テイルズ オブ フェータリアン ー希望を紡ぎ出すRPGー   作:逢月

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Tune.40 追憶

 

 ダリウスを加えた状態での山降りは何事もなく、順調に続いていた。ただ、やはり不意打ちの心配があるためにしばらくは緊張状態が続いていたのだが、ダリウスがエリック達に危害を加えてくるようなことは、ここまでのところ一度も無い。そうしているうちに夜になり、野宿の準備をし、今はもう、真夜中である。

 

 エリック達をテントの中に追いやった後、ダリウスは焚き火の傍で寝ずの番をしていた。彼は謎の大きな白い鳩のような鳥を背もたれにして座り、ひたすら書類らしき物に目を通している。油断しきっているようにしか見えないその様子からは、何かをしでかすとは到底思えない。とはいえ、彼に全てを任せて素直に「おやすみなさい」と言って眠れないのが現実である。

 

 

「おい、お前ら……二人して寝れないのか?」

 

 それに気付いていたダリウスは一旦書類から目を離し、テントに向かって呼び掛けた。

 

「起きてるなら、素直に出てこいよ。こっそり覗いてんじゃねーよ」

 

 呼び掛けに対し、最初に顔を出したのはアルディスだった。彼に続く形で、隣のテントからポプリも顔を出す。

 

「あら、気付いてたの」

 

 その手には、昼間にダリウスから渡された細身の剣が握られていた。

 

「馬鹿なこと言わないで、あなたの傍で眠れるわけないじゃない」

 

「今更どうこう言う気はないが、明日に響いても知らねーぞ。特にピンク頭、お前は俺達とは体質が違うんだからな」

 

 苛立っている様子のポプリを見たダリウスはため息を吐き、二つのカップにお湯を注ぐ。それをそのまま、テントから出てきたアルディスとポプリに差し出した。

 

「ほらよ、これでも飲んでろ」

 

「これ何? 毒でも飲ませる気?」

 

「アホ。ただのココアだよ」

 

 カップの中で、茶色の液体が湯気を上げながら揺らめいている。漂ってくる独特のカカオ豆の甘い香りは、紛れもなくココアの物だった。

 

「……」

 

 それでも警戒してココアに口を付ける気配がないポプリを見て、ダリウスは頭の痛みを耐えるかのようにこめかみを抑える。

 

「分かった。なら、毒味してやるよ」

 

 彼はポプリが手にしていたカップを取り上げ、目の前で一口だけココアを飲んでみせた。その後の彼の様子には、何の異変も感じられない。

 

「ほら見てみろ。毒なんて入れてないから……ん、返す」

 

「あたしに飲みかけを飲ませる気?」

 

「お前が全力で疑ってくるからだろ!? わざわざ毒見してやったんだろうが!」

 

「ちょ、ちょっと……二人共……」

 

 ここまで来ると、ポプリが一方的に敵意を剥き出しにしているような状態ではあるが、今回は事情が事情である。ポプリとダリウスの間に走った亀裂は深い。しかし、だからと言ってこの場で不必要な言い争いをするのも考えものだろう。

 

「……」

 

 実はアルディスもポプリ同様にココアへの対応に悩んではいたのだが、覚悟を決めたらしい。おもむろに、彼は渡されたカップに口を付けた。

 

「ノア!?」

 

「……美味しい。大丈夫そうですよ」

 

「フェルリオ皇子の方が理解力あるな。助かる」

 

「なんですって!? ……いえ、もう良いわ……いただきます」

 

 口に広がるのは、ほんのりとした優しい甘さ。ダリウスに反抗するのを諦めたポプリは、ココアを味わいながら軽く息を吐いた。本当に、毒は入っていないようだった。

 ポプリとアルディスがちびちびとココアを飲み進めている間に、ダリウスは黙々と書類に目を通していく。彼の後ろの鳥は、こくりこくりと頭を揺らしていた。眠っているのだろう。書類に目を通しながら、所々でメモ用紙とペンを手に取る。手馴れた様子でこなされていく作業を、ポプリとアルディスは呆然と眺めていた。

 

 

「……何見てんだ」

 

「い、いや……あなたの後ろの鳥もかなり気になるのですが……それ以上に、その……少しは、休まれたらどうです? 出先で書類って……」

 

 この状況である。下手に地雷は踏めないと考え、緊張しているらしいアルディスはとにかく言葉を選びながらダリウスの様子を伺っている。もはや気を使いすぎて不自然な状態になってしまっていたのだが、その点においては、ダリウスの方は然程気にしていない様子であった。

 

「黒衣の龍の人間は強烈に識字率が低い上に、大半は学が足りてない。こんな書類、任せられないんだ。かといって殿下に全てやって頂くわけにはいかないし、あのゲス眼鏡は何やらかすか分からん。だから、基本的に俺に回るようにしているんだ」

 

「え……」

 

 黒衣の龍は騎士団としては小規模だが、一人でどうにかできるような規模では無いだろう。仮に重要書類だけにしろ、それを全て一人で処理しているのだとすれば色々と気になる事も出てくる。

 

「それ……あなた、ちゃんと睡眠取ってるの?」

 

