テイルズ オブ フェータリアン ー希望を紡ぎ出すRPGー 作:逢月
「……」
エリックは剣に付いた血を払い、それをレーツェルへと変えた。その横で、マルーシャも短剣をしまう。そんな二人の様子を、アルディスは未だ涙の残る目で見つめていた。
「おいアル。いつまでそんな顔してるんだ……それより、ディアナ離してやれ。苦しそうだぞ」
「! あ……」
エリックに指摘され、アルディスは漸くディアナを抱え込んだままになっていたことに気が付いた。状況的に力んでしまうのは仕方がなかったとはいえ、ディアナにはかなりの力が加わっていたはずだ。小さな彼の身体に何かしら負担をかけていないか気にしつつ、アルディスは力を緩めつつディアナの顔を覗き込んだ。
「ご、ごめん。大丈夫かい?」
「謝るのはオレの方だ。すまない、皆……」
ゆっくりと地面に下ろされたディアナはその場に座り込んだまま、俯きがちに声を震わせる。何とも言えない、重々しくも気まずい空気が六人の間で漂っていた。
「ね、ねえ! みんな、とりあえず先に進もうよ!」
「マルーシャ……?」
この空気を壊そうと思ったらしいマルーシャは、パンパンと両手を叩いて笑ってみせた。
「だって、ここにいつまでもいるのも嫌でしょ?」
そうだなとエリックがそれに同意し、皆が先頭を歩くマルーシャを追って動き出す。それでも、ディアナは決して立ち上がろうとはしない。結局立ち上がることなく、彼は今にも泣き出しそうな表情で、声を震わせて叫んだ。
「ま、待ってっ!!」
「!」
「待って……お願い……っ」
置いて行かないで、とプライドも何もかも捨てて、ディアナが訴えてくる。捨てたくて捨てたわけではない、彼の場合は、捨てざるを得なかったのだ。
両腕を使い、ディアナは必死に前へ進もうとする。時々「助けて」と言わんばかりに右腕をエリック達の方へと伸ばす。だが彼がそのような動きを繰り返すのに対し、両足は全く動いていない。それらはずるずると、重りのように引きずられているだけだ――これが何を意味するのか、分からぬ者はいなかっただろう。
「……大丈夫。置いてったりしないよ」
それでも、アルディスは特に表情を変えることなく、再びディアナを抱き上げる。しかしアルディスの顔を見上げたディアナはびくりと肩を震わせ、目をそらすようにアルディスの胸に顔を押し付けてしまった。
「ッ……ごめん、なさい……」
(笑ってるつもり、なんだけど、な……)
どうやら怯えさせてしまったようだ。この反応を見る限り、自分は相変わらず笑えていないらしい。八年間、ずっとこれだ。大概に慣れたが、このような場面で笑えないのは流石に辛い。
「ごめんなさい……ッ」
「……」
繰り返し謝ってくるディアナの声を聞いていると、胸が張り裂けそうになる。間違いなく、普段の強気な姿は彼の虚勢だ。本来、ディアナは臆病な子なのだろう。アルディスに責められることが怖いというのもあるだろうが、何より自分が迷惑をかけ続けているこの状況が耐えられないのだ――捨てられる、とでも考えてしまったのかもしれない。
「もう、謝るな。大丈夫だから」
言葉だけでは、伝わらない物がある。よりにもよって笑えなくなってしまってから、アルディスはそれに気付いてしまった。
できることならば、かつてエリックやマルーシャが自分に対してそうしてくれたように、ディアナに笑いかけ、彼を安心させたいというのに……。
▼
その後は、幸いにも魔物とも野盗とも遭遇することなく森を抜けることができた。テントを張り、野営の準備を終えた後は皆、適当に個人で過ごしていた。
「……」
エリックは一人、テントからも、仲間達からも離れた場所にいた。時刻は既に深夜を回っていたものの、何となくテントで眠る気になれなかったのだ。転がっていた岩の上に座り、彼はぼんやりと星空を眺めていた。
「エリック君……やっぱり、眠れそうにない?」
