テイルズ オブ フェータリアン ー希望を紡ぎ出すRPGー   作:逢月

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Tune.30 果たせない約束

 

 

「嘘、でしょ……!?」

 

 エリックとアルディスの姿は、一瞬のうちに見えなくなってしまった。信じられない、とマルーシャはおもむろに頭を振るう。

 

「まさか、二人とも落ちるなんて……!」

 

 青の瞳を丸くし、ディアナは声を震わせる。二人が崖先に居た時点で、その可能性があることは分かっていた。だが、アルディスが己の腹を貫き、エリックは自ら崖から飛び降りるなどと、誰が思ったことか。

 

「エリック……ッ! アルディス!!」

 

 二人とも、海水に浸かって良いような状況ではなかった。チャッピーの手綱を引き、ディアナは慌てて崖先へと向かう。

 

 

――水面が、突き出した岩の一箇所が、明らかに赤く染まっていた。

 

 

「え……」

 

 最悪の事態を想像し、ディアナは手綱を強く握り締める。

 そんな彼女らの傍に、マルーシャとジャンク、ポプリも集まってきた。軽く深呼吸してから、ジャンクは静かに口を開いた。

 

「マルーシャ、エリックは泳げるんですよね?」

 

「う、うん……エリック、泳ぎは得意、だよ」

 

「なら……とりあえず溺死の可能性はない、か……」

 

 それは、生存を願う問い掛け。しかし彼は決して「大丈夫だ」と言い切ることは無かった。というのも、エリックが元々負っていた傷の酷さと、所々突き出した岩の鋭さを考えてのことだろう。もし、その岩が身体を深く引き裂いていたとすれば、生存は絶望的だと言っても過言ではない。

 

「! あ……!」

 

 しかし、最悪の事態はまぬがれたらしかった。ボコボコと水面に泡が浮かび、はじけていく。

 その直後、完全に意識を失ったアルディスを抱えたエリックが、水面から顔を出したのだ。

 

「エリック君……! 良かった、大丈夫だったみたいね……ッ」

 

 半泣きで叫ぶポプリに、エリックは器用に立ち泳ぎを続けながら目を伏せてしまった。

 

 

「……何とか、なったらしい。僕は、な」

 

「え……?」

 

「アルの出血量が、異常なんだ。分かるんだ、もう、コイツはそんなに長く持ちそうもない……」

 

 それなのに、とエリックは顔を上げ、辺りを見回す。

 この一帯は高い崖ばかりで、上陸できそうな陸地がなかったのだ。

 

「ッ、そういえば、短剣を引き抜いていましたからね。刺さったままになっていれば、まだ救いはあったというのに……!」

 

「そんなっ!? ジャン、何とかならないのか!?」

 

 今にも泣き出してしまいそうなディアナから目を背け、ジャンクは何かを考え始めてしまった。この状況を打破するにはどうすべきか、考えているのだろう。

 上陸出来る場所を探す猶予は無い。そもそも、そうなるとアルディスどころかエリックの体力が持つかどうかも怪しくなってくる。

 

「そうだわ! ロープを垂らして、二人を引き上げれば……っ!」

 

「……恐らく、無理でしょう」

 

 ポプリの案を、ジャンクは即座に却下してみせた。どうして、と琥珀色の目を潤ませるポプリには目もくれず、ジャンクは再び崖下へと顔を向けた。

 

「あの血は、アルの物だけではありません。恐らく、落下の際にエリックは避けきれなかった岩で身体を切り裂いている……推測できる出血量からして、今のエリックにこの崖を登りきるだけの力は無いと思うんだ」

 

 エリックの姿が見えずとも、流れた血の量だけは感じ取れたのだろう。赤く染まった水面は、徐々にその範囲を広げていく。ジャンクの言葉を否定することもできず、エリックは俯いてしまった。どうやら、本当に身を傷付けてしまっていたらしい。

 

「岸壁を蹴って、落ちる方向を微妙に変えるだけで精一杯だったんだ。申し訳ない……」

 

「……落下位置から考えるに、お前の判断がなければアルは今頃、串刺しになって即死だっただろう。少なくとも、間違った行動ではなかった筈ですよ、エリック」

 

