テイルズ オブ フェータリアン ー希望を紡ぎ出すRPGー   作:逢月

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Tune.16 託されたもの

 

「マルーシャ。そっちはどうだ?」

 

「ああもう! ドレス動きにくい!!」

 

「ははは……」

 

 パラパラと書類の束を捲りながら、エリックは山のような書類の向こう側にいるマルーシャに声を掛けた。

 二人がいるのは、書物庫とはいえ城の中。当然ながらエリックもマルーシャもそれなりの衣服を身に纏っている。どちらも、埃臭い書物庫には似合わない服装をしていた。

 

「えっと、ちょっと待ってね。この書類が……って、裾が引っかかる!!」

 

「や、破らないでくれよ……?」

 

 エリックが羽織っているのは、金装飾の美しい濃紺のジャケット。それに黒のぴったりとしたズボンと純白シルクのスカーフを合わせ、髪は後ろで一つに結っていた。あくまでも脱走時が特例なだけで、基本的にはこれが普段着のようなものである。エリックとしてはこのような服装の方が落ち着くのだが、マルーシャの方は違うらしい。

 

「これやだ邪魔ー!」

 

「我慢しろって、多分もう少しでいつもの奴に着替えられるって」

 

 ポニーテールの印象の強い長い金髪は、今日は耳から上が綺麗に編み込まれ、残りはそのまま下に垂らされている。要するに、ハーフアップだ。長い髪の全てがまとまっているわけではないために、ドレスよりもむしろあの髪がどこかに絡まらないかが気になって仕方がない。

 ひたすらマルーシャの動きを制限する、青のスパンコールがあしらわれた煌びやかなロングドレスの裾を、マルーシャはただただ邪魔だと繰り返す。

 

(まあ、確かに……マルーシャにアレは拷問かも、な)

 

 きっと、使用人達のささやかな復讐だろう。わざとロングドレスを選んだに違いない。エリックは密かに、マルーシャに見られないように笑みを浮かべる。そんなエリックの元に、ドレスへの不満を爆発させたマルーシャが大きなファイルを手にやってきた。

 

「もう! 何笑ってるの!?」

 

「ははっ、笑ってないよ」

 

「笑ってるじゃない! もう良いや……あったよ、資料!」

 

 

 二日前のポプリの言葉。あれは恐らくアルディスのことを指しているのだろうが、それは彼が「貴族である」と言っているようなもの――つまりアルディスは元々、貴族の人間だったのだろうか?

 アルディスには悪いとは思ったのだが、結局あまりにも気になったものだから、城に残っている資料の範囲でと調べることにしたのである。何しろ彼はかなり特殊な経歴の持ち主だ。本人が何も言わないだけに、気になることは多々あったのだ。

 罪悪感と好奇心が入り交じった複雑な心境になりながらも、エリックとマルーシャは資料に目を通していく。マルーシャが見つけた資料は、鳳凰狩りによって殺された純血鳳凰(クラル・キルヒェニア)の名前や容姿などについて簡潔にまとめられたものらしい。

 

「なるほど……つまり、銀髪って聖者一族由来の髪色なんだな。そりゃ珍しいわけだよ……」

 

「えーと、聖者一族って精霊の神殿巡りの関係でラドクリフとフェルリオ行ったり来たりしてて……で、開戦の時はちょうどこっちにいて……」

 

「すかさずセーニョ港閉鎖した上で、まとめて討伐対象にした……か」

 

 聖者一族は、戦時中にこちらにやって来ていた――それは彼らが元々持っていた知識に加え、数日前にアルディスが話してくれた内容と一致する内容であった。

 そしてどうやら、その聖者一族達の中でも特に位の高い者達は銀髪、それもアルディスのような白銀の髪を持っていた者が大半だったらしい。ただ、故郷に戻ることができなかった彼らの大半は鳳凰狩りの被害に合い、死亡したと考えられる。

