テイルズ オブ フェータリアン ー希望を紡ぎ出すRPGー   作:逢月

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Tune.38 生命

 

「くそっ! 一体何が……!!」

 

 モヤモヤとした意識の中、マルーシャの耳に聞き慣れた声が届いた。それに安心して目を開くと、懸命に自身の体を潰す瓦礫を退かそうとしてくれているエリックと、周囲を警戒しているアルディス達の姿が確認できた。

 

「……ッ、みんな……」

 

「マルーシャ! 良かった……ディアナ、今歌えるか?」

 

「ああ、任せろ!」

 

 マルーシャもいくつか傷を負ってはいたが、そこまで重傷と言える傷はない。むしろ問題なのは、無数の深い傷を負って倒れているチャッピーの方だろう。

 

「清らかなる水の 恩恵を受け 育まれし万物は 艶やかに舞う――……」

 

 その場で両手を組んだディアナの口から、美しい旋律が紡がれる。エリックに瓦礫を避けてもらい、マルーシャは若干顔を歪ませながらも身体を起こした。

 

「チャッピー……」

 

「大丈夫、傷は酷いけどまだ間に合うよ。それよりマルーシャ、何があったの?」

 

 未だ目を閉ざしたチャッピーの頭を撫でながら、アルディスはマルーシャへと視線を向ける。聖歌を紡ぎ終えたディアナは、レーツェルの無い胸元を軽く押さえていた。

 

「主犯はともかく、何があったのかは大体想像が付くがな。オレ達が本調子では無いのを良いことに、突然襲撃をしかけたのだろうか……再襲撃に備えて、いつもとは少し違う奴を歌っておいたぞ」

 

 ディアナの言う通り、全員程度の差はあれども、スウェーラルでの一件で崩した体調が戻りきっていない。つい最近まで意識不明になっていたアルディスに至っては、まだ戦闘ができるかどうかという所から怪しい状態である。

 それでも、ディアナが歌った『ホーリーソング』の効果で皆、身体が少し軽くなったように感じていた。どうやら先程の旋律は傷の回復だけではなく、身体強化の力も持っているらしい。

 

「! そうだ……っ、大事なこと、言わなきゃいけなかったのに……!」

 

 身体の痛みに耐えながらもマルーシャは慌てて立ち上がり、辺りを見回す。今にも、どこかに駆け出して行きそうな勢いだった。

 

「マルーシャちゃん、どうしたの!?」

 

「ジャンが危ないの! ヴァルガがジャンを狙って襲って来て……それで……ッ」

 

「なんですって!?」

 

 マルーシャの言葉に驚いたポプリの声が響く。確かに、ジャンクの姿はどこにも見えない。

 

「と、とにかく手分けして……」

 

「待ってください! 今、俺達がバラバラになるのは危険です!!」

 

「だけど……!」

 

 動転したポプリの腕を掴み、アルディスは首を横に振るう。彼はあくまでも冷静にあろうと深呼吸を繰り返した後、マルーシャの横に浮遊するシルフへと向き直った。

 

 

「シルフ。下位精霊と会話することは可能かい? 精霊術師(フェアトラーカー)なんてあっちこっちにいるわけじゃないし、下位精霊でも方向くらいなら分かったりするんじゃないかな」

 

『そうか! よし、任せてくれ』

 

 それは、魔力を探知する能力に秀でた純血鳳凰(クラル・キルヒェニア)であり、ジャンクの力を知るアルディスだからこそ出せた意見。シルフは周囲の下位精霊を集め、ジャンクの行方を訪ねていた。

 

「どう?」

 

『大丈夫だ、ちゃんと分かったぞ。どうやら、カルチェ山脈に向かったらしい……うーん、よりによって……』

 

 カルチェ山脈はディミヌエンドから東北の方角に位置する険しい場所。その先の村やゼラニウム草原に用がある場合を除けば、わざわざ、好き好んで行くような者はまずいない。ろくな準備もせずにカルチェ山脈を越えることは、まず不可能だ。

 

「そうだね……でも、俺は行くよ。相手がヴァルガである以上、迷ってる暇なんてない……さっさと見つけてさっさと帰ってくれば大丈夫だよ、きっと」

 

『そう簡単な話じゃないとはいえ、背に腹は代えられねぇしな……他の奴らはどうすんだ? アルディス皇子に任せて待機しとくか?』

 

 シルフの言葉に、「まさか」と否定の声が上がる。危険が生じようとどうだろうと、仲間の危機を見て見ぬフリはできないということだ。

 

「そんなこと、できないよ! わたしも行く!!」

 

「そうだな。ただ、確かに気持ちは分かるが……マルーシャ、一回落ち着け」

 

 今にも駆け出して行きそうなマルーシャの肩を叩き、エリックはおもむろにチャッピーを指差す。意識こそ戻ったようだが、チャッピーの傷はほとんど塞がっていなかった。

 

「僕らはもう仕方ない。だが、チャッピーだけでも、万全な状態に近付けよう。この状況は、どう考えてもアイツの能力に頼るべき場面だ」

 

 良いよな、とエリックは念のためアルディスに意見を求める。アルディスは若干驚いた様子ではあったが、彼はすぐに首を縦に降ってみせた。同じくエリックの意見に賛成したマルーシャはチャッピーの元へと走り、治癒術の詠唱を始める。

 

 

「そうか……確かに今は、瞬光疾風(カールヒェン・ヨシュカ)の力に頼るべきだよね。全然頭が回らなかったよ」

 

「だろ? ところでアル、これを聞いて意見を変えるつもりはないが一応、聞かせてくれ。カルチェ山脈はどんな場所なんだ?」

 

 アルディスの隣に並び、エリックは少しでも情報を得ようと彼に基本的な質問を投げかけた。チャッピーの傷が治るまでの間、黙って立っている気は無かった。

 

 

「俺は小さい頃に何度か行ったことがあるんだけど……カルチェ山脈は過酷な環境下でも適応できるような魔物ばかりが生息する、本当に危険な場所だよ。悪いんだけれど、エリックは俺と一緒に前に出て欲しい。俺達が何とか前線で戦わないと……」

 

「その辺りは問題ない、任せろ。だが、お前こそ絶対に無理はするなよ」

 

