テイルズ オブ フェータリアン ー希望を紡ぎ出すRPGー   作:逢月

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Tune.26 希望が崩れ去る時

 

 本当はずっと前から「おかしい」って、気付いていたんだと思う。

 それでも僕が何も言わなかったのは、考えないようにしていたのは、単なる甘えだ。

 

 

――初めて、だったから。

 

 

 僕を“ラドクリフの王子”という色眼鏡で見ない、同年代の友達っていうのは。

 それだけで、とんでもない変わり者なんだろうけどな。アイツの場合は仕方ないか。

 ヴァイスハイトだからこそ受けてきた迫害。今まで、本当に傷付いてきたんだと思う……けれど、それにしたって色々と隠しすぎだよなって、思う。

 

 今思えば、アイツが絶対に外さないフード。あれだって、異様だったのに。

 フードの下がどうなっているのか。八年も一緒にいたくせに、僕は一度も聞かなかった。

 

 本当はずっと前から「おかしい」って、気付いていたんだと思う。

 それでも僕が何も言わなかったのは、考えないようにしていたのは……真実を知るのが、怖かったからだ。

 

 

―――――――――――

 

―――――――

 

―――

 

 

「マルーシャ……君は、一体……」

 

「うそ……なんで……? なん、で……?」

 

 自らの髪を、耳を触り、マルーシャは声を震わせる。エリックもポプリも、呆然と彼女の姿を見ていた。

 先に進まなければならないというのに、足が動かない。何が起こったか分からないのは、マルーシャだけではないのだ。

 

「……。そういえば、マルーシャちゃんはアル君と身長も体格も対して変わらないものね」

 

 ようやく、ポプリが重く閉ざされた口を開いた。彼女の手がゆっくりと、マルーシャの白銀の髪へと伸ばされていく。

 彼女が何を思い、そう言ったのか、そのような行動を取ったかは分からない。エリックもマルーシャも、彼女の行動を咎めることはなかった。

 

「完全に色素が抜けているわね。一体、どうしてかしら……」

 

「結界の影響か? それにしたって……」

 

 ポプリの手のひらの上で、癖のある白銀の髪がさらりと流れていく。エリックも一緒になってマルーシャの髪を眺めていたが、どうやら悠長なことをしているわけにもいかなくなってきたようだ。

 

 

「! 誰か来た」

 

 ジャリジャリと、誰かが瓦礫だらけの地面の上を歩いているらしい。間違いなく、近付いてきている。

 

「駄目だ、完全に気付かれてる。マルーシャ、ポプリ、こんな状態で悪いが……」

 

 

「戦わせるつもりか? この状況で……お前も、厳しい人間になったということか」

 

 

――後ろから、聞き覚えのある男性の声がした。

 

 

「え……」

 

 そうだ。この地には、黒衣の龍がやって来ているのだ。どう考えても、一緒に“彼”がいるのが普通だろう。そもそも、自分達は彼を止めるために、この地にやってきたのだから。それが、母ゼノビアから“託された願い”なのだから。

 おもむろに、エリックは後ろを振り返る。震えそうになる声を何とか押さえ込みながら言葉を紡いだ。

 

 

「兄、上……」

 

 そこに立っていたのは、漆黒の長い髪とマントを風になびかせる兄、ゾディートだった。彼の後ろには、いつも通り自らの顔を布で覆い隠したダークネスの姿もある。

 

「王子は王子でも、まさかあなたに会うとは思いませんでした……まあ、途中までは一緒だったのでしょうが」

 

「!?」

 

 唯一露出した口元を緩め、ダークネスはクスクスと笑った。そんな彼の、ダークネスの姿を見て、ポプリは酷く動揺している。

 

「あなた……あなた、まさか!?」

 

「……」

 

 ダークネスは軽くポプリを一瞥し、その口元に浮かんでいた笑みを消す。だが、それは一瞬のことであった。彼は再び笑みを浮かべ、静かに口を開く。

 

