テイルズ オブ フェータリアン ー希望を紡ぎ出すRPGー   作:逢月

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Tune.22 精霊の使徒

 

「何があったのかは明日にでもまとめて聞きます。とりあえず集中を妨げられると困るから、エリックはディアナを連れていってくれ……で、ポプリは今のうちにエリックの採血を頼む。触診だの問診だのは明日やるとして、血液検査だけは今日中にやる」

 

「分かったわ。終わったらすぐに持っていくわね」

 

「はい、それでお願いします。エリック、大丈夫か?」

 

「! あ、ああ、分かった……お前、凄いな……」

 

 エリックはジャンクの、普段のぼんやりとした様子とのギャップに驚かされていた。

 部屋から全員を出しながらもどさくさに紛れてエリックにディアナを押し付けつつ、同時にポプリに指示を出す手際の良さには感心する以外の何も無いだろう。

 

「分かったわ。一応、アレルギーテストとかもやっておくわね」

 

「そうだな……念には念を、ということですね。ええと、それから一応、マルーシャも採血しときましょうか。見た感じ健康そのものとはいえ、何かあった時に対処しやすいのでカルテ作っておきます。マルーシャ、構わないか?」

 

 ジャンクの言葉に、不自然な部分は無かった。しかし、マルーシャはぴくりと肩を震わせ、困ったように笑ってみせる。

 

「うん……えと、何か変なことあったら教えてくれる?」

 

「え……?」

 

 何か持病でもあるのですか、と問いかけたジャンクに対し、マルーシャは慌てて首を横に振った――彼女の投げ掛けられた、“試作品”という言葉はそう簡単には消えてくれなかったのだ。

 

「分かった。何か異常があれば教える……とにかく、今晩は部屋に戻って全員ゆっくり休め。助けに行けなくて、悪かった」

 

「ううん、気にしないで。お休みなさい」

 

 不自然さは感じられたが、誰もマルーシャの発言を追求する気にはなれなかった。申し訳なさそうに微笑した後、ジャンクは静かに部屋の扉を閉めた。

 

 

 

 

「メルジーネ・シュトラールだけでは追いつきません、ね……それにしても……」

 

 ベッドの上でぐったりとしているアルディスを見ながら、ジャンクは色々と考え込んでいた。ジャンクが得意とする補助系精霊術『メルジーネ・シュトラール』を数回使って様子を見たようだが、アルディスは相変わらず辛そうだ。未だ意識のない彼の周囲には、先ほどジャンクが呼び寄せた下位精霊が飛び交っている。

 

「……。完成して、しまったのですね……」

 

 痛々しい痕を残す左手首を摩り、ジャンクは両目を細めた。彼の服の裾から覗く右手首にも、全く同じような痕がある。

 隠すとかえって目立つと考えた彼は、あえてこれを隠さないようにしていたが――ジャンク自身、この痕にはあまり良い思い出が無い。

 

「……」

 

 首を横に振るい、ジャンクは机の上へと目を移す。そこには、エリックとマルーシャの血液が入ったケースと、アレルギーテストの結果が書かれたメモが無造作に置かれている。つまり、ポプリが来ることはもう無いと考えて良いだろう。

 

「……誰か、そこ開けると思うか?」

 

 閉じられたドアに向かって、ジャンクはそう語りかけた。返事は当然ながら無かったのが、彼はそれで良かったらしい。おもむろにドアに鍵を掛けた後、彼は鈴の音を響かせた。

 

「今なら、誰も見ていません……ならば、許されますよね。あなた方の力を、私にお借しください!」

 

 一体誰に話しかけているのかと、この状況を見ている者がいたならば彼に問いかけていただろう。部屋には、眠っているアルディスとジャンク本人の姿しかないのだから。だが、その答えはすぐに結果として表れた。

 

「地水火風を司りし、永久を生きる化身達よ。契約の元、汝らに命ずる。我が身を依り代とし、その力、今ここに具現せよ! ――シュテルネン・リヒト!」

 

