テイルズ オブ フェータリアン ー希望を紡ぎ出すRPGー 作:逢月
「くそ……っ」
まさか、逃げ出すとは思わなかった。
そもそも目を離したのが間違いであったのだろうが、あの状況である。アルディスが意識を取り戻したという吉報を仲間達にいち早く報告せずにはいられなかったのだ。
(アイツは一体、どこに行ったんだ!?)
手分けして探そうと決めたは良いが、エリックは目を覚ましてからの一週間の間、ろくに外に出ていなかったことを本気で後悔していた。このディミヌエンドの街の構造がさっぱり分からないのだ。
ポプリ曰く、ここはラドクリフ最大の都市であるシャーベルグよりはシンプルな作りらしいが、それでも充分複雑なようにエリックには思えた。
木とレンガの茶色を基調とした、物静かな見た目に完全に騙されていた。街自体はかなり広く、もしかするとアドゥシールどころかルネリアルに匹敵するくらいの設備はあるかもしれない。こんな状況でなければ、見学して回りたいものである。
(事実上の敗戦国とはいえ、もう十年経つんだもんな……)
十年もあれば、色々変わってくるものだ。第一、スウェーラルの被害が極端に大きかっただけで、この街はさほど戦争の影響を受けなかった可能性もある。
すれ違うのは、魔導服を身に付けた人々ばかりだった。この国は魔術に携わる人間が多いのだろう。
そんな人々と衝突しないように気をつけながら、エリックは夜の街を駆けた。フェルリオ帝国内でも銀髪は少ないのか、人違いで他人に話し掛けるようなことが無かったのは幸いだった。それどころかむしろ、フェルリオ帝国内ではエリックの容姿の方が目立つと言っても過言ではない。
(名前叫んだりしたら逆に逃げるよな? 第一、ここじゃ多分“アルディス”って名前の人間多いだろうし……)
以前、ポプリが自分の名前を聞いて「どちらの国もやることは一緒だ」と言っていたのを思い出す。彼女の話が本当なら、アルディスと同名の人間がこの街には溢れかえっている可能性がある。
「エリック!」
どうしたものかと考えを巡らせるエリックの耳に、聞き慣れた――いつものような元気は無かったが――声が届いた。
「……マルーシャ」
小一時間は走り回ったことに加え、病み上がりであることもあってエリックは切れた息を抑えながらマルーシャの名を呼ぶ。アルディスを見付けたかどうかを聞こうとしたが、彼女の今にも泣き出してしまいそうな不安げな表情がその答えを物語っていた。
「大通りも、路地裏も、色んなとこ、見たのに……」
どうしよう、とマルーシャは自分の膝に手を当てて切れた息を整えようと深呼吸を繰り返す。
「正直、もう嫌な予感しかしないんだ」
「え……っ!?」
外にはいないのなら、どこか室内に入っているのだろうと信じたかったが、想定されるアルディスの心境からして、恐らくそれは違う。
だとすれば一刻も早くアルディスを見付けなければならない。それなのに、“該当する”場所が全く思い浮かばない――!
「いっそ、その辺歩いてる奴を捕まえて……!」
エリックがそんなことを考え始めた時、上空からふわりと赤い羽根が落ちてきた。
(ディアナ……)
エリックが上を見上げると、辺りをキョロキョロと見回しながら、必死に飛び回っているらしいディアナの姿がそこにはあった。彼女の瞳は、下から軽く見ただけで分かる程に涙で潤んでいる。
ずっと避けられ続けていたこともあって、何だか彼女の顔を見るのも久々であるように思えた。気まずいのか、マルーシャが少し狼狽えたのが視界の隅に映る。
「待ってくれ、ディアナ!」
「ッ!?」
しかし、このような状態が続くのは決して良いとは言えない。そのまま遠くへ行ってしまいそうなディアナを呼び止めようと、エリックは声を張り上げた。
「え、エリック……」
マルーシャが、不安そうにエリックを見つめる。彼女に向かって困ったような笑みを浮かべた後、エリックは止まってくれたディアナを見上げ、言葉を紡いだ。
「船での一件、本当に申し訳ないことをした……お前にも、不快な思いをさせたよな。これでも僕は、このままで良いなんて、思っていないんだ。ちゃんとアイツに、アルに……面と向かって謝りたい……だから、協力、してくれないか?」
「……」
「僕らよりは、お前の方がこの街に詳しいと思っているんだ。だから頼む! 僕に力を貸してくれ……何となく、何となく、だが……大体、アイツの行き先に察しが付くんだ」
それは決して、口からでまかせの嘘ではない。先程の、目を覚ましたばかりのアルディスが流した涙に、これまでに彼が発した言葉。それが、発想の根拠だった。
「それは、本当か?」
「ああ。正直、外れてくれた方が良いんだが……ほぼ、確実だと思う」
ディアナが、エリックの目線の高さまで降りてくる。大きな青い瞳が、エリックの姿を捉えていた。そんな彼女を真っ直ぐに見つめ、マルーシャも口を開いた。
