テイルズ オブ フェータリアン ー希望を紡ぎ出すRPGー   作:逢月

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Tune.15 癒えない傷

 

 八年前のあの日――全てが、火の海と化した。

 

 犠牲になったのは、俺にとなっては第二の故郷とも言える、そんな街だった。この街で平凡に生きていた住民達は皆、火に飲まれて死んでいった。

 

 生き残った人々も、誰しもが大切な人を失い、絶望の中で嘆き続けていた――大切な“姉さん”も、それは同じだった。

 彼女は、両親を失ってしまった。俺にとっても、彼女の両親は親のような存在で。酷く悲しい感情に満たされた。

 それだけじゃない。俺は彼女に、一生残る、酷い傷を付けてしまった……。

 

 

――そうして彼女は、両親を失った悲しみと、あまりにも惨たらしい傷を見て、錯乱した。

 

『この疫病神! アンタなんかが居たから……アンタさえ、居なければぁああっ!!』

 

 彼女が、テーブルの上にあった果物ナイフを振り上げ、それが俺に向かって振り下ろされる。吹き出た血が、ぐちゃぐちゃになった部屋中に飛び散った。

 

 

―――――――――――

 

―――――――

 

―――

 

 

「――……ッ!!」

 

 声にならない悲鳴を上げ、アルディスはガバリと上体を起こした。目の前に広がるのは、薄い布で構成された真っ暗な狭い空間――夢を、見ていたのだ。

 

「……っ、……くそ……っ!」

 

 見た夢のせいなのか、少し頭痛がする。自分以外がいないテントの外で、虫の鳴き声が響いている。酷く魘されていたらしく、着ていた服は寝汗でべっとりと貼り付いていた。

 アルディスは白銀の髪を震える手でぐしゃりと掴み、そのまま頭を抱えた。酷く乱れた呼吸を落ち着かせようと、何度も深呼吸を繰り返した。

 

 数時間前、エリック達を送り届けたポプリとジャンクが帰ってきた。次はアルディスとディアナをヘリオスの森まで送り届ける、という話になったのだが、二人が帰ってきた頃にはもうすっかり日が落ちていたこと、まだアルディスが本調子ではなかったことから数日ここで野宿をして、落ち着いてから出発しようという予定が立てられた。

 だが、その予定決めはあくまでもアルディスを除いた三人で行われたもの。アルディスの意思はそこにはない――ジャンクが、アルディスとポプリが顔を合わせないようにと動いたためだ。

 

「ポプリ……“姉、さん”……ッ」

 

 声を震わせ、アルディスは眼帯の上から右目を押さえる。アルディスが再び深呼吸をした、そんな時。布擦れの音と共に月明かりがテントの中に差し込んできた。

 

「……。アル」

 

「!」

 

「ココア入れました。飲むか?」

 

 慌てて光が差し込んできた方向を見ると、テントに付いていた扉替わりの布を少し捲り上げつつ、外で見張りをしていたらしいジャンクがこちらを覗き込んでいた。

 

「どうせ、すぐには寝れないだろう? 出てこいよ」

 

 故意的に見たのかはさておき、間違いなく夢の内容を透視されている。マグカップを手にしたジャンクの手が、少し震えていたのだ――彼からしてみれば、恐怖でしかない夢だったことだろう。しかも、夢に登場した人物は――。

 

「あなたこそ……大丈夫ですか?」

 

「ふふ、僕はまだ……大丈夫です。今は、お前を心配しているんだ。少し、気分転換した方が良い。頻繁にアレを見るなら、問題ですよ」

 

 ジャンクは首を横に振るった後、やんわりと微笑んでみせる。少々言動に難有りな部分があることは確かだが、それでも彼は、本心から純粋にアルディスを気遣っていた。

 流石のアルディスも、それは痛いほどに分かっている。悪意が無いことも分かっているのだが、どうしても彼の行動一つ一つに警戒してしまうのはアルディスの性だ。

 

 

「……」

 

 ローブを着込み、テントから顔を出してみればどこからか転がしてきたらしい数個の大きな丸太が焚き火を囲んでいる。その丸太の一つに、ジャンクは腰掛けていた。

 

「ほら、受け取れ……大丈夫だ、変なものは入れていませんよ」

 

「そ、そんなこと聞いてません……!」

 

「こうとでも言った方が、お前は安心するんじゃないかって思ってな」

 

