テイルズ オブ フェータリアン ー希望を紡ぎ出すRPGー   作:逢月

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Tune.24 不協和音

 

 霧が晴れたのは、あれから数時間後のことであった。霧さえ無くなれば問題ない、とすぐに泉を発ったエリック達は、まだ日が明るいうちに最初の目的地であるセーニョ港にたどり着くことができていた。

 

 セーニョはアドゥシールのような美しさはないが、丁寧な職人技が発揮された石貼りの街路の先には広大に広がる海と、そこに浮かぶ巨大な船が数隻存在している。

 この港では数十年前、要するに今は亡きヴィンセント前王がラドクリフ王位を継承するまでは、盛んにフェルリオとの交易が行われていたらしい。

 しかしながら、今となってはこの港の船が一般市民を乗せることはない。現在では、本当にか細い貿易があるかないか程度だ。

 

 今回、船に乗ってフェルリオ帝国に渡るにあたり、利用するのは王子であるエリック自身の権力である。ゼノビア女王直筆の許可証は持参しているが、王子である彼ならば普通に通過できることだろう。

 しかし、次期国王とその許嫁が安物の服をまとった状態で正体を明かすのは王家の品格を守るという意味合いであまり褒められたものではない。そのため、エリックもマルーシャも「乗船手続きをする時だけはちゃんとした服装」で、とゼノビア女王及び国務に携わる大臣達に言いつけられていた。

 そのことを仲間達に話し、路地裏で着替えてきたエリックとマルーシャであったが……。

 

 

「待たせたな。それじゃ、行こうか」

 

「えへへ、短い丈の奴で良かった。動きやすいもん」

 

「!?」

 

 

 戻ってきた二人の姿を、仲間達は唖然とした表情で見つめている――エリックは髪をひとまとめにして、藍色の上質な上着を羽織って首に黒いスカーフを巻き、シミもシワも無い純白のズボンを身にまとっている。マルーシャにいたっては髪を下ろし、流石にロング丈ではなかったものの、ひらひらとしたレースの装飾が可愛らしいミニドレスを着こなしていた――恐ろしいことに、どちらも全く違和感が無いのである。

 

「い、いやー……その、ね? 二人とも、何というか……」

 

「そうですね。僕らが物凄いのと旅しているということを再確認せざるを得ないというか」

 

「ああ。正直おどろいた……やっぱり、二人とも王族なんだな……」

 

 ポプリ、ジャンク、ディアナは重要なところをぼやかしながら二人から目をそらす。「どういうことだ」と問い詰めようとしたエリックの肩をアルディスがポンポンと叩いた。

 

「化けるってことだよ。俺は八年振りに二人の正装見たけど、当時より色々増してるよね」

 

「え……」

 

「似合ってるけど、うん。そういうこと。二人とも、元気だからなー」

 

 四人を代表しましたと言わんばかりに、アルディスは無表情のままで語る。エリックもマルーシャも、ショックのあまり口を魚のようにパクパクさせていた。

 

 

「……。アル、今から何に乗るか、理解してんだろうな?」

 

「え?」

 

 エリックは悪戯めいた笑みを浮かべ、アルディスの頭を軽く叩いた。

 

「ディアナは色々と隠しとけよ、いくら僕でも庇いきれないからな。じゃあ、行くぞ」

 

「あ、ああ……って、そうか。水恐怖症のアルに、船は辛いよな……」

 

「!?」

 

 頭の端に追いやっていたのか、あえて考えないようにしていたのかは分からない。分からないが、アルディスは今になって顔面を蒼白にした。

 

「アル君、大丈夫よ。船の端っこいかなきゃ……海は見えないから……ね?」

 

「は、は、は……はい……っ」

 

 問題は乗り降りよね、海が荒れてなきゃ良いわね、とポプリは一向に直りそうにない水恐怖症の義弟に笑いかける。

 かなり可哀想だが、船に乗らない訳にはいかないのだ。だが、流石にこれは悪いと思ったのか先を進んでいたエリックが一旦帰ってきた。

 

「大丈夫だよ。船沈むなんてないだろうし、仮にお前が海に落ちるようなことあったら、ちゃんと助けてやるから。僕が泳ぐの得意なの、知ってるだろ?」

 

「それとこれとは話が違う!」

 

 脅すだけ脅しといてそれは無いだろうとアルディスはエリックを睨みつける。睨みつけてはいるものの、見事なまでに涙目だった。迫力の「は」の字も無い表情だった。

 

「アルディス、諦めて行こうね? ほらエリック、船の人がこっち見てるよ。ほらアルディス、頑張れー?」

 

 出航の時間もあるし早く行かないと、とマルーシャが手を振っている――エリックもそうだが、彼女もアルディスの“化ける”発言に逆襲を仕掛けてきている!