「ごめん、ごめんね……ディアナ。わたし、何にも知らなかったにしても、本当に、ひどいことをしたし、言っちゃったよね……? でもね、アルディスを助けたいっていう思いに嘘は無いの。だから、今だけで良い! わたし達に、力を貸して……!」
エリックとマルーシャの、真剣な眼差し。それを見たディアナは落ち着き無く視線を泳がせた後、少し目を伏せて静かに喋り始めた。
「謝るのは、こちらの方だ。オレは立場上、アルの話を色々聞かされていたし、オレ自身も思う所があった……とは言っても、言い過ぎた。やり過ぎたと、思っている……」
黒い神衣を震える手で握り締め、ディアナはおもむろに顔を上げる。
「エリック、マルーシャ……すまなかった。それから、ありがとう……あんなことがあったというのに、アルを生かしてくれたこと……助けてくれたこと、感謝している」
状況が状況だからか、そう言ってディアナが浮かべた笑みは、ほんの少しだけ歪なものであった。しかし、『アルディスを生かした、助けた』ことに関してお礼を言われるのはおかしいとエリックは首を横に振るった。
「僕は、当然のことをしたまでだ……そもそも、僕があんなことを言わなければ、ああはならなかったと思う……だからこそ、次の惨劇は未然に防ぎたい。手遅れになる前に」
あくまでも真剣な様子で紡がれるエリックの言葉に、ディアナは不思議そうに首を傾げている。マルーシャも同様であった。
彼女らは、アルディスのあの言葉を知らない。事態を、そこまで重く捉えていない可能性がある。
「ディアナ。この近くに、『誰にも見つからずに死ねるような場所』はあるか?」
「え!?」
「十年前から、変わらずに存在している場所なら、尚更良い……恐らく、アルはそこだ」
誰にも見つからずに死ねるような場所。
エリックの口から飛び出したのは、そこでアルディスが何をするのかを安易に想像できるようなもの。
この言葉に対し、マルーシャは明らかに狼狽えていたし、ディアナも驚きを隠せない様子であった。それでもディアナは、少し悩んだ後にエリックの質問に答えてくれた。
「今から何十年も前に枯れた、地下水脈がこの近くにある。そこに、凶暴化した魔物が生息しているという話も聞いている……だが……」
「他に思い当たる場所がないなら、街の捜索はポプリ達に任せよう。急いで、そこに向かうべきだと思う」
焦りが態度に出始めているらしく、若干早口気味になりながら、エリックは彼女に訴えかける。ただ、あまりにも突拍子もない話に、ディアナはやや混乱気味だった。
「そんな、何故……!」
「今度は確実に手遅れになる! そんな結末、僕は認めたくないんだ!!」
困惑するディアナに対し、突然、エリックが声を荒らげた。それに驚いたらしい彼女は目を丸くして口篭ってしまう。これでは駄目だと、マルーシャが動いた。
「ちょっと、エリック……落ち着いて」
「! そ、そうだよな……悪い」
マルーシャに肩を叩かれ、エリックは胸元に手を当て、深く息を吐き出す。さほど多くはないが、行き交う人々の視線が痛い。ディアナはエリックの顔をまじまじと見た後、翼を軽く羽ばたかせた。
「……分かった。とにかく、案内する。ここで立ち止まってるわけにも、いかないからな」
納得してくれたのか、彼女はエリック達が着いてくるのを見つつ、二人を置いていかない程度の速さで飛び始めた。
「あなたが先程言った条件に当てはまるのは、恐らくあの場所だけだ。確かに、可能性は無くもないからな……それと」
少し息を吐いてから、ディアナは言葉を続けた。
「『そんな結末』を認めたくないのは、オレだって同じだ」
「ディアナ……」
少し足を早め、エリックは前を飛んでいたディアナの横に並ぶ。軽く横を向けば、真っ直ぐに前を見据えている彼女の顔が見える。
「何だかんだ言っても、アルとの付き合いはあなた方の方が、圧倒的に長いんだ。悔しい話だが、オレががむしゃらに飛び回るより、エリックの勘に頼った方が良い」
「……わたし達、本当に、アルディスのことを理解できてたわけじゃないんだよ?」
ディアナを挟むように、エリックとは反対側に並んだマルーシャは、泣いてしまいそうなのを隠すような、無理矢理作ったような笑みを浮かべている。それを見たディアナは同じように、笑みを作って口を開いた。
「そうかもしれない……けれどアルディスにとって、あなた達が大切な存在だったことは、きっと変えようのない真実だと、オレは思っているよ」
「!」
例え、八年に渡って真実を伏せられ続けていたとしても――ディアナの言葉に、エリックは内心、救われるような気持ちだった。だからこそ、彼女の思いに答えることができればと思う。
(頼むから、無事でいてくれよ、アル……!)
