テイルズ オブ フェータリアン ー希望を紡ぎ出すRPGー   作:逢月

47 / 92
Tune.42 決意と離別

 

 アルディスが落ち着いてきた頃、気分転換も兼ねて少しブリランテの村を出歩いてみようという話になった。

 何気なく進んだ先にあった、中途半端に整備された広場。その脇に、数人の村民達と言葉を交わすダリウスの姿があった。

 

「ダリウス……」

 

「ん? なんだ、揃って出てきたのか」

 

「ええ。せっかくだから、お店があるなら買い出しとかも済ませちゃおうと思ったのよ」

 

 ディミヌエンドで買い出しを全て終わらせる筈が、ヴァロンの襲撃があったために買い出しはほぼ無意味なものとなってしまっていた。それを察したらしいダリウスは、北の方角を指差してそちらに行くようにと促す。

 

「あっちに、店がいくつか並んでいたな。当然ディミヌエンドとは店の数も品目も劣っているだろうが、今、お前らが必要なものは全部揃うだろう。特徴的で面白いものも多かったから、見る価値は十分にあると思うぞ」

 

「あ、あなたねぇ……!」

 

 ディミヌエンドには劣る等という、村民の前でかなり失礼な発言であるようにも感じられたが、村民達も痛い程それを理解しているのだろう。特に何とも思っていない、それどころかエリック達の方を見て、心から歓迎していると言わんばかりの笑みを浮かべてみせた。

 

「小さな村ではありますが、ゆっくりしていってくださいね……久しぶりの客人、それも両国の後継者様の姿が見られるなど、この村始まって以来のことです」

 

「えっ!?」

 

「金髪が珍しいだの、ノア皇子によく似た人がいるだの色々聞かれたので話しました」

 

「お前なぁ……」

 

 勝手に話すなよと言いたいところではあったが、相手に敵意が無いなら問題ないだろうと考えを改め、エリックは軽く頭を下げる。

 

「どうやら既にご存知のようですが、私はエリック=アベル=ラドクリフと申します。訳があったとはいえ突然押しかけてしまい、申し訳ありませんでした」

 

「そんなことはありません……! 我々の方こそ皆さんに対し、感謝の言葉を送りたい程で! ですのでどうか、シェリルの子が元気になった際には、どうか会わせて頂きたいのです」

 

 ジャンクとダリウスの母親である、シェリル=ローエンフェルド。彼女がどのような人物であったかはエリックには全く分からない話だが、この村にとって、とても大切にされていた存在であったことは間違いなさそうだ。

 

 シェリル本人が既に故人ということ、その死因がジャンクの誕生によるものだということは、先程ポプリから聞いていた。聞いていただけに、村民達がそれを知っているのかどうかが気になった。それを知れば、手のひらを返してしまう可能性もあるからだ。

 

「エリック」

 

 心配事の内容を察したらしいアルディスはエリックの肩を叩くと、軽く村人に背を向けるように促してから小さな声で話しだした。

 

「少なくともこの村なら、大丈夫だと思う。この村じゃヴァイスハイトって割と出やすいから当然母親の死亡率のことも理解してるだろうし。何より、この村でジャンさんみたいな高能力のヴァイスハイトは“愛し子”って呼ばれてて完全に崇拝対象だから、逆に歓迎される可能性が高いよ」

 

「そ、そうなのか……ヴァイスハイトが出やすいとか、そういう村があるなんて……」

 

「俺もあまり詳しくは知らないけれど、精霊と常に接している精霊術師(フェアトラーカー)達の村だから、精霊から身体的な影響を受けやすいらしいんだ」

 

 ヴァイスハイトが、通常は天文学的な確率でしか生まれない存在であることはエリックも知っていた。それはそもそも、人と精霊とが本来ほとんど接点を持たないことが理由なのかもしれない。

 そういえば、アルディスは母体に直接下位精霊を流し込むという方法で生まれた、言ってしまえば人工のヴァイスハイトである。このような方法が生み出されるのだ。精霊が人体にもたらす影響というのは、かなり大きなものなのかも知れない。

