追想 -少女と風祝の巫女-【完結】   作:鷹崎亜魅夜

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 そして少女は幻想の地に降り立つ。

 ではどうぞ。


最終話

 全てを語り終えた早苗は小さなため息を吐いた。

 

「これが私たち守矢がここに訪れた真の理由です」

「……」

 

 小町は唖然としてその話を聞いていた。このお気楽そうな巫女にそんな過去があるとは思ってもみなかった。人に歴史あり、とはまさにこの事だ。

 早苗は赤い顔を机に押し付けながら不貞腐れたように言う。

 

「ここに来てしばらくが経ちますが、その事だけは忘れることが出来ません……。いえ、忘れてはいけないんです。私は赦されていない……」

「そうは言うけどよおまえさん。全てがおまえさんの所為なワケじゃないだろう? その人間の小娘が産まれたのはおまえさんが関係しているのかい? 違うだろう?」

 

 小町の言う通り、彼女の出生に早苗は全く関わっていない。だから一概にも早苗の所為だとは言い切れない。

 

「でも私が関わったからあの子は……」

「それも結果論でしかないよ。おまえさんが関わらずとも、なんだっけー、その……きんじすかんは早まったかもしれない」

「なんですかそのジンギスカンみたいな……。筋ジストロフィーです」

 

 じ、じんぎす? と小町は困惑していた。重箱の隅を突くようなことをしてもしょうがないので話を進めることにする。

 

「今でこそ私は異能をコントロール下に置いていますが、私の意図に反して発動してしまうことはしばしばあります。それは強い想いだったり、失ってはいけないと本能で分かっているモノだったり様々です。諏訪子さまの言う通り、私は振ったサイコロの出目を一に揃える程度の『奇跡』しか起こせないんです」

 

 僅かな可能性を確実なモノに引き上げる程度の『奇跡』しか起こせない。早苗に出来ることは限られている。

 

「私の贖罪は……終わらないんです」

 

 守矢の信仰を集め、救われぬ者に救いの手を差し伸べる。そうすることで早苗は自分の罪を贖おうとしていた。そうすることが彼女への罪滅ぼしになると信じて。

 

 

 

 

 

 

 

「やっと見つけましたよ」

 

 

 

 

 

 

 

 居酒屋に厳かな声が響く。

 ビクッ、と小町が肩をすくませた。小町は油が切れたブリキのようにクビを回し、冷や汗を流しながらその人物の名を言った。

 

「え、映姫……さま……」

 

 小町とそう変わらない身長の少女――『幻想郷』の閻魔こと四季映姫・ヤマザナドゥだ。

 彼女はびくついている小町の上司に当たる。どうせサボっている小町を捜していたのだろう。自分には関係ないと思って早苗はコップの酒をちびちび口にした。

 

「いや~その~何と言いますか~……。そう! これは休憩! いや~参った参った、こんな所を映姫さまに見られちまうだなんてっ」

 

 身ぶり手ぶりでわたわたと釈明をする小町。そのさまを見て映姫はため息を吐いた。

 

「アナタはいつもそう言って……いえ、お説教は後にしましょう」

「お、おおぅ!?」

 

 がみがみと小うるさいことで有名な映姫が説教を取りやめる事なんてこれまでに一度も無かった。小町は「奇跡だ……」と呟いていたが、こんな下らないことを『奇跡』だなんて言われたくない、と早苗は思っていた。

 

「あちらこちらを歩きまわって漸く見つけましたよ……。私は貴女に用があるんです……守矢の巫女、東風谷早苗」

「え!?」

「……ん?」

 

 小町は驚愕し、早苗はワケが分からないと言った表情を浮かべていた。

 

「付いて来てください。小町、運んで」

「え、あ……はい……」

 

 ワケが分からないまま早苗は小町に担がれてしまった。そして小町は映姫の後を付いて行く。

 心地よい揺れに誘われ、早苗はまぶたを下ろした。

 どれくらい揺られていたか分からないが、早苗が目を開けるとそこは大きな建物の前だった。

 