近いとは言えども中心街からは離れるため、走れば走る程に人の気配は薄れていく。そんな事は気にも留めず、三人は枯れた地下水脈へと向かっていった。
▼
「ここだ。ここを下っていけば、地下水脈に辿り着く」
ディアナに案内されたそこは、本当にディミヌエンド中心街の近くにあった。この分だと、中心街の真下にも水脈が伸びているかもしれない。
目の前に現れたのは、人工的に作られた洞窟。草木に覆われた大地がぽっかりと口を開け、簡易的な階段が下への道を作っている。しかしその先は漆黒の闇に包まれているため、ここからでは確認不可能であった。
「明かりはオレが魔術で何とかするとして、戦闘はあなた方にある程度任せて良いか? 実は、全く関係のない魔術を発動させながら戦った経験がないんだ」
「分かった。ただ、今回は戦うのは程々にして逃走メインで行った方が良いだろうな」
「そうだね……わたし達全員、まだまだ本調子じゃないもんね」
そう言いつつもマルーシャがレーツェルを杖へと変えるのを見て、エリックも首のレーツェルを宝剣へと変化させる。ディアナもそれに続き、右足のカードケースから適当に三枚のタロットカードを引き抜いた。空気に触れると同時、それらは炎を纏い、ディアナの周りに浮かび上がる。
「それで良い。とにかく、中を探索しよう……あまり、無理はしないようにな」
ディアナが先に進み、三枚のカードが闇を照らす。迷うことなく、エリックとマルーシャはその後を追った。ディアナがかなり速度を落として飛んでくれていたために、追いつくのは容易なことだった。
確かに水が流れている気配はなかったが、じめじめとした不快な湿気を感じられた。
崩れ落ちるのを防ぐためなのか、ところどころに木製の柱が立っている。
「なあ、ディアナ」
「ん?」
「こんな時に何だが、聞きたいことがある。歩きながらで良い。話せることなら、話して欲しい」
何だ? と飛びながらもこちらに視線を移してくれたディアナが首を傾げる。彼女からは目を反らさず、エリックはそのままマルーシャに声を掛けた。
「僕ひとりで抱えとくのは、正直辛い内容なんだ……マルーシャ、悪いが一緒に聞いて、一緒に考えてくれると、助かる」
「……うん、分かったよ」
突然の話にマルーシャは少し動揺しているようだが、仕方の無いことだろう。エリックは辺りを見回しつつ、口を開いた。
「アル、さ。自分のこと、“失敗作”だって言っててさ。お前、理由知ってるか?」
「え……」
『生まれ、た時……から、俺は“失敗作”だって、皆、分かってたのに……ッ、それでも、成長を期待して貰え、たのに……皇位継承を、認めて、もらえたのに……』
――失敗作。
『結局俺には、存在意義なんて無いんだよ……ッ!!』
あの日、アルディスが泣きながら紡いだ言葉。
『やっぱり、俺は“いらなかった”……分かってた。だから、もっと早く……いや……』
そして彼は自らの腹を貫き、海に身を投げた。
『最初から、こうすべき……だった、んだ……』
「……」
思い出したくもない出来事だ。それでも、あの言葉の意味が、どうしても気になっていた。
エリックの問いに、ディアナは目を伏せつつ奥歯を噛み締めていた。この様子だと、理由を知っているらしい。すぐに答えようとしないのは、それなりの事情あってのことだろう。
「言いにくいなら、構わないが……」
「いや……どうせこの国の人間なら皆知っている話だ。ここでオレが言わずとも、いずれはあなた方の耳に入るに違いない。それでも本人には、オレから聞いたとは言わないでくれ」
「……うん、分かった。約束、するね……」
意外にも、それはこの国では有名な話らしかった。エリックとマルーシャがおもむろに頷くと、ディアナは一瞬だけ視線をこちらに戻し、軽く翼を上下に動かした。
「アルの母親であるセレネ女帝は、若い頃から本当に優れた魔術師だったそうだ。彼女の子は、戦で活躍できる、素晴らしい力を持った魔術師になるだろうと期待されていたんだ」
「……ん? 何だか、優れた王になる事より優れた戦力になることを期待された……と、取れるんだが」
「ああ。その解釈で間違っていない……何というか、当時はそれが全てだったのだろう。戦争とまでは言い難いが、武器を用いた争いが頻発するだとか、双国の関係悪化はその頃からだという話だからな」
ディアナの話は『誰かに聞いた』と言わんばかりの語り口調だったが、彼女は記憶喪失だ。自分自身のことだけではなく、歴史的事実についても記憶が怪しくなってしまっているのだろう。ただ、だからこそ彼女は客観的に真実を述べることができていた。
