テイルズ オブ フェータリアン ー希望を紡ぎ出すRPGー 作:逢月
「改めまして――私はフェルリオ帝国第三十九代皇帝候補、アルディス=ノア=フェルリオと申します」
親友に告げられた真実が、困憊したエリックの心に重く伸し掛ってくる。親友の瞳には、一抹の迷いも無い――それが、無性に悲しく、辛かった。
恐怖とも絶望とも取れる震えが、エリックを襲う。一気に闇の中に引きずり込まれたかのような、そんな心境だった。目の前が、真っ暗になる。
「エリック君!」
ポプリの声と共に、エリックは勢いよく突き飛ばされたことで身体が宙に浮くのを感じた。そして漸く、目の前のアルディスが魔術を唱えていたことに、自分を助けるために身を投げ出したらしいポプリが、煌めきを増す魔法陣の中心で起き上がることができないまま蹲っていることに気が付いた。
「――ホーリーランス!!」
「きゃあぁっ!」
魔法陣の中心に向かい、光の槍が降り注ぐ。それらは全て、そこにいたポプリの身体を貫き、焼いていった。
アルディスの力の一部を得たためか、彼女の魔術に対する耐性はかなりのものだ。それでも、アルディスの術の威力は、それを明らかに凌駕していた。
術によって生み出された矢が消えた後、ポプリに残されたのは真っ赤に焼かれ、かなりの激痛を彼女に与えているに違いない痛々しい火傷の傷だった。
「ポプリ!」
慌てて、マルーシャが治癒術の詠唱を開始する。心配させまいと思ったのか、ポプリは無理矢理口角を上げ、エリックとマルーシャに笑い掛けてみせた。
「ッ……あたしでも流石に、直撃は辛いわね……」
だが、そんな彼女の強がりも長くは続かなかった。上がっていた口角はすぐに下がり、それを隠すように、ポプリは咄嗟に下を向いた。
「アル君……ノア! どうして……どうしてよぉ……っ!!」
「アルディス……」
ポプリは、泣いていた。治癒術を発動させたマルーシャも、今にも泣きそうだった。ショックを受けているのは、自分だけではないということだ。エリックは頬を叩き、二人の前に飛び出した。
「おい……! ふざけるのも大概にしろよ!!」
久しぶりに、大声を上げた気がする。それを浴びせた相手が親友であることが、今は本当に悲しかった。それでも、アルディスは驚いた様子もなく、不思議そうに首を傾げてみせる。
「ふざける? 馬鹿なことを。これが、本来あるべき形でしょう?」
「ノア……」
彼は、さも当然だろうと主張するように言い切ってみせた。本来あるべき形。確かにそうなのだろう。だが、それが辛いのだとポプリは声を震わせる。
「……」
その声を聞いたアルディスはため息をつき、ポプリを、自らの義理の姉を睨みつけた。
「今までは、我慢してきましたが……命の恩人であるあなたでも、私の邪魔をするのなら容赦はしません。右目を失った痛み、あなたへの恨み……私は、片時も忘れたことはありませんから」
「――ッ!」
聴く者が皆、耳を疑うような言葉だった。そしてそれは恐らく、ポプリがアルディスの口から最も、聞きたくなかった言葉――。
冷たいアルディスの言葉が、心身共に傷付いたポプリを容赦なく襲う。俯いたポプリの琥珀色の瞳からぼろぼろと涙が落ち、地面に染み込んでいった。
「お前……ッ、自分が何を言ったか、分かっているのか!?」
これには、流石のエリックも本気で怒りを覚えた。しかし、それでもポプリは首を横に振るい、アルディスを、義理の弟を、庇おうとしていた。
「良いのよ、エリック君……あたし、ワガママね。こうやって、攻撃されることだって、覚悟、してた癖に……っ」