 部屋一面に広がる、四色に輝く巨大な魔法陣。その魔法陣の中心でジャンクが突き出した左手の前には、透き通った結晶が形成されていた。

 それは切り出されたばかりの不格好な水晶のようにも見えたが、そんな形状を気にさせないほどの美しい煌きを放っている。

 触れずとも宙に浮かび続ける不思議な結晶を前に、ジャンクは鈴を左手で握り締め、そのままそれを額に当てて両目を閉ざした。

 

「お力を貸して頂き、感謝します……ありがとうございました。属性は違いますが、これで、何とかなると思います……」

 

「……。あの、ジャンさん」

 

「レム様の力をお借りできるのが一番良かったのでしょうが、あのお方は既に誰かと契約されているようでしたので……って」

 

 

――気付かなかったと正直に言えば、間抜け過ぎると言われてしまいそうだ。

 

 

 顔色は真っ青だが、上半身だけ身体を起こしたアルディスが、かなり怪訝そうな表情を浮かべてこちらを見ていた。驚き、ジャンクは両の目を開いた。

 

「……」

 

「あの、黙らないでくださいよ……」

 

「えっと、その……見ました?」

 

「綺麗な結晶があるのと、あなたが鈴を通して“何か”と会話しているような姿は見ました……それとは別に、“ありえないもの”の気配を感じましたがね」

 

 アルディスは首を傾げ、完全に固まってしまったジャンクを見つめている。ジャンクは目を泳がせ、アルディスから目をそらす。明らかに居心地の悪そうなジャンクの周りを、下位精霊達が楽しげに飛び回っている。

 

「ああ、そういうことか……補助術と、下位精霊の力だけで、大丈夫だったんですね……まあ、その……精霊達。悪いがもう少し、アルに魔力を分けてやってくれ」

 

「わ、こっち来た……羨ましいですね、精霊術士(フェアトラーカー)の力って」

 

「……そうですね。愛らしいな、とは思っているよ」

 

 ジャンクの言葉に応え、下位精霊は揃ってアルディスの周りに移動した。それらは色とりどりの光の粒子をアルディスに振り掛け、弱った彼の身体を癒していた。

 

「ありがと、助かった。もう大丈夫だから、無理しなくて良いよ」

 

 下位精霊は保有する魔力が少なく、あまり力を使うことはできない。しかも衝撃を与えれば、すぐに死んでしまう儚い存在だ。それでも、このように人を助けようと傍に寄ってくることがある――八年前、エリックが魔術を発動させる手伝いをした、あの地属性の下位精霊達のように。とはいえ彼らの場合は、恐らく地の大精霊ノームの影響もあったのだろうが。

 

「せっかく作ったので、僕からもこれを。アル、手を出せ」

 

「え……あ、はい……」

 

 虚無の呪縛(ヴォイドスペル)の影響で衰弱していたアルディスに魔力を分け終えた精霊達は、またしてもジャンクの周りに集まっていった。

 その代わりに傍に寄ってきたジャンクの左手の上で、先程作り出された結晶が浮かんでいる。それは成人男性の手のひら以上の大きさをしたもので、あまりの大きさに驚きながらもアルディスはおずおずと左手を伸ばした。

 

「! これは……!?」

 

 すると結晶は砕け、大量の魔力の粒子となってアルディスの身体に吸い込まれていった。すっと、全身に感じていた酷い苦痛が和らいでいくのをアルディスは感じた。

 

「助けてくださってありがとうございます……でも、ジャンさん。あなたが結晶生成の際に使役したのは下位精霊ではなく、上位精霊ですよね? 契約者でもないのに上位精霊を従えるなんて……あなた、ただの精霊術士(フェアトラーカー)ではないですよね?」

 

 絶対におかしい。そう思い、アルディスはジャンクに問いかけたのだが、彼は何も答えず、下位精霊達と戯れている。しびれを切らしたように、アルディスは少しだけ声を張り上げた。

 

「申し訳ありませんが以前、少しだけあなたについて視させて頂きました。ですが、何も分からなかったです。俺の力よりも遥かに強い、不思議な力に妨害されました……それこそ、人外としか思えない力でしたね」

 

「!?」

 

