テイルズ オブ フェータリアン ー希望を紡ぎ出すRPGー 作:逢月
「ふむ……最近は見ていなかったんだが、問題は無さそうだな」
「アタシにはよく分からないけどさぁ、随分と上手く化けるものだねぇ……」
「“ゴミ”にしかならなかった
「だ、ダリを悪く言わないで、くださ……ッ!」
――傍で、誰かが話している。成人男女に、幼い少女の声だ。
(ここ、どこ……? 何だか、蒸し暑い……蒸し暑いってことは……湿原? ラファリナ湿原かな……?)
アドゥシールで買い物をしている途中、突然目の前を覆われ、拘束されたところまでは覚えている。だが、どうやら連れ去られている最中に意識を失ったらしい。そして今、自分はどうやら、どこかに寝かされているようだ。
特に拘束もされておらず、起き上がろうと思えば起き上がれそうだが、今は様子を伺うべきだろう。目を閉じたまま、マルーシャは聞き耳を立て続ける。状況の深刻さは理解しているつもりだが、意外にも冷静でいられた。
「ん? お前も試されたいのか?」
「ひ……っ!? ご、ごめんなさ……ッ」
「待ちなよ! ベリアルに意地悪してどうするんだい!?」
(ベリアル……!? ということは、一緒にいるのはヴァルガと……女の人ってことは、フェレニー!?)
今、名を呼ばれた人物ベリアルは黒衣の龍に属する幹部級の女性であり、研究員のヴァルガの話で度々出てくる人物の名である。それがまさか、幼い少女だったとは思わなかった。
そして残りの二人――フェレニーはともかく、研究員でありながら有能な騎士としても知られているヴァルガに関して言えば、初対面ではない。
だが、状況が状況であったこと、そして普段ほとんど接点がないためにすぐに気付くことができなかったのだ。事態は、マルーシャが思っている以上に深刻であった。
どうすれば良いのかと、マルーシャはそのままの体勢で思考を働かせる。だが、そんな些細な変化を見逃すほど“彼”は甘く無かったようだ。
「おや? 起きたようだな。目覚めの気分はどうだ? “試作品”よ?」
「!?」
そして投げかけられたのは、先ほどから聞こえていた「試作品」という言葉――マルーシャは驚き、思わず目を見開いてしまった。
視界に飛び込んできたくすんだ灰色の景色と、天井から吊り下げられた壊れた実験器具の数々を見る限り、ここは既に放棄された研究施設らしい。そしてマルーシャの想像通り、ここにいたのは黒衣の龍の紋章を身に付けた三人組であった。
最初に視界に入ってきたのは三十代前半くらいの眼鏡の男、ヴァルガだった。彼は少し癖のある短い茶色の髪に紺色の瞳をしており、黒のロングコートの下に白衣を来ているのが特徴的であった。背はすらりと高く、引き締まった体格をしている。
「……」
だが、何よりも特徴的なのは服装でも体格でもなく、彼の容姿であろう。ヴァルガは前王ヴィンセントの側近であったにも関わらず、彼の容姿は当時から一切変わっていないのだ。彼が側近を勤めていた頃を知る者にとっては、気味の悪さしか感じさせない存在なのである。
後の二人には見覚えがない。見覚えはないのだが、噂として耳にはしていた。顎の辺りで切り揃えられた赤色の短い髪と茶色の瞳を持つ二十代後半くらいの女が“大罪人”として知られているフェレニーだろう。
彼女は女性の割にかなりの長身であり、スタイルが良い。体型だけならポプリに良く似ている。黒を基調とした彼女の服装は身体のラインを強調するようなデザインだった。
マルーシャは彼女が犯した罪の内容までは知らないのだが、騎士団黒衣の龍の兵士として生きていくことを条件に釈放された死刑囚であるということだけは知っている。ヴァルガとは違った意味で、距離を置きたくなる存在だ。
そして、マルーシャ自身名前以外のことを知らなかった存在。淡い紫の腰に届きそうなほどに伸ばされた長髪に菫色の瞳を持つ少女がベリアルだろう。
こちらも黒を基調とした服装であったが、フェレニーとは対照的にリボンやフリル装飾が可愛らしい衣服を身に纏っている。
ヴァルガはコートの襟に、フェレニーは首元に、ベリアルは右手の袖のような飾りに、黒衣の龍の紋章が刻まれている。
黒衣の龍幹部級三名に対し、こちらは完全に一人だ。
「……。試作品? わたしは人間だよ!? 一体なんなの!?」
身体が恐怖で震えるのを必死に押さえ、マルーシャは目の前のヴァルガに掴みかかった。ヴァルガは特に抵抗も見せず、ニタリと笑みを浮かべている。
