テイルズ オブ フェータリアン ー希望を紡ぎ出すRPGー   作:逢月

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Tune.14 白き疫病神の涙 ー後編ー

 

「エリック。準備できた?」

 

「できたよ。それと、これ……」

 

 右手の紋章を手袋で隠し、エリックはテーブルの上に置いてあった小袋を持ち上げた。振動を与えたことにより、袋の中の物がチャリンと音を立てる。聞き覚えのある音ではあるが、エリックにもマルーシャにもあまり馴染みのないものだ。それでも、中身に察しが付いたのだろう。マルーシャは驚き、目を丸くする。

 

「え? それ、ひょっとしてガルド? どこで手に入れたの?」

 

 そのままの服装ではあまりにも目立ちすぎる。城下町の中央商店街で服を買おうという話になったのだが、服を買うにはガルドが必要となる。しかし二人ともそのような物は持っていないし、立場上、誰かから貰うということ自体難しい……どうしたら良いのだろうと昨日話していたばかりなのだ。どうして、とマルーシャは首を傾げる。

 

「それが……何故か、この袋が服のポケットの中に入ってて。どうしようかと思ったんだけど、とりあえず、借りとこうかなって」

 

「メイドが洗濯する時にうっかりしてたのかなぁ……不思議だね」

 

「良いのかな、とは思うけどさ」

 

 背に腹は代えられないだろ? とエリックが悪戯めいた笑みを浮かべれば、マルーシャはクスクスと笑ってみせた。

 

「でも、なるべくお金掛からないようにしとこっか。やっぱり悪いもん」

 

 

 そうしてエリックとマルーシャの二人は謎の脱走スキルを高めていき、使用人たちをかわし、城下町を平然と歩き回るようになり――現状にいたるわけだ。

 

 この時のガルドの持ち主は、今もなお分かっていない。本当にメイドのうっかりミスだったとすれば、後悔どころの騒ぎではないだろう。何しろ二人の脱走癖が悪化する原因となってしまったのだから。

 

 はた迷惑な遊びを覚えてしまった二人ではあったが、城を抜け出して行く先は結局今も昔もアルディスの家一択であった。途中に寄り道を挟むことはあれども、最終的な目的地は結局親友の家なのである。

 

 今でこそアルディスは二人を受け入れてしまっているが、当初は「迷惑だ」と溜め息しか吐いていなかった――そんな彼がエリックとマルーシャを受け入れるきっかけとなった事件は、二人が初めて脱走してからちょうど二週間目に起こった。

 

 

 

 

「何というか、ここまで来るのにも慣れたよな?」

 

「慣れなくて良いのに……」

 

「あまり怒られなくなったしね」

 

「怒られれば良いのに……」

 

――曇りない青空が広がる、よく晴れた昼間。開かれた窓から入ってくる風が、心地よい。

 

 アルディスの家に置いてある、温かみのある木製の椅子に座り、当たり前のようにくつろいでいるエリックとマルーシャを見て、家主は盛大にため息を付いた。

 

「知ってる? 今日で二週間目だよ? 君たちの実家の人たち何してんの? 馬鹿なの?」

 

 悪態をつきながら、アルディスはベッドに腰掛けて分厚い本を読んでいる。小説ではなく、どうやら学術書のようだ。題名を見る限り、恐らく魔術関連の内容である。

 

「そんなの読んでないで、一緒に何かしようよ!」

 

「嫌だ」

 

「ねーねーっ」

 

「いーやーだ」

 

 つまんない、とマルーシャが頬を膨らませる。そんなことはお構いなしに、アルディスはごろりとベッドに寝転んだ。

 

「何度も言ってるだろ、俺に構うなって。つまらないなら、他のとこ行け他のとこ」

 

「二週間経ったんだぞ。もう少しは慣れてくれたって良いじゃないか」

 

「二週間経ったんだ。君たちこそ諦めれば良い」

 

 最初から分かっていたことだが、アルディスは何をしてもクスリとさえ笑ってくれない。彼は、常に無表情だった。その上、彼はほとんど自分のことを話さない。何とか名前は聞き出せたものの、それっきりである。誕生日すら教えてくれない始末だ。

 本人も分かりきっているのだろうが、どんなに空気が悪くなろうとも、アルディスは態度を変えなかった。冷ややかな翡翠の瞳が、こちらを見つめてくる――それでも。

 

「だったら、本格的に拒絶すれば良いじゃないか」

 