 

「まあ、影響受けてるだけだから、大半は右目の色が違うだけで大した力を持っていなかったり、獣化まではできなかったり、逆に獣化した姿しか保てなかったりするような人が多いって聞くけどね。出産時に母体が耐えられないくらいに高い能力を持ったヴァイスハイトは、この村でもまれだよ」

 

「へ、へえ……」

 

 精霊とほぼ接する機会もなく生きてきたエリックからしてみれば、この村に来てからはひたすら知らないことばかり聞かされ続け、文字通り目が回りそうな状態である。そんなエリックの心境を理解しているのだろう。代わりにアルディスが住民達と話し始めた。

 

「失礼致しました。問題の人物がやや対人恐怖症気味なので、少しアベル王子と話し合っておりました。大丈夫、だと思います。我々にできる範囲でなら、彼を説得することも可能ですから」

 

「対人恐怖症気味、ですか……」

 

「彼は生まれてから今までに、色々とあったようなので。皆さんとお会いすれば、きっと驚かれると思います」

 

 今は深いことを語るべきではないと判断したのだろう。それだけを言った後、アルディスは微笑み、軽く頭を下げた。

 話しているうちに少し人が集まり始めた。その中の数人が目を見開き、アルディスの顔を眺めている。昨日、彼は幼い頃にここに何度か来たことがあると言っていた。知り合いだったのかもしれない。

 

 

「ノア皇子!」

 

「!? ブ、ブルーナーさん……! お久しぶりです!」

 

 そんな中、集まり始めた人々の中からひょっこりと顔を覗かせたのは、老齢の小柄な女性。彼女の瞳は、左が茶色で右が金色。つまり、ヴァイスハイトである。

 

「彼女は、ブルーナー=ヘルバルト。俺のヴァイスハイトとしての能力を最大限引き出すために協力してくださった方……要は、師匠なんだ」

 

「お、おう……本当に、ここではヴァイスハイトが平然と暮らしているのか……」

 

 思わず口から溢れ出た言葉が聞こえていたのか、ブルーナーと呼ばれた老婆はエリックの近くに歩み寄ってきた。

 

「貴殿が噂のアベル殿下ですね。ふふ、随分と大きいのに、優しそうな目をしていらっしゃる……殿下、ヴァイスハイトは珍しいですか?」

 

「!? あ、はい……ええと、その……不快に思われるかもしれませんが、私の国において、ヴァイスハイトは……」

 

 ラドクリフ王国でのヴァイスハイトは、迫害され、命を脅かされる存在。だから、本当に最近まで両目の揃ったヴァイスハイトを見たことが無かったーーそれを言ってしまって良いのか悩み、エリックは口をつぐむ。

 

「ふふ……分かっておりますよ、本当に、お優しいのですね」

 

「え……」

 

 失礼ながら、あなたを試させて頂きました。そう言って、ブルーナーは笑う。

 

「ただでさえ我々ヴァイスハイトは、フェルリオ帝国内でもあまり良い顔はされません。未知の存在として、恐れられるのです」

 

「同じ、魔術師だというのに……?」

 

「ええ。ですから、人種による格差が大きなラドクリフ王国では、もっと悲惨な現場が見られるのではないかと思ったのです。失礼だと分かっていながら聞き耳を立ててしまったのですが、皆様方が連れてきてくださったシェリルの息子は、人を怖れるのだと。それは、育った環境がゆえなのでしょう?」

 

「……ッ」

 

 上手く、言葉が出てこない。ブルーナーは差別や偏見に対し、どこか諦めの境地にあるのだということを感じ取り、エリックはおもむろに首を横に振った。

 正直、ショックだったのだ――そんなエリックの肩を叩き、アルディスはどこか悲しげな笑みを浮かべてみせる。

 

「エリック。もしかして、フェルリオは皆平等な美しい国だとでも思ってた?」

 

