テイルズ オブ フェータリアン ー希望を紡ぎ出すRPGー 作:逢月
どうやったのかは知らないが、本当に温泉を沸かしてみせたジャンクからほのかに薬草の香りのする緑色の湯が入った桶を受け取り、エリックはアルディスがいるというテントの中を覗き込んだ。
「アル、生きてるか?」
決して元気そうだとは言い難い状態ではあったものの、テントの中でぐったりと横になっていた親友の姿を見たエリックはほっと息を吐いた。ジャンクを疑っていたわけではないのだが、これで万が一アルディスがいなければどうしようかと不安に思っていたのだ。
エリックの言葉に、アルディスはゆっくりと身体を起こし、こちらに真っ青になってしまった顔を向けてくれた。
「心配しないで、俺は大丈――」
「大丈夫じゃないってのは分かってるから、とりあえず、これ」
いつものことながら、アルディスは「大丈夫」と言おうとしてみせる。そうなるだろうと思っていたエリックは即座にその言葉を遮り、桶とタオルをテントの中に置いた。
「それ、何……?」
「いや、僕も驚いたんだが……」
ジャンクが温泉を沸かしたと言えば、アルディスは「なるほどね」と言って桶の中を覗き込んだ。特に驚く様子は見られないが、もしかすると
そんなことを密かに考えつつ、エリックはジャンクに「伝えて欲しい」と言われた言葉を口に出した。
「で、アイツからの伝言。『水がたまった場所が怖いようですね。恐らく、温泉のような場所には入れないのでしょう? だが、身体くらいは拭いておけ。薬湯だから、傷にも良い』……だそうだ」
「……」
エリックの言葉を聞くなり、アルディスは盛大にため息を付き、顔を伏せてしまった。
「ああもう……
「れ、共解現象……? 暴走……?」
「簡単に言うと、特殊能力同士の相性が良いと互いの能力を高め合うことがあるんだ……けど、俺とあの人の場合は、素の能力高過ぎて実際に能力を使う場面で悪影響が発生することがあるみたい。俺たちの場合は、突然『視る気もないようなものが視えてしまう』感じかな。まあ、知ってるだろうけど俺は能力使わないから、そうなるのはあの人だけなんだけど」
アルディス曰く、ジャンクはエリックが想像していた通り
「それ……お前的にはどうなんだよ……」
「非常によろしく無いよ……でも、目を閉じたままのあの人に『能力使わないでください』っていうのは無茶だろうし、第一、頻繁に俺のこと、特に過去なんて見てたら、あの人発狂するんじゃないかって心配なんだけど……」
少なくとも、ジャンクの行動からして「アルディスが嵐の海で溺死しかけた」という過去の話は把握されているわけで。眼帯の上から右目を押さえ、アルディスは深く溜め息を吐いた。
「……右目」
「ああ、多分、これは知らないんじゃないかな……時間の問題だろうなって、思うけど」
そう言って、アルディスは眼帯を外してみせる。顕になったのは、閉ざされた右目を封じるかのように存在する十字の傷跡――浅いが、右頬の少し上を走る右上がりの大きなものと、その上を走る、範囲は狭いが深く、彼が失明する原因となったもの。
「……」
エリックはアルディスが傷を負うこととなった理由は知らないものの、彼がヴァイスハイトであるということ、だからこそ、何かと右目を狙われた過去があるということは知っていた……最終的に、アルディスは右目を失ったということも。
「申し訳ないけれど、この件を知った彼がどうなろうと、俺にはどうすることもできない。多分、驚くとか、その程度じゃ済まないだろうと思うけど……俺には、それを未然に防ぐことも、できないから」
「だが、仮にそうなったとしてもお前は悪くないと思うぞ……」
本人にその自覚があるのかどうかは分からないが、アルディスは他者を寄せ付けない空気をまとっている割に、少々過度な勢いで他者の心配をする傾向がある。今回もそのパターンで、若干皮肉混じりではあるものの、自分の過去を見たジャンクのことをかなり心配しているらしい。
(そういう風に思ってる自覚はないんだろうけどな)
