俺は、もうすぐ高校生になる。
相変わらず、火の精霊の声は聞こえない。
俺と同じように精霊の声が聞こえなかった紅羽の奴は、神凪に来て暫くしたころ、前触れもなく精霊の声が聞こえた。
最近は炎術師になる事を諦めていた俺だが、自分の目の前でそんな事があれば僅かに希望を持ってしまう。
紅羽に、精霊の声が届いた理由は何だ?
俺との違いは何だ?
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「紅羽姉さんと、和麻兄さんの違いなんて一目瞭然だよ」
俺は一人で悩んでいても答えが出ないと思い、信頼する…信頼は言い過ぎだな。
ある程度は信用できる…これも言い過ぎかもしれん。
利害関係がぶつからない限りは、多少は当てに出来る弟分に意見を聞いてみた。
「違いとはなんだ、教えてくれ」
「紅羽姉さんは、優しく綺麗で賢くて、非の打ち所がない女性だよ。和麻兄さんは、勉強は出来るけど下ネタ好きだし、運動も出来るけど根暗だし、炎術以外の術に秀でているけど下ネタ好きな男だよね」
「…下ネタ好きがダブっているぞ」
「それだけ和麻兄さんが、下ネタ好きだって事だよ」
前言撤回しよう。
こいつは信用ならん奴だから、意見を聞くだけ無駄だった。
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「珍しく兄さんが声をかけてきたと思ったら、紅羽さんと兄さんの違いを尋ねられるとは思いませんでしたよ」
こいつは俺の実の弟で、名前は煉という。
いつの間にか武志の派閥に混じっていた。
宗家なのに分家の派閥に入るって、何を考え……俺も客観的に見ると、武志の派閥に入っていることになるのか?
……深く考えるのは止めよう。
「それで、違うと思うところがあれば教えて欲しい」
煉は、武志と違い基本的に真面目で、頭も良い。観察眼も養われているはずだから、何かしらの収穫があるだろう。
「そうですね。兄さんは、武志兄様に対する敬意が足りませんね。それに少々馴れ馴れしいですよ。武志兄様がお優しいからといって図々しいにも程があります」
「えっと、あまり面白くない冗談だな」
俺は、煉の奴が武志の冗談好きに毒されたのかと思い、笑ってやろうと思ったが内容が内容だけに流石に笑えなかった。
煉にはもう少し、笑いのセンスが必要だな。
「冗談?僕は武志兄様の冗談しか受け付けませんよ。それこそ冗談は、兄さんの顔だけにして下さい。ふふ、安心して下さいね、兄さんの顔の冗談センスは、中々のハイレベルなので女の子にはきっと受けますよ。ぷぷ…実は僕も、笑いを堪えるのが大変なんですよね」
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「武志大変だー!煉の奴がお前みたいな毒舌になっちまってるー!」
俺は、煉の豹変ぶりに慌てて武志の元に駆け戻ってきた。
「俺が悪いんだ!俺がずっと相手をしなかったせいで、煉の奴はお前の影響をモロに受けちまったんだ!」
俺は今からでも償えるだろうか?
煉の奴を正しい道に、元の天使のような煉に戻してやれるだろうか?
