二十年前の大洗女子   作:トウフ

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二十年前の大洗女子:前編

 ──戦車道の廃止。

 寝耳に水だった訳ではない。予兆は以前から幾つかあった。

 県立大洗女子学園には何も無い。普通の女子校で、普通の学園艦なのだ。

 歴史が確かに古い。由緒正しき伝統だってある。

 だが、言ってしまえば古いだけだ。他に誇れる長所が無い。

 今年になってはじめて新入生徒数が減少したが、誰だってこんな普通の学園ではなく、もっと華やかで明確な良さを持つ学園で学ぶ事を望むだろう。

 更に各部活動も目立った実績が無い。

 それは、戦車道に於いても同じだった。

 大洗学園には金も無い。特別に貧困なのかと言われればそうではないが、例えばサンダース大付属高校と比較すれば雲泥の差だ。

 そんな低予算運営なので、何かと金のかかる戦車道の実績がついてこないのは無理も無い。

 全国大会十年連続一回戦敗退。今や出場するだけ無駄という風潮すらある。他校の生徒からは戦車道の名を貶めていると中傷される始末だ。

 戦車道は、もはや学校の誰からも期待されていないのは分かっていた。

 年々予算枠は削られ、もはやその額は雀の涙にも等しい。自動車部が支援の手を差し伸べてくれなければ、満足な整備すら困難な状態だ。

 これで続けろ、という方が無理難題であろう。

 戦車道。世界の女子に受け継がれている伝統的な文化。淑やか且つ慎ましく、礼節を持ち、凛とした婦女子を育成するべく創られた武芸。他にも優れた武芸や文化は溢れているが、戦車道には、他では味わえない素晴らしいものがある。

 それは、仲間の大切さだ。

 戦車道の廃止は、それらを捨てるに他ならない。

 反対はした。生徒会と結託して、文科省に直訴もした。学園艦の中で戦車道廃止の反対署名もたらふく集めて提出した。

 けれど、すべてが無駄だった。

 文科省の決定は絶対だ。どれだけ声高に叫ぼうが、文科省にとっては大した活動実績も出せない女子高生達の喚きとしか受け取れない。

 学園艦の維持運営には莫大な金が必要だ。生徒数の減少や目立った実績の無い学園は、順次統廃合されている現実がある。

 今回は戦車道廃止だけで済んだが、このまま大洗女子学園が平凡である限り、そう遠くない未来にこの学園艦そのものが消えてしまうのではないか。そんな危機感を持った戦車道選択者は多かった筈だ。

 少なくとも、大洗女子学園戦車道最後の隊長となってしまった三年生の少女は、その重い危機感を持っていた。

 隊長は今日も一人で愛車──Ⅳ号戦車の整備を黙々と行う。

 戦車道の廃止が決定した以上、もう走らせてやる事もできないが、今日までずっと一緒に戦い続けてきた愛車だ。最後の一瞬まで一緒にいてやりたい。

 大切な戦友なのだから。

 

「ごめんね。最後まで一回戦敗退で」

 

 今年の全国大会──公式戦も、一回戦で敗退した。

 この大会で優秀すれば戦車道存続も有り得る──全員がそう意気込み、全身全霊で挑んだ一回戦は、しかし、相手との戦力差があまりにも絶望的だった。

 対戦校は黒森峰女学院。最強を謳われたドイツ軍の車輌を大量に運用しているこの学校に対して、大洗女子学園は何もできなかった。一輌も落とせなかった。

 比較するのも馬鹿馬鹿しい彼我戦力差。無敵の戦車とも呼ばれたティーガー等を相手に、Ⅳ号を中心戦力とした大洗が満足に戦える筈も無かった。

 特にフラッグ車を務めたⅣ号戦車は、実際の戦争ならば五回以上は破壊されている火力に晒された結果、43口径75ミリの長砲身は叩き折られて車体も満身創意となってしまった。

 もはや廃車レベルの破損状況だったが、自動車部の厚意と隊長等によって修理は進んでいる。装甲や履帯の交換も終えて、取り敢えず走行が可能な状態まで漕ぎ着けた。

 もっとも、例え修理が完全に終わったとしても、このⅣ号戦車が再び疾駆する事はない。

 隊長がこのⅣ号戦車の車長を務める事も無い。

 終わったのだ、彼女の戦車道は。

 

「ホント、こんな事やってても、続けられる訳じゃないのにね」

 

 自嘲の笑みを堪えられない。

 自分にもっと隊長としての適性があれば。もっと良い戦術を考案できれば。この子の──Ⅳ号の性能を最大限に発揮させてやれば。

 こんな悔しい思いはしなくて済んだのかもしれない。

 今日まで鉄と油の匂いの中で苦楽を共にしてきた仲間達と、悔し涙を流さずに済んだのかもしれない。

 

「あー。やっぱここにいたー」

 

 頭上からの声に顔を上げると、乗務口から顔だけを出している少女がいた。

 

「何処にもいないから探したよもー」

「ああ、ごめんね。この子の修理を進めたかったから」

 