「ああ、すみません。貴様は事実を知らないのか。心配せずとも、私が父だとか、そのような薄気味悪い事実はない」
「ッ! とにかく、わたしは皆のところに帰るんだから……きゃあっ!!」
異様な空気だった。この場から逃げ出そうとするマルーシャを、後ろに回っていたフェレニーがうつ伏せになるように押さえ付ける。マルーシャは重力と力任せの行為によって顎を強打してしまった。ぶつけた顎がヒリヒリと痛む。生理的な涙が浮かんだ。
「痛……ッ」
「悪いね、お嬢様。ヴァルガが、どうしても会いたい奴がいるって言うから……でも、見た感じいなかったよな、そいつ」
「まあ、アレは無理でも、残りの奴らだけでも面白い。私にとってはこの娘も充分に好奇心を煽られる対象だ」
押さえ付けられたマルーシャの顔を、ヴァルガが楽しそうに覗き込んでくる。その後ろで、ベリアルは微かに震えながらこちらを見ていた。
「じゃあ、わたしは餌……? まさか、皆をここに誘き寄せる罠として連れてきたってこと!?」
試作品だか何だか知らないが、その辺のことはこの際どうでも良い。本当に罠だとすれば、エリック達が危ない。
マルーシャの叫びに驚いたのか、ベリアルはビクリと肩を震わせ、瞳に涙を浮かべた。
「あ、あうう……そ、その、ごめんなさ……っ、ごめんなさい……!」
カタカタと小刻みに震えながら、ベリアルは必死に言葉を紡ぐ。そんな彼女の方を見て、ヴァルガはおもむろに口を開いた。
「ベリアル」
「!? ご、ごめんなさいごめんなさいっ!!」
(なに……これ……)
名前を、呼ばれただけだろうに。ベリアルという少女は、明らかにヴァルガに怯えていた。容姿から考えるに、親子という訳ではないだろう。それどころか、よく見てみれば彼女の耳は鋭く尖っていたのだ。
(ベリアルは
泣きながら謝るベリアルの姿を、一体どうなっているのかとマルーシャはじっと見つめていた。
「――破魔の刻印よ、闇に隠れし邪を暴け!」
その時。聞き覚えのある声が、研究所の外から聴こえてきた。声と共に現れた魔法陣が部屋の中を照らし、マルーシャはすぐさま考えることをやめた。
「!? これは……!!」
黒衣の龍の三人は魔法陣の存在に気付き、魔術が発動するであろう範囲から逃れようとする。だが、先手を打ったのは術師の方だった。
「フラッシュティア!」
術名が叫ばれると同時に魔法陣が十字の印へと姿を変え、眩い光が放出される。じゅっと、何かが焼ける音がした。
「ぐぅッ!?」
「ああっ!!」
「やああッ!?」
光に身を焼かれ、三人が悲鳴を上げた。マルーシャもその印の中にいたのだが、どうやら術の対象から外されているらしい。その隙にと彼女は寝かされていた診察台から飛び下り、声が聞こえた方向へと駆けた。
「アルディス!!」
術師が、声の主が味方――アルディスであるということに、マルーシャは気付いていた。壊れかけの扉を蹴破り、アルディスは若干ふらつきながら部屋の中に入ってくる。
「……ッ、無事、かい? マルーシャ……ゲホッ、ゴホッ!!」
「!?」
酷く咽せる彼の口元には、それを押さえている手には、ベッタリと赤い血が付着している。顔色も酷く青ざめ、額には冷や汗が玉となって浮かんでいた。
「ど……どうしたの!? 大丈夫!?」
「大丈夫、軽く腹を魔物にやられただけだから。エリック達もすぐに来る……早く帰ろう、と言いたい所なんだけど」
多分、それは許してくれませんよね、とアルディスは口元の血を拭いながら言い捨てた。言うまでもなく、彼の言葉はヴァルガ達の方へと向けられたものだ。
「そうだな、ここで潰しておくに越したことはない。それに貴様は、とても良い研究材料になってくれそうだ」
「死んでもごめんですよ。マルーシャ、援護頼む」
「う、うん!」
エリック達が到着するまで、何とか時間を稼ぐつもりなのだろう。マルーシャの返事を聞き、アルディスは薙刀を手に前へと飛び出していった。
「無謀だわ」
フェレニーの指先が、禍々しい色をした霧に覆われていく。一体何が起きるのかとアルディスはその場で身構えた。
「遅い!」
「ッ!?」
咄嗟に後ろに飛んだが、避けるのが少し遅かったらしい。毛先がはらりと宙を舞っている。フェレニーの両手には、霧のようなものがまとわりついている。
(魔力で見えない刃を作り出したのか……!)
