オーバーロード ~たっち・みーさんがインしたようです~ 作:龍龍龍
たっち・みーはほとんど蹴破るようにして、店の扉を開いた。
徐々に暗くなっていくのに合わせて、店の中はほとんどが暗闇に沈んでいる。そんな店内から、たっち・みーは濃密な血の臭いを感じた。それだけではなく、奇妙な異臭もする。
苛立ちを隠そうともせず、たっち・みーの拳が握りしめられた。
〈殺意看破〉の特殊技術を発揮するが、店の中から反応はない。待ち伏せはなさそうだった。
たっち・みーが店内に足を踏み入れると、それに呼応するように、店の奥で何かが動いた。人間大のそれを見たたっち・みーはかすかに目を細める。
いまのたっち・みーの目にはオーラが見えるが、その『何か』から感じるオーラに、よく見慣れたオーラに近いものを感じたからだ。
ゆらり、とふらつきながらそれが姿を晒す。
「……ルクルット」
胸に二つ穴が開いていて、片方の穴は確実に心臓を貫く位置にあった。口からは血を吐いた跡がある。土気色になった顔には生前の剽軽な様子はどこにもない。生なる者への恨み辛みだけを携えて、ルクルット・ゾンビがたっち・みーへと迫る。両手を突き出し、その体を掴んで喉元にくらいついてやろうと迫ってくる。
たっち・みーは躊躇わなかった。
静かに剣を抜き放ち、その勢いのまま、ルクルットの首を刎ねる。空中をくるくると舞ったルクルットの頭部を素早く片手で受け止め、床に倒れた体の上に、跪いて優しく置く。
そこに、壁にもたれかかる姿勢で倒れていたぺテルの死体が起き上がって襲い掛かろうとしたが、それより前に突き出されたたっち・みーの剣の切っ先が、その首に吸い込まれた。一瞬で貫き、一瞬で引かれたため、ぺテルの首は繋がったように見えたまま、死体は動かなくなる。
「……ぺテル」
小さく呟いたたっち・みーは立ちあがり、店内を見渡した。
そして、店の奥に倒れている最後の一人を発見する。それはもはや判別も不可能なほどに焼け爛れていた。酸による攻撃を受けたのだろう。
だが、その特徴的な森司祭の装備品は忘れようもない。
「……ダイン」
たっち・みーはその死体に近づいて、動死体になっていないか確かめる。ダインの死体は酸による損傷が激しかったからか、起き上がることができなかったが、しかし、ゾンビになっていることが確認できた。動こうとして、かすかに震えている。たっち・みーは剣を用いて、その動きを制止させた。
剣を片手に、ひとつ、長く、深い、息を吐く。
漆黒の剣は、ニニャを残して全滅していた。
たっち・みーは三人の死体を前に、その拳を握りしめた。
ほどなくして、店に足音が駆け込んでくる。
「……みんな!」
ニニャだ。その背後にはモモンガと森の賢王、リイジー・バレアレもいる。
先頭で駆けこんできたニニャは、店の中に立ち尽くすたっち・みーを見た。
「タツさん、みんな、は……」
たっち・みーは答えなかった。しかし、その背から感じる雰囲気と、店内に満ちる濃密な血の臭いから、ニニャはすべてを察したようだった。
ニニャの体から力が抜け、その場に両膝をつく。大きく見開かれた両眼から、大粒の涙がこぼれた。
「みん……な……」
掠れた声で呟く。ニニャはその顔をくしゃくしゃに歪め、両手で顔を覆って泣き始めた。
リイジーがその脇を通って、店の中に入る。
「ンフィーレアは……わしの孫は……!?」
「……敵の狙いはンフィーレアさんのようでした。なら、連れ去られた可能性が高いです」
モモンガがニニャの隣に移動しながら、リイジーの問いに答える。
「リイジー。こっちに来てくれ」
そう言ってたっち・みーがリイジーを呼ぶ。リイジーは焦燥に駆られた顔をしつつも、言われるままにたっち・みーの傍に行く。なにやらダインの死体の下に残されていた文字について話していた。
モモンガは自分もそちらにいくべきかと思いつつ、ニニャの傍から動けなかった。現在のモモンガはアンデッドであり、その精神は人間を同種とは見ていない。漆黒の剣が全滅したことにも、本来であるならば多少不快な程度で大した感情の揺れは起きえないはずだった。
しかし、この数日間の記憶が思い起こされる。
ルクルットはいつも賑やかだった。ぺテルは礼儀正しく、リーダーとしてチームを導いていた。落ち着いた物腰のダインはいつも仲間を見守っていた。そして魔法詠唱者のニニャは、そんな彼らと一緒に、本当に楽しそうに笑っていた。
戦いの中で、漆黒の剣は絶妙な連携を生み出していた。自分たちのギルドを思い出すほどに。
メンバー全員が同じ目標に向かって歩んでいた。自分たちのギルドがかつてそうだったように。
いまは自分たちがそうではないことを思い知らされて、無性に悔しかった。たっち・みーがいなかったら、苛立ちのまま、無暗に衝突していたかもしれない。
それは、それだけ漆黒の剣のことを、モモンガが認めていたからだ。
そんな彼らが死んでしまった。たった一人を残して。モモンガは自分の中で波立った精神が安定するのを感じる。
(蘇生は……無理か)
