追想 -少女と風祝の巫女-【完結】   作:鷹崎亜魅夜

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 そしてカミサマは……。

 ではどうぞ。


四話

 翌日、早苗は学校が終わるとすぐに病院へと向かった。曇天の空を見上げ、早苗は駆け足になる。

 

「一雨きそうですね……。早く行きましょう」

 

 昨日一日会えなかっただけなのに、とても寂しい気持ちになっていた。一日千秋の思いとはまさにこう言うことを言うらしい。

 いつものように病院につくとエレベーターに乗り込み、少女に居る病室を目指す。病室の前に立つと手鏡を取り出し、蛙の髪飾りが付いていることを確認する。

 

「よし」

 

 身だしなみも整っていることを確認し、勢いよく扉を開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 しかしそこには誰も居なかった。

 

 

 

 

 

 

 

「……あれ?」

 

 病室を間違えたのかと思って番号を確認する。何度見てもその番号は今まで自分が入ってきた病室と同じ番号だ。

 

「……」

 

 嫌な予感がする。早苗はそばを通りかかった看護師に問いかけることにした。

 

「あの、すみません」

「はい、なんですか?」

「この病室に居た女の子はどちらに?」

 

 すると、看護師は悲しそうな顔をして「そう、アナタが」と言った。

 

「?」

「……落ち着いて聞いて下さい。実は――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ん? 今日は早いね、早苗」

 

 諏訪子と神奈子は神社の境内にいた。帰ってきた早苗を見ていつものように「おかえり」というが、いつまで経っても返事がない。

 

「早苗、どうかしたのかい?」

 

 神奈子が近づいて早苗を覗きこむ。

 ゾクリ、と神奈子は戦慄した。

 なぜなら、早苗の顔に表情らしきものはなく――死んだ目をしていた。

 一切の光を失い、生きる希望すら感じられない胡乱気な瞳に、神奈子は言いようもない恐怖を感じた。

 

「早苗、おまえ……どうした!?」

 

 神奈子は早苗の肩を掴み前後に揺さぶる。早苗はうんともすんとも言わず、されるがままだった。

 

「何があったんだ早苗、なんでそんな虚ろな目をしてるんだ!?」

 

 幾度目かの呼びかけの後、早苗がゆっくりと顔を上げた。そして、小さな声で言う。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの子が昨日、亡くなったそうです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 それが原因。

 早苗から表情が消えた最たる要因。

 

「死因は筋委縮による心不全……。昨夜の二○時三七分に……息を引き取ったそうです。享年は……一一歳……」

 

 ねえ、神奈子さま。と早苗は虚ろな目で神奈子を見上げた。

 

「あの子はなぜ……死んだのですか?」

「……早苗……」

「死ぬ理由なんてないじゃないですか。一体何が原因なんですか? あの子は……何も悪いコトなんてしてないじゃないですか……」

 

 つぅー、と早苗の片目から一滴の涙がこぼれた。

 

「生まれて間もなくして病を発症……あの子は自分の足で大地を踏みしめたことがないんですよ? その後も病院でずっと治療を受け続けて……。苦しいも辛いも誰とも共有できず……。楽しい思い出なんてあるワケがない……。話し相手は看護師か両親だけ……。学校にも一度も通えず、同年代の友も出来ず……。ねえ、神奈子さま……どうして神様は不公平なんですか?」

 

 神である神奈子にとって、それは問われたくない問題だった。しかし神奈子は風雨や農業、争い事の神だ。お門違いにもほどのある質問だ。

 早苗もその事は理解しているのだろう。それ以上は言及してこなかった。

 

「おかしな話ですよね……今こうしているうちにも、人は絶えず死んでいる……。赤の他人に涙することは無いのに、知り合いが亡くなるだけでこうも揺さぶられるんですから……。こんなにも……胸が……痛むなんて」

 

 両手で胸を押さえる。早苗は顔を俯かせながらただ口を動かす。

 

「あの子は私と関わったばかりに『死』を早めてしまった。私の責任です、私がいけないんです……」

「そんなことはない、滅多なことを言うんじゃない早苗。おまえは出来る限りのことをしたじゃないか。私はここに縛られているから動くことは出来ない。でも、おまえから聞かされた話だけでも十分に娘の気持ちは推察できる。……おまえの所為なんかじゃない。全てはそういう運命だっただけなんだ」

 

