テイルズ オブ フェータリアン ー希望を紡ぎ出すRPGー 作:逢月
「ん……」
微かな物音を聞き取り、ポプリはゆっくりと目を開いた。
時刻は深夜。当然ながら彼女はベッドの中にいたのだが、ちょうど眠りが浅くなっていたのだろう。目を覚ましてしまったのだ。
「……先生?」
物音を立てるとすれば、普通に考えるのなら同室のジャンクしかいない。返事の有無は気にせず、ポプリは何度も口にした呼称と共に身体を起こした。
「ッ、うわっ!?」
「!?」
やはり物音の主はジャンクだったようだ。驚かせてしまったらしく、彼は返事をするよりも先にバランスを崩し、派手に転んでしまっていた。
「嘘ッ、大丈夫!? ごめんなさい!!」
「も、申し訳ありません……」
「ううん。良いの、気にしないで……どうしたの?」
何だかんだ言って一番信頼されているのはポプリだろうから今日はポプリと同室にして休ませるべきだ、ということで決まった部屋割ではあったが、結局ジャンクの過剰な怯え癖は収まりきっていないらしい。
本当に自分が同室で良かったのだろうか、とポプリは少し落ち込んでしまった。付き合いが最も長いにも関わらずこれだ。信頼されているとは、到底思えなかった。
落ち込んだのを気付かせないように、なるべくいつもと同じ声のトーンで、ジャンクに話しかける。今は、彼が能力を使えないことが幸いだった。
「その……今なら、この時間帯なら、誰かと鉢合わせてしまうこともないでしょうから。裸眼で歩き回れるなと、そう思ったんです」
要するに、彼は真夜中に外に出ようとしたのだ。それも、一人で。精神的にも肉体的にも、不十分な状態で――ポプリは溜め息を吐き、苦笑してみせる。
「一緒に行っちゃ、駄目かしら? 嫌なら、嫌って言って?」
「え……?」
ポプリの言葉に、ジャンクは不思議そうに瞬きを繰り返す。嫌がっているわけではなさそうだが、ポプリの発言の意味を理解していない様子だった。
「ここなら、あなたに危害を加える対象はいないと思う……それでもね、先生が本調子じゃないだけに、心配なの。過保護になってるのは、分かってるつもりよ」
鍵のかかった部屋のドアがコンコンとノックされたのは、そんな時のことであった。
「心配してるのは、オレ達も同じだ。頼むから、夜中に転ぶんじゃない……」
声の主は、ディアナだった。しかしジャンクが鍵を開け、ドアを開いてみるとそこには彼女のみならず、エリックとアルディス、それからマルーシャの姿があった。
「すまん、起こしたか」
「悪いと思ってるなら、僕らも同行させろ。どうしても一人が良い、それかポプリとデートしたいって言うなら邪魔しないけどな」
「エリック君!!」
突然のエリックの茶化しに、ポプリは顔を真っ赤にして叫ぶ。一方のジャンクは「申し訳ない」と呟いた後、目を細めて笑ってみせた。
「それなら……皆、お願いします。少し、僕の散歩に付き合ってくれ」
▼
「あら……」
困ったわね、とポプリが苦笑する。宿屋の外は、ぱらぱらと微かに雨が降っていた。
開かれたジャンクの、眼鏡のレンズにも遮られていない両目が、振り続ける雨粒を捉えた。
雨が降り出したために宿主が気を遣ってくれたのか、チャッピーはどこか別の場所へと移されたようである。
「先生、雨は嫌いでしょう? どうする?」
「あー……」
「それなら、明日の夜中に出直すか? どうせあと一泊はするだろうし、別に構わないと思うが」
前に一度、話を聞いただけであまり深く話を聞いたことは無かったのだが、ジャンクは雨が嫌いらしい。振り続ける雨を見つめながら、ジャンクは静かに口を開いた。
「そうですね……嘘を吐いていた、と白状しましょうか」
「えっ!?」
そして彼が紡いだ言葉は、誰もが予想していなかったものであった。驚くポプリに対し、困ったように、それでいてどこか楽しそうにジャンクが笑う。
「水に濡れると、色々と都合が悪かったので……他のものはある程度防げても、雨は本当に厄介だった。嘘を吐くしか、なかったのです」
「そ、そういえば水辺には絶対に近付かなかったものね……『濡れるのは嫌だ』だとか、言って……」
「ふふ、すみません」