 とはいえ、エリックもマルーシャもこの類の知識には詳しくなく、それ以上のことはあまり知らないのだが。嫌悪感を剥き出しにされる可能性が極めて高いが、アルディスやディアナに聞けば、何か分かるかもしれない。

 

「でも、ディアナは聖者一族の血統なんだと思ってたよ。銀髪じゃないけど……」

 

聖歌祈祷(イグナーツ・エリス)は聖者一族由来の能力だってアル、言ってたしな。ディアナ、見るからに聖職者って服装だったし」

 

 聖者一族の血統及び姓の一覧を見ると、確かに“クロード”と“リヴァース”の姓はあった。しかも、リヴァース姓はかなり上の位に位置している。しかし残っている資料を見る限りでは皆、銀髪だったようなのだ。ディアナは、夜空のような藍色の髪の持ち主。どういうことだろう、とマルーシャは首を傾げている。

 

「もしかしたら正当な血族じゃなくてどっかとの混血なんじゃないか? ……あ」

 

「エリック?」

 

 エリックは話を途中で切り、ガシガシと頭を掻いた。その様子を見て、マルーシャはファイルから目を逸らして彼の手中にある薄い別のファイルを覗き込む。

 

「……嫌なもの見つけた」

 

 どうしてこれが全く関係ないファイルに挟まっていたんだ。理解ができない、とエリックは肩を竦める。そんな彼が手にしていたのは、フェルリオ皇帝家の詳細が書かれた資料だった。

 

「あー……」

 

 思い出したように、マルーシャは苦笑する。そんな彼女には見向きもせず、エリックはパラパラとページを捲っていた。

 

「へぇ、フェルリオ皇帝家も聖者の血統なんだな」

 

「聖者一族の中の最上級ってことかな? だったら、聖者一族って皆、王家の……」

 

「血縁なんだろうな……はは、父上が討伐指令出すはずだよ」

 

 勉強不足にもほどがあったな、とエリックは目を細める。武術や学問関係、ラドクリフ王国内に関係したことならともかく、隣国であるフェルリオについては無知だという自覚はエリックにもあった。

 しかし、敵国であり、今となっては事実上の敗戦国であるフェルリオ帝国について学ぶ必要は無いと大臣達に言われていたこと、何より彼自身がフェルリオ帝国、特にノア皇子の話を避けてきたために知識を得る機会をことごとく逃してきたのである。

 その結果、今現在のエリックが知っているのは、今は亡き皇帝と、現在行方不明の皇子の名前およびその妹の皇女の名前、そして、ほんの少しの噂話だけであった。これでは駄目なんだろうなと思いつつ、エリックは複雑な表情を浮かべたまま、さらにページを捲る。

 

「あ、この辺が皇帝と皇子の欄か……?」

 

「!? え、エリック!」

 

「ん? ……って、おい!?」

 

 呼び掛けに答えて文字を追うのをやめたエリックの手から資料を奪い、マルーシャはそれを部屋の隅へと放り投げた。直後、バサリ、と何とも言えない音が響く。唖然としているエリックの前で、彼女は必死に引きつった笑みを浮かべていた。

 

「あー、あはは……ほら。そろそろ行こうよ? もう、時間だもん」

 

「な、投げなくたって良いだろ……まあ、そうだな。行くか」

 

「えっと、わたし一応あれ、元のとこ戻しとく。だから、先行っといて?」

 

 じゃあ投げるなよな、とエリックは苦笑いしている。それに合わせて微笑んでから、マルーシャは投げた資料を回収しに向かった。

 

「……」

 

 拾い上げた資料を軽く見て、マルーシャは奥歯を噛み締める。嗚呼、エリックよりも先に見つけて良かった、と。

 

(嫌なの。ノア皇子、銀髪のヴァイスハイトだったんだ。こんなの見たら、エリックどう思うか……)

 

 フェルリオ皇帝家が聖者一族と血縁関係があるという時点で、嫌な予感はしていた。まさか、彼がヴァイスハイトだったとまでは思わなかったが。

 

(アルディス……)

 