 

 普段は微塵も感じさせないのだが、彼女らにも王族としてのプライドはあったということなのだろう。「普段は王族らしいオーラが全くない」と言われたに等しい彼らは少なからず、アルディスに意地悪をしたい気分になってしまったようだ。

 

 

「はぁ……」

 

「ここから見た感じ、通り道はどうも板乗せてるだけみたいね……」

 

 近付くにつれて、明らかになる船の姿。巨大で豪勢な作りの船だが、港と船を繋ぐのはただの板だった。せめて橋だったら良かったのにねとポプリはアルディスを見た。

 

「もう嫌だ……」

 

 完全に鬱状態だ。幸いにも海は穏やかだったのだが、これで大荒れにでもなっていたらこの男、泣いたかもしれない。相当である。

 

「大丈夫よ、ね? ほら、一緒にいてあげるから」

 

 そんなアルディスの手を握り、ポプリが宥めるように笑いかけた。こうして見ると、本当に姉弟なんだなとエリックは思う。思うと同時、羨ましくなった。

 

(アルは……片目斬られたとはいえ、本当に良いお姉さん持ったよな)

 

 アルディスはポプリに片目を抉られたという過去を持つ。当然ながら、彼は再会してすぐの段階ではポプリに怯えていたし、逃げ回ってもいた。

 しかし実際の所、彼らは仲が良かった。少なくとも姉弟同士で殺し合うような関係ではなかったのだ。そんな彼らの様子を見て、エリックは密かに眉を潜める。

 

(こんなこと、思っても仕方ないんだろうけど)

 

 

――羨ましい、と思ってしまった。

 

 

 年上の兄弟を持つのはエリックも同じである。だが、自分と兄は――エリックとゾディートは、間違っても良好な関係とは言い難い。

 そもそも、最初にルネリアルを離れることになった理由は彼に襲われたからだ。アルディスの“ついで”に、殺されそうになったからだ。

 

「――ッ」

 

 醜い感情だ、とエリックは己を叱咤した。軽く顔を叩き、なるべく二人の姿を見ないようにして船の前に立つ大柄な男の前へと駆けていく。恐らく、彼が船長だ。

 

「……? 見ない顔だな。やけに身形が良い様だが、船に乗せる訳には……」

 

 怪訝そうな顔で、船長はエリックを見下ろしている。目の前に居る少年が、母国の王子であると分かっていないのだ。

 

「そう、でしょうね。無理もありません」

 

 エリックも、この反応を悟っていた――分からない方が、普通なのだ。事実、“アベル王子”の姿を見たことがある者は少ない。脱走癖があるとはいえ、脱走時は完全に一般人に化けた状態の姿である。すれ違う者達も、まさかその少年が王子であるとは思っていない筈だ。

 しかも病弱体質であるエリックは、これまでルネリアルを遠く離れたことも、演説を行なった経験も無い。簡単な政策などは行って来たものの、民衆に姿を見せたことはほとんど無かったのである。

 

「改めまして、私はエリック=アベル=ラドクリフと申します。ゼノビア陛下から、お話は伺っているかと思うのですが……」

 

「!? た、大変申し訳ないことを……! 本当に失礼致しました!」

 

 手のひらを返したように、船長が対応を変えてきた。複雑な心境を隠すように、エリックは己の顔に笑みを貼り付けてみせた。

 

「構いませんよ。一応、許可証を持参しております。私を含め、同行六人……と、鳥一羽、ですね。搭乗許可を頂けますか?」

 

「はい、勿論です! お連れ様もどうぞこちらへ、客室は二人部屋を三部屋しか用意出来なかったのですが……」

 

「……え?」

 

 二人部屋を三部屋。つまり、最初から六人組だと分かっていた計算になる――エリックもマルーシャも、ゼノビアにそのような話をした覚えはない。

 

「!? や、やはり問題が……!」

 

「い、いや、違う! そうではないのです。ただ、少し、引っかかることがありまして……問題はありません。それでは、通らせて頂きますね……皆、行きましょう」

 

 だが、それを船長に話したところでどうにもならないだろう。エリックは船長に軽く微笑んでから、後ろで待っていた仲間達を手招きして船に乗り込んでいった。

 

 

 

 

「……ほ、本当に沈まないんだろうな」

 