身軽な相手からの、執拗な連続攻撃が続く。アルディスは足の速さに自信を持ってはいたが、薙刀というものは間合いに入られてしまうと少々辛いものがある。
「烈風! 汝が軌跡をここに刻め! ――エアスラスト!!」
「きゃ……!?」
すかさず、マルーシャの援護が入った。アルディスは即座に距離を取り、ホルスターへと手を伸ばした……だが、
「うあっ!!」
トス、という軽い音と共に、アルディスの背に矢が突き刺さった。
(……弓使い、か……ッ!)
一息に矢を引き抜き、それを無造作に投げ捨てる。傷口と投げ捨てられて床に転がった矢の間で、点を描くように鮮血が飛び散った。
「私達を忘れられては困るな」
振り返ってみてみれば、弓を構えたヴァルガの姿がそこにあった。しかし、にらみ合っている余裕などはない。フェレニーの猛襲はまだまだ終わっていないのだ。
「――ファーストエイド!」
マルーシャの声と共に、痛みが和らいでいく。アルディスは薙刀を構え直し、その切っ先に僅かに魔力を込めた。
「――
「くぅっ!」
斬撃と共に落ちるは雷。身を斬り裂かれ、雷に焼かれ、フェレニーは短く悲鳴を上げる。
「……!」
「――ウインドカッター!」
「がっ!?」
再びアルディスの背を狙おうとしたヴァルガを、マルーシャが召喚した風の刃が切り裂いた。落としかけた弓を持ち直し、ヴァルガは奥歯を鳴らす。
「何をしている、ベリアル!」
「は、はいぃ!!」
びくり、と肩を震わせ、ベリアルは固く目を閉ざした。
「……! 何で……?」
――間違いない、無理矢理言うことを聞かされている。
マルーシャも異変に気付いたアルディスも、ベリアルの辛そうな返事に密かに胸を痛めた。彼女は
「う……う……、ごめんな、さい……」
ベリアルがどのようにして脅されているのかは分からない。彼女は震える手で首元の橙色のレーツェルに触れ、巨大なハンマーを取り出した。それを強く握り締め、ベリアルはマルーシャの元へと駆けて――否、飛んできた。
「あ……」
まさか、空を飛んでくるとは思わなかった。だが冷静に考えれば、彼女はディアナ同様に空を飛べるのである。通常、純血種族は翼を持つのだから。
「ッ!」
ハンマーに全体重を掛け、一気に振い落す。ただでさえ巨大なハンマーだ。重力の力を借り、それは物凄い速度でマルーシャに襲いかかった!