 もしかしたら、とマルーシャの脳裏をある可能性が過る。元々、友人のアルディスはそれを否定する方が難しい存在である。そんなことは分かっている、それでも今は考えたくない、と首を横に振るい、マルーシャはエリックの元へと駆けた。

 

 

 

 

「二人とも、こちらへ」

 

 謁見の間には、女王ゼノビアただ一人が佇んでいた。呼び掛けに答え、エリックとマルーシャは彼女が座る玉座へと繋がる階段の前で跪く。腰を上げなさいとは言われたものの、二人ともそれには答えなかった。

 

「仕方ありませんね……まずは、約束の物を渡します」

 

 ゼノビアは困ったような笑みを浮かべ、玉座の横に立てかけてあった剣と杖、それから小さな袋を手に階段を下り始めた。慌てて彼女を手伝おうとしたエリックとマルーシャを静止し、ゼノビアは再び跪いた二人の前へやって来た。

 

「エリック、受け取りなさい」

 

「ッ、これは……!」

 

 彼女から受け取った剣を見て、エリックは息を呑む。それは普段、今エリック達がいる謁見の間、玉座の後ろの壁に厳重に祀られている宝剣であったためだ。

 宝剣はかなり長めの両刃剣で、中心部分は濃紺に染まっている。流石に手に持てない状態ではないが、本当に戦いに使えるのか不安になるほどの装飾も施されていた。宝剣、というだけのことはある。

 

「それは代々、ラドクリフ王家に伝わる宝剣。名を“ヴィーゲンリート”といいます。心配せずとも、それは特殊な作りですから傷一つ付きません」

 

 ヴィーゲンリート――剣の名前と、この剣にまつわる話を過去にエリックは聞かされていた。

 

(別名、右翼ノ剣……だったかな。フェルリオ皇帝家の持つ左翼ノ剣“キルヒェンリート”と対になる剣……)

 

 この剣は元々、二本で一つという扱いの剣だったらしい。かつて、ラドクリフ王国とフェルリオ帝国という国ができた頃、双国それぞれの繁栄を願って剣を二つに分ち、ラドクリフ王国では歴代の王位継承者がヴィーゲンリートを握ることとなる。

 ただし例外も多くあり、エリックの父ヴィンセントはこの剣を手にしていない。だからこそ、蒼の宝剣は失われることなくエリックの手に渡ったのだが。

 それに対し、キルヒェンリートの行方は分からなくなってしまっている。戦時中、父は「左翼ノ剣を奪い取る」と言っていたのだが結局それは叶わず、フェルリオ皇帝家自体が崩壊してしまったためだ。

 

 これらの話は数年前、エリックが何となくヴィーゲンリートを見上げていた時に突然真横にやってきたゾディートから聞かされたものである――そして、兄はこう言った。

 

 

『キルヒェンリートを探し出せ。誰かが所持しているのならば、奪わなくとも良い……ただ、それが“卑しき男”の手に渡ることだけは全力で防げ。いずれお前が受け継ぐだろうヴィーゲンリートに関しても、それは同じだ……必ず、守り抜け』

 

 

「……」

 

 未だに、兄の言葉の真意が分からない。父の意志を次いで「奪い取れ」と言うのではなく、ただ“卑しき男”の手には渡らせるなと彼は言った。その言葉の真意を聞くことは叶わぬまま、ヴィーゲンリートは今、エリックの物となった。複雑な心境のまま、エリックは宝剣の刃を左手で撫でた。

 そんなエリックの左手に右手を重ね、ゼノビアはエリックの顔を見上げるようにして微笑んだ。

 

「重いでしょう? 今から、レーツェル、という宝石を作る方法を教えますね」

 

「い、いえ……」

 

「エリック?」

 

 武器をレーツェルにする方法は、前にアルディスとディアナに聞いている。実際にその現場を見たことがないのだが、試してみたかったのだ。

 エリックはむき出しの宝剣に手を添え、意識を集中させた。すると宝剣は一瞬の内に細やかな魔力の粒になったかと思うと、すぐに小さな宝石へと姿を変えた。それは、傷のない水晶を思わせる程に美しく、透き通っている――これが、レーツェルだ。