 彼女はⅣ号で通信手を務めていた。お世辞にも適性があるとは言い難い隊長を支えた、大洗の翳の功労者とも言える。

 

「……修理か。こう言っちゃうと怒られるかもしれないけど、修理、終わらない方がいいのかもしれないよ……?」

 

 ボロボロの車内を見渡しながら、通信手が呟く。

 もう戦車道は無くなったから──彼女の発言は、それが原因ではない。

 戦車道廃止は、大洗女子学園が所有する戦車の存在価値をゼロにした。

 戦車道をやらない以上、戦車は場所を取るだけのただの鉄屑だ。文科省の学園艦教育局からは、予算確保の為の売却案が提示されていて、既に幾つものの車輌が売却されている。そこそこの値がついたのは、朗報というべきなのかどうなのか。

 

「皆、泣いてたね」

「……今日まで一緒に戦ってきた大切な仲間だから」

 

 このⅣ号が売却されるような事になれば、三年間を共に過ごした自分も、きっと泣くだろう。他所に売られてしまった戦車は、お世辞にも戦力が充実しているとは言い難い大洗女子学園所有の戦車の中でも、頼りになる車輌ばかりだった。

 それらの車輌に搭乗していた少女達は、業者に引き取られてゆく戦友を涙と共に見送っている。

 部隊の中核を担ったⅣ号を護り、頼もしい砲となってくれた戦車達は、その殆どがいなくなってしまった

 

「残ってるのは……?」

「まずは絶対に売れないだろうってお墨付きを貰った八九式と、どっこいどっこいな評価の38(t)、キモいって言われたM3。まぁ八九式は確かに何処も貰ってくれなさそうだけどね。でも、あの子は足回りをかなり魔改造したから、ジャックナイフ機動だってできるんだけどなぁ」

 

 その走破性能のお陰で、戦車道参加可能車輌の中でも随一の脆弱さを誇る八九式中戦車甲型は偵察や撹乱に頑張ってくれた。その活躍を勝利に結び付けてやれなかった事が、申し訳なくて仕方がない。

 

「ポルシェ・ティーガーとルノーと三式は?」

「欠陥品。硬いけど古過ぎ。他にもっとパッとしたのがある。まぁそういう理由で見事に売れ残りました。一応全車輌、あたし達にとっちゃ貴重な戦力だったんだけど」

「うん。そういう風に言われると、ちょっと悲しいね。じゃ、Ⅲ突は売れたんだ?」

「それがちょっと聞いてよ。実は昨日ね、Ⅲ突チームが別れたくないって暴れて、学校近くの湖に落としちゃったの」

「さ、Ⅲ突を!?」

 

 Ⅳ号と並んで大洗女子学園の中心だったⅢ号突撃砲。乗車していたのは二年生で、全員がⅢ突に強い愛着を持っていた。

 戦車道廃止による戦車売却が決定した時、この世の終わりのような顔をしていたのを、隊長は克明に思い出せる。

 

「いやー思い切った事するよねあの子達」

「お、思い切ったで済むのかな……?」

「生徒会も一枚噛んでるし。書類改竄で誤魔化してくれるってさ」

「……じゃ、売れ残った他の戦車達も何処かに隠してるの……?」

「売却不可なら廃棄処分って話だからね。それぞれのチームが思い思いの場所に移してる」

 

 学園艦教育局にバレないだろうか、と危惧せずにはおられなかった。バレればどんな処分が下るか分かったものではない。

 だが、そんな危険を冒してでも、愛車を──戦友を本当の鉄屑にさせたくはないのだろう。その気持ちは痛いほど分かる。

 

「やっぱり、無くしたくないよね」

「うん。大事な戦友だから。でも、それだけじゃない」

 

 通信手が中に入ってくる。隊長の定位置だった場所に腰掛けて、閉塞感の酷い車内を一望した。隊長はそんな通信手を通信席から見上げる。これまでとは逆の配置だった。

 

「無くしたくない。お別れしたくない。それだけじゃなくて、皆が戦車を隠してる理由はまだあるの」

 

 鉄と油の匂いが充満する空気を軽く吸い、通信手は笑った。

 

「あの子達が、きっと必要になる時が来る」

「必要になる時って……でも、大洗の戦車道は」

「うん。確かにもう終わっちゃった。泣いても笑っても、私達はこの大洗で戦車に乗る事はもう無いわ。そう、私達はね」

 

 隊長は通信手の言葉を慎重に吟味する。いつも明るく朗らかで、誰とでも仲良く話せる性格から通信手に抜擢された彼女が、こうした含みを持たせた言い回しをするのは珍しかった。

 私達の戦車道は終わった。

 この学園艦で暮らす限り、戦車に乗る事は無い。

 ──そう。私達は。

 はっとして、隊長は通信手を見る。

 彼女はにぱっと笑った。

 

「いつか大洗が戦車道を復活させた時、戦車が無かったら困るでしょ?」

 

 そのいつかが今なら良かったのにね、と通信手が嘯く。

 ──戦車道が、いつか復活する。

 それは何の根拠も無い予想だ。いや、妄想に等しい。辛い今を紛らわせるだけの欺瞞に過ぎないのかもしれない。

 でも、隊長は言い知れない疲労感に弛緩していた身体に、僅かに力が入るのを実感した。

 