シックザール大戦は一年間、という説が通説なのだが、中にはそれ以前から何年にも渡って大戦が続いていたと主張する人間も存在する。それも一理あるのだが、ディアナの言う通り規模が全く違うのだ。
エリックは現場を見たことがないためにシックザール大戦の悲惨さは書物を用いた形での把握しかしていないのだが、推定犠牲者の数や使用された武器の数からしてそれは明らかである――それでも、武器を用いた争いが大戦前から行われていたことは事実だ。
技術発展という意味ではラドクリフに大きく遅れを取っていたフェルリオでは、生身の人間の戦力が大きな要となっていたのだろう。それは本当に、悲しい話だった。
「じゃあ、アルディスは期待通り、素晴らしい才能を持った魔術師として生まれたってことだよね?」
「正解と言えば正解だが、実際は少し違う」
ここで、再びディアナは黙り込んでしまった。そういえば、とエリックは思う。ここまで話を聞いていて、一度も彼が失敗作だと己を蔑む理由が登場していないということを。
エリック達の少し前を飛んでいたディアナは軽く頭を振るい、その場でぴたりと止まってしまった。
「ディアナ……?」
小走りで真横に並んだエリックとマルーシャの顔を真っ直ぐに見据える彼女の青い瞳は、どこか辛そうに細められていた。そして彼女は、おもむろに口を開いた。
「アルディス=ノア=フェルリオ。彼は別名、“フェルリオの英知”とも呼ばれている……この言葉自体は、あなた方も、知っているだろう?」
「あ、ああ……けれど、別に悪い意味じゃ無いだろう? それ」
「やはり、勘違いしていたようだな……前にあなたの口から“フェルリオの英知”という単語を聞いた時、そうではないかと思ったよ」
「!?」
『……。質問を質問で返そうか。お前は、隣国の……“フェルリオの英知”と呼ばれたフェルリオ帝国第一皇子の真名を、知っているか?』
エリックを、ずっと苦しめ続けた存在。それが、噂でしか知らないノア皇子であった。
同い年の、当時八歳の幼子にも関わらず、戦場で功績を残した自分とは全く逆の存在――ただ、それだけでエリックにとっては酷く重荷に感じられたのだ。
だからこそ、エリックは“フェルリオの英知”という言葉に対し、あまり良い感情を抱いていなかった。意味はよく知らなかったが、どうせ彼の功績を称える言葉なのだろうと。
「じゃ、じゃあ……どういう意味、なの……?」
そしてそれは、マルーシャも同じであるらしかった。ディアナは力なく首を横に振るい、エリックとマルーシャを真っ直ぐに見据えて口を開いた。
「フェルリオの英知――この言葉の持つ本当の意味は、『フェルリオが持てる全ての知識を結集して造り出した殺戮兵器』だ」
「――ッ!?」
「アルディスは、聖者一族ではないリッカ出身の
紡がれたのは、あまりにも衝撃的な事実。声にならない声を漏らし、マルーシャは黄緑色の目を大きく見開いている。信じられない、とでも言いたげであった。
人為的に、多くの下位精霊を母体に流し込む。それがどのようなことなのかはエリックには分からなかったが、とんでもない話であることだけは理解できた。困惑するエリックの隣で胸を押さえ、ディアナは話を続ける。幸いにも、辺りに魔物の気配は無かった。
「下位精霊云々の詳しいことは、オレにも分からない。ただ、ヴァイスハイトの誕生には精霊が関わるという話だからな。恐らく、多くの下位精霊を母体に流し込むという行為は、人工的に赤子をヴァイスハイトにする方法だったんだろう」
フェルリオの英知、という言葉が持つ真の意味――アルディスは、殺戮兵器となるべくこの世に生を受けたという事実。
「……」
……アルディスは、人間だ。
綺麗なものを見て感動したり、美味しいものを美味しいと言ったりできる人間だ。
傷付けば痛みに悶え、苦しい時には呻き声を上げる、ごく普通の人間なのだ……それなのに。
奥歯を噛み締め、震えるエリックを、ディアナはどこか悲しげな瞳で見つめている。恐らくは彼女も、同様の思いを抱いているのだろう。
「リッカの
ディアナの話によると、歴代のフェルリオ皇帝達は皆、聖者一族同士の間に生まれた男児なのだという。セレネ女帝のように例外的に女帝が誕生した例もあるが、それはあくまでも一時的な物だ。
しかし十八年前、この国は強い子を誕生させるためだけにその流れを捻じ曲げ、他の一族の者を王家に引き入れた。それだけ緊迫した状況だったのだろうが、エリックはかなり複雑な思いを抱かされた。