 これには流石に反応せざるを得なかったようだ。ジャンクは目を丸くしてアルディスを見た。それを待っていたかのように、アルディスは彼を見据えて口を開く。

 

 

「俺の憶測ですが、あなたは人間ではなく……精霊なのではありませんか?」

 

 

「え……」

 

 ジャンクの反応が鈍った。いきなり突拍子も無いことを言われたために、驚いてしまったのだろう。アルディスは彼の尻尾を掴むべく、さらに話を続けた。

 

「先ほど、あなたが使役したのはノーム、ウンディーネ、イフリート、シルフ……通称『四大精霊』ですよね? ですが、レムの名を言っていた辺り、あなたは四大のみならず全ての精霊『七大精霊』を統べることができるのだと思っています――俺が知る限り、それを可能とするのは『神格精霊』のマクスウェルだけです。なので俺は、それがあなたの正体なのではないかと思っています」

 

 

――アレストアラントには、七体の上位精霊が存在している。

 

 

 地の精霊ノーム、水の精霊ウンディーネ、火の精霊イフリート、風の精霊シルフ、氷の精霊セルシウス、闇の精霊シャドウ、そして光の精霊レム。

 そして、この七体の上位精霊、通称『七大精霊』を統治するのが神格精霊と呼ばれる存在、マクスウェルだ。

 伝説によると、マクスウェルは自身が従える七大精霊達には及ばぬとはいえ、全属性を使いこなし、膨大な魔力を保有する偉大なる存在だ。

 

「……。違い、ます……」

 

「それならば、答えてください。少なからずあなたは、普通の精霊術士(フェアトラーカー)ではないのでしょう?」

 

「ッ、言えません……!」

 

 首を横に振るい、ジャンクはアルディスから目をそらしてしまった。

 

「ただ、僕をあのお方と……マクスウェル様と、同等にしないでください。本当に恐れ多い話です、気分が、悪くなるほどに……」

 

 嘘を付いているような雰囲気ではない。だが、今の彼の様子はあまりにも妙である。アルディスはジャンクの挙動不審な姿に、違和感を見出していた。

 

「ジャンさ……」

 

 

『主、落ち着いてくだされ。確かにその者は我らを使役する力を持つ上、マクスウェルとも近い立場の者……しかし、その者はれっきとした人間である。あまり、いじめてやるものではありませぬ』

 

 

「!?」

 

 突然聞こえてきた声に、アルディスもジャンクも咄嗟にその声が聞こえた方向を見る。そこには、半透明ではあったがアルディスと契約を結ぶ存在、レムの姿があった。

 

『ふむ、ウンディーネの話を聞いて以降、気になっていたのだが……彼女の話通り、そなたの気は清らかな水のごとく澄んでおる。名に恥じぬ力の持ち主であるな』

 

「ま……まさか……!? あなたが、レム様……?」

 

 ジャンクは眼鏡の下の目を見開いて、レムを見上げている。それを見たレムは、勘弁してくれと言わんばかりに額を押さえた。

 

『そのように畏まらずとも良い……我とそなたの立場はほぼ同等だ。友のように接してくれて良いのだぞ』

 

「い、いや、その……あの、ですね……?」

 

『そなた……大きな形に反し、さては酷く気が弱いな。我が主を見習え、主はそなた以上に女子のような形をしておるが、心は立派な男児であるぞ』

 

「~ッ! レム!!」

 

 異様に精霊を敬うジャンクに、得体の知れないことを言い出した上に、どさくさに紛れてかなり失礼なことを発したレム。思わず叫んでしまったものの、全く理解が追いつかないアルディスは唖然とした様子で彼らの様子を見つめていた。

 

『もう一度言う。我らの立場は対等だ。畏まるでない、友のように接するのが無理だというのなら、せめて畏まるのはやめること……それから随分と怯えているようだが、問題ない。仮契約とはいえ、我が主アルディス=ノア=フェルリオは我の契約者である。守秘義務に関しては、主には無効であるぞ……ただ、少々警戒を怠ったようだな。以後は気をつけるように』

 

「はい、ありがとうございます……そ、そして、アル!?」

 

