テイルズ オブ フェータリアン ー希望を紡ぎ出すRPGー   作:逢月

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Tune.37 望まぬ邂逅

 

「ディアナ? ピアスは付けないのか?」

 

 喫茶店を出て、少しだけ元気を取り戻したディアナに話しかける。エリックが渡したピアスは、ディアナの耳にはない。

 

「あ、その……無くすと、困るから……」

 

 ディアナが言いたいことはよく理解できる。何しろ、取られていたものがやっと返ってきたのだから。今は厳重に、どこかにしまっているのだろう。

 

 

「それは良いとして、あのピアス。今、アルが左耳に付けてる奴と全く同じなんだ」

 

「え!?」

 

「アイツ、右耳にはピアスを付けてない。だから案外それ、昔アルに貰った物だったりして……とか、ちょっと考えた」

 

 アルディスとディアナの年齢を考えれば元々知り合いだったということも、可能性は低いがありえない話では無いだろう。その話を聞いて、ディアナはいつの間やら取り出したピアスを手に、酷く困惑している。

 

「何なら、アルにそれとなく聞いてやろうか? ピアスの片方はどうしたのかって」

 

「だっ、駄目!」

 

「……え?」

 

 真相を知るには、本人に聞くのが一番手っ取り早いだろうに。ディアナは、その手段を取ることを拒んでしまった。

 

「嫌だ……怖い……」

 

 身体を両手で抱くようにして、ディアナは両目を固く閉ざす。暖かな家族の記憶が欲しいと言っておきながら、過去の記憶を取り戻すのは、過去に干渉するのは怖いということなのだろう。辛すぎるジレンマだった。

 

「分かったよ、今は聞かない。知りたくなったら、遠慮なく言ってくれ」

 

「……ごめん」

 

 ディアナは浅い呼吸を繰り返し、必死に落ち着こうとしているらしい。そんな彼女の頭を軽く叩き、エリックは前方へと目線を動かした。

 

 

「……って、ん? ディアナ、ほら。噂をすれば……」

 

 宿屋の中でじっとしているのが嫌だったのだろう。少し前方に、また何か料理でもする気なのか八百屋で野菜を物色しているアルディスと、彼を気遣うように立っているポプリの姿が見える。向こうはまだこちらに気付いていないようであったが、何も逃げる必要はないだろう。

 

「せっかくだ。合流するか?」

 

「そうだな」

 

 念の為ディアナに確認はしたが、彼女にも合流を拒むような意思は無かった。二人は、未だに自分達の存在に気付かないアルディスとポプリの元へと歩み寄っていく。

 

「アル、ポプリ」

 

 呼びかけると、アルディスは持っていたキャベツを置いてこちらを向いてくれた。

 

「! エリックにディアナじゃないか! まさか、宿屋の外で会うなんてね」

 

「お前こそ……何で出てきてんだよ。身体は大丈夫なのか?」

 

「うふふ……ノア、じっとしてるの嫌だって言うから、散歩しに出てきたの」

 

 エリックと合流したばかりの二人が会話している間、ディアナの視線はアルディスの左耳で揺れるピアスへと向けられていた。真相を聞きたくはないが、気にはなるということか。

 

 

「先生とマルーシャちゃんはまだ買い物中かしら? 荷物持ちのチャッピーが一緒とはいえ、二人に任せっきりなのもどうかと思うし、できれば先生達とも合流したいわね……ディアナ君?」

 

「!」

 

 まさか話を振られるとは思わなかったのだろう。ポプリの言葉にディアナはびくりと肩を揺らし、「そうだな」と軽い返事を返した。

 

「旅に必要な物を揃えるなら、ここから少し離れた場所にある商店街の方だろうか? あちらなら武器屋もある……オレは正直、そこに寄りたい」

 

「あー……お前、地下水脈でレイピア折ってたしな……って、アル! そんな顔するな!」

 