 船が港を出てから、それなりの時間が経過した。しかし、アルディスはまだ海上という状況に慣れないらしい。

 変わらず顔面蒼白のアルディスは恨めしそうにエリックを睨みつけている。その様子を見て、ジャンクはクスリと笑った。

 

「本当に駄目なんですね。そういえば、嵐の日に海に落ちたって言ってたよな。あー、だから海はなおさら駄目なんですね」

 

 アルディスがどうして水を怖がるのか、という話は厳密には誰も聞いたことはない。ただ、間違いなく理由は『嵐の日に海に落ちて死にかけたから』だろう。

 この話であればエリックとマルーシャ、ポプリは幼い頃に、他の二人は割と最近耳にしており、一応全員が知っている事実である。

 

「まあ、あたし達も一緒にいてあげるから……ね?」

 

「……」

 

 くじ引きの結果、部屋割りはエリックとアルディス、ディアナとマルーシャとチャッピー、ジャンクとポプリといった感じになったのだが、別に離れる必要はないだろう――というよりはアルディスが哀れすぎて――と今は全員エリックとアルディスの部屋に集合していた。

 エリックとマルーシャは既にいつも通りの服装に着替えている。やはり物理的な意味でも、汚すのを躊躇うという精神的な意味でも、正装というものは動きにくいのだ。

 

 

 ふいに、マルーシャは自分を抱きしめるようにしてぶるりと震えた。

 

「うう……っ、急に寒くなってきたような気がする……!」

 

 確かに、突然一気に外の温度が下がったのを感じる。マルーシャは仲間内でも特に薄着だからこそ、その変化を感じ取ったのだろう。

 この部屋には窓が無いため、外の風景は見えない。気候が変わったということは、今はフェルリオの領海に入ったのだろうか?

 

「マルーシャ、何か着た方が良いんじゃないかい?」

 

「そういうアルこそ……それ、寒くないか?」

 

 マルーシャほどでもないが、アルディスの服装も似たようなものである。だが、アルディスは寒さに関しては変わった様子を見せなかった。

 

「俺は平気。それより、多分外出たら驚くんじゃないかな?」

 

「え?」

 

 確かになぁ、とディアナはうんうんと頷いている。

 

「何なら、外に出てみる? ていうか、俺もちょっと外見たいから着いてきてよ」

 

 久しぶりにこっちに帰ってきたから、風景を見てみたいんだ。

 そう言って、アルディスは自分一人で行くのは嫌だと言わんばかりに誰かが手を上げるのを待っていた。

 

「うーん、何だかそこまで言われると、わたし、気になるな」

 

「オレも久々に見ようかな……せっかくだ。皆で甲板辺りまで行ってみないか?」

 

 ディアナはチャッピーに跨り、翼を消してフードを深く被る。不便そうではあるが、これはラドクリフ王国から出港した船だ。外は、ラドクリフの人間ばかりなのである。こうせざるを得ないのだ。

 

「僕は賛成。ポプリとジャンは?」

 

「ええ、勿論行くわ」

 

「そうですね、僕も行こう」

 

 皆が同意し、アルディスは少しだけ嬉しそうにドアノブに手を掛けた。

 

「……。まあ、すぐに、引っ込むけどね、俺は……」

 

「アルディス……」

 

 

 

 

「え……」

 

 長い連絡通路を通り、鉄製のドアを開き、辿り着いた甲板。見慣れぬ風景に、エリックは思わず息を呑んだ。

 

「下位精霊が飛び回ってる……? しかも、こ、これ……この白いの、雪……か……?」

 

 薄暗い空を飛び回るのは、色鮮やかな光を放つ下位精霊達。そして、純白の粉雪。

 

「正解。フェルリオ帝国……セレナード大陸側は寒いから、珍しくは無いんだよ。下位精霊大繁殖の理由は詳しく知らないんだけど……綺麗だよね」

 

 隣に立っていたアルディスが、どこか懐かしそうに呟いた。マルーシャとポプリ、ジャンクは好奇心を抑えきれないと言わんばかりに船の甲板を歩き回っている。これは少なくともラドクリフ王国内では見られない風景であるがゆえに、無理もないだろう。

 

「そう、なのか……」

 

 マルーシャ達も同様だが、エリックは雪というものを見たことが無かった。暖かなラドクリフ王国で雪が降れば、まず天変地異として騒がれているだろう。それだけ、ラドクリフ王国側のスケルツォ大陸は温暖な気候が特徴なのだ。

 

「不思議だよな。海上のある地点を超えた瞬間、一気に気候が変わるんだ。まるで、海の真ん中に見えない壁があって、何かを遮られているようだ」

 