 渡されたカップに入った濃い茶色の液体が湯気と共にゆらりと波打つ。恐る恐るそれを飲むと、ほんのりとした優しい甘みが口の中に広がった。

 

「睡眠薬でも混ぜてやろうか?」

 

「いえ、大丈夫、です……」

 

 最初から混ぜて渡すことも考えたんだけどな、とジャンクは笑う。そうしなかったのは、微かな味の変化でアルディスに警戒されるのを防ぐためだろう。

 流石に申し訳ないな、とカップに落としていた顔を上げたアルディスの視界に、明らかに調子の悪そうなジャンクの姿が入り込んだ。ここからルネリアルまで往復したこともあるのだろうが、酷く疲れた様子の彼の顔色はあまりにも悪い。

 

「あなた、寝ないのですか? 代わりますよ……?」

 

「いえ、平気です。というより、今のお前には任せないさ」

 

 平気だ、と言ってジャンクは笑う。しかし、彼がここ数日ろくに寝ていないことにアルディスは気付いていた。そろそろ、辛くなってきているはずなのだ。

 

「ヴァイスハイトとはいえ、過度の睡眠不足は危険です」

 

「ふふ、同族だと誤魔化す必要がなくて楽ですね。心配していただけるのは嬉しいが、僕はまだ大丈夫だ。二週間くらいなら、何とか」

 

「二週間!? あなた、馬鹿ですか!?」

 

 桁外れの魔力を保有するヴァイスハイトには一般の人々と異なる点もある。今のジャンクのように不眠状態に耐性を持つのも、そのうちの一つだ。

 ただ、これは単純に睡眠によって得られる疲労回復などの効果を魔力で補っているだけに過ぎず、過度の不眠状態は決して良い状態とは言えない。彼らは少しだけ、普通の人より長く起きていられるというだけの話なのだ。

 それを知っているからこそのアルディスの発言に、ジャンクは左手を口元に当てた状態で困ったように笑ってみせる。重力に従って少し下に落ちた袖口から、痛々しい痣が微かに覗いていた。

 

 

「そうですね……僕ばかり、お前のことを知っているのは不公平だよな。だから言いますが、情けないことに僕は狭い場所と暗い場所が苦手なんです。恐怖症、と言っても良い。片方だけならまだ良いんだが、両方が揃ってしまうとな……何が言いたいかというと、僕はテントの中で眠ることができないんだ」

 

 語られたのは、旅をする上ではあまりにも厳しい、彼自身が抱える問題。思わず息を呑んだアルディスの顔を真っ直ぐに見据え、ジャンクは話を続けた。

 

「テントは狭い上、夜になればランプを灯さなければ真っ暗だ。そしてなにより眠っている間に、意識がない間に。そんな、どうしようもない時に襲われるんじゃないかっていう恐怖に囚われてしまう。だから、眠れない……僕の場合は少々過剰ですが、後者の方はお前にも少なからず心当たりはあるでしょう?」

 

「! と、とは言っても……あなた、一体いつ眠って……」

 

「流石に、宿屋に泊まった時なんかは寝ていますよ。しようと思えば明るくできますし、鍵もかかりますし……まあ、恐怖症の件を明かしていないせいで、ポプリと同室になると結局ろくに眠れないんだけどな。電気消されるのが嫌だ、なんて口が裂けても言えません……」

 

 つまり、宿屋に泊まることが出来ない限り、彼は眠ろうとはしないということである。それがどれほど身体に負担をかけるかアルディスは知っていた――傭兵業を行う際には、彼も全く同じようなことを、してしまうから。

 しかし、仕事時のアルディスと現在のジャンクでは状況が全く違うのだ。聞いて答えてもらえるだろうかと思いつつ、アルディスはずっと気になっていた事柄を問い掛けた。

 

「あなた、ポプリ姉さんとは親しい仲なのですよ、ね? なら、彼女に代わってもらえば良いのでは……」

 

「何か誤解してそうだから補足するぞ。ポプリは強いて言えば同行者。利害が一致するので、時々一緒に行動しているだけです……あくまでもそれだけの関係なので、親密な仲かと言われるとちょっと違うんだ」

 

「あ、ああ……なんだ……彼氏彼女の関係なのかと……」

 

「ふふ、違いますよ。安心してください……お前は優しいな。何だかんだ言って、ポプリが気になるんだな」

 

 つい安心して胸を撫で下ろすアルディスを見つめ、ジャンクは「不思議な話をしてやるよ」とどこか悲しげな笑みを浮かべてみせた。

 