「アルディス、本当は嫌じゃないんでしょ? 分かってるもん」

 

「……!」

 

 恐らくアルディスは、本心から自分たちを拒絶しているわけではないーー。

 

 この二週間、何も考えていなかったわけではない。エリックとマルーシャは、アルディスの態度を見て、そのように感じていた。

 何より、今こうしてアルディスの家に二人揃って上がり込んでいられることがその証明となるだろう。アルディスの実力ならば、片足を負傷していようとも二人を追い出すことくらい簡単なはずだ。

 

「だってさ、いつも鍵とか開けっ放しだもんね。気付いてるよ」

 

「言葉で追い払おうとするだけだもんな。お前」

 

 本当に拒絶したいのならば、鍵をかけるなり攻撃するなりすれば良いのに。アルディスは何故か、それだけはしなかった。しかし、確信を付いたかのように思えた二人の言葉を聞き、アルディスは舌打ちするとともにベッドから立ち上がる。近くに立てかけていた簡易的な杖を取り、彼は蔑むようにエリックとマルーシャを見た。

 

「……。それが?」

 

「え……」

 

「鍵をかけないのは、純粋にこの家にはそんなもの存在しないから。そう言うなら、足が治ったら南京錠でも何でも買いに行くよ」

 

 マルーシャは外へと繋がるドアを見て言葉を失う。古い家ゆえなのか、確かにそこに鍵は付いていなかった。

 

「……ッ」

 

「何度も言うけど、ここは王族が来るような場所じゃない。魔物が出るってのも、分かってるだろ」

 

 二週間前、アルディスは魔物からエリックを庇い、足に大怪我を負った。その時の傷は、今も癒えていない。後遺症が残ることはないだろうが、確実に傷跡は残るだろう。

 

「足……まだ、駄目そうか?」

 

「これが大丈夫そうに見える?」

 

「……ごめん」

 

 別に良いよ、とは言うものの、アルディスは不愉快極まりないといった様子だった。それが、何を意味しているのかは分からない。ただ、良い意味でないことは確かだろう。アルディスに冷ややかな目で睨まれながらも、エリックは必死に笑みを浮かべてみせた。

 

 

「なあ、アル。何か……買い物でも、行ってこよう、か?」

 

「え……」

 

「いや、だってそれじゃ買い物とか行けてないだろ?」

 

 上手く話題を振れた、とエリックは内心笑みを浮かべた。断りたいのだろうが、実際に困っているのだろう。アルディスは目を伏せ、少しの間だけ考え込んでいた。

 

「……君に買い物とか、出来るわけ?」

 

「大丈夫だよそれくらい。任せろ」

 

「あ、わたしも行くよ!」

 

 はいはい! とマルーシャが手を振ってアピールする。それを見て、アルディスは渋々メモ帳を手に取った。

 

「変なものとか、妙に高いもの買ってこないでよ……」

 

「大丈夫だよ。わたし、王族だからって金銭感覚そこまで狂ってないし」

 

「……僕が見張っとくから安心しろ。ていうか、中心商店街とかその辺行けば良いんだろ?」

 

「中心商店街の商品って若干高いんだけど……やっぱ頼むのやめようかな……」

 

 ぶつぶつ呟きながらも、結局二人に頼ることにしたらしいアルディスはメモ帳を一枚破ると、鞄の中から取り出した財布と一緒にしてエリックに手渡した。

 

「へえ……食料品ばっかりだね。アルディス、お料理作れるの?」

 

「不安だから必要最低限のものしか書いてない。あと俺の場合、料理出来なきゃ困るだろ」

 

「確かに、お前一人暮らしだもんな……なぁ、今度何か食わせてくれよ」

 

「はぁ!?」

 

 何の躊躇いもなしにそう言ったエリックに、アルディスは盛大に声を裏返らせる。

 

「君、本当にお気楽だよね。俺が毒盛らないって保証は無いと思うよ」

 

「おいおい……これでも、信用してるつもりなんだけど」

 

 エリックの言葉に、アルディスは目を丸くする。何を言おうか、悩んでいる様子であった。

 そして彼は悩み抜いた末に溜め息を吐き、エリックにこれまで以上に冷たい視線を向けて口を開いた。

 

「はっ……君は良いよね、何の苦労もしてなさそうで。“俺なんかと違って”由緒正しき血を引いた、完璧で皆に愛される王子様だもんね……?」

 

「ッ!」

 