 思わず、ポプリはダリウスの体調を気にかけてしまっていた。彼と似たようなことをやってしまう人間が身近にいるだけに、妙な不安を感じてしまったのだ。

 ダリウスはポプリに心配された事に若干驚いた後、自身の記憶を辿り始めた。

 

「あー……ああ、大丈夫だ、確か三日前に一度寝たと思う。多分」

 

「そ、それは大丈夫とは言いません!」

 

「ああもう……弟が弟なら、兄も兄ね……」

 

 最後に取った睡眠すら曖昧なんて、とアルディスは叫ぶ。ポプリに至っては呆れ返ってしまっているかのような、そんな様子であった。

 しかし、ダリウスは「仕方ないじゃないか」と呟きながらも書類の枚数を数え、まさにこれこそが『日常』だと言わんばかりの態度を示してみせる。

 

「何とでも言え。名目上とはいえ、俺は殿下の執事。これくらい当然のことだ」

 

「だからといって、それとこれとは……あ」

 

 アルディスが話を途中でやめた理由は、ダリウスが背もたれにしていた鳥が目を覚まし、こちらをじっと見ていたためだ。

 素体が暗舞であるためか、走ることに特化したチャッピーとは違い、こちらは立派な翼を持っている。ダリウスが上空から姿を現す理由がこの鳥の存在なのだろう。

 赤く丸い大きな目は、見る者にどこか幼い印象を与える。だが、注目すべき点は鳥の額に埋め込まれている、瞳と同じ色の大きな魔法石の方だろう。

 

「……その子も、元は人間だったんですね」

 

 チャッピーことイチハの事情を知っている以上、皮肉にもアルディスが白い鳥の正体を悟るのは簡単なことであった。ダリウスは左手を伸ばし、鳥の頭を撫でながら静かに口を開く。

 

「だな。どうやら生まれて間もない頃に、魔法石埋め込みの実験を受けたらしい……あのオレンジの鳥と同じ結果になったみたいだがな」

 

「……ッ」

 

「俺が研究施設から引き取られた時、隣の檻に入れられていたから一緒に連れてきたんだ。一応男で、俺は“マッセル”と呼んでいる。いつまでも、俺の移動手段にしとくのは良くないとは思うんだが、家族の所在どころか本名すら分からないんだ」

 

 頭を撫でられ、マッセルは気持ちよさそうに目を細めている。生まれて間もない頃に、ということは人間年齢でいうと大体十歳くらいだろうか。

 イチハはそれなりの年齢であると考えられるのに対し、あまりにも幼い彼の場合は人間として生きたという記憶はないに等しいだろう。

 

「あの……答えたくなければ、無視してくださって、構わないのですが……」

 

 ただ、それ以上に気になることができてしまった。ヴァロンの発言や、先程のダリウスの言葉を聞く限り、ほぼ間違いない。確信を得ようと、アルディスは躊躇いがちに口を開いた。

 

「ダリウスさん、あなたもヴァロンの実験体だったのですか……?」

 

 話すまでもなく、明らかに『実験体』の話がトラウマ化しているジャンクの例があるため、これは聞いて良い話なのかどうか悩んだのだ。

 失言ではないかと目を泳がせるアルディスの問いに対し、ダリウスはどこか自嘲的な笑みを浮かべてみせる。

 

「……厳密には、“ヴァロンの”では無いがな」

 

「え?」

 

「あ、いや……そうだな、実験を受けたのは一度きりだが、俺は元々そういう立場だった。ヴァイスハイト化したのは、実験の後遺症とでも言うべきだろうか。実験体だったのは十六の話なんだが……何故か、後になってこうなったんだ。ちょうど……ペルストラ事件の、直後のことだったよ」

 

 包帯で覆われた右目を抑え、ダリウスは言葉を選びながらも当時を思い返すように語り始めた。

 

「フェルリオ皇子がヴァイスハイトを“先天的に”生み出そうという実験の末に生まれた存在だというのは、ラドクリフ側にも情報として入っていたらしい。だから、ラドクリフでは“後天的に”ヴァイスハイトを生み出す実験が行われたんだ」

 

 戦時中、ラドクリフ王国側はフェルリオの兵士が扱う魔術攻撃に苦しめられたという。一般的に龍王族(ヴィーゲニア)は魔術に弱いため、当然の結果だ。

 そんなラドクリフが求めたのは魔術に対抗できる即戦力、すなわちヴァイスハイトだったのだ。しかし、アルディスのようにヴァイスハイトを胎児から育てる時間的余裕はなく、かといって、そもそも天文学的な数値で生まれてくる天然のヴァイスハイトを探すなど不可能に等しい。

 結果、前ラドクリフ国王であるヴィンセントが行わせたのが後天的にヴァイスハイトを生み出す実験だったのだ。この実験は国の重役しか知らない、つまり水面下で行われた計画であった。それゆえに知らなかったのだろう。アルディスもポプリも、酷く顔をこわばらせていた。

 

「後天的にヴァイスハイトを……!? そんなの無理に決まってる、危険過ぎる!!」

 

「そうだな。研究施設では魔物化して暴走するような大量の“欠陥品(ジャンク)”が生まれた。俺は一見、実験体としては成功したように見えるかもしれんが、結局はいつ魔物化するか分からん欠陥品に過ぎん」

 

「……それで、あなたは右目の付近が変色しているの?」

 