 

「ポプリとは数回、会って別れてを繰り返している。その辺考えると、割と長い付き合いだ。だが、何故かポプリに弱みを……恐怖症の件もそうですが、何よりこの瞳を見せるのが、どうしようもなく怖いと感じたんです」

 

「え……」

 

「ポプリは、龍王族(ヴィーゲニア)とは思えない実力の魔術師だ。恐らく、攻撃魔術に関して言えば僕以上の力を持つでしょうね……だからこそ、でしょう。彼女は、純血鳳凰(クラル・キルヒェニア)かヴァイスハイトの力を奪った存在であると、薄々感じていたんです」

 

「……ッ」

 

 ジャンクは全てを言わなかったが、悪夢の内容を透視してしまった以上、もう彼は理解している。何故、アルディスが右目を失ったのか。何故――ポプリを避けているのか。

 アルディスの手が震える。カップを持つ手に右目を押さえていた手を添えてみたのだが、震えは止まらなかった。中に入った、冷めかけのココアがゆらゆらと波を立てた。

 

「最初にポプリを避けている、という件については知れましたし、ポプリがお前のところに行こうとするのは徹底的に止めています。だが、これももう時間の問題だろう……ディアナも動いてくれていますが、どこまでやれるか、正直分からないぞ」

 

「……はい、分かっています」

 

「とはいえ……まあ、怖いですよね。だから上手いこと、ポプリを撒いてお前らを帰そうかと思っているんだ。寝れないなら、会議しないか?」

 

 一応その辺も考えていたのですよ、と言ってジャンクは笑ってみせる。

 彼曰く、「数日ここで野宿」という曖昧な計画にしたのはアルディスの容態を見て動きたいという理由もあるらしいのだが、その裏に「ポプリに知られないように解散日時を一日早め、アルディスとディアナのみで帰路に着かせる」という作戦があってのことだったのだという。

 

 

「ポプリが可哀想、ではあるんだがな。お前に、ずっと会いたがっていたわけだし」

 

「……」

 

「お前に危害を加えるつもりはないようです。だからこそ、お前さえ良ければポプリと会ってやって欲しい、という気持ちも僕の中にはある。ポプリを騙すのは、最終手段だと考えている……やっぱり駄目、ですか?」

 

 

 分かっている、そんなことは分かっているんだとアルディスはゆるゆると頭を振るう。そんなアルディスの姿を、ジャンクはどこか悲しげに見つめていた。

 

「あの人は、本当に優しい人です……それは、分かっています……ですが……」

 

「……」

 

「それでも……」

 

 アルディスはそれ以降、何も言えなくなってしまった。ジャンクも、何も言わない。深く息を吐き、アルディスは冷めたココアを一気に口に流し込み、カップをジャンクに返そうとした……その時。

 

 

「ノア……」

 

「――ッ!?」

 

 カシャン、と手から滑ったカップが地に落ちた。視界には入っていないが、その声の主が誰であるかは明らかだった。「すみません、迂闊でした」と小さく声を震わせて謝るジャンクの両目は固く閉ざされていて。アルディスは咄嗟に立ち上がり、この場から離れようと声に背を向けた。

 

「ねえ……お願い。逃げないで……お願いよ」

 

 どこか悲壮感漂う声が後ろから聞こえてくる。一体、いつから話を聞かれていたのかは分からないが――ポプリが目を覚まし、近付いて来ているのだ。

 震えているのは手だけではないということに気が付く頃には、アルディスは地を蹴って駆け出していた。

 

「! ノアッ!!」

 

 幸いにも、傷が再び開く気配はない。ジャンクの治療が有効だったのだろう。ジャンクは何も言わない。傷はもう大丈夫だと思っているのか、アルディスの心境を察してあえて何も言わずにいてくれているのか。それを幸いにと、アルディスは振り返ることなくこの場から離れようと足を動かす。

 

「お願い……っ、お願いだから! もう何もしない! あんなこと、絶対にしない……だから、せめて話を聞いて!!」

 

「!?」

 

 その刹那――足の動きが、完全に封じられてしまった。

 

秩序封印(ヴァルデマール・フレイヤ)か……!)