「確かに」

 

 エリックからしてみれば、突然異世界に来たかのような気分で。それゆえに見えない壁、というディアナの表現がしっくり来てしまう程の変化だった。

 

「基本的にこんな天気だから、フェルリオは昼間でも薄暗い。けれど、こうして下位精霊が照らしてくれる。ありがたい話だ」

 

「ああ。それにしても、こんなに沢山……僕は下位精霊、地属性の奴を一度だけ見たきりなんだよな。後はジャンが手懐けてる下位精霊くらいか……」

 

 

 ディアナと話している途中、黄の光を放つ下位精霊が徐々にアルディスに寄ってきていることにエリックは気付いた。

 

「……ありがとう、助かるよ」

 

「アル?」

 

 エリックに名を呼ばれ、アルディスは困ったように小首を傾げてみせる。

 

「……。俺、呪いで体内魔力、減ってきてるから……助けに、来てくれたみたいで……」

 

「ッ!」

 

 優しいよね、と呟くアルディスの横顔から、エリックは思わず目をそらしてしまった。

 

「気にしなくて良いよ。これに関しては、君は何も関係ないじゃないか」

 

「アル……」

 

 そんなアルディスの身体が虚無の呪縛(ヴォイドスペル)に蝕まれていると知ったのは、昨日の話だった。それでも彼は「君は何も関係ない」の一点張りで詳しく話そうとはしなかったのだ。

 それはディアナに対しても同様らしく、心配してあれこれ追求する彼女に対してもアルディスはひたすら首を横に振り続けた。

 

 

「俺、先に戻るね。皆はもう少しここにいると良いよ」

 

「あ、オレも……」

 

 下位精霊に別れを告げたアルディスとチャッピーの上のディアナは踵を返して連絡通路を戻っていく。親友のどこか寂しげな姿を放ってはおけないと、エリックも慌てて踵を返して走り出した。

 

「! い、いや、僕も戻……うわっ!?」

 

 その途中、エリックはフラフラと歩いていた大柄な男と衝突してしまった。

 

「あぶねえな!」

 

「あ……わ、悪い……」

 

 衝撃で座り込んだエリックを罵倒する男の息は、酒臭い。まだ昼間だというのに、どうやら宴会の最中らしい。男が扉を開けた部屋からは、下品な笑い声が漏れていた。

 

 

「エリック大丈夫!? もう……! わたし、文句言ってくる」

 

「や、やめとけってマルーシャ。僕は平気だ」

 

 マルーシャ、ポプリ、ジャンクも騒ぎを聞きつけて走り寄ってきた。少し先を進んでいたアルディスとディアナもこちらに戻ってくる。

 

「ディアナ、というかチャッピーに当たらなくて良かったな。落ちて耳が見えたら大変だ」

 

「そ、それもそうだが……」

 

 

『おい! 今の、アベル王子だったらどうするんだよ! ちらっと見えたけど、金髪に赤い目だったぞ!?』

 

 かなり酔っているのだろう。部屋の中から、大きな声が漏れて聴こえて来る。

 

『はぁ!? そんな訳ねーだろ! どう見たってありゃ庶民だっての!』

 

 エリックと衝突した男の笑い声が響く。本当に化けるんだなぁ、とエリックはため息を吐いた――その時だった。

 

 

『第一、あんな病弱でどうしようもない王子サマが、海風に当たって平然としてるわけねーって!』

 

「え……?」

 

 

――今、あの男は、何と言った?

 

 

『ははっ、それもそうだな!』

 

 部屋の外に声が漏れ、盗み聴きされているとも知らずに部屋の中の男達は楽しげにゲラゲラと笑っている。

 

『ていうか、この船乗ってるっていうアベル王子。本物かぁ? 本物がヴィーデ港まで行けるとは思えねーんだけど』

 

『しかもフェルリオ行きの船だしなー……あーあ。生き恥晒すようなもんだってのに。ホント勘弁して欲しいよな』

 

「! エリック、行こう……?」

 

 本物がヴィーデ港に行けるはずがない。生き恥。

 その場に立ち尽くしていたエリックの手を、不愉快だと言わんばかりに顔をしかめたアルディスが引いた。

 

「は、離してよ! ポプ――」

 

「ダメよ、マルーシャちゃん……行きましょう、アル君」

 

 騒ぎ散らしながら部屋に飛び込んで行きそうなマルーシャの口を身体ごと抱え込むような姿勢で押さえ、ポプリはアルディスに先に進むように促す。

 