 それは、明らかにエリックに対する悪意しか込められていない言葉であった。アルディスの表情は変わらなかったが、彼の表情が変化していたとしたら歪んだ笑みを浮かべていたことだろう――“嘲笑”という名の、エリックを見下す笑みを。

 

 

「そんなことないもん!!」

 

 そんなアルディスに向かって異を唱えたのは、エリックではなくマルーシャだった。彼女が勢いよく立ち上がったことによって座っていた椅子は後ろに倒れ、耳障りな大きな音を立てる。

 

「そんなこと……ないもん! エリックは、ずっと大変な思いしてきたんだよ!?」

 

「マルーシャ、別に良い。気にしてない」

 

「だって!」

 

 微かに身体を震わせるマルーシャの瞳には涙が浮かんでいた。そんな彼女の頭を撫でるエリックの表情は酷く、硬くなっていた――アルディスを庇いはしたが、傷付かなかったわけではないのだ。それに気付いたマルーシャは涙の浮かぶ瞳でアルディスを睨みつけている。やってしまった、とエリックは思った。

 とりあえず二人を離した方が良いだろう。そう判断したエリックは「あはは」と乾いた笑い声を上げ、マルーシャの肩をポンポンと叩いた。

 

「気にすんなよ、アル。とりあえず……買ってくるから」

 

「……」

 

「行こう、マルーシャ」

 

 未だに怒っているマルーシャに笑いかけ、エリックはアルディスの傍から離れてドアノブに手を掛ける。その時、後ろでガタンと大きな音がした。

 

「痛っ!? ぐ……っ!」

 

 前髪と眼帯の上から右目を押さえ、アルディスが蹲っている。音は、彼が床に崩れ落ちた音だったらしい。杖は、彼の横に無造作に転がされていた。

 

「!? アル! どうした!?」

 

「ッ、気にするな! 行くなら、さっさと行ってこい」

 

「い、いや、なんか、追加で買ってきた方が……」

 

「……。だったら、これ……っ、分かるなら、買ってきて……」

 

 余程辛いのだろう。エリックの申し出にアルディスはあっさりと折れ、メモ帳に何かを書きなぐってエリックに渡してきた。書かれていたのは包帯とガーゼ、それから――かなり強い効果を持つ、痛み止めの名称。

 病弱なエリックだからこそ分かったのだが、これは副作用も強い。この痛み止めでなければいけないのだとすれば、今、彼は相当な激痛に耐えているということになる。

 浅い呼吸を繰り返し、アルディスは這いずるようにベッドに戻る。吹き出した冷や汗がシーツに落ち、小さな染みを作った。押さえられた右目がどうなっているのかは、よく分からない。

 

「ま、待ってろ! 行こう、マルーシャ!」

 

 様子からして、少なくとも足の痛みよりも酷いことは確かだ。流石に長話をしている場合ではないと判断したエリックはマルーシャの手を引き、家を飛び出していった。

 

 

 

 

「ねぇ、エリック……わたし、アルディスの家に戻っても良いかな?」

 

「え?」

 

 少しだけ進んでから、マルーシャは立ち止まってエリックを見た。随分と気持ちが落ち着いたようだ。彼女は既に、冷静さを取り戻していた。

 

「わたし、怒っちゃってたから頭回らなかったんだけどね……先にアルディスの傷に治癒術掛けといた方が、良いかなって。わたしは残っといた方が、良いかなって」

 

「あ、あー……そういえば……」

 

「だってさ、エリックあんなこと言ってたけど……店の場所、知らないでしょ」

 

 痛い所を付かれ、エリックは乾いた笑い声を上げる。図星だったのだ。

 

「完全に治せるわけじゃないだろうけどさ。それでも、時間稼ぎにはなるかなって」

 

 買い出しにどれだけ時間が掛かるか分からない。この場合、あの状態のアルディスを一人にしておくのはどうかと思う、というマルーシャの意見が正論だろう。第一、ここで二人揃って買い出しに行くメリットはそこまでないのだ。

 

「一度帰ろうか。大丈夫か? マルーシャ」

 

「わたしは平気。任せて?」

 

 幸い、そこまで進んではいない。魔物に遭遇する可能性も考え、エリックもマルーシャと共に一旦アルディスの家に戻ることにした。少し急ぎ足で、来た道を逆走する。家の前まで戻るのには十分と掛からなかった。

 

 

「……ッ、う……っ」

 

 ドア越しに、アルディスの小さな呻き声が聴こえる。押し殺してはいたが、苦しんでいることは明らかだった。少し離れている間に痛みが収まっていれば、と思っていたのだが、そのような生易しいものではなかったらしい。