「……。姿が見えませんが、森に住んでいた銀髪の男はどうしたのです?」

 

「え……?」

 

 どこに消えた、とゾディートはダークネスの言葉を繰り返す。彼らは、未だにアルディスを追っているらしい。

 

「逃げたか? “月神の銀狼”と呼ばれた、あの男が逃げ出すとはな……弱くなったものだ」

 

「月神の、銀狼……?」

 

 一体どういう意味なのかと、マルーシャは小さな声で怪訝そうに呟く。

 それを聞いたダークネスは軽く肩を竦めた後、淡々と語り始めた。

 

「私は戦場に出てはいませんでしたが、ノア皇子はヴァイスハイトだったんだとか。それも狼のように姿を変えることのできる、獣化型ヴァイスハイトだったそうです」

 

「!?」

 

 獣化型ヴァイスハイト――それはヴァイスハイトの中でも、ほんのひと握りの者だけが得る、“獣化”という能力を持つ者を指す。獣化自体はあまり詳しく解明されていない能力だが、まさかそれをノア皇子が持っていたとは。

 否、それ以前にエリックには、どうにも引っかかる点があった。

 

(聖者一族……白銀の髪に、ヴァイスハイト……“アルディス”って名前……)

 

 どうしても、アルディスの姿が脳裏を過ぎっていく。あまりにも、共通点が多過ぎるのだ。それでも否定したかった。信じたくなかった。逃げ道を、探したくなった。

 

 

「もう気付いているのだろう? アベル、あの男こそ……」

 

「待ってください! 彼は違います……彼の手に、フェルリオの紋章はありませんでした!」

 

 ゾディートが告げかけた言葉を遮り、マルーシャが白銀の髪を揺らして叫ぶ。

 今更だが、ゾディートもダークネスも、彼女の姿に驚く気配は無い。まるで、知っていたとでも言うように。向こうは、この現象の理由も知っているのだろう。

 

「……。マルーシャ」

 

「エリック、わたし見たよ……違うって、それで安心できたの!」

 

 マルーシャも不安になっているのだろう。現状、アルディスがノア皇子と別人であるという証明が出来るのは、紋章の有無だけなのだから。

 エリックは左手で印の刻まれた右手の甲を撫でる――そして、ハッとした。安心するのは、まだ早いのではないかと。むしろ、嫌な予感しかしなかった。

 

「マルーシャ、ちょっと待て……君は、アルの両方の手を見たのか?」

 

「いや、片方だけだよ? えっと、右手……」

 

 やっぱりそうか、とエリックは奥歯を砕けそうなほど強く、噛み締めた。

 

「マルーシャ……アルは左利きだ。仮に、紋章があるなら……」

 

「!?」

 

 エリックの指摘に、マルーシャのサファイアのような青い瞳が揺らいだ。彼女も漸く、自らの失態に気がついたのだ。眉を下げ、マルーシャはゆるゆると頭を振るう。

 

「……」

 

「やだ……そんなの、信じたくないよ……」

 

 すがるような思いで、二人は彼の姉を名乗るポプリへと視線を向けた。頼むから否定して欲しい、それは違うと言って欲しい――。

 しかし、ポプリはその視線を受けることを恐れていたかのように、琥珀色の瞳を逸らしてしまった。

 

「……ッ」

 

「ポプ、リ……」

 

 これ以上、嘘を貫くことは不可能だと判断したのだろう。

 眉間にしわを寄せ、両目を固く閉ざした彼女が噛み締めた唇は、血の気がなくなって酷く震えていた。これはもう、肯定としか言い様が無い。

 

 

――あまりにも突然に、勝手にパズルのピースが埋まって行くかのような思いだった。

 

 

 アルディスとノア皇子を結び付けること。それは、エリックの中ではいつの間にか、最大のタブーと化していた。

 今思えば、この両者を結び付けて考えた方が納得できる話は多々存在する。それは、王都を離れてから、尚更増加していった。

 

