話は現在に戻る。
ヴェールヌイ相談役はぶつぶつ言いながら冷蔵庫を開け、今朝仕舞ったばかりの羊羹の包みを取り出した。
「雷が来ると必ず半本分余計に消費してしまう・・計算式に雷の補正要素も含めた方がいいな」
「何か言った?」
「いいや。ところで何が嫌なんだい?」
ヴェールヌイ相談役は話を振るも上の空であった。
それは羊羹の全長を測りなおしている最中だったからであり、その結果に大きく頷いた。
さて、これからが一番大事な場面だ。長さ345.8mmの羊羹をきっちり10等分しなければならない。
温度上昇による伸縮補正と切断ロス分を考慮して、今回は34.3mm毎に刃を入れていこう。
栗羊羹は栗が砕けやすい。零れ落ちないよう慎重に、慎重に・・
包丁を持ち、真剣に羊羹と向きあうヴェールヌイ相談役を眺めながら雷は続けた。
「この時期よ。決まってるでしょ」
ヴェールヌイ相談役は切りながら返した。
「・・月水金戦争、春の陣かな?」
「ええ。うんざりしちゃうわ」
大本営の中で執務している制服組は、いずれも出世レースに勝ち残った面々である。
その中でも特に少将の連中はゆくゆくは大将、正確には元帥入りを目指している。
1つしかない大将の座につくのは普通の功績だけでは無理であり、運の要素が多分に入る。
加えて相対評価による降格が普通に行われる。
その莫大な不安の反動として、派閥に入り、対立陣営の足を引っ張るのは自然な流れである。
一方、大将はその制度上、代行時の混乱を避ける為、中将に指名する者は1人に絞るのが大本営の慣わしである。
その中将は大将が元帥になれば一緒に引退し、元帥の秘書室長になるのが慣わしゆえ、意外と華が無い。
つまり自分が大将となった後、中将役を命じられる、寝首を掻かない腹心を一人だけ見つけておかねばならない。
それも飛び級では後々火種になるので少将の中から選ばねばならない。
誰を蹴落とし、誰を将来の中将として手懐けておくか。あるいは誰を将来の大将としてついていくか。
互いに蹴落としあう少将という立場の中で本当に信用出来る、上あるいは下を探し出すのは至難の業である。
やっと手を結んだ相手が体調でも崩して降格すれば探し直さねばならず、候補を絞り過ぎてもいけない。
それは互いに複数の候補を擁立する事を意味するので、手を結んだからと言って安心も出来ない。
ゆえに少将という役職は、全ての役職の中でも飛び切りストレスフルで複雑怪奇な力関係が存在するのである。
ヴェールヌイ相談役が月水金戦争と言ったのは、その中でも突出した3派閥間の争いである。
月元少将、水山少将、金代少将それぞれが率いる、月元派、水山派、金代派の頭文字を取って月水金戦争。
春の陣というのは、年度初めの人事異動で自派閥の者を一人でも多く有利なポストに着かせる為の暗躍を意味する。
派閥の勢力は掴んだポストによってあっさり塗り替わるので、その壮絶さは推して知るべしである。
ヴェールヌイ相談役は羊羹から包丁を抜き、深呼吸をした後、どうでも良いとばかりに言った。
「放っとけば良いさ」
「そうもいかないでしょ。洒落にならない所までエスカレートするじゃない」
「いっそ共食いさせてしまえば良いじゃないか・・次は4切れ目・・ここだね」
「世間に対してみっともない所を晒すわけにはいかないのよ」
そう言って雷は肩をすくめた。
ヴェールヌイ相談役は包丁を濡れ布巾で拭いながら答えた。
「そんなにモメるなら宝くじのように抽選制にでもしたらどうかな」
「抽選関係者がやけに羽振りの良い生活を送った後、次々失踪する羽目になるだけよ」
「買収と暗殺って事かい?なら大将と中将、それに五十鈴と大和あたりで抽選すれば良い」
「それこそ会場で謎の爆発が起きそうよ?早く自分の番が回ってきますようにって」
「・・そうだね。ここがどうしようもないのは今に始まった事でもないか」
その時、ヴェールヌイ相談役は包丁の手ごたえに変化を感じた。
こっ・・この1切れは・・凄く大きな栗が入ってる・・間違いない。
是が非でも雷に取られる訳には行かない・・よし。
ヴェールヌイ相談役は直前に切った3切れをひょいひょいと皿に乗せ、雷に差し出した。
「ほら、君の分だ」
「あら。取り分けてくれるなんて優しいじゃない。じゃあお茶淹れて来るわね!」
「良いね」
雷が廊下に出て行ったのを眼光鋭く見送ったヴェールヌイ相談役は、すばやく切りたての羊羹を口にした。
・・大正解だ・・甘い大きな栗が・・栗が・・黒蜜羊羹も良いが栗は格別だ・・
嬉しさに目尻を下げたまま、ヴェールヌイ相談役は残りの羊羹を切り分け、雷の皿に2切れ追加した。
これで5切れずつ。数の上では公平だ。
「待たせたわね!良い感じに淹れられたわ!」
「1切れ先に頂いてしまったよ」
雷が湯飲みを渡しながら互いの皿を見て訝しげな表情になった。
「あら、均等に5切れずつ?」
「何か不満でも?」
「いつもは私4切れであなたが6切れじゃない。どういう風の吹き回し?」
ヴェールヌイ相談役は内心舌を打った。
ちっ・・罪悪感からついつい普段と違う事をしてしまった。さて、どう切り抜けよう。
「・・どうせそうやった所で私が喋ってる間に横取りするじゃないか」
「まぁそうだけど」
「だからだよ」
「ふうん・・まぁ良いわ。じゃー頂きまーす」
そして黒文字を羊羹に差し込んだ雷は目を見開いた。
「うわあ!この羊羹、大きな栗が一杯入ってるわね!」
「そ、そうかい?よ、良かったじゃ・・ないか」
同じように自分の一切れに黒文字を差し込んでいたヴェールヌイ相談役は答えつつ冷や汗をかいていた。
わ、私の一切れにはほとんど栗が入ってない・・そんな・・
会話を進めながら1切れを平らげ、もう1切れ、もう1切れと食べ進める。
雷が4回とも黒文字を差し込んで歓声を上げたのに対し、ヴェールヌイ相談役は涙目で呟いた。
「こ、これも栗がほとんど入ってない・・はは・・なんという事だ・・」
4切れ目を食べ終えた時、雷は自分の皿をそっとヴェールヌイ相談役に返した。
「・・なんだい雷?この1切れは」
「そっち、栗があんまり入ってなかったんでしょ?」
「!?」
「だから私のあげるわ。ほら、最初に端っこ貰ったし。じゃあそろそろ行くわね!」
「あ、ああ」
パタン。
出て行く雷を見送ると、ヴェールヌイ相談役は手元の皿に目を落とした。
雷がくれた1切れがちょこんと皿の上で待っている。
「・・・」
恐る恐る黒文字を差し込んだヴェールヌイは肩をすくめながら笑った。
「まいったね・・つまみ食いした1切れより栗が入ってるじゃないか・・」
羊羹を頬張りつつ、ズルをするものではないなと肩をすくめるヴェールヌイ相談役であった。