「分かってる。ありがとう」

 

 アルディスが言うように、現状、前に出て戦うことができるのはエリックとアルディスしかいない。前衛後衛をバランス良くこなせるディアナは武器を失い、ジャンクに至っては不在だ。彼らのサポートは期待できない。いつもとは状況が異なる以上、事前に話し合っておくのは大切なことだ。

 

 

「……ッ」

 

 チャッピーの治療を終え、マルーシャはエリックとアルディス――否、アルディスの姿を見て、不安げに胸を抑える。だが、今はこんなことをしている場合ではないと彼女は頭を振り、口を開いた。

 

「もう、大丈夫だと思う……行こう、みんな」

 

 

 

 

「ッ、結構道が険しくなってきたね……そろそろ、能力の節約した方が良いかも。散々無理させただけに、イチハさん自体本調子じゃなさそうだし」

 

『ははっ、俺様格好付かないなぁ……こんな時にさ。悪いね……』

 

「お気になさらず。その、それより……何で、マルーシャには話しかけときながら、俺には話しかけなかったのですか……?」

 

 シルフと下位精霊達に道案内を頼みながら、エリック達はもはや道とは言い難いような、岩だらけの急な坂道を駆けていく。その最中に、彼らはマルーシャから事の一部始終を聞いていた。

 

 その際に判明したのは、チャッピー――イチハの声は、アルディスにも届くという事実だった。

 

『まさか、聞こえるなんて思ってなかったんだ……一方通行の会話って、結構辛いんだよ。第一、下位精霊が少ないあっちじゃ理性を保つだけでも難しいんだ。精神乗っ取られて、気が付けば全然知らない場所にいたことも多かったしね……一回、これのせいでクリフを見殺しにしかけたこともある……』

 

 イチハ曰く、自分の声はジャンクを除いた誰にも届かないのだから、労力を使って話しかけるだけ無駄だと考えていたらしい。マルーシャに話しかけたのも、上位術の発動をやり遂げ、疲れ果てた彼女を見て思わず声をかけてしまっただけに過ぎないのだと。

 彼は、少し話をしただけで分かる程に精神を疲弊させてしまっている。それを感じ取ったアルディスは静かに奥歯を噛み締めていた。

 

「イチハと会話ができるのは精霊の使徒(エレミヤ)である先生と、精霊契約者のノアとマルーシャちゃん……要するに、精霊に関わる存在ならイチハの声も届くってわけね。当然、あたしやエリック君、ディアナ君とは会話できないわけだけど……」

 

 イチハの声こそ聴こえないが、ポプリは何とか状況を理解しようとこんがらがった頭の中を整理している。今まで鳥だと思っていた相手が実は人間だったのだ。現実問題、冷静に物事を考える方が難しいだけに、彼女もなかなか苦戦している様子である。

 

『今まで、黙ってたことは謝る。でもね、今は俺なんかほっといてクリフのことを考えてやって欲しい。相手がヴァロンである以上、俺は少々無理しようが能力をこのまま発動させる……せっかく、あそこまで立ち直ったんだ。何が何でも、クリフを助けてやって欲しい……頼むよ』

 

 自分のことはどうでも良いと言わんばかりに、イチハは瞬光疾風の能力を弱めることなく発動させ続けている。彼の力を感じながら、アルディスは頭を振るう。

 

「申し出はありがたいのですが……いえ、そうですね。あなたの限界を超えない程度で甘えさせて頂きます。そうでもしなければ、確かに色んな意味合いで間に合わない気がしますから」

 

 イチハの話に耳を傾けつつ、アルディスはシルフと目を合わせた。彼は特に何も言わなかったが、表情を見る限り着実に、ジャンク達との距離が近付いているらしい。

 

 

地点遷翔(ヴァーチェル・ハロ)の能力者であり、有能な戦士で研究者でもあったヴァロン=ノースブルックの話は俺も知ってるんだ。だからこそ、少しでも早く追いつかないと絶対にまずい……間違いなく、彼はもう、ジャンさんに追い付いているだろうから」

 

 地点遷翔(ヴァーチェル・ハロ)は、一度でも行った事のある場所に瞬間移動することのできる能力。それ程珍しい能力ではないが、透視干渉(クラレンス・ラティマー)以上に使用者が限られる扱いが難しい能力だ。

 アルディス曰く、シックザール大戦にも参戦していたというヴァロンは彼が直接対峙した相手ではないものの、その能力ゆえにフェルリオ側に大きな損害をもたらすきっかけとなった人物の一人なのだという。

 まだまだ知らない部分も多いが、あまりにも特殊なジャンクの能力、及び想定される彼の過去を考えれば、絶対に会わせてはならなかったのにとアルディスは両手の拳に力を込めた。

 

『正直、俺だってできることなら会いたくなかった。惨たらしく殺してやりたい程に憎いのもあるけど、何よりやっぱり怖くてね……魔法石を額に埋め込まれた時、あまりの激痛に俺は死んだなって思った。まあ、死ぬことはなくて、気が付けばこんな姿になってた訳だけれど』

 

「……ッ」

 

 一体、イチハはどのような姿をした男だったのだろうか。ちゃんと人としての心をもっているというのに、誰がどう見ても鳥でしかないその姿が、実験の残酷さを物語っている。

 思わず黙り込んでしまったアルディスをチラリと横目で見て、ディアナは翼を大きく動かした。

 

「オレには、あなたが何を伝えたいのかは分からない。それでも、これだけは言わせて欲しい」

 

 チャッピーと共に過ごした時間が多いだけに、彼女にも思うところがあったのだろう。ディアナは悲しげに目を細め、奥歯を強く噛み締めた。

 

「あなたにも……ジャンにも、オレは本当に救われた。恩を仇で返すような真似はしたくない……何が何でも、彼を助け出したいと思っている」

 

 その言葉を聞き、“イチハ”は大きな青紫の瞳を細めてみせる。

 

『……ありがとう、ディアナ』

 

 消え入りそうな、どこか儚い雰囲気を纏ったイチハの声。その声は決して、ディアナ本人には届かなかった。

 

 

 

 

「……やっと、追い付けたみたいだね……!」

 