「きゃあぁっ!!」
ハンマーが叩き付けられた衝撃で地面が抉れ、砂埃が舞う。
「マルーシャ!」
「おっと、よそ見をしている場合か?」
アルディスの背に、再びヴァルガの矢が迫る。ヴァルガだけではない、フェレニーも刃の矛先を彼へと向けていた。
「アル、しゃがめ! ――
「!」
聴こえてきた声に応え、その場にしゃがんだアルディスの頭上を剣が舞った。アルディスに迫っていたヴァルガとフェレニーはやむを得ず距離を置く。
「へぇ、大切な宝剣を投げるのか……エリックは」
剣は空中で綺麗に円を描き、持ち主――エリックの元へと戻っていく。戻って来た剣を落とすことなく掴み、彼は困ったように笑っていた。
「おい、助けてやったんだから素直にお礼言えよ」
「冗談だよ。ありがと、思ってたより早かったね」
何しろ、本当に危なかった。エリック達が早く駆けつけてくれたのは、何故か対象の移動速度を速める特殊能力『
「――鋭利なる黒曜の刃。彼の者を貫きなさい!」
「! だめ……っ」
エリックは敵の視線を引き付ける囮役を買って出たのだろう。彼の後ろで、ポプリが紫の魔法陣の上に立ち詠唱している。それに気付いたベリアルがこちらに飛んでくるが、エリックの影に隠れて詠唱していたポプリの術が完成する方が、圧倒的に早かった。
「シャドウエッジ!」
「ッ、いやああぁっ!?」
地面から突き出した、氷柱のように鋭い闇の刃がベリアルの細い身体を貫く。甲高い悲鳴が、部屋の中に響いた。
「アル君、マルーシャちゃん……!」
「俺は大丈夫です! それより、マルーシャが!」
「平気!」
ガラリ、と瓦礫を動かし、その下からマルーシャが姿を現す。平気とは言っているものの、自慢の金髪はボサボサになり、ひらひらとした服は所々血に染まっていた。
「……アルディス、ちょっとこっちに来て?」
「分かった」
「行かせないよ!」
そう言うなり、マルーシャは杖を手に意識を高め始める。彼女の元へと走るアルディスへの追撃は、エリックが阻んだ。
「させるか!
「くあぁっ!」
身体全体を使うように剣を縦に振り下ろし、そのまま横に薙ぐ。肉を斬る感触に奥歯を噛み締めながら、エリックはそのままヴァルガの元へと駆けた。
「照らし出せ、生命の灯火! ――ハートレスサークル!」
その間に、マルーシャの治癒術が発動した。淡い青緑色の光は渦を巻くように周囲に展開し、その中にいたマルーシャとアルディスの裂けた皮膚を塞いでいった。
「ほう……」
「――汝の全ての可能性、この暗雲が包み隠す」
迫り来るエリックからも、ポプリが生み出した紫の魔法陣からも逃げようとせず、ヴァルガは弓を構えたままその場に立ち尽くしている。
「カースクラウド」
暗雲に包み込まれ、視界もままならない状態のヴァルガとの間合いを縮めたエリックは剣の柄を短く持ち、高く飛び上がった。ヴァルガは弓使いだ。要は、弓を引かせる暇を与えなければ良い。確実に仕留めるためにアルディスもその場で銃を手に、床を強く蹴った。
「――
「――アサルト・レイ!」
銃口から放たれたのは、光の光線。一気に急降下するエリックと彼を追うように空気を切る光線を見て、ヴァルガはニタリと笑ってみせた。
「……甘い!」
「がっ!?」
一瞬のことで、何が何だか分からなかった。腹部を深々と斬られ、エリックはヴァルガに一撃を決めることなく後ろに吹き飛んでいた。
「エリック君!」
「あらあら、お嬢ちゃん。他所見してる暇はないんじゃないのかい?」
「!?」
ポプリの背後に立っていたのは、先程エリックによって深手を負わされた筈のフェレニー。彼女が指先に纏っていた闇の爪は一本に纏まり、鋭く長い一本の棘のような姿と化していた。
「血の宴、見せてあげるよ! スナイプロア!」
「っ、あ……!」
フェレニーは棘を前に突き出すようにポプリに突進し、そのままポプリを巻き込むように切り裂きながら上に飛んだ。あまりの素早さに、ポプリの反応が全く追いついていない!
