3月7日0400時、ソロル鎮守府工廠。
ナタリアが振り返るとスパナを手に溶接用ゴーグルを頭に乗せ、頬を機械油で汚した加古が立っていた。
「そうよ。何かしら?」
「言い忘れてたから今言っとくよ。アンタ達が乗る船は競技用パワーボートも真っ青な代物だ」
「・・」
「サインランプがつくまでは出来るだけ首を動かさない方がいい。あ、シートベルトは絶対に外しちゃダメだよ」
「そう・・」
ナタリアは返事をしつつ加古を見ていた。
見返す加古の目は静かで深い色をしていた。
これだけの一大事の中、これだけの喧騒の中、ナタリアにはこの落ち着きがとても奇異に映った。
ナタリアは目を細めた。
「・・あなた、鎮守府所属の艦娘よね。それにしては色々知ってる目だわ」
「今は、ね」
ナタリアはとっさに身構えた。
「・・出ていくつもりなの?」
加古は苦笑しつつ首を振った。
「逆。アタシは提督が拾ってくれる前に1度沈んでる。だから深海棲艦の経験もあるの」
「・・」
「アタシの目に何かを感じるなら、そういう事だと思うよ」
ナタリアは聞き忘れた事を思い出した。命に関わる大事な質問だ。
「ねぇ」
「うん?」
「海底国軍は本気で数千から数万の徒党を組んで追いかけてくるのよ」
「知ってるよ。昔、うっかり領海に入って死にかけたからね」
「・・この船、本当に目的地までもつんでしょうね?」
加古の瞳の光が消えた。
「提督を困らせる奴はアタシが噛み殺す。提督が欲しがるなら何であっても、何が何でも用意する」
「・・」
加古がニイッと笑った。
「提督が、あんたらを、あの地点まで運ぶ船を作れと言ったんだ。アタシが逆らう訳無いだろ?」
ナタリアは深い色の意味を理解した。
それは濃い、とてつもなく濃い忠誠心だ。もはや狂信的ともいえるレベルの。
この海域の連中は、艦娘も、深海棲艦も、一体どうなってるんだ。
ナタリアはごくりと唾を飲み、応じた。
「・・オーライ、貴方を信じるわ」
加古が元の目に戻り、にこりと笑った。
「ありがと。あと、チームブラボーが乗る船は・・ほら、右から2つ目だよ。もう出来てるからね」
「ええ」
「さて、あと3隻か!いっくぞー!」
慌しく去って行く加古の後姿を見つつ、ナタリアは思った。
もしミッションに失敗し、提督が私達を見て悲しげに溜息をつけば、その時点で命は無いも同然だ。
あの加古が目を見開き、牙を剥いて飛び掛ってくる姿が容易に想像出来る。
これから対峙するであろう数万体の海底国軍海境警備部隊より、たった一人の加古の方が恐ろしい。
身震いするような相手は久しぶり、本当に久しぶりだ。
ナタリアはニヤリと笑った。
良い、ゾクゾクする。戦場特有の昂ぶりだ。
「・・ボス?」
振り返ると、フィーナ達が装備を整えて指示を待っていた。
軽く息を吸って感情を抑えつつ、ナタリアは言った。
「OK、皆聞いて。乗船する船はかなりのGと衝撃が予想されるわ」
「はい!」
「サインランプがつくまでしっかり座り、シートベルトを外さず、最初から酸素マスクを着けておくこと」
「はい!」
「今回は私達がMADFでやってきた事の復習みたいなものよ。1つ1つ対処していきましょう」
「はい!」
「久しぶりに皆のガンマンとしての腕が見られるわね。ロウライフに遠慮は無用。楽しむ用意は良いわね!」
「はい!」
「さぁ行くわよ!乗船開始!」
こうしてナタリア達は用意された船に乗りこんで行った。
3月7日0515時、海底国軍西方パート海境防衛センター
「チクショウメー!」
バン!
西方パートリーダーは机を叩きつつ、朦朧とする頭を必死に左右に振っていた。
真夜中に北方パートの海境付近に突如集まってきたというの謎の大軍勢に応じる為、緊急支援要請を受けた。
かき集められるだけ集めた部隊を送り出したのが2時間前。
今は残った部隊で警備部隊の編成計画をやりくりしてる真っ最中だった。
なのに、今度はワープする船の出没だと?
「IMO59630202」
これが西方パートリーダーを悩ませる元凶である。
IMO番号とは、船のナンバープレート的存在である。
人間が建造する船舶と艦娘は全員所持しており、廃船になるまで1つの番号を使う。
深海棲艦でも軍閥を明確化する為、IMO番号に順ずるナンバーを記している艦は多い。
ゆえに海底国軍の海域に侵入した船は、このIMO番号を使って位置情報を組織内で共有し、効率的に追撃する。
日々の越境数は手動で対応出来る数ではない為、センターには自動対応するシステムが備えられている。
海境警備部隊が越境船の写真をセンターに送れば、そこからIMO番号を抽出し、ターゲットとして登録する。
だが。
先程からセンターに越境船として報告される船が、ことごとくIMO59630202という番号なのである。
同じIMO番号だった場合、システムは情報のアップデートとみなし、最後に届いた位置情報で上書きする。
そして前回の位置情報から線を引く。
普通なら刻々と1本の線で描かれていくのに、それが広域の海図上でスパゲティのように描かれている。
まるで幼稚園児が画面上に水色のクレヨンで絵でも書いてるかのようだ。