「だっ、大丈夫だ! オレは気にしていないから!!」

 

 ディアナはつい先日、今まで使っていた武器を壊してしまっていた。そして、その原因となったアルディスは今、何とも言えない表情を浮かべてしまっている。エリックとディアナの言葉に、彼は深くため息を吐いて口を開く。

 

「じゃあ……謝る代わりに言う。エリックも武器屋で商品、見ておいた方が良いんじゃないかな?」

 

 むやみやたらに謝るのは、逆にエリックに気を遣わせると思ったのだろう。アルディスはそう言って、「どう思う?」と首を傾げてみせた。

 

「え?」

 

「俺の戦い方。見てたなら分かったと思うけど……俺達の持つ、あの宝剣は形状を自在に操れるんだよ。君の流派じゃ、初期形態のあの半端な長さと厚さだと扱いにくいだろうなって」

 

 それは戦闘に慣れた、アルディスだからこそ言える助言だった。エリックはそのようなことを一切考えていなかったのだが、アルディスの言い分は正しい。

 確かに、いくら自分がラドクリフ王家の人間であり、宝剣を託されたからといって、自分自身の体型を無視してあのままの剣で戦う必要はないだろう。

 

「今まで、ずっと俺が扱う宝剣が薙刀の形状を取っていたのは、『無限の軌跡(フリュードキャリバー)』っていう力によるものなんだ。君が望むなら、これについても指導する。コツさえ掴めれば簡単だし。宝剣の力を引き出せた君なら、この力も使いこなせる筈だから」

 

 アルディスはそう言って腰のレーツェルに触れ、剣を取り出してみせた。それは彼の手の中で輝き始め、エリック達の目の前で薙刀へと形状を変化させる。

 魔術の一種だと思っていたのだが、アルディスは苦しみ出すことなく平然としていた。

 

「呪いの効果が出てないってことは、魔術とは違うんだよな……? つまり、僕もお前と同じように、武器の形状を好きなように変えられるってことなのか?」

 

 エリックの問いに、アルディスはコクリと頷いてみせた。彼が手にしていた薙刀は、再び剣へと形状を変えてレーツェルへと戻る。

 

「そういうこと。だからこそ、君が今までとは違う戦闘スタイルを見つけていくことに意味があるんだ。武器屋で剣の形状をどうするか考えるついでに、他の武器も手に取ってみると良いと思う。参考無しに考えろって言っても、困るでしょ?」

 

 恐らく、アルディスも様々な武器を手に考え、薙刀を使うようになったのだろう。それが、彼が剣術以外で選んだ戦闘スタイルだったのだ。そしてエリックも、さらなる強さを得るために彼同様未知の可能性を探していくこととなる。

 

「そうだな……ディアナ、案内頼めるか?」

 

「問題ない。任せろ」

 

 アルディスの話が終わり、ディアナはエリックの申し出に答えて少しだけ前を飛び始めた。もう、先々進んでいこうという意思はないらしい。その姿を見て、エリックは微かに口角を上げる。

 

(良かった。落ち着いたみたいだな)

 

 ディアナに関する問題は全く解決していないが、今は保留にしておいても大丈夫そうだ。これなら今のうちに、何か彼女にしてやれることは無いか考えることができる。

 アルディスとポプリの二人も、今ではフェルリオ城での戦い以前の仲に戻っている様子だった。否、もしかするとそれ以上かもしれない。彼らは本来、仲の良い義姉弟だったのだから。やはりエリックはそれを羨ましいと思いはしたが、もう過ちを繰り返すことはないだろう。

 

 

「な……っ、なんだ!?」

 

「商店街の方が騒がしい……一体、これは……!?」

 

 

――しかし、エリックが予想すらしていなかった所で、事件は起ころうとしていた。

 

 

「どうした!? ディアナ、アル!」

 

「商店街で、何者かが魔術を発動させたようだ。規模からして下級術だったようだが、それでも危険すぎる!」

 

 聴覚に優れた純血鳳凰(クラル・キルヒェニア)のディアナとアルディスが、近くにいた純血鳳凰の住民達が異変に気付く。ざわめきと混乱の中で、エリックはどうしようもない不安に駆られていた。

 

(まさかここも、スウェーラルの二の舞になるんじゃ……!?)