「ブラッディローズ!!」
「きゃあああぁああっ!!」
スナイプロアの衝撃で空中に飛ばされたポプリに追い討ちをかけるように、目にも止まらぬ動きで乱れ突きを繰り出す。身体を突かれ、ポプリの血は薔薇の花びらを描くかのように勢い良く辺りに飛び散った。
「うぅ……く……っ、あ……」
倒れたポプリの身体から、おびただしい量の血が流れていく。そんな彼女に向かって、無情にもヴァルガの矢が放たれた。
「
「いやあぁっ!!」
襲いかかったのは、複数の矢。身体を貫かれ、ポプリは悲痛な叫びを上げた。
「ポプリさん! ……っ、くそっ!!」
アルディスの呼び掛けに、ポプリは一切反応しない。気を失っているらしい。流石幹部級、と言ったところだろうか。それなりの深手を負わせたつもりだというのに、彼らは一向に倒れない――それどころか、傷一つ負っていないようにも見えた。
「ふふ、助かったよ、ベリアル」
「……」
その理由は倒れたと見せかけ、隠れて治癒術を発動させていたベリアルにあった。
「あの子……! まだ、倒れてなかったの……?」
「し、しまった!」
とにかく小さな声で詠唱していたのか、そもそも無詠唱なのかは分からない。ポプリのシャドウエッジで仕留めたと思っていたのが間違いだった。幼い彼女の容姿に、四人は完全に油断してしまっていたのかもしれない。
「ごめん、全然気付かなかった……! あの子は、マルーシャと同じ
「!?」
アルディスが遅れを取ってしまった。何かしら妨害されていたのか、それだけ彼に余裕が無かったのかは分からない。彼を完全に欺いていたベリアルはマルーシャと同じ、
それは、味方であればあんなにも頼りになる能力だというのに、敵であることを考えれば最悪だとしか思えなかった――こちらは、こんなにもボロボロになっているというのに、相手はほぼ無傷。絶望的なまでに、不利な状況だった。
「ベリアル、とどめを」
「……はい」
ヴァルガの命令に応えたベリアルの真下に、橙色の魔法陣が浮かび上がる。
「させるか! ――セヴァードフェイト!」
それを見たアルディスは長めのナイフを手に取り、勢いよく地面を蹴って飛び上がるとともにそれをベリアルに向かって投げ付けた。光を纏ったナイフが、ベリアルに向かって一直線に飛んでいく。
「この程度ですか?」
「!」
しかし、そのナイフはベリアルの元に届く前に、ヴァルガが手にしていた剣によって叩き落とされていた。
「! アイツ……剣まで隠し持っていたのか……!?」
マルーシャに傷を癒されながら、エリックは目を丸くしている。自分が斬られたのは、あれがあったからこそなのかと。
「――安息の時を刻みし大地よ。汝の眠りを妨げることを許したまえ……」
「こうなったら直接突っ込むまでだ!!」
ベリアルが放とうとしているのは、間違いなく上級魔術だ。詠唱完了までには時間が掛かる。ナイフでは駄目だと考えたアルディスは再び薙刀を構え、ベリアルへ強襲を仕掛けた。
「――アクアエッジ」
「!? ……ッ!」
そんな時、ヴァルガが放ったのは場違いにも水属性の初級術だった。迫り来る水の刃を前に、アルディスの足が止まった。
「ッ! くっ、くそ……」
ディアナほどではないが、アルディスには強い魔術耐性があった。それゆえ、初級術であるアクアエッジではそこまで大きなダメージは受けない。しかしながら、アルディスの身体は酷く、震えていた。
「あらまぁ、可愛らしい……アンタ、水が怖いんだねぇ?」
「!」
怯んでいたアルディスの前に、フェレニーが迫る。
「間に合え! ――
慌ててエリックは再び剣を投げ、フェレニーとアルディスとの間を開かせた。その隙に、エリックは二人の元へと走る。今滑り込めば、何とかアルディスを庇えるだろうと思ったのだ。
――その時、酷い息苦しさを感じた。
「!? ゲホ……ッ、がはっ、ゲホゲホッ! く……っ、ゴホッ、ゲホッゲホ……ッ」
発作だ。よりにもよって、こんな時に……戻って来た剣を掴む事も出来ぬまま、エリックはその場に崩れ落ちた。
「エリック! 待ってて! ーーファーストエイド!」
それに気付き、マルーシャがファーストエイドを発動する。エリックは呼吸が楽になるのを感じながら、おもむろに顔を上げた。詠唱直後のマルーシャに向けて、ヴァルガの矢が放たれようとしているのが、視界に入った。
