二十年前の大洗女子   作:トウフ

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二十年前の大洗女子:後編

 戦車道全国高校生大会──通称公式戦。

 その決勝戦を、こうして会場で見る事になるなんて。ちょっと前までは思いもしなかった。

 戦車には、苦い思い出が多かったから。

 好きだけれど、距離を置いていた。

 母校の県立大洗女子学園が戦車道を復活させたと、その大洗女子学園に通っている娘から聞かされた時はまさかと思った。

 何度も自分の眼で確認しようとしたが、ただの噂だと決めつけて、娘の言葉を信用しなかった。

 怖かったからだ。この仄かな期待を裏切られてしまうのが。

 そもそも大洗女子学園には、戦車道を再開させる意味が無い。無いからこそ、二十年前に廃止されたのだ。

 けれど、あの朝。かつての大切な戦友の砲撃音を聞いた時、もっと早くに確認すれば良かったと後悔した。レストアされて蘇った戦友の姿に震えた。

 大洗で開催された聖グロリアーナ女学院との親善試合には、取るものも取らずに観戦に出掛けた。

 大洗女子は、グロリアーナに対して性能面で圧倒的に劣る中、Ⅳ号戦車の獅子奮迅の活躍で良勝負をやってのけた。

 それから学園艦を離れていたかつての学友達に連絡を取って、公式戦の観戦した。

 初戦の相手は潤沢な資金で豊富な戦力を保有するサンダース大学付属高校。

 この時の大洗学園の所有戦車はⅣ号をはじめとする五輌のみ。車輌数でも性能でも不利な状況に、遥々呼び寄せた学友達は、揃って敗戦ムードであった。

 でも、二十年前の大洗女子学園戦車道を率いていた隊長には悲壮感は無くて。

 あの栗色の髪の少女なら、この戦力差を引っ繰り返す戦術がある。そんな根拠の無い予想があった。

 聖グロリアーナとの親善試合で見せたⅣ号の動きは、素人の生徒達が操縦しているそれではなかった。確かに端々にはまだまだ技術の拙さは垣間見えたが、彼女達の訓練時間を考慮すれば、それでも驚異的な動きと言えるだろう。

 なにより、車長の指示が的確だった。

 代わって他の車輌は、ちょっと厳しい印象がある。38tに八九式。Ⅲ号突撃砲とM3。かつて売れ残ってしまった大洗の残存戦力達は、痛車ならぬ痛戦車と後ろ指を差されても文句の言えない派手な塗装が施されていて、グロリアーナ戦では良い戦術を駆使したものの、全車輌撃破されてしまった。

 こんな突拍子も無い、それこそ本来の戦車道から逸脱している素人達の集まり。

 でも、Ⅳ号の指揮の下で、強豪と謳われる聖グロリアーナを相手に健闘した。

 きっとやってくれる。例え相手が誰であろうと、あの栗色の髪の少女なら──。

 そんな気持ちで観戦したサンダース大付属との一回戦は、本当にギリギリのところで、大洗が勝利した。どれだけ卓越した戦術家でも諦めてしまうような危機的状況下だったのに。そのピンチをチャンスとばかりに活かして、あの短砲身で敵フラッグ車を狙撃してみせた。

 繊細にして大胆。

 勝利に対する断固たる意思。

 それを感じさせる正確な砲撃。

 二十年前の自分達に同じ事をやれ、と言われても、やれる自信は無い。

 少なくとも、十大会連続一回戦敗退を喫していた当時の大洗女子学園戦車道の精神では、あの状況下では諦めずにいられた自信が無かった。

 二回戦のアンツィオ高校は車輌の戦力差が殆ど無い状況だったので余裕を持って勝利できた。しかし、続く準決勝となる三回戦では、サンダース大付属以上の危機的状況に追い込まれた。

