テイルズ オブ フェータリアン ー希望を紡ぎ出すRPGー   作:逢月

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Tune.36 リヴァースの忌み子

 

 ディアナが逃げたのを確認した後、エリックは女達の方へと向き直った。

 

(なるほど、な……)

 

 白銀のサラサラとした長い髪に、サファイア色の青い瞳。身なりの良さから考えるに、彼女らは皆、貴族の娘だと考えて良さそうだ。

 聖者一族の人間ならばこのような容姿になるという話だったが、もしかすると、この国では聖者一族=貴族という方式が成り立つのかもしれない。

 アルディスと彼の父である前皇帝は例外だが、基本的には純粋な聖者一族の血を引く人間が皇帝となるという国柄だ。ありえない話ではないだろう。

 

「……」

 

「アベル王子?」

 

 今のところ、ディアナがどのようにして彼女らの元にやって来たのかは分からないが、間違いなく彼女らはディアナに対して惨たらしい態度を取り続けていた。それも、恐らくはディアナの髪の色“だけ”を理由に。藍色の髪の、何が悪いというのか。

 

「ディアナから、何か取り上げてるんだろう? 返してやってくれないか?」

 

 気を抜けば、胸の内から溢れ出してくる怒りに飲まれてしまいそうになる。その怒りに身を任せて、暴れてしまいそうになる。我ながら珍しいな、とは思った。

 

「え?」

 

「……頼む」

 

 本当は彼女らに掴みかかり、思い切り怒鳴ってやりたいところだった。しかし、ここで感情をあらわにするわけにはいかない。我慢すべきところだ。エリックの脳裏を、ディアナの恐怖と悲しみに満ちた表情が過ぎっていく。あんな顔をさせるくらいなら、もっと早く乱入してやるべきだったとエリックは後悔していた。

 その罪滅ぼしも兼ねて、話を聞いたからには彼女が取り上げられた“何か”を取り返してやりたかった。

 

「いきなり何ですか、アベル王子? わたくし達が何をしたと?」

 

「あの子、今はディアナ、と呼ばれているのですか。うふふ、知りませんでしたわ」

 

 そんなエリックの心境など知らず、今頃になって女達はラドクリフ王子である彼の前で優美な笑みを顔に貼り付け、お淑やかに取り繕ってみせる。それは、エリックにとっては吐き気がする程に見慣れた、醜い女の姿。

 

「……ッ」

 

 駄目だ駄目だと、エリックは必死に自分自身を宥める。だが、それは無理な試みだった。先程のディアナの表情が、涙が、頭から離れてくれない。その原因を作り出した彼女達が――どうしてもエリックには、許せなかったのだ。

 

「それにしても、この国は随分と陰湿な事をやるんだな? 馬鹿馬鹿しい。貴族のお前達がそうなら、この国全体が陰湿なのだと思えて仕方がないんだが?」

 

 エリックの口から溢れたのは、包み隠すことが出来なかった憎悪が込められた言葉。女達は、顔に貼り付けていた優美な笑みを微かに歪めてみせる。

 

「ふふ、殿下は面白いことをおっしゃいますのね。隣国の代表でありながら、我が国を蔑むおつもりで?」

 

「やはり、貴殿も前王の血を引いているということでしょうか? 少々、気性が荒くてよ? それとも、ラドクリフ国民自体がそうなのですか?」

 

 確かに、今のエリックの発言は明らかに言い過ぎだ。それはエリックも分かっている。完全にフェルリオ国民を敵に回すような言い回しだった……それでも。

 

「国民の気性云々の話は知らないが、残念ながら褒められたもので無いのは確かだ。あながち間違ってもいないだろう。これに関しては認めざるを得ないな。それに……ああ、そうだな。フェルリオを蔑んだと言われても仕方ないだろうな!」

 

 そろそろ止めておけ、とエリックの中で何かが警鐘を鳴らしている。

 今までのエリックならば、その警鐘が聞こえてくる前に自分の感情を制御できた。制御できていたのだ。それなのに、どうも今日はそういうわけにはいかないらしい。エリックは目の前の忌々しい女達を睨みつけ、口を開いた。

 