 ただ、ポジティブに考えていられるのも時間の問題だろう。ロープで崖をよじ登るのは不可能だ。なら、他の案を考えなければ。

 しかし、そう上手くはいかないのが現実で。誰かがロープで下まで降りて二人を引き上げるという意見も出たが、マルーシャやポプリの力でそれをするのは不可能に等しい。ジャンクに至っては重傷だ。

 そもそも、仮にジャンクが無傷だったとしても、小柄なアルディスはともかくジャンク以上に体格の良いエリックを引き上げるのは困難だろう。だからといって悠長に片方ずつ助けていては、もう片方が手遅れになってしまう可能性がある。

 

「くそ……っ、どうすれば……!」

 

 奥歯を噛み締め、ディアナは目を細める。翼を失っている以上、彼女は完全に戦力外だ。どうすることも出来ないと、ディアナは服の裾を握り締め、固く目を閉ざしてしまった。

 

 その時、水面がバシャンと大きな音を立てた。音に反応してディアナが下を見ると、今にも沈んでしまいそうなエリックの姿が、そこにあった。

 

「! エリック!!」

 

「ッ、かはっ、く……っ、くそ……っ!!」

 

 何とか体勢を立て直そうと必死にはなっているが、一度崩れた体勢はなかなか元には戻らない。考え込んでいるうちに、エリックの体力が限界を迎えてしまったのだ。

 

「ど、どうしよう……っ、やっぱり、わたしも飛び込んで……っ」

 

「駄目よ! そんなことしたら、結局……っ」

 

「じゃあどうするの!? ねぇ……っ、どうすれば良いの!?」

 

 とうとう泣き出してしまったマルーシャの身体を押さえ込むポプリも、必死にこぼれそうになる涙をこらえているような状況で。ディアナも絶望のあまり、何の言葉も発することなく激しく波打つ水面を眺めている。

 

 

――誰も、何もできないというのか。

 

 

 海に沈もうとしているエリックとアルディスの姿を、“三人”はどうすることもできずに見つめていた。

 

 

「……そう、ですよね。もう、他に手段は……無いんだ」

 

「え……?」

 

「背に腹は代えられません……どうか、僕に力をお貸し下さい!」

 

 その空気を打ち破ったのは、今まで黙り込んでいたジャンクだった。

 彼の叫びと共に、数多の下位精霊達がこの場に集い始める。何もなかった大地に、青と緑、巨大な二色の魔法陣が展開された。

 

「せん、せい……?」

 

 輝きを放つ魔法陣の上で、ポプリは不思議そうに良く見知った青年の横顔を眺める。否、よく考えてみれば、自分は彼のことを何も知らなかったではないか。

 この明らかに異様な彼の姿は、今まで一度も見たことの無かった物。それどころか、彼の家族構成や故郷、本当の名前さえもポプリは知らずにいた。

 

「あなた方を……私のような者が使役すること、どうかお許し下さい」

 

 ジャンクが腰に巻き付けていた黒い布が、白衣の裾が、地面から巻き起こる突風になびく。りん、りんと涼しげな鈴の音が荒地に響いた。

 

 

「――精霊の使徒(エレミヤ)、クリフォード=ジェラルディーンの名において汝らに命ずる! 我が呼び掛けに応え、ここに出てよ! ……ウンディーネ、シルフ!!」

 

 

(クリフォード……)

 

 嗚呼、それが彼の本当の名前だったのか――今まで、ずっと隠されてきた名は、これまで彼が名乗ってきたそれとは全くの別物で。

 だが、そんなことよりも彼の告げた“精霊の使徒(エレミヤ)”という単語、そして彼の目の前に現れた二人の人物の姿にポプリは衝撃を受けていた。

 

『おいおい、マジかよ……お前、自分が何をしたか分かっているんだろうな……?』

 

 最初に話し出したのは、深緑の短い髪をした藍色の瞳の青年。民族調なデザインの独特な衣服を纏い、虫のような半透明の羽を持つ彼はジャンクと同じくらい、もしくは少し上くらいの年齢に見えた。

