火の聖痕が欲しいです!   作:銀の鈴

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第53話「調査」

「うわあーあああーっ!!」

 

地獄の猟犬(ヘルハウンド)〉のコウは、全力疾走で逃げながら絶叫していた。

 

新宿三丁目──その中でも特に治安の悪い一角でのことである。

 

この辺りでは悲鳴などごくありふれたものだ。これが妙齢の女性の悲鳴ならともかく、男の悲鳴など気に留める者など皆無に近かった。

 

「ひいいーいいいーっ!!」

 

二度目の悲鳴が聞こえた。中々の肺活量と言えるだろう。いや、全力疾走の最中だということを考慮すれば称賛に値しよう。

 

全力で駆けながらコウは首を廻し後方を見やる。そこには、赤い体毛をした体長1m程の熊がトテトテと追いかけて来ていた。

 

その赤熊から必死に逃げるコウの身長は、百八十センチ近くある。両者の大きさの違いを考えれば、なりふり構わず逃げるコウの姿は滑稽にも思えた。

 

「あぁぁーぁぁぁあああーーっ!!」

 

後方を確認したコウは、自分よりも明らかに小さな赤熊が近くまで迫っていることに気づくと、それまで以上の悲鳴を上げ限界以上の力を振り絞って走り続けた。

 

地獄の猟犬(ヘルハウンド)〉のコウ ── 黒の革ジャンにブラックジーンズ、あちこちにぶら下げた銀のアクセサリー。ここ新宿では掃いて捨てるほどいるヤンキースタイルの男だ。だが彼は、ただの見掛け倒しの三下ではない。

 

コウは紅の魔犬ガルムを使役する『力ある者』だった。

 

「紅の魔犬ね。うん、似たような色だけど、僕の赤カブトの方が断然格好いいよね」

 

「もう、そんなの当たり前だよ。そもそもあんな噛み癖のある駄犬と、あたし達の赤ちゃんとを比べる方がどうかしてるわよ」

 

自慢げな少年の声と、聞きようによっては非常にまずい誤解を受けそうな言い回しをする少女の声がコウの耳を打つ。

 

「ひいっ、悪魔が来たっ!?……あっ、ぐわぁーっ!?」

 

声に過剰反応をしたコウは、身体のバランスを崩したのだろう。足を滑らせ盛大に転倒してしまう。

 

「あはは、こんな何もないとこで転ぶだなんてドジなお兄さんだね」

 

「もう、人の失敗を笑ったりしちゃダメだよ」

 

転倒してしまったコウを笑いながら少年が近づいてきた。そんな少年の態度を彼の横を歩く少女が諫める。

 

「あっ、そうだね。一円を笑う者は1円に泣く。って言うからね。人を笑ったら僕が他人に笑われちゃうかもしれないもんね。ありがとう、気をつけるよ」

 

「うん、ことわざの使い方がまるで違うし、あたしが注意したい意味ともまるで違うけど、とりあえず良しとするね。めんどくさいから」

 

「こら、ダメだよ。まだ若いうちからめんどくさがったら太っちゃうよ」

 

「えへへ、あたしは太らない体質だから大丈夫だもん。ところでね、女の子相手に太るとか言うのは禁句だよ。下手な相手に言うとビンタをくらっちゃうからね」

 

「あれ、ビンタ程度なの? 僕としては首相撲からボディへの膝蹴りラッシュ。その後はフラついたところをデンプシーロールでボコボコにされるぐらいは覚悟してるんだけど」

 

「あの、武志? 友達は選んだ方がいいと思うよ」

 

「あはは、ごめんごめん。さすがに今のは冗談だよ」

 

「もう、そうだよね。いくらなんでもそこまで乱暴な女の子がいるわけ――」

 

「僕はちゃんと相手の機嫌とタイミングを読んでるから大丈夫だよ。考えなしの失言でボコられるのは僕の兄さんぐらいかな。後は要領の悪い親戚の和麻兄さんぐらいだね」

 

「……ねえ、それって、武志には失言一つで首相撲から膝蹴りラッシュをかましたあげく、デンプシーロールで男性をボコボコにしちゃう女の子の友達がいるって事よね?」

 

「友達?」

 

「あれ、友達じゃないの? それなら知り合い程度ってことかな」

 

「ううん、実の姉だよ」

 

「お姉さんなの!?」

 

「それと親戚の姉みたいな女の子もだね」

 

「そんな凶暴な女の子が二人もいるの!?」

 

「同居してる姉みたいな女の子も他人には同じように厳しい感じかな」

 

「まさかの三人目!?」

 

