テイルズ オブ フェータリアン ー希望を紡ぎ出すRPGー   作:逢月

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Tune.35 月のピアス

 

――許されなくって、良かったの。

 

 いっそ恨んでくれたって良かったの……むしろ、そうあって欲しかった。

 

 綺麗事を言うつもりは無いわ。やってしまったことは、変わらないもの……けれど。

 結果的に、あたしを憎むことによって、あの子が死ぬことなく生きていけるなら。

 あの子が“真実”を知らずに、生きていけるならば。

 それで良いと、思っていたの。

 

 けれど、あたしが思っていた以上にあの子の闇は深くて。

 あの子は、あたしのことを恨んでないどころか、自分自身を全否定するようになってしまっていた――笑うことさえ、できなくなってしまっていた。

 

 ごめんなさい。あなたを、守ってあげられなくって。

 最後の最後で、あなたの手を振り払うような真似をして……こんな弱い姉で、ごめんなさい。

 

 

――許されなくって、良かったの。

 

 

 けれど、あなたはあたしを許してくれたから。

 だからあたしは、今度こそあなたの“姉”で在り続けてみせるわ……絶対に。

 

 

――――――――――

 

――――――

 

―――

 

 

「エリック、おはよ。昨日……夜中、吐いてたみたいだけど大丈夫?」

 

「うっ!?」

 

 翌朝。いつもより少しだけ遅めに目を覚ましたエリックとアルディスは自室でのんびりとくつろいでいた。

 急いで行動に移すべきアルディスの呪いの件は気になるが、不必要な焦りは危険を伴う。

 ノア皇子ことアルディスとも和解し、親書も渡した。本来ならもうこの地に残る理由は無いのだが、全員体調が万全でないということを配慮し、ここであと数泊だけしようという話になったのだ――なお、エリックが吐いたのは体調不良でも何でもなく、単純に緊張しすぎたことが要因である。

 エリックの決まりの悪そうな反応を見て、理由を察してしまったのだろう。アルディスはおろおろと視線を泳がせた。

 

「あ、あー……そういうこと? ご……ごめん……っ」

 

「いや、別に、お前悪くないって……」

 

 アルディスの言葉に、エリックはどうしたものかと頭を掻く。エリック自身、あの行動に後悔はしていなかったが、それとこれとは話が別である。

 とりあえず話をそらそうと、エリックは先程から気になっていた“あること”を口に出すことにした。

 

「そんなことより、アル……フードはもう、被らないのか?」

 

 エリックの問いに対し、アルディスはそういえば、と自身の長い耳に触れた。寝巻き姿であるとはいえ、彼は今、いつものフード付き魔導服を羽織っていない。当然ながら、フードを被っていないに耳は完全に露出されているのだ。

 アルディスの耳は、ディアナの物と比べると若干垂れているような印象を与える。左耳には、海のように青い宝石と月の飾りが揺れるピアスが付いていた。それは密かに所持していたものなのか、昨日までは無かった物だ。

 

「これ?」

 

 エリックが何を言いたいのか察したらしいアルディスは、まだ見慣れぬ長い耳を指差しながら、控えめな笑みを浮かべてみせた。

 

「もうね、君達の前でこれを隠す必要はないかなって思ったんだ」

 

 バレてしまったから仕方なく、という様子ではない。一切の敵意の感じられない、穏やかな彼の姿を見ればそれは明らかだった。

 

「見慣れないだろうから、しばらくは反応に困るだろうけど……よろしくね」

 

「……ああ」

 

 見慣れないのは彼が浮かべる笑みも同様なのだが、どちらも良い変化なのだから悪い気はしない。これから慣れていけば良いのだと、そうエリックが思ったその時――コンコン、と廊下側からドアがノックされた。

 

「エリック君、ノ……じゃなくって、アル君。起きてる?」

 

 聴こえてきた声と、その口調からして外にいるのは間違いなくポプリだろう。

 