 

「あら、詳しいのですね……」

 

「留守にしている間に、出会った者に教わったのです」

 

「うふふ、器用ですね。それとも、その者の教え方が上手だったのでしょうか? では、マルーシャにもやってもらいましょうか……マルーシャ」

 

「はい」

 

 ゼノビアは微笑みを浮かべ、隣のマルーシャに長いスタッフ状の、艶やかな銀色の柄と青緑色の大きな石が美しい杖を差し出す。それを受け取ったマルーシャは、エリックと同じようにそれをレーツェルへと変えてみせた。

 

(未覚醒なら透明になるっていうの、本当だったんだな……)

 

 彼女の手のひらのそれは、深い緑色をしていた。自分の手の中の透明なレーツェルとマルーシャのレーツェルを見比べ、エリックはどこか悲しげに目を細めた。息子の表情の変化に気づいてか否か、ゼノビアはすぐさま次の話を始める。

 

「マルーシャはブローチに加工して、エリックはチョーカーの飾りにすると良いでしょう。一応、専用の金具も用意しておきました。これにレーツェルを収めなさい」

 

 渡されたのは、金色の金具だった。武器化しやすいようにと開発された物らしく、収めたレーツェルと完全に同化する作りになっているらしい。エリックとマルーシャが金具にレーツェルを収める姿を見て、ゼノビアはニコニコと微笑みを浮かべていた。

 

「……」

 

 楽しそうな母を邪魔してしまうのではないかとは思ったのだが、エリック達がここに呼ばれた根本的な理由は宝剣と杖を受け取るためでも、ましてやレーツェル化の練習でもない。早く本題に移ってもらえないかとエリックは母に話しかけた。

 

「その……母上、私達に話すことがある、とおっしゃっていましたよね?」

 

「話すこと……ああ、いけない! そうですね、本題に移ります。これは大切な話です。この話は、あなた達が“信ずるもの以外には”話してはなりませんよ」

 

 他言してはいけない、ではなく「信ずるもの以外には」という言い回しが少し気になった。だが、今はその理由を訪ねている場合ではないだろう。二人が黙っていると、ゼノビアはどこか重々しく、少し言いづらそうに口を開いた。

 

「先程、ラドクリフ王国内にてゾディート=カイン=ラドクリフ、及び黒衣の龍所属兵全員を指名手配致しました」

 

「!」

 

 静かに告げられたのは、予想もできなかった事実だった。

 

「わ、わたし達のせいですか……!?」

 

 震える声で紡がれたマルーシャの問いに、ゼノビアは静かに首を横に振るう。

 

「いえ。あまりにも彼らの行為が過激過ぎるので、活動を制限する意味を含めています。それに、もうこの指示の届かない場所に彼らがいる、と考えた方が良いでしょう」

 

「それって……!」

 

 ゾディート達は、既にラドクリフ王国にはいない。彼らは恐らく、こうしている間にもフェルリオ帝国に渡っている。

 

「最近、ゾディートは純血鳳凰(クラル・キルヒェニア)の男性、それも比較的若年層の者を探す事に執着していました。要はノア皇子を探しているのだと、私はそう考えています」

 

「!」

 

 思い当たる節は、大いにあった。あれは、たまたまエリックとマルーシャがあの場に居ただけだ――ゾディートの狙いは、明らかにエリックではなくアルディスだった。あれは珍しい容姿を持つ彼を、純血鳳凰(クラル・キルヒェニア)だと仮定した上での行為だったのだ。

 あの調子で、今頃怪しい人物を襲撃して回っているのだろうか。どうして、とエリックは怪訝そうな表情を浮かべて口を開く。

 

「今さら、ノア皇子を探しまわっているということですか……?」

 

 ノア皇子の姿が最後に確認されたのは、八年前の話である。探すにしても間がありすぎるのでは、とエリックは女王に問う。

 