 それでも、二十年後の大洗女子学園は諦めなかった。

 貪欲に最後まで戦い、勝つ事を諦めなかった。

 そして勝って。

 今、二十年前の自分達では到底成し得なかった決勝戦に駒を進めている。

 相手は黒森峰女学園。二十年前の大洗女子を雑兵のように蹂躙した学校。

 戦力差は絶望的と言える。自分達の代ではもっと強力な戦車が何輌かあったが、今の大洗にはそれが無い。売れ残って、廃棄されないように必死に隠した車輌だけだ。

 戦車道に興味を持ち始めた娘にどれくらいの差があるのかと問われたので、アニメが好きな娘にも分かるように、国民的ロボットアニメを例に出して説明したら絶句していた。

 大洗は至って普通の量産型。

 黒森峰はワンオフの超高性能機。

 黒森峰が所有する重戦車や駆逐戦車と正面から撃ち合えるのは、大洗側ではポルシェティーガーくらいだろうか。八九式やM3は論外だ。他の車輌も、戦術を駆使しなければ話にならない。

 この状況を、あの少女──西住みほは、一体どう打破するのか。

 

「あんたならどうする?」

 

 参加選手が全員乗車し、審判の試合開始宣言を待つ中、隣に座っていたかつての通信手が訊ねてきた。

 大洗の戦車道が復活した事を一番最初に伝えた相手は彼女だった。学園艦を離れて上京していた彼女は大慌てでやって来て、二人で可愛い後輩達の練習風景を何度も見に行った。

 

「私にはどうしようもできないかな。できたのなら、きっとこうはなっていなかったと思う」

 

 でも、とかつての隊長は続ける。

 

「今の隊長なら、西住みほちゃんなら、きっと良い戦術を持ってくれる筈よ」

「西住流の跡取り娘か」

 

 呟いて、かつての通信手は大型モニターに映し出されている大洗女子の車輌を見た。そこにはフラッグ車──Ⅳ号戦車がエンジンを震わせている。長砲身を装備し、増加装甲のシュルツェンを備えた車輌は一回り大きく見えた。小豆色の塗装もあって、大洗の中心戦力としての威厳を持っている。

 

「あの子、どうして大洗に来たんだろうね。去年までは黒森峰にいたって話じゃない。しかもあの子が原因で去年の公式戦で黒森峰が十連覇逃したって。あんたの娘も知らないの?」

「ちょっと複雑な事情があるらしいけれど」

 

 その複雑な事情とやらには、件の公式戦十連覇失敗が絡んでいるのは間違いない。

 ネットの動画でその決勝戦の模様を見たが、西住みほの行動には驚かされた。

 彼女は、氾濫した川に飲み込まれた仲間を助ける為、フラッグ車である自らの車輌を放棄した。結果、黒森峰女学院は敗北したのだ。

 高校生戦車道の名門と名高い黒森峰の副隊長、しかも日本の戦車道の家元の中で最も規模の大きい西住流の少女が取る行動ではなかった。

 撃てば必中、守りは堅く、進む姿は乱れなし。西住流はこう謳う。

 何が起ころうとも前進を止めない。勝利を尊ぎ、強くある事を伝統とする。勝利を得る為には犠牲を払う事も厭わない非情な流派、それが西住流。

 そんな世界から生まれた筈の戦車道のサラブレッドのような少女が、試合を放棄までして、仲間を助けた。

 西住の名を背負っている以上、それはとても意外な事だった。

 大洗の学園艦に引っ越してきたのは、きっと黒森峰にいられなくなったからだろうと思う。いや、もっと言えば、西住家と上手くいかなくなったのかもしれない。

 勝利する事よりも、仲間を助ける事を選んだ彼女は、西住流と根本から違う。

 そんな西住みほが、今こうして大洗女子学園を率いて、かつての母校に戦いを挑んでいる。

 それはまるで、自分の戦車道は西住流とは違うと宣言しているようだった。

 

「複雑な事情、か。この試合を見てる私達も、ちょっと複雑ね」

「複雑って?」

「だって、二十年前にあたし達をボッコボコにしてくれた当時の黒森峰の隊長って、西住しほでしょう? その娘が大洗で隊長やって黒森峰と戦うなんて」

 