そう言って、ポプリは肩を震わせる。ホーリーランスによって負った傷は、痕を残すこともなく、綺麗に完治していた。だが、彼女が義弟の攻撃によって心に負った傷は、決して癒えない。
「ねえ……ノア、あたしは……あたしのことは、それで良いの。それが……普通、だもの」
それでも、いつまでも泣いていてはいけないと、座り込んでいては駄目だと自分に言い聞かせ、ポプリは立ち上がると同時にアルディスを見据えた。
「あなたは優しい子だもの! こんなこと、本心からできるわけないわ!! そうよ……あたしはともかく……エリック君と、マルーシャちゃんに攻撃する理由なんて無いじゃない!! 彼らはあなたが……ノアが、本当に大切に思っていた二人じゃない!!」
ほとんど泣きじゃくりながら、ポプリは一切表情の変わらないアルディスに叫び、訴える。豹変した義弟を前に、ポプリはまだ、これは彼の本心ではないと信じていた。
「……ッ」
アルディスは一瞬だけ目を丸くして、視線を泳がせた。明らかに、彼は動揺していた。
「ノア!」
気持ちが伝わったのかもしれない。そう思い、ポプリはアルディスに歩み寄ろうと足を踏み出す――だが、
「とんだ、戯言ですね」
放たれたのは、これまでになく冷たい一言。向けられたのは、冷たい鉄で作られた銃口。
「ぁ……」
ポプリの瞳から、再び涙が溢れる。彼女を狙って放たれた銃弾を、エリックは咄嗟に剣で防いだ。
「ありますよ。これは私が私である以上、避けては通れぬ道。それが、多少遅くなっただけです。あなたには、そんなことも分からないのですか? 本当に、愚かな人だ……」
そう言ってアルディスは拳銃をしまい、再び薙刀を構えた。エリックは自分の後ろで、ポプリが泣き崩れたのを感じ取った。
「アル……ッ!」
ポプリの嗚咽が、風の音さえも聴こえない静寂に響く。そのあまりの悲しさと哀れさに、エリックの中で何かが切れた。
「……もう良い。お前の言い分は分かった」
「エリック!?」
驚き、声を上げたマルーシャの方は一切見ずに、エリックは短剣を取り出しながらアルディスを一瞥する。
「やっと、その気になりましたか……私は、あなた方のお国が大好きな奇襲というものは嫌いでして。正々堂々、正面から戦いたいと思っていまして、ね」
「お前……っ!」
それは、わざとエリックを怒らせるような言い回しだった。アルディスが、どのような思いでそれを言ったのかは分からない。彼は特に多くを語らぬまま、自身の周りに半透明の丸い壁のような物を展開した。
「フェルリオの英知としての私の誇りと、存在意義に懸けて――参ります」
その壁は、魔術の類では無さそうだ。特殊な道具を隠し持っていたのだろう。丸い壁ごと微かに宙に浮かび上がったアルディスは、困惑するエリックに構わず、詠唱を開始する。
「織り成すは煉獄の演舞。慈悲なき紅蓮の砲弾よ、全てを焼き払え! ――フィアフルフレア!」
「!?」
光属性の術では、ない。
上空から放たれたのは、ディアナが使うファイアボールとは明らかに規模の違う火炎弾。
「皆、避けろ!」
火炎弾の矛先は、決してエリックにのみ向けられていたわけでは無かった。ショックのあまり動けなくなっていたマルーシャとポプリを、火炎弾が襲う――避けられそうもない!
エリックは剣を顔の前に突き出し、向かい来る火炎弾を受け止めてみせた。剣から伝わる熱に焦がされたのか、手に痛みが走る。剣も手袋も、大した壁にはなってくれなかった。
(……っ、こんなの、何発も受けてられないぞ……!)