「私にも理由は分かりません。ただ、彼をおびき寄せようと思うなら……私なら再建中の帝都、スウェーラルを狙います。それも、分かりやすい形で」

 

「分かりやすい形、ですか……?」

 

「例えば、突然黒衣の龍全員を引き連れて、王都を離れる……といったものです」

 

「あ……」

 

 黒衣の龍所属兵全員を指名手配したと、ゼノビアは言っていた。つまりは、そういうことなのだ。彼らは既に、王都にはいないのだ。恐らく、ゼノビアの予想は的中している。だがエリックはおもむろに首を横に振るい、彼女の言葉を否定した。

 

「ですが、ノア皇子は幼い頃から聡明で、一人でラドクリフの兵団をいくつも壊滅させた有能な戦士だと聞いています。そんな手段に、あの彼が簡単に引っかかるものでしょうか……兄上が、そんなことも分からないとは、私には、到底思えません……」

 

「エリック」

 

 マルーシャに名を呼ばれ、エリックはハッとして彼女の方を向く。見ると、マルーシャは眉を八の字に下げ、悲しげな表情を浮かべてエリックを見ていた。

 

「あれは、あくまでも噂だよ……ノア皇子、エリックと同い年だよ……?」

 

「そうかも、な。だがマルーシャ……僕だって、それくらいの力を持ってなきゃいけないって、ことだよ……情けないな」

 

「そんなことない、そんなこと……!」

 

 声を荒らげそうになったマルーシャの頭を軽く撫で、ゼノビアは懐から彼女は一通の白い封筒を取り出した。紙は、見るからに上質な物であった。

 そして彼女は、決まりが悪そうに俯いたままのエリックの顔を覗き込むようにして、その封筒をエリックに差し出した。

 

「あなたには、酷なことかもしれません。それでも、これを託したいのです」

 

「これは?」

 

「ラドクリフ、フェルリオ間での和平交渉について、その旨が書かれている親書です。ノア皇子に、あなたの手からこれを渡してきて欲しいのです」

 

「ッ!?」

 

 どうして、という言葉が危うく出かかった。母の決断を苦痛に感じたのだ。平和のために和平交渉を行うことも、その交渉相手にノア皇子を選ぶのも、当然の話である。しかしエリックの心を支配したのは、平和が大切だと考えているにも関わらず、どういうわけか負の感情ばかりであったーーそれでも、現女王の、母の頼みを拒むほど、エリックも馬鹿ではない。

 

「……。はい、承知しました」

 

 ほんの少しの間だけ躊躇った後、エリックはそれを素直に受け取った。

 

「エリック」

 

「どうされましたか?」

 

 顔を上げた先にあった母の顔は、どこか悲しげだった。

 

「この先、本当に辛い目に遭うかもしれません……気を、強く持ちなさい」

 

 伸ばされたゼノビアの細い指先が、エリックのスカーフに覆われた首へと伸びる。

 

「……ッ」

 

「それでも。あなたならきっと大丈夫、ですから。それと、マルーシャ」

 

「は、はい!」

 

 名を呼ばれ、マルーシャはぴんと背筋を張った。

 

「どのような事実が明らかになったとしても、決して、逃げてはいけませんよ」

 

「え?」

 

「は、母上。それは一体、どのような意味ですか?」

 

 エリックもマルーシャもゼノビアの言葉の意味を問うが、彼女は何も答えない。ただ、心配そうに二人を見つめているだけだ。

 

「そろそろ、頃合ですね。もう行きなさい」

 

 旅の準備は既にメイドにさせていますから、とゼノビアは踵を返す。これには、エリックもマルーシャも思わず立ち上がっていた。いくらなんでも、唐突すぎるのではないか、と。しかし、振り返ったゼノビアに悲しげな眼差しで見つめられた二人は、何も言えずに押し黙ってしまう。

 

「早く、行きなさい……間に合わなくなってしまいます……」

 