「勿論、純粋な聖者一族でない者が皇帝家として認められるはずは無かったし、加えて彼は、この国では差別の対象でもある失翼症として生を受けてしまった。だから、アルの存在はもみ消される筈だった……セレネ女帝が、死去するまでは」
「え……」
「ただでさえ、ヴァイスハイトの出産は母体に壮絶な負荷が掛かるという。そのうえ、彼女は下位精霊を流し込まれるという得体の知れない実験を、アルディスが生まれる前を含め何度も受けているんだ。むしろ、一年後に皇女、アルカ姫を出産され、それから四年は生きていられたことの方が奇跡だろう」
アルディス――ノア皇子に妹がいることは、一応エリックも把握していた。
その姫の名は、シンシア=アルカ=フェルリオ。
流石に彼女まで戦に引っ張り出されることはなかったらしく、詳しい記録は残されていない。そのため、エリックもその存在と名前以外は何も知らなかった。
「セレネ女帝は両親を早くに亡くされ、兄弟も居なかったんだ。しかも、皇位を継げるような親族は周りにいなかったから、もしアルカ姫が聖者一族との間に生まれた子であれば恐らく彼女が、もしくは後に彼女の旦那となる男性が継承権を得ていたことだろう」
それは大体想像が付いた。現在のラドクリフ王国同様に女性が皇位を継いでいる時点で
大方そんな事情だろうし、第一子であるアルディスの存在を抜きにするなら、アルカ姫に継承権がどうこうの話が行くのも理解できる。ただ、ディアナの話からして、どうやら彼女も訳ありだったようだ。
「しかし、彼女とアルの父は同一人物だった。これまた純粋な聖者一族の血統じゃなかったわけだ。というわけで、アルカ姫も同様に存在をもみ消されかけていたんだ」
「ッ、本当に徹底されてるんだな……」
「ひどいよ、そんなの……ッ、なんで、そんなこと、できるの……!?」
「……それが、この国なんだよ」
フェルリオ帝国由来の信教的なものなのだろうが、異常である。どうして彼らがそこまで拒まれなくてはならないのかと、エリックは眉を潜めた。マルーシャは肩を震わせ、こらえきれなかった涙を零していた。
「だが、彼女の存在もろとも、アルの存在が何故か国民に漏れたんだ。彼の出生に纏わる、重大な秘密を含めて」
多分、城内部の人間が密告したんだろうなとディアナは目を伏せる。悲しい兄妹の存在を、世間に知って欲しかったのだろう。
そして、セレネ女帝の死の理由は間違いなく大臣達の実験によるものだった。当然ながら、大臣達は国民から酷く非難されたという。
「結果として、この計画の発端となった大臣達は全員処刑された。そして……タイミングが悪いことに、ここでこれまでとは比にならない争い、シックザール大戦が勃発してしまったらしいんだ」
「――!」
「だが、敵国に皇帝がいないと悟られる訳にはいかなかった。それで、アルと姫の父である漣イツキが皇帝の座に付くという異例の対応となった。ちなみに、アルが次期皇帝の継承権を得たのは、彼のシックザール大戦中を含む戦場での凄まじい功績が、何とかお偉い貴族達に評価されたから、らしいぞ」
それは本当に、皮肉な話だった。大臣達が非人道的な行いをすることで生まれた子どもは、彼らが望むような力を持って生を受けた。そして、その力があったからこそ彼は次期皇帝として認められたのだ――本来であれば、存在さえも認められぬ立場にあったにも関わらず。
「ッ、何だよ、その話……! 何で、そんな……ッ、そんな奴に、僕は、あんな言葉を……」
声が震える。声だけでなく、身体も震えていた――あまりにも残酷な、話だった。
ショックのあまり、酷く狼狽えてしまったエリックの顔を覗き込むように前に立ち、ディアナは緩やかに首を横に振った。その表情は、やはり悲しげだった。
「結果としてあなたも、異端である彼の存在に苦しめられた。それも、事実だ」
あの時、ディアナがエリックに手を上げたのは彼女が、この話を知っていたからに他ならない。
それを今更知ったエリックは、爪で手袋を裂きそうな程強く、両手を握り締めた。
「アイツはきっと、全部知ってたんだろうな……まだ、十歳にも満たない子どものうちから、自分が歪んだ存在だって知ってて……だから、あんな……」
あの時の、彼の“失敗作”という言葉は、自分は戦争のために、“兵器”になるために生まれてきたと知っていたからこそ出てきた言葉。
それでも彼は、アルディスは、生きた生身の人間だというのに――!
