「店を間違えてないか・・ここは運送屋の看板を掲げてるんだが?」
「ファッゾ、落ち着いて。ちゃんと説明するから。ね?」
ベレーはコーヒーの入った盆を持ったままオロオロしていた。
ミストレルが買い物に出かけてすぐ、ナタリアが事務所を訪ねてきた。
笑顔で迎えたファッゾがコーヒーを注いでくるようベレーに言ったのはわずか5分ほど前の事だ。
しかし、湯気の立つコーヒーを持ってきたらファッゾが殺気立っていた、という訳である。
ナタリアはベレーの姿を認めると手招きをし、その盆からカップを受け取った。
一方、ファッゾは完全に沈黙したまま、ナタリアを睨み微動だにしない。
その中で優雅にコーヒーを啜る辺りはさすがナタリアである。
「・・・・えっと、手短に説明しようとして誤解を生んだ事は謝っておくわ」
「・・・」
「この計画は、運ぶ子達そのものから依頼されている事よ」
「先程は地上組が依頼者だと聞いたが?」
「・・そうね。納得して欲しいから、本当の最初から説明させてもらえないかしら」
「・・・」
ファッゾが黙したまま拒否しなかったので、ナタリアはにこりと笑った。
「ありがと。事の始まりは、普通の町に住む化けた深海棲艦2人が人間に疑われたの」
「何を疑われたんだ?」
「容姿が変わらない事よ。十年ぶりに町に帰郷した奴がその事を住人に指摘したらしいわ」
「・・」
「毎日会っていると変化が無い事に麻痺してしまうけれど、十年ぶりに見て全く同じ姿なら疑いを持つのは当然よ」
「・・」
「住人同士で噂するだけなら良かったんだけど、それが公安の耳に届いてしまった」
「・・」
「その子達は人間の町に住んでいたのに地上組に加入してなかった事が2つの意味で災いしたわ」
「・・2つ?」
「1つは地上組が指導してる、年の取り方を全く知らなかったって事」
「・・」
「もう1つは公安の動きを地上組が把握出来ず、捕縛前に逃亡を支援出来なかった事」
「・・」
「公安が警察署に連行してきて始めて、地上組は仲間が捕縛された事を知った」
「・・」
「通常の犯罪人への取調べと違って、深海棲艦かどうかの検査は人道的とは言えないわ」
「・・」
「程なく元の姿を晒してしまったその子達は、大本営に連行される事になった。処刑は免れないでしょうね」
「・・」
「地上組に加入してなかったとはいえ、仲間である事に変わりはない」
「・・」
「公安は大本営の受け入れ態勢が整うまで、この町の警察署に2人を留置してる」
「・・」
「警察からは881研究班の連中が移送するのが恒例だから今回も間違いないわ」
「・・」
「今の留置場で確保する事も可能だけど、移送中に確保する方が容易だし、警察との遺恨を残さずに済むわ」
「・・」
「地上組は大本営への送致途中で2人を確保し、遠く離れた地へ逃がす事を決めた」
「確保というか・・誘拐だろ。本人が知らない所で計画されているのだからな」
「2人には昨夜、警官に化けた地上組メンバーが会って、そのプランに同意する事を確認したわ」
「・・」
「だから決して深海棲艦の誘拐に加担しろって事じゃないのよ」
ファッゾが眉をひそめつつも殺気を放つ事を止めたので、ベレーはそっと隣に寄った。
「あ、あの、コーヒー・・淹れ直しましょうか?」
「ん?あ、いや、今は少し冷めていた方が良い。貰うよベレー、ありがとう。・・少し、向こうに行ってなさい」
「は、はい。失礼します」
ベレーが足音も立てずにそっとそっと立ち去った後。
ファッゾは黙って手に持ったカップのコーヒーを睨んでいた。
数分の沈黙の後、ナタリアは言った。
「この件はテッドも通した正式な依頼よ。さっきも言った通り依頼主と費用負担は地上組日本支部」