 神奈子のその言葉に、早苗の中から感情が溢れだす。

 

「運命……? ふざけないでください……ッ。そんな取って付けたような言葉で、私が納得できると思ってるんですか!?」

 

 神奈子の手を振り払い、早苗は叫んだ。

 

「ならばあの子が病に罹るのは必然だったというんですか!? 偶然でも、偶々でもなくて、そう言う運命だから仕方ないと! あの子はそう言う運命を背負って生まれてきたと! 神奈子さまはそう言うんですか!?」

「違う、そうじゃない。私が言いたいのはそんな事じゃない!」

「じゃあどう言うことなんですか!?」

 

 ゴウッ、と早苗を中心に風が吹き荒れる。早苗に宿っている『奇跡』が暴走しているのだろう。感情が揺さぶられ、知らず知らずのうちに異能が発動しているのだ。

 

「割り切れるワケ無いじゃないですか! なんですか『運命』って、そんな下らない理由であの子の命が失われたんですか!? 理不尽じゃないですか! 不条理じゃないですか!」

 

 早苗がこんなにも激情型の人間だと言うことを神奈子は初めて知った。普段はお馬鹿なことを言ったり少しズレた発言をするので気にも留めていなかった。

 しかしそれは何も早苗に限った話ではない。

 どんな人間も、自分の『大切な何か』を傷付けられれば怒るのだ。

 早苗にとって『大切な何か』は『少女』だった。少女の『死』を運命などと軽い言葉で言われたことが、早苗にとって我慢のならないことなのだ。

 そしてそれは情が深ければ深いほど、ぞんざいに扱われた時に激しくなる。

 

「あの子はそんな下らない理由で死ななければいけなかったんですか!? 全ては運命だから仕方ないと!? だから諦めろと!? そんなのクソ喰らえですよ! 私はそんな現実を認めない! そんな常識を認めないッッ!! 大切な人間は、死んで欲しくないに決まってるじゃないですかッッ!!」

 

 はーっ、はーっ、と肩で息をする早苗。神奈子はその血走った目を見て言葉を紡げないでいた。

 

「死んで欲しくないに……決まって……」

 

 はた、と。

 早苗は閃いた。

 

「……くくく……なんだあ……簡単なことじゃないですかあ」

「早苗、おまえ何を……」

 

 神奈子は恐る恐る手を伸ばす。しかし早苗はその手を振り払った。

 

「そうですよなぜこんな簡単なことに気がつかなかったんでしょう……。あははははははははっ」

 

 早苗は両手を天に掲げて叫んだ。

 

「私は『神通力を持った少女』! その身に『奇跡を起こす』能力を宿した存在! 故に私は……神ッ!!」

 

 哄笑と共に早苗は言った。

 

 

 

 

 

 

 

「あの子を生き返らせる! 私の『奇跡』のチカラで!」

 

 

 

 

 

 

 

 それは悪魔の考え。

 それは世界の理を捻じ曲げる御業。

 それは倫理を無視した人外の思想。

 

 

 

 

 

 

 人が聞けば「そんなことできるワケ無い」と一笑に伏すところだろう。しかし、早苗は違う。早苗は『特別』だ。

 

「私にはそれを可能とするチカラがある!」

 

 光を失った瞳に、漆黒の闇が蔓延る。

 

「生き返らせるには完璧な仕様にしなければ……。あの子の病は完治させましょう、そして一緒に遊ぶんです。一緒にお出かけをして、お泊りなどをして……。男になんか渡しません、あの子は永遠に……私のモノに」

「早苗……おまえ……」

 

 歪んだ愛情が早苗を支配する。少女と触れ合っているうちに、早苗は妹のように思っていた。あんな可愛い妹を野郎なんかの手には触れさせない。穢れた目でも見させない。

 

「私はあの子にとっての救世主……。なにもおかしいコトなんて有りません……。大丈夫です何も心配はいりません……。だって私は神なんですから!」

 

 

 

 

 

 

 

「いい加減に目を醒ましな、クソガキ」

 

 

 

 

 

 

 

 ゴッ、と早苗の頬に諏訪子の鉄拳が叩きこまれ、早苗は無様に境内を転がった。

 

「人間風情が何調子に乗ってんの? これは躾をし直す必要があるね」

 

 諏訪子は早苗を見下す。口の中を切ってしまったのか、早苗の口角からは血が流れ出ていた。

 