 

 ポプリの能力は、対象に何らかの悪影響を与えることに特化した能力である秩序封印(ヴァルデマール・フレイヤ)。それは一応、アルディスもよく知っていた。能力を使ってできる行為も、熟知していた。

 だが、龍王族(ヴィーゲニア)である彼女にここまで高度な真似ができたなんて、とアルディスは奥歯を噛み締める。甘く見過ぎていたのかもしれない。

 

「く……っ」

 

 ポプリがこちらに駆けてくるのが分かる。随分と速度は遅いものの、ここまで辿り着かれるのも時間の問題だろう。

 

「ポプリ、待て」

 

「お願い! 止めないで! やっと、やっと会えたんだから……!!」

 

 やめてやれよとジャンクがポプリを制止したようだが、彼女の意志は硬いらしい。後ろを振り返ると、ジャンクはポプリの右上を掴んでいて、それを振りほどこうとポプリが懸命に身体を動かしていた。

 しかし、ポプリの“今現在の”身体はそのような動きに耐えられる状況ではない。バランスを崩してしまったのだろう、彼女は突然、大きく前にぐらついた。

 

「きゃっ!」

 

「ぽ、ポプリ姉さんッ!」

 

「!?」

 

 叫んでしまってから、アルディスは本気でそれを後悔した。出てしまった言葉は、もう取り消せない。

 

「や、やっぱり……やっぱり、あなた、なのね……」

 

 足の拘束が解かれた。だが、アルディスはもう逃げようとはしなかった。ゆっくりと振り返れば、ジャンクに身体を支えられたポプリの姿が、遠くに見える。

 

「ずっと、ずっと探してたの。あたし、ずっと、あなたを探していたのよ……!」

 

 ポプリの琥珀色の瞳から、涙が零れ落ちる。少しずつ、少しずつ距離が縮められていった。それを見つめながら、アルディスは深く被ったフードに手を掛け、それを首の後ろに落とした。髪は夜風に流れ、その下にあったアルディスの耳を月明かりの下に晒す。

 

「もう、私は逃げません……逃げません、から。転ばないように、お願いしますよ」

 

「の、ノア……?」

 

「……」

 

 一切の感情が消えた冷ややかな翡翠の瞳に見つめられ、ポプリは何かに絶望したかのような、そんな表情を浮かべてみせた。

 

「どうして……ねえ、あなた、そんな顔……しなかった、のに……」

 

「……」

 

「もっと、喜怒哀楽が激しくて……いつも、笑ってた、わよね……」

 

「かつては、そうでしたね。私自身も、そう記憶しております」

 

 遠くに、どうしたものかと硬直しているジャンクの姿が見える。この突然の出来事をどう鎮めるべきかと考えているのだろう。

 それでも、彼が結論を出すよりもポプリが行動を起こす方が早かった。

 

「あ、あたしの……あたしの、せいなの……?」

 

「……」

 

「ねえ、ねえってば……ノア!!」

 

 叫び、ポプリは目の前のアルディスに向けて右手を伸ばす。その指先は、酷く震えていて。ここでどうするのが一番良いのか、ジャンク同様にアルディスも頭を悩ませ始めた。

 ポプリの手を掴んで彼女の言葉に応えるのも、手を叩き落として彼女を拒絶するのも違うような気がする。アルディスの翡翠の左目は、迫ってくるポプリの手をぼんやりとどこか現実味の無い様子で捉えていた。

 

 

「――動くな」

 

 悩んでいたアルディスを現実に引き戻したのは、高いとはいえ、いつもよりかなりトーンの落とされた声。彼の持つ磨き上げられた刃が、月明かりを反射して鈍く光っている。赤い羽根が、地に生い茂る草の上に落ちた。

 

「ディ、アナ……君……?」

 

 現れたのは、アルディス以上に感情のない瞳をしたディアナであった。彼はアルディスとポプリの間に剣を突きつけ、驚いたポプリが尻餅を付いたのを良いことに切っ先を彼女の眼前へと向けた。

 

「ッ!」

 

「おい、ディアナ!」

 

 目の前に剣先を突き付けられ、ポプリは動揺を顕にする。流石に止めなければと考えたのか、遅れてやってきたジャンクがディアナに声をかけるも、彼は体勢を変えることなく、空中に留まっている。やがて、彼は静かに口を開いた。

 

「これが、オレの使命なんだ……アルディスを傷付ける人間は、許さない」

 

 その言葉に、辺りはしんと静まり返る。沈黙を破ったのは、この事実をある程度悟っていたらしいアルディスだった。

 

「薄々そうじゃないかな、とは思ってたけど……フェルリオ帝国第一皇子を見付け出し、守ることが使命ってこと……かな?」

 