 

「……いかなる処罰も覚悟の上です」

 

『クリフォードちゃん……』

 

 そしてジャンクの本当の名を悲しげに呟いたのは、深い、青の髪をした琥珀色の瞳を持つ美しい女性。もみあげだけを伸ばしたような髪型をした彼女の衣服の一部は、何故か宙に浮いた状態で存在していた。

 どちらの人物も、耳の形状が異様だった。青年は白い羽のような形状、女性は、青いヒレのような形状。それは明らかに、人のものではなかった。あのような耳を持つ種族の存在など、聞いたことがない。

 

(な、何なの……?)

 

 ウンディーネ、シルフ、とジャンクは彼女らのことを呼んでいた。ウンディーネもシルフも、アレストアラントに伝わる七大精霊の名である。愛称だと考えることもできたが、彼女らの風貌からしてそれはないだろう。もはやポプリには、現れた二人が本物の精霊であるとしか思えなくなっていた。

 

 

「ウンディーネ、あなたはエリックとアルディスを海から引き上げて下さい。シルフは、それを手伝って頂きたいのですが……それと恐らくはもう一つ、あなたには別のお願いをすることになるかと思われます」

 

 ウンディーネ達の様子を見る限り明らかだったが、彼女らはどうやらジャンクと面識があったらしい。そのせいなのか、ジャンクは精霊を前にどこまでも冷静だった。

 

『分かったわ。だけど……』

 

『ウンディーネ。話は後だ。どのみち……もう、どうにもならない話だろ』

 

『そう……よね』

 

 おもむろに、ウンディーネが長い袖に隠された手を前に突き出した。シルフも、それに続く。

 刹那、海が割れ、そこから救い出されたエリックとアルディスがゆっくりと陸地に下ろされた。

 

「ッ!? エリック、アルディス……!!」

 

「ふ、二人共、無事か!?」

 

 この異様な光景に絶句してしまっていたのは、ポプリだけではない。マルーシャもディアナも、エリックとアルディスの姿を見て少しの間、何の反応もできなかったくらいには状況を飲み込めずにいた。

 

 

「げほっ、ごほっごほっ!!」

 

 慌てて空気を吸い込んだためか、エリックは酷く咳き込んでいる。それでも、海に沈みながらも異変には気付いていたのだろう。顔面を蒼白にしたまま、エリックはジャンクの姿を見付めていた。

 

「は……っ、はぁっ、はぁ……」

 

「……。ディアナ。僕らは、エリックの傷を癒します。マルーシャ……アルを、頼む」

 

 荒い呼吸を繰り返すエリックの左足は、ジャンクの推測通り広範囲に渡って深い裂傷を刻んでいた。少しの間だったとはいえ、これで立ち泳ぎを続けるのは苦痛の伴うものであったことだろう。

 

「アルディス……」

 

 それでも、より深刻な状況なのは、明らかにアルディスの方だった。血の気の引いた、真っ青な顔から生気は一切感じられない。彼が自ら貫いた腹からは未だに血が流れ続けている。何より呼吸はほぼ、止まりかけていた。

 

「今、治すからね!」

 

 治癒術の詠唱に入ったマルーシャの目に、もはや迷いは無かった。

 再び刃を向けられるかもしれない、傷付けられるかもしれないなどという恐怖は、彼女の中からすっかり抜け落ちてしまったらしい。

 

「――癒しの波動、彼の者を救え! ……ヒール!」

 

 淡い光が、アルディスを包み込む。すっと、彼の負った傷が塞がり、消えていく。しかし、どうしても塞がりきらない傷が、中にはあった。

 

「だ、駄目なの!? じゃあ、もう一度……!」

 

 再び、マルーシャがヒールを唱える。それでも、まだ駄目だった。

 諦めずに唱え続けた何度目かのヒールで、漸く腹の傷も塞がった。だが……。

 

「どうして……!? 顔色が、戻らない……呼吸も、止まりかけのままだわ……ッ」

 

 アルディスの呼吸や脈の状態を調べていたポプリが、思わずと行った様子で叫ぶ。その言葉に、マルーシャは再び詠唱を始めた。

 