「いや……そりゃ、少しは酷い話も聞いている……だけど」

 

 まさか、ここまでとは思ってなかった。そう言ってみせたエリックの前で、アルディスはブルーナーと一度だけ顔を見合わせ、口を開いた。

 

「フェルリオ帝国ではね、銀髪碧眼の人間、つまり聖者と呼ばれる人々が最も地位が高いんだ。それ以外の人々は、基本的に見下され、差別される」

 

「それでも我々はまだ、良い方です。リッカの暗舞(ピオナージ)達や、サートルカータに追いやられた、反逆者の末裔の方々……忌み嫌われるあの方々の、あまりにも酷い扱いに比べたら」

 

 アルディスはともかく、結局は国民という立場に過ぎないブルーナーがこのようなことを次期皇帝を前にして言うのは御法度だろう。しかしその差別の運命下に置かれているのは、かつてのアルディスも同様なのだ。

 

「ひ、ひどいよ……そんなの、ひどすぎる……!」

 

 エリックとアルディスの二人が話しかけられているのだからと今まで黙っていたマルーシャだが、流石にこれには口を出さずにはいられなかったらしい。ポプリとダリウスも、少し顔色が変わっているのが分かる。

 

「アルが暗舞(ピオナージ)との混血になったのは、暗舞特有の黒髪はなかなか遺伝しないからだ。ヴァイスハイトだと左目の色も若干の変異を起こすから碧眼にはならないわけだが、せめて髪色だけは引き継がせようという意図があったんだそうだ」

 

 ディアナは不愉快だとと言わんばかりの、吐き捨てるような調子で口を挟んできた。それに対し、アルディスは「そうだね」と言って苦笑する。

 

「俺は失翼症だったし、流石に黒髪まで遺伝しちゃってたら生かされもしなかったかもね……」

 

 空色の髪の遺伝子は、確実に子どもに遺伝するのではないかと思う程に強い。そのことを考えれば、アルディスが精霊術師との混血にならなかった理由もすぐに理解せざるを得なかった。

 アルディスの出生の話は何度聞いても、彼本人は気にしていなくても。エリック達からしてみればあまり気分の良い話であることに変わりはない。ブルーナーは困惑するエリック達を見て「あらあら」と穏やかな笑みを浮かべてみせた。

 

「あなた様がおっしゃる通り、我々精霊術師(フェアトラーカー)の間ではお力を借りる精霊様の影響を受け、ヴァイスハイトがよく生まれます。時々、不思議な形をした子も生まれますから。見た目を気にされる、お偉い様方には嫌われてしまうのですよ。確かに、聖者一族の容姿は美しいとは思いますがね」

 

 ですが、とブルーナーはおもむろに首を横に振る。その表情は、とても柔らかなものだった。

 

「私はノア王子の傷一つない翡翠のような瞳や、ダイアナ様の夜空のような深い藍色の髪の方が美しいと思うのですが……あら、そこのお嬢さんもダイアナ様のような髪色をしていらっしゃるのですね」

 

「……!」

 

 彼女の言葉に、ディアナが大きな青い瞳を見開いて喜びを顕にした。彼女は酷い差別を受けている側の人間だ。もはやなりふり構っていられない程に嬉しかったのだろう。

 

「い、いや! オレは“お嬢さん”じゃない!! オレは男だ!! ……綺麗と言われるのは、嬉しいのだがな……」

 

 だが、言うべき言葉を言うのが遅すぎる。ただでさえ、ディアナは少女にしか見えない容姿の持ち主。まさか男とは思わなかったらしく、ブルーナーも驚きを隠せない様子で「あらあら、ごめんなさいね」と苦笑していた――否、彼女はディアナに『合わせて』いた。

 

(ん……?)