アルディスの放つ魔術は、一撃一撃が本当に重い。しかも、天性属性で無い術ですらこの威力だ。右目を失ったことで弱体化した状態がこれというのだから、当時の彼の実力を思うと吐き気すらしてくる。
「ごめんね、今、治すから……!」
マルーシャが治癒術をかけてくれたことで、痛みは徐々に引いていった。だが、こちらが何もしなければ次の術が来る。彼に、反撃をしなければ。それでも直に攻撃をするのはやはり、躊躇いがあった。
「――
「ッ! ……甘い、ですね」
焦げた手袋を投げ捨て、エリックはアルディスに向けて衝撃波を放つ。それにより、詠唱を、邪魔することはできた。しかし、あくまでもそれだけだった。衝撃波は壁に遮られ、アルディス自身には一切ダメージを与えていないのだ。
「くそ……っ」
「どうするの!? これじゃ、こっちの攻撃なんて届かない……!」
マルーシャは震える手で口元を覆い、ゆっくりと首を横に振るった。あの薄い壁は、アルディスを守る防御壁だったということだ。あれが彼を覆っている以上、こちらの攻撃は一切通用しない。
「……」
動転するエリック達の姿を見下すように眺めた後、アルディスは再び術の詠唱を開始した。
(大体、アイツは
我ながら、酷いことを考えるものだとエリックは思った。最初にアルディスがレイを使った時点で、彼はある程度ダメージを受けた筈だとエリックは考えていたのだ。だが、実際はこの通りだ。第一、レイを発動した時も彼は呪いによって苦しめられてはいなかった。平然としていたのだ。
以前、精霊レムを召喚した際のアルディスは本気で衰弱していたし、そもそも呪いが効いていない等という理由では無いだろう。この場合、何らかの理由で彼が呪いの影響を受けていないのだと考える方が良いだろう。
「――デモンズランス!」
「うぁっ!」
その時、響き渡ったポプリの声に答えるかのように、アルディスを漆黒の槍が襲った。やはり、その槍はアルディス本人には届いていなかったが、何らかの形で衝撃を与えることには成功したらしい。アルディスは短く悲鳴を上げ、防御壁の中でバランスを崩していた。
「ポプリ、お前……」
「良いの。泣いてる場合じゃないもの……それより、見て」
悲しげに笑いつつも、ポプリが指差したのはアルディスが身に着けている赤い宝石の埋め込まれたペンダント。よく見ると、宝石からは時々瞬くように光が放たれていた。
「光ってる、な……いつもは、普通だったような……」
「多分、あの宝石よ。あれが、防御壁を生み出しているんだと思う」
恐らく、ポプリの推測が正解だ。だが、こうしている間にもデモンズランスの衝撃で怯んでいたアルディスが体勢を立て直し、再び詠唱を開始しようとしている。
「でも、どうしたら良いのかしら……どっちにしたって、壁があるんじゃ……」
「きっと、大丈夫。行けると思うよ、乱暴な手だけど」
「え……?」
自信に溢れた、それでいてどこか悲しそうな表情のマルーシャはそう言って意識を高め始めた。既に、アルディスは詠唱を開始している。
「――氷結に抱かれ、永久に眠れ! 彼の者に来れ、終焉の時よ!」
アルディスの詠唱の長さからして、次に来るのは間違いなく上級術だ。まともに受ければ、ひとたまりもないだろう。それでも、マルーシャは逃げ出さなかった。
「嘆きの時は一瞬。天まで昇り、地に伏せよ! ――リバースツイスター!!」
「っ、く……っ!」
術の発動は、マルーシャの方が早かった。魔法陣から吹き上がった風の刃が、アルディスを守る防御壁を切り刻み、上空へと追い詰めていく。
「……やっぱり。攻撃受けてる時は特に、あの宝石強く光るんだ」
その様子を、マルーシャはあくまでも冷静に観察していた。エリック達も、マルーシャの指摘に応え、ネックレスの宝石へと視線を移す。
「わたし、攻撃魔術はそんなに得意じゃないけど……それにしたって多分、風じゃあまり効いてないね。ポプリの術を受けた時の方が、あの宝石よく光ってた」
上空へ追い詰められたアルディスを、真上から突風が襲う。しかし、そのまま地面に叩き付けられようとも、彼を守る防御壁にはヒビ一つ入らなかった。
「……。壁の中にあっても、宝石は傷付いていくのね。だったら、全力で攻撃し続ければ、いつかは……」
「壁を作ってる宝石を壊せる。とにかく、あれを壊すのが先決ってことだな」
あくまでも、今のアルディス本人には衝撃程度の小さなダメージしか与えられない。それでは、彼を止める策にはならないだろう。どのような手段を取るにせよ、まずはあの壁の中から彼を引きずり出すしかない。
「わたしも、足止め程度なら協力できるから。詠唱の速さなら、自信あるしね」
「助かるよ……マルーシャ、僕らは生身のアルに攻撃するんじゃない、そう考えよう。それなら……少しは、気分的に楽だ」
皮肉にも、エリック達を妨害する壁が彼らの、精神面での救いとなっていた。直接、アルディスを傷付けるわけではない――ただ、それだけの救いではあったが。
「僕は直接あの壁を叩く! 極力アルに魔術を発動させないようにする……二人は、行けると思ったら魔術で壁の破壊を試みて欲しい!」
「分かったわ!」
宝剣の柄をしっかりと握り締め、エリックは地を蹴った。向かうは、再び詠唱を開始していたアルディスの傍。もう、遠く離れた場所から、逃げるような形で彼に攻撃するのは嫌だった。
「ラドクリフは、下賎な国なんかじゃない……僕が、それを証明してやるよ!」
「……」
アルディスは、何も答えなかった。その瞳からは、何の感情も読み取れない。
(分かってると思っていたのに! こいつのことなら、表情が変わらなくても、雰囲気で分かるって……!)