ふと、彼がセーニョ港に向かう途中に寄った泉でマルーシャが水を散らして遊んでいた際、アルディスと一緒になって逃げていたことをエリックは思い出す。
ジャンクはポプリと共にいた時間がそれなりに長かったようであるし、水から逃げる場面が多かったのだろう。それで彼女に対し「濡れるのが嫌だ」という嘘を吐く必要が出来てしまったに違いない。
「僕は、水が好きですよ。雨は特に好きです。多くの生命を癒してくれるものであるし、僕自身も体質柄、雨にはよく救われているから。雨の日は身体がとても楽なんです……しばらく雨に当たっていたら、魔力の回復が早まるかな、と。そういう意図もあって、外に出たかったのです」
「そうだったの……ならどうして、嘘なんか……」
ポプリの問いに答えるか否か、少し悩んでいるようだ。彼は動かないために布で釣られた右の二の腕に、そっと左手を這わして深呼吸をした。
「あの日……五年前に、なるのかな。君が土砂降りの雨の中、濡れても良いから早く町に行こうと、そう言ったから……」
意を決するように、ジャンクは宿屋の外に足を踏み出した。雨粒が天を仰いだ彼の身体に当たり、服を、髪や肌を、濡らしていく。
「本当は、ただ単純に怖かっただけなんです。君に、この姿を見られたくなかった……」
振り返ると共に、どこか悲しげに細められる、金と銀のアシンメトリーの瞳。ジャンクの髪の間からは、異形と言い表す他ないヒレ状の耳が覗いていた。
「先生……」
彼の身体が特殊なものであるという事実を知ってしまったのは、不可抗力だった。ヴァロンの行動がもたらしたものであり、ジャンク本人は決して望んでいないことだった。
あんな事件がなければ、彼はポプリや自分達に嘘を吐き続けたことだろう。それだけ彼は、拒絶されることを恐れていた。
「ポプリだけじゃない。この姿を見て、僕の異常さを知っても、離れずに居てくれた皆には本当に感謝しています……」
ありがとう、とジャンクは今にも泣き出しそうな笑みを浮かべてみせる。そんな彼の傍へ、エリックはゆっくりと歩み寄った。
「いや、礼を言うのは僕の方なんじゃないかって思ってるよ。僕の予想が、当たっているのなら、僕らは……僕は、スウェーラルの地でお前に“二度も”命を救われたことになるからな」
「!」
「あ、悪い! 言わない方が良かったか?」
ジャンクは驚いて目を丸くしていたが、エリックの反応を見てすぐに首を横に振ってみせる。それはエリックを気遣ったというわけでは無さそうで、彼はいつものようにクスクスと笑ってみせた。
「流石に気付かれてしまったようですね。お前は勘が良いですね。未だに気付く気配のないポプリとは大違いです」
「ちょ、ちょっと! 何!?」
そう言ってポプリを見据える彼のヒレ状の耳は、空から降り注ぐ雨粒によって微かに動いている。
「やはり怖いので、気付かれたくありませんでした……それでも、全く疑われないのは少し寂しかった、かな。何だろうな、この板挟み的な感情は……不思議ですね、本当に」
「ああ、まあ確かにポプリは気付いてて良かったんじゃないか……?」
「え、エリック君まで……一体何の話よ……」
今まで気付かなかったのはともかく、現在のジャンクの姿を見ても勘付かない辺り、本当に彼女は鈍いのだろう。これにはエリックも笑ってしまった。
「さて、と」
分からない、もう少し詳しく話してよ、というポプリの言葉には答えず、ジャンクは踵を返して宿屋から離れるように歩き出した。慌てて、五人は彼の後を追う。
「おい! あなたはまだ、あまり動き回らない方が……!」
「そうだよ! 無理しないで!!」
ディアナとマルーシャが、戻るようにと促す。しかし、ジャンクの方は一切足を止める気配は無かった。
「すみません。念には念を入れたかったので……そうだ、君達に力を分けましょう。救済系能力者なら、僕よりずっとこの力を上手に使えそうだから」
「だから! 曖昧過ぎて意味が分からないわ!!」
雨に濡れると回復が早まるとはいえ、風邪ひいちゃったらどうするの、とポプリは少々腹を立てた様子で声を荒げる。それでもジャンクは歩き続け、村の外の雑木林の中まで来てやっとエリック達の方へと向き直った。