放心していると、後ろからポプリの声がした。
「……ポプリ」
「あたしも、そうだったわ。多分、皆そうなの。生きるためとはいえ……辛いわよね」
それでも、直接人を殺める感触を味あわずに済む魔術師は、まだマシなのかもしれない。そう言って、ポプリは琥珀色の目を細め、どこか悲しげに笑った。
「はは、覚悟はしてたつもりだったんだ。だから、咄嗟に動けたんだと思う。だけど……実際にやってみると、やっぱり違うんだよな」
「……」
「情けないな。あの感覚はもう、忘れられそうにない……」
人を斬る何とも言えない感触と、大量に被った生暖かい返り血。汚れた服も、身体も綺麗に洗い流しはしたがまだ、どこかに何か残っているような感覚に陥る。
エリックの言葉を静かに聞き終えた後、ポプリはおもむろに首を横に振った。
「忘れちゃ、駄目なんだと思うわ……あたしだって、できることなら忘れたい。けれど傷付けられた方は、それを望まないはずだから」
「……命を奪う、責任か」
「さっきのは正当防衛って言ってしまえば、それまでだけどね。そう考えてみれば、ディアナ君はずっと戦ってきたのよね……」
「目、抉らせろって……片目だけで良いから、とか……」
「まあ、実際は片目だけじゃ済まされないのよね。能力が欲しいなら、なおさら」
普通、あのような者に襲われた
第一、仮に片目だけで済んだとしても、魔術を使うことに特化した
「でもさ、あれって……運が良ければって、奴だろ?」
「……。
「!?」
多分と言いつつ、まるでその光景を見たかのような物言い――エリックが密かに立てていたある仮説が、確信へと変わる。意を決して、エリックは真実を確かめるべく口を開いた。
「ポプリ。僕の予想が正しければ……」
「アル君の右目を抉ったのはあたしよ。そして、彼の能力を奪い取った……だから、龍の血が濃いあたしでも、あれだけの魔術を使いこなせるの」
「なっ!?」
「ふふ、軽蔑したって良いわ。それだけのこと、やっちゃったんだもの」
想像はしていた。だが、先に言われてしまうとは思わなかった。悪人じみた様子で、どこか自虐的にクスクスと笑うポプリの姿を見たエリックは、思わず眉をひそめた。
「だからね、ディアナ君があたしを見て警戒するのも当然のことなの……ごめんなさい、驚かせちゃったでしょう?」
「……」
「エリック君?」
だが、彼女は別にアルディスの能力を奪い取る目的で右目を抉ったわけではないのだろう。それは、アルディスのポプリに対する態度や、今この話をしているポプリの姿を見れば明らかだった。彼女は明らかに、自らの行為を蔑んでいる。後悔しているのだから。
「ねえ……何か、言ってよ……」
恐らく、ポプリは責めて欲しいのだろう。アルディスがあの調子だ、彼に悪気はないだろうが、拒絶されないことで罪の意識に苛まれてしまっているのかもしれない。
「ポプリ」
「……」
右目に傷を負ったばかりの彼がどれほど追い詰められていたか、エリックはよく知っているつもりだった。だからこそ、分かることがある。
「アイツは昔、『自分と一緒にいたら皆不幸になる』とか言ってたんだ。気になってたことがやっと分かったよ。僕の推測だが、先に傷付けてきたのは、アルの方なんだろ?」
「!?」
「でも……多分それ、事故だろ。何か事故があって、その結果ポプリが傷付けられた。で、何があったか知らないが、ポプリがアルの右目を斬り付けてしまった……とか。少なくとも、先にポプリがアルに襲いかかったわけじゃないだろうと、僕は考えている」
『嫌なんだよ……っ! もう嫌なんだよ! 俺のせいで誰かが傷付くのは、もう見たくない……!!』
八年前、魔物に襲われながらも自分達を逃がそうと、アルディスが泣きながら叫んだ言葉。それ以前に彼は、自分達に嫌われるため、懸命に“嫌な奴”を演じていた。