良くも悪くもお人好し、という言葉が合うだろうか。元々、そのような性分なのだろう。エリックもかつて、そんなアルディスに助けられた経験がある。
ただ、悲劇的な過去のせいか歪んでしまった彼の場合は、人を寄せ付けないためにわざと傲慢に振舞ってみたり、攻撃的になってみたりといった行為が目立ってしまう。間違いなく、ジャンク対してもこの態度が先行したことだろう――本人がいない場合は、この通りなのだが。
「何というか……今のお前を喋らせるのには、抵抗がある。下手に動かすなって問題の医者にも言われたしな。とりあえず、話はこれくらいにしておいて、僕は僕であいつと話してみるよ」
アルディスの場合は自分という話し相手がいることによって、尚更考え込んでしまうこともあるだろう。彼の心を落ち着かせるためにも、ひとりにしてやった方が良い。そう考えたエリックは話をここで終わらせることにした。
そんなエリックの思いを汲み取ったのか、アルディスは一瞬目を泳がせた後、ためらいがちに口を開いた。
「あのさ……ポプリさんもだけど、あの人も多分、戦闘馴れしてるから。ルネリアルまで送ってもらえないか、交渉してみると良いよ。申し訳ないけれどこんな状態の俺じゃ、君たちの安全を保証できない……」
この期に及んで、自分自身よりもエリックとマルーシャの心配をしてきた。どうしようもないお人好しだなぁとエリックは頭痛に耐えるかのように額を押さえた。
「あのな、僕らを守ろうとしてくれた結果がそれなんだ。頼むから、気にするな……ただ、いい加減帰らないと問題が起こりかねない。悪いが、その案で行かせてもらう」
「……うん」
「本当に、気にするんじゃない。今は、身体を治すことに集中してくれ……じゃあ、僕はこれで、失礼するよ」
そう言ってエリックがテントから出る瞬間にアルディスが「ごめん」と言うのが聴こえたが、これに返事をすればまた話が続きかねない。
少々の罪悪感を覚えつつ、エリックはあえてアルディスの言葉を聴かなかった振りをしてテントを出た。
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「少し、話し込んでいたようですね。アルの様子はどうでしたか?」
「ん? ああ、良くは……ない、だろうな。ところで……」
アルディスの容態について話すついでに彼の提案に乗り、エリックは自分達の身分やこうなった経緯などは伏せた状態で「ルネリアルまで護衛して欲しい」という話をポプリとジャンクに持ち掛けた。だが、身分も経緯も話さない、となると怪しげな話と化してしまうことは避けられない。ただでさえエリックのことを恐れていたジャンクは口元に左手を当て、考え込んでしまった。
「そ、その……! あんまり事情話せなくて、ごめん……でも、わたしたち……」
このままでは良くない、と考えたマルーシャがエリックの後を継ぐ形で口を開く。だが、信用して欲しくてもこれ以上は何も言えない。二人の事情を知るディアナも、当然ながら何も口出しできずにいた。彼が護衛として同行できるのが一番良いのだろうが、種族柄それは難しいだろう。エリックやマルーシャ、ポプリやジャンクのように、
そんな中、ポプリは悩むエリック達の顔を見回した後、ジャンクの方へと向き直って口を開いた。
「先生……あたし、ね。エリック君と、ディアナ君に、助けられたの。だから、恩返しって意味合いも兼ねて、このお願いに答えたい」
「! ポプリ……」
正気か、とでも言いたげな表情でジャンクはポプリを見ている。彼の中では拒否しようという意志が大きかったのだろう。普通に考えれば、明らかに怪しい話を回避しようとするジャンクの判断が正しい。しかし、ポプリは「大丈夫だから」と言って引き下がらなかった。
「先生がどうしても嫌なら、あたし一人で行くわ」
「そ、そういうわけには……!」
「じゃあ、一緒に来てくれるの?」
かなり強い押しだった。ジャンクは「う……」と小さく声を漏らした後、溜め息を吐いて「分かりましたよ」と肩を竦めてみせた。