 

 エリックの脳裏をよぎるのは、帝都スウェーラルの無残にも崩れた街並みと、広場に立ち並ぶ無数の粗末な墓。そう思ったのは、エリックだけではなかった。

 住民達の安否は勿論気になるが、マルーシャとジャンク、それからチャッピーも恐らくそこにいるのだから。

 

 暗黙の了解で、商店街へと向かう速度が早くなる。もう、ゆっくりしてはいられなかった。

 

 

 

 

――そして、その頃……。

 

 

「ッ、マルーシャ……大丈夫ですか?」

 

「うん、わたしは平気。チャッピーも大丈夫そう、だね」

 

 買ったばかりの品物が、簡易的に整備された地面の上を転がる。突然魔術による襲撃を受けたジャンクとマルーシャは、砂埃が舞う中で互いの無事を確認した。

 

 この騒ぎで、商店街にいた人々は逃げ出したらしい。巻き込まれた住民がいないことから考えるに、魔術の使用者は最初からマルーシャ達を狙っていたのだ。

 

「きゅ……きゅー!!」

 

「チャッピー!? どうしたの!?」

 

「きゅー!」

 

 砂埃で視界が遮られてしまっている状況で、チャッピーが騒ぎ始めた。怯えて混乱してしまったのかと、マルーシャは必死にチャッピーの背を撫でて宥めようとする。しかし、そうじゃないとでも言いたげにチャッピーは頭を振るった。

 

 

『マルーシャちゃん、クリフを連れて逃げてくれ! 今のクリフを、奴と会わせる訳にはいかない……頼む!』

 

「!?」

 

 そんな時、聴こえてきたのは姿無き青年の声。その悲痛な声に含まれていたのは、焦りと、ほんの少しの恐怖。まさか、このタイミングで青年に話し掛けられるとは思わなかったマルーシャは、困惑して逆に動きを止めてしまった。

 

『事情も話さずいきなり悪いけど、頼む、急いでくれ!』

 

「あ……ッ、わ、分かった! ジャン、行くよ!!」

 

 青年の必死な声を聴いて、マルーシャはハッと我に返った。その思いに答えるためにも、ジャンクの手を引いて走り出そうとする。

 

「ジャン! ほら、急いで!!」

 

「……」

 

 それなのに、何故かジャンクが動かない。

 先程のマルーシャのように、驚いて動けなくなるのとは違う。彼は金縛りにあったかのように“動けなく”なってしまっていた。唯一の動作と言えば、その身体を酷く震わせていることくらいだろう。

 

「どうしたの!? ねぇ……ねぇ! ジャン!!」

 

 ジャンクが何かに、冷静さを欠く程に酷く怯えている。マルーシャは、何としてでも彼を動かそうとジャンクの正面へと移動する。そして彼の顔を見上げたマルーシャは、ある事実に気付き、目を丸くした。

 

「え……?」

 

 マルーシャの視界に入ったのは、金と銀の、アシンメトリーの瞳。

 

「ヴァイス……ハイ、ト……?」

 

 あまりの恐怖に、思わず目を開いてしまったのだろう。初めて見たジャンクの、金と銀の両目を見て、マルーシャは軽く深呼吸した後に胸のレーツェルに触れた。

 

「ジャン、大丈夫だから。落ち着いて……とにかく、逃げようよ。わたし、何が来てもジャンの代わりに戦うよ? だから……ね?」

 

 ジャンクは本気で、目を開くのを嫌がっていた。それなのに、今は目を閉じておくという簡単な動作すらできない程に追い込まれている。つまり、それだけ余裕が無くなってしまっているのだ。彼は今、戦えない。