「エリック、あなたは彼から何か聞いていたのか? 先程から、何か悟ったような様子だが」
様々な感情で頭の中をかき乱されていたエリックを呼び戻したのは、心配そうに顔を覗き込むディアナの声だった。彼女の問いに、エリックは声が震えそうになるのをこらえながら答えた。
「ああ。アイツに拘束された時にな……アル、自分に存在意義はないだとか言ってたんだ。お前の話聞いて、全部繋がった……嫌な、方向にだけどな」
「そんな……!」
彼は何も悪くないのに、とディアナは頭を振るう。それに関しては、エリックも全く同意見だった。
兵器として生きることを強制された少年は、絶望のどん底に叩き落とされている。誰かが手を差し伸べてやらなければ、数多の意味で手遅れとなってしまうだろう。
「僕がこの地に来たのは、シックザール大戦のような誤ちを繰り返さないためだ。そのためにも、アルの……ノア皇子の死は、絶対に防がなければならない」
「……」
「ディアナ?」
ぴくり、とディアナの耳が動いた。何かを聴き取ろうと、集中しているらしい。
その場に浮遊したまま前に進まなくなってしまったディアナの様子を、エリックは無言で眺めていた。マルーシャも、涙を拭ってディアナを見つめている。聴覚、要するに音に関する情報の入手は彼女に頼った方が確実だ。今、彼女を邪魔してはならない。
「……あなたの判断に、従って良かった」
「! 何か、聴こえたんだな?」
「ああ……遠くで大型の魔物が暴れまわっているのだろう。誰かが縄張りに侵入しただとか、そういった理由で、だろうな」
ディアナ曰く、ディミヌエンドの住民がこの場所に好き好んでやってくるとは到底思えないとのこと。
そして魔物は縄張り意識が強い上に弱肉強食の世界を生きている存在だ。うっかり強い魔物の縄張りに入り込むような、馬鹿な魔物がいるとは考え難い。
「ッ、急ぐぞ、エリック、マルーシャ!」
「当たり前だ!」
「うん!」
この先にアルディスがいるという可能性。それはかなり、有力になってきた。三人は途中の魔物を上手くかわしながら、全力で薄暗い空間を駆けた。
▼
駆け抜けた先にあった、微かに光が差し込む開けた空間。
そこで待っていたのは、熊のようなズッシリとした身体に鋭い爪を持つ、巨大な魔物だった。
「な、何……あれ……」
黒い毛に覆われた顔から覗く眼光は鋭く、思わず身震いしたくなる程の殺気を放っている。
「あれは、グレムリーベアか!? 無理だ……ハッキリ言って、今のオレ達が勝てる相手じゃない! エリック、マルーシャ! 気をつけろ!!」
本当に、とんでもない魔物と出くわしてしまったらしい。ディアナの言葉に、エリックは奥歯を噛み締めた。
だが、グレムリーベアがこちらに襲いかかってくる気配はない。ベアはエリック達の姿を一瞥したかと思うと、すぐに別の方向を向いてしまった。
それは何故なのか、ベアは一体何を見ているのか――黒い毛の間から、微かに見えた白銀の髪と白い肌が、その答えを教えてくれた。
「ッ!」
剣の柄を握り直し、エリックは危険を承知で走り出す。それを見たマルーシャとディアナは、すぐに魔術の詠唱を開始した。
「彼の者を見えざる檻にて封じ込めん! 風よ! ――バニッシュゲイン!」
「集いて爆ぜよ、紅蓮の砲弾! ――ファイアボール!!」
マルーシャの術によって、グレムリーベアの動きが止まる。その直後、複数の火炎弾が、ベアの背に命中した。毛の焼ける嫌な臭いが、辺りに広がる。振り返ったベアの赤い目が、ディアナの姿を移す。
「あなたの相手は、オレだ……さあ、来い!!」
グレムリーベアの咆哮が、空間に響き渡る。口から唾液を撒き散らし、ベアはディアナに襲いかかった。圧倒的な巨体を前に、ディアナは微かに身体を震わせる。それでも、逃げるわけにはいかないと胸元のレーツェルに触れ、一気に天井付近まで飛び上がった。
「
衝撃波を放つと同時、一気に急降下してグレムリーベアを斬りつける。しかし、刃がベアの硬い皮を切り裂くことはなく、数本の毛を宙に散らしただけだった。
「ディアナ! 無理はするなよ!」