「ここ、は……」

「お、やっと目が覚めたか。ここは映姫さまが務めている……裁判所ってやつさね」

 

 厳かな門をくぐり、中へと連れていかれる。果たして自分は何をされるのだろうか。ふと脳裏をよぎったのはあの少女だった。まさかここで映姫に裁かれるのだろうか。

 それも良い、と早苗は思っていた。どうせなら白黒はっきり付けられた方がマシだ。

 小町に揺られながらある部屋へと辿り着いた。

 

「先方はここで待っています」

 

 映姫の言い方に若干に違和感があった。先方ということは誰かがこの部屋に居ると言うことだ。こんな所で誰が待っていると言うのだろうか。

 

「すぐに戻ってきますが、私は持って来るモノがありますので中で待っていてください」

 

 映姫はそう言ってどこかへ行ってしまった。早苗と小町は映姫を見送る。

 

「……取りあえず、降ろすよ」

「はい……」

 

 多少ふらつきながら廊下に立つ。ほろ酔いと言ったところだろう。

 

「まあ、中に入るとするさね」

「ええ」

 

 ドアノブを捻り、室内へと入って早苗は驚愕した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこにはあの少女がいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あまりの驚きに酔いが醒めてしまった。それと同時に、口元を手で押さえる。戻しそうと言うワケではなく、ただ単純に驚きからその行動に出てしまっただけだ。

 

「う、そ……なんで、アナタがここに……!?」

 

 ここは『幻想郷』だ。あの世界の人間は『神隠し』と言う形で連れて来られることがたまにある。しかし、彼女は死んでいる。だとしたらここに居るのはそっくりだと言うのだろうか。

 否。早苗は知っている。

 その愛らしい顔、姿、眼差し……全てが本物だ。

 彼女本人だ。

 

「あり得ない……なんで、こんな所に……っ」

 

 早苗は混乱していた。何が何だか分からず後ずさる。

 

「落ち着きな、守矢の巫女」

 

 後ろから小町が早苗を支えた。

 

「あの人間がおまえさんとどう言う関わりがあるかは追求しない。でも、ハッキリ言ってやるよ。……あれは、魂だ」

「たま、しい……?」

「おまえさんら『人間』で言う所の幽霊ってやつだ」

 

 しかし妙だねえ、と小町はアゴを撫でた。

 

「奴はとっくのとうにくたばってるハズだ……。輪廻の歯車に戻ってる魂のハズだ。罪による穢れがない所を見ると、地獄に落ちたワケでもないだろうし……じゃあなんでこんな辺鄙な場所に……」

 

 小町がブツブツ言っていると、扉が開いた。

 

「その霊は『外』の管轄に居た霊です」

 

 巨大な鏡を台車のようなモノに載せ、映姫が入ってきた。

 

「『外』?」

「そうです。どうもその霊、そこの巫女に会いたかったらしくて『外』の閻魔が情けを掛けたのです。長い時間をかけ、漸くその巫女が『幻想郷』に居ると分かって、特別に許可をして連れてきたんです」

 

 映姫は鏡を床に置いた。

 

「玻璃の鏡……」

 

 小町はその鏡の名を呟いた。

 

「なんですか、その大きな鏡は……」

「玻璃の鏡……正式名称は浄玻璃の鏡ですが、これは死者の生前の善悪の行いを映す鏡です。貴女の感覚で言う所の『ぼうはんかめら』というやつです」

 

 なるほど、と早苗は頷いた。小町はワケが分からなさそうな顔をしていたが放って置こう。

 

「……なぜ、それを?」

「魂……死人に口無しというでしょう? 死者はしゃべることが出来ません。彼女は貴女に何かを伝えたいようなのですが、話すことが出来ないのでこれを用いることにしたのです」

 

 映姫が言うことなのであればそれは絶対なのだろう。彼女は『白黒はっきりつける』能力を宿している。つまるところ、彼女が黒と言えば黒となり、白と言えば白となる。だから彼女は閻魔と言う役割を担っている。誰の意見に左右されず、自ら判決を下す。