「大丈夫だよ、今でも煉は天使だよ」
「本当か!さっきのは煉の悪い冗談だっただけなのか?」
「さっき、てのは分からないけど、煉は今でも立派な『殺人タックル天使』だから安心しなよ」
「その天使じゃねぇえええええ!!」
「あはは、和麻兄さんはいつもハイテンションだね。大人しい僕だとついていけないや」
「お前の所為だろうが!それと誰が大人しいんだよ!」
「それは置いておくとして、煉が一体どうしたの?あの子は、殺人タックル以外は問題ないと思うけど」
「いや、さっき武志に質問したことを煉にも質問したんだよ。そしたらお前の事を讃えるような事を言ったり、俺の顔が面白いみたいな事を言ったりしたんだよ」
「別におかしい事じゃないよね。煉は、僕に懐いてるから、僕を持ち上げて喋る事もあるだろうし、和麻兄さんの顔が面白いっていうのも兄弟なら普通に言う冗談だよ。僕だって武哉兄さんに言うことあるけど、兄さんの方もいつもの事だから受け流しているよ」
「いや、そう言われたらそうなんだが」
「まったく、おかしな事をいう兄さんだね。おかしいのは顔だけにして欲しいな」
「そうか、俺が気にし過ぎただけなのか?」
「ほら、和麻兄さん。僕が今、和麻兄さんの顔がおかしいって言っても気にも留めなかっただろ。兄さんは、煉の事を天使だと特別視し過ぎなんだよ。煉だって普通の小学生なんだから多少は口が悪い時だってあるよ。今どき弟が天使だって本気で言ってる和麻兄さんの方が気持ち悪いよ。なに、ブラコンなの?」
「ウググ…ムカつくが、返す言葉ないとはこの事か!」
「ほら、問題が解決したんならサッサと行ってよ。僕はこれから綾と沙知の3人で遊びに行くんだからね」
「お前、小学生の癖して両手に花かよ」
「はぁ、すぐにそういう発想にいくから下ネタ好きだって噂になるんだよ。僕達は、まだまだ子供なんだから男女関係なしで仲良しなだけだよ」
武志は呆れたように俺を見るが、こればかりは俺の方が正しいだろう。
武志は、同年代を子供に見過ぎる傾向があるからな。
自分は早熟な癖して、他の子達は子供のままだと思ってやがる。
お前に影響された子達が、そんな訳ないだろうに。
現に証拠として、そこの物影から此方を伺っている視線に『余計な事を言うと殺す!』と言わんばかりの殺気が込められているぞ。
しかし、武志に気付かれずに俺にだけ殺気を感じさせるなんて、これは風術なのか?
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綾side
「余計な事を言ったら殺す!殺す!殺す!」
沙知は、さっきからずっと怨念を送り続けている。
風術で私達の気配は絶っているから、怨念も届かないだろうけど。
「今はまだ、友達として思い出作りをする段階なんだから、余計な事を言われて変に意識されたら困るのよ!」
「沙知は男の子っぽいのに、色々と恋愛の作戦を立てるところは女の子なのよね」
「当たり前よ。愛を手に入れる為には手段を選ぶなって、お母さんも言ってたもん」
「うーん。正しいといえば正しいのだけど、小学生の娘に言う言葉かしら?」
「当たり前よ、絶対に将来はライバルが増えるんだから、幼馴染みの特権を生かす為には、今の内にどれだけの思い出を作れるかにかかっているのよ!」
「そうね。武志は客観的に見ても優良物件だし、そんな事を抜きにしても純粋に好意を寄せてる子も多いわ。時間が経てば経つほどライバルは増えるでしょうね」
だけど自分の親友が、ここまで長期計画を立てて執拗に彼を狙っているのを間近で見続けていると……流石に引くわね。
「ちょっと、何よその目は。自分は関係ありませんって顔をしてるけど、綾もあたしの作戦に便乗してるくせに」
「うふふ、ごめんなさい。私達は運命共同体です。彼を射止める仲間ですもの」
「……そうだね」
「あら、どうされたの?元気が無くなってしまったけど」