 その上、今の黒森峰の隊長は西住まほ、みほの姉である。こちらは正統派の西住流そのもので、充実した戦力で相手を真正面から叩き潰す制圧戦を得意とする。

 

「確かに複雑かもね」

 

 奇しくも西住対西住の構図になっているこの試合は、今までの公式戦以上に注目されていた。全国に中継されていて、固唾を呑んで見守っている視聴者も多いだろう。

 自分達では成し得なかった事だ。

 そんな舞台に、かつての自分の戦友──Ⅳ号がいる事が、少しだけ誇らしい。

 第二次世界大戦でドイツ軍を支えたワークホース。火力や装甲では、黒森峰が所有しているティーガーシリーズにはまるで及ばないが、信頼性では決して負けない。

 戦場を支えるのは、整備が煩雑で扱いの難しい高性能車輌ではない。

 汎用性が高く、誰にでも扱えて、どんな時でも確実に動作してくれる車輌だ。

 Ⅳ号に乗り込んでいる西住みほ達は、確かな技術を持っている。

 あの子達なら、Ⅳ号の性能を最大限に引き出してくれる。

 それがちょっと悔しくて。

 でも、誇らしい。

 

「負けるな、みほちゃん。負けるな、Ⅳ号」

 

 審判の号令と共に決勝が始まる。

 先手を打ったのは、森林地帯を重戦車で突破してきた黒森峰である。殆ど不意打ちのような砲撃の嵐に、大洗は開始早々三式中戦車を撃破されてしまった。

 

「あああああ! 三式がぁ!」

 

 二十年前に三式中戦車に乗車していた戦友達が一斉に悲鳴を上げる。

 準決勝のプラウダ戦には三式は参加していなかった。となれば、急遽この決勝戦の為にレストアしたのだろう。あの覚束無い動作からして、乗車している選手達も初心者に違いない。

 見ようによっては犬死に等しい。

 けれど、かつての隊長は違うと思う。

 不可解な後退行動中に、背後からティーガーⅡの砲撃を浴びて撃破されてしまったが、あの後退がなければティーガーⅡの射線は遮られる事が無かった。結果、別の車輌が撃破されてしまっていた可能性がある。

 その別の車輌は、あの位置からして、Ⅳ号戦車だ。

 

「偶然なのか狙ってなのか分からないけれど、良い働きをしたよ」

 

 そう言って、かつて三式に乗っていた同級生達を慰めた。

 その後大洗は沢山の奇抜な作戦を用いて、黒森峰に果敢に挑み続けた。

 濃霧のような煙幕の散布。陣地の制圧と利用と稜線射撃の応酬。小柄なヘッツァーを最大限に活かした奇襲と挑発。堅牢な装甲を持つポルシェティーガーの特性を活用した包囲網の一転突破。

 あの黒森峰が浮き足立って次々と撃破されてゆく様は、意地の悪い言い方になるが、痛快であった。

 かつての自分達では──二十年前の大洗では、一輌すら撃破できなかったのに。

 

「私達のポルシェティーガーが……分厚い装甲と八十八ミリの主砲しか取り得の無かったあの子が大活躍してる……!」

「あーでもやっぱり故障はしてるねー。ほら煙吹いてるわ」

「って走りながら修理してるし!」

「あれくらいできたら、私達でもP虎ちゃんとちゃんと使ってあげられたのかもね」

 

 いや無理だろうと、隊長は盛り上がる二十年前のポルシェティーガーチームに心の中で突っ込んだ。何処の世界に走行中の戦車の機関部を修理する選手がいるのか。あ、眼の前の後輩達か。あの作業着からして自動車部だろうか。自分達の代もだが、本当に自動車部には頭が下がる。

 戦況は大洗にとって順調に見えたが、市街地と平原地帯を隔てている川を渡渉中にM3がエンストを起こした事で、事態は変わった。

 

「中の子達、大丈夫かしら。一年生よね、確か」

 