「だがな……たった今、この国の品格を盛大に叩き落としたのはどこのどいつか、それをちゃんと理解できているのか? 僕はお前らの姿を見て、フェルリオ貴族の品位を本気で疑った! ラドクリフがどうこう言う前に、お前ら自身の『在り方』から考え直したらどうだ!?」

 

 もし、ディアナが気に入らないならば。堂々と人前で貶せばいいし、対等な立場で言い合いでもすれば良い。だが、先程の彼女らはそうではなかった。

 陰でディアナを徹底的に貶して心を傷付けるだけでなく、暴力を振るい、彼女から大切な物を奪い取り、それを理由にディアナを支配する。『醜い』という言葉で済まされるようなものではない。

 

「! あなたねぇ……! それでも王子なの!? “リヴァースの忌み子もどき”と誇り高き聖者一族、どちらが大切かも判断できないの!?」

 

「王子以前に、ディアナは僕にとって大切な仲間だ! 仲間が酷い目にあって怒らない筈がない! 第一お前らは、たったひとりの人間すら救えないような者が王に相応しいと思うのか!? 自分の目的、利益の為に他を犠牲にするような王が欲しいのか!?」

 

 間違ったことを言ったつもりはない。事実、この国の皇子であるアルディスは、一人でも多くの民を救おうと戦ったがゆえに、その地位を得た人間だ。

 自分自身を戦争の道具にすぎないと思い込んでいたとはいえ、戦時中の彼は間違いなく自分の目的や利益のためではなく、国民のために動いていた。

 つまり、今のエリックの言葉を否定するということは、それと同時にこの国の皇子たるアルディスを否定するのと同じことなのだ。

 エリックの発言に、女達は戸惑い、口をつぐむ。悔しさを隠しきれてはいなかったが、後先考えずに言い返す程に彼女らも馬鹿ではないらしい。

 

「もう良い、分かったわ……分かったわよ。仕方ないわね……はい、これでしょう?」

 

 結局、女達は言い返してこなかった。ためらいながらも、そのうちの一人がエリックに微かに光る、小さな物を投げ渡す。

 それは、青い宝石と月の飾りの付いた――アルディスが左耳に付けていた物と同じ、月のピアスだった。

 

(これは……)

 

 アルディスは片耳しかピアスを付けていなかったが、これが片割れだということなのだろうか。それとも、何かの偶然なのだろうか。彼女らに聞いたとしても、流石にそこまでは知らないだろう。

 

 

 その時。ピアスを手に考え込むエリックの手を、女の一人が両手で包み込んできた。

 

「ねぇ、アベル王子。あんな気味の悪い子より、わたくし達を連れていきませんか? この通り、足も動きますし……それに、わたくし達の方が美しいでしょう?」

 

 結局はここでも、自分は『王子』という肩書きを持つがゆえに、女達に気持ちの悪い視線を向けられるというのか――エリックは女の手を払い、そのまま背を向けて歩き出した。

 

「ちょ、ちょっと待ってくださいまし!!」

 

「……。ハッキリ言わないと分からないみたいだな」

 

 苛立ちが限界に達し、頭痛がする。シルフに「やりすぎるな」と忠告されたことを今更思い出したが、これだけは言ってやらなければ気がすまなかった。

 

 

「僕はお前達のような、平気で他人を蹴落としておきながら自分をよく見せようとするような、そんな女が大嫌いなんだ!」

 

 

――ラドクリフもフェルリオも、変わらない。

 

 

 人懐っこい性格だというのに、いつまで経っても自分とアルディス以外には同年代の友人が作れなかったマルーシャの姿を思い出す。

 王家の血を引いているとはいえ、どうしてそんなに大きくも無かったウィルナビス家の娘が自分の許嫁となったのか。それはエリック自身も、未だに知らない謎である。

 エリックですらそう思う状況を、他の者が同じように考えない筈が無かった。結果として、マルーシャと同年代の少女達は、マルーシャの事を妬み、嫌い、彼女達の親族も少女達と同様の、酷い時にはそれ以上の反応を見せた。

 エリックかアルディスが傍にいなければ、マルーシャはいつも一人だった。

 

「!? 何よ……何なのよ!!」

 