「ああ。状況が状況だっただけに、面と向かって名指しで確認は出来なかったんだが……間違い、ないよな?」

 

 これで間違っていては大惨事だと、ディアナはそのままの体勢でアルディスに問いかけた。

 

「うん、合ってるよ。俺の……いや、私の本当の名はアルディス=ノア=フェルリオ」

 

 左の手袋を外せば、手の甲に入れられたフェルリオの紋章が顕になる。それを顔の横に掲げてみせるアルディスの表情はどこか、悲しげだった。その姿を見て、重大なことを思い出したポプリは、ディアナに剣を突きつけられながらも叫ぶ。

 

「そ、そうだわ! あ、あなた……エリック……アベル王子と、一緒にいたわよね?」

 

「ええ、成り行きで。もう、八年になります」

 

「八年も!?」

 

 一体どうして、と前に飛び出しかけたポプリを阻んだのはやはりディアナだった。ディアナはポプリにそうさせまいと、剣を下ろさなかったのだ。

 

「危険な行為だっていうのは分かっていますよ。正体がバレた場合は……まあ、良くて即死刑、悪くて拷問の末に死刑でしょうね。片目とはいえヴァイスハイトで純血鳳凰(クラル・キルヒェニア)ですし、実験施設送りかもしれませんが」

 

「……ッ、随分と、簡単に言うじゃない……!」

 

「それだけのことを、やっていますからね」

 

 この場に、エリックとマルーシャがいたならば。彼らは一体、どのような反応を見せたのだろう――少なくとも、親友アルディスが敵国の皇子であるという事実を知って平常心を保てるほどに、彼らは強くない。

 そんなことは分かっている、と言わんばかりにアルディスは眼帯に手を掛け、躊躇うことなくそれを外してみせた。

 

「それにしても、ディアナ……よく、俺のことだって分かったよね」

 

 アルディスが星空を仰げば、重力に従って前髪が横に流れた。露出した傷痕を見て、彼の目の前に居たディアナとポプリは息を呑む。彼の眼帯の下がこうなっていたことを知っていたらしいジャンクも大きな反応こそ見せなかったものの、微かに表情を険しくしていた。

 

「これじゃ、体内魔力の特徴なんかも帝都に残ってた資料とは全然違うと思う。容姿の特徴って言っても多分、今は銀髪だったってことくらいしか一致してないんじゃないか?」

 

「そうだな。それでも、恐らく隻眼になってしまっているとは聞いていた……というより、あなたに巡り会えたのはチャッピーやジャンのおかげでもあるかと」

 

「え……?」

 

 騒ぎで目を覚ましたのだろう。いつの間にかここにやってきていたチャッピーの背を撫でながら、ジャンクは微かに口元を綻ばせた。

 

「元々、彼は僕がポプリと行動を共にする前から連れていた相棒です。色々あって、ポプリとチャッピーの間には面識は無かったのですがね。一年と、少し前になるかな。ふと思うことがあってディアナに託したんだ」

 

「一年以上!? じゃ、じゃあその間、お前は……」

 

「まあ……結構、難航した。幸い、ポプリより先に会うことは叶ったわけだが」

 

 その言葉に、ディアナに向けられた冷たい眼差しに、ポプリはビクリと肩を震わせた。

 

「ディアナ君……」

 

「あなたは龍王族(ヴィーゲニア)の癖に、異様に魔術の才がある……だから、おかしいとは思っていたんだ。だが、先程のあなたが発した『もう何もしない』という発言に加え、アルディスが逃げている上に彼が自分の素性を明かして顔色を変えなかった辺りでもう理由は察した。面倒見の良い、優しい女だと……そう思っていたのに」

 

「……ッ」

 

 一瞬にして、空気が凍りつく。ディアナに睨まれ、ポプリは震える自身を抱きしめるように両腕を回した。

 

 

「彼を探していたのはオレだけじゃない。あなたもだった! 一体、何が望みだ!? その答えによっては、オレは今この場であなたの首を斬る!!」

 

 

 ディアナの目は、その言葉は――本気だった。

 

 

「あたしは、ただ、彼に会いたかっただけよ……ッ」

 

「それが、許されるとでも思っているのかッ!?」

 

 そう叫ぶと同時、ディアナは右足に付けていたカードケースから数枚のタロットカードを取り出す。空気に触れた瞬間、それらは一斉に炎を纏った。

 

「!? い、いや……っ」

 