 

「アル!?」

 

「!?」

 

 エリックが急いで家に駆け込むと同時、バシャンと何かが床に溢れた。

 

「ッ、くそ……っ」

 

「あ……」

 

 流れてきたのは、洗面器に入っていたらしいぬるま湯だった。結構な量だったのか、それはその場に立ち尽くすエリックとマルーシャの靴に染み込んでいった。

 震えるアルディスの手には、大量の血が染み込み、元の色が分からなくなってしまった濡れタオル。恐らく、先程のぬるま湯と合わせて使っていたのだ。

 だが、そんなことはどうでも良い。マルーシャは恐怖のあまり声を震わせながら口を開いた。

 

「あ、アルディス……その……」

 

「……」

 

「その目……一体、何が……」

 

 今、アルディスは眼帯をしていなかった。大きな眼帯をしているなとは思っていたが、その下の状況はもとより、眼帯をする理由さえもエリック達は知らなかった。

 だからこそ、今、目の前の光景が信じられなかった――アルディスの顔には、古い刀傷と共に、目も当てられないほどに深く切り裂かれた傷が存在していた。

 傷を見られたくなかったのだろう。アルディスは悲しげに左目を泳がせ、溜め息混じりに口を開く。

 

「斬り付けられたんだ。結果的には抉られたようなもんだね」

 

「抉ら、れた……って、そん、な……ッ」

 

「割と最近の話。治りきってないもんだから、よくこうなる」

 

 傷口から鮮血が伝い落ち、アルディスの白い肌を、ローブを汚していく。それを止めるために絞った濡れタオルで患部を押さえ、アルディスはどこか悲しげに、言葉を紡いだ。

 

「傷口なんて見たくないから、あまり見てないけど相当深いんじゃないかな? 一回目は、辛うじて失明せずに済んだんだけど、今回は流石に駄目だった」

 

 一回目、というのは古い刀傷の方を指しているのだろう。こちらも十分痛々しいが、今、血を流している傷に比べれば随分と浅い。だが、彼は二度も右目を切り付けられたということになる。

 

「な、なんで……」

 

 力無く首を振り、エリックは酷く震えるアルディスに手を伸ばす。しかし、その手は、あっさりと叩き落されてしまった。触れて欲しくない、近寄るな、とでも言いたげな視線が、エリックに突き刺さる。

 エリックが何も言えずにいると、アルディスは濡れタオルを下ろし、傷口から血を流しながら口を開いた。

 

「……。ヴァイスハイトって、知ってる? 俺、右目は金色だったんだ」

 

 ヴァイスハイト。見たことは無いものの、その存在は一通り学び、理解していた。彼らの存在を恐れるものが、もしくは彼らの力を欲するものが、ヴァイスハイトの右目を抉る行為についても知識はある。それでも、仮にヴァイスハイトであったとしても、アルディスはまだまだ幼い。幼い子どもさえも標的になるという事実が、エリックには受け入れられなかった。

 

「だ、だからって、子ども相手にそんな……!」

 

 ありえない、異常だ、とエリックは頭を振るう。彼は気付かなかっただろうが――否、間違いなくそのような意図で発した言葉では無かったのだろうが――エリックの言葉は、目の前の少年の存在を否定するような意味にも捉えられた。

 

「……そうだよ、俺は……普通じゃない……、存在しちゃいけない“異常なモノ”だ……」

 

 アルディスは声を震わせ、濡れタオルを強く握りしめて俯いてしまった。彼が言葉の意味を曲解したことに気付いたエリックは再び彼に向かって手を伸ばす。しかしその手は、先程よりも強く、痛みを感じるほどの勢いで叩き落とされた。

 

 

「“普通に愛される”君には……ッ、君には絶対に俺の気持ちなんて分からないよ! 君は、俺なんかとは絶対に違う! 俺は……ッ、どんなに頑張っても君のような存在にはなれないというのに……ッ!!」

 

 

 顔を上げ、叫んだアルディスの左目からボロボロと涙がこぼれ落ちた。

 

「裕福に城で、戦争の恐怖も、追い回される惨めさも存在を否定される悲しみも知らず暮らせる君に、俺の何が分かる!? 俺のことなんか何も知らないくせに、分かったような口を聞かないでよ……!!」

 

「……ッ」

 