エリックやマルーシャは、ハッキリと事実を知っているわけではなかった。それでもアルディスが笑えないのだということには、気付いていた。ただ、表情が変化しないだけで、“嬉しい”や“楽しい”といった感情はちゃんと存在しているということも。
それもあって、エリックはアルディスのことはある程度理解できていると思っていた。確かに彼は語らないことの方が多かったし、それに苛立ったことも、何度もあった。それでも、信じられていると思っていたし……自分も彼を、信じていた。
「
刃を振るいながら、エリックは奥歯を噛み締める。分かっていた筈の親友の思いは、今の彼には全く理解できなかった……。
▼
戦闘が始まってから、数十分は経過しただろうか。散々受けてきた高威力な魔術のせいで、若干足元が覚束なくなってきた。マルーシャの治癒術にも限度というものがある。彼女自身、既に辛そうだった。幸いだったのは、アルディスが魔術以外の攻撃は一切してこなかったということか。
エリックは汗と血で顔に貼り付いた髪を乱暴に払い、振り返ることなく後ろのマルーシャとポプリに声を掛ける。
「マルーシャ、ポプリ。大丈夫か?」
援護すると言いながらもアルディスの詠唱は本当に早い上に、ファランクスという特殊な術の影響でこちらの妨害が効果をなさないことも多かった。そのため、上手く発動を止められなかった術も多く、後衛の二人もかなりのダメージを受けていた。
「何とか、平気」
「大丈夫よ。エリック君こそ……」
「僕は問題ない……あまり、無理はしないでくれよ」
エリックの脳裏を過ぎっていったのは、“本来あるべき形”というアルディスの言葉――そう、本来であれば、自分達は既に戦火の中で刃を交えている筈の存在だった。しかしそれは、あくまでも自分達の話。マルーシャとポプリは、その前提があったとしても無関係なのだ。
「――無垢なる風神の戯れ。あどけなき理不尽、汝の命運を定めたり!」
「――血塗られし堕天の十字架よ。我の敵を討ち、滅ぼせ……!」
それでも、彼女らは立ち上がり続けてくれた。彼女らにとって大切な存在であったであろうアルディスとの戦いから、逃げずにいてくれたのだ。それはエリックからしてみれば、本当にありがたい話であったし、申し訳ない話でもあった。二人を巻き込んでしまったのは、他でもなく、自分自身だ。
「……ッ」
終わらせなければ、とエリックは思った。既に皆、満身創痍だった。だが、それは決してこちらだけの話ではない。アルディスが身に着けていた赤い宝石の光は、明らかに弱まってきていた。
「ランページスパイラル!」
マルーシャの術が、発動する。生み出されたのは、横長の渦。それはアルディスを吹き飛ばしつつも、彼を守る防御壁を切り刻んでいった。吹き飛ばされたアルディスを追うように、エリックも両足に力を込めて駆け出す。これ以上、彼に反撃を許すわけにはいかなかった。
「く……っ、ファランクス!」
「ブラッディクロス!」
体勢を立て直そうとしていたアルディスを襲ったのは、特にダメージが多く、彼への攻撃として効果的だったポプリの術。
「お願い……っ、これで、決まって!」
「ッ!?」
禍々しいオーラを放つ漆黒の十字架が、アルディスの周りの半透明の壁を貫く。かろうじてそれは彼本人にも赤い宝石にも当たらなかったが、もう、壁は無傷ではなくなっていた。大きな穴があき、ヒビの入った防御壁は修復されることもなく、そこにあった。
「虚空をも照らす閃光よ、汝、この穢れた大地に降り注ぎ、裁きの刃となれ! ――ジャッジメント!!」
ダメージこそ受けたようだったが、先にファランクスを使われてしまったためにアルディスの詠唱そのものは完了してしまった。天から、無数の光の束が落ちてくる。光の束は決して特定の誰かを狙っているわけではなく、とにかくランダムに地上に落ちてきているらしい。要するに、立ち止まっていれば、当たる可能性は低くなる。
それでも、せっかくの転機を逃すわけにはいかない。直撃も覚悟の上で、エリックはアルディスとの距離を縮めていく。術発動直後の隙を狙い、一気に叩き込むしかないのだ。
走りながらエリックは精神を集中し、剣先に気を込めていく。この一撃で決まらなければ、こちらももう限界だ。
「終わりだ! ――
幸いにも、光の束がエリックに命中することは無かった。刀身が一瞬だけ瞬く。瞬きと同時に放たれたのは、無数の真空波。真空波は防御壁の穴を広げて行き、壁に護られていたアルディスの身にも届き始めていた。