 

「そう、ですか……」

 

 彼女と会話が成立するのでは、と淡い期待があったがそれは見事打ち破られてしまった。出来ないのであれば仕方ない、と早苗は割切ることにした。

 

「では、見せます」

 

 ずざざ、と砂嵐のような荒い画像が入ったと思ったらすぐさま映像が流された。

 そこは病室で、少女の身体には電極や管のようなモノが幾本も取り付けられていた。その横にあるのは心電図なのか、ときどき「ピッ、ピッ」と規則正しい電子音が聞こえていた。そのさらに横にある大きな機械は、恐らく生命維持装置だ。

 小町は『外』の光景に興味津々そうだが、ワケの解らない機械などをみると首を捻っていた。まあ、『幻想郷』の住人からすれば未知の装置にしか見えないだろう。しかしそれは映姫も同じだったらしく、同じように首を捻っていた。

 

「アレはなんですか?」

 

 白黒はっきりしたいのだろう。早苗に問いかけてきた。

 

「私もそう医学に明るいワケではないですが、あれは生命維持装置と心電図です。あれで生命を維持しつつ、心拍を図っているんです」

「……『外』ってのはすごいねえ」

「ええ、全くです……」

 

 二人は『外』の科学力に圧倒されていた。

 映像の中の少女は目を開け、呟くように言った。

 

『……ああ、私は……死んじゃうんだね……』

 

 少女は確信したように言う。少女の脇に居るのは母親ともう一人。白衣をまとった男性だった。恐らく、彼女の父親だろう。彼女の父は病院の院長をしていると言っていた。娘の最期を看取るために訪れたのだろう。

 

『……自分の足で……歩きたかったなあ……』

 

 母親か父親か分からないが、洟をすする音が聞こえた。今際の際の娘を見て、思う所はたくさんあるだろう。

 

『いろんな場所に……行きたかった……。学校に……行ってみたかった……』

 

 少女は次々と有り触れた願望を言う。買い食いがしたかった、友達の家で遊びたかった、運動会に出たかった。どれもこれも、本当なら享受するはずだった日常。しかし、少女は筋ジストロフィーによってその日常が奪われた。

 早苗は人知れず拳を握っていた。

 

『……私の人生は……幸せじゃ……ない』

 

 そして少女は言った。

 呪いの言葉を。怨嗟の言葉を。恨みの言葉を。

 次に出るのは恐らく早苗と出会ってからの自分の人生だろう。早苗に会ってから少女は加速的に病を早め、それで命を落としたのだから。

 きっと少女はこれを聞かせたかったのだろう。早苗を糾弾したくて、彼女はずっと探していたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

『そう、思ってた……さなえちゃんに、会うまでは』

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、早苗の耳に届いたのは糾弾ではなく感謝だった。

 早苗は呆然とその場に立ち尽くしていた。

 

『何もかも、諦めて……生きることに絶望して……。こんなにつらい人生を送るくらいなら……死んだ方がマシだって……思ってた……。実際、死にたくても……身体は言うことを聞かないから、思うだけだった……』

 

 いずれは死ぬ運命だった。しかし少女は自らの手で自分の人生に終止符を打ちたいと思っていたようだ。

 少女の本心を聞いた父と母は涙を流していた。

 

『お医者さんは「いつかよくなる」とか「良い子にしていれば『奇跡』が起きるよ」なんて……言って……。でも、その目は……憐れみが、あった』

 

 気休め程度の言葉を投げかけておけば大丈夫だろう。少女はそうとらえられていたのかもしれない。

 

『……「奇跡」なんて……あるワケない……。カミサマは、意地悪なんだもん……』

 

 少女はやはり神を恨んでいた。無理もないだろう。遺伝子疾患を押しつけられ、それを喜ぶ人間なんていない。

 

『でも、でも……さなえちゃんは……違った……。さなえちゃんは、本当に「奇跡」を、起こした……っ』

 

 少女は嬉しそうに、若干興奮気味に語った。

 

『さなえちゃんは……私に、「奇跡」があるって……教えてくれた……。だから、私は、生きようと思った……。さなえちゃんだって、あのまほーを、使えるようになるために……「奇跡」を、信じた、かもしれないから……。だから……、だ、か……ら……わた、しは「奇跡」を……自分の病気が治るって……「奇跡」を、信じた……。さなえちゃんがいたから、私は……』

 

 けほっけほっ、と少女が噎せた。父と母が慌てるが、少女は笑顔を浮かべていた。

 

『さなえちゃんと過ごす時間は……とても、楽しかった』

 

 なぜ、そんな事を思う?