 彼は、一体どのような人生を送ってきたというのだろうか――背に貼り付いたマルーシャが酷く震えている。震えているのは、エリックも同じだった。

 

「あ、アル……」

 

「もう懲りただろう!? 分かったら二度と、俺に干渉しないで……俺はもう、誰のことも信じたくない……もう誰とも関わりたくない……ッ!!」

 

 嗚咽混じりに叫び、アルディスはエリックとマルーシャを突き飛ばすように家を出ていってしまった。

 

「え、エリック……」

 

 どうしよう、と声を震わせるマルーシャの頭に手を置き、エリックは奥歯を強く噛み締める。

 

「とにかく、探そう」

 

「……うん」

 

 戦闘能力がある訳では無い。下手に離れて探すより、二人まとまって走り回った方が良いだろう。地面には点々と血の跡が残っている。相当な出血量だった。急がなければ、と二人はアルディスの家を飛び出し、足を早める。そんな時だった。

 

 

「うわあああぁッ!!」

 

「!」

 

 森の中に、アルディスの悲鳴が響き渡った――場所は、かなり近い。

 

「アルディス!」

 

 服が汚れるのも気にせず、マルーシャが茂みの中を駆け抜けていく。エリックもその後を追った。目当ての人物は、すぐに見つかった。

 

 

「……ッ」

 

 茂みの先で、アルディスは右目を抑えて座り込んでいた。薙刀を手にしていたが、立ち上がることができないらしい。無理をして走ってしまったのが裏目に出ているのだろう。彼の周りには、数匹の魔物の姿。血の匂いで寄って来てしまったようだ。

 

「アル!」

 

 エリックはわざと茂みを大きく揺らし、魔物たちの注意を引くように飛び出した。その姿を見て、アルディスはどこか辛そうに声を震わせた。

 

「!? 何、で……っ!」

 

「た、助けに来たに決まってるじゃない! 当たり前でしょ!!」

 

 強気な口調に反し、若干怯えているらしいマルーシャの言葉に、エリックが頷く。二人の姿を見た魔物たちは、獲物を取るなと言わんばかりに低い唸り声を上げた。

 

「ば、馬鹿! 俺なんかほっといて、さっさと逃げろ!!」

 

 強引に立ち上がりながら、アルディスは頭を振った。

 

「そんなこと、できるかよ!!」

 

「死ぬのは俺一人で十分だ!」

 

 薙刀を振ろうとするが、片足を負傷したアルディスは満足に動くことができなかった。バランスを崩し、その場に倒れ込んでしまった彼に、魔物たちは容赦なく襲いかかろうとする。迷うことなくアルディスと魔物との間に飛び出し、エリックは短剣を構えた。

 

「そんな……っ、無茶だ! 良いから逃げろよ! お願いだから、逃げてよっ!!」

 

 後ろでアルディスが涙声で叫んでいる。再び泣き出してしまったのか、段々と嗚咽も聞こえてきた。

 

「どう足掻いたって、俺は“疫病神”でしかない……! 俺の傍に居れば、皆不幸になる……俺は死ぬべきなんだよ! 君たちは関係ないんだ、だから……っ!」

 

「うるさい! アルディスは黙ってて!!」

 

 泣きじゃくるアルディスを見ているうちにもらい泣きしてしまったのか、ポロポロと涙を流しながらマルーシャはその辺に落ちていた石を投げていた。エリックも魔物を追い払おうと短剣を振り回すが、それに魔物が恐れることはなかった。魔物たちは、決して逃げようとはしなかった。

 

「うわっ!」

 

 魔物の爪が、エリックの腕を切り裂く。深くはなかったが、切り裂かれた服の間からは複数の赤い線が覗いていた。

 

「ッ! 逃げてよ……エリック、マルーシャ……お願いだから、俺を助けようなんて、馬鹿な考えは捨ててよ……お願いだから……っ」

 

 それを見たアルディスの声は、どんどん小さくなっていく。それは、強気な彼らしからぬ、あまりにも弱々しい声だった。

 

「だから逃げないって言ってるでしょ!? アルディスの馬鹿ぁ!」

 

「嫌なんだ……っ! もう嫌なんだよ! 俺のせいで誰かが傷付くのは、もう見たくない……!!」

 

 決して逃げようとしない二人に対し、アルディスは震えの止まらない自分の身体を抱き抱えるようにして泣き叫んでいる。

 

――彼は決して、冷たい人間では無かった。むしろ、不必要なほどに、不器用なまでに、心優しい少年だったのかもしれない。

 