 淡々と語ってみせるダリウスに対し、ポプリは酷く震える手を誤魔化すようにカップを握る手に力を込めた。カップの中の液体は、小刻みに揺れている。

 

「今でこそ右目付近だけだが、多分そのうち全身こうなると思うぞ。俺はあくまで、魔物化が遅れているだけで……」

 

「え……」

 

「後天的にヴァイスハイトを作り出すために、ラドクリフは理論上可能だとよく分からん機材を大量導入して、何かしらの手段を用いて実験体に魔力を移植した。結果、大多数の実験体が魔力移植に拒絶反応を起こしておかしくなったんだよ……具体的に言うと、体内魔力が汚染されて、人ではない“何か”になってしまったんだ」

 

 ヴァイスハイトは自身の身体の中で魔力を生成することができるという特殊な力を持つ。しかし、普通の人間にそれはできない。通常、魔力が尽きた場合は食物などから摂取するしかないため、一度に使える魔力は有限となる。保有できる魔力の量などの個体差はあるが、ここは龍王族(ヴィーゲニア)鳳凰族(キルヒェニア)も同様だ。

 精霊から魔力を分けてもらう、もしくは精霊を介して魔力を無害化してもらうという特殊な事項も存在するとはいえ、これはあまり現実的な話ではない。精霊の使徒(エレミヤ)としてマクスウェルの力の一部を使いこなしていたジャンクのメルジーネ系列の術はまさに精霊由来の物であったため、例外とされる手段の一つだ。

 もし、ヴァイスハイトでない人々が外部から直接魔力を取り込むようなことをすれば、身体的にも精神的にも強い悪影響を及ぼす程の拒絶反応が起こってしまう。

 話を続けながらも、右目を抑えるダリウスの手に微かに力がこもった。

 

「拒絶反応は体質によって程度が大きく異なるんだ。例えば、魔法石の埋め込み実験に使われたのは、主にフェルリオから拉致してきた純血鳳凰(クラル・キルヒェニア)だったらしい」

 

「!」

 

 それは、フェルリオ帝国の地理的条件ゆえに起こった悲劇だった。フェルリオは四つの大陸によって構成される国であるが、権力や軍備は帝都のあるセレナード大陸及び聖地と呼ばれているコラール大陸に集中していたのだ。

 その為、他の大陸――パルティータ大陸とカプリス大陸に住む国民が、大陸に乗り込んできたラドクリフ軍に拉致されるという事件が立て続けに起こってしまった。

 フェルリオ軍はこの事件の解決に動いたが、ラドクリフ軍を追い返すこと以上の大きな成果は出せず、最終的には儀式の為にカプリス大陸に行っていたアルカ姫までもが犠牲になってしまったのだ。

 

「奴らは魔力の影響を受けやすくて、額に魔法石を埋め込まれると身体そのものが変形して例外なく鳥のような姿と化してしまったらしい。言うまでもないが、その末路がマッセル達だ」

 

 ダリウスの話を聞いたアルディスは悔しげに目を細め、強くカップを握り締めた。

 

「……やっぱり、あの事件の被害者達は犠牲になったのですね……」

 

「全員が全員かと聞かれると分からないが、無駄に希望を持たせるようなことは言いたくないな。純血鳳凰(クラル・キルヒェニア)達には、額以外に魔法石を埋め込む実験も行われていたようだが……そちらの結果は俺もよく分からない」

 

「……」

 

 行方不明になってしまった国民に加え、実の妹の安否を心配し続けているであろうアルディスには、これはあまりにも残酷な話だった。思わず俯いてしまったアルディスの頭を軽く撫で、ポプリはダリウスへと視線を戻す。

 

「その実験は、純血鳳凰(クラル・キルヒェニア)じゃなきゃ駄目だったの?」

 

「魔法石には魔力を膨張させる力があるらしい。だが、加減が効かないようなんだ。体質的な問題で、少しでも龍の血が入っている人間の場合は魔法石を埋め込まれた瞬間身体が膨大な魔力に耐え切れず、人としての形状が保てずに死亡しまったらしい。だから、俺達にはこういった実験は行われなかった……が、こういう話が残ってるくらいだ。俺の前には散々死者が出たんだろうな。エグいことしやがるな、とは思うよ」

 

 わざわざ敵国の国民を連れ去ってまで行われた実験。その理由は、ラドクリフの国民はまず実験に耐えられないから、というものだった。

 そして、当時のラドクリフで行われたもうひとつの実験について、ダリウスは少しだけ顔を強ばらせた後、しばしの間悩んだ末に語り始めた。

 

「俺みたいな龍混じりの実験体には“とあるヴァイスハイト”から抜き出してきた魔力を右目に流し込むという実験が行われたんだ。まあ、こっちはろくな成功例が無かったようだが」

 

「とある、ヴァイスハイト……? まさか……っ」

 

 ポプリ達を気遣ったのかどうかまでは分からないが、ダリウスは個人名を伏せて話していた。しかし、それはもはや、何の意味を持たない行為。

 

「……」

 

 ダリウスは、ちらりとジャンクが中で眠っているテントの方へと視線を移す。そして、ポプリ達とは目を合わせないまま、彼は深く息を吐いた。

 