「ただし、アルとディアナを一旦ここに置いて行くぞ。どちらも色んな意味で危険すぎる。これに関しては、言うことを聞いてもらう」
「強引に決めさせたみたいな形になって、悪いな……条件の方も、問題ないよ。ディアナ、アルを頼むな」
「……任せろ。気をつけて帰れよ」
「よし、そうと決まれば……計画だけはしておこうか。僕にはよく分かりませんが、ただならぬ事情があるようですし、ね」
計画はしっかりと立てておくべきだ、というジャンクの主張によって、エリック達は「出発はいつにするか」、「ルートはどうするか、速度重視か安全重視か」、「ルネリアルのどの辺りまで護衛しようか」などということを念入りに話し合った。
出発は明日の早朝、この時間帯なら魔物はそう出てこない。速度重視のルートで行こう、ルネリアルの中心商店街までの護衛を行う……など、全てがしっかりまとまる頃にはすっかり日が落ちてしまっていた。
この話し合いを優先したせいで五人全員温泉に入り損ねたのだが、これは大した問題ではない。夜空を見上げながら温まるのも悪くないだろうと、適当に順番を決めて入浴することとなった――のだが。
「ディアナが帰ってこないな……」
「ですね、もう二時間くらい経つな」
温泉には女性陣から一人ずつ順番に入っていき、エリック、ディアナと順番を回していったのだが、ディアナが何故か戻ってこない。結果、ジャンクがいつまでも温泉に入れずにいる。
湯冷めしないように焚き火を前に温まるエリックの正面に座ったジャンクは「待つから構わない」と苦笑しながら言うものの、ここまで長いとのぼせて倒れてしまっているのではないか、道中で事件に巻き込まれたのではないか、などと不安要素が出てくる。いつまでも汗の流せないジャンクも不憫だ。そう思い、エリックは立ち上がった。
「ちょっと見てくる」
「え、あ……や、やめた方が……」
「いやいや、そういうわけにもいかないだろ? 何か事件かも知れない。見てくるから、待っててくれ」
「駄目です、待ってくださ――」
待ってください、と言いかけたジャンクは途中で言葉を切ってしまった。エリックの気配が無くなったことに気付いたのだ。彼は「ははは」と乾いた笑い声を上げ、額を押さえた。
「困ったな……僕まで行くわけにはいかないし……仕方ない、成り行きに任せますか……」
▼
「ディアナ……?」
温泉は、茂みをしばらく抜けた先にあった。無造作に転がされた岩の中心から、湯気が立ち上っている。その岩の一つに、湯に浸かったまま俯せにもたれ掛かっているディアナの姿があった。
「!? ……って、なんだ、寝てるだけか……」
一瞬、何事かと思ったのだが、どうやら眠っているだけらしい。単純に疲れているだけかと安堵しつつ、エリックはディアナの頭に手を伸ばした。
「おい、起きろ。風邪引くぞ」
「ん……」
湯に色が付いていることと、ディアナの姿勢の関係で顔と背中の上辺りしか見えないのだが、月明かりに照らされた白い肌はほんのりと赤く染まっていた。
どのような構造になっているのかは知らないが、いつも彼の背にある翼はどこにもない。だからこそ、細い華奢な身体には小さな傷がいくつも刻まれていることがよく分かった。どれも完治して薄くなってはいたが、それでも彼の小柄な体格故にやけに際立って感じられる――否、それ以上に目立つものが、彼の首筋に残されていた。
(え……?)
そこにあったのは、直径一センチ弱ほどの、円状の火傷痕。それらは何十個と、何十回と、ディアナの白く細い首筋に“押されていた”。
「……」
「……? な……に……?」
思わず言葉を失い、そのあまりにも痛々しい痕を見つめていたエリックと、そんなエリックを寝ぼけ眼で見上げたディアナの目が合う。そのまま、数秒程度ではあったものの、時が流れた。
「!?」
「ディアナ?」
完全に目が覚めたのだろう。ディアナは顔を真っ赤にしてバシャン、と勢いよく湯に首から下を沈めた。そんな彼の行動を不審に思い、エリックはディアナへと手を伸ばす――その時だった!