 それならばとマルーシャはすぐに魔術が発動できるようにと意識を高めつつ、ジャンクの身体を押して少しずつ後ろに下がるように誘導する。

 ただ、それではあまりにも遅すぎる。そうしている間にも、カツン、カツンと、靴の音を鳴らして何かが近付いて来ていることが確認できる程に、相手との距離が縮まっていた。

 

「ごめん、チャッピー……わたしとジャン乗せて、走ってくれる? どうにも、ジャンが上手く動いてくれないや」

 

 マルーシャは覚悟こそ決めていたが、戦うことよりも逃げることを優先すべきなのは分かっていた。マルーシャは、単独での戦いには向いていない。

 いつの間にか、自分達を庇うかのように前に立ってくれていたチャッピーに、瞬光疾風(カールヒェン・ヨシュカ)の能力で逃げるのを手伝ってくれないかと問いかけてみる。

 

 

『そうだね、それが一番だと思う……分かった、乗って!』

 

「……え?」

 

 マルーシャの問いかけに対し、返ってきたのは鳴き声ではなく、謎の青年の声。

 それだけではない。今の彼の言葉は、その返事の仕方は、明らかに――。

 

『!? 避けろ!!』

 

 刹那、自分達を背に乗せようと屈んでいたチャッピーがマルーシャとジャンクを突き飛ばし、彼女らの目の前で、無数の風の刃にその身を切り裂かれた。

 

「ちゃ、チャッピー……っ!? きゃあぁあっ!!」

 

「ッ、ぐ……っ!」

 

 風の刃はチャッピーの身体のみならず、地面や近くの家の壁までも切り裂き、更なる瓦礫と砂埃を飛ばす。

 飛んできた瓦礫は、マルーシャとジャンクの身体を押しつぶすかの勢いで襲いかかり、二人の身体を酷く痛め付けた。

 

 

『う……ッ、二人とも大丈夫か!? 逃げられそうなら、逃げてくれ! 頼む、早く!!』

 

 青年の苦しげな声が響く。しかし、マルーシャの身体は飛んできた瓦礫に潰されており、ろくに身動きが取れそうもない。

 

「駄目! 瓦礫が、動かせない! 杖も、遠くに飛んでっちゃった……っ! そうだ、ジャン! ジャンは動けるよね? わたしを置いて逃げて!」

 

 不幸中の幸い、ジャンクは怪我を負うことこそ避けられなかったが、それでも瓦礫に押しつぶされて身動きが取れなくなるという最悪の状況に陥るのは避けられたらしい。

 

「ま、マルーシャ……僕は……」

 

「わたしは良いの! お願い、今は自分を大事にして……逃げて、ジャン!」

 

 傷を負ったことにより、漸く正気に戻ったのだろう。自分を気にかけるジャンクに対し、マルーシャは必死に声を張り上げる――だが、もう遅かった。

 

 

「どういう事情なのか、急に探知が可能になってな。試しに来てみたのだが……やはり、そうか……」

 

 聞き覚えのある声と共に、砂埃の中から一人の男が現れた。

 

「やっと見つけた……見つけたぞ! ふふ、さぁ……戻って来い、クリフォード!」

 

「――ッ!?」

 

 その男の顔を見て、マルーシャの中では『かなり嫌な思い出』として位置付けられていた出来事が、つい先程起こったことのように頭の中で再生される。

 

「嘘……何で? 何で、こんなとこまで来たの!? どうして、こんなことするの!?」

 

 ラファリナ湿原に連れて行かれたマルーシャを見て、その男はどこか嬉しそうに言っていた――「我が試作品」と。

 砂埃の中から現れたのは、科学者でもあり、弓と剣を自在に扱う屈強な兵士でもある黒衣の龍幹部、ヴァルガだった。

 重い瓦礫に押しつぶされながらも、必死に叫んでみせたマルーシャを馬鹿にするように、ヴァルガは余裕のある笑みを浮かべてみせる。

 

