テイルズ オブ フェータリアン ー希望を紡ぎ出すRPGー 作:逢月
「……アルの奴、どうしたんだろうな」
眠り続けるポプリを横目で見つつ、エリックは小声でそう呟いた。
それは特に誰かに当てた質問では無かったが、マルーシャもディアナも考えることは一緒だったのだろう。彼女らはエリック同様にポプリを見た後、それぞれが思うことを話し始めた。
「まあ、初対面の相手に怯えてる……ってことは無いよね。どう考えたって、面識はあるよね」
「それは間違いないだろうな。ただ、オレは正直アルのことを知らなさすぎて判断が難しいんだが……何か、思い当たることはあるのか?」
「あ、ああ……そっか……ディアナって、アルディスに会ってまだ数時間しか経ってないんだよね……」
あのアルディスと普通に会話が出来ているため、何だか変に勘違いしてしまう。マルーシャから見ると、ディアナとアルディスの関係性はとにかく不思議なものであった。
とはいえ最初こそ疑ってしまったものの、彼の言い回しやこれまでの会話からして元々彼らに面識があるとは思えない。恐らくこれは、アルディス側の問題なのだろう。
アルディスとディアナは、結局のところ初対面に等しい関係。本人も分かっているようだが、今回の件においてディアナの意見はあまり当てにならない。マルーシャとエリックで話し合うしかなさそうだ。
「攻撃的になる、というよりは怯えてたのが引っかかるんだよな……となると、何かされたのかって考えるのが普通だけどな」
「うん、アルディスの場合は逆に何かしちゃった可能性もあるから、ちょっと分かんないんだよね……」
しかし、考えている内容が全く一緒だったようだ。これは駄目だ、意見なんて出るはずが無い、と二人は苦笑してディアナを見る。
「ああ、事情は知らんが、話し合いで結論を出そうなんて馬鹿げたことをするのはもう止めるべきだろう。それだけは理解できた」
「とりあえず……ポプリの前でアルの話題を出すことは極力避けようか。名前呼ぶにしても愛称で呼ぶことにしよう。特にマルーシャ、君はこれ気を付けろよ」
エリックがわざわざマルーシャを名指しで注意したのには理由がある。彼女は絶対にアルディスを『アル』という愛称で呼ぼうとしないからだ。
彼女自身も自覚があったのか、すぐに「うん、分かった」というはっきりとした言葉が返ってきた。
「アル……アル……慣れないや。えへへ、心配だから極力話さないようにしとくね」
「分かった、僕も極力話題を降らないようにする」
「……」
このやり取りを聞いたディアナはしばしの間考え込み、そして口を開いた。
「エリックは彼を……アルを『アルディス』とは呼ばないんだな」
「!」
マルーシャとは逆で、エリックはアルディスを必ず愛称の『アル』と呼んでいる。
単純に仲が良いからという理由なのかもしれないが、何となく違う理由があるのではないかとディアナは思ったのだ。
「……。質問を質問で返そうか。お前は、隣国の……“フェルリオの英知”と呼ばれたフェルリオ帝国第一皇子の
そして案の定、そこに込められた理由はそんな可愛らしいものではなかったようだ。
「! え、エリック……! 駄目だよ、落ち着いて……!」
「大丈夫だよ、君が思ってるよりは落ち着いてる……多分、な」
エリックは必死に誤魔化そうとしたようだが、全く隠しきれていない。それどころか、慌ててマルーシャが声を掛けてしまうほどに剥き出しの状態だった。
「なんとなく、そうじゃないかとは……思っていたよ」
悲しみの中に混じる、憎みや怒り、妬み……エリックの顔に現れたのは、否定のしようがない負の感情。それはディアナには到底、見逃せないものであった。
フェルリオ帝国第一皇子。彼の正式名称は――アルディス=ノア=フェルリオ。
天才的な魔術の能力を持つがゆえに皇子でありながら、しかも八才という若さで戦場に立ち、ラドクリフ王国騎士団の半数を壊滅状態に追い込んだ少年。
生きていれば、エリックと同じ十八歳である。しかし彼は、大戦後に行方不明となっている。遺体は見つかっておらず、彼の生死は未だに分かっていない。
だが、そんな行方のしれない皇子の存在が。エリックの心に深い闇を残していることは確実だった。