 かなりの時間を掛け、辿り着いたのはカルチェ山脈の頂上付近。ここまで来る間、チャッピーの能力を借りた状態だろうとお構いなしに襲ってくる魔物も多かったため、必然的に戦闘が発生してしまった。

 アルディスの言うように、平地に住む魔物とここに住む魔物とでは身体能力そのものに大きな差があるようだ。

 

「ッ、くそ……っ、遅れてすまない……ジャン、大丈夫か!?」

 

 魔物達の妨害により、エリック達は大幅に時間を取られることとなった。思うように、ここまで来ることができなかったのだ。

 

「ふむ……追って来られるくらいの、それなりの力は持っていたということか。どうやら、私は少々貴様らを甘く見ていたらしい」

 

 駆けつけたエリック達の視界に映ったのは、特に顔色を変えることなくこちらを見ているヴァロンと、酷く傷付けられ、地面にうつ伏せに転がっているジャンクの姿。

 彼の着ていた服は至る所が裂け、剣によるものであろう真新しい無数の斬り傷と、元々あったらしい痛々しい背中の古傷が露出している。いつも身に付けていた眼鏡は、どうやらどこかで落としてしまったようだ。

 自身の足元に転がる彼の存在を気にすることなく、ヴァロンは相変わらず笑みを浮かべたままこちらを見ている。何とかして彼をジャンクから引き離さなければ、とアルディスはレーツェルを宝剣に変化させ、ヴァロンを一瞥する。

 

「……ッ」

 

 ヴァロンは何も言わなかったが、人の気配を感じ取ったのだろう。何とか意識は保っていたらしいジャンクは震える両手で身体を起こし、エリック達の方を向いた。

 彼が反応を示すまでには、若干の時間差が生じた。恐らく、視界がはっきりしていなかったのだろう。だが、彼はエリック達の存在に気付くと同時、目を見開き声を震わせて叫んだ。

 

「ど、どうして……っ、駄目です。逃げて、ください……!」

 

「え!? 先生、何を言って……」

 

「逃げて、ください……お願いです。後生ですから……!」

 

 明らかに、彼は取り乱していた。開かれた金と銀の瞳が、悲しげに揺らぐ。彼の瞳を始めて見たエリックとポプリが何の反応を示せずにいたのは、彼の様子があまりにもおかしかったからだ。

 

「この人には、勝てません……勝とうなんて、思わないでください……! だから、今すぐに逃げてください……!!」

 

 彼が言うように、エリック達もヴァロンの強さはよく分かっているつもりだった。だが、それとこれとは話が違うとアルディスは宝剣を構えたまま声を荒げる。

 

「ふざけないでください! 散々俺を助けてくれたあなたを見捨てるだなんて……そんな馬鹿げたことがありますか!!」

 

 アルディスだけでは無かった。皆、戦おうという意志を抱き、それぞれがヴァロンの動きに備えて武器を構えている。最初からこれくらいの覚悟はしていたのだから、当然といえば当然なのだが。しかし、ジャンクは力なく首を横に振るう。彼は今にも泣き出してしまいそうなのをこらえるように、両目を強く閉ざした。

 

「所詮、僕は人ではありません……そんなこと、気にしないでください。こうなって、当然の化物なのですから……だから……」

 

「ほう……?」

 

 今まで、何の動きも見せなかったヴァロンが、ここでついに動いた。手にしていた剣をレーツェルに戻し、彼は不気味な笑みを浮かべてみせる。

 

「人ではない、か……よく分かっているではないか。ただ、貴様は奴らを騙しに騙してきたのだろう? 自分は人だ、と」

 

 ジャンクが怯えきった目でヴァロンを見上げると同時、『メイルシュトローム』と術の名前が呟かれた。詠唱破棄による魔術発動だと気付くのには、そう時間はかからなかった。

 しかしながら、傷だらけの彼の身体では、真下に現れた魔法陣を中心に発生する竜巻状の水流から逃れることは、決して叶わない。

 

「ジャン!!」

 

 それはあまりにも突然で、エリック達は助けに入ることも、危険を伝えることさえできなかった。結果、ジャンクは渦に飲み込まれる形で空に飛ばされ、そのまま勢いよく地面に叩きつけられてしまった。

 

「がは……っ、ぐっ、う……」

 

「!?」

 

 痛みに顔を歪ませつつも、無理矢理身体を起こしたジャンクの髪から水滴が落ちた。それだけではない。その髪の間から、エリック達にとっては予想もできなかった物が顕になっている。誰もが、ヴァロンがいるにも関わらず、ジャンクの姿を凝視してしまっていた。

 

「ッ!? ひ……っ!」

 

 エリック達の視線に気付いたのか、彼は慌てて両手でそれを隠すように押さえ込む。一体何に怯えているのか、その手は酷く震えていた。

 

 

――まさしく、その姿は異形だった。

 

 

 彼の耳は、短い空色の髪で隠しきれない程に長い、魚のヒレのような物へと変わっている。淡い青紫色のグラデーションが特徴的なそれは、ウンディーネの耳と非常によく似ていた。

 

「……ッ、だ、騙す気は無かったんです……! 本当に、そんな、つもりは……っ、僕、は……!」

 

 怯えている。それも、尋常ではない程に。

 

「ジャン、落ち着け。とりあえず、僕の話を……」

 

「すみ、ません……許して、ください……ッ、ごめん、なさい……」

 

 恐怖のあまり、こちらの話を全く聞いていない。

 これまでにも、あの耳のせいで酷い目にあってきたのだろう――エリック達も危害を加えてくるのだと、そう思い込んでしまっている。

 

(なるほど、な……)

 

 あの耳は身体が濡れると出現してしまう類のものだ。それなら一緒に温泉に入った際、彼が頭にタオルを被っていた理由にも納得がいく。マルーシャやディアナどころか、アルディスやポプリも驚いているようであったが、不思議とエリックは、すぐに平常心を取り戻すことができた。

 あのヒレの色には、見覚えがあった。恐らく同一の存在だろう。どうりでアルディスと対峙した際、いつの間にやら背中に酷い傷を負っていた筈だと溜息さえ出そうになる。これで、ジャンクの行動の謎にも大体の答えが出せた。

 

「ジャン!!」

 