「やっ、やあぁあああぁあっ! 近寄らないで! 来ないで!!」
「ぶっ!?」
突然ディアナが甲高い悲鳴を上げたかと思うと、エリックに向かってバッシャバッシャと大量のお湯をかけたのだ。予想外の出来事に動転したエリックはバランスを崩し、後ろ向きに派手に転んでしまった。
「な、何だよ! お前は女子か!!」
「!? あ、あ、え、えと、その! す、すまない! 寝ていたのも、湯をかけたのも謝る!!」
「ああ、うん……まあ、僕も、驚かせて悪かったよ……」
謝るとともにエリックは身体を起こしてディアナを見る。ディアナは、目から下を湯に沈めてしまっていた。それでも、彼が顔を真っ赤にしているのがよく分かった。
ジャンクが渋ったのはそういうことだったのかと、全身ずぶ濡れになってしまったエリックは、申し訳ないことをしてしまったなと目を泳がせる。
(どれだけ嫌なんだよ……でも叫ぶなよ、ちょっと傷付いたじゃないか……)
パシャリ、と音がした。見ると、ディアナが先ほどと同じように、岩にもたれ掛かってエリックを見上げている。
「エリック……悪いんだけど……帰ってくれ。すぐ、出るから……」
「え……」
自信無さ気な、弱々しい声が響く。いつもとはあまりにも違う、その態度にエリックは思わず狼狽えてしまった。そのエリックの反応を、ディアナがどう取ったのかは分からない。しかし、あまり良くない方向に捉えたらしいことは確かだった。
「あ、の……そ、その……き、傷が……」
「傷?」
「胸に、酷い傷があって。誰にも、見られたく、ないんだ……だ、だから……」
傷を見られたくない。その気持ちは、エリックにも理解できた。エリックは苦笑し、ディアナの濡れた髪を軽くポンポンと叩いた。
「分かった。戻るから、早く帰ってこいよ」
服の裾を絞りながら、エリックは踵を返す。ちゃぽん、と湯が跳ねる音と共に「ごめんなさい」と弱々しく謝るディアナの声がした。その声はやけに重く、暗い物。その声に驚いたエリックが振り返ると、彼は再び湯に沈んでしまっていた。
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戻って来たエリックの気配を察知したのか、ジャンクは小さく「帰ってきましたね……」と呟いた。何とも言えない、複雑そうな表情をしている。
彼はしばらく悩んで必死に言葉を選んだ後、おずおずと口を開いた。
「お前……その、見たか……?」
「傷がある、という話は聞いたが、見てない……知ってたなら、頼むから、ちゃんと止めてくれよ……可哀想だろ……」
「傷? ま、まあ、見てないということは分かったが……僕は止めたじゃないですか……タオルどうぞ」
反応を見る限り、ジャンクはやはり知っていたのだろう。追求したくはなったが、ディアナの立場としては、あまり公にはして欲しくない話題の筈だ。ここは自分が引き下がるべきだろうとエリックは特に何も言わず、丸太に座って差し出れたタオルで湯の滴る髪を吹いた。そんな時、ガサガサと背後で茂みの揺れる音がした。
「……ごめんなさい」
振り返るまでもなく、ディアナだった。彼の背中の翼が風を起こしているらしく、微かに炎を揺らしている。
「いや、良いって良いって。じゃあジャンク、行ってこいよ」
「そうですね、では」
適当に荷物を持って、ジャンクは温泉へと向かっていく。その途中で彼はディアナに何かを耳打ちしたようだが、エリックには何も聞こえなかった。
▼
(寒……っ!!)