「何で、どうして、と言われてもな。今から十年前、戦時中のどさくさに紛れて逃げ出してしまった……私の大切な大切な“実験体”を回収しにきただけだ」

 

「……え?」

 

 ヴァルガははっきりと、“実験体”と言っていた。そして今、この状態からしてそれが誰のことを指しているかは明らかである。思わず、マルーシャはその対象であろうジャンクの方へと視線を動かしていた。

 

 

「ヴァ……ヴァロン、様……ッ」

 

 マルーシャの視線に気付いているのかいないのか。酷く震えた声でジャンクが口にしたのは、“ヴァロン”という名。その名を聞いたヴァルガは剣を抜き、その切っ先をジャンクへと向けた。

 

「おお、よく私の名を覚えていたな。私を忘れているなどという馬鹿げたことになるのではないかと、内心とてもとても心配していたのだ」

 

 ヴァルガはあくまでも仕事名。この男の真の名前は、ヴァロンだった。ジャンクはその名を知っていたし、何よりその名の持ち主のことを、誰よりも恐れていた。

 

「それならば。この剣の痛みも……覚えているな?」

 

 “ヴァロン”は、恐怖のあまり再び硬直してしまったジャンクの目の前に瞬間移動し、持っていた剣を勢いよく振り下ろす。彼の動きは、文字通り『瞬間移動』だった。彼の、特殊能力なのかもしれない。

 

「ッ!」

 

 しかし、振り下ろされた刃はジャンクには当たらなかった。逃げる間も与えられず、ただただ怯えていた彼の身体を突き飛ばしたのは、風の刃に切り裂かれ、既に重傷を負っていたチャッピーだった。

 

「きゅー!!」

 

 剣に身を斬られたチャッピーの痛々しい鳴き声と共に、突き飛ばされて地面に転がっていたジャンクの身体に血が飛び散った。

 

「ッ、な、何故、ですか……っ!?」

 

『良いか、クリフ……ここで今、君が逃げるのは決して、俺達を見捨てたということにはならない!だから、今すぐ逃げろ! 俺達は、君がここで奴に捕まることの方が辛いんだよ……!』

 

 覚束無い足取りで、チャッピーは崩れかけた身体を起こす。その様子を見て、ヴァロンは不気味な笑みを浮かべつつ剣の柄を強く握り締めた。

 またしても、彼はチャッピーを容赦なく斬り付けるつもりなのか。致命傷こそないが、既に、チャッピーはあんなにも多くの血を流しているというのに。

 

「やめて! チャッピーが死んじゃう!!」

 

 マルーシャは、チャッピーの身体に新たに刻まれた傷へと目を向ける。それは風の刃が付けた傷とは比べ物にならない程に、深く痛々しい傷だった。それでも、チャッピーは負けじとヴァロンに対峙し続ける。

 

『ヴァロン=ノースブルック……! クリフは、貴様のことを忘れたくても忘れられないんだ……! あの子が、今までどれ程貴様の残像に苦しめられたか……ッ!!』

 

 先程よりもずっと、苦しげな青年の声。明らかな憎悪の込められたその声は、ヴァロンには一切届いていなかった。

 ただ、声は聴こえずともヴァロンはチャッピーが何を訴えてきているのかが理解できているようだった――刹那、彼はチャッピーに容赦なく剣を振り下ろした。

 

「ッ!!」

 

「しかしまあ、まさかお前まで一緒にいたとはな……そのような浅ましい姿で、よくもまあ生きていられたものだ。私なら、自害を選ぶがな」

 

 声にならない鳴き声を上げ、とうとうチャッピーは地面に崩れ落ちた。

 それでも一度だけ頭を上げ、彼はヴァロンに対抗しようと身体を起こそうとするが、彼の身体はもう限界だった。チャッピーは再び地面に倒れ、大きな青紫の瞳を閉ざしてしまった。

 

「いや……っ! チャッピー!!」

 

「ふははは! 笑わせますね……もう虫の息ではないか!」

 

 チャッピーの姿を見下ろし、ヴァロンは本気で彼を嘲笑った。

 

 

「どうだ? 失敗作として生き恥を晒し続けるより、いっそ、そのまま死んでしまった方が、人間としての誇りをしっかり保てるのではないか? ――“霧生イチハ”よ」

 

 

(え……?)