 威圧感を出すために少し声を低くし、エリックは声を張り上げた。尚更怯えさせてしまうだろうが、今はそれで良い。それでも意識をこちらに向けてもらわなければ何も話せないと判断したのだ。

 

「――ッ!!」

 

「大丈夫だ。僕ら相手にまで怯えるんじゃない……何もしない。怖がらなくていい」

 

「……ぁ、……」

 

 エリックの声に反応こそしたが、相変わらずジャンクは怯え切った様子で耳を抑えて震えていた。加えて彼は何かを言おうとしていたが、今となっては内容には察しが付く。エリックの脳裏を、泉で彼と交わした会話が過ぎっていった。

 

 

『……バカバカしいとは、思わないのか? 僕が、目を開ければ良いだけの話ですよ』

 

 

『正直に言わせてもらえば……全く思わないっていうのは、嘘になるかな。それでも、お前が理由もなくその状態を貫いているとも、僕は思っていない』

 

 

 あの時もそうだったが、彼が頑なに目を開けなかった理由はヴァイスハイト特有の右目を隠すためだったのだろう。

 加えて、あの体質である。これこそが今まで、彼が『人に受け入れてもらえなかった』理由なのだろう。

 

 

『……悪いな。受け入れられるのには、どうにも慣れていないんです』

 

 

――あの時、彼が発した言葉の意味が、漸く理解できた。

 

 

「前に言わなかったか? 僕は、お前を拒んだりしないと」

 

 エリックの口から、もう一度紡がれた言葉。それは簡単なもので、短い言葉。ジャンクは怯えながらも、ゆっくりと顔を上げ、エリック達の姿を見据えた。

 

「ごめんなさいね、先生。そのヒレ、懐かしい感じがして驚いちゃったの。でも、心配しないで……あたしも、エリック君と同じ意見よ」

 

 真っ先に口を開いたのは、ジャンクと最も付き合いの長いポプリだった。彼女はどこか儚げな笑みを浮かべ、話を続ける。

 

「確かにそれ、変わってるとは思うわ。普通じゃないかもしれない。けれど、先生は先生よ……あたしは、仮に先生が化け物だったとしても付いて行くわ。いいえ、そもそもあたしは、あなたを化け物だなんて思わないから」

 

 ポプリの言葉に賛同し、そうだよ、とマルーシャが叫んだ。

 

「ジャンは化け物なんかじゃない! わたし達は、ちゃんと分かってるんだから!!」

 

「……」

 

 

――皆、嘘など付いていないというのに。

 

 

 それなのに、ジャンクはただただ震えるだけだった。素直に「ありがとう」と言うことができなかった。それどころか、彼は何の言葉も発せていなかった――それが意味することは、誰の目にも明らかだった。

 ディアナは、ちらりとジャンクの方を振り返り、やんわりと笑ってみせる。

 

「今のあなたは、オレ達がいくら『大丈夫』だと言ったところで信じてくれはしないのだろう……それでも構わないさ。ただ、オレ達はオレ達が思うように動く。その邪魔はさせないからな?」

 

 皆がジャンクに語りかける中、アルディスだけはヴァロンから目を離さず、彼を咎めるような、鋭い視線を投げ続けている。こちらの状況が少し落ち着いたと判断したのだろう。アルディスは静かに、口を開いた。

 

「彼には申し訳ないとは思う。だが、ここに来るまでの間、俺達はマルーシャからあれこれ聞いてきた。あなたの行動、発した言葉、そして、ここに来て見た光景……未だに意味が分からない」

 

 かなり気が立っているらしい。年上に対しては基本的に敬語を徹底している上に、比較的幼い喋り方が特徴的なアルディスらしからぬ、随分と威圧的な荒い口調。

 

「あなたの目的はあくまで、『逃げ出した実験体を回収』することだと聞いている。だから正直、俺はここまで彼が痛め付けられているとは思わなかったんだ……一体何故、彼をここまで虐げる必要があった!?」

 

 本当に実験体を回収するという目的のためだけに彼が来たというのなら、ジャンクが捕まってしまった瞬間ラドクリフに戻られていてもおかしくはなかった。この得体の知れない矛盾点に関してはエリックも、他の者達も不思議に思っている点だった。

 そんなアルディスの問い掛けに対し、ヴァロンは「面白い」と言って笑ってみせる。

 

「クリフォードのその姿を見せれば、貴様らは散ると思ったが。仲間意識という物か? 私にはよく分からん話だ……強き者が弱き者を使役する。そのような関係を保つ方が、余程楽だろうに。そういう意味では、拷問とはとても便利な物だ」

 

 わざわざジャンクに水属性の術をぶつけたのは、彼の異様な姿を晒すため。拒絶される恐怖に怯え、震えていたジャンクの姿が脳裏を過ぎる。

 

「ふふ、父親から酷い虐待を受け続けていたこいつの場合は特に有効だったよ。最初こそ嫌がって喚いていたが、しばらく痛め付ければ、すぐに従順になった……とは言っても、困ったことに十年も間ができてしまったからな。逃げ出した罰くらいは与えなければならないだろう?」

 

「ッ! あなた、最低よ……!」

 

 ヴァロンの口から語られた言葉を聞き、ポプリは目に涙を溜めて彼を睨み付ける。言いたいことは沢山あるというのに、上手く言葉が出てこなかった。

 

 確かに、ジャンクは――クリフォードは、普通ではない子どもだったのかもしれない。それでも、実の親に虐待され、痛め付けられ、挙げ句の果てには研究の道具にまでされる必要性は、彼が犠牲になる理由は、どこにもないというのに。怒りに震えるポプリを見据え、ヴァロンは再び口を開いた。

 

「いかなる世界でも、発展に犠牲は付き物。倫理に反すると非難されたこともあるが、何だかんだ言って私の研究は認められてきた。ラドクリフ前王は特に、私を評価していたな」

 

 かつて、ラドクリフでは彼や、彼と同じ研究者達の存在によって多くの人々が苦しめられ、多くの命が消されてきた。それは、疑いようのない真実。そしてヴァロンは、自分は何も悪くないだろうと言わんばかりに肩を竦めて笑ってみせた。

 

 

「他人に認められたい、というのは全ての人間に共通する欲求だと思うが?」

 

 

――確かに、承認欲求というものは誰しもが持っていることだろう。

 

 子どもだろうが大人だろうが、それは変わらない。しかし、だからといって彼の行いが、犠牲を無視してまで評価されようという思想が、正当化されて良い筈がない――!