「伏せるまでもなかったようだな……そうだ。そのヴァイスハイトが、クリフォードだったんだ」

 

 身体から魔力を抜き出されるということ。それが何程身体に負担をかけるか、ポプリは身を持って知っていた。マルーシャの術の完成を助ける為に魔力を抜かれてから、既に十日以上が経過している。それでも尚、ポプリは身体の不調を感じていた。それだけの反動を受けてしまうのだ。

 十年前、実験体であった頃のジャンクは“アレ”を頻繁に、強制的にさせられていたというのか――それもヴァロンによる壮絶な虐待を受けながら、恐らくは並行して別の実験も受けながら。 事の壮絶さに、ポプリは吐き気をこらえるように片手で口元を覆う。

 ひと段落ついたのかダリウスは持っていた資料をまとめ、ファイルにしまった。そして、そらしていた視線をポプリ達の方へと戻す。

 

「一応言っておくが、実験内容はクリフォード本人には言うな。多分、アイツが今、『自分のせいで兄以外の実験体が処分された』だなんて知ったら、発狂するからな……」

 

「!」

 

 告げられたのは、実験体達のあまりにも悲惨な最期だった。

 しかしこの一件において、ジャンクは何も悪くない。彼が責任を感じる必要は無いはずだ。それでも、だからと言って自分は事件とは無関係だと主張できる程にジャンクは楽観的な性格では無いということを、ポプリはよく知っていた。

 

「あなたが生きているのが、唯一の救いよね……先生、目が覚めたら喜ぶんじゃないかしら? まあ、あなた達の仲が良かったならの話だけれど」

 

「いえ……ある点においては、ダリウスさんの存在は救いどころか、むしろ決定打になる気もしますね……」

 

「の、ノア?」

 

 突然顔を上げ、ポプリの発言を訂正してきたアルディスの左目は涙で潤んでいる。フェルリオ国民の安否を気にしての涙にも思えたが、この場合は恐らく違うだろう。

 

「そもそもあなたが実験体になったのはクリフォードさんと血縁関係にあったから……たったそれだけのことが、理由ですよね?」

 

「え……いや、どうしてそう思ったんだ? それ以前にお前は俺に対して少々冷静過ぎるとは思っていたが……まさか、クリフォードが何か言っていたのか?」

 

 少し驚いた様子のダリウスの問いに対し、アルディスは静かに首を横に降った。そして彼が紡いだ言葉は、その声は、微かに震えていた。

 

「先程起こした共解現象(レゾナンストローク)の暴走によって……俺は視てしまったんです。あなたがどれだけクリフォードさんを助けてきたのか、それにどれだけ彼が救われたのか、あなたが、本来は国を変えたいと願う程の正義感に満ちあふれた青年だったということも」

 

 アルディスはカップを地面に置き、涙をこらえるようにぐっと服を掴む。

 

「手遅れです……クリフォードさんは真実を知っています。だから、彼はあそこまで“壊れた”んです」

 

「……!」

 

「その件含め、あなたがどんな人間なのか知ってしまった俺にはもう、ペルストラでの一件もむしろ、本当は何か理由があったのではないかと……ポプリ姉さんにもメリッサさんにも申し訳ない話ですが、そういう風にしか、思えなくて……っ!!」

 

 ポプリの母でありアルディスの義母でもあった、メリッサ=クロード。

 

 彼女は八年前のあの日、ダリウスによって無残に殴り殺された。

 それはポプリにとっても、彼女を第二の母と慕っていたアルディスにとっても、トラウマに近い記憶となっていた。

 しかしながら、アルディスはダリウスの正体が『あの日の青年』だったと気付いてなお、ダリウスに襲いかかろうとはしなかった。それは全て、共解現象の暴走が理由であった。

 

「クリフォードさんが売り飛ばされる直前まで彼を守り、彼の希望で有り続けたあなたが……今この瞬間だって、彼を思いやれるだけの優しさを持つあなたが、家庭が崩壊する辛さを知っている筈のあなたが……! あのようなことを、意味もなくできるなんて……俺には、到底思えないんです……ッ!!」

 

 あの時、たった一瞬のことだったとはいえ、アルディスは完全にジャンクの過去と同調してしまっていた。

 その状態で視た彼の過去はまるで、自分自身の過去のように感じられたのだという。結果、今のアルディスにとってもダリウスは救いのような存在と錯覚し始めていた。それゆえに彼は、ポプリのようにダリウスを拒むことができなかったのだ。

 

「……ッ、う……っ」

 

 共解現象(クラル・キルヒェニア)の暴走によって視てしまった、自身の記憶と矛盾するような光景。それは、アルディスを混乱させるだけの十分な効果があった。どうして良いか分からないと言わんばかりに、アルディスは再び俯き、涙をこぼし始めた。

 

「ノア……」

 

 これだけの話を聞かされても、ポプリは特に怒り狂うこともなく、冷静さを保っている。

 本当は彼女も、どこかで『何かがおかしい』と感じ始めていたのかもしれない。アルディスの背を撫でながら、ポプリはダリウスの様子を伺っていた。

 

「立場が違えば、見方は変わる。それは当然の話。俺にとってのメリッサ=クロードと、お前らにとっての奴の見方は大きく異なっていた。クリフォード視点の俺と、お前らにとっての俺が違うのと同じ話だろ」