「顔を見たことも無いし、同い年で、魔術が得意だったってことしか知らない……ただ、さ。戦場に立つどころか普通に生活することすら怪しかった僕とは全然違うなって、感じてた。実際、父上は何かと僕とノア皇子と比較した……」
エリックは必死だった。叫びたいほどの感情が、彼の中で渦巻いていること誰の目からも明らかだった。
あまりにも痛々しい彼の姿を目の当たりにしたディアナは静かに首を横に振るい、「もう良い、悪かった」と言って視線を下に落とす。
それに対し、エリックは咄嗟に取り繕ったような、歪な笑みを浮かべてみせた。
「悪い……この話題だけは極力、僕に降らないでくれ」
「……ああ」
こんな状態だ。敵国の皇子と同じ名前を持つ親友を、そのままの名前で呼べるはずが無い。
むしろ、まだ『クロード』と姓で呼んでいないだけ良いのかもしれないとディアナは思った。
ただ、ディアナとしてはこの状況に嫌悪感に近い何かを感じざるを得なかった。この感情をどう隠そうかと、再び考え込むディアナの青い瞳をマルーシャが覗き込む。
「ね、ねえ、ディアナ……」
何かを言いたそうである。ひょっとしてこちらもノア皇子の話が駄目なのだろうかとディアナは眉をひそめつつも、なるべく辛くあたってしまわないように注意しながら口を開いた。
「マルーシャも、済まなかったな。不快な思いをさせてしまったか?」
「いや、そうじゃなくって……何となく、そうじゃないかなって、思ってたけど……ディアナ、エリックのこと、知って……」
「ん? あ、ああ……その件か。必然的にあなたのことも大体察しがついているよ。ただ、今は話さない方が良いかもしれない」
「え……?」
ちょいちょい、とディアナは指でポプリの方を見るように促した。一見、何の代わりもないように見える。だが、変化はすぐに訪れた。
「……っ、うぅ……」
小さくうめき声を上げ、ポプリが橙色の瞳を開いたのだ。確かに、今はあの話の続きをしないほうが良いだろう。
ディアナは
「目が覚めたか?」
翼を動かし、宙に浮かび上がったディアナはそのままポプリの横へと飛んでいく。その後を、エリックとマルーシャも追った。
「あ、あたし……ええと、ここ、は……」
「ゆっくりで良いよ。まずは落ち着いて、ね?」
身体を起こし、混乱して辺りを見回すポプリに優しく話しかけ、マルーシャは黄緑色の瞳を細めて微笑んでみせた。
「あなたは……知らない子、ね。でも、エリック君とディアナ君がいるってことは、二人のお友達かしら? ありがとう、また助けられちゃったわね」
「助けられたのは僕の方でもあるけどな。身体はもう大丈夫か?」
「ええ、ありがとう。もう大丈夫よ」
そう言って微笑むポプリの顔色はかなり良くなっていた。これなら心配ないだろうと安堵するエリックの方に身体ごと向き直り、ポプリはマルーシャに視線を向けて口を開いた。
「改めて挨拶するわね、あたしはポプリ。ポプリ=ノアハーツよ。魔物に追いかけられてたところを、エリック君とディアナ君に助けてもらったの」
「うーん、危なかったんだね……あ、わたしはマルーシャっていいます。よろしくね、ポプリ」
よろしくね、と軽く小首を傾げた彼女の癖のある桜色の髪が流れた。見たところ、人畜無害そうで優しげな娘である。
どうしてもアルディスが彼女に怯えた理由が気になってしまうが、こればかりはアルディス本人に聞かなければ分からないことだろう――本人が、話してくれるかどうかは分からないが。
「あ、そうそう……ディアナ“君”で良いの? 喋り方で判断したんだけど……」
「そうだ、それで良い。喋り方だけで判断してくれ。他は見るな。声の高さとか顔とか体格とか見るな」
「ぷっ、うふふ……」
「おい!」
ディアナと会話するポプリは心から楽そうに笑っている。やはり、ごく普通の娘にしか見えない。マルーシャはエリックと顔を見合わせ、首を傾げる。
そんな二人の様子を、二人の心境など知らないポプリは微笑ましそうに眺めていた。
「仲良し? 若いって良いわね」
「えっ!? い、いや、そ、その……っ」
「あっ、お、幼馴染、だよ! ていうかポプリ、絶対わたし達とそんなに歳変わらないじゃん!」
うふふ、とポプリが笑う。一体どのような関係だと思われたのだろうかとエリックとマルーシャは双方同時に顔を赤らめ、狼狽えた。