「早く行こう、エリック。気にしない方が良いよ……」

 

 

『あっちには優秀なノア皇子がいたってのにな。ノア皇子生きてたら、アベル王子なんてとっくの昔に殺されてんだろうな! 本当に頼りない次期国王様だぜ……逆だったら良かったのにな!』

 

 

「!?」

 

 この言葉には、流石にその場に居た全員が息を呑み、引き寄せられるようにエリックを見た。場違いな笑い声が、響く。

 

「は……っははは、あははは……っ! 頼りない、か……本当に、そうだよな……」

 

 ラドクリフ王国内の大半の国民は、エリックを支持している。ただ、あくまでも“大半”だ。全員ではない。

 当然ながら、エリックを拒む国民だっているのだ――特に、先のシックザール大戦を経験し、アベル王子とノア皇子の能力の差を目の当たりにした前線の兵士達は、エリックを非難しているという話だった。

 エリック自身も、その話を知ってはいたし、自分でもそう思ってはいたが……正直、いざ耳にしてみると、耐え難いものであった。

 アルディスは立ち止まってしまいそうなエリックを何とか部屋に押し込み、他の仲間達が流れ込むように部屋に入ってきたのを確認した後にドアを閉めた。

 

 

 

 

 

「お、驚いたな……いやー、本当に世の中には色んな考え方の人間がいるのですね……面白いなぁ、人間っていうのは……」

 

「そうね……そ、そうだわ。ご飯にしましょ? ほらエリック君。泉にいた時に、アル君がお弁当作ってくれたのよ?」

 

 

 あまりにも、空気が悪い。ジャンクが半ば強引に話題を変えようと戯けてみせ、続けてポプリも上手く場を宥めようとしているが、全くもって効果が無い。マルーシャは本気で怒っているし、エリックに至っては完全に無言だった。

 

「あまり気にするんじゃない、エリック……マルーシャも、落ち着け」

 

 チャッピーから降りたディアナは動揺のあまり、微かに声を震わせながらも言葉を紡ぐ。それに対し、エリックは困ったように笑い、漸く口を開いた。

 

「やっぱり、さ……ノア皇子って凄いよな。敵国の人間ですら、ああ言うんだから……本当に、生きてたらって思うと……」

 

「……」

 

 エリックは知らない。目の前の親友が、その“ノア皇子”であるという事実を。

 

 

「ねえ……エリック……」

 

「どうした?」

 

 アルディスは微かに俯いた状態で動悸をこらえるように軽く胸元を押さえている。翡翠の瞳を伏せたまま、彼は躊躇いつつもエリックに問いかけた。

 

 

「ノア皇子は、今も生きていると、そう思うか……?」

 

 

「アル君……!?」

 

 明らかに、今のこの状況でそれは失言だった。彼の正体を知る者達は、背筋が凍るような感覚を覚える。

 エリックはアルディスの問いに驚いて目を丸くしていたが、やがてアルディスから目を反らした後、どこか苦しそうに吐き捨てた。

 

「はは、確かに、まだ……“生きてそう”だよな」

 

 まるで、それを拒んでいるかのような言い回し。覚悟はしていたのだろう。アルディスは先ほどよりも深く俯いていた――だが、エリックの心の闇は、彼の想像を上回るほどに、深いものであった。

 

 

「だから正直……“死んでいれば良いのに”って、そう願わずにはいられないよ……」

 

「ーーッ!」

 

 紡がれた言葉は、それは、何かに隠されることすらなかったノア皇子への負の感情。それを聞き、顔を上げたアルディスの表情は今にも泣き出してしまいそうなほどに歪んでいて。

 

「ふ……ふざけるな!」

 

 悲しげなアルディスの姿を見たディアナは、爪が手袋を突き破りそうなほど左手を固く握り締め、翼を大きく動かした。

 

「! ディアナ、やめろ!」

 

 それに気付き、咄嗟に叫んだアルディスの静止の声は、ディアナには届かなかった。

 

「ッ!?」

 

 鈍い音と共に、エリックが盛大に床に転がる。打ち付けた背と、右頬がヒリヒリと痛む。一瞬何がなんだか分からなかったが、痛みでやっと理解した――ディアナに、殴られたのだ。口内を切ったらしく、口の端から赤い血が垂れてきていた。

 

「痛……っ!」

 

「仮にもあなたは王子だろう!? そのような発言、許されると思っているのか!?」

 

 殴られた右頬を押さえるエリックを、ディアナの酷く潤んだ瞳が見下ろしている。二人の間に入り、マルーシャは右手を大きく振り上げた。

 