「……凄いの、ね。でも……彼は、何も悪くない。あたしが、勝手に……あたしが勝手にやっただけなのよ……」
「ポプリ……」
「彼は悪くないのよ……っ! あたしが全部悪いの。それなのに、あの子……あの子は……っ」
「……」
――皮肉な話だ。両者が、共に互いのことを許し、自分自身のことを許さなかったのだ。
「悪かった。嫌なこと、話させたな……」
「……ごめんね、あたしがエリック君を慰めに来たのに」
これじゃどっちが慰められているやら、と自嘲的に笑うポプリの頬を涙が伝う。彼女は本当に、この話題になると涙脆くなってしまうようだった。
「まだ謝ることがある。僕は、マルーシャと一緒にアルの素性を探ろうとしたんだ。お前の話聞いて、どうしても……気になって。本当に申し訳ない」
「!」
「とりあえず、“クロード”が聖者一族由来の名字だってのは分かったんだ。ルネリアルでのお前の反応だとアルが貴族だって、言ってるようなものだったから」
「……」
それは、『普通に扱ってくれ』と頼んだエリックの言葉にかつてのアルディスの姿を重ね、ポプリが涙した出来事を指していた。
不幸中の幸い、エリックは重大な事実に気付いていないようであったが、自分の行為でアルディスの首を絞めてしまったということだ――ポプリは、賭けに出ることにした。
「……。エリック君、“ペルストラ=クロード”って知ってる?」
「え? えーと、初代ペルストラ領主だよな……」
「そうよ。あたしのお爺ちゃんの名前」
「!?」
この話をすると、案の定エリックは目を丸くしてみせた。その反応も当然のことだろう。彼らには、違う姓を名乗っているのだから。
「ごめんね。“ノアハーツ”って偽名なのよ。あたし、ノアハーツ孤児院ってとこにいたから、そこから名前貰ってきたの。本当の姓を名乗っちゃうと何かと不都合あったから……あたしの本名はポプリ=クロード。エリック君を信じて、話すわ」
「え……お前もクロード姓!? いや、待ってくれ。アルとの、関係は……まさか……」
「そう、姉弟なの。異母姉弟だから、血は半分しか繋がってないけど」
エリックの反応を見る限り、かなり驚いてはいるが信じてくれそうだ――ポプリはアルディスを義弟ではなく、自分と半分とはいえ血の繋がりがある弟だと主張して誤魔化しきろうと考えたのだ。
「あたしのお爺ちゃんは正真正銘の聖者一族だったの。クロード姓はそこから引き継がれて来たのよ。そして、彼は
「す、すごい話だな……」
「……」
ここまでは実話だ。実際にポプリは聖者一族の血は引いているし、ペルストラの話も事実だ。嘘は付いていない。
しかしアルディスとの関係を誤魔化すのなら、ここから虚像を交えていく必要が出てくる。
「調べたんだったら、聖者一族は白銀の髪を持つって知ってるわね? あたしの二人目のお母さんは聖者一族の血を引いてるのに銀髪じゃなかったんだけど、アル君は隔世遺伝で銀髪になったの……それにしたって全然似てないのは、あたし達両方母親似だからだと思うわ。あたしはもう、最初のお母さんの顔なんて思い出せないけど……」
「お前も大変だったんだな……」
エリックは、完全に話を信じ込んでいるらしい。罪悪感を覚えながらも、ポプリはなるべく表情を変えぬように気をつけつつ、話を続けた。
「一族はね、ヴァイスハイトとして生まれたアル君を欲したの。ちょうど、一族の証の白銀の髪だったしね……最終的にアル君だけが、聖者一族としての地位を得ちゃったのよ」
「……なるほど」
「だから、あの子は貴族と言えば貴族よ。男の子だから、ほっといても次期領主ではあったんだけど、それ以上の立場になっちゃった。どう接したら良いのか気にしてたあたしに、あの子は気にするなって言ってくれたの……」
プライドの高い聖者一族が
だが、ここでエリックを騙しきれても、マルーシャに見抜かれる可能性はある。どのみち、アルディスと話を合わせておく必要性はありそうだ。