「……っ!」
エリックの目の前で、アルディスの胸元で輝いていた赤い宝石に深いヒビが刻まれていく。それらはもはや、宝石がその形を保っていることさえも不可能な程に侵食していき、そして、宝石は防御壁と共に、エリックとアルディスの周囲に砕け散った。
「――ッ、う、くぅ……っ!」
真空波が、直接アルディスの身を切り裂く。肉を深々と切り裂かれ、鮮血が舞う。アルディスの顔が、苦痛に歪む。
(アル……)
これで終わってくれ、そう思った――だが、アルディスの意思は折れなかった。
「まさか、壁を壊すとは……少々、油断しすぎましたね」
流れる血を拭い、アルディスは大きく後ろに跳ぶ。エリックから距離を置くためだ。彼が着地するのと同時に、薙刀が突然眩い光を放ち始める。
「!?」
最初は、薙刀をレーツェルに戻すのだろうと思った。しかし、冷静に考えればそれはおかしい。事実、その答えは違った。
薙刀が、明らかにその形状を変えていく。レーツェル化させた武器は、多少であれば再武器化に融通が効くということは知っていた。しかし、アルディスのそれは、明らかに違う。
長かった柄は元の半分以下となり、代わりに長い細身の、微かに弧を描く刀身が姿を現す。柄の端に付いた、数本のシンプルな飾り紐は、風に靡いてひらひらと揺れていた。
「片刃、剣……? まさかフェルリオの宝剣“キルヒェンリート”か!?」
「ご存知でしたか。今までは何も言いませんでしたが……あなたのそれは恐らく、この宝剣と対になる物、ですよね」
アルディスは今しがた姿を変えた剣を右手に持ち替え、その姿を確認する。対になる存在と言いつつも、剣の形状はエリックの持つそれと明らかに異なっていた。否、そもそも、あれは今まで剣どころか薙刀の形状を取っていたのだから、本来宝剣というものは自由自在に形を変えられる物なのかもしれない。
「……」
沈黙はしばしの間続いた。マルーシャとポプリの無事を確認したかったが、今のアルディスから目を離してはいけない……そんな気がした。
「ッ!?」
――異変が起きたのは、突然のことであった。
突如、アルディスと精霊レムとの契約の証であった左のバングルが、粉々に砕け散った。彼が持っていた宝剣が、草の上に転がる。彼自身も膝を降り、地面に手を付いてしまった。
「ぐ……がは……っ!」
「え……?」
一体何があったのかと、エリックは目を丸くする。防御壁と、それを生成していた宝石にならともかく、彼自身には大したダメージを負わせたつもりではなかった。
少し距離がある状態でも分かる程に、アルディスは酷く身体を震わせている。その理由は、すぐに分かった。
「ごふ……っ、ごほっごほっ! ッ、ぁ……っ!」
咄嗟に口元を抑えたアルディスの左手の指の間から、血が流れ落ちた。手の甲に刻まれていたフェルリオの紋章は、完全にその姿を隠してしまった。
「アル!?」
彼がこのように血を吐く様子には、見覚えがある。草の上に広がっていく赤を見て、エリックは思わずアルディスの傍に駆け寄った。
「がふっ、ごほっ! げほっ、がはっ、は……っ、ぐ、う……がっ、あぁああ!!」
アルディスの右の二の腕が、アームカバーの下からでも分かる程に光を発している。これは間違いなく、虚無の呪縛の影響だった。
右の二の腕を押さえ、アルディスは草の上にぐったりと倒れ込んでしまった。しかし、彼が魔術を発動させたのはエリック達が宝石を破壊する前。それにも関わらず、このように突然彼が苦しみ始める理由が分からない。
「アル! おい、大丈夫か!?」
一度宝剣をレーツェルに戻し、荒い呼吸を繰り返すアルディスへと手を伸ばす。アルディスの口から溢れる血が、吐き気を催しそうな程に強く、鉄の臭いを発していた。
(どう考えても呪いの影響、だよな……? だが、どうしてそれが今……)
そうしながらも、エリックはわけが分からないと目を細める。
「エリック!」
マルーシャに名を呼ばれたのは、そんな時だった。
アルディスの鋭い翡翠の目と、一瞬目が合う。先程まで右の二の腕を押さえていた彼の左手には、宝剣が握られていた。刃はエリックの首を切り落とすべく、上から斜めに振り下ろされた。
「ッ!」
慌ててエリックはアルディスから距離を置く。しかし、少々それは遅かった。かろうじて肉を斬られることは無かったようだが、髪の先端と首のチョーカーが宙を舞い、地面に落ちた。
(まずい……!)