 あんな状況でよく純粋な子に育ったものだとは思う。しかしながら、彼女がそのような状況下に置かれる原因を作ったのは自分であり、そして自分に媚を売ろうとする娘達だった。

 それゆえにエリックは、自分に媚を売ってくる気味の悪い女達のことが、そして自分自身のことが、大嫌いだった。

 

「話はこれで終わりだ……目障りだ! とっとと失せろ!!」

 

「――ッ!!」

 

 

 エリックの言葉に身体を震わせ、瞳を潤ませた後、女達は喚き散らしながら走り去っていった。

 

(あー……、絶対言い過ぎた。後で面倒なことにならなければ良いが……)

 

 今更すぎる不安だった。シルフに気を付けろと言われたというのに。

 とはいっても、彼女らは確かにこの国の貴族といえば貴族なのだろうが、誰一人として自分の家のことを語らなかった。本当に実力を持った貴族の娘ならば、あのような状況になれば恐らく全力で自分の家のことを主張してきただろう――自分はフェルリオでも名高い名家の出身なのだから、態度には気をつけろ、と。

 純粋に自分の家の名前をむやみやたらに出さない主義なのかもしれないが、あの様子ではそれも無いだろう。多分、今回の一件は大した大事にはならないに違いないと、エリックは心の中で大きくなりつつあった不安を少々強引に揉み消した。

 

「とにかく……今は、ディアナのところに行ってやらなきゃな」

 

 

 

 

「あれ……? ディアナ?」

 

 宿屋の外で待っていろ、と曖昧な指示を出したせいだろうか。エリックが慌てて宿屋の外まで出てきたのは良いが、ディアナの姿がどこにも見えない。

 

 最近気付いたことなのだが、この国ではエリックやマルーシャ、ポプリの髪色は勿論のこと、ディアナのような深い藍色の髪の人間もいないのだ。つまり、彼女の容姿は非常によく目立つ。それなのに、いくら辺りを見回しても、どこにいても目立つ筈のディアナの姿が無いのだ。

 

(そうだ、アイツ泣いてたっけ……泣き顔晒して立ってられるような奴じゃないよな)

 

 ディアナの性格的な根拠もあるが、さらに言えばあの容姿で泣きながら宿屋の前に立っていれば、それはもう目立つなどというレベルの話ではないだろう。

 上空にいる可能性も考えたが、それならエリックが出てくれば降りてくる筈。生真面目な性格の彼女が、「案内して欲しい」と言ってきたエリックを放ったらかして遠くへ行くこともないだろう。ならば、必然的に居場所は限られてくる。

 エリックはもう一度辺りを見回し、近くに人が入っていけそうな路地裏が無いかどうかを探した。それは、すぐに見つかった。

 

「……ここ、か?」

 

 見つけたばかりの、薄暗い路地裏にためらいなく入っていく。純血鳳凰(クラル・キルヒェニア)は耳が良いのだから、いるとすればそれなりに奥地に違いない。アルディスが逃走した時とは異なり、今回はかなり自信があった。

 

 

「ひ……っ、うっ、ぐす……っ」

 

 案の定、ある程度進んだ時点でディアナがすすり泣く声が聞こえてきた。エリックや女達と別れてから、ここでずっと泣いていたのだろうか。その声は酷く弱々しく、今にも壊れてしまいそうな程に痛々しいものだった。

 狭い路地裏に隠れるように、足を抱え込むようにして肩を震わせているディアナは、近付いてきたエリックの存在に気付いていないらしかった。傍にやって来た人間に気付ない程、彼女は精神的に追い込まれているということか。

 

「……。ディアナ」

 

 エリックはポケットからハンカチを取り出し、彼女の傍に座り込んだ。

 

「!?」

 

 驚いて顔を上げたディアナの目は、泣き過ぎたせいで赤く腫れている。彼女の手にハンカチを握らせ、エリックは藍色の髪をそっと撫でて口元を緩めた。

 

「大丈夫か? 部屋、戻って休んどくか?」

 

「……オレはもう大丈夫だ。悪かった、少し、取り乱した」

 