 

 チャッピーは時として、ただの鳥とは思えないような、あまりにも賢い行動を起こすことが多々あった。それを不思議に思う時もあったが、マルーシャも他の仲間達も、それを深く追求しようという気にはならなかった。だが、今この瞬間。ヴァロンの言葉によってその理由が判明してしまったのだ。

 

「霧生……イチ、ハ……? まさか、チャッピーは……本当は……本当の、姿は……」

 

「そう、こいつは本来人間。リッカの忍……まあ、今となってはこの通りだ」

 

 恐らく、イチハもジャンク同様にヴァロンに囚われた実験体としての過去を持つ人間。その過程で彼は何らかの実験に使われ――人としての姿を失ってしまったのだ。

 

(ひどい……! そんなの、酷すぎるよ……っ!!)

 

 それは、想像を絶する程に残酷な真実。宿屋で交わした会話が、どこか悲しそうな青年の声が、マルーシャの脳裏を過ぎっていく。

 

 

『薄々、勘付いてるかもしれないけど……それでもいつか、ちゃんと話すから』

 

『今は、俺の一方的な話に付き合ってくれ。クリフ以外に会話相手が出来るなんて、思ってもみなかったから……すごく、嬉しいんだ』

 

 

 精霊シルフと契約を結んだ後、突然マルーシャに語りかけてくるようになった、姿の見えない青年――否、姿が『見えない』とマルーシャが勝手に思い込んでいた青年の正体は恐らく、鳥へと姿を変えられてしまった霧生イチハの思念体。

 マルーシャが精霊と契約を結んだ際、同時に何らかの力を得ることに成功し、孤独を嘆く彼の思念体と会話出来るようになったのだろう。

 それが、どれほどイチハにとっては嬉しいことだったか。その悲惨さは、マルーシャには到底想像できないものだった。

 

「ふん……最初からお前は自分自身が犠牲になるのも覚悟の上で、クリフォードを逃がそうと思ったようだな。その度胸だけは、認めてやる」

 

 気を失ってしまったチャッピーから視線をそらし、ヴァロンは辺りを見回し始める。いつの間にか、彼が捕えるつもりでいた青年は既にこの場から消えていた。

 マルーシャとイチハの懇願が届いたのか、ジャンクは今度こそ隙を見て逃げ出してくれたらしい。良かった、とマルーシャは微かに微笑む。しかしながら、それでもヴァロンが焦る様子を見せないことが気がかりだった。

 

「そう遠くへは行っていないらしい。馬鹿な奴め……今の私は、奴の存在を探知することが出来るというのに。焼け石に水だ」

 

「!」

 

 そういえば、とマルーシャはヴァロンと遭遇した直後のことを思い出す。最初に彼は、突然ジャンクの存在を探知できるようになったと言っていたではないかと。

 つまりそれは、彼はいつでもジャンクのいる場所が分かるということだ。これではどんなに逃げようと、いつかジャンクは捕まってしまう。今、ここでヴァロンを行かせてはならないと、マルーシャは奥歯を噛み締めた。

 

「ふざけないで! 人を何だと思ってるの!? ……許さないッ!!」

 

 魔術発動の媒体となる杖が手元を離れてしまったため、今のマルーシャは魔術を使えない。それでも、マルーシャは諦めなかった。彼女にはまだ、抵抗の手段が残されていた。

 