 ただ、誰かを傷付けまいとして自分自身が傷付き、苦しんでいただけだったのだ。エリックとマルーシャにきつく当たっていたのも恐らくは、“疫病神”である自分から遠ざけようという彼の優しさだったのだろう……しかし、そこに彼自身への優しさはどこにもない。

 

「アルディスの傍にいたら不幸になるなんて、誰が決めたの!? わたしは……わたしたちは! そんな風には絶対に思わない!!」

 

 怒りと悲しみが入り混じり、訳が分からなくなりながらも涙声で叫ぶマルーシャの言葉に頷き、エリックも声を張り上げた。

 

「マルーシャの言う通りだ! そう思っているから、僕らはお前をほっとけないんだよ! だからこそ助けたいって、そう思ったんだよ!!」

 

 だからと言って、今この場を切り抜ける術など無い。それでも、エリックたちは絶望などしていなかった。諦めなかった――その思いが、通じたのかもしれない。

 

 

『うん、分かった。その子を、助けてくれるって言うのなら……ボクは、キミを助けるよ』

 

 

 突如、頭に響いた幼い声。声を聴き取るとともに、エリックの周囲をふわり、ふわりと、橙色の光が周囲を舞った。

 

「! な、なんだ……!?」

 

 声の主が分からない上、どうして突然謎の光が寄ってきたのかは分からないが、何故か悪い気はしない。光に驚き、魔物たちはほんの少しだけ退いた。

 その姿はどこか、応援してくれているようにも思えた。数多の輝きを少しだけ眺めた後、エリックは思い出したように短剣を構え直した。

 

(今なら、きっとやれる!)

 

 赤い瞳を閉じ、意識を高めていく。彼の足元には、橙色の魔法陣が浮かび上がっていた。

 

「――具現せよ、地龍の宴……誘いの舞を、今ここに!」

 

 目を開いて見てみれば、橙色の光達はエリックの周りに集まっている。それらに軽く微笑んだ後、エリックは短剣をくるりと回した。

 

「――グラビティ!」

 

 断末魔の鳴き声を上げると共に、魔物たちがミシミシと嫌な音を立てて押しつぶされていく。重力の中でもがきながら、魔物たちの身体は空気中へと分散していった。

 

 

「良かった。これで、大丈夫だろ……」

 

 はあ、とエリックは大きく息を付き、一気に強ばった身体の力を抜いてその場に座り込んだ。自信など無かった。発動できなければどうしようかと、そう思っていたのだ。

 

「待っててね、少ししか良くならないとは思うけど、傷、治すから」

 

 橙色の光達は、いつの間にか居なくなっていた。代わりに、マルーシャの手から放たれる淡い癒しの光が辺りを微かに照らしている。

 

「大丈夫か? 傷、どっちも悪化させただろ……ごめんな」

 

「少しは良くなった? 大丈夫?」

 

「どうして……」

 

 心配そうに声を掛けてくるエリックとマルーシャの顔を見つめながら、アルディスは酷く声を震わせ、ボロボロと涙をこぼしながらも懸命に言葉を紡いだ。

 

「どうして、どうして……逃げなかったんだよ……っ、あそこで、下位精霊が助けてくれなかったら、どうなったと、思って……っ」

 

「へぇ、あれが下位精霊……初めて見た」

 

 兄上が地属性の術使ってて良かった、とエリックは苦笑いする。要は見よう見まねだったのだ。本当に偶然に近い産物だったのだ。

 

「僕とマルーシャだけじゃない。アイツらも、お前を助けようとしてくれたんだろ」

 

「……ッ」

 

 アルディスの右目の傷は元々治りかけだったこともあり、マルーシャの弱い力でも十分に塞がった。ただ、最後にはやはり、見る者全ての同情を引きそうな痛々しい傷跡が残る。

 

 

「ねえ、アルディス。わたしたちは、大丈夫だから」

 

「……」

 

「不幸になったりなんて、しないよ。大丈夫!」

 

「君たちは、俺のこと何も知らないじゃないか!」

 

 教えてくれないんだから知ってるわけないだろう、とエリックは立ち上がり、アルディスに近付いて彼の頭をそっと撫でた。

 

「不幸になったって良いよ。それでも、僕は君から離れないから」

 

「ーーッ!」

 

 その言葉に、アルディスは嗚咽を堪えるように両手で口元を覆って肩を震わせる。こうして見ると、本当に華奢だなとエリックは苦笑いした。

 