 返ってきた言葉は、良くも悪くも『ディアナ』だった。少女のような外見でありながら、武士のような振る舞いをするいつものディアナだった。

 

「どこかに行くのだろう? 心配せずとも、オレはこの街のことはある程度熟知しているし、質素な見た目の割にこの街はかなり充実している。目的は、果たせると思うぞ」

 

 彼女がそう在ることを望むのならば、そう在らせてやるべきなのだろうかとエリックは考える。かなり思うところはあったが、今は下手にディアナを刺激したくはなかった。

 

「お前以外に適役はいないと思ってるよ。だから、少し休んだら一緒に来てくれるか? ただ、正直僕も何だか疲れた。ここで良いから、休んでおきたいんだ」

 

「……」

 

 返事は無かったが、否の返事でないことは確かだろう。

 ディアナは顔を上げたまま、ぼんやりと目の前の壁を眺めている。渡したハンカチは使われることなく、そのまま彼女の手に握り締められていた。それでは渡した意味が無いだろうと、エリックは苦笑する。

 

(コイツが自分から「行く」って言い出すか、目の腫れが引いた辺りで声掛けようか)

 

 別に急ぐ用事でもない。エリックは特に何かを言い出すこともなく、ただ呆然と前を見ているディアナの横顔をちらりと見た後、頭上に広がる狭い空を仰いだ。

 

 

 

 

「……」

 

 予想はしていたが、出発の理由となったのはディアナの「まだ行かないのか?」の一言だった。

 目の腫れは引いたが、明らかに無理をしている。その証拠に、先程からディアナが喋らない。しかもエリックに行き先すら聞いてこない。これではただ、街をうろついているだけだ。仕方ないな、とエリックは静かに口を開いた。

 

「……あのさ、ちょっと大きめのペンダントトップが売っているような場所、知ってるか?」

 

「! そうだな、オレも聞くのを忘れていた……ん? マルーシャにでも渡すのか?」

 

 ディアナの茶化すような発言に、エリックは若干顔を赤くして咳払いをした。どうして、ここでマルーシャの名前が出てくるのかが分からない!

 

「違う違う! これ、直すのは無理でも、代用品くらいは用意してやりたくてな」

 

 首を横に振った後、エリックはポケットに手を差し込み、壊さないように厳重な注意を払いながら中に入れていたものを取り出した。

 

「あ……」

 

 それは、戦いの中で砕けたアルディスのペンダントだった。ペンダントの正体は防御壁を発動させる特殊な道具だったのだが、あの時の彼がこれを身に付けていた理由は恐らく、自己防衛のためだけではない。

 ペンダントトップの、砕けた金具の下。そこにあったのは、色あせて傷んだ写真だった。写っているのは、右目を失う前のアルディスと髪を後ろに結った細身の男性。そして、赤子を抱いた美しい女性――フェルリオ皇帝家の、集合写真。

 

「色々あったからな。失くしててもおかしくはなかったんだが、奇跡的に残ってくれてた。ただ、な……こんな写真が入ってるのを見たら、何だかそのまま渡す気にはなれなくて」

 

「そう、だよな……アルにとっては、大切な家族写真、だもんな……」

 

 このペンダントが壊れる根本的な理由を作ったのは、間違いなくアルディスである。しかしながら、エリックにとってもそれは他人事ではなかった。理由はどうであれ、ペンダントを壊したのはエリック達なのだから。

 

「ええと、こういうペンダントって何ていうんだっけ?」

 

「ロケットペンダント、だろ? 取り扱ってるかどうかは少し自信が無いが、大きめの装飾品店がこの先にある。着いてこい」

 

「お、おい、ディアナ……!」

 

 別に急かすつもりは無かったのだが、ディアナはいきなり移動速度を速めてしまった。翼を大きく動かし、ディアナはどんどん先へと行ってしまう。完全に置いていかれてしまった。

 

「あー……」

 

 エリックはもう一つ、同じポケットに物を入れていた。それを、今ここでディアナに渡そうと思っていたのに。

 

(今のディアナに、装飾品店って酷な気がしてならないんだが……)

 