そして数分後。完全に湯冷めしてしまった上にずっと濡れた服を着ていた、エリックの身体は酷く冷え切っていた。ぶるりと身体を震わせ、彼は薪を焚き火の中に放り投げる。
同じように湯冷めされると困るので、ディアナにはテントに戻るように言っておいた。彼は今頃、マルーシャやポプリと話でもしている頃だろう。
(何というか、それでも違和感ないから怖いよな、アイツ)
テントはポプリが持っていたものとジャンクが持っていたものの二つがあり、当然ながら男性陣と女性陣が別れて使うことになった。しかし、男女比率に偏りがある上に四人でテントを使うのは厳しい為、男性四人の中で一番無害そうだからという理由でディアナが女性陣側のテントで寝ることとなったのだ。これを主張したのはジャンクだったのだが、アルディスのことを知っているからこその判断なのだろうということは深く考えずとも理解できた。
現状、一番無害なのはむしろ、ろくに身動きが取れないアルディスだ。ただ、彼には女性陣側に行けない理由がある。それを、ジャンクは知っていたに違いない。
ジャンクはどこまで事情を知っているのだろう。ポプリ対策として話を合わせるためにも、情報共有も必要だ。今風呂に行けば確実に二人きりで話すことができるし、ついでに温泉に入りなおすこともできるだろう。丁度いいとエリックは立ち上がり、温泉へと向かった。
――その結果、まさかまた湯を被ることになるとは、彼思わなかったことだろう……。
「……」
「え、えーと……」
しとしとと髪から湯を滴らせるエリックが見つめる先には、何故か頭から肩までを隠すようにタオルを垂らしたジャンクの姿。シスターが被るベールを思わせるそれが気になりはしたが、エリックはあえてそこには触れず叫んだ。
「お前もかよ! 揃いも揃って女子か!!」
「悪かった! つい、反射的に……」
そう言って謝るジャンクは眼鏡が無いと、随分と印象が変わる容姿の持ち主だった。幼さと中性的な雰囲気が強調されている。エリックやアルディスと同い年だ、と言っても疑われないかもしれない。そんな容姿のせいか、何となく弱いものいじめをしている気分になってしまったエリックは溜め息混じりに口を開いた。
「まあ、良いけどな。その、一緒に入って良いか? 冷えたんだ……寒い……」
「そうでしょうね。構いませんよ……ただ、僕より先に出てくれ」
ぱしゃん、と湯を跳ねさせ、ジャンクは困ったように口元に左手を当てた。その手首に、何かで強く締め付けられたような、そんな痕が見える。何をどうすればそのような痕が残るというのか。明らかに異様な痕を見てしまったエリックは、思わず眉をひそめてしまった。
(あー……こいつも傷跡持ちか。見られたくないって奴だろうな……何だ、“全員”似た者同士ってことか)
そこそこ温泉は広いというのに、男女共に一人ずつの入浴という話になったことに対し、誰も異議を唱えなかった。それは、エリックやマルーシャも同じだった――皆、人には見せられない“何か”があると言うことなのだろう。マルーシャは知らないが、少なくともエリックにはあった。
人の事情に口を出さないほうが良いと判断したエリックは痕には特に何も言わず、チョーカーに手を掛けた。
「別に良いさ、それくらい。僕も、身体温めるだけだし……あ、その前に」
チョーカーを外す前にエリックはジャンクに話し掛けた。これだけはもう一度確認しておかなければ、とエリックは思った。
「お前は透視干渉能力者で、だからこそ目を閉じたまま生活できてるって言うのは聞いたんだが……それでも、僕のことは全く、視えないんだよ、な?」
エリックは王子である事を伏せているうえに、彼にも“見られたくないもの”がある。
ジャンクの返答によっては、対応を変える必要があると考えたのだ。
その問いに、ジャンクは「僕も聞きたかったんです」と返してきた。
「はい。不思議で仕方がありません。お前は一体、何の能力者なんだ……?」
「その……それなんだが、僕は未覚醒なんだ。医者としてのお前に問いたいんだが、十八で未覚醒ってどうなんだ?」
エリックの言葉に、ジャンクは驚いたのか「え?」と小さく声を漏らした。その時点で「十八で未覚醒は異常なことだ」と言っているようなものである。エリックはズキン、と胸が痛んだような気がした。
そんなエリックの心境を察したのだろう。ジャンクは再び少し考え込み、言葉を選んでから口を開く。
「ただ、拒絶系だとは思います。それも、未覚醒段階でここまでの効力を有するのなら、間違いなくポプリより強いものだ。だからこそ、覚醒が遅いのかもしれないな」