「あれだな、結構泣き虫だよな。ついでに結構臆病だよな。頭撫でられるの、実は好きだよな?」

 

「う、うるさい……っ」

 

「無理して強くなろうとしてたの、分かっちゃったよ……」

 

 必死に隠していた素が出てきてしまった、ということなのだろうか。本来はかなり年相応な性格だったということなのかもしれない。

 

「……とりあえず、帰ろうか? 頼まれたもの、まだ買ってきてないし」

 

「あ、わたし、お留守番してるね? 何か、一人にしたら可哀想だし」

 

「馬鹿にしてるの!? ふ、ふざけないでよ……っ!!」

 

 目に涙を浮かべ、アルディスはエリックとマルーシャを強く睨みつける。睨まれるのは慣れていた。だがそれは少しだけ、今までとは違っていた。

 

「おい、それ……もはや全然怖くないぞ……」

 

「むしろ、ちょっと可愛いなって、思っちゃった……」

 

「ふざけるな! 馬鹿にするのも大概にしろ! お前らのことなんて大ッ嫌いだ!!」

 

 どれだけ睨まれようとも、怒鳴られようとも。恐怖は一切感じなかった――そこに、今までのような冷たさはもう、存在しなかったから。

 

 

―――――――――――

 

―――――――

 

―――

 

 

「……まあ、剣術稽古真面目にやろうって思ったきっかけだったな」

 

「え、エリック……」

 

「はは……あと、あの時だけだったな。自分が未覚醒で良かったって、思えたのは。僕はヴァイスハイトとかじゃないし、属性決まってたら好き勝手に地属性魔術なんて使えなかっただろうから……」

 

 あの時、やって来たのが地の下位精霊で本当に良かったと今でも思う。そうでなければ、兄の真似をしてグラビティの詠唱をすることなど、出来なかっただろうから。

 後々アルディスに教えてもらったのだが、ヘリオスの森には地属性の上位精霊『ノーム』の神殿があるのだという。どこにあるのかまでは聞いていないが、エリックが聴いた声は恐らくノームの物――あれは本当に、『奇跡』としか言い様がない出来事だったのだ。

 それだけではない。アルディスとの出会いは、彼がほんの少しだけ自分たちに気を許してくれるようになったのはまさに、いくつもの奇跡が重なったからだ。

 

「脱走してきたわたしに感謝してね?」

 

「おいおい……」

 

 えへへ、と笑顔を浮かべるマルーシャ。可愛いが、そういう問題ではない。

 

「それとこれとは話が違うだろ……ただ、さ」

 

「え?」

 

 エリックは少しだけ悩み、それから強い意志が感じられる瞳でマルーシャを見据えた。

 

 

「今から、もう一度僕と一緒に脱走してくれないか?」

 

 

「えぇえええっ!!??」

 

 脱走しよう、とエリックから言い出したのは初めてのことだった。今までのパターンといえば、マルーシャが塔を登って来て一緒に脱走するか、エリック単独で脱走するかのどちらかでしかなかった。しかも、後者はマルーシャが長期不在の時くらいで、本当にごく稀なパターンである。

 

「どうしたの優等生王子!? 城が爆発するんじゃないかって思ったよ!?」

 

「それ、自分は不真面目ですって言ってるようなもんだぞ」

 

「認めてるから良いもん」

 

「そんなこと、頼むから認めるな!」

 

 ガシガシと頭を掻き、エリックは苦笑いした。マルーシャのこういう所は、昔から一切変わらない。失礼だが、身体だけ大きくなったと言っても過言ではないだろう。

 

「その、昔のこと、思い出してるうちに思ったんだよ……やっぱり、アル放置は気になる。ほっとけない。過保護なのかもしれないけどさ……」

 

「気持ちは分からなくもないから、大丈夫。うん……ポプリとの件も気になるしね。ディアナはともかく、ジャンのことも何だかんだ言っても苦手だろうし……」

 

 冷静に考えると、今のアルディスは何故か恐怖の対象であるポプリが近くににいる上に、ジャンクからはことごとく思考を視られるというある意味耐え難い状況下に置かれている。ディアナという存在があるとはいえ、昔のアルディスを知るエリックとマルーシャからしてみれば心配要素しかないのだ。

 

「だろ……? だから、とりあえずもう一度合流しときたいなって。送ってきてくれたポプリとジャンには、かなり悪いけどさ」

 