「怖いの、か? なら……ちょうど良かった」

 

 ポプリはそれを見るなり、酷く身体を震わせ、座り込んだまま後ろに下がろうとする。そんな彼女に向かってディアナはカードを投げ付けようとした。

 

「いやああぁっ!!」

 

 ディアナの目には、恐ろしいほどに感情という物がこもっていない。彼はただ、使命を遂行しようと、たったそれだけのことを考えているようだった。

 

 

「やめろディアナ!!」

 

 

――そんな彼の瞳に感情を取り戻させたのは、アルディスの叫びだった。

 

 

「あ、アル……!?」

 

「もうやめてくれ! 彼女は……彼女は何も悪くない!!」

 

 一体何を言っているんだ、とディアナは頭を振るう。その間に酷く震えながら泣きじゃくるポプリの前にしゃがみ込んで手を差し伸べるジャンクの様子を横目で見つつ、アルディスは奥歯を噛み締め、自身の震えを何とか押さえ込んでから口を開いた。

 

「ディアナ、先に言っておく。二度目はないと思え……いくらお前でも、許さないから」

 

 ポプリを傷付けることは許さない。そう言ってアルディスはディアナを睨みつける。その目付きにディアナは一瞬怯えの表情を見せたものの、彼は再び頭を振るい、声を荒らげた。

 

「ッ! 何故ですか!? あなたの右目を奪ったのは彼女なのだろう!?」

 

 それは、彼の推測によって導き出された仮説。だが、それを否定するものは誰もいなかった。当事者である、アルディスとポプリでさえも――つまりは、そういうことなのだ。それが、事実なのだ。

 

 彼の言葉に、ポプリは何も言うことができず、静かに俯いてしまった。そんな彼女を見て、ディアナは苛立ちを隠せない様子で叫んだ。

 

「今、彼女が残った左目を抉らないという保証はどこにもない! 危険因子は断ち切るべきではないのか!?」

 

「ち……違う! あたしは、そんなこと、望んでない!! 望んでないわ!!」

 

「ふざけるな……ッ! 龍王族(ヴィーゲニア)であるあなたがそこまでの魔術技術を得た理由、それは彼から力を奪い取った結果だろう!?」

 

「それは結果でしかない! 本当に……本当に違うのよ!!」

 

 ディアナとポプリの叫び声が、夜の草原に響く。またしても共解現象(レゾナンストローク)の暴走による被害にあっているらしいジャンクはチャッピーの背に震える左手を置いたまま、何も言えなくなってしまっている。このどうしようもない状況を眺めながら、アルディスは右目を押さえ、静かに口を開いた。

 

 

「……それでも良い。俺は、それだけの罪を犯した。そう思ってるよ」

 

 

 紡がれた言葉にディアナは大きく目を見開き、ポプリから目をそらしてアルディスと向き合う体勢で叫ぶ。

 

「どうしてそのようなことが言えるのですか!? あなたは、オレ達にとっては命と同じくらいに大切な目を抉られたのですよ!?」

 

「分かってる。分かってるよ……」

 

 

 アルディスが右目を失った原因。それは八年前のある事件の直後、我を失ったポプリが振り下ろした果物ナイフによる傷が原因だった。

 

 元々、純血鳳凰(クラル・キルヒェニア)やヴァイスハイトの目を傷付ける行為自体は、決して珍しいことではない。それは彼らの能力を封じ込める手段の一つとして極めて有効な方法であるし、何より、運が良ければ能力を奪い取ることが可能だからだ。

 そしてアルディスの場合もそれは例外ではない。結果的に右目を失ったことで闇属性の素質を完全に失い、魔術師としての能力自体も酷く劣化していた――そして、それらは全てポプリが得ることとなったらしい。

 

「ノア……」

 

「左右両方の目を抉れば、ポプリ姉さん……いえ、“ポプリさん”は純血鳳凰(クラル・キルヒェニア)と同等の能力を得られる可能性がある。魔術師であるあなたには、良い話だと思う」

 

「ッ!?」

 

「ええ……あなたがそれを望むなら、俺は喜んでこの目を差し出しますよ」

 

 ポプリに片目を抉られたという事実。その結果、本当に苦しんだという事実。

 そのことを、アルディスは一瞬たりとも忘れてなどいなかったし、それはポプリも同じだった。

 

 

「な、何故ですか!? オレには一つも理解できませんッ!!」

 