「まぁ残っちゃってるのがアレ過ぎる面子なのは、未来の後輩に申し訳ないなぁと思うけど」

「……Ⅲ突以外、戦力としてはかなり厳しいかもね」

「あたし達のⅣ号も立派な戦力よ。43口径壊されて短砲身になっちゃったけど。あーそうだ、せめて長砲身の修理だけ済ませておかないと」

「あれ、修理するより新規に造る方が簡単だと思う」

「やっぱそう? 黒森峰の連中、マジ容赦無さ過ぎだよ、まったく……! まぁいいわ。いつか復活する大洗がギッタギタにしてやるんだから」

 

 残念ながら、残った車輌では天変地異でも起こらない限り勝ち目が無いだろう。未来の後輩達に、そんな重荷を背負わせるのはどうだろうか。

 

「……あんた、このままⅣ号修理してる?」

「うん。未来の後輩達が困らないようにね」

 

 修理をしても無駄だと分かっていた。もう乗らない。もう走らない。もう撃たない。売却されるか廃棄されるか。そんなどうしようもない末路が待っていると思っていた。最初に通信手が言ったように、修理は終わらない方が良いのかもしれないと心の何処かでは思ってもいた。

 でも、チームの皆は、いつか戦車道が復活する事を信じて、未来の後輩の為に戦力を遺そうとしている。戦える力を引き継ごうとしている。

 なら、自分もそうしよう。

 Ⅳ号戦車を──大切な戦友が、再びその鋼の車体を震わせ、履帯を軋ませ、砲声を轟かせられるように。

 

「よーし。じゃあたしも手伝う。というか、皆で一緒にやろ! あ、でも完全に修理しちゃうとまずいか。使えるのバレたらすぐに売りに出されちゃう」

「まずは最低限の修理だけしちゃおう。それで、自動車部に協力してもらって、自動車部の備品扱いにしてもらうの。戦車の構造を知る為に残してあるって言えば」

「確かに。苦しいけど何とかなるかも。後は生徒会に書類改竄してもらえばいけるね!」

「うん! じゃ皆呼んできて!」

「オッケー隊長殿!」

 

 親指を立てた通信手が大急ぎでⅣ号を出てゆく。

 残された隊長は、早速通信機の修理に取り掛かった。

 不思議な感覚だった。

 戦車道が復活するかもしれないなんて、夢物語かもしれないのに。

 それに縋る事で辛さに蓋をしているだけかもしれないのに。

 それなのに、自然と力が湧いてくる。

 自分は確かに戦車道から離れてしまう。

 でも──。

 

「君は、まだ戦える。戦える時が、きっと来る」

 

 沢山の仲間達との出逢いを与えてくれた戦友──戦車。

 隊長は、はじめて戦車に触れた少女の瞳で、戦友の修理に没頭した。

 

 

 

 ──二十年後。

 

 

 

 朝の冷たい空気を震わせる振動。それは耳を劈く砲声だった。

 音は少し遠く、距離がある。

 だが、久しく聞いていなかったあの砲声はⅣ号のものだ。空砲だが間違いない。

 時刻は五時を少し回ったところ。朝日がようやく出てきた時間で、しかもこんな住宅地のど真ん中でⅣ号の砲声を聞く事になるなんて。

 

「……本当に復活したんだ」

 

 正直、戦車道復活のニュースには半信半疑だった。確かようと何度も母校を訪ねようとしたが、ただの噂に過ぎなかったら大きく失望する。それが怖くて行けなかった。

 上にカーディガンを引っ掛けて、サンダルに足を突っ込み、家を出る。夫や子供の為に朝食の準備をしなければならなかったが、まだ五時だ。少し出歩いても問題は無い。

 履帯が路面を軋ませる音が徐々に近づいてくる。

 何度目かの角を曲がった時。

 

「すごーい戦車ぁー!」

「戦車道、復活したの本当だったのね」

「試合かー頑張れよー!」

 

 歓声と感嘆と応援の声の後に。

 

「ありがとうございます! 頑張ります!」

 

 Ⅳ号戦車の砲塔入口から身を乗り出した栗色の髪の少女が、嬉しそうに眼を細めて、そう叫んでいた。

 眼前を、かつての戦友がゆったりと走ってゆく。

 二十年前の傷は、もう翳も形も残っていない。短砲身のままだが、綺麗に修理され、力強く履帯を駆動させている。

 

 ──いつか、戦車道は復活する。

 

 そのいつかは、二十年後だった。

 未来の後輩は、二十歳も年下の栗色の髪の可愛らしい少女だった。

 涙腺が緩みそうになっている。それをぐっと堪えて、声を張り上げた。

 

「頑張ってねー! 後輩ー!」

 

 その声援は少女に届いていて。彼女は驚いたようにこちらを振り向くと。

 

「はいっ!」

 

 満面の笑顔で、そう肯いてみせた。

 

 

 

 

 おしまい


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