「目立つんで黙ってたんですよ……で、お願いですから。お願いですから、俺にもちゃんと説明して下さい……」

 

 お願いですから置いていかないでください、とアルディスは頭を項垂れる。読みを外したことに傷付いたのか、単純に話に置いていかれるのが嫌なのかは分からないが、本当に辛そうだった。ジャンクはその様子を見て、軽く息を吐いて口を開いた。

 

「お前は同族であるとともに、守秘義務を守らなくて良い相手だったんだな……そうですね、ちゃんと話します……まず、僕は精霊術士(フェアトラーカー)ですらないです。ただ、生まれつき精霊達に異様に懐かれる体質だっただけです」

 

「!?」

 

「多分素質はあるのでしょうが、僕にとって下位精霊は友のような存在。使役失敗によって死なせてしまうのが怖くて、精霊術士(フェアトラーカー)になりたいとは思わなかったんだ」

 

 驚くアルディスに笑いかけ、ジャンクは鈴を胸の前で握りしめて話を続けた。

 

「そんなことを言っていたら、マクスウェル様がある契約を結んでくださいまして。マクスウェル様の加護の下で精霊使役ができるようになりました。さらに下位精霊だけでなく、上位精霊の皆様をある程度使役できるように……僕の力のカラクリについては、こんなところですね」

 

「……す、すみません。人間じゃない、みたいなこと言って……」

 

「まあ、普通じゃないのは理解しているさ。それに、精霊達と共に戦えるってのはそんなに悪いことじゃないしな……ただ上位精霊の皆様は僕の親代わりでもありますし、あまり使役したいとは思わないな」

 

 自分の周りに寄ってくる下位精霊達と再び戯れながら、ジャンクは笑う。彼は本当に精霊達が好きなのだということを実感しつつも、アルディスはレムへと視線を向けた。

 

「レムも……ええと、ウンディーネもなのか? とにかく、ジャンさんがいると居心地が良いとか、なんとか」

 

 先程、レムがこんなことを話していたなとアルディスが問いかける。レムも思い出したようにパンと手を叩き、分かりやすいようにと言葉を選びながら語り始めた。

 

『我らのような存在ですら、その男の力はありがたいものと感じる。力の弱い下位精霊にとっては、砂漠の中の泉に近い存在であろうな』

 

「へぇ……」

 

『主、“瘴気”の存在は分かるだろうか? 空気中に存在する、目に見えぬ汚染物質のような物だ……簡単に言ってしまえば、アベル王子のような身体の弱い人間や、老人子供のようなか弱い者が病を発症する原因であるな。とはいえ、一番影響を受けるのは我ら精霊であるが』

 

 レムが語る瘴気というものは、アルディスにとってはあまり聞き覚えのない単語だった。医者であるジャンクも知識として持っているレベルらしい。何しろ、よほどのことがない限りは人間には大した影響を及ぼさない物質だというのだから知識がないのも当然だろう。二人の何とも言えない反応を見て、レムは話を続ける。

 

『双国の戦……一番酷かったのが十年前のシックザール大戦であったか? その時に世界そのものが少々狂ってしまったようでな。どこからともなく、瘴気が出てくるようになったようだ。主達には分からぬだろうが、どんどん密度が高くなっているのだ……我らにとっては、暮らしにくい世界になってしまった』

 

「そうなんですか……ですが、それと僕の関係は……」

 

『自覚が無かったようであるな……そなたには、その場にいるだけで瘴気を浄化する力があるのだ。我らとしては、いっそ世界を浄化して回って欲しいと感じているぞ』

 

「!?」

 

 砂漠の中の泉、というレムの表現がここで繋がった。そんな体質の持ち主ならば、普段から精霊を寄せ集めてしまうのは当然の結果であろう。

 シックザール大戦以来、瘴気が空気中に拡散してしまったというアレストアラントに生息する精霊達からしてみれば、ジャンクの存在ほどありがたいものはないはずだ。

 

「確かに、やたら寄ってくるようになったのは戦後の話です。しかし、僕にそんな能力があるとは……」

 

「ええと……話が盛大に逸れてきてるんで戻しても良いですか? あの、限りなく精霊に近い存在で、マクスウェルと近い立場の存在ってのは……」

 