(あの子に余計な嘘、吐かせたくなかったのにな……)
今の段階で、アルディスはいっぱいいっぱいだろうに。そう考えると、徐々に目頭が熱くなってくるのを感じた。
「……ちょっと待ってね。また泣きそう」
「あ、ああ」
泣きそうなのは、本当だ。だが、ここで逃げ出すわけにはいかない。
(あたしのせいでこじれたんだもの。上手く……上手く、誤魔化さなきゃ)
嘘を誤魔化すには、その上からもう一度嘘を塗り固めるしかない――今一度、これからエリックに告げる真実と嘘を交えた昔話の流れを頭の中で整理しつつ、ポプリは星空を仰いだ。
▼
「ジャン、大丈夫?」
「ええ……しっかし、ろくでもない所ばかり見せるな、僕は」
目の前で心配そうに首を傾げるマルーシャに対し、頭に包帯を巻いた姿のジャンクはそう言って深くため息を吐いた。
「仕方ないよ……だって、無理させてたのは、わたし達だもん」
「だからと言って、僕は君達にあんなこと……させたくなかったんですよ……」
「……良いの。覚悟は、してたから」
マルーシャの黄緑色の瞳が微かに揺らぐ。彼女の傍らにはあの時、男の胸を貫いた短剣が置いてあった。
「魔術で、とも思ったんだ。でも、それで間に合わなかったら絶対に後悔するでしょ? そう思ったら、すぐに身体が動いてた」
「普通、硬直するものだと思うが」
「えへへ、わたしも不思議だなって思ってる……でもね、正直に言うと、やっぱり怖かった。夢に、出てきそうだなって……」
場違いにも、マルーシャはどこか楽しげにクスクスと笑っている。しかし、彼女の浮かべる笑顔は、明らかに無理をしていると分かるような、そのようなものであった。
「マルーシャ……すまん。僕が、アドゥシール経由を希望したばかりに……」
その姿を
「……」
「トゥリモラ経由なら、もっと楽に進めていた筈です。それなのに、本当に申し訳ないことを……」
アルディスも言っていた話だが、アドゥシール付近はその地理的条件故、魔物が多い。そして、魔物が多い状況を隠れ蓑にしている野盗達による被害も多い、危険な場所だ。アドゥシールに行くならともかく、セーニョに行くことが目的ならば、普通はこのルートを選ばないという。
それを分かっていながら、どうしても嫌だと危険な道を選ばせてしまった上に、ジャンク自身は戦える状態ではなかった――当然ながら、彼も自らの浅はかな行為に責任を感じていたし、責められることも覚悟していた。マルーシャの反応を待ちつつ、ジャンクは強く拳を握り締める。
「何でそんなこと言うかなー」
だが、マルーシャはその話を聞いて、ただきょとんとした表情を浮かべて首を傾げていた。
「ジャン、どうしてもトゥリモラって町に行きたくなかったんでしょ?」
「え、ええ……」
「だったら良いんじゃないの? 行かずに済んだんだもん。良かったって思おうよ!」
そう言って、マルーシャは花が咲くように眩しい笑顔を浮かべてみせた。
「君は、冗談抜きで良い子なんだな……」
「え? ありがと?」
どうしてそんなことを言われたのかが分からない、と言わんばかりにマルーシャはまたしても不思議そうな表情を浮かべている。
彼女の歳で何の計算もなしに、純粋な思いで人を思える人間が他にいただろうか。うっかり開眼しそうになりかけながらも、ジャンクは軽く咳払いをした。
「そういえば。ジャン、わたしの姿は見えるんだっけ。エリックだけ見えないってこと?」
ジャンクが開眼しかけたのに気付いて、抱いていた疑問を思い出したのだろう。マルーシャは本当に唐突に、このような話題を振ってきた。
「ですね。彼に関しては気配しか分かりません。あとは声だけで判断することになるからな。結構不便だ」
「想像は付くかな~。エリックって結構淡々と喋るからね」
「……!?」
洞察力が優れているのだろう。マルーシャは時々、核心を突きすぎたような発言をする。今回もまさにそれだ。