「ちなみにもう一人同居してる遥かに年上の女の子の場合、本気で怒らせたら冗談抜きで日本は滅びるだろうね」

 

「いきなり被害がグレードアップしすぎなんだけど!?」

 

気安い関係なのだろう。打ちどころが悪く立ち上がれないコウの目の前で談笑する二人の姿は楽しげに見えた。

 

「……(ズルズル)」

 

「がう…!」

 

「ひいっ!? 喰わないでくれっ!!」

 

こっそりと逃げようとしていたコウに、赤熊が噛みつく。(ただし、甘噛み)

 

「もう、赤ちゃんダメだよ。そんなのバッチいからね。ぺってしよ、ぺって」

 

その言葉に素直に従い、赤熊はコウをぺっとする。とても賢い。

 

「うん、えらいえらい。ご褒美に抱っこしたげるね。……うグッ!? お、思ったより重いかも……」

 

赤熊を抱き抱えようとした少女だったが、赤熊のその小さな体に見合わぬ重さに硬直した。

 

「無理しちゃダメだよ、赤カブトは見かけよりも重いか……てええっ!? 持ち上げた!?」

 

「ぬりゃあああーっ!! とったわよーっ!!」

 

一体何が少女の心を駆り立てたのかは不明だが、一旦は硬直した少女だったが、おもむろに屈むと赤熊の下に潜りこんだ。そして一気に赤熊を背にして立ち上がった。

 

── その背に赤ちゃんを背負い、雄々しく立つ少女。

 

誰よりも赤熊の重さを知るが故に少年は、その見事な立ち姿に感動した。

 

「きっとこれは伝説になるよ。ううん、僕こそが語り継ごう。この侠客(おんな)立ちを!!」

 

「ご、ごめん……本気で背骨がへし折れそう…た、助けて………」

 

「由香里ぃいいいーーーーっ!?」

 

少女の予想外の頑張りに、少年は彼なりの称賛を込めた言葉を送る。だが、少女から切迫した助けを求める声によってようやく気づく。

 

脂汗を流しながら、生まれたての小鹿のようにプルプルと震える少女の姿に。

 

「赤カブトーっ!! すぐに由香里から降りるんだーっ!!」

 

「がうっ?」

 

「う、可愛いな……」

 

よく状況が分かっていないのだろう。赤熊は少年の叫び声に頭を傾げる。その姿はひどく愛らしく少年は思わず和んでしまう。

 

「へ、へるぷみぃ……」

 

「はっ!? 和んでいる場合じゃなかった! 赤カブトこっちに来るんだ!」

 

「がうー」

 

「ぷぎゃ!?」

 

今度は素直に少年に飛びつく。飛びつく際の足場にされた少女はひっくり返るが、幸いなことに怪我はないようだった。

 

「おっと、まったく世話を焼かすんじゃないぞ、こいつめー」

 

「がうがうー」

 

重量級な赤熊を軽く受け止める少年。外見からでは分かりにくいが相当に鍛えられているのだろう。そして、抱き合った一人と一頭は楽しげにキャッキャウフフする。

 

「ちょ、ちょっとはあたしを、気遣って…ほしい……ガクッ」

 

「忘れてたっ、由香里ーっ!!」

 

「がうがうーっ!?」

 

力尽きた少女のもとに駆け寄る少年と赤熊。少女を優しく抱き起こす少年。そして心配そうに寄り添う赤熊。それはとても感動的なシーンである。

 

新宿三丁目──その中でも特に治安の悪い一角での出来事であった。

 

「あれ、さっきのチンピラはどこに行ったのかな?」

 

「がう?」

 

「こ、こんな目にあったのに…逃げられた…の?…ガクッ」

 

「由香里ーっ!?」

 

「がうがうーっ!?」

 

 

***

 

 

「昨日はひどい目にあったね」

 

「ひどい目にあったのはあたしだけだと思うんだけど」

 

異能者同士の格闘大会の情報を得るべくさっそく由香里と調査を始めた。だけど、初日はちょっとした油断から有望な情報源を逃してしまった。

 

「まあまあ、お互いに大きな怪我もなく済んだんだから良しとしようよ。大体、由香里の自業自得だよね。あのとき、赤カブトを背負う必要性なんか全くなかったよね」

 

「うぅ、だって、あのときはあれが正しい選択だと思ったんだもん」

 

由香里も意味のない行動だったと分かっているのだろう。僕の言葉に顔を赤らめた。

 

だけど、僕も油断のしすぎだった。

 