 

 ブルーナーの反応に違和感を覚えると同時、エリックの脳裏を、あの時の忌々しい女達の言葉が過ぎっていった。

 

『アンタみたいな薄汚い小娘に、こんな物が似合う筈もないでしょう?』

 

 

――薄汚い“小娘”。

 

 状況から判断するに、恐らくラドクリフに来る前はもっと長かっただろうディアナの藍色の髪を掴み、女は確かにそう言っていた。

 

「あっ!?」

 

 嗚呼、自分は馬鹿じゃないのか。どうして、あの時、あの瞬間にコレに気付かなかったのか……。

 エリックは悲しくも自覚できてしまう程に間抜けな声を上げ、頭をガシガシと掻いた。

 

「どうした? エリック?」

 

 どこか不安げな表情で、ディアナがエリックを振り返る。唐突に変な反応を見せたために、しかも話題が話題であるために、性別がバレてしまったのではないかと不安になったのだろう。いや、実際、本当にそうなのだが……。

 

(こ、これは……流石にこの場で追求したら駄目だよな……)

 

 エリックは頭を振り、咄嗟に口角を上げて微笑してみせた。

 

「悪い悪い! ちょっと別のことを考えていたんだ! 全く関係のない話だ、気にしなくて良い」

 

「そ、そうか……な、なら良いのだが……」

 

 我ながら『ディアナの男装並みに』下手くそな嘘だ。ディアナもどこか不安そうな様子は変わらない。

 どうしたものかと頭を悩ませるエリックの横目が、アルディスが「良かった」と言わんばかりに胸をなで下ろしている姿を捉えた。

 

(こ……っ、こいつ! 僕より先に気付いてたんだな……っ!!)

 

 ディアナ云々の前に、アルディスと能力から考えてどう考えても気付いているだろうジャンクと口裏を合わせた方が良さそうだ。だが今はまず、話を変えてやった方が良いだろう。

 

 

「そういえば、ノア皇子やディアナの容姿を見てもディミヌエンドやヴィーデ港の人々は特に顔色を変えませんでしたね……」

 

 不自然な話題では無いと思う。実際、エリック自身もこのことは気になっていた。そしてブルーナーも特に妙な反応をすることなく、くすくすと笑って話し出してくれた。

 

「私に限らず、聖者一族ではない民間人はむしろ、銀髪碧眼を嫌っている可能性だってありますよ。私も……正直、あまり良い印象はありません。ノア殿下を前に言う話では無いとは思いますが」

 

 気になさらないで下さい、と笑うアルディスをちらりと見た後、今まで黙っていたダリウスが口を開いた。

 

「シックザール大戦後、フェルリオ帝国内では大規模な聖者一族排除運動もあったらしい。現場を見たわけでは無いが……想像はできるわな。散々聖者一族以外の人々を差別してぞんざいに扱った挙句、暗舞(ピオナージ)の血を引くノア皇子とアルカ姫の両名を『無かった』ことにしようとした一族だ。大戦で聖者一族の勢力が落ちたところを狙って、反乱が起きたんだろ」

 

 言われてみれば、フェルリオ帝国最大の都市だというディミヌエンドで見た聖者一族――銀髪碧眼の人間は、ディアナを虐めていたあの三人組くらいだ。

 どうやら排除運動のことは本来当事者である筈のアルディスも知らなかったらしく、目を丸くしたりため息を吐いたりと落ち着きの無い反応をしている。

 彼は母国フェルリオに帰る事が出来ず、ずっと隠れるようにラドクリフ王国内で生活していたのだ。母国のことを知る機会はほぼ皆無だったのだろう。

 

「ええ。そこの彼が言うように、聖者一族の大多数……つまり上流中流の貴族達は儀式のためにラドクリフに行って帰って来なくなりましたし、現在この地に残っている者は儀式に参加する事を許されなかった下流貴族と、辛うじて帰還出来たひと握りの者達のみ。今はコラール大陸に『レイバース』という新たな街を作り、そこに引きこもっていますよ」

 