 早苗と出会ったことによって少女は早死にしてしまった、ここは早苗を糾弾すべき場面なのに!

 

『さなえちゃんと、一緒に居ると……胸が、ぽかぽか、した……。さなえちゃんと一緒に居ると…………辛く、なかった……。さなえちゃんと一緒に居れたら……それで、良かった…………。お姉ちゃんって…………こんな感じなのかなあ、って……思った』

 

 少女は涙を浮かべ、早苗との思い出を語っていく。一緒に食べたお菓子は美味しかった。一緒に読んだ漫画は刺激的だった。一緒に出た中庭は違って見えた。

 世界の全てがモノクロだった少女にとって、早苗は色を与えてくれた存在だった。それはもう『奇跡』の出会いだった。

 

 

 

 

 

 

 

『さなえちゃんのことが……大好きだった……』

 

 

 

 

 

 

 ぽたぽた、と早苗は大粒の涙をこぼす。少女の霊へ視線を送ると、優しく微笑んでいた。

 

『……今日、さなえちゃんに会えなくて……残念だった……。……ねえ、ママ……さなえちゃんは……笑ってくれるかなあ? パパ……さなえちゃんは……私の事、好きだったかなあ?』

 

 勿論よ、と母親は言った。好きに決まってるだろう、と父親は言った。

 

『……そっかあ……良かった……』

 

 心底安心したように、少女は言った。

 

『パパ、ママ……ごめんね……私はもう……先に死んじゃう……』

 

 心電図の様子がおかしい。先ほどまでは規則正しい電子音が鳴っていたのに「ピピピピピッ」と警告音のように鳴り響いた。

 もう、最期が近いのだろう。

 

『蛙さんは……らくさんいぅよ……』

 

 何を言っているのだろうか。ろれつも回らなくなり始めたのか、うわ言のように少女はそう言った。

 

『らから……良いの……。ぁくさんの蛙ぁん……だから……ゎたしは……』

 

 少女のまぶたは殆ど開いていなかった。もう開くだけの力も残されていないのだろう。

 死期が近い少女に、父と母が駆け寄る。両者とも滂沱の涙を流しながら少女の名を叫ぶ。

 それでも、少女は笑っていた。

 

「なんで……アナタは……」

 

 笑顔でいれるのだろう。

 消えゆく命の灯火を、懸命に絶やさないように、少女は力を振り絞る。

 枯れ枝のように細くなってしまった腕を懸命に上げる。しかし、やはり力足りずぺたりと途中で落ちてしまった。それでも、あげようとしているのだろう。少女の腕はプルプルと震えてた。

 

『……さぁえちゃんが、いたかあ……わらひは笑っへ……ぃねる……。だあらね……だからね、パうぁ、マうぁ……』

 

『奇跡』が、起きた。

 上がらないはずの両腕が上がり、少女は両脇に居る両親の腕を掴んだ。

 

 

 

 

 

 

 

『ろんな悲しい顔、ぃらいれ……?』

 

 

 

 

 

 

 

「ぁぁぁああ…………っ」

 

 

 

 

 

 なぜ、少女は笑うのだろう。

 決して幸せではない人生だったはずだ。決して満足のいく人生ではなかったはずだ。

 それでも、少女は笑う。

 私は『幸せ』だったと言うように、笑う。

 ぱたり、と少女の両手がベッドの上に落ちる。

 そして少女は笑顔を浮かべ

 

 

 

 

 

『……ああえゃん、あた、あおおぅぇ』

 

 

 

 

 

 最期の力を振り絞り。

 ろれつの回らない口で。

 末期の言葉を、言った。

 心電図から「ピ―――――――」と言う無機質な音と両親の泣き声が響き渡る中、少女は安らかに息を引き取った。

 

「ぁぁぁぁ…………ああああああああああああああああああああああああ……っ」

 

 早苗はその場にへたり込んだ。

 これが少女の最期だと言うのだろうか……ッ!?