「……諏訪子、さま……?」

「良いかい早苗……。その願いはどうしても叶わない。それは『絶対』なんだ」

 

 悲痛な面持ちで諏訪子は言う。

 

「なんでですか、諏訪子さま……? この『奇跡を起こす』能力を使えば、人間の一人くらい……ッ!」

「理由が必要かい? だったら言ってあげるよ……。そのガラスの心ごと、アンタの願いも打ち砕いてあげる」

 

 諏訪子は帽子を目深にかぶり、顔を見せないようにした。

 

「先にも言ったが、おまえの『奇跡』には程度がある。言っただろう? それに到達しうる可能性がないとおまえの『奇跡』は発動できない。ただの『人間』による『完全なる死』を克服した逸話は存在しない」

 

 つまり、と諏訪子は続ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

「おまえの『奇跡』では死者は生き返らない」

 

 

 

 

 

 

 

 

 早苗はぽかんと、口を開けていた。たたみかけるように諏訪子は説明を続ける。

 

「この世界は漫画やアニメ、ゲームといったフィクションじゃない。宿屋に戻ったら、教会に戻ったら、大きな代償を払うとか……そんなクソみたいな方法で人は生き返らない。いいか、早苗、もう一度言うぞ。死者は絶対に生き返らない」

 

 諏訪子の言葉による暴力。それは刃となって傷心の早苗を斬り付けていく。

 

「これだからゆとり世代は……。だから人を簡単に殺すんだ。どうせ生き返る、死んでもセーブポイントからやり直せる……命をなんだと思ってんだ!!」

 

 怒号が早苗の鼓膜を揺らす。早苗のガラスの心に亀裂が入る。

 

「ならばまずおまえが先に死ね! そして生き返ってみろ! できるか、できないだろう!? 命ってのはな、たったの一度きりなんだよ! だから尊いんだ! だから神聖なんだ! だから精一杯生きようとするんだよ! なんで未だにおまえらはそれが理解できないんだ!? なんでそんな簡単なことに気付けないんだ、おまえらは!? 命を軽々しく扱うな!!」

 

 諏訪子の激情が溢れ出る。諏訪子も神だ。きっと今までに多くの願いを聞いて来たのだろう。その中に、『命』を奪うモノや死者を生き返らせてくれという願いがあったに違いない。

 それが一体、どれだけの期間続いたことだろう。

 早苗の言葉が切っ掛けで、諏訪子の中で何かが弾けてしまったのかもしれない。

 

「命を……軽く、扱うな……早苗。…………それに、もし仮にそれが許され、扱える存在が居るとしたらただ一人。正真正銘の神の子、イエス=キリストだけが出来る業なんだ」

 

 おまえは絶対に出来ない。諏訪子はそう断言した。

 

「……………………………………………………………………………ウソだ」

 

 長い時間を掛けて、吐息のように早苗は言った。

 

「……え、だって……私だって『奇跡』を起こせ……。だったら私にだって……」

「おまえは確かに『奇跡』を起こせるし、現人神と言われているが、厳密に言えば違う。おまえは少々特殊な『人間』でしかないんだ。そして、死者は絶対に生き返らない。それは不変の真理であり、覆る事の無い絶対不可侵のルールだ。この世界の法則を捻じ曲げるコトなんて、『人間』の誰一人にもできやしない。おまえは神の子じゃない。『人間』だ」

 

 長い時間が流れた。早苗の両目に大粒の涙が溜まる。

 

「わた、し…………は……『奇跡』を、起こせる……ハズ、じゃ……?」

「驕るな、『人間』。おまえは確かに『奇跡』を起こせる。でもそれは振ったサイコロの出目が全部一になる程度のようなものでしかない。……おまえは、六面しかないサイコロで『八』の目を出せるか?」

 

 そんなもの不可能以外の何物でもない。早苗がしようとしていたのはつまりそう言うことなのだ。

 

「おまえの『奇跡』は僅かな可能性を確実なものに引き上げる程度だ。ゼロから一は創れない。……諦めろ、早苗」

 

 故に死者は生き返らない。ゼロになったものは、一にならない。『本当の奇跡』を起こせる神の子以外は。

 

「……はは、ははははは、ははははははははははははははは」

 

 掠れた笑い声が境内に響いた。

 諏訪子は早苗に背を向ける。そしてそのまま歩を進めた。

 

「おい、諏訪子……」

 