 ただ、これは当事者だけでなく、持っているのは情報だけに過ぎないディアナからしてみれば、ポプリの一方的な暴行にしか受け取れないのだろう。

 

「オレには、何も……何も分かりません……!!」

 

 同種族だけあって、アルディスの言動がディアナには理解出来ない様であった。そしてそれは、その当事者であったポプリさえも理解不能であるらしい。

 

「の、ノア……怒って、ない、の……?」

 

「怒る理由なんて、俺にはありませんよ。そもそも、俺が怒るのは理に適っていません」

 

 おずおずとポプリが尋ねれば、アルディスは当然だと言わんばかりに、表情を変えることなく答えた。

 

「あなたは先程、ディアナの炎を恐れていましたね? 火が、怖いのでしょう……? そして、そうなった理由は、結局の所は俺が原因でしょう? そうでなくとも、美しいペルストラの街は……俺が、焼き払ってしまったようなものですから……」

 

「! それは違うわ! ペルストラの街がああなったのは、あなたのせいじゃない!」

 

 ペルストラは、ラドクリフ王国の最南にかつて存在していた、海が美しい街だった。水の都、と言ってしまっても過言ではないだろう。だが、その街は今となってはただの焼け野原に等しい状態だった。

 

「いいえ……あなたの故郷であり、将来はあなたが統治していただろう街に悲劇を呼んだのは……間違いなく、俺のせいです……」

 

 ペルストラが荒廃することとなった理由は八年前、突如として現れた非正規のラドクリフ王国騎士団『黒衣の龍』によって何らかの目的を持って住民達もろとも焼き払われてしまったから、と民衆には伝わっている。

 カイン王子――元々“ある疑惑”を理由に非難されていたゾディートではあったが、彼への支持が完全に無くなったのは、この事件がきっかけであるとも言われていた。

 

「違う……違うわよ……それはあなたの、せいなんかじゃ……」

 

「ですが理由もなく、黒衣の龍が自国の街を襲撃なんてするわけないでしょう……?」

 

「それは、そうだけれど……」

 

 アルディスの声が震える。ポプリは俯いてしまった彼に手を差し伸べようとしたが、それはディアナによって叩き落されてしまった。

 

「あなたはちゃんと分かっているくせに。全ては、あの街に“疫病神”なんかがいたからだって……ッ」

 

「!? ノア、それは……!!」

 

「俺があの街にいたから悪いのでしょうッ!? 俺が……俺があなた方に災厄をもたらしたんです!!」

 

 

『この疫病神! アンタなんかが居たから……アンタさえ、いなければぁああっ!!』

 

 

 アルディスの脳裏で、あの日、ポプリに言われた言葉が反響する。彼の左目から、涙がこぼれ落ちた――そう、右目を失ってしまったことなんて、アルディスにとってはどうでも良いことだったのだ。

 彼を結果として最も酷く傷付けたのは、本当に心から信じていた者に浴びせられた“疫病神”という言葉。ただ、それだけだったのだ……。

 

 

「の、ノア……あ、あたし、ね……本気で、あんなこと、思った、わけ……じゃ……」

 

 ポプリは、泣き出してしまったアルディスに手を伸ばす。しかし、その手がアルディスの元に届くことは無かった。

 

「ポプリ、駄目だ。離れなさい」

 

 涙は止まることなく流れ、その場に崩れ落ちてしまったアルディスと、彼に近付こうとするポプリの間に入ったのは、今まで黙って成り行きを見守っていたジャンクだった。

 彼はポプリの手を掴み、首を横に振るう。先程は暴れたポプリであったが、今度は大人しくジャンクの指示に従っていた。彼女はもう、抵抗の意志を見せない。流石の彼女も、これにはショックを受けたのだろう。

 アルディスはおもむろにフードを掴むと、顔を隠すように深くそれを被った。まだ涙が止まらないのだろう。彼は酷く、肩を震わせていた。

 

「アル、大丈夫ですか……?」

 

「……すみません。あなたに、精神的に負担をかけてしまいましたね……」

 

「僕のことは気にしなくていい……」

 

「一応、事情……話しておきます、ね。ディアナも、いますから」

 

 決して顔を上げることは無かったが、事情を話さないわけにはいかないと考えたのだろう。アルディスはポツリポツリと、自身のことを語り始めた。

 

「俺は以前、ペルストラで暮らしていたことがあるんです。十年前、戦争中に俺は嵐の日の海に落ちましてね。何の巡り合わせなのか、ペルストラに流れ着いたんですよ……そんな俺を拾ってくださったのが、ペルストラ領主クロード家の方々でした」