『ああ、その話……そなた偽名を使っているようだが、本当の名は“クリフォード=ジェラルディーン”で間違いないだろうか?』

 

 そう言ってレムはジャンクと視線を合わせる。ジャンクは明らかに戸惑っていたが、アルディスの顔色を伺ってから小さく頷いた。

 

「……。ええ、間違いありません。ですが、呼ぶにしてもクリフォードまでにしてください。自分のフルネームは、姓は……あまり、聞きたくないのです」

 

「……!」

 

 クリフォード=ジェラルディーンと呼ばれたことに対しては、ジャンクは何の否定もしなかった。つまり、これが彼の本当の名だということだ。

 

「クリフォード……それが、あなたの本当の名前なのですね。どうして、偽名を……」

 

「ポプリに求められて咄嗟に名乗ったのが始まりです。エルヴァータは友人の姓だよ」

 

 これ以上は詳細を聞いて欲しくないと言わんばかりに、ジャンクはいつもそうしているように瞳を閉じてしまった。

 咄嗟に友人の姓だというエルヴァータを名乗るのはともかく、やはり“ジャンク”と名乗った件については引っかかるものがある。それでも、恐らくそこに関連するのは彼の抱える闇だ。こればかりは、流石のアルディスも追求する気にはなれなかった。

 

 

『それならば、やはりそなたが“精霊の使徒(エレミヤ)”であったか……』

 

「うわ、また聞き慣れない言葉出てきた……」

 

「アル……」

 

 

――先程からとんでもない話ばかりが飛び出すせいか、ついにアルディスが弱音を吐いてしまった。

 

 精霊の使徒(エレミヤ)って何だよ、と言わんばかりに彼は両手で顔を覆っている。そろそろ頭がパンクしそうになっているのだろう。そんな主人を不憫に感じたのか、レムは苦笑しながらも口を開いた。

 

『主、落ち着くのだ……精霊の使徒(エレミヤ)、というのは自身の聖域から動くことのできぬマクスウェルの代行者として何かしらの任務を託されてる人間のことだ。その時に力も与えられると言えば、その男が力を持っているのも納得できるであろう?』

 

「はあ……」

 

「そういうことです。アル、何か……すみません」

 

「いえ……驚きすぎて頭が着いていかないだけです。ちょっと、まとめさせてください……ジャンさんもといクリフォードさんは精霊の使徒(エレミヤ)という存在で、だから色々と不思議な力を持っていて、それでなくとも精霊に懐かれる瘴気浄化体質の持ち主で、精霊から見れば上位精霊と同等の立場で、恐らくマクスウェルの直属配下……ってことですか?」

 

 アルディスからしてみれば、ただでさえジャンクの本名が判明するという事態に加え、彼の謎能力の正体やら、精霊達の諸事情といった重大情報を一気に頭に叩き込まされたようなものなのだ。それも、彼はつい先程目を覚ましたばかりだというのに。

 それでも、何とか大混乱に陥ることだけは防げたらしいアルディスは、盛大にため息を吐いて目尻を押さえた。

 

『しかしだ。今回の使徒は元々マクスウェルが実の息子のように可愛がっていた子どもだと聞いている。それにも関わらずそなたが使徒となった。つまり他の使徒適正者を探し出し、命じる余裕がなかったのだろうな……そなた、齢二十を少し過ぎた程度であろう? 使徒になったのはいつだ?』

 

「はい、再来月で二十三歳になります。使徒になったのは、十五歳の時でした」

 

『八年前、か……我と主が契約を結んだ頃の話であるな。なるほど、それでマクスウェルはそなたを使徒に選んだということか……』

 

 そう言って、レムとジャンクはアルディスを見た。アルディスもアルディスで、何となく理由を悟ってしまったようだ。

 

(ペルストラ、事件……)

 

『我は八年前、死にかけていた主の目の前にマクスウェルによって強制召喚されたのだ。その時点であやつが焦っていたのは悟っていたのだが……使徒契約まで焦って行ったと聞いた時は、正直驚いたぞ。マクスウェルから、そなたは使徒としては最高の体質を持っているが、精神面で多くの不安要素を抱えていると聞いていたのでな……』