「!? マルーシャ!」
「
「きゃあぁっ!」
遅かった。炎を纏った矢は勢い良くマルーシャの元へと飛んでいき、彼女の細い身体を貫いていた。
「う……っ」
ただでさえ、戦闘に慣れていないというのに。彼女は散々、幹部達の攻撃を受けたのだ。マルーシャの身体は既に、限界だった。
「ごめん、なさい……ッ」
顔を苦痛に歪ませ、マルーシャは謝罪の言葉を口にする。それに誰かが答えるのも待たず、彼女はその場に崩れ落ちた。
「マルーシャ!」
「……行きます」
その時、ベリアルの真下にあった橙色の魔法陣が一気に煌きを増した。
「――グランドダッシャー!」
地面から、耳を塞ぎたくなるほどの爆音が轟き始める。ビキビキ、とコンクリート貼りの床が大きく割れ始めた。
「エリック!」
「な……っ!?」
――割れた地面から巨大な岩が突き出す直前、エリックはアルディスによって突き飛ばされた。
「がはっ、ああぁあっ!!」
「アル!」
逃げ遅れ、岩に貫かれたアルディスの悲鳴が響き渡った。ヴァルガが不敵な笑みを浮かべ、最後に残ったエリックを見つめている。
「勝負あったな」
「お前ら……ッ、よくも……」
ぐったりと横たわった仲間達の姿を見て、エリックは奥歯を強く噛み締める。転がっていた剣を拾い上げ、その柄をぐっと握り締めた。その様子を見ても、ヴァルガの顔からは笑みが消えない。否、それは先ほどよりもエリックを見下す笑みと化していた。
「威勢が良いのは結構だが、貴様一人で、私達に敵うとでも思うか? 戦闘中に発作を起こすような、情けない“王子様”が」
「! 何が、言いたい……っ」
戦闘中に発作を起こす。以前、それに近いことがあったがゆえ、エリックは発作が起こることを恐れていた。そして今回、恐れていたことが起きてしまった。
しかも今回の場合、発作さえ起きなければマルーシャが倒れることは無かったかもしれない。それどころか、ポプリが本来の買い物とは無関係に薬草を買いに行ったのは、マルーシャが薬屋の前で拐われるような事態になったのは、自分の体質が原因だった……エリックは血が出そうなほどに拳を強く握り締め、ヴァルガを睨みつける。本当に馬鹿にされているらしい。彼らは一切、エリックに攻撃してこようとはしなかった。
「ずっと前から分かっていたことだろう? 貴様が、無力で惨めな存在であることくらい。隣国の若き天才、ノア皇子はさぞかし貴様を蔑んだことだろうな……」
「――ッ!!」
ノア皇子。当時、病で床に伏せていた自分と同い年でありながら、戦場の最前線にて果敢に戦い、隊をいくつも壊滅状態に追い込んだ――鳳凰を継ぐ者。
(僕を……アイツと比べないでくれ……ッ、頼むから……ッ)
それはエリックが、最も振られたくない話だった。それを分かっていながらこの話を降ったのだろう。ヴァルガは楽しそうに、心の底から嫌味な笑みを浮かべていた。
「しかし、ノア皇子は現在行方不明。この状況は、あなたにとって幸いだな……彼が『死んでいれば良いのに』と、そう思っていることだろう? アベル王子」
「! そんなこと、思うわけ……ッ!」
――本当二、思ッテイナイノカ?
「……」
「どうした? アベル王子」
――ノア皇子ガ、イナクナレバ。キット、楽ニナレルノニ?
エリックの心を、吐き気を催すほどにどす黒い、嫌な感情が支配しようとしていた。
(僕は……)
『エリック……気付いてないフリしろよ。俺、怪しいとはいえ、今、一応意識あるから……』
「!?」
このあまりにも絶望的な状況の中、親友アルディスの声が頭に響いたのはそんな時だった。
『俺が、次の一撃で決める。詠唱時間を、稼いでくれ……』
(アル……)
自力では目の前の男達を倒せない。自分は、瀕死の親友に頼るしかないというのか。嘲笑をヴァルガに向けられ、プライドをズタズタに傷付けられながらも、エリックは軽く頷いた後、剣を手にアルディスの前へと飛び出した。
「黙れ! 僕は……僕は、お前らに屈したりしない! ふざけるのも大概にしろ!!」
「――万物を照らす、穢れなき光の化身よ……」
横たわったまま詠唱しているらしいアルディスの声が、微かに聴こえてくる。どういうわけか、彼の真下に魔法陣らしきものは浮かび上がっていない。その声が