 

「……」

 

「だが、アルディス。お前は弟とは違う。こんな所で、弟の記憶に惑わされて自分の道を踏み外すんじゃない……とにかく、だ。その状況で俺の話聞いてたら落ち着かないだろ。ちょっと、その辺散歩して頭冷やしてこいよ」

 

 事件の真相を語る気なのだろうか。ダリウスはアルディスに席を外すように促す。一方のアルディスも素直に立ち上がり、そのままどこかに行ってしまった。

 ポプリは彼の後を追うか否かで悩んでいたが、彼ならば大丈夫だろうとその場に留った。

 何より、本来は敵である筈のダリウスから話を聞ける機会は貴重である。聞けるだけ聞いておこうと、そういう思考に至ったのだ。

 

「良かったのか? 追わなくても」

 

「ええ」

 

 だから、話の続きを聞かせなさいと言わんばかりにポプリはダリウスの顔を見つめる。

 彼女としてはやはり、アルディスが混乱に陥った原因でもある事件の真相を聞きたかった。

 

 

「その、正直言って……アルディスの話には、驚いた。俺も少し、頭抱えたい状況だよ」

 

 しかし、彼が語りだしたのは明らかに違う話。話の矛先を変えようかとポプリは思ったが、それは彼の悲しげな笑みによって阻まれてしまった。

 

 

「……恨まれてると、思ってた」

 

「え……」

 

「守ってやれなかった。助けて、やれなかった……それなのに、クリフォードは俺のことを、恨まなかったんだな……」

 

 ダリウスらしからぬ、どこか弱々しい声だった。それに対し、ポプリは「似ている」と直感的に思っていた。

 

(状況は全然違うけれど、あたし……あたし、もノアに……ずっと恨まれてると、恨まれてて欲しいって、思ってた……それなのに、ノアは……)

 

 まさか親の仇に対してこのような感情を抱くとはポプリも思わなかっただろう。今この瞬間、ポプリはダリウスに対し、妙な親近感を感じていた。

 だが、そんなことは口が裂けてもダリウス本人には言えなかった。言いたくなかったのだ。

 

「……」

 

 どうしようもない心境により、完全に沈黙してしまったポプリを見て、ダリウスは決まりが悪そうにガシガシと自分の頭を掻いた。

 

「それは置いとく。どうせ興味無いだろ?」

 

「あ……えっと……」

 

 若干しどろもどろになったポプリの態度をどう受け取ったのか、ダリウスは軽くため息を吐いてから再び話し始めた。ただ恐らく、こればかりは良いように受け取っていないだろう。

 

「最初に話を戻すが……俺は多分、血の繋がりがあったから拒絶反応が弱く、魔物化が遅れている上に一応ヴァイスハイトにはなれたんだろうな。実際、今となっては完全に別物になってしまったが、血の繋がり云々含めて俺達の魔力の質は見分けが付かない程によく似ていたらしい。クリフォードがまだ母親の腹にいた頃、母親がよく言っていたよ」

 

「え……先生が生まれる前の、話なの? まさか……」

 

 ダリウスはまだ胎児だった頃のジャンクと比較され、そのようなことを言われていたのだという。しかし、わざわざ生まれる前の胎児と比較する意味が分からない

 

 

――否、その理由となる事実はひとつだけだ。

 

 

「……察したみたいだが、死んだんだよ。二十三年前に。ヴァイスハイトであるクリフォードの出産に、身体が耐えられなかったんだ」

 

「――ッ!!」

 

 やっぱり、とポプリは声にならない声をあげた。

 ヴァイスハイトの出産が、母体にどれ程の悪影響をもたらすか。人工的に生み出された存在とはいえ、義弟のアルディスもヴァイスハイトである。そのため、彼女はこの悲しすぎる現実を知っていたのだ。

 

 ヴァイスハイトが生まれながらにして膨大な魔力を保有するのは、胎児は母体から栄養分のみならず大量の魔力を吸収してしまうからだ。つまり、ヴァイスハイトを妊娠しているだけで母体への負担は相当なもの。出産の瞬間まで、母体もしくは胎児が生きられるかどうかさえも綱渡り状態なのだ。

 このような理由から、透視干渉(クラレンス・ラティマー)の能力などによって自分の子どもがヴァイスハイトだと分かった時点で、大体の妊婦は出産を諦めてしまう。ラドクリフ王国では、この傾向が顕著に現れていた。

 

「『私は最後までこの子の傍にいてあげられないから、あなたが守ってあげて』とかよく言われてたんだ。母親は透視干渉(クラレンス・ラティマー)能力者だったからな。間違いなく自分が死ぬって分かってて、それでも命懸けでクリフォードを出産する道を選んだんだ。まあ、その結果がこれだ……誰も、特に母親の死を引き換えに生まれて来てしまったクリフォードは……幸せになんか、なれなかった」

 

「……」

 

 精神的に追い込まれ過ぎた結果、ジャンクは『生まれてこなければ良かった』と口走っていた。つまりは、そういうことだったのだ。母親の思いとは裏腹に、彼は己の生を恨んでしまったのだ。結局、二人に待っていたのは、どちらも望まなかったであろう残酷すぎる結果だった。