 何もそこまで言う必要はないんじゃないか。躾と言っていたが、これはそれとは少し違う。諏訪子のセリフは早苗のアイデンティティを崩す可能性を孕んだ、非常に危険性の高い『現実の認識』だ。多感な時期にそれを突き付けるのは、今後の一生を左右しかねない。

 その事を言おうと手を伸ばした神奈子だったが、帽子のツバを掴み、目を隠した諏訪子が小さく言う。

 

「赦せ……早苗……」

 

 震えた声に気付いた神奈子は伸ばしかけた手を下ろした。

 本当は言いたくなかったに違いない。ああだこうだ言っているが、諏訪子にとって早苗は愛しの子なのだ。しかし、あのまま放っておけば早苗は間違いなく堕ちる。それが分かっていたから、諏訪子は敢えて厳しい現実を突き付けた。

 将来を歪めてしまうかもしれないのであれば、今の内に根元を絶つ。

 

 

 

 

 

 愛しているからこそ、間違った道に進ませたくない。

 愛しているからこそ、厳しい事を言う。

 愛しているからこそ、時には憎まれ役を買って出る。

 

 

 

 

 

 

 

 全ては、早苗のコトを深く深く愛しているから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 親よりも親らしい『愛』に、神奈子は何も言うコトは出来なった。

 すぅ、と消えていく諏訪子の背を見送った神奈子は空を見上げる。

 

「……早苗……」

 

 早苗の胸中を慮り、神奈子は指を鳴らした。

 ぽつぽつ、と雨粒が落ちてきた。神奈子は天候を操れる。天気を操作して雨を降らしたのだ。

 降りしきる雨の中、早苗は壊れたように笑っていた。いや、事実壊れてしまったのだろう。あんな早苗は見るに堪えない。

 

「……」

 

 神奈子は一人笑う早苗を置いて本殿に戻ることにした。

 

「……すまない、早苗……。今の私にはこうすることしか出来ない……」

 

 せめてこの雨と共に悲しみを流してくれたら。

 その日、その地域だけ局所的な大雨が降った。

 雨は一晩中、降り続いたらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少女が亡くなりしばらくが経った。あの日から早苗は学校へ行っていない。

 自分の部屋で布団にくるまり、一歩も部屋から出なかった。

 

「……」

 

 辛い。

 形見である蛙の髪飾りを見つめながら早苗はそう思った。

 少女の葬儀には参列できなかった。行ったらきっと、感情が爆発してしまう。

 

「……もう、この世界に居たくない……」

 

 いたら思い出してしまう。

 

「私の所為で……」

 

 少女は死んでしまった。それは自分が殺したようなものだ。万人は早苗に「罪は無い」というだろう。そんな気休めの言葉を貰ったところで早苗の自責の念は消えない。唯一消えるとしたら、少女本人が許した時だろう。しかし、それはもう叶わない。

 この罪は一生、早苗に付きまとう。消えない罪を背負いながら生きていくしかない。

 

「早苗、少しいいかい?」

 

 気が付くと諏訪子と神奈子が部屋に入って来ていた。そう言えば、この二柱に壁とかそう言うのは意味の無いものだった。これまでにも入って来れる機会はあったはずだ。それをしなかったということは、他にやることがあったかせめてもの情けだったのだろう。

 

「……なんですか」

 

 精気の無い平坦な声。機械音とも思わなくもないそのトーンに、諏訪子も神奈子も悲しげな表情を浮かべた。

 

「……正統後継者であるおまえを抜きに、この話は進められないと思ってね」

 

 何の話だろう、と早苗は視線だけを二柱におくった。

 

「ここから引っ越そうと思ってるんだ」

 

 そう口火を切ったのは神奈子だった。

 

「……引っ越す?」

 

 どこに越すというのだろうか。しかしまあ、どこに行ったところでここで起きてしまった、背負ってしまった早苗の罪は消えはしないのだが。

 

「……どこに引っ越すと言うんですか? こんな世界……居たくないですよ……」

「……もう一度、やり直せる場所だ」

「?」

 

 早苗は首を傾げる。何を血迷ったことを言っているのだろうか。世界なんて一つしかない。それが常識だ。

 

「……この世界はゲームじゃないんです。セーブポイントもないしリセットも出来ない。もう一度やり直せるなんて……できっこない……。そう言ったのは……諏訪子さまです。私はこの世界で……業を背負って、生き地獄を歩んで行くしか――」