「エリック君に、マルーシャちゃん、か……やっぱりラドクリフでも付けちゃうのね、王族関係者のお名前。未来の国王様と王妃様と同じ名前の子が仲良さそうにしてるとこ見るの、なんだか面白いわね」
「あ、あー……ああ……?」
「そ、そそ、そう、だね……?」
本人です――とは、流石に言えない。ただでさえ狼狽えていたエリックとマルーシャは何とも言えない奇妙な返事を返してしまった。
だが、だからといって怪しまれるような返事をしてしまっては意味がないだろう。ポプリがきょとんとした顔で二人を見ている。
「? うーん、どうしたのかしら? でも、エリックって格好良いお名前よね。意味は『永劫の精鋭』だったかしら。マルーシャはラドクリフ王国の国花『マーシェルリリー』が由来のお名前だったかな。ラドクリフ王家らしくて、綺麗なお名前だなって思うの」
「つまりこの国、精鋭と国花が大勢いるんだな」
そうね、とポプリがディアナの言葉をはっきり肯定するのを聞き、エリックとマルーシャは思わず視線を泳がせた。
確かに脱走した際に同名の人物に遭遇したことはあったが、まさかそんなことになっているとは。外に出て偽名を使わずに済むという意味においては便利だと考えられるが、何とも言えない心境になってしまった。
「あら……今気付いたけど、ディアナ君は
「……。さらっと種族の件を流してくれてありがとう、寝込み襲ったりしないと信じて良いのかな? まあ、そうだな……あっちはノア殿下と同じ名前の者が男女問わずあちらこちらに」
「信じて? ……うん、それにしても。男女問わずって面白いわね。元々お花の名前だものね、女性名だもの、ね……」
アルディス、はフェルリオの国花『アルジオラス』を由来とする名前であり、月明かりを思わせる美しい白金や白銀色の花を付けることから、
(王族と同じ名前、か……アルディスって付けられた男が苦労するのは理解しているが、僕と同じ名前を付けられた奴ら……何か、思うことがあったりするんだろうな)
アベル王子と、ノア皇子。名前の意味も、シックザール大戦における活躍も、あまりにも対照的な二人。
せめて、自分と同じ
▼
――その頃。
「まだ……っ、終わらないのか……!?」
薙刀を握り締め、アルディスは酷い腹部の痛みに奥歯を噛み締めた。洞窟から離れた彼の周りには、夜行性の血に飢えた魔物、ウルフが複数寄って来ている。
ウルフはボアよりも小柄で耐久力は無いが、凶暴的で俊敏、さらには群れを作って標的に襲い掛かるという知恵を持つ危険な種である。アルディスの傭兵としての仕事のうち、約半数を占めるのがこのウルフ討伐であった。
だからこそ、アルディスはウルフの弱点も、自分がどう立ち回ればさっさと片付けられるかもよく理解していた。理解していたのだが、今の彼の身体はそう簡単に動いてはくれなかった。
(一体、どれだけ湧いてくるんだ……!)
ウルフは鼻が良い。アルディスが流す血の臭いを嗅ぎ分けてここまでやってきたのだろう。
アルディスは既に何頭ものウルフを倒しているというのに、茂みから次々と新たなウルフが飛び出してくる。
辛うじてウルフに深手を負わされることはなかったが、腹部の血は止まらない。視界はかすみ、呼吸はどんどん荒くなっていく。
「アサルトバレット!」
なるべく距離を縮められる前に終わらせるために、アルディスは銃撃をメインにウルフ達を片付けていた。距離を縮められれば、どこから飛び掛ってくるか分からない。それは厄介だった。
しかし、ウルフの数が減らない以上、それだけでは戦っていられないのが現状で。一頭のウルフを消滅させると同時、アルディスは薙刀を手に踵を返して駆け出した。
「
薙刀を斜めに振り上げ、目の前にいた複数のウルフ達を斬り上げ、そのまま地を蹴って彼らの自由が効かない空中での連続斬りへと繋げていく。ウルフ達は断末魔のような鳴き声を上げ、次々と魔力の粒となって空気中に散っていった。
近くにいたウルフ達を全て消し去り、アルディスはそのまま地面に着地する――その瞬間、ガクンと力が抜け、大きくバランスを崩した彼はその場に膝を付いてしまった。
「っ!?」
力が入らない。立ち上がれない! いくら何でも無理をして動き過ぎた、血を流し過ぎたのだと彼が理解するよりも先に、一頭のウルフが身動きの取れないアルディスに向かって飛びかかってきた!