エリックは微かに顔を歪め、首の左側面を押さえた。そんなエリックを、覚束無い足取りで立ち上がったアルディスが睨みつける。
「敵に……情けを、かけるな……! それは、自分の命を投げ出しているような行為にすぎない……!」
一度あえて武器を落とすことで、こちらの隙を付こうとしたのかどうかまでは分からない。ただ、彼が今も呪いに苦しんでいるのは間違いなかった。首を押さえたまま、エリックは肩で息をしているような状態の親友を見つめる。
「まさか、まだ戦う気……なの、か……」
「……。当然、です……!」
そう言って、アルディスは再び片刃の宝剣の柄を震える手で握り直した。口元には、上手く拭えなかったらしい血がべったりと付着している。
「ノア……! もう無理よ!! あなた、一体何を考えているの!?」
「そうだよ!! 自分の命を投げ出してるのはアルディスの方だよ!! もう、やめてよ……お願いだから……っ!!」
無事だったらしいポプリとマルーシャの酷く震えた悲痛な声が耳に入る。だが、彼女らの訴えは届かない。アルディスの決意は、決して揺らがない。
「マルーシャ、ポプリ。もう良い。そこで、見ていてくれ……」
このような状態になっても、アルディスは戦意を喪失しなかった。アルディスはまだ、戦う気なのだ。誰かが彼の相手をしなければ、こちらが一方的にやられてしまう――それならば、彼と戦うのは自分の役目だろう。
「後は……僕が、けじめを付けるから……」
「エリック!!」
このままでは戦えないと、エリックは首を押さえていた手を下ろした。癖のある金の髪が、風に流れる。エリックはしばしの間、目を伏せていたが、すぐに視線をアルディスに戻した。
――彼の首には、金色の髪だけでは隠せない、大きな傷が残されていた。
「……っ」
鋭利な刃物によって付けられたであろうそれは、エリックの首の半分近くを這うように存在していた。とっくの昔に完治しているらしいことが窺えるものの、かなり深い傷だったのだろう。皮膚の色が違う。傷の部分だけが、他の部分と比べ僅かに下がっていることも窺えるーー首であることを考えても間違いなく、命に関わった傷だ。
王子であるエリックには、あまりにも不釣り合いな傷。これには流石にアルディスもほんの僅かに顔を引きつらせていた。後ろのポプリも、似たような反応をしているに違いない。
「マルーシャしか、知らない傷だ……正直、見せるつもりも無かったんだけどな」
エリックは自嘲的に笑い、再び宝剣と短剣を構え直した。隠されなくなった傷は、異常なまでの存在感を放ちながらそこにあった。
「ッ、あなたに傷があるかどうかなど、私には関係のないことです!」
アルディスは頭を振り、宝剣を構えて駆け出す。彼は宝剣を逆手に持ち、身体を捻りながら突進してきた。
「
最初の攻撃で一気にこちらの懐まで間合いを縮めてきたアルディスはその場で腰を低く落とし、下から連続で斬撃を放ってきた。
「う、ぐ……っ!」
エリックは短剣を顔の前に突き出し、振り下ろされた刃を受け止める。ビリビリと、左腕に振動が走る。先程まで血を吐いていたとは思えない、重い一撃だった。
(いや、それ以前にコイツ……こんなに、力あったか……?)
一般的に
実際に彼と刃を交えて手合わせをした経験はないが、魔物を相手にしている様子を見た感じでは、アルディスに自分やジャンク程の腕力は無いことは明らかだった。
「この……っ!