「二人共起きてるよ。どうした?」

 

 エリックがそう返すと、ポプリは問いかけに答える前にドアを開け、中に入ってきた。

 

「市場に美味しそうな林檎、売ってたから」

 

「林檎? へぇ……綺麗な色だな」

 

「あ……」

 

 紙袋に入った数個の林檎と、果物ナイフ。それらを黙々と袋から取り出していたポプリだが、その途中で何かに気づいたらしい。彼女は動きを止め、視線を泳がせた。

 

「ポプリさん?」

 

「え、えっと……その、林檎、剥いてあげようと思ったんだけど……」

 

(もしかして……)

 

 アルディスは林檎が好きだ。それを知っていれば、市場で美味しそうな林檎を見つけたから食べさせてあげたいという彼女の発想は決しておかしなことではないし、悪意から来るものでもない。彼女の、アルディスを思う純粋な優しさ故の発想だ。ただ、問題は林檎ではない。果物ナイフの方だ。

 エリックはそこまで詳しく知っているわけではないが、アルディスを失明させたのはポプリだという話は聞いている。そして様子を見る限り、その時使われた刃物は恐らく、果物ナイフだったのだ。

 

 客観的な立場からそう予想してみせたエリックの推測は間違っていない。ポプリは震える手で林檎と果物ナイフを掴み、慌てて部屋を出ようとした。

 

「ッ、これ、部屋で剥いてくるわ! 部屋、汚しちゃうかもしれな――」

 

「待ってください」

 

 そんな彼女を呼び止めたのは、エリックではなくアルディスだった。

 

「せっかくなので、ここで剥いていってくださいよ」

 

「え?」

 

「……別に、俺は気にしませんから。あと、“ノア”で良いですよ。今でも不釣り合いだとは思っていますが、俺は、この聖名(ひじりな)を気に入っていますし、それにあなたにはノアと呼ばれる方がしっくり来ますから」

 

 そういえば、とエリックは思った。アルディスを呼ぶ際、ポプリは彼の真名(まな)であるアルディスやそこから派生する愛称ではなく、ミドルネームのノアと呼ぶことがある。

 個人的に自分の聖名(ひじりな)に良い思い出のないエリックからしてみれば理解できない状況なのだが、アルディスは出生事情が異質過ぎる。

 彼が得た聖名は努力の賜物だと言ってしまってもあながち間違いではない。そのため、彼は聖名で呼ばれることに抵抗がないのだろう。エリックとは、状況が違うのだから。

 

「……それに、姉が弟を呼び捨てするのは、別に変なことでは無いでしょう?」

 

 アルディスは少し俯きがちになった後、声量を一気に落としてボソボソと何かを言い始めた。

 

「え……?」

 

 それは、ポプリにとっては衝撃的な発言だった。聞き間違えたかと、ポプリは声をしっかり聞き取れるようにとアルディスに近づいていく。

 

「その、色々ありましたし、先日は盛大に嘘を付いて、あなたを泣かせてしまいましたけれど……俺は、今でもあなたのことを、姉だと思っています。血の繋がりはほぼ皆無ですし、実際は義姉弟とはいえ……それでも、この思いは変わりません」

 

 アルディスの声が小さくなったのは、改まってこのようなことを、それも本人を目の前に口にするのが恥ずかしかったからだ。彼は言葉を選びながら、ゆっくりと言葉を紡いでいく。

 

 結局、エリック自身は完全にタイミングを逃して聞けずじまいになっていたのだが、彼らは血の繋がりはなくとも互いを姉弟だと認め合っている。そのような関係だったのだろう。

 

「あなたが、俺をどう思ってくださっているのか。それは厳密には分かりませんが……今までのあなたの態度を見る限り……自惚れても、良いですよね?」

 