まさかエリックにべったりと引っ付いているマルーシャにこんなことを言われるとは思わず、どのような言葉を返せば良いか分からなくなってしまった。
だが、マルーシャはジャンクが無言になってしまうことを予想していたらしい。彼女は「気にしなくて良いよ」と笑った後、突然真面目な表情に変わった。
「ジャン、正直エリック苦手でしょ?」
「え!? いや……」
「苦手っていうよりは、“何も分からないから怖い”っていうのが強いんじゃないかな。だって、気付いてないでしょ……ジャン、エリックの前じゃあんまり表情変えないもん」
ちなみにエリックも多分気付いてるよ、とマルーシャが苦笑するのを見て、ジャンクは決まりが悪そうに、再びため息を吐いた。
「その……分かりにくいのも無理はないんだ。エリックはね、なるべく感情を表に出さないように、殺すようにってお義父様に育てられてきたから。だから、今でもその名残みたいなのが残っちゃってて」
「それで、感情自体が乏しくなってしまった、と」
「うん。エリック、今でも極端に表情変えることってほとんどないんだ。自制しちゃうんだと思うの」
小さい時はもっと表情豊かだったのになぁ、とマルーシャは目を伏せてしまった。どうやら、成長するに従ってエリックはどんどん感情そのものが薄れてきてしまったということらしい。
「わたしね、エリックが両手叩いて笑ったりする所も、思いっきり泣いてる所も、もうずっと見てないんだ……何とか、したいのに。してあげたいのに」
マルーシャの表情が、微かに歪む。泣き出してしまうのでは、とジャンクは一瞬たじろいだが、彼女はただ、困ったように笑ってこう言った。
「わたし、ずっと一緒にいるんだけどね。それでも、何もできないの」
「……」
その言葉には、どこか「ごめんなさい」といったニュアンスすら含まれているようで。エリックを思いやる彼女だからこそ発せられた、あまりにも悲しいメッセージにも感じられた。
「マルーシャ……」
「えへへ、ごめんね? 忘れてくれる?」
「……ッ」
ジャンクは、そんな彼女に何の言葉も掛けてやれなかった。
▼
「……。じゃあ、話すわ。本題それてたからちょっと方向戻すけど……あたし達、ペルストラの出身なの。今の話の流れからして分かったとは、思うけど……」
再開された、ポプリの口から紡がれる昔話。エリックの表情が、一気に険しくなる。様子を見る限り、彼はペルストラで起きた事件に関して一定の知識を持っているらしい。
しかし、それならば詳細を聞かれてしまっては後々困る。そこに論点を持っていかせないためには、どうするべきか。ポプリの中には、ちゃんとその方法も用意してあった。
「これ、見せた方が早いわね……苦手だったら、ごめんなさい」
ポプリはロングスカートの裾を掴み、躊躇うことなく左足を隠すそれを上にたくし上げ始めた。
「!? ちょ、おまっ! ばっ!?」
「エリック君……外見大人っぽいのに、案外純情なのね……」
見るからに顔を真っ赤に染め上げた上、明らかに挙動不信になったエリックに対し、ポプリは「こっちは真面目に話してるのに」とスカートの裾を持ったまま苦笑する。馬鹿にされたと思ったのか、エリックは少しだけムッとしてポプリの方を向き直った。
「い、いや! 当たり前の反応だろ……って、え……!?」
だが、太もも辺りまで晒されたポプリの左足を見て、エリックは言葉を失ってしまった。顕になったのは――酷く焼け爛れ、赤黒く変色してしまった痛々しい火傷の痕。
「二人とも、あたしの動きが遅いの気にしてたでしょ? これが原因なの。こんな感じで、左足全体と、あと背中の方にも広がってて……左足は特に酷くてね。ちゃんと、動かないの」
「……ッ、それ、アルと何か関わりがあるってことだよな……?」
「自分を美化したいわけじゃないけど、あたし、彼を庇ったのよ……木製の、火の付いた壁が……倒れてきたの」