「癒しの波動、彼の……っ!?」

 

「マルーシャちゃん!?」

 

「ううっ、……っ、ぁ……ッ」

 

 マルーシャに異変が起きたのは、そんな時だった。突然、胸を押さえた彼女の呼吸が、一気に荒くなったのだ。

 

「マルーシャちゃん! もう、力を使っちゃ駄目! 死んでしまうわ!!」

 

 マルーシャは、自分の命が燃え尽きるまで能力を使い続けることのできる、特異体質。これ以上無理をさせれば、今度は彼女の命が脅かされてしまう。

 

「後は、先生とディアナ君に任せましょう? 大丈夫……大丈夫、だから!!」

 

「いやっ!! いやだ!!」

 

 自分をアルディスから引き離そうとしたポプリを振り払い、マルーシャは再び治癒術の詠唱を始める。しかし、その表情は明らかに苦しげで。

 

「ッ、ヒール……!!」

 

 次第に、マルーシャの顔色まで悪くなっていく。ほんのりと赤みがかっていた健康的な肌は、今では土色と言っても過言ではない程にくすんでいた。

 

「やめなさい! マルーシャちゃん、もう駄目!!」

 

「いやだ! アルディスが死ぬなんて、そんなこと……考えたくもないよ!!」

 

「あたしだって、ノアの命を諦めたくない! それでも、このままじゃあなたが……ッ!!」

 

 このままマルーシャが治癒術を使い続ければ、いずれはアルディスを助けられるかもしれない。だが、それと引き換えにマルーシャは間違いなく命を落とすだろう。

 

 それ以前に、仮にマルーシャがそこまで力を使い続けたとして、この状態のアルディスが助かるとは到底思えない。

 ポプリは泣きながらアルディスの腕を取り、どんどん弱くなっていく脈を感じながら、肩を震わせた。

 

 

「――精霊よ、彼の者に悠々たる風の力を……メルジーネ・ヴィント」

 

 

 そんな時、聞こえてきたのはジャンクの声。酷く息を切らしていたマルーシャに、人為的に魔力が分け与えられる。

 それとは別に、風属性の下位精霊達もマルーシャを助けるべく傍に寄って来ていた。マルーシャを襲っていた苦痛が、一気に無くなり、身体が楽になっていく。

 

「! ジャン……!」

 

「エリックの方は、ディアナだけで何とかなりそうだったので僕はこちらに来させてもらった」

 

 ソプラノの美しい歌声が、風に乗ってマルーシャ達の耳にも届く。胸の前で手を組み、必死に旋律を口ずさむディアナの姿を横目で確認し、ジャンクは未だ危険な状態のアルディスに視線を落とした。

 

「先生、あたし……何か、できないかしら……?」

 

「何もできない、だろうな。君だけじゃない、それは僕にも当てはまる話です」

 

 ジャンクはアルディスの容態を確認し、静かに首を横に振った。

 

「マルーシャ、力を使うのをやめなさい。これ以上は、無駄にしかならない」

 

「どうして!?」

 

「今の君ではアルは救えない、ということです」

 

 いつものように目を閉ざしたまま、ジャンクは静かにそう告げた。耳を疑うようなその言葉に、マルーシャは大きな目に涙を浮かべて叫んだ。

 

「そんなの、まだ分かんないじゃない! わたし、諦めないから!! 絶対に、諦めないから!!」

 

「……無理です。このままでは君が、死んでしまう」

 

「ッ!」

 

 

『君に術なんか教えたら、乱用しそうで怖いんだよ……マルーシャは優しいから、自分の限界を超えた魔術の使い方しそうで』

 

『大丈夫だよ! そんな無理しないよ! アルディスが死にかけでもしたら分かんないけど!!』

 

『笑えない冗談はよせ!!』

 

 

ーーマルーシャの脳裏を、洞窟でアルディスと交わした会話が過っていく。

 

 

『分かった、教えてあげる。どうせ言ったってきかないでしょ? その代わり』

 

『その代わり?』

 

『絶対に自分の限界を超えて魔術を使わないこと。仮に』

 