 こんな報われない終わり方があって良いのだろうか……ッ!?

 なぜ少女がこんな目に遭わなければ……ッ。

 涙を流しながら早苗は拳で床を殴りつける。

 

「おまえさん……」

「……」

 

 小町も映姫もその姿を見てどう慰めて良いのか分からず立ち尽くす。そして映姫はこんな残酷な映像を見せて良かったのだろうか、と僅かに後悔を抱き始めていた。

 

「こんなの……こんなの、あんまりです……ッ。なぜあんな良い子が死ななくちゃいけないんですか……ッ! なぜ、なぜ……ッ!」

 

 拳に痛みなどない。それとは別の『痛み』が早苗を苦しめる。

 

「理不尽です……不条理です……不平等です……ッ。こんなの……こんなのって……」

 

 顔を上げて少女の霊を見る。少女の霊はそっと、こちらに寄ってきた。歩くと言うよりは滑ると言った方が正しいだろう。少女の霊は早苗の前に立つとしゃがんだ。

 早苗の事を見る目はとても優しく、愛に満ち、幸福感に溢れていた。

 少女の霊の口がゆっくりと開き

 

 

 

 

 

 

 

「……あぃ………あおぅ…………ああえ……ゃん……」

 

 

 

 

 

 

 

 早苗も、小町も、映姫も瞠目した。

 しゃべるはずの無い霊体が、しゃべったのだ。

 少女の霊は「もう心残りは無い」といった表情を浮かべた。

 

「ま、待って……ッ!」

 

 早苗が手を伸ばすもそれは少女の身体をすり抜けた。当たり前だ、実体を持つ人間が実体の無い霊体に触れられるわけがない。

 

「待ってください、私はまだ、アナタに言いたいことが……! アナタに伝えなければならないことが……ッ!」

 

 早苗は必死になって言葉を紡ぐも、少女は笑っているだけだった。そして

 

 

 

 

 

 ぱん、と小さな音と共に、少女の霊は消えてしまった。

 

 

 

 

 

「……ぇ?」

 

 突然のことに頭が追いつかず、早苗はポカンとしていた。

 キラキラと舞う光の粒を呆然と見送り、早苗は小町と映姫に振りかえる。

 

「……今の、は……?」

「……」

「アナタ方『人間』の概念で言う所の成仏です」

 

 小町は口を開こうとしたが閉ざしてしまった。しかし、映姫は早苗の事を見ながらハッキリと告げた。

 

「あの少女の霊はアナタにあの言葉を言うことだけが心残りだったのでしょう。その言葉をアナタに言うまで浄土に行けない、輪廻に戻らない……その想いが強かったのです」

 

 つぅー、と映姫の目から涙がこぼれていた。

 

「誇りに思いなさい、『人間』……。あの霊は……アナタに、最愛のアナタに……本当に伝えたかった真の言葉を……伝えたのです」

 

 そして、と映姫は続ける。

 

「全てをなした彼女は、心残りが無くなった彼女は……本当の意味で、逝ったのです」

 

 少女は逝った。成仏。心残りがない。

 

 

 

 

 

 

 

 少女はもう早苗の前に現れない。

 

 

 

 

 

 

 

「う、」

 

 堰き止めていた感情の荒波が早苗に襲いかかる。

 少女との出会いは偶然であり、たまだまだった。自分の気紛れで小さな『奇跡』を見せ、それから少女との交流が始まった。

 一緒に話し、笑い、時を過ごした。記憶の中の少女は快活で、笑みを絶やさない美しい少女だった。悲しげな表情を浮かべた時は抱きしめてあげた。身体の痛みに喘いで居た時は頭を撫で「私がいますから」と語りかけ、少女の不安を拭ってやった。