「くっ、くそ……っ!! ッ、あぁああぁ!!!」
避けようとしたが、上手く動けない。左足を軸に立ち上がろうとしてふらついたアルディスの左腕に激痛が走る。見ると、先程のウルフがそこに深々と牙を突き立てていた。ゴリゴリと、骨が削れる嫌な音がする。意識が飛びそうなほどの痛みに耐え、アルディスはそのウルフの脳天にナイフを勢いよく突き立てた。
「ぐ、あ……っ、う……ッ、痛……うぅ……」
ウルフは消えたが、負った傷は当然ながら残っている。傷口からは血が吹き出し、アルディスの意識をより一層不明瞭なものへと変えていく――しかも、左腕はもう、まともに使えそうもない。ウルフは、まだ残っている。
このあまりにも絶望的な状況の中、アルディスは右手で握り締めた薙刀を杖代わりにしてふらりと立ち上がり、薙刀の切っ先を地面に突き刺して奥歯を強く噛み締めた。
「魔物なんかに負けてたまるか……っ、せめて、せめて……っ! お前らだけは、まとめて消してやるッ!! 威風堂々、不滅の闘魂! ――ファランクス!」
一瞬だけ浮かび上がった黄金の魔法陣。それはアルディスの周囲に複数の光の輪を生み出し、彼の身体に溶け込む形で消えた。
アルディスは防御壁を生み出したわけではない。襲い掛かるウルフ達に対して彼は完全に無防備な状態と化していた。
彼の足を、腹を、ウルフ達の鋭い牙が襲う。それは、これまでとは比にならないほどの激痛であったが、アルディスは倒れることなくそこに立ち続けた。
「ッ! ――天光、其は不浄の闇を祓いし破邪の調べ。断罪者たる神の声に応え、彼の者達に咎の烙印を刻め! 爆ぜよ!」
地面に突き立てた薙刀を中心にアルディスの足元に浮かび上がるのは、黄色の魔法陣。複雑な紋様を描くそれは、紛れもなく上級魔術の陣であった。冷や汗を流し、身体のいたるところから血を流したまま、アルディスはその術の名を叫んだ!
「レトリビューション!」
刹那、地面に巨大な魔法陣が展開され、ウルフ達を照らすように天から強い光が降り注ぎ――地響きがするほどの大きな爆音を立てて、魔法陣が爆ぜた。
「ぐうっ、あ……っが……ッ、ごほっごほっ、かは……っ」
ウルフ達は皆、消え去った。アルディスはその場にうつ伏せに倒れ、右の二の腕を押さえて身体を酷く震わせていた。咳き込んだその口からは、唾液の混じった粘り気のある血が流れていく。
「はっ、はぁ……っ、うぅ……っ、ごほっ、ごほごほ……っ!」
もはやどこが痛むのかが分からないほどの激痛と、血が喉の奥から込み上げてくる苦しさのせいで、冷や汗が止まらない。しかし、こんなところで寝ていては、間違いなく次の魔物が現れるだろう。
動かなければ、とアルディスは身体を起こそうとするが、今度こそ彼の身体は限界を迎えていたようだ。もう、どこもろくに動かせない。意識を保っているだけで、精一杯だった。
痛い、苦しい――ギリギリと、アルディスは奥歯を噛み締める。
「ぐ、う……ッ、つ、う……」
生理的な涙で、視界が滲む。右の二の腕を押さえたまま、アルディスは何とかしてこの状況を乗り越えなければと考える。だが、何も浮かばない。
異変に気付いたエリック達が探しに来てくれるかもしれないが、それはそれで良くないことになりそうだ。むしろ、最悪の事態さえ想定される。焦りを見せるアルディスの耳に、透き通った鈴の音が入ってきた。
(え……?)