「なんてことするの!」

 

 皮膚と皮膚がぶつかる、乾いた音が響く。平手打ちだ。仲間に手を上げるなど、普段のマルーシャなら考えられない行動である。しかし、今は違う。垂れ目がちな瞳からボロボロと涙をこぼしながら、マルーシャは叫んだ。

 

「ふざけないで!! エリックが今まで、どんな気持ちでいたか――」

 

「ッ、それなら、あなたはノア殿下がこれまでどんな気持ちでいたのか、それを全て分かっているというのか!? 浅はかな気持ちで、好き勝手なことを言うな!!」

 

 左頬を赤くしたディアナは声を震わせ、マルーシャに掴みかかった。こらえきれなかったらしく、彼女の青い瞳からも、ついに涙がこぼれ落ちる。

 

「二人とも落ち着きなさい! 言い争ったって仕方がないでしょう!?」

 

 殴り合いの喧嘩にまで発展してしまいそうな二人を何とか宥めようと、ポプリが声を荒げる。しかし、二人のにらみ合いは収まりそうにない。

 

「それとこれとは、全然話が違うじゃない!!」

 

「違わないから言っているのだろう!? あなた方は、また双国大戦を引き起こしたいのか!?」

 

 マルーシャとディアナは、互いに一歩も譲ることなく泣き叫んでいる。その様子を、エリックはただただ、呆然と眺めていた。

 

「ち……っ」

 

 それを腹立たしく感じたのか、ディアナはマルーシャを完全に無視する形で、エリックに溢れ出る怒りを言葉に乗せた罵声を浴びせ始めた。

 

 

「エリック! あなたは先代王とは違うと思っていた……けれど、それはオレの思い過ごしだった! あなたも、結局は自国のことしか考えていないのだろう!?」

 

「……」

 

「結局……ッ、あなた方はフェルリオ帝国のことも、ノア殿下のことも……オレ達、純血鳳凰(クラル・キルヒェニア)のことも、どうでも良いのだろう!? 自国さえ良ければ、何だって良いんだろう!?」

 

 ディアナの言葉は、その全てがエリックの胸に刺さり――そして酷く、抉っていった。どうでも良いなどとは、思っていない。そう言い返したかった。けれど、できなかった。

 

 

――言い返せるようなことを、自分は何一つとして、してこなかったから。

 

 

「だから何でそんなこと言うの!? ディアナ!」

 

 マルーシャは、ただひたすらに自分を庇おうとしてくれている。だが、彼女だってきっと分かっている筈なのだ。ディアナの言葉が、決して間違ってなどいないということを。

 

「仕方、ないですね……あまり、こういった物は良くないのですが」

 

 どうしようもないと判断したのか、ジャンクは二本の注射器を手にしていた。その小さな注射器の中身は恐らく、精神安定剤の部類である。

 

「ポプリ、マルーシャの方を頼みます」

 

 ジャンクはそのうちの一本をポプリに投げ、力づくでディアナを押さえ込みにかかった。

 

「! これ……結構強い奴じゃない……!」

 

「背に腹は代えられない!」

 

 注射器の中身を確認したポプリは驚愕を顔に浮かべる。しかし、どうしようもないと思ったのは彼女も同じらしく、すぐにマルーシャを押さえ込もうと動いた。

 

 

「! ふ、二人とも、やめて下さい……! 俺が悪いんです! 俺が……俺が全部悪いんです!!」

 

 そんな二人を、暴れていたマルーシャとディアナを静止したのは、アルディスのあまりにも弱々しい叫びだった。

 

 

「アル……ディス……何で、泣いて……?」

 

 我に返ったマルーシャの指摘通り、アルディスの翡翠の瞳からは、涙がとめどなく流れている。

 

「ごめん……俺が、あんなこと、聞いたから……っ、ごめん……エリック、マルーシャ……ディアナ……ごめん……っ!」

 

 虚ろな瞳をしたアルディスはうわ言のように「ごめん」と繰り返す。その頬を伝う涙には、気にも留めていない様子だった。

 

「辛かったよね、エリック。ごめんね……ごめん、なさい……」

 

「アル……僕は……」

 

 明らかに様子がおかしい。エリック、と名前こそ呼んでいるが、その瞳からは感情が感じられない。焦点が、定まっていない。

 

「……ッ」

 

「アル!」

 

 異変に気付いたエリックは立ち上がったのを見て、アルディスは無言で部屋を飛び出していってしまった。

 

「アルディス!」

 

 その後を追おうとしたディアナの腕を、ポプリが掴む。

 