 そうした日常を、何よりも愛しいと思っていた。

 この時はいつまでも続けばいいと『カミサマ』に願ったこともある。

 それでも、現実は残酷だった。

 幼くして少女は命を落とし、早苗はその現実から逃げ此処までやってきた。

 そして少女は、早苗の目の前で、逝った。

 

 

 

 

 

 

 

 脳裏を過ったのは逝く寸前の少女が浮かべた、幸せそうな満面の笑みだった。

 

 

 

 

 

 

 

「うわぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッ!!」

 

 絶叫を上げ、少女の残滓を集めようと手を伸ばす。だが足が絡まり、床に顔から無様に転がる。それでも早苗は起き上がり、手を伸ばす。

 

「逝かないで! お願いだから逝かないで!」

 

 滝のように涙を流しながら早苗は叫んだ。手繰り寄せるように、早苗の両手は宙を掻く。早苗は喚き散らしながら、惨めったらしく宙を掻いていた。

 その様子を見ていた小町は映姫へと視線を移す。

 

「少し、酷じゃないですか?」

「なにがです?」

「最後のやつですよ。まさかしゃべるように仕組んであったとは思いませんでした。あたいはあの巫女から『外』に居た頃の『罪』を聞きました。その『罪』を贖わせるのに、あの仕打ちはあんまりだと、思うんですけど」

 

 映姫は閻魔だ。処罰するためとはいえ、流石にやり過ぎだと思う。しかし映姫は「心外です」と言った。

 

「私が裁くのは基本的に死者です」

「じゃあ、アレはなんだって言うんです?」

「アレに関して、私は関与していません。あの霊が勝手にやりました」

「な!?」

 

 そう言えばあの瞬間、映姫も驚いていた。そして映姫の言うことは絶対だ。

 

「それだけあの巫女に関する想いが強かったのでしょう。そしてその想いは『常識』を打ち破り、成し遂げるほどのチカラを持っていた。……私の口からは極力言いたくはないのですが……これは『奇跡』としか言えません」

 

 死人に口は無し。だから死人は、魂はしゃべれない。映姫も小町もそう思っていた。

 

「全ての物事に例外は付き物です。今回はたまたまそれだった……いえ、果たしてたまたまだったのでしょうか……」

「どういうことですか?」

「あの巫女の異能は『奇跡を起こす』です。ならば、今回のはたまたまではなく……いえ、野暮な詮索はしないでおきましょう。いつまでも此処で泣かれていては迷惑なので、仕方ありませんが、尻拭いをしてあげましょう」

 

 映姫はそう言って頭を振ると、早苗に近づいた。

 

「逝かないで……逝かないで……」

「いつまで悲観に暮れているのですか」

 

 呆然自失気味の早苗に向かって映姫は言った。

 

「死者の『死』をいつまでも嘆くことが贖いになると思っているのですか? 死んだ者は生き返らない。それは遍く世界に通ずる真理です。アナタの罪はアナタしか償えないのですよ?」

 

 早苗は涙と鼻水でグシャグシャの顔で映姫を見上げた。

 

「立ちなさい、東風谷早苗。その足で立って、前へ進みなさい。後ろを振り返っても何もなりません。歩みを止め、過去しか見れない者に生きる価値などありません」

「生きる……価値……? そんなもの……あの子を殺した時から……私にありませんよ……」

「愚か者」

 

 映姫はぴしゃりと言い放つ。

 

「ならばなぜ、あの霊はあんなにも『幸せそう』だったのですか?」

 

 死ぬ寸前でも、成仏する寸前でも。

 少女は幸せそうな笑顔を浮かべていた。

 

「傲慢に過ぎますよ、『人間』。それはアナタの罪業妄想に過ぎません」

「妄想……?」

 

 そうです、と映姫は頷く。

 