「ほう、面白いことを言う……」
「……ッ」
嘲笑に負けるな、屈するな。エリックは自分自身に、懸命にそう訴え続ける。身体は無事でも、精神が、磨り減っていくのが分かる。
「
それでも今は、今の自分には、アルディスのために時間を稼ぐことしかできない。エリックは瓦礫目掛けて衝撃波を飛ばし、砂埃を上げた。
「勝てないからといって、小賢しいことをするねぇ……!」
「……。いや、待て! ベリアル、さっさとこの砂埃を吹き飛ばせ!!」
気付かれてしまったか、とエリックは歯ぎしりした。ベリアルが背中の翼を羽ばたかせたことによって、彼らの周りで舞っていた砂埃が吹き飛ばされる。
「やはりか……! 貴様、まだ……!」
忌々しそうに吐き捨てたヴァルガの言葉に反応し、エリックはその場で振り返った。
「! アル!?」
「は……はぁ……っ、はー……っ」
まさか、あの規模の魔術を受けて立ち上がるなどと、誰が思ったことか。荒い呼吸を繰り返しながらも、薙刀を杖代わりに立っているアルディスの姿が、そこにはあった。
「――契約者の、名において命じる……」
アルディスの詠唱に反応し、彼の左手で控えめに存在を主張していたバングルが輝く。詠唱中に魔法陣が出なかったのは、これが理由なのかもしれない。
「まずい! 聞いたことのない詠唱だが、あれは、恐らく……!」
慌てて詠唱を邪魔しようとヴァルガ達が動くが、アルディスの詠唱の方が早い。ここに来て漸く、アルディスを中心に巨大な魔法陣が展開された。
「――汝、その大いなる力を持って、我が呼び掛けに応えよッ!! ……レム!!」
詠唱が完了すると同時、魔法陣とバングルが光り輝いた。あまりの眩しさに目を開けていることすら困難な状況だったが、アルディスの目の前に人影らしきものが浮かんでいるのは分かる。
(あれ、は……)
少しずつ、その姿がハッキリと見え始めた。そこにいたのは、艶やかな金色の、長い髪の男だった。背には大きな翼が生えている。尖耳だが、
『あ、主……』
「……」
そして、その異様な姿の男は“レム”と呼ばれていた――それは、光属性を司る精霊の名だった。
「背に腹は代えられない、それだけだ。後のことは考えてないよ。とにかく……頼んだ」
それだけをレムに告げ、アルディスはその場に膝を付き、前のめりに倒れてしまった。流石の彼も、もう限界なのだろう。むしろ、よくやってくれたと思う。
『……』
驚き、唖然として立ち竦んでいるヴァルガ達に向けて、レムは右手を突き出した。背の翼は一切動いていなかったが、それでも、不思議と彼は空中にその身を留めている。
レムがゆっくりと瞬きをした直後、禍々しいほどの魔力を感じさせる巨大な光の柱が、天から降り注いだ。
「ッ!」
悲鳴さえも、上がらなかった。柱はヴァルガ達を巻き込み、輝き続ける。その後には、何も残らなかった。
「やった……のか……?」
『否、違うだろうな……あやつら、途中でどこかに転移したようだ……』
思わずエリックが口に出した言葉に、レムは悔しそうにそう返してきた。絶対的有利な状況下を覆すような存在、精霊が現れたのだ。逃げ出したくなる気持ちは分かる。
「でも、助かった……えっと、レム……?」
『そのようなことはどうでも良い。お主の仲間に、鮮やかな青い髪の男がいるであろう? そやつなら応急処置ができると思うのだ……早く、そいつの所に主を連れて行ってくれ』
困ったように笑った後、レムは軽く翼を羽ばたかせ、辺りに光の粉を飛ばした。粉はエリック達の身体を包み込み、それぞれの身体に取り込まれるように消えていく。
「え……?」
光の粉には、治癒の力が宿っていたらしい。身体の痛みが引いていく。意識を失っていたマルーシャが、ゆっくりと身体を起こした。
「大丈夫だった……? エリック……」
「マルーシャ……」
とは言っても、彼女の負った傷は完全には癒えて居なかった。その痛々しい姿に、エリックは思わず目を細める。
『ふむ……主の許可無しに力を使うことは、本来は褒められたことではないのだが。しかし、こうでもしなければ、主が死にかねなん。マクスウェルも、今回ばかりは許してくれるだろう……』
要件はそれだけだと言わんばかりに、レムの姿はかき消え、見えなくなっていく。