 二十年前、M3に乗車していた同級生の一人が心配そうに中継モニターを見詰めていた。

 渡渉中にエンストは最悪だ。あのままではやがて水流に負けて横転する。しかも立ち往生してしまった大洗の背後には、黒森峰が大挙して押し寄せていた。遮蔽物も無く身動きも取れない状況では一網打尽にされかねない。

 M3を見捨てて、残りの車輌だけで渡渉するのは、この場合は当然の選択だ。

 でも、この状況は──。

 

「去年の決勝と同じか」

 

 西住みほにとって、一つの契機となったあの決勝戦。

 勝つ事よりも、仲間を助ける事を選んだ西住流の少女。

 彼女は、この大事過ぎる局面に於いても、仲間を助ける事を選んだ。

 自ら車外に出て、懸架用ワイヤーをM3に渡すべく、仲間の車輌を足場にして跳んだ。

 そんな隊長を助ける為、全車輌が追撃してくる黒森峰へ砲撃を叩き込む。

 ただその中で、回転式砲塔の無いⅢ号突撃砲だけが哀愁を漂わせていた。

 

「どうして……どうしてあなたには砲塔が無いの、Ⅲ突!」

 

 涙を呑むかつてのⅢ突搭乗者達。砲塔があったらⅢ号戦車にならないか、という無粋な突っ込みは胸の中に仕舞っておこう。

 ふと気付くと、周囲の見学者達は、声を上げて西住みほを応援していた。

 

「本当に西住流らしくない子ね。あの子は」

「だからこうやって応援されるんだと思うよ?」

 

 戦車道は戦争ではない。

 勝つ事も大切だ。

 でも、きっと勝利だけでは得られないモノがある。

 戦車道は、その得られないモノを自ら探す手段ではないのか。

 M3の一年生達に涙ながらに感謝される西住みほを見ていると、そう思わされる。

 

「頑張れ、みほちゃん」

 

 そんな呟きは、けれど、市街地戦に於ける黒森峰の伏兵──第二次大戦時にドイツ軍が誇った至上最強の戦車マウスに押し潰される。

 前面装甲最大二百四十ミリ。百二十八ミリ砲を搭載した超重戦車。大洗最大火力のポルシェティーガーの主砲すら容易く弾くその様は、まさしく鋼鉄の化け物だ。

 

「いやいやいやいや! あれ反則でしょう!? あんなのどうやって倒すの!?」

 

 かつての通信手が騒ぐ。全くその通りだ。黒森峰がマウスを前線に投入した回数は少ない。そもそもあれを出さずとも、黒森峰の戦力は充実し過ぎているからだ。

 マウスの砲撃で、B1とⅢ突が大破。これで大洗の戦力は一気に削がれた。そしてこのままではマウスとティーガーⅠ率いる本隊に挟撃される。

 これは土壇場だ。ここで踏ん張って戦況を変えなければ、それで試合は終了する。

 普通なら戦意が尽きても不思議ではない状況。

 でも、大洗は動いた。大胆に、そして断固として。

 観客達が固唾を呑む中、ヘッツァーと八九式が組み体操じみた真似を行い、Ⅳ号の砲撃でマウスを撃破した。恐らく黒森峰始まって以来のマウス撃沈であろう。沸き上がる観客を尻目に、かつての隊長は茫然とモニターを見詰めるばかりだった。

 思いついたとしても、実践しようなんて思えない戦術だ。

 自らマウスの下敷きにされに行ったようなヘッツァーも、そのヘッツァーを踏み台にしてマウスに乗り上げて巨大な砲塔を押さえ込んだ八九式も、これしか手がなかったにしろ、無謀の一言だ。

 それでも実行した。

 自分達の隊長を──西住みほを信じたのだ。

 そして、自分達が乗る戦車を信じた。

 二十年前に38tを愛車にしていた同級生達は、原型を留めないほどに改造されたかつての愛車に複雑な表情を見せていたが、エンジンから黒煙を上げて走行不能となったヘッツァーに涙ぐんでいた。