 慌ただしく動いて、嫌なことを忘れようとでも思ったのだろうか。

 精神的に辛い状況だろうに、彼女から「のんびりしよう」という意思が全く感じられない。別に急ぐ用事ではないというのは、先程休憩を挟んだことからも分かるだろうに。

 

「エリック?」

 

 考え込んでいる間、ディアナを完全に放置してしまっていた。先に行き過ぎたことに気付いて戻ってきた彼女は、呆然と立ち止まっていたエリックの顔を覗き込み、首を傾げている。

 

「あ! その、悪い、ちょっと考え事が……」

 

「……そうか」

 

 特に問題は無いのだと、予定が変わった訳では無いのだと分かったディアナは、またしても先を急ごうとする。だが、今度はエリックも彼女を逃がさなかった。

 

「ロケットペンダント買ったら、一旦喫茶店にでも寄ろうか。お前とは、ちょっと落ち着いた環境で話をしたかったんだ。良いだろ?」

 

 距離が開く前にとエリックが伸ばした手は、ディアナの腕をしっかりと掴んでいた。突然のエリックの行為に、彼が発した思いもよらぬ言葉に驚いていたディアナだが、特に不審に思うことは無かったのだろう。彼女はおもむろに、コクリと頷いてみせた。

 

 

 

 

 幸いにも壊れたペンダントの代わりは簡単に見つかり、それを購入した後、エリックとディアナは近くの喫茶店に入っていた。

 

「……」

 

 ディアナの気晴らしになればと連れてきた喫茶店であったが、どうもディアナ本人の表情が冴えない。向き合って座ったために、それは良く分かった。

 

 先程運ばれてきたチーズケーキとカフェモカにも、ディアナはろくに手を付けていない。手元のシフォンケーキをフォークの先で突きながらも、エリックはどうしたものかと考える。沈黙がしばし続いた後、エリックは忘れていたことを思い出した。

 

 

「そうだ、ディアナ」

 

「何だ?」

 

「ちょっと手、出してくれるか?」

 

 首を傾げつつ、素直にディアナは手を出してきた。その上に、女達に渡されたピアスを乗せてやる。

 エリックは現物を見ていなかったため、間違った物を渡されてはいないか不安だったのだが、ディアナの反応を見る限り正解だったらしい。

 

「え……? えっと……こ、これ……」

 

「取り返してきた。話聞いてたんだ、これくらいするさ」

 

 しばしの間、ディアナは自らの手のひらに乗ったピアスを眺めていた。反対の手で転がしてみたり、つついてみたりもしている。突然のことで、手元に戻ってきたという実感がわかないのかもしれない。ミルクティーを口に含みながら、エリックはそんな彼女の様子をぼんやりと眺める。

 

「……ッ」

 

「ディアナ……?」

 

「え……エリック……」

 

 そのうち、ディアナがエリックの視線に気付いたようだ。ディアナはおもむろに顔を上げると、エリックの顔を見るなりポロポロと涙を溢し始めた。

 

「え!? うわっ!? どうした!?」

 

「う……、ふぇ……っ」

 

 これには、流石のエリックも驚いた。結果としてエリックが泣かせたようなものだけあって、周囲の人々の視線がかなり痛い。

 だが、今はそんなことを言っている場合ではない。先程は全く使われなかったハンカチを、もう一度ディアナに手渡す。

 

「す、すまない、ありがとう……」

 

「良いって、気にするな」

 

 今回は場所が場所だからか、ディアナは受け取ったハンカチをちゃんと顔に持っていく。それを見届けた後、エリックは再びミルクティーを口に含んだ。

 

 

「……。オレは記憶もないし、これが何なのかはよく分からない。ただ、これを持っていると、すごく……落ち着くんだ。その理由も、分からないけれど……」

 

「そうか……良かったな、戻ってきて」

 

 どうやら、まだ涙は止まらないらしい。若干嗚咽混じりになりながらも、ディアナは言葉を紡いでいく。

 

「オレ、きっと……こうなる前だって、ろくな人生じゃなかったと思うんだ……っ、多分、フェルリオの出身なんだとは思うけれど、この髪の色は、ここじゃ受け入れてなんてもらえないから……!」

 

「……」

 

「ラドクリフにもフェルリオにも、オレの居場所なんてない。だから……」

 