 

「……」

 

 状況から考えて、ジャンクがマクスウェルに託されたのは恐らく、ペルストラ事件のような惨劇の事前防止だろう。仮にそうなら、彼は本当にとんでもないことを託されているのだ。

 

『ああ、すまぬ。あまり触れて欲しくはなかったようだな……』

 

「……いえ」

 

 薄々分かってはいたがジャンクもジャンクでかなり後ろ暗い物を抱えている様子であった。突けばあっさり分かりそうな気もするが、とてもではないがそのようなことをする気にはなれない。話の流れを変えようと、アルディスはレムの顔を見上げて口を開いた。

 

 

「レムがいきなり目の前に現れた時は本当に驚いたよ。あれって、マクスウェル関係してたんだ」

 

『当時の主は眼の片方を無くし、虚無の呪縛(ヴォイドスペル)を受け路頭に迷った十歳の幼子だ。加えて主は立場が立場である……我も、主が相手だというのなら契約に異議は無かった。それゆえ、素直にマクスウェルの指示に従ったのである』

 

「……やっぱり、虚無の呪縛(ヴォイドスペル)はその時に付けられたものだったんだな」

 

 アルディスの右腕を見つつ、ジャンクは「申し訳ない」と目を細めている。結局、彼は虚無の呪縛(ヴォイドスペル)に対してあまり知識を持っていなかったのだ。つまり、現状では先程のような応急処置しかできないのである。

 

「マクスウェル様なら、何か知っていらっしゃるでしょうか……?」

 

「あ、いやいや……気にしないで下さい。それより、聞きたいことがありまして……あなたと二人になったら、聞こうと思っていたのです」

 

「……?」

 

 

 この流れで思い切り場違いかもしれませんが、とアルディスは少し視線を泳がせた。

 

 

「ディアナの、ことなんですけど……」

 

「……はい」

 

「な、なんなんですか!? その元気の無い返事は!?」

 

 今しか聞く時ないんですから仕方ないじゃないですか、とアルディスは顔を真っ赤にして叫んだ。いくらなんでも、この扱いは恥ずかしかったらしい。

 

「つまり、ディアナにいてもらうのは困ると?」

 

「はい」

 

「……分かりました、分かりましたから。本題に入ってください。大体察しは付くが」

 

 恐らくは記憶喪失もしくは原因不明の歩行障害の件についての話だろう。ジャンクはそう考え、頭の中で説明内容を整理しながら肩を竦める。

 

 

「ディアナは……“彼女”は、一体何者なんですか?」

 

「!?」

 

 

――だが、アルディスの持ち出してきた話は、ジャンクの予想とは異なる内容だった。

 

 

「え、えっと……アルディス。あの子は……」

 

「ええ。つい最近まで、俺も完全に騙されていました」

 

「……」

 

 あの外見と声が変に作用して逆に騙された、とアルディスは額を押さえた。性格はかなり男らしいが、ディアナの容姿と声は明らかに女性の物。完璧な“男装”でなかったことが、むしろ逆に説得力を増していたのだ。

 

「ディアナは少年ではなく、少女ですよね? 医者であり、透視干渉(クラレンス・ラティマー)の使い手であるあなたが、この事実に気付いていないとは言わせません」

 

 この件について、アルディスはどう考えても絶対の自信を持っている。これはもう、隠せないだろう。

 

「……。気付いたって、アイツには絶対に言うな。話はここだけに留めてください」

 

 心の中でディアナに謝りながら、ジャンクは事実上の肯定とも言える言葉を呟いた。

 

「やっぱり……ですが、どうして……」

 

「お前を守ること、それだけがアイツの存在意義になっているんだ。だから、できる限りそれに見合う姿になろうと足掻いて……そんなディアナが出した結論が、男装だったんです」

 

「……」

 

「ディアナは何故か動かない足を引きずって、自分が誰なのかも分からないまま、自分の命を狙う者達ばかりが存在するこの国を必死に彷徨ったんだ。分かりますか? 彼女はもう、限界なんだ。彼女の傷を抉る可能性のある行為は、極力控えて欲しいのです」