「きっとあの霊は心残りだったのでしょう。もしかしたら貴女が苦しむかもしれない。自分が死んだ事を知り、絶望するかもしれない。自分の死を、自らの罪だと言うかもしれない。……あの霊はとても思慮深く、また……貴女の事を、深く深く……愛していた」

 

 映姫は玻璃の鏡に近づくと、鏡の表面を一度だけ撫でる。

 

「あの映像を見せることで安心して欲しかったのでしょう。自分は絶望しなかった、辛い現実から逃げなかった、それだけの『強さ』を貴女から貰っていた。それがどうですか」

 

 じろり、と映姫は早苗を睨みつける。

 

「肝心の貴女はいつまでもめそめそめそめそと……。恥を知りなさい!」

 

 ビクッ、と早苗は肩をすくませる。いきなり映姫が大声を出したため小町も驚いていた。

 

「やれ自分の所為だ、やれ自分は赦されていないだのとのたまい己の傲慢を垂れ流し、あまつさえ惨めったらしく泣き喚いては霊の残滓を掻き集めようと醜態をさらし……。貴女は万能の神ではない、ただ一人の東風谷早苗という『人間』なのです!」

 

 ずんずん、と映姫は早苗の下へと近づく。

 

「それでもなお、無い己の罪を責めると言うのであれば良いでしょう。この私が直々に裁きを下してあげます」

「え、映姫様!?」

 

 映姫は確かに『幻想郷』の閻魔だ。しかし、彼女の基本的な役割は死人の魂への裁きだ。生者への裁きはやらなくて良いはず。

 映姫は早苗の前に立ちふさがる。

 涙を流しながら早苗は思った。

 ああ、それも悪くない。

 いつまでも早苗を苛ませ続けるこの『罪』から解放されるのであれば、どんな罰でも受け入れるつもりだ。

 それが例え、早苗の命を奪うものであったとしても。

 自分を見下ろす映姫の目はとても冷やかで、『温情』からはかけ離れており、きっと厳正な裁きを下してくれるだろう。

 映姫は

 

 

 

 

 

 

 

「生きなさい。あの娘の為に」

 

 

 

 

 

 

 

 そう、下した。

 早苗は彼女が何を言っているか分からない。勿論それは小町も同じことだった。

 あの人間の娘が輪廻に戻ったことは映姫も知っているにもかかわらず、映姫は「あの娘の為に生きろ」と言う。

 

「それが貴女の『罪』に対する『罰』です。貴女はあの娘の為に生き続けなければならない」

「もう、あの娘は居ないんです……。『世界』のどこにも……」

「だからこその『罰』です」

 

 映姫は説明をする。

 

「貴女は本来、己が習得すべき御業の修練を怠り、それが遠因でいたいけな少女の未来を奪い、死地へと追いやった。その業は死して償えるものではありません。貴女は贖罪として生きなければならないのです。そして、貴女は『命の重み』を知らなければならない」

 

 ふっと、映姫の表情が柔らかくなった気がした。

 

「死ぬことが贖罪ではないのです。生きて、己の穢れを雪ぐのもまた、贖罪へと成りえる。そのために『裁判』があるのです」

 

 人を殺して即死刑、なんてのは余程の悪人以外には適用されない。そしてそれは社会復帰してもなお、害を及ぼすと判断された者のみだ。大概はその『罪』に見合った『罰』を科せられる。その時間の中で『命の重み』を知るのだ。

 

「生きなさい、東風谷早苗。ただの『人間』よ。貴女が生きることによって『罪』は償われる。あの娘の為にも生きるのです」

「……」

 

 早苗の目に精気が戻る。

 映姫の言う通り、死んで楽になろうなんて甘すぎる。生きることでその者が生きるはずだった時間を噛み締め、日常を生きる事にただ感謝する。

 享受すべきだった時間を、自分が肩代わりするのだ。

 

「あの娘の為に……生きる……」

 

 早苗は自分の『罪』を忘れたりしない。忘れてはいけない。

 忘れず生き続けなければならない。

 