「『幻想郷』」

 

 神奈子はそう言った。

 

「おまえはこの世界に居たくないと言った。……その心の内は、察している。だから、逃げよう……早苗」

 

 膝を折り、早苗の前で神奈子はかがんだ。

 

「あまりにも辛い現実からは逃げて良いんだ。無理に押し潰されそうな悲しみと向かい合う必要はない……。だから新しい世界でやり直そう。ゆっくり時間を掛けて……早苗の心を癒そう。この世界では、それは出来ない」

 

 少女との思い出が色濃いこの世界では早苗の心は癒せない。傷付き、ボロボロになった心はちょっとした衝撃で壊れてしまうだろう。

 神奈子はそれを癒す術を探っていた。そして行きついた答えが『幻想郷』だった。そこにはこの世界のような便利なモノは無い。山奥の田舎のような世界だ。しかし、だからこそだと神奈子は思った。

 心に傷を負った者が都会から離れ、自然豊かな場所で療養するのと同じだ。

 そこで全てのしがらみを忘れ、新しい自分として生きていけばいい。

 生まれ変われば良い。

 神奈子はそう思って、あれこれ手段を模索し、やっとのことで辿り着いた。

 

「準備はもう整った。おまえさえ良ければいつでもこの神社ごと引っ越せる」

「早苗……どうしたい?」

 

 諏訪子と神奈子が問いかけて来る。早苗は全てを反芻する。そして全てを天秤にかけ、決断した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 早苗は境内から神社を見上げていた。この景色を見るのはこれで最後となる。

 

「……お別れ、です」

 

 頭に付けた蛙の髪飾り。それを一撫でして呟いた。

 これは彼女を象徴する遺品。

 これは早苗の罪を象徴する形見。

 早苗が背負っている十字架。

 早苗はこれを身に付けることで戒める。

 自らのチカラをコントロールし、もう二度と、あんな悲惨な思いをしないために。

 

「さて……行きましょう」

 

 歩き始めたところで後ろから「お久しぶりです」と声を掛けられた。

 振り返るとそこには少女の母親が立っていた。当然のように、車椅子はもうない。胸に突き刺すような鋭い痛みを覚えながらも、早苗は「お久しぶりです」と頭を下げた。

 

「娘さんの事は、看護師から聞きました。お悔やみ、申し上げます」

「いいえ」

 

 母親は小さく首を振った。

 

「何か、ご用ですか?」

「……お百度参り、と言いたいところですが……。申し訳ないのですが、肝心の人が亡くなった今……する意味が、無くなって。だから、せめて……アナタに、感謝をと」

 

 ズキン、と胸が痛んだ。早苗は小さく深呼吸をした。

 

「私は……」

「……アナタが何と言おうと、アナタは娘の救世主……最後だけでも、そう思わせてください」

 

 もう二度と触れられない彼女を思い出す。

 もう二度と笑い合えない彼女を思い出す。

 もう、二度と。

 こみ上げる涙を堪え、早苗は小さく頷いた。

 

「娘は最後の最後まで笑顔でした。それはきっと……アナタに出逢えたから」

 

 止めてくれ。そんな事を言わないでくれ。

 だって私は、あの子を殺したんだから。

 早苗がそう言っても母親はそれを否定するだろう。

 

「あの子に『奇跡(えがお)』を……『幸せな終わり』を与えてくれて……ありがとう、ございました」

 

 母親は深々と、長い間頭を下げていた。早苗は天を仰ぎ、涙を流さないように努めた。

 頭を上げた母親は「さようなら」と言って去っていく。早苗はその姿が見えなくなるまで見つめ続ける。

 

「早苗」

 

 振り返るとそこには諏訪子と神奈子が居た。

 

「……行きましょう。諏訪子さま、神奈子さま」

「……ええ」

「おう」

 

 諏訪子と神奈子が術を発動する。

 光の粒子が舞い、辺りを淡く輝かせる。

 

「さようなら……――――」

 

 

 

 

 

 

 早苗が何か呟いたが、それは誰の耳にも届かなかった。

 光が消えると、誰も居なかった。

 とある神社はもう、そこにはなかった。

 

 

 

 

 

 

 




 あまりにも辛い現実から逃げるのは、果たして弱いのか。
 それとも卑怯なのか。
 『過去』は無かったことにはできないのに。

 次話が最終話となります。
 ではまた。

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