 

 自らを男と偽り、必死に強がって、任務という存在意義を掲げて生きることで、ディアナは漸く自己を確立している。ただでさえ、抱えているものが大きいというのに。

 

 

――守るべき存在に偽りを見抜かれたと知った時、彼女は正気を保つことができるだろうか。

 

 

「お前があんな状態で戻ってきて。一番落ち込んだのは誰だと思いますか? 明日、ちゃんと何かしら話しかけてやってください。本当に、泣きだしそうなほどに、落ち込んでいましたから」

 

「……はい」

 

 ディアナの使命、唯一の存在意義は、ノア皇子ことアルディスの守護。それなのに、アルディスは自分のいない場所で酷く衰弱し、そして帰ってきたのだ。その姿を見た瞬間、彼女が発狂しなかったのが奇跡かもしれないとジャンクは語る。

 今回の一件で、ディアナに余計な責任を感じさせてしまったかもしれない。アルディスは目を細め、震える両手で布団を強く握り締めた。

 

 

「一応、説明しておこうか。ディアナの足が動かないのは……記憶が消し飛んでしまっているのは、恐らく防衛機制という心の働きが関係しています」

 

「防衛、機制……?」

 

「そうですね、誤解を恐れずにものすごく簡単に言ってしまえば、精神崩壊の恐れがある経験から、本能的に逃れようと働きのことです」

 

 防衛機制――その者にとって、耐え難い何かと直面してしまった際、様々な方法で自分自身の心を守ろうとする精神的なメカニズムのこと。

 ディアナの場合は、このメカニズムが必要以上に過度な働きをしてしまい、結果として生活に影響が出るレベルにまで到達してしまったのではないかというのがジャンクの推測だった。

 

「確か、一年半くらいしか記憶がないって……ディアナって何歳なんでしょう……」

 

「あと少しで十六歳になるようです……逆算すると、十四歳の時に何かが起きたんだろうな。例えば、例えばですが……足を切断されそうになっただとか、そういった経験でもしているのかもしれません」

 

「――ッ」

 

 実際のディアナに、何が起きたのかは分からない。とにかく、彼女は足に関する何らかのトラウマを抱え、それが麻痺に近い症状として表面化されてしまった可能性が高い。さらに、まだ心を守るには対価が足りないと言わんばかりに記憶まで無くなってしまったのだ……微かな記憶を留めて置くことさえできなかった。それだけ、辛い経験をしたのだろう。

 

「拒絶系の術を受けた痕跡もありますが、根本にはディアナ自身の働きかけがありました。術による記憶喪失ではなく、恐らく術者は、決して彼女が記憶を取り戻すことがないように、さらに上から術を掛けたんだ。それだけ……ディアナは……」

 

「ディアナ……」

 

 ごめんな、とアルディスは弱々しく声を震わせた。彼の頭の中で様々な思考が混ざり、滅茶苦茶になっていく。

 

『主は悪くないと思うがな……主にも、ディアナという小娘のようになっていた可能性が十分にある……クリフォード、そなたもだ。そなたらはもう少し、自分自身を気遣うべきだ』

 

 ディアナの話になってからは黙っていたレムが、ここで口を開いた。いつの間にか、下位精霊達は姿をくらましていた――彼が、どこかに連れて行ったのかもしれない。

 

『我が見ても、あの小娘は気丈だ。しかし、クリフォードの見解通り、とんでもなく不安定で、弱い存在でもある……守りたいと思うのなら、好いているのなら、気を付けるべきであろう』

 

「当たり前だ。俺だって男だよ」

 

「アル、ディアナが女で、良かったな……」

 

「ええ。まあ……その、あなたはご存知でしょうが……俺は一時期、本気で頭抱えましたよ……」

 

 男装少女で良かったと思ってます、とアルディスは布団に顔を埋めてため息を付く。これには、ジャンクもレムも苦笑いせざるをえなかった。

 

『主、愛は一言では言い表せないような、数多の形があるのだぞ』

 

