。

 

(違う、違うの……! だって、これは……!!)

 

 十年前の事故。その際に、マルーシャは命を脅かされる程の重症となったそうだ。幸いにも傷は無かったが、そのままでは死んでしまう、と。

 だから、治療のために身体に埋め込んだのだと母からは説明されていた。汚い物ではないし、アクセサリーとしても通用しそうなものであったが、何となくマルーシャはそれを見せるのを拒み、いつも胸元が隠れる服を好んで着ていた。

 

 

――それは、淡い黄緑色の、魔鉱石だった。

 

 

『そんなもの、あるわけないじゃん。あんたはもはや、ただの石なのよ』

 

「ぁ……」

 

 

 これ以上、聞きたくない。

 

 

『イチハだっけ? あの鳥もあんたと一緒。元々はただの石。厳密には、適当に殺した子どもか何かから奪った体内精霊を封じ込めた石ね』

 

「ッ、ぁ……いや……いや……」

 

 

 お願い……もう、何も言わないで……。

 

 

『あんたはもうこの世にいないの。死んでるの。分かった?』

 

 

 お願い、許して……。

 

 

『だからさっさと消えて。何も残さずに消えてよ! 私に身体を返しなさいよ!! ほら! ほら!!』

 

「い……っ、いや……っ、信じたくない……ッ! いやぁあああぁぁッ!!」

 

 

 彼女はもう、何も知らなかった頃には、戻れない。

 少女は絶望の涙を流し、叫ぶ。彼女に手を差し伸べる者は、誰もいなかった……。

 

 

 

―――― To be continued.




 
マルーシャを追い詰めるシンシアさん。
容姿はこんな感じ。完全に闇堕ちマルーシャですね!

【挿絵表示】


(絵:長次郎様)

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