「……」
「見ての通り、僕は裸眼では生活していません。もう十年以上続けているから慣れたもんだが……これができるくらいには、僕は高度な能力者であると自負しています。今まで、拒絶系能力者の姿が視えなかったことはありません」
エリックはチョーカーを外し、服を脱いでから温泉に浸かった。先ほど入ってからかなり時間が経過しているが、湯が冷める気配は無い。エリックが湯に入ったことに気付いたのだろう。ジャンクはスペースを確保するために少し下がって後ろの岩に背をぴったりと付けた。
「あのさ、裸眼で生活しようとは思わないのか? 一応は、見えるんだろ?」
そう問うと、ジャンクは無言で首を横に振った。聞かないで欲しい、ということなのだろう。エリック自身、答えてもらえるとは思っていなかったが、その後に続いた沈黙が少し、気まずく感じられた。
「すみません。その、覚醒云々で思ったことなんだが、お前……あの娘、マルーシャだったか? とは長い付き合いなのか?」
「え? 十年の付き合い……に、なるのか。どうした?」
会話が途切れたタイミングを狙って、話題を出してきたのは意外にもジャンクであった。しかも、この場で出てくるとは思えない人物の話題である。一体何が目的なのだろうかと思いつつ、エリックは質問に答えた。
「なら、彼女の覚醒年齢は分かりますか?」
「……七歳、だが。どうした?」
「やっぱりか……早すぎる」
「! な、何だよ! 普通より早いのは知っていたが、そんな深刻そうな……っ」
話題となっている人間が人間であるだけに、ジャンクが言葉に詰まっている様子にしびれを切らしたエリックが叫ぶ。その声を聞いたジャンクはびくりと肩を揺らした後、おもむろに頭を振ってから口を開いた。
「……。マルーシャにあまり能力を使わせるな。死んでしまいますよ」
――それはあまりにも、あっさりと言い放たれた。
「え……!?」
「彼女は……そうだな、機械でいう“制御装置”と言えば分かりやすいか? とにかく、そんな働きをする能力が無いのですよ。普通は、命に関わる量の魔力を使おうとすると、身体が拒絶反応を起こす。というか使えないんだ、普通はな……だが、彼女は違う」
混乱するエリックに対し、ジャンクは冷静に言葉を紡いでいく。彼の説明はエリックに分かりやすいようにざっくりとしたものであったが、それでも事の深刻さは嫌というほど伝わってきた。震えそうになる声を何とか押さえ込み、エリックは口を開く。
「……やろうと思えば、自分が死ぬまで誰かを癒すことができるの、か」
「はい……彼女はいざというときは無理をしてでも能力を使いそうだ、と判断したので忠告させていただきました。彼女の無理は、はっきり言わせてもらうと危険過ぎる」
要するに、マルーシャは自らを脅かす可能性を秘めた、そのような能力に目覚めてしまったということだ。黙り込んでしまったエリックに「早期覚醒でなければ、こうはならなかったのですが」とジャンクは話し、再び頭を振るう。
「……」
エリックの姿は視えていないという話ではあったが、何となく雰囲気で察しているのだろう。ジャンクは、躊躇いがちに口を開いた。
「七歳の時に、何かしらあったんだろ。そうじゃなきゃ、覚醒したりしません」
「!?」
戸惑うエリックに「事情は聞かないし、絶対に視ないよ」とジャンクは目を伏せる。そうでなくとも彼は薄々、勘付いているらしい。それを悟ったエリックはぐっと歯を噛み締めた。
「だからエリック。マルーシャが能力を使い過ぎないように、気をつけろ」
「……分かった」
わざと大きな水音を立て、エリックは立ち上がった。水滴が水面に落ち、いくつもの波紋を描く。
「じゃあ、テントで待ってるよ」
ジャンクの反応を待たずにチョーカーを身に付け、衣服を纏う。その様子を見られているのには気付いていたが、注意して観察してみると顔の向きが微妙に合っていない。物音を追っているだけなのだろう。
(僕が視えないってのは、本当らしいな)
それを幸いに思いつつ、エリックは茂みへ向かって歩いた。すぐに、テントに戻る気は無い。今は、一人になりたいと思った。
「……」
湯上りの身体が外気にさらされ、一気に熱が奪われる。わざわざ二度も温泉に入ったのに、意味が無いなとエリックは自嘲的に笑った。
半乾きの髪は夜風に流されることなく肌に貼り付き、残った雫が流れていく。伝う雫を微かに震える指で拭い取り、エリックは自身の左首筋に指を這わした。
「ごめん、マルーシャ……」
―――― To be continued.