「分かっている!」
ほとんど身体を滑り込ませる形で、エリックはグレムリーベアの傍をくぐり抜けた。幸いにも、ベアには気付かれていないらしい。ディアナが上手く囮になってくれていた。
「見間違いじゃ、なかったみたいだな……」
ベアの相手はディアナに託し、エリックはぐったりと壁に寄りかかっている白銀の髪の少年へと手を伸ばした。
意識を手放しているらしい彼の顔色は決して良くはない。壁に叩き付けられたらしく、寝巻きから覗く肌には内出血の形跡も見られる。そんな彼の肩を掴み、エリックは祈るような思いで声を荒らげた。
「アル! おい……しっかりしろ!」
呼び掛けに反応したのか、閉ざされた右目を覆う睫毛が微かに動いた。
「ッ、う……」
「アル!」
不幸中の幸い、グレムリーベアから致命傷になるような攻撃はまだ受けていなかったらしい。だが、武器も持たず、寝巻き姿でこんな所までやってきた彼の身体は傷だらけだった。
裸足でここまでやって来たせいなのか、途中の魔物にやられたのかは分からないが、彼の両足はいくつもの深い裂傷を刻んでおり、流れた血が赤黒くこびり付いていた。間に泥の入り込んだ爪は、全てではないにしろ数枚割れてしまっている。
「え……」
「良かった。何とか、間に合ったらしいな……」
荒い呼吸と、冷えきって震えの止まらない身体。あまりにも痛々しい状態ではあったものの、命に別状は無さそうだとエリックは安堵する。
「君は……君達は、どうして、こんな……ところまで……っ!」
「……」
消え入りそうな、弱々しいアルディスの声。体力的にも精神的にも限界らしく、彼がエリックの腕から逃れようとする様子はない。
「話は後だ! ディアナ、マルーシャ!」
とにかく、目の前の巨大な魔物とまともにやり合うだけの戦力がこちらにない以上、のんびりしている余裕はない。喜んでいる場合ではないのだ。
エリックは目の前のアルディスを抱き抱えると同時に顔を上げ、天井付近を飛び回るディアナとマルーシャに声を掛けた。
「オレは平気だが、やはり勝てる相手ではない……引き返すぞ! あなた方が先に進んでくれ!」
グレムリーベアの相手をしながら、明かり代わりに魔術を使っているせいだろう。ディアナの消耗が速い。最初に話を聞いていただけに、エリックはそれに気付くことができた。
しかし、アルディスを抱えたまま戦闘などできる筈もないし、マルーシャは根本的に戦闘向きではない。エリックはせめて足手纏いにならぬようにと、ディアナの指示通りにエリックは来た道を逆走し始めた。マルーシャがそれに続き、その少し後ろに、ベアを錯乱しつつも自分達を追うディアナの気配を感じる。
「無理を承知で言うが、なるべく急いでくれ! この魔物、かなり移動速度が速いんだ!」
「分かった!」
そう言われてみると、確かに地響きが起こる感覚が狭い。時折聴こえてくる咆哮も、かなり近くから聴こえてくる。振り返ってその様子を確認する暇は、とてもではないが無さそうだ。
「うぁっ!!」
そんな時、不意にディアナの悲鳴が聴こえた。彼女はエリック達を飛び越える形で吹き飛ばされ、そのまま地面に叩きつけられるように転がった。
「ディアナ!」
マルーシャの悲鳴に近い声が響く。その声に応えるように、ディアナは身体を起こした。上手く受身を取れたらしく、ディアナ自身が深刻な傷を負うようなことはなかったようだ。
「まずい、やられた……!」
しかし、彼女の使うレイピアが無残にも二つに折れ、傍に転がっている。剣がレーツェルに戻る気配は無い。完全に駄目になってしまったらしい。
「僕がアレを引き付ける! マルーシャ、ディアナ! アル連れて逃げられるか!?」
「む……無理だ! 第一、あなたを置いて逃げるわけには……っ」
迫り来るグレムリーベアの姿に、エリック達は成す術が無くなってしまった。それこそ、誰かが犠牲になるしか方法が無いように思える――その時。
「……ッ、収束せよ、瞬きの光! ――フォトン!」
アルディスの声と共に、グレムリーベアの真上で光が爆発した。頭を焦がされた痛みにベアがもがき、再び咆哮する。