 

「あんな所に野晒しにしちゃってごめんね、38t。でも良かったね。原型無くなっちゃったけど、ちゃんと使ってくれる人達に出逢えて。本当に──良かったね」

 

 大洗は、これで残り四輌。対して黒森峰は十四輌。車輌数は三倍以上で、更にヤークトティーガーとエレファントが健在だ。

 

「こうなると」

「意地でもフラッグ車を叩くしかない」

 

 通信手の呟きを、隊長が継ぐ。

 でも、一体どうやって。黒森峰がこの圧倒的優位性を自ら捨てるようにフラッグ車を危険に晒す真似を──。

 

「いや、する」

 

 黒森峰のフラッグ車に乗車しているのは、西住流を体言している西住まほだ。彼女に後退の二文字は無い。状況次第で、戦陣を切って大洗のフラッグ車──妹のⅣ号を撃破に掛かる可能性がある。

 それはすぐに現実になった。細い路地を進む大洗の車輌を、黒森峰のフラッグ車であるティーガーⅠが追走している。大洗は少ない戦力を更に分散した。

 八九式は公式戦参加車輌最弱ながら、限界まで改造された機動性を生かして、敵重戦車達を手玉に取った。

 M3の一年生達は危険を冒して助けてくれた西住みほに報いるように、自らの大破を引き換えにして、ヤークトティーガーとエレファントを撃破した。

 

「あの一年生達、これからの大洗戦車道を支えてく子達かもね」

 

 大金星もここに極まった戦果だ。通信手の呟きに、隊長も力強く肯く。

 一方で、Ⅳ号は複雑に入り組んだ構造の学校校舎に敵フラッグ車のティーガーⅠを誘い込む事に成功する。一つしかない出入り口には、ポルシェティーガーが陣取り、押し寄せてくる黒森峰の車輌達を威嚇するように八十八ミリの砲塔を発砲した。

 それが、欠陥兵器の烙印を押された試作車輌と、第二次大戦でドイツ軍を牽引した駆逐車輌達との正面砲撃戦開始の狼煙となった。

 爆音。衝撃。黒煙。

 濃霧の如き硝煙が小さな出入り口に蓋をするポルシェティーガーを包み込む。敵は八輌。八の砲門がたった一輌に向けられ、砲火を散らした。

 十輌しか作られなかったフェルディナント・ポルシェの忘れ形見は、しかし、その場を動かない。度重なる被弾で剛健な装甲は歪み、履帯は吹き飛び、砲塔が動かなくなる。それでも踏み止まる。それどころか、八十八ミリ砲で敵車輌を二輌撃破してみせた。

 ポルシェティーガーは、Ⅳ号とティーガーⅠのフラッグ車同士による一対一を守る最後の砦だった。

 

「頑張れP虎……! 頑張れぇ……!」

 

 ここでもしM3がヤークトティーガーとエレファントを撃破していなければ、ポルシェティーガーも早期に撃破されていたに違いない。一年生達の奮闘は実を結んだのだ。

 学校校舎では、Ⅳ号とティーガーⅠの決闘が続いていた。火力も装甲も負けているⅣ号は満身創痍の様相を呈している。シュルツェンの大半が吹き飛び、何度も砲弾が掠めた車体は塗装が剥げて酷い有様だった。

 にも拘らず、軽快に疾駆する。確実にティーガーⅠへ命中弾を与えている。

 搭乗者の技術差は無いに等しい。後は車長の判断能力がすべてだ。

 その時、三輌の重戦車を相手に健気な陽動作戦を繰り広げていた八九式中戦車が、ついに撃破された。車体後部に被弾し、衝撃で宙に浮いて、黒煙を曳いてアスファルトを滑る。何度も敵に命中弾を与えていたのに、掠り傷にしかならなかった。