アルディスを庇った結果、ポプリはそれの下敷きとなってしまったのだ。それならば、これだけ広範囲の火傷となってしまう理由も理解出来る。
ペルストラ事件は八年前。つまり現在二十歳だというポプリは当時、十二歳の少女だ。幼い少女に残った火傷の痕は、絶望を与えるほど、惨たらしいもの以外の何ものでもなかっただろう。
「ポプリ……」
「ふふ、ここまでは、あたしが被害者みたいでしょ? でもね、実際は違うわ。この痕を見た時……あたし、錯乱しちゃって。後は……分かるわよ、ね……?」
実際のペルストラでの事件にはポプリにもう少しだけ同情の余地を与えられるような、そのような残酷なものも含まれている。しかし、それを今、エリックに話すわけにはいかないのだ。
「……」
今度こそ軽蔑されるに違いないと覚悟を決めるポプリに対し、エリックは微かに眉を寄せた後、おもむろに首を横に振ってみせた。
「話してくれて、ありがとな。最初にアルがお前から逃げようとした理由も、その割に今、アイツがお前に普通に“笑顔を見せている”理由も、お蔭で理解できたよ」
「え……?」
アルディスが、自分に笑顔を見せている――ポプリからしてみれば、エリックの発言の意味は理解しがたいものであった。そんな彼女の反応を察していたらしいエリックはどこか悲しげに目を細め、微笑した。
「アルの表情はな、声の調子とか、アイツがまとってる雰囲気とか。そっちを見て判断してやって欲しい。それなら、ちゃんと分かってやれるから」
「……」
「長い間一緒に居るけど、アイツは確かに、一度も笑ってない。それでも……“嬉しい”だとか“楽しい”だとか、そういう感情の揺れ動きはあるんだ。多分、アイツの場合は何か事情があって、顔に出せなくなってるだけなんだよ」
――どうして。
「……ッ」
ポプリの頬を、止めどなく大粒の涙が伝っていく。それを止める術も知らぬまま、彼女は口を押さえ、目を固く閉ざした。
恐らくエリックはアルディスが笑えないという事実、そして笑えなくなった理由にも勘付いているに違いない。
それでも、彼は何も聞いてこなかった。彼はただ、数日前のようにハンカチを差し出しながら、優しげな笑みを浮かべていた。
「その分、異様に涙脆く育ったみたいだけどな。泣き虫ってレベルじゃないぞ、あれは。そうだ。アルって泣き方でも喜怒哀楽分かって面白いから、今度観察してみろよ」
(本当に残酷だわ。どうして、どうして……こんな……ッ)
昔は当たり前のように笑えていたせいかもしれない。アルディスは、自分が無愛想であることを酷く気にしていた。
しかし、エリックはその辺りのしがらみを全て凌駕し、彼の感情を察する良き理解者だったのだ――ただ、彼はラドクリフの王子だった。
(これだけ、あの子のことを分かってくれる彼が……今一番、あの子が共存してはいけない存在だなんて……)
アルディスが危険を承知の上でエリックとマルーシャから離れない理由。その理由を、ポプリは身を持って感じ取ってしまった。確かにこれは、離れたくなくなるのも無理はないだろう、と。
だが本来であれば、彼らは、エリックとアルディスは戦場で刃を交えていてもおかしくない立場の人間だ。それが、普通なのだ。ただ、ここまで来る途中で歯車が大幅に狂い、今のような状況が生み出されてしまったのである。
そしてそれはいつ、“本来あるべき形”と化しても、おかしくはない。狂った歯車は、いつまでも狂ったままには、できないのだ。
『アルの表情はな、声の調子とか、アイツが纏ってる雰囲気とか。そっちを見て判断してやって欲しい。それなら、ちゃんと分かってやれるから』
――“虚像の友情”には、いつの日か、終焉が訪れるだろう。
それを、アルディスはちゃんと理解していた。理解してしまっていたのだ。だからこそ、彼は……。
(どうして……ッ、どうして、よぉ……!)