 

「そこで、ポプリと会ったのですね……」

 

 ペルストラ領主、バロック=クロード。ポプリは、その領主バロックの一人娘であった。そのことを知っていたらしいジャンクは、アルディスの偽名を聞いた時「ポプリの姓と同じ」だと言った。つまり、ポプリの現在の姓である『ノアハーツ』が本当の姓でないということも、知っていたのだろう。

 ノアハーツ姓しか知らないディアナは何か言いたそうにしていたが、この状況である。何も言うことなく、アルディスの反応を待っていた。

 

「はい。それで、俺はとてもじゃないですが母国に帰れる状況じゃなかったので、名目上クロード家に養子として引き取られ、ポプリさんの義弟として育てられました」

 

 敵国の領地内だと分かった瞬間、即断頭台送りだと思ったのですがね、とアルディスは自虐的に呟いた。確かに、敵国の皇子が流れ着いてきたというのに、それも戦時中だというのに上に引き渡さなかったというのはかなり、奇妙な話だ。

 

「こうなった事情はよく分かりません。ですが、どうすることもできない俺は素直にクロード家の皆さんに甘え、それから二年間お世話になっていたの、ですが……」

 

 段々とアルディスの声は涙混じりになっていき、語尾も小さくなっていく。これ以上話すのが辛いのだということは、誰の目にも明らかだった。

 

「もう良い、アル。ディアナには、僕が分かる範囲で説明する……だから、もう話すな」

 

「……すみません」

 

 ジャンクの言葉を聞き、アルディスはごしごしと乱暴に目を擦り、漸く顔を上げて立ち上がった。それにより、「それで良いですよね?」というジャンクの問いにディアナが頷いている様子がアルディスの視界に入る。そしてその傍らには、草の上に座り込んで涙を流し続けるポプリの姿もあった。

 

 

「ノア……あなたは、悪くないの。貴方こそ、あの事件の被害者なんだから……それなのに、ごめんなさい……っ」

 

 アルディスを見上げ、どこか朧げな様子でポプリは言葉を紡いでいく。

 八年間、離れ離れになっていた“弟”は、当時の面影を一切なくしてしまっていた。彼女は嗚咽を抑えるために口元を押さえていたが、それは完全に無駄な行為となっている。

 

「……」

 

 思わず、アルディスは彼女に手を差し伸べようとするが、その手は酷く震えている――やはり、怖いのだ。

 その様子を見つめ、ポプリは子供のように頭を振り乱し、泣き叫んだ。

 

「ノア、お願い! あたしのことは、許せなくて良いわ。一生、このままだって良い! だから、お願いよ……あの頃みたいに、無邪気に、笑って……笑ってよ……ッ!」

 

 アルディスの手がぴたりと止まる。一瞬、彼は驚いて目を丸くしていたが、すぐに正気に戻ったらしい。アルディスは自身の胸元に軽く手を当てると、深呼吸してから口を開いた。

 

 

「……ごめんなさい。それは、できないんです」

 

「え……?」

 

「俺……もう、笑えないみたいなんですよ。どんなに楽しくても、嬉しくても……全然、表情が変わらなくって。無表情のまま、動かなくて」

 

 今だって、笑ってるつもりなんですよ? と悲しげに首を傾げてみせるアルディスの表情は普段と何ら変わりがない――それはまるで、人形のようだった。これには、ポプリだけではなく、ディアナやジャンクも酷く驚いていた。

 

「右目の傷は塞がりましたが、これだけは、もう……駄目、みたいなんです」

 

「嘘……っ、嘘よ……! そんなの嘘! あなたが、笑えない、なんて……」

 

 ディアナやジャンクからしてみれば、アルディスが“笑う”という現象自体が信じられなかった。つまりはそれだけ、今の彼はポプリからしてみれば異常なのだ。

 

「凄く、綺麗な笑顔……だったの、に……ッ」

 

 恐らく、ポプリは心のどこかで感動の再会を夢見ていたに違いない。それなのに、彼女を待っていたのは“絶望”だった――。

 

 ボロボロと涙を流し続けるポプリに、伸ばすことの叶わない左手。その左手を力なく見つめるアルディスの頬を、涙が伝っていった。

 

 

「ごめんなさい……天真爛漫なノアは、もういないんですよ……」

 

 

 

―――― To be continued.

 


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