 

「ふざ、けるな……!」

 

 アルディスは声を震わせ、右手の宝剣を握り締める。奥歯を割れそうな程に強く噛み締めているせいで歪んだ彼の口元を、涙が伝っていった。

 

「ヴァロン、あなたのような存在が……弱者を食い物にして生きているような汚い奴が、そんな最低の行為が……許されて、たまるものかああぁぁッ!!」

 

 咆哮し、アルディスは一気にヴァロンとの距離を縮め、斬りかかる。冷静さを欠いた行動ではあったが、その気持ちは分からなくもない。額を押さえてため息を吐き、エリックは前を見据えて口を開いた。

 

「皆はここで援護を頼む。上手いことジャンを庇うような立ち回りができたら良いんだが」

 

「エリック君!?」

 

 ただ、あくまでもエリックの方が冷静だったというだけだ。彼自身、黙ってアルディスとヴァロンに一騎打ちをさせておくつもりなど全くない。エリックは高ぶりそうな気持ちを抑えるために深く息を吐き出し、宝剣と短剣の柄を深く握り直した。

 

「あれが許されてはいけないと思うのは、断ち切るべき間違った思想だと感じるのは、僕だって同じだ!」

 

 叫び、エリックはアルディスを追う形で走り出した。途中、力強く地を蹴り、彼は大きく跳躍する。

 

「――爆砕陣(ばくさいじん)!」

 

 空中で身を翻し、重力に任せる形で剣を振り下ろす。エリックの存在に気が付いたアルディスは、それに巻き込まれないようにと軽く後ろに飛んで距離を取った。その手には、拳銃が握られている。

 

「――ヴァリアブルトリガー!」

 

 銃声と共に放たれた弾は、ヴァロンの頭部を狙って真っ直ぐに飛んでいく。しかし弾が、長剣の刃がヴァロンの身を傷付けることはなかった。

 

「!」

 

「前よりはマシになったとはいえ、考え無しの特攻はいかがなものかと思うぞ」

 

 ヴァロンの姿はエリック達が狙ったその場所には既になく、彼はアルディスの真後ろへと迫っていた。移動されてしまったのだ。アルディスは慌てて振り返り、距離を取ろうとしたがもう遅い。ヴァロンは長剣を手にした腕を後ろに引き、そのまま一気に剣を突き出した。

 

「――空破衝(くうはしょう)!」

 

「ッ、がはっ!」

 

 刃に腹を貫かれ、発生した突風に流される形でアルディスはエリックの傍に吹き飛ばされ、地面を転がった。

 

「アル!」

 

 エリックはアルディスの傍に駆け寄り、地面に剣を突き立てて魔法陣を発生させる。『守護方陣(しゅごほうじん)』と呼ばれる、治癒と攻撃の両方を兼ね備えた技だ。

 

地点遷翔(ヴァーチェル・ハロ)はかなり魔力消費が激しい能力だというのに……! 彼は、それ程までにあの力を使いこなしているというのか!?」

 

 傷を治してもらったアルディスだが、それに気付かない程に困惑しているらしい。彼は目を細め、どうしたものかと頭を振るう。

 

「仮にそうだというなら、俺達の攻撃は一切当たらない可能性がある……」

 

「!? 前は普通に通用していたのに……! いや、あの時は手加減して能力を使わなかったのか!」

 

 ヴァロンが地点遷翔(ヴァーチェル・ハロ)の能力を使ったのはたった一回。それも、戦闘中ではなくレムの攻撃から逃げ出すのが目的。そのため、エリック達には彼らが誰の力であの場から逃走したのかが分からなかった。彼は能力を使わなくとも圧倒的な強さを持っていた。エリック達もこれまで何もして来なかったわけではないが、元々の差が大き過ぎる。普通に戦って勝てる筈が無いと確信せざるを得なかった。

 

「アル! 何とかならないのか!? 地点遷翔(ヴァーチェル・ハロ)に弱点は無いのか!?」

 

「あるにはある。だけど……」

 

 薄々、無駄だということは理解できていた。それでも、ジャンク達の元へと向かうヴァロンをそのまま放置するわけにはいかないと、エリックとアルディスは再び走り出す。

 

地点遷翔(ヴァーチェル・ハロ)は、その軌道や能力者の思考を読み取ることのできる『透視干渉(クラレンス・ラティマー)』の能力くらいでしか対応出来ない……」

 

「それじゃ……」

 

 透視干渉(クラレンス・ラティマー)。天才的にその力を使いこなす人物のことを、エリック達はよく知っていた。しかしながら、その人物は――ジャンクは、彼に太刀打ちできる状態では無い。

 

「事実上、アイツにはジャンさんか、意志支配(アーノルド・カミーユ)の力でジャンさんの能力を借りた俺の攻撃くらいしか当たらないってこと。分かってるとは思うけど……今の俺は、何度もそんなことできる身体じゃない……」

 

 アルディスは悔しさに顔を歪め、微かに涙の残る瞳を細めた。仮にジャンクが万全な状態であったとしても、追い詰められた彼はヴァロンと満足に戦えない。代わりに呪いに身を蝕まれているアルディスがその力を使えば、命に関わる。それゆえ、何の対策もなくがむしゃらに攻撃を繰り出すしか、エリック達には術がなかった。

 

 マルーシャ達も後ろからエリックとアルディスを援護する形で攻撃術を発動させ続けてくれたが、やはりヴァロンには当たらない。

 それどころか、術の詠唱すら阻まれてしまう。通常の攻撃術では駄目だと考えたマルーシャが何度か精霊召喚の詠唱を試みたが、それはことごとくヴァロンによって阻まれてしまった。ポプリは彼の能力そのものを封じようとしていたが、当然ながらそちらも叶うことなく途中で妨害されてしまう。

 普通の攻撃は当たらない。ヴァロンの攻撃そのものを封じようにも止められてしまう。一瞬でも隙を見せれば、今度はヴァロンからの強烈な攻撃が襲いかかる。ただでさえ疲労していたエリック達は一方的に痛めつけられ、徐々に戦意を削がれていく。

 

 

「まだ、諦めないようだな。分かるだろう? 今の貴様らでは、私一人にすら勝てぬということを」

 

 能力を使い続けている筈のヴァロンには、一切疲労した様子が見られない。せめて彼から特殊能力を発動させる気力を奪えればとエリックは考えるのだが、その前にこちらが全滅してしまうのは目に見えていた。

 

(どうすれば……! 一体、どうすれば良い……!?)