 そして、残り六輌となった敵車輌から集中砲火を浴びせられていたポルシェティーガーも、最後に可愛らしいライオンのエンブレムを吹き飛ばされ、擱座した。

 残ったのは、西住みほのⅣ号戦車のみ。

 誰が見ても勝敗は決している。

 でも、それを言うなら、この試合そのものが始まる前から馬鹿馬鹿しいほどの戦力差があった。

 敵フラッグ車と決闘下にある今は、むしろチャンスだ。

 西住みほなら、きっとそう考えている。これまでの作戦は、この瞬間の為の布石だった筈だ。元よりこの方法でしか、黒森峰との戦力差を覆す方法は無い。

 

「ここまで来たのよ。皆の頑張りを勝ちに変えて、みほちゃん」

 

 かつての自分は、皆の頑張りを形にできなかった。

 勝つ事ができなくて、大洗の戦車道を閉ざしてしまった。

 それを開けてくれた二十年後の後輩に勝って欲しい。

 勝つ事だけが戦車道ではない事を、勝つ事で体言して欲しい。

 勝たせてあげられなかったⅣ号戦車を、勝たせて欲しい──!

 Ⅳ号が、みほが、動く。

 疾駆し、砲撃し、アスファルトを滑る。履帯や転輪への負担を無視した強引極まる機動。

 金属の悲鳴。

 舞い散る火花。

 削られるアスファルト。

 慣性で滑るⅣ号が発砲。ティーガーⅠは頑健な正面装甲で受け止めて反撃するが、斜めに滑るⅣ号の車体を捉えられない。

 Ⅳ号は止まらない。履帯が引き千切れる。転輪が脱落する。僅かに残っていたシュルツェンが巻き添えになる。

 でも、大洗女子学園の校章である『洗』が貼られたシュルツェンだけは残った。

 それはきっと、二十年前から今日に至るまで大洗を支えたⅣ号戦車の意地。

 ティーガーⅠの後部に回り込む。

 眼前には敵の八十八ミリ砲。

 これを、Ⅳ号は自らの砲身で横へ弾き、後部機関室へ補足する。

 二輌のフラッグ車は、ほぼ同時に発砲した。

 爆炎と黒煙が二輌を包み、そして──。

 

 

 

 公式戦優勝以来、みほはあれこれ慌しい毎日が続いていた。

 戦車道を選択する生徒が増えたのは良い事だが、そこは未だに資金繰りに悲鳴を上げる大洗女子学園。新たな車輌を購入する金も無く、希望者には暫く待ってもらう事になっている。

 黒森峰戦で特に損傷の激しかったポルシェティーガーのオーバーホールも終わり、今日は久しぶりに全車輌揃っての練習ができた。

 大浴場で汗を流し、解散になった後。いつものようにアンコウチームの面子を帰ろうとした時、みほは教室に戦術ノートを忘れてしまった事に気付いた。

 

「ごめん。私、ちょっと取りに行ってくる」

「じゃ校門で待ってるねー」

 

 手を振る沙織達と別れて、一人教室へ。

 愛用の戦術ノートを鞄に詰めて、生徒用昇降口に急いでいると、見慣れない人影を見つけた。

 初老の教師に先導されて夕暮れに沈む校舎を歩いている一人の女性。歳はみほの母親と同じくらいか。生徒の保護者だろうかとも思ったが、何だか雰囲気が違う。廊下を見渡す眼は優しく、懐かしんでいる様子が窺えた。

 女性は教師と連れ立って廊下の奥に消えてゆく。その先は校舎の裏に繋がっていて、そこから運動場へ出られる構造になっていた。

 何となくだが、気になった。

 沙織達にもう少し待っていて欲しいとメールを送ると、みほは女性の後を追った。

 校舎を進んだ女性は、そのまま運動場へ出て、赤レンガで造られた戦車の格納庫前で足を止めた。老教師から格納庫の鍵を預かると、中に入ってゆく。

 一体誰だろう。戦車道を選択している生徒の保護者だろうか。でも、もう授業は終わっている。娘を迎えに来たのなら、ここには用は無い筈なのだが。

 みほは立ち去ろうとする老教師を呼び止めた。

 