短剣を引き、エリックは右肩を突き出す形でアルディスに突進する。青い獅子の形の闘気がアルディスを襲い、遠くに吹き飛ばした。
だが、それだけだった。アルディスは一切怯むことなく、それどころか空中で体勢を立て直してみせる。まるで、こちらの攻撃など、ほとんど効いていないかのように。
「
「がっ! ぐあぁっ!」
再び一気に間合いを詰めてきたアルディスは目にも止まらぬ速さの連続突きを放ってきた。最初こそ短剣で防ぐことができたが、途中からはそれも不可能だった。身体を貫かれ、最後の強力な一撃で後ろに吹き飛ばされる。
「エリック君!」
「は……っ、だ、大丈夫だ……く……っ」
「ファーストエイド! ごめんね、ごめん……エリック……」
何だかんだで、こっちも疲弊してきているのだ。少しでも攻撃を受けてしまうと辛いものがある。マルーシャの治癒術で少し楽にはなったが、呼吸も苦しくなり始めていた。
(強い……侮っていたわけではないが、想像以上だ……)
いつも以上に早い隙のない動きや、明らかに前衛として特化した能力。見せつけられた力に、エリックは呼吸を落ち着かせながらアルディスを見据えた。
(……。体質自体が、変化してるのか?)
にわかに信じがたい話だが、もはやこれくらいしか考えられない。宝剣、キルヒェンリートの能力なのだろうか――否、もしかすると自分が知らないだけで、自分が手にしているヴィーゲンリートも同じ力を宿しているのかもしれない。自分は、アルディスのように上手く宝剣を使いこなせていないだけなのかもしれない。
そう考えると、本当に“ノア皇子”の存在が恐怖に感じられる。自分があまりにも無力で、未熟なのだという現実に直面した。
そんな彼を、今まで親友だと思い、八年間を過ごしてきた。今更ながら、自分は『騙されていた』のだと、嫌でも思い知らされた。
「これでも、な……本気でお前のこと、僕は信じていたんだ……」
「……」
口から溢れたのは、戦いが始まってからは必死に押さえ込んでいた想い。本気で信じていた親友を、傷付けたくはない。この思いは今の今まで決して変わらなかった。それでも、これ以上手加減をしていては本当に負けてしまう。エリックは奥歯を噛み締め、震えそうになる足を一喝して駆け出した。
「
アルディスの技を完全に見切ったわけではないが、剣を手にした彼が得意とするのは恐らく、間合いをかなり縮めた上で放たれる鋭い斬撃。それならば、とエリックは地面に剣を深く突き刺し、そのまま大地を盛り上げながらアルディスの前へと迫った。盛り上がっていく土が、エリックとアルディスの間に壁を作る。悲鳴も何も聞こえなかったために壁に潰されることなく避けられた可能性が高いが、それも考えのうちだった。
「全力で行かせてもらう……覚悟しろ!!」
地面から剣を抜き、エリックはその場で大きく跳躍した。
「――ッ、
奥歯を噛み締め、重力に任せてそのまま地面に向かって剣を振り下ろす。直後、地面に魔法陣が展開された。陣から上がる龍の闘気が、アルディスを襲う!
「がっ! ッ、う……っ、くぅ……あぁあっ!!」
流石にこれで効いていない、などということはなかったらしい。そもそも、先程の攻撃も決して意味のないものではなかったのだろう。陣が消えると同時、再びアルディスが地面に膝を付いた。
「は……っ、はぁ……っ、はぁ……っ、ごほっ! げほごほっ!!」
口から大量の血を吐き出しながら、それでも、アルディスはエリックに鋭い眼差しを向け続ける。血を吐いたのは呪いの影響なのか、それさえも分からない。ただ、言えるのは――……。
「負け、られない……っ! 俺は……っ、私は、まだ……!!」
……本当に、今の彼の姿は、見るに堪えないものだった。
「アル……もうやめてくれ……頼む、頼むから……」
本当にやめてくれ、とエリックは頭を振るう。このまま続けていては、間違いなくアルディスの身体が持たない。それでも素直に、彼に負けるわけにはいかないのだ。殺されてしまうかも、しれないのだから。手加減をしたくてもできない。負けられない。どうしようもない葛藤が、エリックを追い詰める。
「負けるわけには……っ、いかないのです……!!」
全身の至る所から血を流しながら、アルディスはふらりと立ち上がった。片刃の宝剣が、徐々に赤く輝きを放ち始める。それに応えるかのように、彼の背から、ずっと隠されていた深い赤の翼が――厳密に言うと“左翼”が、その姿を現した。
(右翼が無い……!?)