 そう言ってクスクスと控えめに笑うアルディスのことを、ポプリは瞬きさえもできずに見つめている。泣き出すのではないかとエリックは思ったのだが、今はそれよりも、驚きの方が優っているのだろう。

 

「ノ、ノア……あたしのこと、恨まない、の……?」

 

 やっとのことで、ポプリが絞り出したその声は酷く震えて、裏返ってしまっていた。

 

「恐怖が全くないかと言えば嘘になります。けれど、恨みはしません。それにあなたは……いえ、今は何も言わないことにします」

 

 言葉を紡ぎながら、彼女を横目でチラリと見た後、アルディスは明らかに挙動不審な様子で、顔を真っ赤に染めて口を開いた。

 

 

「だから、その……これからも、よろしくお願いしますね……“ポプリ、姉さん”……」

 

「――ッ!?」

 

 ポプリ姉さん。恐らく、昔のアルディスはポプリのことをそう呼んでいたのだろう。ちりん、と月のピアスを揺らし、アルディスは軽く首を傾げてみせる。

 

「……」

 

 エリックの立っている位置からでは、ポプリの表情は良く分からない。

 ただ、肩を震わせ、その場に座り込んだ彼女を、そしてアルディスを今はそっとしておくべきだろうと思った。

 

 

「さて、と……僕は外に出てくる、買う物もあるしな」

 

 一応これは嘘ではなく、買い物に行っておきたいという願望はあった。丁度良かったと考えるべきだろう。

 エリックは脱衣所で服を着替えて簡易的な支度を終えると、二人を残してそのまま部屋を出て行った。

 

 

 

 

『おお! 丁度良いところに!!』

 

 廊下に出て、少しだけ歩いて先に進んだ所。しばらくの間姿を見なかった、半透明で空中に浮かぶ青年とバッタリ出会った。

 

「ん……? シルフ? どうした?」

 

『いや、アル皇子と会話でもしようと思ってたんだが、ちょっと取り込み中っぽかったろ? ……じゃなくて。本題は別にある』

 

「まあ、僕もそれで出てきたわけだから気持ちは分かるよ。本題は?」

 

 あまり良くない報告のようで、シルフは落ち着きのない様子で辺りをキョロキョロと見回している。そして、周囲に誰もいないことを確認した後、エリックの傍に寄った。

 

『ディアナ、だったか? あっちであの子、なーんか嫌な感じの女共に絡まれてんの。オレが助けてやりたかったんだが……オレ、基本的に実体ないから。助けようがないんだよな』

 

「!?」

 

 ちょいちょい、とシルフが指を指している先。あの辺りはリネン室や物置部屋だったろうか。この宿の中でも、従業員を除けばあまり人の立ち入らない場所である。従業員ですら、ほぼ立ち入らないだろう。

 

『オレの主とかクリフとか、いっそのこと鳥にでも救出頼もうかとも思ったんだけどよ、皆一緒に物資の買い足しに出かけちゃってるんだわ……だったらお前しかいないって思って。呼びに行こうとしたところに本人が出てきてくれたんだ。ナイスタイミングだ』

 

 口調こそ砕けているが、シルフは本気でディアナのことを心配しているらしかった。

 

『揃いも揃って銀髪だったから多分、聖者一族の女共な。アル皇子はくっそ短気な上に立場的に不安要素多いし、ポプリって女の身体じゃ取っ組み合いにでもなったら一方的に殴られそうだからな。お前しか頼めそうもない。まあ……なるべく穏便に済ませろよ、お前だって立場ってもんがあるんだからな』

 

「ああ、分かってる」

 

 簡単にそう返しつつ、エリックは歩く速度を速めた。

 ディアナは歩行能力と記憶を失っていながら、アルディスを守るという重大任務を任されたという謎の経緯を持つ少女である。

 その件とは全くもって無関係であるエリックからしてみれば、どうしてわざわざ、そのような身体の彼女を選んだのか意味が分からないところがあったのだ。

 