「アル!!」
エリックの腕の中で酷く咳き込みながら、アルディスは小刻みに身体を震わせている。呪いの影響を受けるのは下級術でも同じらしく、彼は右の二の腕を押さえていた。
「かは……っ、ぐ……っ」
「あなた、何を考えているのですか!? 自分の身体のことを、分かっていながら……っ!」
「分かっているからこその行動だよ!」
ディアナの叫びに、アルディスは荒い呼吸の中で声量を上げた。激痛のせいか否か、炎に照らされた翡翠の瞳は、僅かだが涙に濡れている。
「皆、俺を置いて逃げろ……っ! 第一、最初から、そのつもりだったんだ……!」
「――ッ!」
分かってはいた、言葉だった。だが、悲惨な彼の過去を知ってしまった今、彼の言葉はより悲しく、重々しくエリックの耳に届いた――ディアナのファイアボール同様に下級術にも関わらず、グレムリーベアにかなりのダメージを与えたフォトンの威力が、あの話は“真実”なのだと切実に物語っていたから。
「ふざけるな! ここでそれをするくらいなら、僕はこの場でお前と心中してやる……お前はいい加減、僕らの気持ちを察したらどうだ!?」
込み上げてくるのは、未だに簡単に自分の命を投げ捨てようとするアルディスへの、ここまで彼を狂わせてしまった人々への、自分自身への、行き場の無い怒り。
「ッ、なん、で……っ」
「エリック! 来るぞ、下がれ!!」
フリッカーの衝撃から立ち直ったグレムリーベアが起き上がり、四人の元に向かってくる。それに気付いたディアナは刃の折れたレイピアを手に、ベアの前に飛び出した。
「ディアナ! 無茶だよ!」
「死ぬ気はないから安心しろ! あなた達は先に行ってくれ!!」
そんなことできるか、とエリックは頭を振るう。マルーシャも同じ反応をしていたし、アルディスに至っては満足に動かない身体でディアナの手を掴もうと手を伸ばしていた。
(ディアナ……!)
彼女を、信じて逃げるしかないのか。
しかしこれでディアナに何かあれば、自分は一生この選択を後悔し続けるだろう。だからといってここに留まれば、恐らくアルディスとマルーシャをも巻き込むことになる。一体、どうすればいいのか。
『君、空っぽ』
『何で? 何で?』
『不思議。変なの』
――謎の声が聴こえたのは、そんな時だった。
「え、エリック、下位精霊が……」
「! こいつら……何で、急に……」
マルーシャの言葉に、エリックは自身の周りに色鮮やかな下位精霊達が寄って来ていることに気付いた。近くにジャンクがいるのかとも思ったが、そんなことは無さそうだ。
一体どうして、と考えるよりも先、エリックはアルディスを地面に下ろし、右の手のひらをグレムリーベアへと向けていた。
「!?」
「なっ!? エリック、何をしている!?」
振り返り、叫んだディアナの問いに対し、「それはこっちが聞きたい!」と叫びたかった。
しかし、エリックの身体はまるで糸で操られるマリオネット人形にでもなったかのように言うことを聞かなかった。
そうこうしている間にも、ベアは迫ってくる。皆が焦り始めた、その刹那。
ベアの巨大な身体が、後方に大きく飛んだ。
「エ、リック……?」
「……」
何が起こったのか、理解できなかった。
ただ理解できたのは、突如現れた薄青の魔法陣が、ベアに向かって光線を放ったということ。
――そして、その魔法陣を、『エリックが出現させたらしいこと』だけであった。
「ッ、え……? な、な、何、が……僕は、一体……」
「エリック……今、一瞬だけ、あなたの右目……」
身体の自由が戻り、酷く狼狽えるエリックの目の前で、ディアナは驚きを隠せない様子で声を震わせている。
しかし、彼女は言葉の続きを発することなく、静かに首を横に振った。
「……行こう。いつ、ベアが復活するか分からないから」
そう言ってエリック達の前へと移動したディアナの提案は間違っていない。エリックは奥歯を噛み締めつつもアルディスを抱え、重い足取りでマルーシャと共にディアナの後を追い始めた。
―――― To be continued.