 それは、どんなに悲しいことだろうとポプリは嗚咽をこらえるように両手で口を覆う。

 今にも泣き出してしまいそうなポプリに軽く笑いかけ、ダリウスは話を続ける。

 

「もしかすると、ちゃんとした医者に視てもらって、ちゃんとした治療を受けていれば、母親は助かったのかもしれない。だが、俺達の母親は純血鳳凰(クラル・キルヒェニア)だったから、そんなことは叶わなかった」

 

純血鳳凰(クラル・キルヒェニア)……? 鳳凰狩りの被害には、遭わなかったの?」

 

「当然、遭わなかった訳じゃない。そもそも、母親が父親の元にやってきたのは『貢物』として利用されただけの話。母親は銀髪碧眼ではなかったが、貢物扱いされたということはかなりの能力者だったんだろう。聖者一族に負けず劣らずのな」

 

 鳳凰狩りによる懸賞金で、一人あたりに膨大な価値が付与されてしまった純血鳳凰(クラル・キルヒェニア)。そのため、一部の純血鳳凰は貢物として貴族社会を流通することになったのだという。

 

「確か、ジェラルディーンって侯爵家だったのよね。そりゃ、貢物も来るわよね……でも、不思議ね。あなた達が生まれてきたってことは、貢物として送られてきたあなた達のお母さんは、殺されずに済んだってことでしょう?」

 

「そういうことだ。普通、貢物の純血鳳凰(クラル・キルヒェニア)は両目抉られた上にラドクリフ城送りになるもんだが……うちはちょっと事情が違った。どうも父親が、母親に一目惚れしたらしいんだ」

 

「一目惚れ!?」

 

「俺が恥ずかしくなるから過剰な反応するな!」

 

 こんなところで恋愛事情が絡んでくるとは、だれが思ったことか。思わずポプリは声を荒らげ、ダリウスは若干顔を赤くして咳払いした。

 

「だから、母親を殺すことも傷つけることもできなかったんだろうな。父親は母親を軟禁したは良いが、結局最後には逃がそうとしたらしい……だが、その頃には母親の方も父親に惚れ込んでいて、屋敷に留まる道を選んだんだと」

 

 当然ながら、ダリウスの生まれる前の話である。しかし、やたら詳しく状況を話せている辺り、彼は母親か父親のどちらかから散々この話を聞かされていたのだろう。夫婦の仲が良い、本当に円満で素敵な家庭だったんだろうなとポプリは内心羨ましさすら感じていた。

 

「二人の両想いが発覚して、その数年後に俺が生まれたらしい。まあ、当然ながら俺の種族は混血とはいえかなりの鳳凰寄りだから、父親は俺のために新たな剣術を生み出してくれたりもした。うちは本来大剣と盾を持つ流派だからな。俺のような鳳凰族(キルヒェニア)にも扱えるようにと作られたそれは、俺の体格でも存分に扱えるものだった」

 

「良い、お父さんだったのね……あたし、あんまり良い印象なかったんだけれど……」

 

 ヴァロンは、ジャンクのことを『父親から酷い虐待を受けていた子』だと言っていた。

 あの言葉だけで、ポプリの中ではジャンクはとんでもない家庭に生まれ育ったのだというイメージが付いてしまっていたし、間違いなくエリック達も同じように感じ取ったことだろう。

 しかし、ダリウスの話を聞く限り、彼らの父親がそのようなことをするとは到底思えなかった。ポプリはおもむろに、地面に寝かせてあるダリウスの細身の剣へと視線を移す。そんな彼女を見つめながら、ダリウスは深く息を吐き出してから、重い口を開いた。

 

「一応言っておくが、父親はクリフォードの誕生を心から楽しみにしていた。それにも関わらず、クリフォードが虐待された理由は、アイツが母親の死因になってしまったこと……種族を越えて愛を選ぶような人だ。きっと、虐待の理由はそれだけだったんだと思う。母親さえ生きていれば、息子が異端児でもあの人には関係なかったはずだ……」

 

「ーーッ!」

 

「一応、父親も父親で最初は弟を愛そうと努力していた。だが……成長するにつれて、クリフォードはどんどん母親の面影を強く映すようになっていった……そこからの父親の転落っぷりは凄まじかったな。父親の堕落を理由にジェラルディーン家が爵位を剥奪されたのはこの頃だ」

 

 そう語ったダリウスの顔には、微かに影が差していた。

 彼の話から察するに、彼らの母親はジャンクの出産で自分が死ぬとは夫には伝えていなかったのだろう。ただ、仮にそれを伝えていたとすれば、間違いなくジャンクは父親に生まれて来ることを望まれなかった。

 

(確かに、そんな状況で生きるのは……辛すぎるわ……だけど……)

 

 仮に、自分が同じ立場ならどうしただろうとポプリは奥歯を噛み締める。

 自分が死んだ後、我が子が虐待されると分かっていたなら出産を拒むかも知れない。しかし、それは蓋を開けるまでは分からない話なのだ。

 彼らの母親も、まさか我が子が虐待されるとは思わなかったのかもしれない。だが、愛する妻を失った夫の耐え難い悲しみは、我が子への想いを凌駕してしまう結果となってしまったのだ。

 