 アルディスのためにも詳しい話をしようと考えたのだろう。かなり大雑把だったダリウスの話をブルーナーが補足する。

 彼女が言うには、未だにディミヌエンドにいるのは聖者一族の中でも魔術の才に恵まれなかったり、戦時中に好ましくない行動を取ったりしたなどの理由で同族内でも疎まれているような下流貴族の者で、要はレイバースに住むことを許されなかった人々なのだそうだ。あの女達は下流階級だろうという、エリックの予想は間違っていなかったということである。

 

「栄華は続かない、いずれ廃れゆくもの……聖者一族の全盛期だった頃しか存じ上げない私ですが、何というか嬉しいような悲しいような、すごく、複雑な気持ちです……」

 

 消え入りそうな声で呟き、どこか悲しげに笑ったアルディスの左手を、ブルーナーはそっと深いシワの刻まれた両手で包み込んだ。

 

「それでも……今更ですが、ノア皇子。本当に、あなた様が無事で良かった。成長なさったあなた様のお姿を見られるとは、夢にも思いませんでしたよ」

 

 自身の境遇故、聖者一族の衰退をどのように受け止めて良いかが分からなかったアルディス。その心境を察知したのか否か。柔らかで、嘘偽りのない笑みを浮かべるブルーナーに釣られ、彼も自然と笑みを浮かべる。

 

「ありがとうございます。私も、まさか生き延びて再びフェルリオの地を踏めるとは思いませんでした……」

 

 

 長い間、フェルリオ帝国を離れていたアルディスだが、幸か不幸かその間に彼の母国は彼にとって暮らしやすい環境と化していた。

 一部の人々が狂ったように権力を振りかざし、他を追い詰めるような状況はやはり良くないということを、改めて感じさせられる。

 

 

「ラドクリフの強者絶対主義に、フェルリオの血統絶対主義……か。そういう意味じゃ、エリック君もノアも今までの王家の真逆を行く、異質の後継者よね」

 

 重くなり始めていた話の流れを変えようと思ったのだろう。唐突に話を切り出したポプリは、エリックとアルディスを見据え、軽く首を傾げて笑った。

 

「あたしはね、二人が異質だからこそ、今までの流れを変えられる存在になれるって、期待してるのよ?」

 

 純粋な、彼女の真っ直ぐな想いに応えられるだろうかとエリックは奥歯を噛み締める。それでも「自分には無理だ」と即答してしまう、かつてのエリックはそこにはいなかった。

 

 

「変に期待するのはやめろよな……でも、努力はする。最初から諦めるんじゃ、何も変わらないからな。それに、ここに来て痛感したことだってある。その事実から、自分が成すべき事から、僕は目を背けたくない」

 

 彼が口にしたのは、謙虚ではあるが、前向きな答え。その答えを聞いたアルディスは自身の左手の甲をさすり、軽く息を吐いてから口を開く。

 

「色々ありましたけれど、俺はやっぱり、人々に期待された分は応えられる自分で在りたいですね。人々が平和を願うのであれば、俺は全力でそこに向かって突き進むまでです」

 

 エリックに釣られるようにアルディスが口にした答えはやはり前向きで、力強い意志を感じるもの。

 圧倒的に『自信』というものが足りていなかった二人ではあったが、この短期間で少しずつ、少しずつではあるものの、成長の兆しを見せていた。

 

 そんな二人の姿を見て、ポプリは本当に嬉しそうに、それでいて感極まって泣き出しそうになるのをこらえるように琥珀色の瞳を細めた。彼女だけではない、マルーシャとディアナも同じような反応だ。

 

「何だか、二人が遠い存在に感じるよ。わたし、ずっと近くにいたのになぁ」

 

「ふふ、そうだな……少なくとも、以前までの二人には無い前向きさだ。見習いたいものだ」

 

 微笑ましげに、見守るように穏やかな笑み浮かべているブルーナーを横目で見た後、ダリウスは深く息を吐きだし、自身の胸に手を当てる。

 

「もう、心配なさそうだな……これで、クリフォードをお前らに託して帰る決心が付いた。ただ、最後に顔くらい見ていくかな……」

 