「おい! どういう――」
「アル君!? どうしたの……!? ねえ、しっかりして!!」
エリックの言葉は、ポプリの叫びによってかき消された。
「どうしたポプリ!?」
「アル君が……ッ」
酷く声を震わせるポプリは床の上に座り込んだまま、アルディスの上半身だけを抱き上げるようにして抱えている。
「ぐ……っ、う……っ、うぅ……っ」
「ーーッ!?」
ポプリの声など、届いていない様子だった。アルディスは顔面を蒼白にし、右の二の腕を押さえて小さく呻き声を上げていた。血を吐いたのか、その口からは大量の赤が流れている。固く閉ざされた目を覆う白銀の睫毛は、小刻みに震えていた――否、彼自身の身体も酷く震えていた。
彼もある程度、傷は癒えているはずだというのに。一体どうしたというのだろうか。
「アルディス……しっかりしてよ、お願い……」
マルーシャも必死に治癒術を掛けているが、効いている様子は微塵も無い。アルディスの様子は、依然として変わらない。
(まさか……)
エリックの、脳裏にある仮説が浮かぶ。ひとつだけ、思い当たる節があった。
魔術を得意とする
だが、仮にエリックの脳裏に浮かんだ仮説が事実ならば、それも納得がいく。
「……ポプリ、ちょっと、アルをこっちに」
「え、ええ」
震える手で、エリックは苦しむアルディスの左手を避けさせ、右の二の腕を覆うアームカバーを下ろした。
「きゃ……っ!?」
傍にいたポプリが、小さく悲鳴を上げる。
顕になったのは、己の存在を強く主張する赤黒く光る印らしき物だった。
必要以上に白いアルディスの腕によく映えるそれは、刻印から植物の根のように痣が伸び、まるで生きているかのように蠢いていた。
痣に侵されたその様子は“グロテスク”だと言い表すのが、一番分かり易いかもしれない……。
「やっぱり、か……」
「ねえ、エリック。これって……」
「……」
「え、エリック君、マルーシャちゃん……? これ、一体何なの……? ねえ……」
そのままの体勢を保ったまま、エリックもマルーシャも揃って、しばらく動けずにいた。二人とも、この印が何であるのかを知っていた。だからこそ、信じたく無かったのだ。
「……ッ、痛、ぁ……はぁ……、ぐっ……」
アルディスの左目から、生理的に浮かんだのであろう涙がこぼれ落ちる。エリックは思わず、目を背けたくなるような衝動に駆られた。親友のこのような姿を、見たくは無かった――それも、その原因は……。
「“
「ヴォ、
震える声で、エリックが呟く。何のことだか分からないと、ポプリは機械的にその言葉を繰り返した。
「……。ジャンの所に行こう」
鮮やかな青い髪の男――ジャンクなら応急処置ができる、とレムは言っていた。エリックはアルディスになるべく衝撃を与えないように立ち上がりながら、口を開く。混乱しているポプリに、説明する義務があると思ったからだ。
「これはラドクリフの人工魔術なんだ……印が刻まれた者の魔力を全て吸い尽くすまで消えない……呪い、なんだ……」
――
「……僕も、詳しくは知らない。ただ、どうしようもなく残酷な術だってのは、分かる」
それは
この印を刻みつけられた者は、魔力を用いたあらゆる行動が制限されてしまう。
できなくなるというわけではないのだが、行動に伴い、体内の魔力を痣に一気に吸い上げられるのだ。それには、耐え難い激痛が伴う。術の規模によっては、現在のアルディスのように意識さえ保っていられなくなるのだ。
「何で、こんな物がアルに……」
それだけでも充分惨たらしいものだが、この術の恐ろしさはそんなものではない。被術者は何もせずとも広がっていく痣に少しずつ魔力を吸い取られていくのだ。それも、生きていくために必要な魔力さえも例外なく奪い取られてしまう。
――そして最後には、命さえも、奪われてしまう。
アルディスはエリックやマルーシャが思っていたよりもずっと、深刻な物と戦っていたということだ。
「とにかく……急いで帰ろう。外で、チャッピーも待ってる……」
「うん……」
だが、今は嘆き悲しんでいる場合ではない。こうしていても、状況は変わらないのだから。エリックは意識を失った親友を抱え、マルーシャ達と共に宿屋へと急いだ。
―――― To be continued.