 

 ヴァロンの目的はあくまでもジャンクのみ。自分達との乱闘は暇つぶしのようなものなのだろう。ことごとく致命傷を与えてこない彼の態度からして、それは恐らく間違いない。

 ここで諦めて降伏すれば、もしかすると助けてくれるかもしれない。だが、その代わりジャンクはまず助からない。エリックはそのような選択肢のことは最初から考えてはいなかったし、アルディス達もそれは同様だ――それなのに、今の自分達はヴァロンにたった一撃を当てることさえ、叶わない。

 

「やかましい! オレ達にとってこれは、勝てる勝てないの問題ではない!」

 

 ヴァロンの挑発に反抗するように叫び、ディアナは空中にタロットカードをばら蒔く。あのカードを媒体に、強力な術を発動させる気なのだろう。

 

「――邪を終焉へと誘え! 炎神の眷属よ、その力、今こそ解き放たん!!」

 

 いつも以上に複雑な魔法陣がディアナの真下に浮かび上がる。流石にこれは厄介だと思ったのか、ヴァロンはディアナの背後に瞬間移動した。

 

「……切り裂きなさい」

 

「!?」

 

 エリックも薄々、ヴァロンの行動を読んでいた。それゆえ、彼に悟られぬようにディアナの傍に駆け寄ろうとしていた。

 

「――アクアエッジ!」

 

「くっ!」

 

 だがそれよりも早く、水の刃が転移したばかりのヴァロンを襲ったのだ。ダメージこそ少ないが、それは間違いなくヴァロンの身を傷付けていた。

 

「先生……!」

 

 術を発動させた彼は、しっかりとヴァロンを見据えていた。しかし突き出した左手は、酷く震え、恐怖のせいか傷のせいか呼吸も荒い。こんな状態の彼が術を外すことが無かったのは、唯一ヴァロンに対抗出来る能力の所有者ゆえだろう。

 

「クリフォード、貴様……!」

 

「頼む、当たってくれ! ――バーンストライク!」

 

 間違っても自分には攻撃してこないと思い込んでいたジャンクの、突然の攻撃に怯んだヴァロンの身に巨大な炎の弾が襲いかかる。

 

「!? この……っ」

 

 彼は当然の様に地点遷翔の能力で炎の弾をかわそうと試みる。しかし、流石の彼でも完全にそれらをかわすことはできなかったらしい。彼の上着は焼け焦げ、原型を留めてはいなかった。炭と化したそれらを投げ捨て、ヴァロンは舌打ちする。

 

「しまった、当て損ねたか……! ッ、まずい! ジャン!!」

 

 ヴァロンに攻撃を当ててしまったことにより、苛立たせてしまったのだろう。身動きの取れないジャンクの目の前に、ヴァロンが迫る。その手には、剣がしっかりと握られていた。

 その姿を見たジャンクは恐怖のあまり両目を閉ざして硬直してしまっているし、仮に恐怖に打ち勝てたとしてもあの傷では動けないだろう。チャッピーやアルディスが慌てて彼の元へ向かっているが、間に合いそうもない!

 

(駄目だ、遠すぎる……っ!)

 

 

――嗚呼、今ここで、鳥のように空を翔け、彼の傍に行くことができたならば。

 

 

 そんな幻想を抱いたエリックの視界が、急に歪んだ。立ちくらみかと思ったが、違う。

 

 世界が、止まっていた。

 

 

「な……っ!?」

 

 驚くエリックの頭に、懐かしい声が響いた。

 

 

『良かったぁ、あの時、キミとの繋がりを作っておいて』

 

 聴いたのは、たった一度だけ、八年前の、あの一瞬。けれど、エリックははっきりと、その声を覚えていた。

 

「ノーム……?」

 

 ふっと、目の前に短い橙色の髪と緑の瞳を持つ、月桂樹の冠を頭に乗せた幼い少年が現れた。彼は複雑な模様が描かれた、だぼだぼの大きな服をまとっている。袖が長すぎて手が出ていないし、そもそも袖が長い作りのようだ。地面に擦ってしまいそうだったが、彼は宙に浮いている。服は、地に付いていない。

 

『せいかーい! ボク、ノーム。キミが番人さんの家に入り浸っててくれて助かったよ。だから今、こうして話ができるんだ……ああ、ちょっとの間だけだけど、時間止めてるから安心してね。ボク、すごいでしょ?』

 

 ノーム、と名乗った少年は緑の瞳を細め、クスクスと笑う。ノームは驚くエリックの胸を指差し、笑みを浮かべたまま首を傾げてみせた。

 

『本当はこのまま、キミと契約するのも良いんだけどねぇ。というか、相性が良さそうだからボクはずっとキミに目を付けてたんだけど……今のままのキミと契約したら、きっとボクは、キミを壊してしまうから』

 

「どういう、ことだ……?」

 

 ノームと契約をすると、エリックが壊れてしまう。それは一体どういうことなのかとエリックが問えば、ノームは笑みを消し、しばし悩んだあと……首を横に振った。

 

『上手く説明できそうにないや。クリフなら、大丈夫かな……後でクリフに聞いて。その代わり、手を貸すから』

 

 ノームが、こちらに近付いて来る。不思議と、恐怖も嫌悪感もない。されるがままにしようという意志が、エリックにはあった。

 

『前々から思ってたけど……番人さんはこの才能ポンコツなのに、君にはあるんだよねぇ……いっそ番人さんにあってくれたら良かったのになぁ。そしたら、ボクも寂しくないのに』

 

 困ったように笑いながら、ノームは浮遊してエリックの右目付近に触れた。

 

 