「・・・」
「ファッゾ達に依頼したいのは私達輸送班の航路を先回りし、艦娘が居ないか見張るパート」
「・・それだけでは済まんだろ」
ナタリアは肩をすくめた。
「もちろん、この事が大本営や鎮守府経由で海の上まで伝われば、捕縛部隊と化している場合もあるでしょうね」
「艦娘同士で交戦する事になるぞ」
「地上組は出来るだけ穏便に事を運びたがってるからテッドが気を回しただけよ」
「・・」
「貴方達が噛まないのならプランAを放棄する。テッドも無理にとは言わなかったし」
「・・」
「もし私達に任されれば、確保後は戦闘態勢で外洋まで強行突破するプランBで行くわ。手っ取り早く確実」
「・・」
「ほとぼりが冷めるまで、久しぶりにナポリ辺りで過ごすのも悪くないと思ってね」
ファッゾはガリガリと頭を掻いた。
ミストレルやベレーに危ない橋を渡らせるのは避けたい。
だが、自分達が出ないと海戦になってもおかしくは無い。むしろその確率が高い。
どうせ後手後手に回る大本営の事だ。最初は駆逐艦や軽巡位しか派遣しないだろう。
ナタリア達のような重火力部隊が最初から本気を出せば外洋まで強行突破するのは訳もない筈だ。
そして一旦外洋に出てしまえば航路や領海を気にしなければいけない艦娘達は圧倒的に不利になる。
総合すれば、ナタリア達は単独でも地上組の依頼を達する事が出来る確率は高い。
ただし、たまたまナタリア達に遭遇した艦娘達は悲惨な運命を辿る事になる。
運が良くて突破された責任を取って謹慎、プライドの高い司令官なら手酷い罰を与えるかもしれない。
百戦錬磨のナタリア達と交戦すれば轟沈する可能性だってある。
ナタリアは同じDeadline Deliversの艦娘でさえ、その一部を快く思っていない。
深海棲艦の仲間を護る為、見知らぬ艦娘に砲を向ける事など1ミリも躊躇う事はないだろう。
その逆だってゼロとはいえない。
たまたま出撃途中の大和型とでも遭遇すればナタリアとて無事では済むまい。
だがもし、我々が加担したとして。
包囲網の回避に失敗し、戦闘状況下にミストレルとベレーが居合わせれば彼女達はどう動ける?
誰にも砲を向けられず、一方的に敵とみなされて轟沈させられる様が容易に想像出来る。
かといって相手の戦意を失わせる為に戦艦や正規空母を擁するDeadline Deliversを出せば事が大きくなりすぎる。
それは依頼主の地上組にとっても本意ではないだろう。
そもそも世間では表向き、深海棲艦とは手を結ぶ術が無い事になっている。
だからこそ深海棲艦を殲滅する為の戦争を、これだけの巨費を投じて行っているのだ。
もし並んで航行するようなシーンがマスコミにでも流れればこの大前提がひっくり返ってしまう。
軍にとってあまりにも不都合な真実が明らかになる前に、この町ごと消滅させられるだろう。
とはいえ。
実は一般市民でも「ちゃんと話せる」穏健派の深海棲艦が居る事を知っている。
ただ、大部分の「好戦的な深海棲艦」が人間の経済活動にとって非常に不都合で、両者の見分けがつかないのだ。
加えて表立って深海棲艦の肩を持つと、深海棲艦に親しい人を殺された人間から恨まれるので言えない。
公安と海軍が協力して地上に居る深海棲艦を排除している事は公然の秘密だ。
そして深海棲艦に恨みを持つ人間は沢山居るので、その精度はともかく密告情報には事欠かない。
深海棲艦、海軍、市民、それぞれの言い分はそれぞれの中で筋が通っている。
だが、それらは相容れず、大本営の中の881研のような異分子が混ざっているのでますます複雑になっている。
・・どうすれば、事が丸く収まる?
そこまでで考えを打ち切り、ファッゾはナタリアを見返した。