 それは、あまりにも悲しい言葉。ディアナがそれを言い終わる前に、エリックは手を伸ばしてディアナの頬に触れていた。

 

「それ以上、言うな」

 

「エリック……」

 

 続きを言わせてやっても良かったのかもしれないし、言い切った方が彼女は楽になれたかもしれない。しかし、ディアナがそれを言い切ってしまった途端、そのまま実行に移してしまうのではないかと思えてならなかったのだ。

 

 

「僕には、訳が分からない。夜の空みたいで、綺麗な色だと思うけどな……その髪」

 

「そう言って貰えるのは嬉しいけれど……オレの髪は、リヴァースの忌み子……不幸を告げる娘、ダイアナと同じ色なんだそうだ。容姿も、よく似ているって。それで、オレは“リヴァースの忌み子もどき”って、呼ばれてた」

 

「忌み、子……」

 

 決して、汚い色ではないというのに。ただ、藍色の髪を持って生まれてきただけだというのに、ディアナは“忌み子”と呼ばれた。

 否、元を辿ればダイアナという娘が、そう呼ばれていたのだ。不幸を告げる娘、忌み子。ディアナにもダイアナにも、何の罪も無いというのに。

 

「だから、オレは性を聞かれた時、咄嗟にリヴァースを名乗った。アルが、オレを『ディアナ』と名付けたのは、ダイアナと見間違える程に似ていたからだ……若干の嫌悪感はあったが、それでも良かった。記憶が無いということに、気付かれたくなかったから……ッ」

 

 記憶を失っているということは、ディアナにとってはコンプレックスに近い物となっているのだろう。

 そして、確かに『ダイアナ』と『ディアナ』は同じ綴りで違う読み方をする名前。ディアナは、そのダイアナと本当によく似ているのだろう。

 

「この際、何ならダイアナのままでも良かった……けれどアルは、それは良くないって、オレをダイアナと呼ぶことを拒んだんだ……ッ! その時、よっぽどこの国ではダイアナが不吉の象徴だったんだなって……」

 

「ちょっと待て」

 

「え……?」

 

 アルディスが彼女をディアナと呼んだ理由。ダイアナと、呼ばなかった理由。ディアナは「ダイアナは不吉の象徴」だからだと思っているようだが、恐らくそれは違う。

 

「アイツも言い方考えろよな……まあ、何も知らなかっただろうから仕方ないだろうが。多分な、それ違うぞ。いや、これに関しては自信持って違うと言える」

 

「何故、そう思うんだ……?」

 

 自分に関してはネガティブにしか考えられなくなっているディアナには、アルディスの言葉はマイナスのイメージを伴って伝わってしまった。しかし、あのアルディスに限ってそれはないと考えられる。

 

「アルは基本的に他人をすぐには信用しない。それなのに、お前のことだけは最初から受け入れている感じだった。要するに……アルは、お前はその髪の色を見て何とも思わなかったってことだ」

 

「……」

 

「まあ、異端扱いされてたのはアイツも同じだったわけだし、そのダイアナっていう子に親近感抱いてたんじゃないかな。少なくとも、アルはダイアナのことが嫌いではなかった筈。仮にダイアナのことを嫌だと思っていたなら、お前に似たような名前、付けないだろうから」

 

 アルディスは信用していない相手や、嫌いな相手に対しては徹底的に冷たくあたる。その分、一度受け入れた相手に対しては彼自身の身を削る勢いで甘いのだが。

 アルディスのそういった一面を知っているエリックからしてみれば、ディアナの話には大きな矛盾が生じているように思えてならなかった。それをディアナに説明すると、彼女は再び大きな青い瞳に涙を浮かべてみせる。

 

「はぁ……よっぽど気にしてたんだな。大丈夫だ、違うと思う。それと、良くないって言ったのは『死人と同じ名前』って意味じゃないか? リヴァース家は、戦時中ちょうどラドクリフに聖地巡礼に来ていたって話だしな」

 

「死人……」

 

「ダイアナは恐らく、鳳凰狩りで命を落としている。長い間ラドクリフで暮らしていたアルからしてみれば、生存の可能性がいかに低いか……分かってるだろうからな」

 

