Deadline Delivers   作:銀匙

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第78話

 

 

「1度だけお許しを頂けたので、腕によりをかけたのだ」

磯風は手近にあった取り皿と、自らが先程置いた鍋を引き寄せると、その蓋を開いた。

 

「!?」

 

リットリオはランプから魔人が出てくる古い童話を思い出した。

なぜなら磯風が開いた鍋から、濃紺色の煙が立ち上ったからである。

一瞬、その煙が雄叫びを上げる人の顔のように見えたので、リットリオは目を擦った。

磯風は照れたように頬を染めながら、その鍋におたまを差し込んだ。

 

「さぁ、この磯風が取り分けよう」

 

・・・ごぷうっ

 

鍋から引き上げられたおたまに絡みつくように、粘性を持って鍋に落ちていく塊。

動きが液体のそれではない。

何より色がスライムのようにぬめりを持った緑色である。

風雲が努めて平静を装って訊ねた。

「め、メニューはなにかなー?」

「うむ、タイで食されてるグリーンカレーというものらしい」

「らしい!?」

「レシピを見ると大層辛そうだったのでな、マイルドになるようアレンジを加えたから大丈夫だ」

 

 多分、大丈夫じゃない。

 

・・・コトリ。

 

最後に取り分けられたグリーンカレー(らしきもの)が、朝潮の前に置かれた。

にこにこと微笑みながら席に着いた磯風が、おもむろにカレー用のスプーンを持った。

「さぁ、召し上がれ」

 

リットリオは取り皿の中の物を見た後、上目遣いにちらりと風雲を見た。

風雲は丁度、青褪めた顔で目だけこちらを見ていた。

二人は目で会話した。

 

・・これは、危険な香りがします。

・・その読みは間違いなく当たりです、リットリオ先輩。

・・でも、ここまできたら・・

・・はい。あの笑顔の磯風の前で捨てる訳には行かないですし。

 

リットリオはそのまま視線を香取達に移した。

香取達はいずれもスプーンを持ち、じっと自分の方を見ていた。

まるでタイミングを合わせようとするかのように。

これで、先に誰かが食べた反応を伺う事も難しくなりましたね。

リットリオはきゅっと目を瞑ると、ぬるりとスプーンを取り皿の中に差し込んだ。

やや手ごたえを感じながら引き上げると、そこには一匙分のグリーンカレー(らしきもの)。

 

・・・いっ、いきます。

 

リットリオはカッと目を見開き、スプーンを一気に口の中へと運んだ。

「!?」

リットリオが最初に感じた味覚は、甘みだった。

それも尋常ではない甘さである。

間宮が供してくれたおかげで、リットリオは数種類の「美味しい」カレーを知っていた。

ゆえに辛い物が来るという予想は、いの一番に打ち砕かれたのである。

え、ええと、グリーンカレーってこんなに甘い物なのでしょうか・・

次に襲ってきたのは、舌が痺れるような感覚。

いや、正確には痺れる程の苦味と言ってもいい。

この辺りでリットリオは口にした物が料理というか、口にして良い物ではなかったと認識し始めた。

やがて、苦味とは別の感覚がやってきた。

寒気、である。

何故自分は温かいカレーを食べてるのに寒気がするんだろう?

・・あれ?

 

ぐにゃり。

 

視界が・・なんか・・歪んで・・

 

 

「・・ちゃん!リッちゃん!寝たら死ぬよ!リッちゃん!」

「あ、あれ・・鹿島・・さん?」

「良かった!気がついた!」

リットリオが上半身を起こすと、そこは食堂の床の上だった。

ふと周りを見回すと、朝潮がしきりに香取と風雲に話しかけている。

二人はぐったりとして返事をしていない。

「・・あ」

自分達と少し間を置いた所に目を向けた時、磯風がぽつんとソファに座っているのが見えた。

膝の上に両手を置き、悲しげに目を伏せている。

「む、無理しちゃダメだよリッちゃん・・」

「大丈夫・・大丈夫です」

心配そうな鹿島に頷いてから、リットリオはゆっくりと磯風に近づいた。

磯風は顔を上げなかったが、きゅっと身を縮めたのが解った。

「・・磯風さん」

「また・・やってしまった。わ、解っている。覚悟は出来ている」

「覚悟?」

「食中毒騒ぎを起こしてしまったのだ。この磯風、着任を取り消されても文句は言えない」

スッ。

リットリオがすぐ隣に腰掛けた時、磯風はびくりとした。

「磯風さんは、料理が好きですか?」

「・・え?」

「料理をすると、楽しいですか?」

リットリオの問いに、風雲を抱きかかえたまま、鹿島がこちらを見た。

磯風は戸惑ったように目を泳がせ、膝の上で手をきゅっと拳にすると、

「・・うん」

と、小さく頷いた。

リットリオはぴとっと、自分の右腕を磯風の左腕に押し付けながら言った。

「好きこそ物の上手なれ、といいます」

「・・」

「でも、正しいやり方を知らなければ、努力は意味を為しません」

「・・」

「ほら、羅針盤が荒ぶったら、幾ら頑張ってもボスの所に辿り着けないじゃないですか」

「そう・・だな。適切な艦隊構成と、適切な装備が必要だ」

「料理も同じです。美味しい物へたどり着く為にレシピがあるんですよ?」

ようやく意識を取り戻した香取と風雲に、鹿島と朝潮がすばやく状況を耳打ちしていく。

磯風はたっぷり1分ほど目を瞑っていたが、パッと目をあけ、

「皆!すまぬ!私は辛いなら甘くすれば良いと思って水飴を1缶入れたのだ」

リットリオは味を思い出そうとしたが、上手く思い出せなかった。

ただ、やたら甘かった気はする。

「それがこんな惨事を引き起こすとは知らなかった・・本当にすまなかった」

「・・」

リットリオ達は磯風の言葉を静かに聞いていた。

「そ、その、これからはレシピに従い、ちゃんとした料理になるようにしたい」

「・・」

「だ、だからその、れ、練習するチャンスを、もらえないだろうか」

「・・」

香取がびくりとしたので、磯風は慌てて付け加えた。

「も、もちろん練習の間は自分で味見する。誰にも食べさせない。た、ただ、」

「・・」

「私は、料理が好きだ。だからいつか、喜んで食べて欲しいのだ・・」

「・・」

「だから、少しだけ・・台所を・・研修の合間に貸してくれないか?」

リットリオは鹿島の方を向いた。

「私からもお願いします!」

鹿島はとても渋い顔をしていたが、朝潮が頷いたのを見て溜息をつくと、

「でも、台所だけ貸しても結果は目に見えてます」

今度は磯風がびくりとしたが、その手をリットリオの手が優しく包んだ。

磯風はそっとリットリオを見たが、リットリオが鹿島の方を見ていたので、向き直った。

「・・だから、私が付き添うよ。レシピとか作り方とか教えてあげる」

「!」

「か、簡単な!簡単な所から行くからね!難しいのは成功してから!成功してからだからね!」

磯風はぺこりと鹿島に頭を下げた。

「・・改めて今夜の事を詫びる。そして、鹿島殿、すまないが手ほどきの程、よろしく頼みたい」

 

・・パチ、パチ、パチパチパチ。

 

鹿島がふと見ると、抱きかかえていた風雲が小さく拍手していた。

にこりと笑い、リットリオが続いた。

やがて朝潮が、香取が続き、全員で磯風に拍手を送ったのである。

 

 

 


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