 エリックがそう言えば、マルーシャはこくりと深く頷いた。しかも、マルーシャが脱走してきたということは、今はあまり警備が強化されていない可能性が高い。行くなら今しかないと言ったエリックの意見に同意し、マルーシャはすっと立ち上がった。

 

「行こ、エリック!」

 

「……」

 

「エリック……?」

 

 何故か、エリックが窓辺を見てぽかんと口を開けている。マルーシャも慌てて窓辺へと視線を移した。

 

 

「二人とも、良い度胸ですね~。エリック、マルーシャ?」

 

 

 窓枠に座ってニコニコと笑っているのは、ゆるやかな癖のある長い金髪に、ガーネットのような美しい赤い瞳が特徴的な中年の女性。ふんわりとした印象を与える、今もなお美しさが感じられる顔立ちはともかく、髪質と瞳の色はエリックと全く同じである。

 

「母上!?」

 

「お義母様!?」

 

 

 金髪赤目の中年女性――ラドクリフ女王ゼノビアは軽く首を傾げて微笑んでみせた。

 

 

「それにしても。マルーシャはいつもこのような場所を登っているのですね。なかなか、面白かったです。今度から、私もこうやってエリックに会いに来ましょうかね~」

 

「やめてください!!」

 

 言うまでもなく、ゼノビアはこの塔を登ってきたのだ。一体何を考えているのだろう。下の方で、兵士やメイドが叫んでいる。否、もはや泣き叫んでいると言っても良いくらいだ……可哀想に。

 

「危ないです! は、早くこちらへ!!」

 

「あらあら~。気にしなくても良いのですよ、どうぞ、脱走を企てなさい」

 

「う……っ」

 

 エリックに手を引かれながらも、彼女は笑顔を崩すことなく触れて欲しくない場所に触れてきた。これには、エリックもマルーシャも顔を引きつらせることしか出来なかった――どこからなのかは知らないが、見事に会話を聞かれてしまっている!

 

「お、お義母様……」

 

「マルーシャには倉庫に眠っていた綺麗な杖をあげましょう。治癒術は無理だけれど、普通の魔術なら風属性の兵士が何人かいましたね……後で招集しますね?」

 

「え……?」

 

 だが、ゼノビアが語りだしたのは想定外の話。エリックもマルーシャも怒られるか泣かれるかすることを覚悟していただけに、彼女の話には衝撃しか受けなかった。

 

「エリック。あなたには宝剣を託します。今のあなたなら、大丈夫。きっとすぐに使いこなせるようになりますよ」

 

「母上、一体……何の、話ですか……?」

 

 綺麗な杖に、宝剣。話が飛躍しすぎて、何が何だか分からない。躊躇いがちに口を開いたエリックに、ゼノビアは少しだけ悲しげに口を開いた。

 

「もう少し、もう少しだけエリック、あなたをここに置いておきたかったのですが……もはや、そういうわけにもいかなくなっています。残酷な話ですね。だから明後日、ここを出なさい。エリック、マルーシャ」

 

「母上……?」

 

 事態は深刻なのですよ、とゼノビアは緩やかに頭を振り、そして凛とした眼差しをエリックとマルーシャに向ける。

 

 

「――あなたたちには、フェルリオ帝国に渡って頂きます」

 

 

「!?」

 

 下準備をするから二晩だけ待っていなさいと言われ、エリックとマルーシャは不安げに顔を見合わせる。それを見て、ゼノビアは大丈夫だと赤い瞳を細めた。

 

「あなたたちには、精霊が付いています。出会うべき者たちとも、既に邂逅しています。ただ、その分だけ事態は、非常に深刻さを増しています……もう、時間がないのだと、告げられました」

 

 一体何の話だと問い掛けたかったのだが、真剣な眼差しで見つめられて聞くことを躊躇ってしまった。ゼノビアは、本気だった。

 

「詳しいことは明後日、謁見の間で話します。それまでは、大人しく城に居て下さい」

 

「母上……」

 

「お願いです。私は、本当は送り出したくなどないのですから……特にエリック。あなたは、王子であると共に私の可愛い息子なのです。ずっと、傍に置いておきたいのです……」

 

 あまりにも必死な母の言葉に、エリックもマルーシャも脱走への意欲を削がれてしまった。どちらにしても、自分達は明後日、ここを発つのだ。今は、彼女に従っても良いだろう。

 

「分かりました。私はイリスと共に、母上の指示を待ちます」

 

 エリックは母の目の前で跪き、静かに頷いてみせた。

 

 

 

―――― To be continued.

 


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