 

 あの日、マルーシャは「エリックを助けたい」一心で、アルディスに治癒術を教えてもらった。

 彼は複雑そうな顔をしていたが、きっと彼は……あの時点で、“今日”という日が訪れることを覚悟していたのだろう。

 

 

『俺が死にそうになっていたとしても、そんなことはしないと約束して。万が一、俺がそんな状況に陥ったとしたら、それはきっと、俺の“ワガママ”が招いた結果だから……』

 

 

ーーマルーシャの脳裏を過っていくのは、あの日、彼が結ぼうとした約束。

 

 

「嫌なの! アルディスが死んじゃうなんて、そんなの、絶対に嫌だよ!!」

 

 

 そんな約束。果たせないーー!

 

 

 幼子が駄々をこねるように叫び、マルーシャは再びアルディスに手をかざした。

 どうしようもないと判断したジャンクはその手を掴み、あくまでも冷静さを保ったままシルフへと視線を移す。

 

 

「離して! やだっ! やだぁ!!」

 

「落ち着きなさい、マルーシャ。僕だって、アルの命を諦めるつもりはない。だから、シルフを召喚したんです……君が、アルを救うことを望むなら」

 

 暴れるマルーシャをなだめ、ジャンクはそのまま彼女の真横へと移動した。

 

 

「マルーシャ。今、この場で風の精霊シルフと、契約を結んで下さい」

 

「え……?」

 

 

 驚いて黄緑色の瞳を丸くするマルーシャとジャンクの後ろに、シルフが移動してくる。

 呆れたような様子でジャンクを見下ろす彼の表情は、どこか辛そうにも見えた。

 

『……。そうじゃないかって思った。海に沈みかけた人間二人救助するだけなら、ウンディーネだけで十分だしな……ただ、クリフ』

 

「もう、僕のことは気にしないで下さい……良いんです、本当に」

 

 シルフの言葉を遮り、ジャンクはマルーシャを立ち上がらせる。そんな二人の様子を、傍にいたポプリは呆然と眺めていた。

 

「仮契約ですから、今は口約束だけで大丈夫だ。僕が今から言う言葉を、復唱して下さい」

 

「う、うん……分かった」

 

 契約の言葉、ということだろう。ジャンクから言うべき言葉を教えてもらったマルーシャは目を閉じ、間違いのないようにそれを一度だけ頭の中で復唱する。

 

 

「よし……っ!」

 

 そして、すぐに彼女は澄んだ黄緑色の瞳を目の前のシルフへと向け、口を開いた。

 

「――太古より続きし、精霊と人の見えざる絆。今、その境界に踏み入ることを許したまえ。我が名はマルーシャ=イリス=ウィルナビス。悠々と世界を巡る風を司りし、汝との契約を望む者」

 

 ゆっくりと、それでいて堂々と言葉を紡ぐマルーシャの姿を、シルフは無言で見つめている。

 マルーシャは軽くアルディスの姿を見た後、深呼吸してから再び契約の言葉を紡ぎ始めた。

 

「我、いかなる時も汝ら精霊の存在を踏みにじらぬことを誓う! 汝らの意思を尊重し、共に在ることを望む! 精霊シルフ、汝、我が意に応え、我に大いなる力を授けたまえ!」

 

 全てを言い終わった後、マルーシャは胸のリボンを震える手で握り締めた。

 アルディスを救うため、シルフと契約をすることに異議は無かった。しかし、怖かったのだ。何しろ、相手は七大精霊の一人なのだから。

 

「……ッ」

 

『おー……、契約の言葉って難しいし、一度しか聞いてないのに、一言も間違わなかったじゃん? キミ、可愛い顔してやるねぇ……』

 

「へっ!?」

 

 だが、マルーシャの不安は杞憂であったようだ。シルフは「良くやるな」とへらへら笑みを浮かべている。間違えずに言い切ったらしいことには安堵したが、全くもって想定外の反応が返ってきてしまった。

 困惑するマルーシャの頭に手を置き、シルフは藍色の瞳を細めて笑いかけてみせる。

 