「や、やっと止まったわね……」
「ジャンさん……あなたって人は……」
ここまで来ると、全員ずぶ濡れだった。本当に誰かしらが風邪を引いてしまうかもしれない。そう思ったのか、ジャンクは「すみません」と軽く頭を下げた。
「もうエリックは勘付いているようですが、他の皆にもいい加減説明しておきたかったのですよ」
「つまり……村人に見られたり聞かれたりしたくない話題だから、とにかく人が来そうにない場所ということで、雑木林の中なんですね?」
「正直、命を脅かすどころじゃない話なので。許してください」
物騒すぎる。ジャンクは思わず絶句してしまったポプリの目を真っ直ぐに見据え、そっと自身の胸元に手を当てた。
「ポプリ、嘘ばかりついて、すみません……それから、ありがとう。あの日のことを、ずっと覚えていてくれて。僕のことを、ずっと心配していてくれて……本当に嬉しかった……」
「先、生……?」
「受けた恩を忘れない。命を賭けてでも、恩を返そうとしてしまう――それが“僕ら”の性質です。そして僕もそれは例外ではありません……し、ただそれだけでは無いと思っています。生まれ持った性質の問題では無いと、思っています。僕はこの感情を、そんなもので済ませたくない」
ジャンクの真下に、見たことのない蒼の魔法陣が浮かび、強い輝きを放った。辺りが薄暗いこともあって、尚更眩しく感じられた輝きに目を細めるポプリ達を見て、ジャンクは力を抜くようにふっと笑ってみせた。
「この感情が何なのかは正直よく、分からないのですが……ただ、君に恩を感じている“だけ”ではないようなのです。だから――この想いは、何があっても違えません」
全員の視界が真っ白になった、その瞬間。ぱしゃり、と水の跳ねる音がした。誰かが水溜りに足を踏み入れたとか、そういうものではない。そもそもこの水は傷を癒し清めることのできる、清らかな力を秘めた聖水だった。
「あ……」
いつの間にか、雨は止んでいた。通り雨だったのだろう。雨雲と木々の間から覗いた月の光が照らす海色のたてがみを見たポプリは、両手で口元を覆い、声を震わせた。
「やっぱり……そうだったんだな。助かりはしたが、あんな怪我放置するのはやめろよな……本当に無理ばっかりするな、お前は……」
つい愚痴を溢しながらも、その幻想的な姿を美しいとエリックは思った。
淡い青の毛並みに、紫のグラデーションが特徴的なヒレ状の大きな耳。銀色に輝く、長い角と両の瞳――犬と馬を足して二で割ったような姿をしたその生物は、動かない右前足を庇うようにその場に伏せていた。ゆらゆらと、耳と同じ色をした尾ビレを揺らしている。しかしその美しい身体には、よく見るといくつもの傷痕が残されていた。
「実在するかしないか以前の問題だったのですね……ふふ、良かったですね。あなたが正しかったってことですよ、ポプリ姉さん」
驚きはしたが、何故か同時に心が清められるような感覚がした。この生物は清らかな癒しの力を持つという話だ。その場の空気を浄化するような力を持っていたとしても、何ら不思議ではない。アルディスは翡翠色の目を細め、少しだけ悲しそうに微笑んだ。
「そうですね。あなたの判断は正しい。その姿は、簡単に見せてはいけないものだ」
ヴァイスハイトであるジャンクが、自身の力を開放し、獣化した姿。それこそが、幼い日にポプリが出会ったという伝説の聖獣――ケルピウス、だったのだ。
「……何よ」
ポプリが力なく首を横に振り、声を震わせる。琥珀色の瞳からは、ポロポロと涙が溢れていた。
「ケルピウスは存在しないって、ありえないって……ずっと、ずっと言ってた癖に……」
「クォン……」
どこか不安そうに、ケルピウスが鳴き声を上げた。どうやら、人語を話すことはできないらしい。
そんなケルピウスの首に両手を回し、淡い蒼の毛に顔を埋めてポプリは地面に両膝を付いた。
ぱしゃり、と地面に溜まっていた聖水が跳ねる。不思議と、その水が濁ることは無かった。
「……あたしが、どれだけあなたに会いたかったか……無事でいて欲しいと、願ったか……あたしだって、あの時、あなたに救われたのよ……? 後ろ指を指されて生きてきたあたしでも、傷付けることしかできなかった、こんなあたしでも、助けられる存在がいたんだって、やっと、そう思えたの……!」