以前、アルディスは純血種族にもかかわらず翼を上手く出せないという“失翼症”の話をしていた。もしかすると、それは彼本人にも当てはまる話だったのかもしれない。驚くエリックの前で、宝剣の輝きは徐々に強さを増していく。間違いなく、次に来るのはかなりの大技だ。
「儚き生命が奏でる賛美歌。我らは、悠久の平和を願う……」
アルディスの声に応えるかのように、彼が手にする宝剣の刃が赤く瞬く。彼はその場で刃を振るい、こちらに向かって駆けてきた。
「……ッ」
防ぎきれるだろうか、とエリックは目を細める。下手にアルディスの攻撃を避けて、後ろのマルーシャとポプリに重傷を負わせるのは避けたい。この戦いは、自分が終わらせると決めたのだ。これ以上、悲劇を連鎖させるわけにはいかなかった。何としても受けきると、エリックは奥歯を噛み締める――その時突然、ヴィーゲンリートが青く、瞬いた。
(え……?)
何が起きたのか、エリックにはよく分からなかった。ただ、ほんの刹那の間だけ、時が止まったかのように思えた。
今、自分はどう動くべきか、どのように力を込めれば良いのか。そういったことが、一気に脳裏を駆け抜けていく。エリックは宝剣を構え直し、衝撃に耐えるべく力強く大地を踏みしめた。宝剣の刃がこれまで以上に強く、青い輝きを放つ。それに驚いている暇はない。アルディスはもう、目の前に迫っていた。
「フェルリオの地に、この地に生まれし民に、光あらんことを! ――
赤い光が、弾けた。それらは光線となり、エリックを左右から挟み込むように襲いかかる。まるで、鳳凰が大翼を広げたかのような、壮麗な光景だった。
光線が降り注ぐと同時、アルディスは全力でキルヒェンリートを振り下ろした。咄嗟にヴィーゲンリートでそれを受け止めたエリックの腕に、強い衝撃が走る。
「……ッ」
あまりの衝撃と全身に走る激痛に、エリックは奥歯を噛み締める。崩れ落ちそうになる身体に鞭を打ち、今一度宝剣の柄を握り直す。
「過ぎ去りし時が奏でる揺籃歌。せめて、安らかに眠れ……」
頭の中に浮かんできた言葉。それを紡ぎながら、エリックは右手を引いた。宝剣の力もあるのかもしれないが、あれだけの攻撃を受け止めてみせた。それだけで、もうアルディスに勝てるという自信がエリックにはあった。
(アル……許して、くれ……)
だが、これはそういう問題ではない。震えそうになる身体を戒め、エリックは奥歯を噛み締めて技の名を叫んだ
「――
「ッ!? ぐ、ぁ……っ!」
アルディスの剣を押し返し、エリックはアルディスを巻き込む形で草原を駆け抜けた。青い光が、どちらの物かも分からない鮮血の赤が、残像となって後に残る。結局彼は、最後の一閃まで抵抗することもできず、その身にエリックの刃を受け続けた。
「……。所詮、私、は……」
最後の最後に、アルディスのか細い声が耳に響いた。しかし、それだけだった。
悲鳴すら、彼は上げなかった。彼の身体はもう、とっくに限界を迎えていたということなのだろう。執念だけで、彼は立ち上がり続けたのだろう。
「……」
全身傷だらけで、虫のような、消え入りそうな呼吸を繰り返す親友を見下ろし、エリックは両手の力を抜く。草の上に、宝剣と短剣が滑り落ちる。響いたのは、あまりにも呆気ない、乾いた音。そしてエリックは自分の、べったりと赤黒いものの染み付いた両手を、己の姿を見た。
感じるのは、生ぬるい血の感触。身体が、震える。エリックは奥歯を噛み締め、その場に膝を付いた。
「ッ、く……くそ……くそぉおっ!!」
――人にも動物にも、生命に重さなど存在しないことは分かっているつもりだった。
だが、それでも、今の自分を包み込むこの感触は、今までに感じたどの感触よりも気味が悪く、自分自身をどこまでも追い詰めるような、そのような物で。
「……」
目頭が熱くなる。それでも、どういうわけか不思議と涙は出なかった。親友をこんな姿にしておきながら、非情なものだなと笑みさえ溢れそうになる。
「エリック……、アルディス……っ!」
マルーシャと、それからポプリが後ろにやってきた。結局、一騎打ちが始まってから一度も彼女らの姿を確認できてはいないが、その重い足取りからして、二人共それなりの傷を負っていることは明らかだろう。
だが、エリックはどうしても、顔を上げる気にも、二人に声をかける気にもなれなかった――……。
―――― To be continued.