嗚呼、本当にアルディスが自分の弟であったならば、彼は宿命の歯車に苦められずに済んだのだろうか――。
エリックから差し出されるハンカチに触れることさえもできず、ポプリはただ、その場に泣き崩れることしかできなかった。
▼
「……」
アルディスはディアナを抱えたまま、ぼんやりと星空を仰いでいた。晒された彼の白銀の髪はフードに遮られることなく、夜風に流されて揺れている。
人を始めて殺めたのだ。エリックとマルーシャを一人にしない方が良いだろうと、密かにポプリやジャンクと簡単に話し合い、結論として彼らには、自分以外の二人が付くことになった。
とは言っても、彼らのあの行為には自分の失態が大きく関係していた。だからこそ二人まとめて自分が何とかすべきだろうとは思っていた。
だが、情けないことに彼らの顔を見て泣かない自信が無かったのだ。慰められては何の意味もないため、最終的にアルディスはこうしてディアナと共に過ごしていた。一人にしない方が良さそうなのは、ディアナも同じだと判断されたことも理由でもある。
「すまない。その……えっと……重いよな……?」
抱きかかえられた格好のまま、ディアナは消え入りそうな声でそう問いかけてきた。先ほどから彼は顔こそ上げないものの、この状況を拒もうとはしない。本当に、余裕がないらしい。自覚しているのかどうかは分からないが、彼の手はアルディスのローブを握り締めたまま、決して離そうとはしなかった。
「軽いって。お前、ちゃんと食べてる?」
「な……っ」
それでも何となく気まずくなったのか、変な話題を降ってきたディアナの頭に手を乗せ、アルディスは軽く息を付いた。
「そんなことより。無理するな」
ぽふぽふと軽く叩いてから、そのままディアナの頭を撫でる。それに合わせるように、彼は微かに肩を震わせた。
「む、無理なんか……」
「ごめん。俺のせいで、本当に辛い目にあってきたと思う。強くあろうと、必死に頑張ってるのも分かる……だけどさ」
ここまで追い詰められても、ディアナは弱音を吐こうとはしない。それを悲しく思いつつも、アルディスはディアナの額に左手を当てた。
「感情を思うがままに表現できることって、きっと幸せなことなんだよ。いつもやれとは言わない。だけど……できる時には、ちゃんとやって欲しい」
「アル……?」
「できなくなってからじゃ、遅いんだよ」
額に手を当てられたことに、アルディスの話に驚いたらしいディアナが漸く顔を上げる。それを待っていたかのように、アルディスは左手に意識を集中させた。
「だから、今だけは……“無理をするな”」
――ディアナの額に当てた左手が、微かに光った。
「え? あ……あれ? え……?」
それにディアナが困惑するのも束の間、彼の瞳からボロボロと涙が零れ落ちていく。
「強制的に泣かせてごめん。俺はあまり得意じゃないけど……
「……っ、な、なんで……」
「今は誰も見てない。泣ける時に泣いとけってこと。俺も、見なかったことにするか――ゲホゲホッ!」
「アル!?」
突然口を押さえつつも咳き込んだアルディスに、ディアナは驚愕の声を上げた。アルディスの身体が大きくふらつく。それでも彼は、何とか踏みとどまった。
「お、おい……!」
「風邪引いたかなー? 大丈夫大丈夫」
そのままの体勢で、アルディスは大丈夫と繰り返す。それを聞いて安心したのか、そもそももう限界だったのかは分からない。ディアナはアルディスから視線をそらし、完全に顔が死角になるような体勢を取った。
「……。怖かった……」
「……」
「さっきだけじゃない……本当は、ずっと怖くて……ッ! いつ、誰が襲って来るか、分からなくて……ッ!」
怖い、怖いとディアナの本心からの叫びが夜の草原に響く。小さな頭を撫でてやりたいなと思いつつも、アルディスはそれができないことを酷く悔やんだ。
すすり泣くディアナを落とさないようにバランスを取りつつ、アルディスは口を覆っていた左手を取る――唾液の混じった血が、左手と口の間で糸を引いた。
「……ごめんね? 服から血の臭いするよね?」
ほのかに香ってしまったであろう血の臭いを誤魔化すために、場違いであることは分かっていながらもアルディスはそう呟く。ディアナは、ただただ首を横に振るうだけだった。
「大丈夫。泣き止むまで、責任とってこのまま此処に居るからさ」
平然を装いながら、アルディスは大量の血で汚れた手袋の甲で口元を乱暴に拭う。泣きじゃくるディアナに何かしら言葉をかけてやりたかったのだが、上手く頭が回らない。
(もう時間が無いって、ことかな……)
そう実感せざるを得ない状況だな、とディアナに気付かれないようにため息を吐く。今のディアナには、余計な心配をかけたくは無かった。彼を追い詰めた原因は、自分にもあるのだから。
「大丈夫、大丈夫だから……」
この状況下で暗示をかけるかのように「大丈夫」と繰り返すアルディスの言葉は、もはや誰に向けられているのかも分からぬ譫言のようなものであった……。
―――― To be continued.