「新たなる流れをもたらす、悠々たる風の化身よ! 契約者の名において命じる!」

 

 マルーシャはバングルに魔力を込め、頭に浮かんできた言葉を迷うことなく叫ぶ。身動きすら満足に取れない状況下、現状を打破するにはこれしか無いと思ったのだ。

 

「おや」

 

 精霊召喚の詠唱に気付き、ヴァロンは一瞬だけ驚いた表情を浮かべる。

 

「貴様もその力を得ていたのか。兄妹”揃って精霊契約者とは。いや、今の貴様は、あの男の妹とは呼べんがな……」

 

「……え?」

 

 

――ヴァロンは今、何と言った?

 

 

 自分を除いた精霊契約者は、マルーシャが知る限りただ一人。親友のアルディスのみだ。それでなくとも、精霊契約が誰にでもできる物だとは思えないのに。

 

(わたしだって、ジャンの力がなきゃ契約なんてできなかった……ジャンは、他にも誰かを手助けしていたの? いや、違う。そうじゃない! わたしには、お兄ちゃんなんていないんだよ……!?)

 

 マルーシャには兄はいない。それどころか姉も弟も、妹さえもいない。マルーシャはたったひとりの、ウィルナビスの血を引く子どもなのだから。

 つまりマルーシャがエリックに嫁げば、必然的に一族の名は途絶える。それでも構わないと、父も母も言っていた。それはむしろ、光栄なことなのだと。

 もしかするとマルーシャ本人は知らないだけで、彼女には兄が存在しているのかもしれない。事実、マルーシャは七歳より前の記憶がないのだから、兄の存在を知らなかったというのも、全くありえない話ではない――だが、それは少々無理のある納得の仕方ではないか?

 

(精霊契約に成功するような、凄い兄の存在……それを、お父様もお母様も、わたしに教えないだなんて……絶対、おかしいよ……ね……?)

 

 マルーシャは得体の知れない闇に包まれたかのような感覚に陥っていた。自分の知らないところで、一体何が起こっているのかと。

 

「……」

 

『お……おい! マルーシャちゃん! 落ち着け! オレを呼ぶんじゃなかったのか!?』

 

 一瞬にして大混乱に陥ったマルーシャは、集中を途絶えさせてしまった。頭の中に響く、シルフの呼びかけにも彼女は答えない。

 

「おかしい話だな……? 貴様は今まで、自分自身の出生を疑ったことは無かったのか?」

 

「わたし、の……出生……?」

 

『マルーシャちゃん! コイツの言うことに耳を傾けるな! オレの契約者は、マルーシャ=イリス=ウィルナビス! 普通の……そう、普通の女の子だ!!』

 

 いつの間にか、ヴァロンはマルーシャのすぐ傍に移動していた。しかし、マルーシャはヴァロンの存在に気付くどころか、姿を現してまで必死に呼び掛けるシルフにも気付いていない。

 

「ふっ、容易いものだな」

 

 ヴァロンは未だマルーシャを見下ろしながら、剣を自身の顔の前に掲げて嘲笑った。

 

 

「妖の宴に惑え――ナイトメア」

 

「!」

 

 下級魔術故に詠唱が早く、反応が遅れてしまった。黒の魔法陣から出現した霧がマルーシャを包み――全ての気力を奪う程の、睡魔が襲う。

 

(そ、そん……な……!)

 

 視界が徐々に、閉ざされていく。

 それでも、マルーシャはこの場から立ち去ろうとするヴァロンの足を掴もうと懸命に手を伸ばした。行かせるわけには、いかないのだ。

 

(お願い、届い、て……!)

 

 しかし非情にも、その願いが叶うことはなかった。睡魔に打ち勝つことができず、マルーシャの手からどんどん力が抜けていく。最終的に彼女の手は何かを掴むことさえできず、パタリと地に堕ちてしまった……。

 

 

 

―――― To be continued.

 


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