「最終的に、度重なる虐待の末にクリフォードは施設に売られた。父親曰く『息子が社会の役に立てるようにしてくれる施設』だったそうだが、ちょっと調べれば分かる程に、その施設の実態は悲惨なもんだった。俺は、この件をきっかけに家出して王国騎士団に入ったから、その後のことはよく分からん……と、言いたいとこだが俺が家を飛び出してすぐ、父親は自害したそうだ」

 

「え……」

 

 今にして思えば、お人好しな父親は施設の人間に騙されたんだろうとダリウスは言った。

 酒に溺れ、騎士としての勤めも果たせず、爵位を剥奪されて没落してしまったがゆえに収入が無く、困窮していたジェラルディーン家。そんな一家に飛び込んできた大金が絡む話。

 次男を売ることが条件だったが、我が子が社会の役に立てるならと、自分がこれ以上我が子を虐待せずに済むのならと、落ちぶれた男はあっさりとその契約を了承してしまったのだ。

 だが、その結果は最後に残った長男にさえ見放され、本当に全てを失ってしまう未来。絶望しきった男は自らの腹を切り裂き、自らの血に塗れ独り寂しく死んでいった。

 

「……母親を殺したのは、クリフォードかもしれない。だけどな、もう俺だってアイツを責められない……父親を殺したのは、その原因となってしまったのは、間違いなく俺だ……」

 

「ち、違うわ……っ、あなただって、何もしてないじゃない……!!」

 

「違わないさ。俺さえ残ってれば、違う結末になっていたかもしれない。そう思うと、正直今でも辛い。因果応報とはよく言ったものだが、まさにそんな人生だったしな」

 

 ダリウスはポプリから視線をそらすように横を向き、黒の瞳を伏せて口元に歪な笑みを浮かべてみせた。

 

 

「騎士団に入った俺は、十六で中尉になったんだが……それが、周囲の他の騎士には気に食わなかったらしい。鳳凰族(キルヒェニア)で、没落貴族だったからな」

 

「でも……あなたにはそれだけの実力があったんでしょう……?」

 

「対人関係ってのは難しいからな。ま、確かに当時は結構悩んだよ。騎士団の中で生きていく以上、やっぱり居場所が欲しかったんだ」

 

 純血鳳凰(クラル・キルヒェニア)程ではないにしろ、ラドクリフ王国では鳳凰族(キルヒェニア)も肩身が狭い思いをしがちだ。

 それはダリウスも例外ではなかったし、むしろ彼の場合はそれが顕著に表れたことだろう。ラドクリフ王国騎士団は、今も昔も変わらず、その圧倒的大多数が純血龍王(クラル・ヴィーゲニア)、それも貴族出身の人間によって構成される。その真逆を行くような境遇の持ち主であった上に若くして出世を重ねたダリウスが嫌われるのは、悲しい話だが本当に無理もない話なのだ。

 

「何故か殿下は俺を気にかけてくださっていたが……結局、騎士団に俺の居場所なんて作れなかった。最後は隙を付かれてボコボコにされて、気が付けば研究施設の檻の中だったな」

 

「そんな……」

 

「後から知ったが、俺を捕まえてくれれば報酬を渡す、という駆け引きがあったらしいんだ。多分、理由は俺がクリフォードの兄だから……それで、かなりの大人数が動いたんだと」

 

 駆け引きに乗ったのは、基本的にダリウスよりも階級が下の人間ばかりだった。揃いも揃って彼を妬み、彼を排除したかったのだということは簡単に想像できてしまう。

 

「これでも、俺は人一倍『努力』ってものをしてきたつもりだったんだがな。努力は人を裏切らない、なんて綺麗事だって思った。情けないが、しばらくは荒れたな」

 

 彼が昇進を重ねていったのは、運や才能だけが理由では無かった。そこには、種族や地位といったハンデに打ち勝つ程の、血の滲むような努力があったに違いないというのに――。

 

「……」

 

 ポプリはすっかり冷めてしまったココアの入ったカップを再び強く握り締める。目を開き、横目でこちらを見ていたダリウスと目が合った。

 

「あっ、そ、その……悪い。いらんこと喋ってたな。お前の顔見てたら、何故か昔のことを話したくなったんだ……」

 

 ダリウスの悲惨な過去。それが真実か否かを問おうという気は、もうポプリには無かった。彼が語った過去が、嘘だとは到底思えなかった。ただ、唯一気になるのは、彼のジャンクに対する態度そのものだろう。

 

「ねえ、どうして? どうして、あなたこそ先生を恨まずにいられるの……? あなたから全てを奪ったのは、彼だと言っても過言じゃないのに……」

 

 ジェラルディーン家長男として、約束された未来があった筈のダリウス。そんな彼が地に堕ちた最大の原因は、紛れもなく弟、クリフォードの存在にある。

 それは誰が考えても明らかで、普通に考えればダリウスは弟を恨んでいてもおかしくない。しかし、彼の行動はその逆の路線を辿っている。慈愛に満ちていると言っても過言ではない。

 

「そう、だな……」

 

 ポプリの問い掛けに応えるように、ダリウスは再びポプリの方に向き直った。

 

「確かに全く恨んでない、といえば嘘になる。それでも……クリフォードは、何もしてない。アイツ自身が望んでこんなことになったわけじゃないんだ」

 