「えっ!? どうしたのよ突然!!」

 

「いや……お前らには悪いが、少し心配だったんだ。俺が連れ帰るわけにはいかないし、どこかに預けるか……みたいなことを考えていてな。だが、その必要は無いと判断した」

 

 もう少ししたら、俺はこの村を発つよ――そう言って笑う彼の顔には、どこか憂いの影が差していた。

 

 

 

 

「ダリウス!」

 

 月明かりに照らされる、荒野。

 いつの間にやら宿屋から姿を消した彼を見つけ、駆けつけたエリック達の前方で、ダリウスは空から舞い降りてきたばかりのマッセルの大きな白い翼を撫でていた。

 以前、アルディスとディアナの二人と戦った時もであったが彼は今回、上空から飛び降りてきた。

 あれはチャッピーとは異なり、空を飛べる翼を持ったマッセルを連れているからこそできたことだったのだろう。

 

 少し肌寒い風が、ダリウスの衣服をなびかせる。どうにも寂しそうに見える彼のもとに、ポプリがゆっくりと歩み寄り始めた。

 

「なんだよ、見送りか? あ……ほら、危害は加えなかったろ? だから……」

 

「分かってるわ。ちょっと、そこで待ってて」

 

 ポプリの手には、ダリウスに渡された長い細身の剣。剣を持ったまま、彼女は自身の桜色の髪に結んでいた黒いリボンへと手を伸ばす。

 

「はい。約束通り剣は返すわ。それから……これも持って行って」

 

 しゅるり、と微かな音を立て、リボンが解ける。リボンを剣の上に乗せ、ポプリはそれをそのままダリウスへと差し出した。

 

「ん? リボン……?」

 

「あたしは秩序封印(ヴァルデマール・フレイヤ)能力者で、特に物体の動きを封じる能力に長けているの。そのリボンは、あたしが十年近く身に着けている物よ。だから、あたしならそれを媒介に、離れていても能力を発動させ続けることができる。それができるように、さっきリボンに術式を刻んでおいたの」

 

 魔術師が長年身に着けていたものには、持ち主の影響を受けて若干ながら力が宿る。そのリボンなら間違いないだろうと言いながら、ポプリは軽く背伸びをしてダリウスの包帯で隠された右目に触れた。

 

「要は、あなたの身体に悪影響を与えている魔力を制御すれば良いのよね」

 

 ふふん、とポプリが不敵な笑みを浮かべる。刹那、バチリと紫の光が空気中に散った。

 

「ッ、く……っ!」

 

「右の視力に影響出るでしょうけど、どうせほとんど見えてないんでしょう? 知ったこっちゃないわ」

 

「お……お前……! 今度は何を企んで……ッ!!」

 

 ポプリから距離を取り、右目を押さえるダリウスの息が若干上がっている。彼は悲鳴こそ上げなかったが、かなりの痛みが生じるものだったのだろう。

 

「大丈夫、あなたが死ぬようなことはやってないわ。大切なお兄さんを変な死なせ方させたら、先生が悲しむもの。意地でも、あなたを魔物なんかにはさせないわ」

 

 ポプリの突然の行動に動揺を隠せないのはダリウスだけではない。エリック達も同じだ。

 一応ざっくりと話は聞いているため、ダリウスの右目付近が変色している理由、いずれ彼が魔物化する可能性については知っている。知っている……のだが、まさかポプリが勝手に動くとは思わなかったのだ。これはもう、成り行きに任せるしかなさそうだ。

 

「ッ、ピンク頭……! お前まさか、俺の右目に制御陣を刻んだのか!? 今の短期間でこんなことできるような能力者、馬鹿学者達がほっとかねぇぞ! フェリ……いや、俺達みたいになりたくなきゃ、さっさと術を解け!!」

 