「あの、すいません。さっきの方は……?」

「ああ、うちの卒業生だよ。もう二十年前になるが」

 

 二十年前。それはもしかして。

 

「君達の前の代──二十年前の大洗女子戦車道を引っ張っていた隊長さんだ」

 

 

 

 そっと格納庫に入る。

 天井の窓から差し込む夕暮れが、戦車を赤錆色に染めていた。

 その中に、あの女性の姿があった。

 Ⅳ号戦車の周りを噛み締めるように歩いて、時々触れて、眼を細めている。

 その横顔は、娘の成長を喜ぶ母親だった。

 もっとも、みほはそんな顔をした母親──しほを、見た事が無いけれど。

 その時、床に転がっていた工具に躓いてしまった。

 甲高い金属音が、ひっそりとした格納庫内に響く。

 驚いた様子で振り向いた女性と眼が合った。

 

「あら。見つかっちゃった」

 

 そう言って、女性は悪びれた様子で笑った。

 

「す、すいません」

「こちらこそごめんなさい。勝手に入っちゃって」

「い、いえ、とんでもないです。あの、えっと」

「……西住みほさんよね?」

「は、はい!」

 

 すると、女性は可笑しそうに微笑んだ。

 

「戦車に乗ってる時とは随分違うのね」

「……よく言われます……」

 

 副会長からも、普段から戦車に乗っている時と同じくらいしっかりしろ、と怒られている。

 そんなに頼りなく見えるだろうか。そんな風に考えていると、女性から丁寧に謝られた。

 

「そんなに真剣に考えないで。ちょっとからかっただけだから」

 

 そして、女性はⅣ号の車体に触れる。ゆっくりと、その金属の感触を確かめる。

 

「今の子達に合わせる顔が無くて、ずっと遠くから見ていたんだけれど。ちょっと我慢できなくなっちゃってね。今日はお邪魔させてもらいました」

「……もしかして、二十年前にⅣ号に乗っていたのは」

「私です。貴女みたいにこの子の力を引き出す事もできなかったし、皆の頑張りを形にしてあげられない駄目な隊長だったけれどね」

「そんな」

「二十年前にね、戦車道廃止撤回を賭けた公式戦で、初戦から黒森峰と当たって、一輌も撃破できずに終わっちゃったの。良い戦車は殆ど売られちゃって、お世辞にも強いとは言えない子達しか残せなくて、それも廃棄されるのを防ぐ為に色々な場所に隠して。二十年後の貴女達に満足な戦力を残せなかった」

 

 Ⅳ号と共に並んでいる戦車達に、女性は眼を細めた。

 

「しかも今回の公式戦、大洗女子学園の廃校を撤回させる為に、どうしても優勝しなくちゃいけなかったんでしょう? 新聞で読んでびっくりしたわ。本当に負担ばかり背負わせてしまってごめんなさい」

 

 確かに、負担が無かったと言えば嘘だ。

 酷いプレッシャーもあった。

 でも、それは誰の所為でもない。

 それに、そうした状況にあったからこそ、みほは今を掴む事ができた。

 小学生の頃、離れ離れになってしまった親友と約束した、「自分の戦車道を見つける」事ができた。今なら、遠いドイツに行ってしまった親友に胸を張って会える。

 二十年前の先輩達に謝られるような事はされていないのだ。

 それどころか、ただ逃げていただけの自分に、これだけの沢山のモノをくれたのだ。

 

「そんな事ありません。先輩方がこうして戦車達を遺して下さったから、私達は最後まで戦えたんです。そして、自分の戦車道を見つけられたんです」

「……そう?」

「はい!」

 

 力強く肯いてみせると、心配そうにしていた二十年前の隊長は、ふっと笑った。

 

「これから時々同級生連れて見に来てもいいかしら?」

「勿論です!」

「……ありがとう、西住さん。本当にありがとう」

 

 はにかむ二十年前の隊長に、二十年後の隊長もまたはにかんだ。

 

 

 






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