りん、りん、ちりん、という聴き覚えの無い音。集中して聞き耳を立てていると、その鈴の音はこちらに近付いて来ていることが分かる。
逃げなければ、と考えるが身体が動かない。そうしている間に、ガサガサと茂みを掻き分け、鈴の音の持ち主がアルディスの目の前に現れた。
「爆発音がしたから、来てみれば……これは、酷いな……」
「……っ!?」
少し高めの、それでいて大人びた色気のある声と共に現れたのは、清潔感のある短めの空色の髪に、若干ではあるが装飾の施された改造白衣を身に纏った眼鏡の青年だった。
鈴は、白衣に付けられた小さな十字のブローチから伸びる、細い鎖の先で静かに揺れている。
身長はエリックよりも高いがかなり細身で、あまり戦いに向いていなさそうな青年である。その落ち着いた雰囲気からして歳は、ポプリよりも少し上くらいだろうか。
シンプルな眼鏡の下の両目は閉ざされているが、彼は真っ直ぐにこちらに向かって歩いてくる。
恐らくはダークネスと同じ
緑色のシャツの上にくるように腰に巻かれた黒い布には青い刺繍が入っている――それはどこか、黒衣の龍の軍服を思わせる色合いをしていた。
「爆発を起こしたのはお前か? 酷い怪我をしているな、魔物に襲われたのですね」
「ッ、来るな、近寄るな……!」
どう考えても、怪しすぎる。しかもこの男、下位精霊を周囲に従えている――間違いなく、
空色の短い髪に、細身の長身。さらには
アルディスは逃げることが叶わないのなら、と拳銃を握り締める。そんな彼を一切恐れることなく、青年は呑気に歩み寄ってきた。
「意識はあるが身体が動かない、といったところか。ただ、どうして魔力欠乏を起こしているのか理解できませんね……傷口からして、襲ってきたのはウルフだろ? ウルフ種に魔力を奪う力を持った奴なんていましたっけ……?」
敬語を使うのか使わないのかが全くはっきりしない変な喋り方をする青年だった。彼はアルディスの真横でしゃがみ込み、何かに悩んでいるかのように口元に手を当てている。
「まあ、応急処置程度の気休めですが、無いよりは良いでしょう。あまり、見せない方が良いような気はするのですが……今回は仕方ないよな」
本当に悩んでいたようだが、結論を出したらしい。青年は困ったように笑い、鈴を媒介にして自身の真下に白い魔法陣を展開させた。彼の動きに合わせ、鈴が清らかな音色を奏でている。
「紡ぎしは泡沫の祈り。癒しの光、此処に来たれ――ファーストエイド」
「……え?」
発動したのは、先ほどマルーシャが発動したものと同じ、ファーストエイド。詠唱は圧倒的にマルーシャのものの方が短いが、それでも完全な治癒術であった――通常は救済系能力者にしか使えないはずの、治癒術。
「あ、あなたは……
「ええ、
青年はアルディスの問いを雑にはぐらかし、今度は精霊術を発動させた。魔法陣の色からして光属性なのは間違いない。
青年の詠唱に合わせて彼の傍に寄ってきていた光属性の下位精霊達はアルディスの傍へと移動し、金色の輝きを持つ光の粉を振り撒いた。
「! これは……」
「光属性の魔力を補給させて頂きました。どうしてそんなに一気に魔力をすり減らしていたのかは知らないが……」
驚くアルディスに青年は「少しは楽になったか?」と微笑み掛けてみせる。
少々浮世離れしたかのような妙な雰囲気をまとってはいるものの、裏があるようには思えない。とはいえ、不必要に関わるのは避けたいなとアルディスが考えていた、そんな時であった。
「うーん……気になるな、ちょっとお前の身体を調べても良いですか?」
「はあっ!?」
「というより、僕の能力では傷を治すのにも限界があるしな……そうだ、手術した方が早い。よし、着いてこい」
――大変だ、逃げないと。
先ほどとは違う意味合いで、アルディスは冷や汗が止まらなくなってしまった。少し身体が楽になったのを良いことに、彼は咄嗟に青年から距離を置いて地を蹴った。
「! こら、無理をするんじゃない! 傷や魔力欠乏が治ったところで、お前の身体にはろくに血が流れ……ほら、言わんこっちゃない」
やれやれ、と青年が笑う。彼の目の前で、アルディスは口元を押さえてその場に蹲っていた。貧血による立ちくらみだ。
満足に動くことが出来ず、文字通り顔面を蒼白にしたアルディスの頭のフードに手を掛け、青年は静かに溜め息を吐いた。
「分かりました、調べるのはやめる。だから、怪我だけは治させろ。どうせお前は一般の病院にはいけないでしょう?」
「だからと言って……ッ! 何故、あなたに見て頂かなければばらないのですか!?」