「先生」

 

「……分かりました。ここは、任せる」

 

 ジャンクはポプリと軽く目を合わせた後、アルディスを追って部屋を飛び出していった。閉じられることなく、開いたままのドアがギィ、と無機質な音を立てる。

 

 

「マルーシャちゃん、アル君と部屋、代わってあげて? ディアナ君はあたしと一緒の部屋。良いわね?」

 

 ディアナの腕を掴んだまま、ポプリは部屋の外を軽く確認した後に部屋を出て行く。チャッピーもその後を追い、その場にはエリックとマルーシャのみが残された。

 

 

 

 

「……ポプリ」

 

「うふふ、もっと抵抗されるかと思っちゃった。ありがとう、ディアナ君」

 

 簡易ベッドに腰掛け、声を震わせるディアナと、そんな彼女に優しく微笑みかけるポプリ。今では、ディアナもすっかり落ち着いていた。

 

「それから……ありがと、君がエリック君殴ってなかったら多分……あたしが、彼を殴り飛ばしてたかも」

 

「え……?」

 

「でも、そんなことしたらあたしの弟の“アルディス=クロード”とノア皇子の関係を悟られかねないわ。まあ、アル君の……ノアの、あの質問自体がかなり駄目だったんだけどね?」

 

 エリックの発言に腹を立てたのは、ディアナだけでは無かったということだ。その言葉に、ディアナは俯き、肩を震わせる。

 

「オレは……ッ、アルディスを……殿下を、逆に傷付けてしまうようなこと……!」

 

「……。そうね。それは、否定出来ないかもしれない」

 

 ディアナの横に腰掛け、ポプリはぽんと藍色の髪を撫でた。

 

 

「あたしね、エリック君の気持ちも分からなくはないのよ。ノアは、本当によくできた子だった……あの時はああ言ったけれど、実際はあたし、ノアの能力を潰したいって、奪い取ってしまいたいって、そう思っていたのかもしれないわ……」

 

 アルディスが、ポプリと顔を合わせた時。そこに居合わせたディアナは、ポプリに刃を向けて叫んでいた――あなたは、残された左目さえも奪う気なのか、と。

 

「軽蔑した?」

 

「いや……ポプリ、その……すまなかった……」

 

 え? とポプリが首を傾げる。ディアナは未だ涙の残る瞳で、彼女の顔を見上げていた。

 

「あなたは、本当にアルディスのことを思っている……それを理解していながら、オレは……」

 

「君は悪くないわ。それが普通よ……あたしに普通に接してくれるノアが、ちょっと変わってるの」

 

 結局、あの後もポプリに反発し続けたディアナに対し、当のアルディスは今となってはポプリを受け入れている。それがおかしいのだと、ポプリは困ったように笑う。

 

「あの子は……不必要に、優しいから。さっきの見ても、分かったでしょう?」

 

 死んでいて欲しい、と言われたのに。自分がノア皇子であることを伏せていたとはいえ、あの場で逆上することなく、彼は耐えていた。耐え続けていたのだ。

 

「ああ……多分、彼の『ごめんなさい』の意味は……」

 

 

――生きていて、ごめんなさい。

 

 

 考えれば考えるほどに、胸が苦しくなるのをディアナは感じた。それは同じらしく、ポプリもスカートを強く握り締めている。

 

「大丈夫よ。きっと、先生がちゃんと連れ戻してくれるわ」

 

 ディアナにそう言い聞かせるポプリの顔にはもう、笑みは無かった。

 

 

 

 

「アル」

 

 やっと見つけた、とジャンクは切れた息を落ち着かせながら呟いた。その視線の先には、非常階段の下で小さく蹲っているアルディスの姿。

 

「馬鹿な質問したって、自分でも思ってます」

 

「……」

 

「ですが、どうしても……っ、どうしても気になってしまって……!」

 

 顔を上げることなく、アルディスは嗚咽混じりの声を響かせた。ずっと泣いていたのか、その声は微かに掠れている。

 

「あの答えが返ってくることも、どこかでちゃんと分かっていたんです……っ」

 

「……アルディス」

 

「俺は……アイツらに、エリックとマルーシャに、甘え過ぎてた……一緒になんて、いちゃいけなかったんです……っ!!」

 

 ジャンクは泣きじゃくるアルディスの前にしゃがみ込み、その顔を上げさせた。涙が止まらないアルディスの目は、軽く充血して赤くなっていた。

 

 

「本当に……死んでいれば、良かったのですがね……」

 

「!」

 