 王都に暮らそうとせず、森の中で隠れ住んでいたこと。

 最初は自分達を酷く拒絶し、名前を偽ろうとしたこと。

 決してフードと手袋を外さなかったこと。

 ヴァイスハイトとはいえ二度に渡って斬りつけられ、右の瞳は光を失っていたこと。

 禁呪とされた筈の虚無の呪縛(ヴォイドスペル)にその身を蝕まれていたこと――。

 

 これで、彼がただの純血鳳凰(クラル・キルヒェニア)であれば、どれほど良いだろうか。だが、エリックもマルーシャもディアナを拒絶しなかった。ただ純血鳳凰(クラル・キルヒェニア)であるだけならば、その時点で彼は自らの種族を明かしていたに違いない。迫害されない以上、純血鳳凰(クラル・キルヒェニア)であることを隠す理由は、無いのだから。

 

 それでも彼が自身の種族を明かさなかったのは、知られると困る事実が一緒に存在しているからだ。

 

 それはもう、彼が、アルディスがノア皇子と同一人物であるという事実以外、考えられなかった。

 

 

「違って、欲しかった……」

 

「エリック……」

 

 分かっていながらも無理矢理おかしな場所にはめ込んだパズルのピースは、とうとう限界を訴えるように、勢い良く弾け飛んでしまったのだ。

 

「違っていて欲しかったよ……! 今だって信じたくない! 信じたくないんだ!!」

 

 声が、酷く震える。胸が苦しい。

 今まで逃げ続けてきた真実を突きつけられ、エリックは今にも泣き出しそうなほどに追い詰められていた。

 

 完成したパズルは、絶望の真実を描いた一枚の絵としてエリックの前に現れた――それはもう崩すことも、その絵を見なかったことにすることさえも、できない。

 

 

「どうした? アベル」

 

「……本人捕まえて問い詰める。話は、それからだ」

 

 それでも尚、エリックは真実から目を背けようとしていた。

 ただ、今は普通に会話をしているとはいえ、兄達は簡単に先へは進ませてくれそうにない。わざわざ話し合いをするためだけに、彼らがここに来たとは思えなかった。

 俯きがちだった顔を上げ、エリックは目の前に立ちはだかるゾディートとダークネスに視線を移した。彼らとの戦いになることは、覚悟の上だった。

 

「ですから、そこを通していただきます」

 

 首のチョーカーに付いた透明のレーツェルに触れ、それを紺色の刃を持つ長剣へと変化させる。エリックは微かに震える右手でその柄を掴み、強く握り締めた。

 

「それは、宝剣ヴィーゲンリート……そうか、ついにお前の手に渡ったのか……」

 

 それを見て、ゾディートはどこか、忌々しそうに言葉を紡ぐ。自分がこの剣を手にしたという事実が気に入らないのだろうと、エリックはぐっと剣の柄を握りしめた。

 

(兄上……)

 

「取り上げますか?」

 

「いや、良い。それより、結界を解くぞ……あれでは、話にならんからな」

 

 ダークネスの問いに軽く答えた後、ゾディートは袖の下に仕込んでいたらしいレーツェルを細身の鞘に入った長剣へと変化させた。

 鞘から抜かれ、徐々に姿を表す銀色に鈍く光る刃が、エリックの躊躇いと動揺の隠せない顔を映している。

 

「良いのですか?」

 

「奴はこちらの戦意が分からぬほど馬鹿では無かったようだが、身の程を知らん……言い訳できぬように、全力で戦えるようにしてやるだけだ」

 

 ゾディートは長剣を地面に突き立て、魔力を流し込むように意識を集中させた。刹那、突き立てられた剣を中心に巨大な魔法陣が展開される。

 

「きゃ……っ」

 

 魔法陣は、スウェーラルの街全体を照らし出すかのように広がっていく。その光を受けたマルーシャは、またしてもその身を輝かせ始めた。

 