死体の様子を見る限り、彼らは一度ゾンビにさせられている。その場合、通常の蘇生手段では蘇らせることができない。〈星に願いを〉など、非常に貴重な方法を用いるのならば可能だろうが、それはナザリックの切り札として置いておかなければならない類のものだ。それを用いて彼らを蘇らせることはできない。
モモンガはニニャの傍に膝を突いた。
本来であるならば、自分も調査に協力するべきだ。敵はンフィーレアを攫ってアンデッドの軍勢を召喚するつもりだという。その触媒として利用されるンフィーレアが無事に済むとはとても思えない。すぐにでも探しださなければならない。
泣いている人間など、放っておけばいいのだ。
だが、モモンガはニニャの傍に膝を突いた。
最後に残された漆黒の剣。
それを放っておくことが、モモンガにはどうしてもできなかった。
「ニニャさん……」
モモンガはその手をニニャの背中に添える。アンデッドの自分の手に人肌の暖かさがないことを悔やむ日が来るとは思わなかった。
ここに来るまでの道中、ニニャから聞いた話では、相手は遙か格上の存在だった。そこからニニャだけでも逃げられたということ自体、奇跡に近い。切り札をきちんと用意していたニニャも褒められるべきだし、それを発動させるまで時間を稼いだぺテルたちは称賛されるべき働きをした。
しかし、それが何の慰めになるのだというのだろうか。ひとり取り残されたニニャに何を言えば正しいのか。対人関係の能力が乏しいモモンガにはわからなかった。
「もも、さん……」
涙に濡らした瞳で、ニニャがモモンガを見る。モモンガはその目にかつての自分のような悲しみを見てしまい、動揺が精神安定を誘発するほどに高まった。
冷静になった頭で、どうするべきかを考える。
(……こういう時、たっちさんならなんていうんだろうか)
たっち・みーならどうするか。それを考えたモモンガは、自然と体が動いていた。万が一を想定し、用意しておいた触覚さえも誤魔化すマジックアイテムを使用する。回数制限や時間制限があって簡単に使っていいアイテムではないが、それでも使うべきだと判断した。きっとたっち・みーもそれを咎めはしないはずだ。
ニニャの体を抱き寄せ、安心させるように背中を叩く。
少しニニャが驚くのが伝わってきた。
「……漆黒の剣の皆さんは、とても素晴らしい冒険者でした。私たちはそれをよく覚えています」
なるべく優しい声と聞こえるように、モモンガは囁く。
「ももさぁん……」
ボロボロと泣くニニャに、男としてはまだまだ幼い様子を感じつつ、モモンガは襲撃者に対する不快感を改めて強めていた。
(……これは、我儘だ)
自分たちだって場合によっては同じように人を踏みにじって進む。カルネ村でニグンら陽光聖典たちを叩き潰したのがいい例だ。
あれとて、ひょっとしたらニグンたちの方が将来的に見れば正しい行いをしていた可能性だってある。ガゼフは比較的価値のある方の人間だとは思うが、それでもエ・ランテルに来て王国貴族の噂を聞くにつれ、彼が王国を守るということ自体に疑問を持ってしまうことはある。さっさと法国にでも併呑されてしまった方が、人類という種族のためにはいい気さえしてしまうのだ。
だから、自分たちの正義や感覚に照らし合わせて動くということは、他の誰かの正義を踏みにじるということでもある。それを自分たちもやる以上、人がそれをやることに対して文句を言ったり、不愉快に思ったりすることは我儘でしかない。
だが。
(私は……私たちは、とても我儘なんだよ)
頻繁に正義を口にし、ヒーローそのものの言動をしているたっち・みーだって、本当はそれが自分の我儘であることをわかっているはずだ。
それでも迷わないのがたっち・みーという存在で、モモンガもそれに倣うことにした。
ふと、そこでモモンガは思う。
人間に対し、基本的には小動物程度の感情しか湧かない自分でさえ、精神安定が発揮されるほどに不愉快な感情を抱いたのだ。
ならば、たっち・みーはどれほどの感情を抱いているのだろうか?
そして、アンデッドの自分と違い、一定以上の感情を抑制されない彼が、溜め込んでいる感情はどれほど高まっているのだろうか?
モモンガはニニャを慰めつつ、リイジーと話しているたっち・みーを見る。
たっち・みーは背中を向けていて、全身鎧のそれからは何かを窺い知ることはできない。だが、付き合いの長いモモンガはその背中から炎のような揺らめきを感じた。
※蘇生魔法に関する独自解釈について
・今作中では、アンデッドと化した人は通常の蘇生手段では蘇生できない、ということになっています。少なくとも〈蘇生の短杖〉やラキュースなどが行う魔法では、アンデッドになってしまった人は蘇生できない扱いです。
・ただし、当然ながら超位魔法〈星に願いを〉ならば可能、くらいの感覚です。
・実際には高位の蘇生魔法というのが実在するので、そちらなら例えアンデッドになっていようとも蘇生できてしかるべきだと思いますが(『真なる死』からも蘇生できるのなら、アンデッド化程度は軽く蘇らせるでしょう)、今作中ではよほど特別なことをしない限り、『アンデッド化した死体を蘇らせるのは困難』ということにしています。