「アルの護衛の件。何でアイツが……って思ってた。多分、今僕が思ってることが正解なんだろうな」

 

『……』

 

「ふざけるんじゃない……ッ」

 

 苛立ち、奥歯を噛み締めるエリックの言葉を聞いた後、シルフは微かに息を呑んだ後、申し訳ないと目を細める。

 

『悪い、見届けたかったんだが……オレ、結構消耗してきたらしい。精霊はあまり、外界に長居できないんだ……申し訳ないが、後は任せた』

 

「分かった」

 

 悔しげに、苦しげに掻き消えたシルフに例を言い、エリックは静かに頭を振るう。

 深呼吸をし、「冷静であれ」と自分に言い聞かせた後、エリックは教えられた方向に向かって駆け出した。

 

 

 

 

 リネン室のすぐ傍。宿屋の中でも、特に人が来ない場所。ディアナはそんな場所に突然引きずり込まれ、できれば会いたくもなかった三人組に囲まれていた。

 

「な……何の、御用……です、か……?」

 

「何の御用、ですって? そんなの決まってるじゃない!」

 

 一人で動き回っていた結果がこれである。せめてチャッピーを連れておくべきだったかとディアナは本気で後悔していた。

 

「わたくし、言いましたわよね……? あなたは、ノア皇子を守るため“だけ”の存在だと」

 

「それなのにどうしてあの方はあのような酷いお姿に? あなたは一体、何をしていたの?」

 

 聖者一族由来の柔らかな白銀の髪に、澄んだサファイア色の青い瞳。背はスラリと高く、三人とも揃いも揃って息を呑むほどに綺麗な女性である。少々目つきは鋭いが、世間一般の男性が見れば間違いなく“目の保養”と称するようなタイプだ。

 

「ッ、申し訳、ありません……」

 

 ただ、彼女らはディアナにとっては恐怖の対象でしかなくて。身体もろとも声を震わせている今の彼女に、いつもの強気な面影はなかった。

 

「申し訳ありません、で許されることではなくってよ!」

 

「ひ……っ!」

 

 少し声を荒げれば、ディアナは過剰なほどにびくりと肩を大きく震わせる。そんな様子の彼女を見下ろし、女達はクスクスと笑みを浮かべた。

 

「本当、あなたを見ていると腹が立つわ」

 

 三人の中の一人が、手にしていたポーチからタバコを取り出す。おもむろに火を点け、吸った煙を目の前のディアナに吹きかける――それだけで彼女は今にも泣き出しそうな顔をするのだからたまらないと三人は目を合わせ、口元に弧を描いた。

 

「姉様ったら、ダメですわ。気を付けないと……ここ、禁煙ですわ」

 

「大変! 早く火を消さなくては!」

 

 それは、いかにもといったわざとらしいやり取りであった。嫌味な笑みを浮かべた女達がディアナを見れば、それだけでディアナはガタガタと身体を酷く震わせる。

 

「や……っ、いや……」

 

「うふふ、大丈夫よ。今日は、“やめてあげるわ”……こんなところじゃ、みっともないもの」

 

 姉様と呼ばれた娘はポーチから携帯灰皿を取り出してタバコをその中に入れた後、彼女はポーチから新たに別のものを取り出した。

 

「そうそう。これのことだけれど」

 

 彼女が取り出したのは、青い宝石と月の飾りが付いたピアス。それを見て、ディアナは大きな瞳を丸くする。

 

「! そ、それは……っ」

 

 思わず、といった様子だった。ディアナはそのピアスへと懸命に手を伸ばした。しかし、その手はピアスにかすめることすらできず、宙を彷徨う。

 

「あらあら、下品ねぇ」

 

「自分の行為が醜いとは思わないの?」

 

 蔑んだ目で見下ろされ、わざとらしい程に嘲笑され、それでもディアナは懸命に女達に訴えかけた。

 