「ディアナなら、別に男でも良かったよ。そういう意味で覚悟も決めてたし」

 

「お前、潔いにも程があるぞ……」

 

 一途なのか、ただの馬鹿なのか。ある意味ディアナが男だったら面白かったのにと、ジャンクは瞳を細めてクスクスと笑う。

 

 

「……。最初は、彼女が知人に似ていたから。それで、気になるのかなとも思ったのですが」

 

 流石に居心地が悪くなってきたのか、軽く咳払いしてからアルディスは話の方向を変えてきた。

 

「知人?」

 

「リヴァース家の女の子ですね。名前はダイアナ。彼女に似ていたから、あの子はディアナって名前になったんです」

 

 我ながらなかなか酷い由来でしょう? とアルディスは軽く首を傾げてみせる。

 

「え? 普通、正当な聖者一族は銀髪になるのでは……?」

 

「ダイアナの髪は突然変異です。聖者一族の間では、夜空のような深い藍色の娘が生まれるのは、世界に異変が起きる前兆とされています」

 

 そして、世界には実際に大きな異変が起きてしまった――本当に、皮肉な話だ。ダイアナは生まれた瞬間から、こうなることを予期していたということだ。

 実際にそれはありえないとはいえ、実際に言い伝えとして残ってしまっている以上、彼女の聖者一族内での立場はかなり危うかった可能性がある。

 

「リヴァースも、例に漏れず大戦の際にラドクリフにいたんですよ。だから、彼女が生きている希望は、ほとんど無いんです。そう思って、いました」

 

『ここに来て、二人が同一人物だという可能性が出てきたわけであるな』

 

 レムの言葉に、アルディスは静かに頷いた。確かにディアナの能力を考えば、全くもってありえない仮説ではないだろう。

 

「あくまでも俺の仮説に過ぎないし、願望に過ぎない。期待はしてないし……事実がどうであれ、ディアナはディアナだ」

 

「そう思ってやってくれると、ディアナも救われると思う。とにかく、アルは早く寝てください。明日は、ここを出ますよ」

 

 衰弱から回復したばかりではありますが、とジャンクは肩を竦めた。あまり時間を浪費する訳にはいかない状況なのだから、こればかりは仕方がないのだ。

 

「分かりました、今日は色々聞けて良かったです……最後に、“クリフォードさん”」

 

「は、はい……?」

 

 突然本名で呼ばれ、ジャンクはどこか煮え切らない返事を返した。それに対し、アルディスは躊躇いがちに口を開く。

 

 

「あなたこそ、変なことに存在意義を見出さないで下さいよ」

 

「……!」

 

 アルディスが、ジャンクと誰を対比しているのか。それは、これまでの話の流れを考えれば明らかだったし、ジャンク本人も理解できていた。

 不安げに顔を覗き込んでくるアルディスの頭を軽く撫で、ジャンクはアシンメトリーの目を細めて笑ってみせた。

 

「変なこと心配してんじゃない……良いから、早く寝ろ。僕は、これでも結構楽しくやってますよ」

 

「……それなら、良いんです。おやすみなさい……電気、消さなくて良いですから、あなたもちゃんと寝てくださいね」

 

「ふふ、ありがとうございます。おやすみなさい」

 

 

――嫌な勘が働くんだな、とジャンクは密かに奥歯を噛み締めていた。

 

 

(使命こそが、自らの存在意義。ディアナの気持ちは、良く分かるんです)

 

 アルディスが眠ってから、小一時間が経過した。それに合わせて、レムもいつの間にかどこかに行ってしまった。彼が本来いるべき場所、光の神殿へ帰ったのかもしれない。

 再び静かになった部屋の中で黙々と作業をしながら、ジャンク――クリフォードは今にも泣き出してしまいそうな笑みを浮かべた。

 

「……」

 

 ペンを置き、左手で白衣の上から黒い布と細いベルトが巻かれた右の二の腕を押さえる。手が酷く震えているのは、気のせいだと信じたかった……このような姿は、誰にも見せられない。

 

 

「はは……実際は僕も、彼女と同じようなものなんですよ……」

 

 

 

―――― To be continued.

 


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