 そんな二人に向かって掛けられた声は、微かに震えていた――彼女が“頃合”だと言った意味を聞く気にさえ、なれなかった。

 

「……エリック、行こう?」

 

 先に動いたのはマルーシャだった。彼女の呼び掛けに答え、エリックは「失礼します」という言葉だけを残し、マルーシャと共に謁見の間を後にした。

 

 

 

 

「……」

 

 本当に唐突すぎる、とエリックは託された親書を見てため息を吐いた。服は、動きやすいようにと脱走時に身に付けている物をメイドから託された。服と一緒に渡されたのは地図と、最低限のガルドの入った鞄のみ。

 エリックは歩きなれた街並みを、明らかにいつもと違う、複雑な心境で眺めている。そんな彼の前に飛び出し、マルーシャはエリックの顔を覗き込んだ。

 

「エリック……」

 

「はは、本気で僕ら二人だけで普通に旅して来いって放り出されたな……甘えてるわけじゃないけど、正直、護衛が何人かは付くと思ってたんだ」

 

「違う、そうじゃなくって」

 

「……」

 

 マルーシャの黄緑色の瞳が、心配そうにこちらを見つめてくる。エリックはもう一度ため息を吐いてから、渡された鞄の中に親書をしまいこんだ。

 

「……。ごめん。もう、大丈夫だから」

 

「エリックは、エリックだよ。わたし、ちゃんと知ってるから」

 

 そう言ってマルーシャは困ったように笑い、首を傾げてみせる。膝に届きそうなほどに長いポニーテールが、風に流れて静かに揺れた。

 

「ありがとな。そう言ってくれると、正直助かる……ん?」

 

 ふいに前を見た際、視界に妙な人物が映った。エリックの声に反応してマルーシャも前を見る。その青年――ジャンクは、道具屋の前に“いた”。

 

 

「そうですね。じゃあ、アップルグミ三個と、オレンジグミを十五個頂けますか?」

 

「毎度ありぃ!」

 

 ガルドとグミの入った紙袋を交換し、ジャンクはその場を立ち去ろうとする。だが、どうやらこちらに気付いたらしい。彼は微かに長い睫毛を震わせ、笑みを浮かべてみせた。

 

 

「……言ったろ? また、巡り会うって」

 

 

(え……)

 

 そう言えば、とエリックは思う。確かに、彼はそのようなことを言っていたなと。

 

「予言者かよ……ていうか、絶対グミの比率おかしい」

 

「オレンジグミはポプリがパクパク食べるので。さて、僕はこれからアルの家まで行くんだが……着いてきますか?」

 

 比率がおかしい理由を完全にポプリのせいにしつつ、ジャンクは紙袋を手にクスクスと笑った。

 どうにもこうにも、彼はエリック達との再会に驚く気配が全くない。本当に「分かっていた」と言わんばかりに。

 

(母上の言ってた“頃合”って、まさか……)

 

 そんなことがあってたまるか、とエリックは首を横に振るう。ただの、偶然に違いない。困惑するエリックの隣で、マルーシャは本当に嬉しそうに、心から笑っていた。

 

「うん! アルディス、帰ってきてたんだね~」

 

「ポプリとディアナも一緒にいるぞ。僕は買い出しに来ただけなので」

 

「!!??」

 

 さらりとジャンクは言ってみせたが、それはエリックとマルーシャにとっては違和感のある発言だった。

 

「アルとポプリが一緒にいるのか!?」

 

「ええ」

 

「何があったの!?」

 

「まあ、色々と」

 

 それよりもディアナが怖い、怖すぎるんだとジャンクはただでさえ購入数の少ないアップルグミをつまみ食いしながら苦笑している――自分達がいない間に、一体何があったのだろうか。

 

「……とにかく、行くか」

 

「う、うん……」

 

 どちらにせよアルディスの様子を見てから旅立ちたかったため、丁度良い。エリックとマルーシャはお互いの顔を見合わせ、ジャンクの後を追って歩き出した。

 

 

 

―――― To be continued.

 


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