「少しはマシな顔つきになったじゃないか」

 

 小町は早苗の顔を見て朗らかに笑った。

 

「心は晴れませんが……少しだけ、光が見えた気がします」

「ならばその光を見失わないように、しっかりと目を開けなさい」

「はい」

 

 涙を拭い、早苗は立ち上がる。

 逃げない。

 あの少女は酷く辛い現実から目を逸らさず、その命を全うした。それは早苗のお陰だったと言っていたではないか。

 それだけの『奇跡』を起こしたのに、当の自分がこんなありさまでは少女に顔向けできない。

 

「私はもう……逃げません」

 

 まだ年若い早苗に、これからはあらゆる厄災が降りかかって来るだろう。

 時には挫折し、時には泣き叫ぶかもしれない。

 しかし、それでも朝日は昇る。

 明けない夜などない。

 

 

 

 

 

 

 

「守矢神社の風祝・東風谷早苗。推して参ります」

 

 

 

 

 

 

 

 早苗の表情から陰鬱としたものは消え去り、燦々としたものがさしていた。

 早苗はこの瞬間、過去と向きあい、それを受け入れ、新しく生まれ変わり、甦ったのだ。

 うん、と映姫は頷く。

 

「でしたら、さっさとここから出て里にでも行って来なさい。仕事の邪魔です」

「貴女が私を半ば強制的に連れてきたんじゃないですか……」

「貸し一つ、ですよ」

 

 映姫はそう言ってウインクした。

 閻魔に貸しを作ってしまい、返すのに苦労するかもしれない。この事を諏訪子や神奈子に話せばきっと頭を抱えるだろう。

 それも含めて、早苗が抱えなければいけない贖罪だ。こんな不出来な巫女で申し訳ないとしか言う事が出来ない。

 

「丸く収まったようだね。んじゃ、景気祝いに酒でも――」

「貴女は私と一緒に残業です」

 

 逃げようとした小町の首根っこを掴み、映姫が冷たく言い放つ。

 

「え、映姫さ……ま? 残業だなんて、嘘ですよね?」

「やる事は沢山あります。それに、貴女には先ほど出来なかったお説教もしなければなりませんし」

 

 小町は涙を浮かべながら早苗を見つめる。「助けれおくれっ」と目で訴えかけているが、早苗はにっこりとほほ笑み

 

「それが貴女の『罪』に対する『罰』なのでは?」

「あ、あ、あ……あんまりさねぇぇぇえええええええええええええええええッッ!!」

 

 映姫は小町をズリズリと引き摺りながら廊下を歩いて行った。

 自らの『罪』を告白し、それに対する『罰』を受けた早苗。

 早苗はの心に燻っていた『傲慢』はもうなりを潜めている。

 

「あの娘の為に、生きる……」

 

 早苗は蛙の髪飾りを一撫でし、撫でた手を見つめる。

 この手が取り零した命はもう帰って来ない。しかし、これからの命を守る事が出来るかもしれない。

 あの悲劇を繰り返さない事が、早苗の贖罪なのだ。

 そのためには、多くの人を助けなければならない。

 

「よしっ」

 

 軽く頬を叩き、早苗は歩き出す。

 

「さぁーって、里で守矢の信仰を集めましょーっ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 おーっ、と一人で拳を掲げ、意気揚々と自らを鼓舞する。

 陽炎のごとく揺れる光に向けて、間違う事のなく。

 風祝の巫女は、前へ進む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

           ―少女と風祝の巫女 了―

 

 

 

 




 己の罪を知り、業を認めた早苗。
 逃げた先で早苗はようやく『己』と向き合い、心に折り合いをつける事ができたでしょう。
 決して逃げることはできない『現実』は必ずあります。
 挫折しそうになっても歯を食いしばって立ち上がるしか『現実』に立ち向かえないことを知った早苗は『人間』として成長できたでしょう。 

 少女の起こした『奇跡』は早苗の心の傷を癒せたのでしょうか。
 それは早苗のみが知っています。

 最後に、ご愛読ありがとうございました。

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