「十年前のシックザール大戦。あの時点で……あの時点で俺は、死んでいるべきだったんです!!」

 

 叫び、アルディスは再び俯いてしまった。押さえきれない嗚咽が、非常階段の下で響く。ジャンクは軽く辺りを見回した後、ぽんぽんとフードの取れた白銀の髪を優しく叩いた。

 

 

「ごめんな、きっと本来ならば……こういう時は怒鳴り上げて喝を入れてやれば良いのですよね? ですが……僕には、それができなくて」

 

「え……?」

 

 思わず顔を上げたアルディスの目の前には、悲しげにこちらを見つめてくるアシンメトリーの瞳があった。

 

「笑うことができなくなってしまったお前の気持ち。僕も、多少は理解しているつもりなんです……僕も正直、表情を変化させるのには自信が無くて。特に怒り方に関しては、全く、分からなくて……」

 

「ッ!?」

 

 ごめんな、と力なく謝った後、ジャンクは再びアルディスの頭をぽんぽんと叩く。

 

「ただ、これだけ。僕にとって、同じヴァイスハイトとして生を受けたお前の……ノア皇子の存在は希望だった。もしかしたら、“僕のような思いをする”同族が、減るかもしれない……と」

 

「ジャン、さん……?」

 

「……。だから僕は、お前にとって絶対の味方であり続ける。自分のためと言えばそれまでかもしれませんが……だから……」

 

 そんな寂しいことを、辛いことを言わないで欲しい。

 アルディスに質問をさせる猶予すら与えず、ジャンクはそこまで語り切った。

 

「俺、は……」

 

 だが、今のアルディスにジャンクの切実な思いに応える自信など無かった。そのようなものは、とうの昔に消え失せてしまっていた。

 ジャンクも、それはちゃんと分かっていたらしい。彼は金と銀の瞳を細め、控えめな笑みを浮かべてみせた。

 

「まあ、今のは僕の独り言だと思って聞き流してくれれば良い。とにかく、今は思う存分泣いておきなさい。別にからかったりしないから。そういうのは、ちゃんと発散しといた方が良い」

 

 絶対の味方であり続ける、と言い切ったジャンクはその場で立ち上がると、アルディスの前に立つ形で背を向けた。恐らく、人が来ないように注意してくれているのだろう。

 

 

(どうして……)

 

 自分は、散々あなたを拒絶してしまったというのに――アルディスはその決して逞しいとは言い難い背を見つめ、再び涙を零した。

 

 

 

 

「アルの奴、何で泣いてたんだろ……」

 

 エリックの中で、それだけがずっと引っかかっていた。ディアナはともかく、アルディスが泣く理由はあまり思い当たる節がないのだ。

 

「フェルリオ出身だから、ノア皇子に期待してたんじゃないかな? でも……」

 

 いくら涙腺の緩いアルディスと言えども、それだけで泣くことは無いよね、とマルーシャは首を傾げる。

 

「……あまり、考えたくないんだが」

 

 そう言って、エリックは自身の右手を掲げてみせた。

 

「アイツの名前は“アルディス”だからな……まさかって、可能性はある」

 

「それはないよ! わたし、アルディスの手の甲、見たけど無かったよ、アレ……」

 

 そんなマルーシャの言葉に、エリックは良かったと胸をなで下ろす。アレ、というのはフェルリオ帝国の紋章のことだ。

 

「はは……仮にそうなら、もう耐えられなかった気がする」

 

「だよ、ね……」

 

 もし、アルディスがフェルリオの皇子ノアであったなら。そう考えるだけで、エリックは怖くて仕方がなかった。

 

「駄目だ。どうも、僕はどこかでノア皇子に怯えているらしい」

 

「だ、大丈夫だよ! 今のエリックなら、ノア皇子に負けたりしないって!」

 

「マルーシャ……」

 

 確かに、かつての自分と比べれば随分身体も強くなったし、戦闘能力だって低くはない筈だ。それでも、ノア皇子と比べれば……まだまだだ。

 

 直に、フェルリオ帝国側の港町、ヴィーデに辿り着くだろう。そして、帝都であるスウェーラルへ自分達は向かうことになる。

 しかし――そこで自分は、一体何ができるのだろうか?

 

 

「あまり期待しないでくれ。僕は、それほど強くはないし、優れてない……」

 

「! エリック……」

 

 マルーシャは悲しげに声を震わせる。だが、今のエリックにはそれを慰めるだけの気力も無くて。

 

「……」

 

 ただただ、無言で虚空を見つめ続けることしか、出来なかった――。

 

 

 

―――― To be continued.

 


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