 自分で言っておきながら、エリックは胸が苦しくなるような、そんな感覚に陥った。他人事のように話してはいるが、それは自国の、エリック自身がこれから導いていく事になるであろう、ラドクリフ王国の話なのだから。

 

「くそ……っ、本当に僕は無知だな。自分の国の話だっていうのに、お前達がどんな環境に置かれているかなんて、ろくに考えもしなかった……」

 

「あなたが気にすることでは無いと思うが……それでも、確かに、辛かった、かな……あなた達に会う前は、向こうでオレに優しく接してくれたのは、ジャンだけだったから」

 

 まだ涙の残る瞳で、ディアナは少し無理矢理に笑ってみせた。エリックに余計な心配をかけまいと、そう思っているのかもしれない。

 

「ラドクリフに行ってすぐ……鳳凰狩りにあって、重傷を負って倒れていたオレを、助けてくれたのが彼だった。彼は、オレに何の危害も加えず……この服と、チャッピーを渡して、去っていったんだ」

 

「ふ、服?」

 

「元々はボロ切れのような、粗末な服を着ていたんだ。忌み子の話をまともに知らない一般市民ならともかく、聖者一族の人間が、忌み子もどきに服なんてくれないさ」

 

 酷すぎる、と思わずにはいられなかった。これではもはや、嫌がらせを通り越して虐待だ。

 アルディスもそうだったが、ジャンクが倒れた際、ディアナが危険を承知でアドゥシール経由の道順を拒まなかった理由が今ならはっきりと分かる。ディアナにとって、ジャンクは紛れもなく命の恩人なのだから。

 

(アイツ……一体どういう基準で人を判断してるんだ……僕に対してはあんなに距離置いてるってのに……)

 

 本人は何ともないように振舞ってはいるものの、ジャンクは明らかにエリックのことを恐れているし、エリック自身もそれに気付いていた。

 だから、下手に刺激しないようにと、少しでも早く慣れて欲しいと思ったエリックは極力彼とは距離を置くようにしていた――それゆえに、よく分からないのだ。

 ああ見えてアルディス以上に警戒心の強い彼が、どうしてディアナに対してここまで尽くしているのかと。恋愛感情を抱いている可能性はないとは思うが、透視干渉(クラレンス・ラティマー)能力者の彼のことだ。ディアナに対し、何らかの親近感を抱いたという可能性もある。

 皆の様子からして大体分かってはいるが、どちらにせよ、ジャンクは悪い人間ではない。事実、こうしてディアナは確かに救われているのだから。少々思慮深いだけなのだ。

 

「彼がいなければ、チャッピーが傍に居てくれなければ。多分、オレはどこかで壊れていたと思う……」

 

 ここまでの間、ディアナは必死に笑みを浮かべ続けていたが、限界を迎えてしまったらしい。その笑みが、不意に崩れてしまった。

 

「寂しいんだ。ひとりは、嫌なんだ……」

 

「ッ、ディアナ……」

 

「この容姿ではきっと、友人はいなかっただろうが……オレに、家族はいたのだろうか?」

 

 ボロボロと涙を溢しながら、ディアナはエリックに問う。それは答えに困る、残酷な問い。今の彼女に、簡単に「いるに決まってる」などという言葉はかけられなかった。

 

「どんな家庭でも良い……ただ、優しい両親がいてくれれば、それで良いんだ……」

 

 ディアナが望むのは、自らを受け入れてくれる存在。ただ、無条件に愛情を与えてくれる家族。そこに、裕福な暮らしを求めてはいなかった。

 

「このご時世だから、もう亡くなっているかもしれない。それでも、優しい両親が『いた』という記憶が欲しい……オレが失った記憶の中に、そういう人達は、いるのだろうか……?」

 

 ディアナの、本当に小さな小さな貧相な願い。せめて、それだけでも叶ってくれれば。彼女に、暖かな家族が存在していれば。

 

「……」

 

 聖職者である彼女とは異なり、エリックは神を信じている訳ではない。しかし、今だけはその、いるかも分からない神に、祈らずにはいられなかった――。

 

 

 

―――― To be continued.

 


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