 ダリウスが口走った『フェリ』という人物は恐らく、秩序封印(ヴァルデマール・フレイヤ)能力者だ。その後に続けて彼は『俺達』と言っていた。つまり、高度な力を持つ秩序封印能力者は実験体にされかねない、ということなのだろう。

 

「ああ、そういうこと。ペルストラの一件以降はよく、変な奴らに追い回されるのよ、あたし。それでノアハーツ孤児院も追い出されるし、何でかなって思ってたの。能力のせいだったのね」

 

「ちっ、既に目ぇ付けられてんのかよ……」

 

「その度にあたし、あなたの弟に助けられてたのよ。感謝してるわ」

 

 だから、あなたにその術をかけたの、とポプリは笑う。もう痛みが引いてきたのか、ダリウスは右目から手を離し、どこか自嘲的に吐き捨てた。

 

「はは……そもそも俺じゃ無理だとは思ってたが、勝てそうもねぇな」

 

「ん? 何よ、あたし。勝負なんてした覚えないわよ」

 

「良いんだよ。ほっとけ」

 

 決まりが悪そうに頭をガシガシと掻いた後、ダリウスは剣をレーツェルに戻し、リボンを右の手首に巻き付ける。ポプリを説得するのは諦めたようだ。

 

「ピンク頭、これで良いんだろ?」

 

「ええ、なるべく外さないでね。制御陣の効果が薄れちゃう……それからねぇ、あなた、出会ってから馬鹿の一つ覚えみたいにあたしのこと『ピンク頭』って呼ぶのやめてくれない!?」

 

「どっからどう見たってピンク頭だろ」

 

「そうじゃないわよ! あたしにはねぇ、ポプリ=クロードっていう親から貰った大切な名前があるの! 馬鹿にしないで!!」

 

 怒りを顕にするポプリの言い分を「はいはい」と聞き流し、ダリウスは彼女の頭をぽんぽんと叩きながら口を開いた。

 

「くく……っ、本当弄りやすい奴。しかし親から貰った名前……ねぇ。せっかくだ、教えてやれる機会があったら教えてやってくれよ」

 

「え? 何よ、話をそらさないでよ……!」

 

「クリフォードは母親シェリルの名前の頭文字を取った、『清く導く者』という意味の込められた名前だ。嫌な思い出も多いだろうが、それでも両親の愛情が込められた名前だからな。知らないままなのは、可哀想な気もするんだ」

 

 母親の名前の頭文字を取るくらいだ。恐らく、名付け親は父親の方だろう。納得がいかないと反論しかけたポプリではあったが、話題がジャンクのことであるためか、口を閉ざしてしまった。

 

「『清く導く』って意味においては、お前らの傍にいれば安心できる気がした。せめて、な……両親が願ったような形で、あいつにはこれからの人生を歩んで貰いたいと思っている」

 

 それでエリック達に弟を任せる気になったんだと、ダリウスはエリック達を見据える。恐らく、彼はそのままここを立ち去るつもりだったのだろう。だが、エリックは彼の言葉の奇妙な点を見逃さなかった。

 

 

「ダリウス。失礼を承知で言わせてもらうが、お前こそ、その名前の意味は『正義を貫く者』だろ? その辺どうなんだよ」

 

 実を言うと、ダリウスという名は歴代ラドクリフ王家にも存在したものだ。だからこそ、エリックはこの名前の意味を知っていた。

 

 黒衣の龍としてのダリウス――ダークネスの姿は、到底『正義』とは思えない。要するにダリウスは、弟には親が残した名前の通りに人生を歩んで貰いたいと願っておきながら自分自身は棚に上げてしまっているような、そんな生き方をしているのではないかとエリックには感じられたのだ。

 

「……。あなたは……私が、私達が、『悪』だと。そうおっしゃりたいのですね」

 

 ダリウスはエリックの発言に対する不快感を一切隠せない表情のまま、溜め息を吐くと同時に肩を竦めてみせる。

 

「! い、いや……そんな、ハッキリとは……」

 