調査開始直後に由香里をナンパしてきたチンピラ――〈地獄の猟犬(ヘルハウンド)〉のコウと自称する異能者の実力が、僕の想定以上に低かったとはいえ、一般人の由香里を連れていたのに気を抜きすぎだった。

 

「ん? どうしたの武志、あたしの顔を見つめちゃったりして。もしかして惚れちゃった?」

 

美人すぎるってのも罪よね、と続ける由香里。まあ、惚れてはいないけど、思っていたよりも彼女とは気が合うのだろう。

 

綾乃姉さんや和麻兄さんと一緒にいるときと同じように、ついつい軽口が出てしまい気が緩んでしまう。

 

これが、操姉さんや紅羽姉さん相手なら僕も少しばかり格好つけてしまうから気が緩む事はないんだけどね。

 

マリちゃん? マリちゃんと一緒なら気が緩もうがどうしようが心配する事なんか何もないよね!

 

「それで、今日も調査をするのよね?」

 

「うん、もちろんだよ。異能者の格闘大会には是非とも出場したいからね。何とかしてその為の情報を集めなきゃだよ」

 

「もう、格闘大会に出場することが目的じゃないんだよ。ちゃんと分かっているのかな」

 

「うんうん、もちろん分かっているよ。突然発生した異能者の秘密を知るにはその懐に入り込むのが早道なんだ。その為に格闘大会出場を目指しているんだよ」

 

「うーん。なんだか怪しいけど、たしかに早道ではあるわよね。うん、分かったわ。格闘大会潜入を目指しましょう」

 

うん、由香里もその気になってくれたみたいだね。

 

それにしても異能者バトルか。最近は同じ炎術師同士の試合や妖魔討伐には飽きていたんだよね。幸い異能者のレベルは低いようだし、油断さえしなければ由香里の安全を確保しながら多種多様な異能者とのバトルを楽しめそうだ。

 

たまには、無双してみてもいいと思うんだ。

 

ククク、僕の必殺技が『炎の御子召喚(綾乃姉さんに泣きつく)』だけじゃないってことを見せてやるぞ。

 

「ねえ、武志? その笑い方は止めた方がいいよ。なんだか雑魚キャラみたいだもん」

 

なに言ってんの!? 僕は絶対に雑魚じゃないはずだ!!

 

……た、たぶん。

 

 

 

 

 




綾乃「武志は間違っているわ!」
紅羽「あら、綾乃があの子にダメ出しだなんて珍しいわね」
綾乃「そうかしら?私はお姉ちゃんだもの。間違ったことをすればちゃんと注意するわよ」
紅羽「でも、いつも二人して暴走しては宗主に叱られているイメージがあるわよ」
綾乃「それは気のせいね」
紅羽「……まあいいわ。それで何が間違っているのかしら?」
綾乃「私は思うのよ!色々な技に手を出すよりも一つの技を極めるべきだって!」
紅羽「へえ、綾乃にしては意外とまともな意見ね。それについては私も同意見だわ。軽い技を多数身につけるよりも、絶対の一ともいえる技を極めるべきよ。もちろんこれは奥の手っていう意味でね」
綾乃「私にしてはってのが引っかかるんだけど。でも、紅羽も同じ意見で安心したわ。これで堂々と武志に言えるわね!」
紅羽「うふふ、そうね。ところで、綾乃がそういう事を言うってことは、あの子は新しい技に手を出しまくっているのかしら?」
綾乃「これから手を出そうとしてるみたいなのよ!!まったく、そんな暇があるなら今ある必殺技を使いまくれっての!!」
紅羽「あの子の必殺技?そういえばあの子の必殺技って聞いた事ないわね。やっぱり赤カブトが攻撃する感じなの?」
綾乃「赤カブト?違うわよ。武志の必殺技はもっとすんごいわよ!!」
紅羽「へえ、それは興味が湧くわね。教えて欲しいわ」
綾乃「ふふーん、どうしても教えて欲しいのかしら?」
紅羽「どうして綾乃が得意気なのか分からないけど、あの子の必殺技なら知っておきたいから教えて欲しいわね」
綾乃「うふふー、仕方ないわね!!そこまで言うなら教えてあげる!!」
紅羽「はいはい、教えて下さい」
綾乃「武志の必殺技はっ!!」
紅羽「あの子の必殺技は?」
綾乃「『炎の御子召喚(一緒に遊ぼう)』よ!!」
紅羽「……はい?」
綾乃「武志は遠慮せずに使っていいわよ!!ううん、むしろじゃんじゃん使いなさい!!放課後なら毎日だって構わないわよ!!休日なら朝からだってオッケーだわ!!」
紅羽「……」

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