『――飛べないならば、飛ばせば良いんだよ』

 

 

「ッ!?」

 

 刹那、右目に熱が灯る。驚き、身体を硬直させたエリックの右手に握られていた宝剣が、強く瞬いた。

 

『構え方は身体が、力は、キミの身体の中に入り込んでる子達が教えてくれる。だから、大丈夫……あとは、任せるよ。今、ボクにできるのは、ここまでだから』

 

 ノームの身体が、掻き消える。そして、ノームとは別の“声”が、脳裏に響いた。

 

『君は、私達の“弟”を助けてくれたから』

 

『“生まれてこれなかった”僕らの代わりに、助けてくれたから』

 

『今度は、僕らがあなた達を助けます!』

 

 聞こえてきたのは、ディミヌエンドの地下で聴いたあの声。しかし、あの時とは違い、その声はずっと分かりやすく、ハッキリとした口調でエリックの耳に届いていた。

 

「……」

 

 光り輝く宝剣“だったもの”を左手に持ち替え、エリックは真っ直ぐに前を見据える。指先に暖かな感触を感じながら、右腕を後ろに引いた。

 

 

(……飛べないなら、飛ばせば良い)

 

 風が、強く吹いた。

 時間が、動き始めた。

 

 エリックは軽く息を吐き、力を込めていた右の指を、開放した。その刹那、彼の右目が金色に瞬いた。

 

「――蒼燕(そうえん)!!」

 

 放たれたのは、蒼き光の矢。その矢は美しい直線を描き、油断しきっていたヴァロンの右肩を貫いた。

 

「ぐあ……ッ!?」

 

 驚いたヴァロンが、右肩を抑えながらエリックを振り返る。ヴァロンだけではない。皆が、エリックの姿を見て驚いていた。

 

「これは……間違いなく別のも混ざってるよなぁ……でも、無限の軌跡(フリュードキャリバー)。取得できたみたいだ」

 

 エリックは静かに左手を下ろし、再び息を吐く。

 今、彼が手にしていたのは、剣ではなく――大きな青い鳥が翼を広げたような姿をした、息を呑むほどに美しい弓だった。

 

「なるほど、宝剣の力か……やはり、素晴らしい……」

 

 ヴァロンは忌々しそうに、それ以上にどこかうっとりとした様子で、エリックの持つ弓を眺めている。その隙に、チャッピーがジャンクを回収し、その前にアルディスが陣取った。

 

「今だ! 連撃する!」

 

 やはり、攻撃がまともに当たらなければ決定打にはならない。エリックの攻撃で怯んだ今がチャンスとアルディスは宝剣の形状を薙刀へと変化させ、その切っ先を地に突いた。瞬間、アルディスの背に赤い左翼が出現する。

 

「――煌きの十字、彼の者に贖罪の時を与えんことを!」

 

 彼の足元に展開されるのは、白い輝きを放つ魔法陣。同じ物が、ヴァロンの真下の地面にも浮かび上がっている。ここまでは、マルーシャ達にもできたことだ。

 

「駄目、それじゃ逃げられちゃうよ!」

 

 しかし、問題はその後。術の発動直前に、ヴァロンはその効果が及ばない場所に転移してしまうのだ。これで、マルーシャ達は何度も術をかわされ、反撃を受けてきた。やはりと言ったところだろうか。ヴァロンは術の届かない場所へと移動する。だが、この点においてはアルディスの方が上手だった。

 

「大丈夫、逃がさないよ……絶対に!」

 

「!」

 

 ヴァロンが飛んだ場所。真下には、白の魔法陣。そしてアルディスは、その口元に微かに笑みを浮かべた。

 

「――グランドクロス!!」

 

 魔法陣の光に拘束され、身動きの取れなくなったヴァロンに十字の刃が襲い掛かる。転移は、させなかった。

 

 技の発動を見届け、アルディスは地面に膝を付く。ヴァロンの絶叫を耳にしつつ、彼は苦痛に目を細めた。ごほごほと咽せ、喀血が、ポタポタと地面に落ちて染みを作った。

 光属性高位魔術グランドクロスの発動に加え、外さなかったということは意志支配を用いて、ジャンクの能力を使ったのだろう。その負担は、大きい。

 

「馬鹿野郎! おい、大丈夫か!?」

 

 弓を手にしたまま、エリックはアルディスの傍に駆け寄る。アルディスはエリックを心配させまいと顔を上げ、脂汗の浮いた青白い顔で微笑んでみせた。

 

「う……ごめん、思ってたより、反動が……!? え? こ、これ、は……!? うっ、く……っ、ああああぁッ!!!」

 

「アル!?」

 

 しかし、彼は突然叫びながら頭を押さえ、その場に崩れるように蹲ってしまった。一体、どうしてしまったというのだろうか。

 恐らく呪いとは全く無関係に肩を震わせ、涙を流すアルディスが気になったが、仕留めきれなかったらしいヴァロンが動き出したことでエリックは考えることをやめざるを得なくなってしまった。ただ、ヴァロンはアルディスとジャンクの姿を交互に見た後、蔑むように笑みを浮かべただけ。舐められているのだろう。襲ってくる気配は無かった。

 

「なるほど、そういえばノア皇子は意志支配(アーノルド・カミーユ)の使い手……クリフォードの力を借りたは良いが、共解現象(レゾナンストローク)の暴走が発生したということか……」

 

 ヴァロンが突然話しだした、共解現象(レゾナンストローク)の暴走の話。この話に、エリックは聞き覚えがあった。

 

(そういえば、ジャンが良く起こすんだっけ。アルの心が、記憶が、勝手に視えてしまうって……今回は逆、か……)

 

 共解現象(レゾナンストローク)は本来、能力者同士が互いを助け合う現象。しかし、共にヴァイスハイトであるアルディスとジャンクの間では悪影響を及ぼすことがある。

 同じ精神系能力者であることを考えれば、今回はアルディスがジャンクの記憶を視てしまったのだろう。余程酷いものを見たのか、地面に膝を付き、頭を押さえたままアルディスは身体を震わせ、涙を流し続けている。そんなアルディスを見て、ジャンクは今にも泣き出してしまいそうな笑みを浮かべた。

 