「!? マルーシャ!」

 

 今度は、彼女が叫び出すようなことは無かった。それでも不安になったエリックは、再び座り込んでしまったマルーシャへと視線を移す。これはまさに、敵から目を背けるような行為だ。

 だが、幸いにもゾディートもダークネスも、隙をついて襲い掛かってくるようなことは無かった。

 

「え……エリック……」

 

「マルーシャ……?」

 

 光が収束し、マルーシャの姿が顕になる。どういうわけか、彼女は元通りの艶やかなブロンドの髪と、黄緑色の瞳の少女の姿に戻っていた。

 

「一体、どういう……」

 

「二人とも話は後よ! あたしも魔術使えそう……どうやら、結界が解けたみたいね」

 

 つまりマルーシャの姿が変わったのは、ほぼ確実に結界の影響だということだ。しかし、あれこれと考えている余裕はなさそうだ。

 ポプリは軽くリボンを回し、戦闘態勢を整えていた。アルディスの件を誤魔化そうとしているのかと思ったが、それだけではないらしい。

 

「彼ら、逃がしてくれるつもり無いみたいだし……それにあたし、あの空色の髪した長身の男! あの男に、どうしても一撃与えたいの……!」

 

「……」

 

 空色の髪――つまり、ダークネスのことだ。先程、ポプリがダークネスを見て妙な反応をしたのは、過去にダークネスに良く似た容姿を持つジャンクを攻撃してしまったのは、彼女とダークネスとの間に何らかの因果関係があるからなのだろう。

 それでもダークネスは何も言わず、何の反応も見せず、ゾディートの出方を伺っている。まるで、ポプリのことなど眼中に無いと言わんばかりに。興味が無いと言わんばかりに。

 

「マルーシャ、今ならポプリの傷、治せるか?」

 

「うん! 任せて!」

 

 予備として持っていたらしいヘアゴムで髪を束ね、マルーシャはすぐに治癒術の詠唱に入った。詠唱中の彼女の前に立ち、エリックは背中に固定した鞘から短剣を引き抜く。

 

「兄上」

 

 本当は、戦いたくはない。そのような思いを込めてエリックは呟いたが、無駄だった。ゾディートは地面に突き刺さっていた長剣を引き抜き、鞘だけをレーツェルに戻して短剣を構えた。

 その構えは、エリックと全く同じもの。体付きの細いゾディートは、エリックと同じ流派の剣術を取得していたのだ。

 

「……」

 

 沈黙の中、一際強い風が吹く。ゾディートの漆黒の髪が乱れ、彼の銀の瞳が一瞬だけ隠れた。

 

「思い知るが良い。お前が、いかに無力であるかを」

 

「私は、もうあなたから逃げません! 覚悟してください、兄上!」

 

 エリックとゾディートは同時に地を蹴り、瓦礫だらけの道を踏みしめ、駆ける。ぶつかり合った長剣が響かせた金属音を合図に、マルーシャやポプリ、ダークネスも動き出した。

 

 

 

 

「! 結界が消えた……!?」

 

 異変に気付き、アルディスは路地裏から見えている狭い空を仰いだ。

 

「そのようだな。翼も……よし、出せた」

 

 アルディスの腕から離れ、ディアナは出したばかりの翼を動かして宙に浮かぶ。前線で黒衣の龍所属兵との戦闘を終えたばかりのジャンクもそのことに気付いたらしく、二人の元へと帰ってきた。

 

「助かった。これでようやく魔術全般が使えます」

 

「俺達は実質兵との戦いのみでしたし、エリック達が上手くやってくれたというこ……ッ!?」

 

 未だどこかで乱闘が起こっているらしく、爆発音や悲鳴が絶えない。それはスウェーラルに来てから散々聞かされてきたものだ。慣れて、しまうほどに。

 だが、今回は違う。聞こえてきた悲鳴に、声に聞き覚えがあったのだ。悲鳴に反応し、ディアナとアルディスの表情が一気に強ばる。

 