「あのさ、射止めた後は…どうするの?」
「『私達は全員、武志の嫁!』じゃなかったのかしら」
「本当に子供の頃はそう思っていたけどね。でも、現実に結婚出来るのは……1人だけだよ」
「そうね。法的に結婚出来るのは1人だけね。でもね、知ってるかしら?結婚してなくても子供の認知は出来るのよ」
私の言葉にあんぐりと口を開く沙知。口を大きく開きすぎて凄い顔になっているわ。
「沙知、その顔は女の子として、どうなのかしら?」
「え、あ、綾が凄いこと言うからでしょう!」
「あら、そうかしら。女の幸せは結婚だけじゃないって、私のお母様は言っていたわよ」
「それは絶対に意味が違うと思うよ!」
「あはは、いいじゃない。どんな形になろうと私達が幸せになれるんだったらね」
笑いながら言う私に、沙知は呆れた顔になったけど、すぐに私と同じように笑い出す。
「あはは、そうだね。幸せの形はひとつじゃないもんね」
私達は一緒に笑い合う。
笑いながらふと思い出す。
先ほどのあの男の視線…沙知が怨念を送り続けていた時、たしかに私達を見ていたように思えた。
「風術で隠蔽していた気配に気付いていた?」
まさかそんな事をはあり得ないだろうと、私はその事を直ぐに忘れてしまった。
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綾乃side
私は思い出す。あの時の光景を…
私の前に居並ぶ分家の術者達。
分家の中でも実力者達だ。
そう、実力者。
神凪宗家が不在の時には、代行として神凪一族に連なる炎術師達を、互いに協力し合い束ねる役割を担っている者達だ。
それなのに…
『妖魔討伐での失態は、此奴が勝手な行動をしよったせいであります!』
『何を言うか!お主の独断専行がそもそもの発端ではないか!』
『お前が合図の前に飛び出したのを見ていたんだぞ!』
『現場には現場の判断があるんだ!そう都合よく合図通りに動けるわけないだろう!』
皆が責任を押し付け合うばかりで、そこには人々を妖魔から守る炎術師としての誇りなど感じられなかった。
『風牙衆如きなど、綾乃お嬢様がお気にかける価値などございません』
『我らの足を引っ張る者など、捨て置けば良いのです』
『逃げまわるしか出来ぬくせに、逃げ遅れた間抜けですぞ』
『風牙衆など、すぐに増えるのですから気にする必要などないのです』
風牙衆の…沙知のお父様の件について、当時の状況を確認しようと…きっと、本当は止むに止まれぬ事情があったと…一族の皆んなを信じたかった…私の願いは…あっさりと砕かれた。
こんな…こんな奴らが…
こんな…奴らが……沙知の…お父様を…
こんな奴らが……私と同じ…
神凪の…
「ふざけるなぁああああああああ!!!!」
心の奥底から込み上げてくる、堪え切れない程の怒り。
あまりの怒りのため、目の前が真っ白に染まる。
正直、この後の事はよく覚えていない。
気付いたら、沙知が泣きながら私の事を抱き締めてくれていた。
そして、近くには酷い火傷を負った武志の姿があった。(周囲で焼け焦げて転がっている分家の奴らはどうでもいい。息はあるみたいね…チッ)
恐らくは暴走した私から沙知の事を守ってくれたのだろう。
武志は、年下だけどいつも頼りになる。
本当にありがとう、武志。
酷い火傷までして沙知を。
本当に酷い火傷。
あれ…?
火の加護を持つ武志が火傷…?
「どうして武志が火傷なんかしてんの?」
今にして思えば、あの場であの台詞はなかったと思う。
武志の乾いた笑いの後の、平坦は声色が怖かった。
「あはは…綾乃姉さんの神炎に焼かれたからだよ」
「そ、そうだったんだ!私の所為でごめんね!」
武志に火傷を負わせたのが自分だと知り、慌てて謝る。
武志は着実に力を付けているけど、流石に神炎に触れれば火傷は免れないだろう。
むしろ神炎相手でよくあの程度の火傷で済んだと私は胸を撫で下ろした。
ん?
神炎…?
私が神炎を…?