「……。何なんでしょうね、僕は。助けようとしてくれた人ばかり、犠牲にしてしまう……本当に、何なんでしょうね……」

 

「ジャン……大丈夫だ、お前のせいじゃない」

 

 エリックは慰めの言葉をかけたが、無駄だった。ジャンクは、涙だけは流すまいと両目を閉ざし、そのまま俯いてしまった。

 

 

「僕なんて、最初から生まれてこなければ良かったのに……」

 

 

 彼が酷く声を震わせ、とうとう漏らしてしまった――あまりにも、悲しすぎる言葉。今すぐこの場で命を絶ってしまいそうな程、どうしようもない絶望感さえも感じられる。

 

「じゃ、ジャン……」

 

 何か言ってやらなければ、とエリックは思った。しかし、何も言えなかった。名前を呼ぶことしかできなかった。何も、思い浮かばなかった。

 

「ふふ……」

 

 エリック同様、皆、何も言えなくなってしまった。そんな中、ヴァロンは場違いな明るい笑みをこぼした。

 

「だから、私の元に戻って来いと言っているのだ。私なら貴様を存分に、有意義に扱ってやれる」

 

「……」

 

 有意義に扱ってやれる。それは勿論、『実験体』としての話。

 

「ッ! 黙れ!!」

 

 あまりにも酷い彼の発言に、今まで泣いていたアルディスが顔を上げ、立ち上がった。

 

「戦争中もそうだと聞いたが……ノア皇子は随分と諦めが悪いのだな。まだ立ち上がるか」

 

「負けて、たまるか……これくらい、これくらいのことッ!! 俺は負けない、絶対に、最後まで諦めない……ッ!!」

 

 ヴァロンに蔑まれながらも、アルディスは槍を構える。しかし、呪いに加えて共解現象(レゾナンストローク)が暴走した影響で、その足元は覚束無い。

 

「ジャンさん! あなたもあなただ!! 俺を馬鹿にするのもいい加減にしてください!! 俺が、フェルリオの皇子たるこの私が!! この程度のことで屈すると思っているのですか!?」

 

「……ッ」

 

「俺は、あなたを助けたくてここまで来たんだ! それで痛い目に合ったって構わない! それ以上に俺が恐れるのは……大切な人や、大切なものを守れず、目の前で失ってしまう……そんな、惨たらしい結末だけだ……ッ」

 

 薙刀を掴む手はガタガタと震え、翡翠の瞳からは相変わらず涙が流れ続けている。強引に虚勢を張っているのは、誰がどう見ても明らかだった。アルディスは頭を振り、頬を流れる涙と、口元の血を乱暴に拭う。しかし、それはすぐに無駄な行為となってしまった。新たな涙が、また頬を伝った。

 

「今まで、俺は何も守れなかった! それは、事実だ……それでも」

 

 ほとんど泣きじゃくりながら、アルディスは背後にいるであろうジャンクに、そして目の前に立っているヴァロンに向かって訴え続ける。

 

「それでも俺は、諦めない!! 守りたいものが、目の前にある限り、俺は……俺はッ! 何度だって立ち上がってやるッ!!」

 

「! アル!!」

 

 頭に血が上ってしまっているらしいアルディスは、自分の身体のこともお構いなしにヴァロンに向かって突撃していこうとする。エリックは慌てて弓を構え直し、矢を放とうとした――その時!

 

 

「――氷結の調べ、我が仇なす者を白き闇へと誘わん!」

 

 

 突如、上空から聞こえてきた男の声。その声と共に、ヴァロンの真下に淡い蒼の魔法陣が浮かび上がる。彼が地点遷翔(ヴァーチェル・ハロ)の能力を用い、魔法陣から逃げようとも無駄だった。

 つまり、術者はヴァロンの能力が通用しない相手。アルディスのような例外を考えないとすれば、間違いなく透視干渉(クラレンス・ラティマー)能力者である。

 

(この、声は……!)

 

 エリック達には、その声に聞き覚えがあった。ただ、その声の主は、その人物は少なくとも――“こちら側”の人間では無かった筈。

 

「空虚なる楽園を謳え! ――ブリザード!!」

 

 術名が叫ばれると同時、ヴァロンが立っていた場所を中心に氷の塊が弾けた。刹那、猛吹雪が吹き荒れ、エリック達の視界は一時的に遮断される。

 

 

「ッ! 一体、何のつもりだ……! 弟の仇討ちのつもりか! “ダリウス”!!」

 

 猛吹雪の中、地面に降り立った男は無言でヴァロンを見据え、身に纏う黒衣と空色の短い髪を揺らしていた。彼の周りには、色取り取りの下位精霊達が飛び回っている。

 

「精霊達が騒いでいるから、一体何事かと思ってきてみれば……『何のつもりだ』はこちらの台詞だ。勝手な暴走は謹んでもらおうか!」

 

 ダリウス、と呼ばれた青年はヴァロンを一瞥した後、槍を支えに立っているアルディスの顔を真っ直ぐに見つめてきた。

 

「何度でも立ち上がってやる、か……それがお前なりの決意ということか。肝心の行動の方は少々無謀過ぎるが、悪くない。気に入ったぞ」

 

「やっぱり、あなたは……! どうして……!?」

 

 高圧的な言い回しが目立つが、口元を緩めた表情や発する言葉からは敵意は一切感じられない。それどころか、彼の行動は明らかにエリック達を助けるようなもの。その理由は、全く分からなかった。

 

「どういうことですか!? ダークネス!」

 

 アルディスの問いには答えず、突然現れた青年――ダークネスは、ヴァロンに対して警戒した様子を見せ続けている。彼らは、味方同士では無かったというのだろうか。

 

「……」

 

 そして、ダークネスの出現に最も驚きを見せていたのは他でもない、ジャンクだった。彼は金と銀のアシンメトリーの瞳を丸くし、微かに震える唇を小さく動かした。

 

「……兄、さん?」

 

 ジャンクの、様々な感情の入り交じった弱々しい呟き。その声は誰の耳にも届かず、吹き荒れる風の中に消えていった。

 

 

 

―――― To be continued.




精霊ノーム

【挿絵表示】

弓装備エリック

【挿絵表示】

(イラスト:長次郎様)

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