「今の、マルーシャの声じゃなかったか!?」

 

「俺にも聴こえました! くそっ、アイツら、幹部級と遭遇でもしたんじゃないか!?」

 

 この場に幹部級が来ていても、何らおかしくはない。既に黒衣の龍幹部級と呼ばれる四人、ダークネス、ヴァルガ、フェレニー、ベリアルと刃を交えているアルディスの顔には、特に焦りの色が見えていた。

 

「あんなのとやりあって、勝てるわけがない! さっさと加勢しないと!!」

 

「待ちなさい、アル!」

 

 走り出しそうになったアルディスの肩を、ジャンクが掴む。彼は同様にディアナの翼も掴んでいた。

 

「な、何をしているのですか!? 悠長なことを言っていられる相手ではありません!」

 

「だからこそ落ち着け……嫌な予感がする。少なくともお前は、行かない方が良い!」

 

「どういうことですか!?」

 

 ジャンクの手を振り払い、アルディスは問い詰めるようにジャンクに掴みかかる。それを、ディアナは意外にも冷静に見つめていた。

 

「言われてみれば……オレも、同意見だ。確かに、嫌な予感がするんだ……ただでさえ、このスウェーラル襲撃自体が、罠だと考えられるだけに」

 

「ディアナ?」

 

「だから、あなたは行かないで下さい。行くなら、オレとジャンで……」

 

 

「――行かせないよ」

 

 

 ディアナの声を遮るように、上空から落ち着いた女性の声が聴こえた。

 

「今の声は!?」

 

「!? 危ない!!」

 

 アルディスがその名を口に出す前に、ディアナが脅威に気付く。紫の魔法陣が、三人の下に浮かんでいた。気付くのが、遅すぎた。

 

「――エクステッドナイトメア」

 

 発動したのは、闇属性の魔術。深い紫の霧が、魔法陣から立ち上る。

 

「くそ……っ」

 

「!?」

 

 このままでは全滅してしまう! 咄嗟にアルディスは隣にいたジャンクに全力でぶつかり、陣の外へと突き飛ばした。

 

「な……っ!? アル! ディアナ!」

 

「一番陣の端にいた、あなたに、賭けました……」

 

「すまない。これは……耐えられそうもない……」

 

 アルディスもディアナも地面に手を付いてしまっていた。完全に意識を飛ばしてしまうのも、時間はの問題だろう――エクステッドナイトメアは、複数の者を眠りへと誘う魔術だ。

 

「無茶なことを……!」

 

 何とか術の影響を受けずに済んだジャンクは、二人を抱えようと手を伸ばす。だが、その手はアルディスによって弱々しく叩き落された。

 

「……。先に、行って、下さい……! このままじゃ、エリック達が、危ない……!」

 

「――ッ!」

 

「オレ達は大丈夫、だ……術者はどこかに、行ったようだし、な……」

 

 それだけを言って、アルディスとディアナはその場に崩れ落ちてしまった。基本的に魔術耐性の強い二人だが、勝つことができなかったらしい。エクステッドナイトメアの催眠効果が二人に魔術耐性を遥かに上回っていたということだ。

 

「確かに……もう、この付近には何の気配も感じません。路地裏だから、余程のことが無い限り襲撃もないだろう……そうですね、僕は先に行きましょう」

 

 ジャンクは自分の腰に巻いていた黒い布を解き、それを眠り込んでしまった二人を覆い隠すように掛けた。

 

「それは後で、返してください」

 

 ただ、ジャンクはアルディスとディアナのように聴力が優れているわけではなく、透視干渉(クラレンス・ラティマー)の能力にも限界がある。そのため、エリック達が今、何処にいるのかは分からない。彼らの危機的状況を分かっていながら、がむしゃらに探し回るしか無いのだ。

 

「頼むから、無事でいてください……!」

 