「クー……」
「あたしからも、ありがとう……先生だって、怖かったはずなのに……いつも、危ない時は助けてくれて、時々傍にいてくれたこと……本当に感謝、してるんだからぁ……ッ」
ポプリも間違いなく悲惨な人生を送ってきた筈の人間なのだが、彼女はあまり、過去のことを感じさせない。
流石にアルディスの件だけは例外であったが、それ以外のことは気付かせなかった。それだけの強さが、彼女にはあった――しかし、その強さは彼女一人で出せるものでは無かったのだろう。
彼女が折れそうになるその瞬間に居合わせ続け、本人に自覚は無かったにしろ彼女を支えていた存在がいた。だからこそ、実現できた。そんな不安定な強さだったのだ。
それがケルピウスであり、ジャンクだった。そして、彼もまたポプリに支えられていたということなのだろう。距離感や壁こそあれど、それもまた事実だ。二人はあまりにも不安定な、双依存的な関係だったのだ。
「……。ポプリ」
再び世界が瞬き、聞き慣れた穏やかな声がした。ジャンクが人型に戻ったようだ。この状況で会話ができないのは不便だと感じたのだろう。
「ッ、先生……」
「申し訳、ありません……」
獣から人間に形態が変わったものの、ポプリはお構いなしにジャンクに抱き付いたまま、肩を震わせている。恐らく、それを気にしていられる精神状態ではないのだ。そんなポプリの頭を、少しためらいつつもジャンクは撫でてみせた。
――だがこいつら、絶対に自分達以外の人間がここにいることを忘れている!!
「え、えーと……これ、オレ達ここにいて良いのか……?」」
「うん……そのぉ……」
「そ、そうだ……帰ら、ないか……?」
「帰ろう? もう放置して帰ろう?」
これはあまり、部外者が見て良いものではないだろう。というのは建前で、正直なところただ単純にこの場に居づらかった。どちらにせよ今は、二人きりにした方が良いに違いないとエリック達はこっそりと宿屋に戻ろうとした――その時だった。
「その耳……君はまさか、聖獣ケルピウスなのか……!?」
誰もいないと思っていた。誰も、来ないと思っていた。
「!? ッ!!」
生い茂る木々の間から現れた武装した青年の目は、真っ直ぐにジャンクを捉えていて。それに気付いたジャンクの身体が、恐怖に震え始めた。
「ま、待て! そんなに、怯えないでくれ……大丈夫だから、何もしないよ……」
青年は慌てて腰に下げていたサーベルを地面に放り投げ、両手を顔の横に上げた。本当に敵意は無いらしい。この村の人間がジャンクを襲う可能性は無いとアルディスは言っていたが、恐らく彼もそのタイプだ。
「……先生、大丈夫よ。この村の人達なら、きっと大丈夫」
泣いている場合では無いと判断したのだろう。ポプリはジャンクを見上げ、まだ涙の残る琥珀色の瞳を細めて笑ってみせる。彼女が怯えるジャンクを宥める為に抱きつく腕の力を強めたのを見た青年は暗闇でも分かる程に顔を赤らめ、咳払いした。
「う、うーん……様子を見る限り、君が噂の精霊巫女の息子だと判断して良さそうだね。その、俺はこの村の警備兵なんだ。異変に気付いて来てみたら……良い雰囲気だったっぽくて……邪魔して、ごめん……俺、あっち行くから、続けて良いよ……」
「!?」
青年の気まずい辛いとでも言いたそうな雰囲気に加え、エリック達も盛大に溜め息を吐いている。
それを見たことによってポプリとジャンクは漸く、自分達が何となく他者が見てはいけない、いてはいけない気持ちにさせてしまう状況を生み出していた事に気付いたようだ。
「い、いきなり離れるけど別にあなたを拒絶してるとかそういうのじゃ無いから……!」
「わっ、分かってます……! 大丈夫です、そんなことを気にするんじゃない!!」
大慌てで離れ、かなり微妙な距離を取った二人を見て、エリック達は思わず頭痛に耐えるようにこめかみを抑えて天を仰いだ。
(……何だ、あれ……)
今この瞬間、そう思ったのは間違いなくエリックだけではないだろう。
―――― To be continued.