「か、返して……! 返してください! ノア皇子を連れ帰ってくれば……それを私に返して下さると、あなた方は、確かにあの時……ッ」

 

 様々な感情が入り混じり、声が震える。ディアナの反応が分かっていたのか、女達はどこまでも余裕な様子を見せる。しかし、次第に苛立ちが募ってきたのだろう。

 

 

「やかましい!」

 

「ッ!?」

 

 姉様と呼ばれた娘が、小柄なディアナの頬を容赦なく張り飛ばした。バランスを崩し、床に倒れたディアナの髪を、彼女の頬を張り飛ばした女が乱暴に掴む。

 

「痛い……ッ、痛いです! お願いします、やめてください!!」

 

「アンタみたいな薄汚い小娘に、こんな物が似合う筈もないでしょう? 大体、髪だってただでさえ不気味な色なのに、不揃いでみっともない……! でも、流石に一年も経てば髪も伸びるようね」

 

 その女が何を言いたいかを理解したのだろう。傍にいた別の女が、持っていたカバンの中からハサミを取り出した。

 

「!? ひ……っ」

 

 頬を張り飛ばされ、髪を掴まれる苦痛に顔を歪ませていたディアナの瞳が、恐怖と絶望に揺らぐ。

 

「また、わたくしが……あなたにぴったりの髪型にしてあげますわ」

 

 ハサミを手にした女の口元が、歪な弧を描く。ディアナはすぐに逃げ出そうとしたが、無駄だった。小柄な身体は、壁に押さえつけられるような形で拘束されていた。

 

「! い、嫌です……! お願いします、やめてください!!」

 

「ノア皇子を見つけてくれてた事、わたくし達はちゃんと感謝していますの……ですから、これがあなたへの謝礼ですわ」

 

「そんなのいりません! だから……だからお願いっ!! やめて……っ! やめてぇ!!」

 

 バタバタと暴れ、頭を振るいながら「やめて」と繰り返すディアナの瞳から、とうとう涙がこぼれ落ちた。

 

「うるさいわね! 暴れないでよ!!」

 

「やめて! 嫌っ! いやぁあっ!!」

 

 暴れても、必死に懇願しても、どうにもならない。もう、受け入れるしかないのか――異変が起きたのは、ディアナが絶望の淵に立たされていた、まさにその時だった。

 

 

「……おい」

 

 聞こえてきたのは、今となっては聞きなれた心地よい低音の声。ただ、ディアナの視界は涙のせいで霞んでおり、“彼”の姿を見ることは叶わなかった。

 

「何よ!? アンタ誰よ!?」

 

「この国なら、僕の容姿を見れば大体想像が付くと思っていたが……まあ良い、僕はエリック=アベル=ラドクリフ。これで満足か?」

 

 声の主――エリックの名前を聞いて、ようやくディアナは身体から力が抜けるのを感じる。ディアナ自身、声の主がエリックであることにはほぼ確信を持っていたが、今の彼の纏う雰囲気は、いつもの彼の物とは大きくかけ離れているような気がしたのだ。

 

「ッ、エリック……?」

 

「もう大丈夫だからな。とりあえず、こっちに来い」

 

 エリックに手を引かれ、ディアナはそのまま彼の傍へと引き寄せられていく。その際、女達が何の妨害もしてこなかったのは、隣国の王子の突然の出現に驚いてそれどころではなかったからだろう。

 結果的にディアナはエリックに抱き寄せられるような形になったが、それでも、それを拒むような余裕は今のディアナには無かった。

 

「悪い……個人的に気になっていたことを奴らがベラベラ喋っていたものだから、助けに入るのが遅れた。後で、埋め合わせするから……」

 

 一体いつから、エリックは話を聞いていたのだろうか。そう思ったディアナがエリックを見上げると、彼は本当に申し訳なさそうな、悔やんでいるような表情を浮かべていた。

 