 間に合うかどうかは、ほとんど運任せである。一刻の猶予もないとジャンクは振り返ることなく、トンファーを手に全力で駆け出した。

 

 

 

 

「はぁ……っ、はぁ……っ」

 

 視界が霞んできた。全身が酷く痛む。指先の感覚も、もう無いに等しい。

 

(負ける……わけ、には……っ)

 

 カラン、と剣の転がる乾いた音がした。落としてしまったらしい。それを拾おうと、エリックは膝を曲げ、手を伸ばした――だが、

 

(あ……っ)

 

 その瞬間、一気に身体の力が抜けてしまった。地面が近付く。それに抗おうとする力はもう無く、頬を強く打ち付けてしまった。拾おうとした長剣は、エリック自身の顔の真横にあった。

 

(駄目、だ……立たな、いと……)

 

 倒れている場合ではない。剣を掴み、それを支えにして起き上がろうと、エリックは腕に力を入れた。あらゆる筋肉が悲鳴を上げているのが分かる。もう立てない、と身体が警鐘を鳴らしているのが分かる。

 

「ッ、ぐ……っ、ゴホッ」

 

 喉の奥から、何かが逆流してくる。それに耐えられず、エリックはゴホゴホと咽せ始め、再び地面に倒れ込んでしまった。口からは、真っ赤な血が流れ出てきた。

 

 

「どうした? もう終わりか?」

 

 荒い呼吸を繰り返すエリックの姿を、少し離れた位置からゾディートが見ている。ダークネスも同様だ。二人とも多少のダメージは受けていたものの、平然とその場に両足を付いて立っている。それに対し、こちらは……。

 

(どうして……ッ)

 

 マルーシャもポプリも、既に意識を無くして倒れてしまっていた――あっという間のことだった。自分達は、ゾディートとダークネスの猛襲にほんの数分耐えられたかどうかのレベルだった。それだけの力の差が、自分達とゾディート達の間にあったということだ。

 

「……」

 

 

――悔しかった。

 

 偉そうなことを言っておきながら、何も出来なかった。本当に、自分は無力だった――。

 

 

「どうします? 殿下」

 

「……私が始末する。お前には、兵士達の収集を任せる」

 

「承知しました」

 

 身動きの取れないエリックに背を向け、ダークネスはどこかへと走り去っていった。後には、ゾディートとエリック達だけが残される。ゾディートが手にする長剣が、鈍く銀の光を放つ。

 

「さて……どうしてやろうか」

 

 殺される、とエリックは思った。死にたくは無い。だが、逃げるだけの気力も、マルーシャとポプリを逃がすだけの気力も、無い。

 

「お願い……しま、す……マルーシャと、ポプリは……後ろの二人、には……」

 

「……」

 

 掠れ切った声を搾り出し、エリックは懸命に「自分だけを殺せ」とゾディートへと訴える――プライドも何もかも、ズタズタにされたような思いだった。自分が情けなくて、あまりにも惨めで、何より、辛くて、悲しくて、涙が出そうになる。

 

「……そうか」

 

 目の前にやってきたゾディートが、長剣を振り上げた。自分の願いを合意してくれていれば良い。殺されるのは自分だけで十分だ。そう願いながら、エリックは全てを諦めて静かに瞳を閉ざした。

 

 

「!? な……ッ!!」

 

 

――その時、異変が起きた。

 

 

(え……?)