「ッ、そんなの、綺麗事じゃない……!」

 

「なら、お前はアルディスを今でも恨んでいるのか?」

 

「!? そ、それは……」

 

 感情的になってしまっているポプリに対し、ダリウスはどこまでも冷静だった。そしてダリウスから返ってきた言葉は、ポプリの核心を付くようなものであった。

 

「……」

 

 この場面で、嫌でも思い出してしまうのはアルディスの右目を奪ってしまったあの瞬間のこと。もしかすると、自分は僅かではあるが境遇が似ているダリウスの汚点を探し出すことで“仲間作り”がしたかったのかもしれない。

 だが、ダリウスには汚点など存在しないように思えた。結果的に自分の醜さが明るみに出たようで、ポプリは奥歯を噛み締め、肩を震わせる。

 

「おい、勘違いするなよ。俺は聖人君子じゃねーぞ」

 

「どういう、ことよ……?」

 

 そんなポプリの思いを感じ取ったのだろう。ダリウスは不快だと言わんばかりに眉を潜め、軽く首を傾げてみせた。

 

「そりゃ、俺だって最初はおかしくなってたさ。弟どころかこの世の全てを恨んだ。でも、殿下が俺を助けてくださったんだ。お蔭でちょっと落ち着いた。それだけだよ」

 

「……」

 

「彼が、もう実験体として死ぬしかなかった俺を救い出して下さった。自棄になっていた俺に『己の闇に打ち勝て』と言って道を正して下さった……それだけでも、本当に申し訳ない話なんだがな」

 

 ポプリからしてみれば、ダリウスがゾディートに忠誠を誓うのは当然であるように思えた。自分が彼の立場だったなら、間違いなくそうしていただろう。しかし、ゾディートの非道な行いを思えば、褒められたことでは無いことは確かだ。

 

「己の闇に打ち勝て……だから、あなたは『ダークネス』なのかしら。最初、その名前を聞いた時は、言っちゃ悪いけど何かと思ったのよね……」

 

「はは、実を言うと俺も、最初は正直何かと思った。でも、意味のある名前なんだよ……あの人、仕事名与えた割に俺のこと本名で呼ぶけどな」

 

「それじゃ意味ないじゃない……」

 

「多分、俺が“ダリウス”って名前を好いているのを察してるんだろ。俺だけだからな、仕事名あるのに大体本名で呼ばれるの」

 

 話だけを聞いていると、彼らが敵であることを忘れてしまいそうになる。ゾディートが大罪者であることさえ、記憶から抹消されてしまいそうだ。

 もしかすると、ダリウス以外の構成員、ヴァロンやフェレニー、ベリアル達も似たような経緯を得て、黒衣の龍の一員になったのかもしれない。

 ポプリにとっては敵でしか無い筈の者達ではあるのだが、彼らの事情など一切知らずに戦っていたのだと思い知らされた。ダリウスはポプリの横に寝かされた宝剣を指差し、どこか悲しげに笑っててみせる。

 

「殿下には、何度もご迷惑をお掛けした。その剣もそうだ、せっかく殿下のご好意で授かった大切な物だというのに……今の俺には、鞘から刃を引き抜くことすら叶わない……」

 

(……え?)

 

 本当に、本当に微かな変化ではあったが、ダリウスの声が震えたように聞こえた。

 

「俺の流派は当然ながら変わっていたし、俺には精霊術士(フェアトラーカー)の才能があったから。騎士団にいた時から、殿下は俺に興味を持ってくださっていた……傍で剣を振るっていて欲しい、と言われたんだ。それなのに、俺は……」

 

「……」

 

「情けないが、怖いんだ。父親に剣術を習って、褒められた記憶。殿下に初めて、声をかけて頂いた記憶……そんな記憶を、狂った父親、俺を売った兵士達、そしてヴァロンのような研究者達が塗り替えてしまった。今となっては、鞘を抜くだけでそんな記憶がフラッシュバックして、狂いそうになるんだよ……」

 

 

――何故かは、分からなかった。

 

 

「……って、おい!? 何でお前まで泣く!? 何で……ッ!!」

 

 慌てた様子のダリウスの言葉を聞き、ポプリは自身の頬へと手を伸ばす。生暖かい雫が指に触れた。いつの間にか、泣いてしまっていたのだ。

 

「……何故、かしらね。何だか、凄く辛くなったの……ええ、そうよね。お母さんを殺したあなたのこと、ずっと憎いと思ってたのに。どうして……」

 

 意味が分からない、とポプリは俯き、おもむろに首を横に振る。拭っても拭っても涙は零れ、しまいには嗚咽をこらえられない程に、涙が止まらなくなってしまっていた。意味が、分からなかった。

 

「本当に変な奴だな、お前……」

 

「……」

 

「とにかく、落ち着いたら今度こそ寝ろよな。疲れてるんだろ。親殺しの俺を信用できないのは分かる。それでも、俺は本当に何もしないから」

 

 月明かりと焚き火に照らされるダリウスの表情はどこか悲しげで。

 ポプリは何かを言おうと口を開いたのだが、漏れたのは堪えきれない嗚咽のみ。それはハッキリとした“声”にはならず、夜の虚空へと消えていった。

 

 

 

―――― To be continued.

 


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