フードを外そうとする青年の手に対抗し、アルディスは右手で必死にフードの裾を掴んで叫ぶ。幸いにも、青年はそこまで強くフードを引っ張っていたわけではなかったため、簡単に彼の動作を防ぐことが出来た。
「ふむ……典型的な容姿をしているから、まあ恐らくそうだろうなとは思ったが、やっぱりか……って、えっ!?」
「え……?」
ぽふぽふとアルディスの頭を撫でていた青年の手が止まる。その指が震えているのが、布越しに感じ取れた。どうかしたのかとアルディスが問うよりも先に、青年は口を開いて震える声を紡いでいた。
「お、前……は、“同族”なの、か……!?」
「ど、同族って……あなた、どう見たって混血の
「ここで話すのはちょっと問題がありますね。移動するか」
「!? さ、させませんよ!!」
明らかに青年は動転していた。アルディスの話を聞く気など無くなっていた。
動けないアルディスを抱き抱えようとしてきた青年の腕を必死に振り払い、アルディスは連れて行かれてたまるかと動けないなりに懸命に暴れ始めた。
▼
「きゅーっ! きゅー!!」
「痛ッ! 痛いって、やめろ!! おいディアナ! やめさせろ!!」
「言うこと聞かないんだ、許せ!!」
アルディスが暴れている頃。エリックはひたすらチャッピーにくちばしで突かれながら走っていた。
彼を追ってディアナが翼を動かして滑空し、その少し後をマルーシャ、ポプリが着いてくる。
ただ、この状況になって気付いたことなのだが、ポプリはどうやら普通に走ることが出来ないらしい。
痛々しく左足を引きずるポプリに合わせる、マルーシャがかなり減速して走っている。それをありがたいと思いつつ、エリックはある茂みの前で立ち止まった。
聞きなれた声がする。その声の持ち主は、何者かと話している様子であった――さらに言うと、かなり異様な状態になっているようであった。
「えっ!? どうしたの?」
「……」
「エリック……?」
エリックのみならず、ディアナもチャッピーも茂みの先を見て固まってしまっている。一体何が起きたのかとマルーシャはエリックの横から顔を出した。
「落ち着けよ。ただ場所を移動するだけですから」
「絶対に嫌だっ! 離してください……っ!!」
「暴れるんじゃない、大人しくしろって」
「離せ! 離せよっ!! 嫌です……嫌だっ!!」
茂みの向こう側で繰り広げられていたのは、大怪我をしたアルディスが謎の青年と攻防戦を繰り広げているというあまりにも奇妙な光景だった。
元々エリック達は、謎の爆発音に驚いて洞窟から飛び出してきたに過ぎない。
周辺の焼け焦げた木々や不自然に抉れた地面を見る限り、爆心地自体はここで間違いなかったようであるが、まさかこんなことになっているとは思わなかった。
「エルヴァータ医師……?」
思わず黙り込んでしまったエリックの傍で、ディアナが小さな声で自信なさげに呟く。呟かれたのは、恐らく青年の名前だろう。
「ディアナ、あいつと知り合いなのか?」
「ああ、以前、助けられたことがあったんだ……その男は、ジャンク=エルヴァータと名乗っていた」
「はあ……じゃあ、今目の前でアル襲ってる男はジャンクっていうのか。いやでも、絶対本名じゃないだろそれ……ん? ポプリ、どうした?」
どうしたものか、と肩を竦めるエリックの耳に、ポプリが何かを呟く声が入ってきた。見ると、彼女は橙色の目を見開いて微かに身体を震わせている。しかし、彼女はエリックの問い掛けに対し、静かに首を横に振ってみせた。
「な、なんでもない、わ……で、合ってるわ。それが彼の……あのお医者様のお名前なの……と、ところで、エリック君……」
「なんだ?」
「あ、あの子の……って、あれ!?」
十中八九、ポプリはアルディスのことを聞きたかったのだろう。事実、彼女はアルディスとジャンクが先ほどまでいた場所を指差してエリックに語りかけてきたのだから――だがしかし、そこには誰もいなかった。
「えっ!? う、嘘だろ!? 見失った!?」
「はっや!! どこ行っちゃったの!? また拐われちゃったじゃん!!」
「え、ええい! そんなに離れてないはずだ!! エルヴァータ医師が変な気を起こすとは思えないが、色々怖いから迅速に探すぞ!!」
エリック、マルーシャ、ディアナは大慌てで周囲を捜索し始めた――後には、完全に出遅れてしまったポプリだけが残される。
彼女はどういうわけか橙色の瞳を潤ませ、今にも泣き出しそうな表情で前を見据えていた。ぐっと、胸元のスカーフを握り締め、ポプリは声を震わせる。
「やっと、見つけたわ……“ノア”……ッ!」
―――― To be continued.