「えぇえええぇええええぇえええ!?」
「綾乃姉さん、叫び声がキズに響くんだけど」
「……ごめんなさい」
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私は、あの時の記憶と感覚を思い出そうとする。
本当は、思い出したくもない記憶だけど。
私には誰にも負けない力が必要だから。
私は、必死に記憶を思い出していく。
ムカつく感情と共に思い出す。
私の苛烈な怒りに反応して、火の精霊が騒ぎ出す。
自分でも抑えきれない怒りが暴走しようとするけど、私は意志の力で対抗する。
怒りは炎術師の力の源になるけれど、振り回されては意味がない。
激甚な感情と冷静な理性という、矛盾した二つを支配下に納めてこそ、炎術師は真の力を発揮出来るのだから。
「くっ、ダメッ!暴走する!」
だけど、精神的に未熟な私は、怒りの感情に引きずられそうになる。
暴走する寸前、私の脳裏に浮かんだのは、軽い笑みを浮かべながら無茶苦茶な事をする…いつもの武志の顔だった。
何故か心が落ち着いた私は、武志のような笑みを浮かべる。
武志のように、うまく笑えてる自信はないけど。
激甚な感情も冷静な理性も、全てを軽く笑い飛ばして、私は前へと進む。
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和麻side
武志もダメだった。
煉もダメだった。
あと相談出来るのは…アイツだけか。
うーん。気が進まんが、背に腹は変えられんよな。
「よし、綾乃に聞いてみるか」
俺は、綾乃を探して神凪の鍛錬場に足を運ぶ。
「あそこまでぶっ壊れていたのに、凄え綺麗に直ったよな」
以前、謎の大爆発が起こって大破した鍛錬場は、以前以上に立派になって復活した。
まあ、謎の大爆発って言っても暗黙の秘密だけどな。
あの二人は一緒にいさせたら危険度がアップするよな。隔離しといた方が世の中のためになると思うぞ。
俺はそんなどうでも良い事を考えながら、鍛錬場の扉を開けた。
そして…地上に這い出てきた悪魔と出会った。
「アハハハハハハハハハハハ!!!!」
その狂笑は、心の奥底から原始の恐怖を呼び起こす。
邪悪に輝く瞳に射抜かれ、心の臓が鼓動を止めようとする。
悪魔の全身に絡みつくのは、血よりも紅く、夜の闇よりも昏い、地獄の業火だった。
「ひぃっ!?」
俺は恐怖のあまり、逃げ出す事はおろか、まともに悲鳴をあげる事すら出来なかった。
「だ、だれか……た、たすけ……て…」
俺は掠れた声で助けを呼ぶが、そんな小さな声が聞こえるわけもなく、逆に悪魔の注意を引くだけの結果になってしまった。
「アハハハハハハハハ!!こんな所にいたのね!!わたしの生贄がぁあああああ!!!!……なんちゃって(笑)」
「イヤだぁああああああ!!!!俺は死にたくないんだぁああああああああ!!!!」
迫り来る『死』を感じた俺の心は、その恐怖に耐えられずに大きく弾けた。
そして、鍛錬場は突如巻き起こった謎の暴風によって、跡形も無く吹き飛んだ。
キャサリン「次回!《キャサリン・リターンズ》乞うご期待!!」
武志「うーん。キャサリンの出番はまだだと思うよ」
キャサリン「お久しぶりね、武志。お元気だったかしら?」
武志「昨夜も国際電話でお喋りしたよね」
キャサリン「うふふ、わたし達の交友は続いているのよ」
武志「来年のパーティーが楽しみだよ」
キャサリン「ダンスの練習は順調かしら?」
武志「練習相手がいないんだよね」
キャサリン「(キラーン!)なるほどね」
武志「あはは、キャサリンが悪巧みしている顔になってるよ」
キャサリン「悪い女は嫌いかしら?」
武志「キャサリンだったら大歓迎だよ」
キャサリン「うふふ、後悔しても知らないわよ」
武志「キャサリンこそ僕を本気にさせたりしたら大変だよ」
キャサリン「うふふ」
武志「あはは」
和麻「俺の事を話題にしろよ!?」