 

 ゾディートが手にする剣の矛先が、どこか別の場所へと向いたらしい。薄れゆく意識の中、エリックは何とか右目を開き、起こった異変を目の当たりにした。

 

「お前……! お前は、まさか……!?」

 

 エリックから離れ、ゾディートは剣を構え直して驚愕の声を上げている。彼の前にいたのは、異様な雰囲気を醸し出した巨大な生物であった。

 

「クーッ!」

 

 馬ほどの大きさの身体は淡い青の毛に覆われ、海色の柔らかそうなたてがみは長い角の生えた頭から、尾ヒレの付いた長い尾の先端まで続いている。

 馬で言う耳の位置から尾の付け根部分まで伸びた長いヒレは、その生物の動きに合わせて大きく揺れていた。

 

(何なんだ……こいつ……)

 

「クォン……クーッ!」

 

 長いヒレと長い尾を揺らし、謎の生物は懸命にゾディートを威嚇している。一体何をしているのだろうか、そもそもあの生物は何なのかと、エリックは記憶を辿り始めた。あのような生物と遭遇したことは、これまでに一度もなかったはずだ。

 

 

『淡い青色の、大きな生物だったわ。大きさ的に、最初は馬かなって思ったの。でも、蹄とかなかったし、その代わりにあちこちにヒレが生えてて、長い尻尾の先は尾ヒレになってたわ。海色のたてがみから出る長い角と、長いヒレみたいな耳が凄く綺麗だった』

 

 

 ふいに、あの不思議な泉でポプリが語ってくれた話が、蘇ってきた。

 

(あ……っ!)

 

 自分の目の前にいる生物はまさに、彼女が出会ったという生物の特徴そのもの――つまり、あれは聖獣ケルピウスだ!

 

(一体、どうしてケルピウスがここに!?)

 

 あの時、マルーシャとアルディスはケルピウスに纏わる伝説の話もしていた。あの伝説の通り、ポプリに恩を返すためにケルピウスがやって来たということなのだろうか。

 

「クォン!!」

 

(!?)

 

 再び、ケルピウスの鳴き声が響く。見るとケルピウスはその背を深く切り裂かれ、そこから赤い血をボタボタと垂れ流していた。斬られてしまったのだろう。

 

「クーッ、クー……ッ」

 

(や、やめろ……やめてくれ……)

 

 苦しげなケルピウスの声に、エリックは耳を塞ぎたいという衝動に狩られた。それでも尚、動かない身体が腹立たしい。

 

「お前、何故そこまで? 私は“視ていた”。だからこそ、お前がそうするとは思わなかった……どういう、つもりだ?」

 

「クー……」

 

「まあ、良い。その状態では、話などできぬだろうからな……分かった。この場は立ち去ってやろう。だがあまり、無理をするな……自分を粗末にするんじゃない。辛いだろうが、生き延びろ」

 

(え……?)

 

 何が起きたのか分からなかった。ただ、分かったのはどういうわけかゾディートが剣を収めて立ち去ってしまったことだけだ。何故なのだろうか。

 第一、兄が言っている言葉自体かなり考えさせられるものだ。詳細を知りたい、一体何の話をしているのかと問いたい。

 

 

「クォン……」

 

 相変わらず、ケルピウスは辛そうだった。斬られた背が痛むらしい。その傷がどれほどの深さであるか確認しようとエリックは首を起こそうとしたが、駄目だった。意識が、これまでとは比べ物にならないほど、一気に薄れてくる。

 

(駄目だ……こんな、所で……ッ)

 

 自分もそうだが、マルーシャとポプリも放置する訳にはいかないほどに傷付いている。それは、目の前のケルピウスも同じだった。

 

(起きないと……ッ、早く……早く……ッ)

 

 視界が閉ざされてしまった。もう、何も見えない。意識が、闇へと引きずり込まれていく。

 このままでは皆どうなってしまうのか分からないというのに。どうして、この身体は動いてくれないのだろうか。

 

 嗚呼――自分にもっと、もっと力があったならば。

 自分自身への憎悪の思いが、エリックを支配する。

 

 

(何で、僕はこんなに……無力、なんだよ……)

 

 

 残酷なまでの敗北感を感じながら、エリックは完全に意識を手放した。

 フェルリオの帝都も、民も、大切な仲間さえも、救えぬまま――。

 

 

 

―――― To be continued.





ケルピウス

【挿絵表示】

(自作絵)

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