『我、汝を主と認め、盟約の元、汝の力となることを誓おう……よろしくな、マルーシャちゃん』

 

 シルフが話し終わると同時にマルーシャの左手首が一瞬だけ輝き、繊細な装飾の施されたバングルがそこに現れた。少し色が違うが、それはアルディスが身に付けていたものと全く同じデザインだった。

 

「……よろしくね、シルフ」

 

 何にせよ、契約に成功したらしい。身体に暖かなものが流れ込んでくるのを感じ、マルーシャはそっと瞳を閉じた。良く分からないが、力が込み上げてくるのが分かる。シルフは彼女の頭を軽く撫でた後、契約の様子を見守っていたポプリ達を見回した。

 

『……ってな訳で、残りの四人。ちょっとこの子に魔力提供したってくれ。この状態で上級術なんか唱えさせたんじゃ、この子の身体、間違いなく持たねーわ』

 

 その話に、皆が一斉に頷く。否の意見は、無かった。

 嬉しそうに歯を見せて笑うシルフの姿は徐々に掻き消えていき、いつの間にか姿を消していたウンディーネ同様、見えなくなった。

 

 

「じゃあ、皆……行くよ」

 

 マルーシャの頭の中に、直接シルフが語りかけてくる。

 今、どんな術を発動させれば良いのか、その術はどのように発動するのか。全く知らない術だったが、彼の助言のお陰で何とかなりそうだ。

 

「再誕の……奇跡を、宿したまえ……」

 

 地面に展開されていく複雑な魔法陣の上で、マルーシャは意識を高めていく。彼女の元には仲間達から譲り受けた魔力が集い、まだ見ぬ術の完成を助けていた。

 

(アルディス、お願い……っ! 死なないで!!)

 

 アルディスの呼吸は、既に止まってしまっていた。それでも、今のマルーシャには彼を救えるという強い自信があった。

 魔法陣が白く煌く。目も開けていられないような輝きの中、マルーシャは奇跡と呼ぶに相応しい、神聖なる術の名を叫んだ。

 

 

「――レイズデッド!」

 

 

 魔法陣の中心に、純白の翼を生やした天使が舞い降りる。その顔は、彼女を取り囲む輝きが強過ぎて、良く分からなかった。

 天使の手が、アルディスの身体に触れ、暖かな光を放つ。白い羽根が、辺りに飛び散った。

 

(すごい……)

 

 精霊シルフや、仲間の力を借りて成し遂げた上級術。少しずつ、少しずつではあったが、アルディスの顔に生気が戻っていく。これでもう、彼は大丈夫だろう。安堵のあまり、マルーシャの目から涙が零れ落ちた。

 

(……良かっ、た……わたし、ちゃんと、できた……んだ……)

 

 だが、術の全てを見届けるだけの体力は残されていなかったらしい。身体の重心が不安定になり、マルーシャは横向きに地面に倒れ込んでしまった。

 トサリ、トサリと仲間達が次々、その場に倒れていくのが分かる。それだけ、負担の大きな術だったということだ。誰も、意識を保ってなどいられなかった。

 

「ッ、う……」

 

 しかし、全員が倒れるわけにはいかないだろう。何とか身体を起こそうと、閉じようとしている重い瞼を開こうとマルーシャはもがいた――そんな時だった。

 

 

『お疲れ様。大丈夫だから、今は寝てな。後は……俺が何とかするから。まあ、流石に男女混合六人組っていうのは無茶振り過ぎる気もするけどな……』

 

 

(え……?)

 

 聴こえてきたのは、穏やかな低音の、落ち着いた声。若い男性の物だろう。

 一度も聴いたことのない声だったが、その声は優しく、何故か、彼を信頼して良いような気がした。

 

(誰、なの……? あなたは、一体……?)

 

 実は、彼は顔見知りなのではないかと思える程の安心感だった。姿を見たかったが、瞼が開かない。それが誰なのかを確認するよりも先に、マルーシャの意識は闇に引きずり込まれていった。

 

 

 

―――― To be continued.

 




 
精霊ウンディーネ

【挿絵表示】

精霊シルフ

【挿絵表示】


(絵:長次郎様)

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