「良いですよ、別に。少なくとも、私に関しては何とでも言って下さって結構です……ああ、結構だ。だがな、これだけは言わせてもらう」

 

 敬語が崩れてしまった。本来は決して綺麗な言葉遣いとは言えない彼だからこそ違和感は無いが、それがエリック相手となると話は別である。かなり、気が立っているのだろう。

 

 

「お前らが何を言おうが、俺は殿下に従い続ける。正しいかどうかなど、もはや関係ない」

 

 

 返されたのは、どこか冷たささえ感じられる言葉。そこには、少しの時間を共にして感じた、彼の不器用な優しさは一切ない。

 結局はゾディートの意志が全てであって、彼自身の思いはどこにも存在しないのだろう。それはあまりにも情けないことなのではないかと、マルーシャが反論する。

 

「それが、ダリウス自身の意に反することだったとしても!? 何もお義兄様を裏切れなんて言ってない! お義兄様を正そうっていう考えは、ダリウスには無いの!?」

 

「……」

 

 まくし立てるように叫ばれ、ダリウスは奥歯を噛み締めて黙り込んだ。そんな彼の態度を見て腹が立ったのか、飛びかかりそうな勢いのマルーシャを宥め、代わりにエリックが口を開く。

 

「マルーシャの言う通りだ、お前は兄上が全て正しいとでも思っているのか? なあ、ダリウ――」

 

 エリックの言葉を遮り、ダリウスは声を荒らげた。

 

「ッ、それならお前らは、ゾディート殿下の全てを知っているというのか!? 彼が……ッ、これまで蔑まされ続けた彼が、どのような思いで、今まで、お前らを……ッ!!」

 

「!?」

 

 酷く震え、声量があったにも関わらず泣いているのではないかと錯覚しそうな程、弱々しい声。

 エリックとマルーシャに敬語を使うどころか、冷静さを保つ余裕さえ無いダリウスの姿が、そこにはあった。

 

「だ、ダリウス……」

 

「くそ……っ、駄目だ。俺は、こんなことを言いに来たんじゃない……!」

 

 弟であるジャンクと比べて随分と落ち着いているから、どうしても忘れかけてしまう。彼も過去に壮絶な経験をして、心に深い傷を負った人間なのだということを。ここに来て、そんなダリウスの弱さを垣間見たような気がした。

 

「……ッ」

 

 ダリウスは長い前髪をくしゃりと掴み、奥歯を噛み締めた後おもむろに首を横に振る。それは彼自身が抱えている闇を、必死に振り払おうしているようにも見えた。

 

「帰る。俺はもう、ここには必要ないだろう?」

 

「えっ、ま、待って! ねえ……」

 

 踵を返し、歩き出したダリウスの背をポプリが追う。その気配を感じながらも、ダリウスはポプリに背を向けたまま叫んだ。

 

 

「殿下がお前達を殺すことを望まれるのなら、俺はそれに従う! 今回はあくまで、お前達を生かすようにと命じられたからここまで着いてきたんだ……それを、忘れるな!」

 

 

 まるで――彼が、彼自身に言い聞かせているかのような、言葉だった。

 

 

「ダリウス……どうして……」

 

「……クリフォードのこと、よろしく頼む」

 

 悲しげなポプリの声に一瞬だけ振り返ったかと思うと、ダリウスは即座にマッセルに飛び乗り、夜闇の中へと消えていった。一枚の白い羽根がマッセルの翼から抜け落ち、ひらりと宙を舞う。

 

(兄上の指示に従うのは……本心じゃ、ないのか……? いや、でも……)

 

 最後に見たダリウスの、どうしようもない葛藤と戦っているかのような、複雑な表情が忘れられない。彼は、彼らは、一体何を考えているというのか。

 

(一体、何だって言うんだよ……!)

 

 頭の中がごちゃごちゃして、もう訳が分からなかった。エリックは砂の付着した羽根を手に取ると、奥歯を噛み締めて空を仰いだ。

 

 

 

―――― To be continued.

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。