「ちょっと、こいつらと話したいことがある。悪いが、宿屋の外で待っていてくれるか? どのみち、お前に道案内を任せたかったんだ。この際、ちょうど良かったと考える」

 

 何を話すつもりなのか、何故自分を追い出すのか。ディアナはエリックの行動の真意を探りたくて仕方がなかったが、今、それをすれば涙が止まらなくなってしまいそうだった。

 

「……分かった」

 

 服の袖で涙を拭い、ディアナはこの場を飛び去ることを選んだ。女達が何やら叫んでいるが、追いかけてくる気配は無い。恐らく、エリックが止めてくれているのだろう。

 

 それをありがたいと思うと同時、ディアナは何故か、エリックを憎いと感じてしまっている自分の存在に気がついた。

 

(何で……)

 

 どうして、助けてくれた少年のことを憎いと感じたのか。ディアナはその疑問の答えに、すぐに気が付いてしまった。

 

 

(そっ、か……これで、私の任務……存在理由、無くなっちゃったんだよ、ね……)

 

 

 ノア皇子を見つけ出し、フェルリオに連れ帰ること。ノア皇子を守ること。それが、それだけが、ディアナの存在意義だった。

 少なくともディアナ自身はそうだと思っていたし、先程の女達も同じように思っていたのだろう――否、元々それすら無いと考えていた可能性の方が高い。彼女らは、自分のことを間違いなく『使い捨ての駒』だと考えていたのだから――。

 

「……ッ」

 

 考えれば考える程、気分が重くなってくる。辛くなってくる。悲しくなってくる。ディアナは急いで宿屋から飛び出し、近くの路地裏へと身を隠した。

 

 

「本当に……私は醜い……醜い、よ……ッ」

 

 エリックに助けてもらいながら、彼を憎んでしまった理由。それは、エリックがあの現場を見ることで、女達が『使い捨ての駒』として再び自分を使ってくれるチャンスをもみ消してしまったこと。

 我ながら馬鹿らしい、とディアナは思った。どうして、そんな馬鹿げたことを望んでしまっているのかと。

 

「……っ、ひっくっ、ふっ、ぇ……うっ、うぅ……」

 

 

――その答えも、ディアナはちゃんと自分の中で導きだせていた。

 

 

「私は……何で、生きてるの……ッ、何で、生まれてきたの……!?」

 

 何故か動かない足。それが何故なのかすら、ディアナには分からない。それどころか、自分が誰なのか、それすらも分からない。

 

 それなのに、ただ髪の色が気持ち悪いというだけで、フェルリオでは酷い扱いを受けた。ラドクリフでは、命さえも脅かされた。

 

「私は……どこで、生きていけって言うの……?」

 

 少女にはもう、どこにも居場所なんて無かった。それでも、彼女は生に固着した。その理由も、記憶を失ってしまった彼女には、到底理解できなかった。

 だから、ディアナは例え自分が『使い捨ての駒』のような存在でも良かったのだ。駒として動いている間は、誰かに必要とされる。そこに、生きる意味を見いだせるから。

 

――彼女は、決して多くのことを望んではいなかった。それなのに世界は、あまりにも彼女に冷た過ぎたのだ……。

 

「死ねって言うなら、殺してよ! 何で、私を生かしたまま、このまま放置するの!? ねえ……誰か、答えてよぉ……ッ!」

 

 ディアナはもうどこにもやり場のない、どこまでも深い悲しみを弱々しく叫んだ。その叫びには、誰も答えてくれなかった。

 

「何で……っ、何でよぉ……っ! うっ、うう……っ、うああぁあああぁ……っ!」

 

 自分ひとりしかこの場にいないのだから、それが当たり前だという考えられる程、今のディアナは平常心を保てていない。

 普段の彼女が必死にこらえている涙は、もはや、止まるということを知らなかった――。

 

 

 

―――― To be continued.

 


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