既に数時間が経ち、とっくに昼は過ぎてしまいました。
草原に不時着した船から降りてきた乗員達はほとんどが途方に暮れていましたが、そのうちにタルブの領主のものと思われる軍勢が現れて交戦を始めています。
散発的に村にいるキテレツ達を攻めてきた兵達の残りも巨大なシルフィードが居座ってからは恐れをなしたのかほとんど何もしてこなくなりました。
「やあああああっ!」
「うわあああああっ!」
それでも立ち向かってくる兵もいるため、五月はブタゴリラに代わり天狗の羽うちわを使って退けていました。
力いっぱいに振り下ろされて巻き起こされた突風はブタゴリラに負けず劣らずの威力で、十数人ばかりの兵達は紙のように吹き飛んでしまいます。
「ひえーっ、飛んだ飛んだ! さすがはミス・サツキ! ……痛いっ!」
「またあなたは! こんな時にもその平民の娘に見惚れて!」
間近で羽うちわの威力を目の当たりにしてギーシュが歓声を上げますが、モンモランシーが不愉快そうに足を踏みつけます。
「いやあ、平民なのに大したものだなあ」
「うむ。俺の風魔法でもあそこまで強いのは起こせんよ」
「あのマジックアイテムは不思議なものだ。見たこともないぞ」
捕虜になった兵達は容易く自分の仲間達をマジックアイテムで蹴散らしてしまう五月を見つめて讃えていますが、その表情は先ほどまでの敵意を露わにしていた時とは打って変わって穏やかでした。
それどころかキテレツ達が敵であることさえ完全に忘れている様子です。
「何を言ってる、お前ら! しっかりしろ! おい、貴様ら! 変なマジックアイテムを使って我らを惑わすのはやめろ!」
「くそお! トリステイン人め!」
しかし、気を失っていた騎士達は目を覚ますと今まで通りにキテレツ達に敵意を向けてきました。
縛られている上に杖も取り上げられているので、暴れても抵抗はできません。
「もう、いきなり叫ばないでよ! びっくりするじゃないか。コロ助、頼むよ」
「分かったナリ。とりゃ!」
苦い顔をするトンガリに言われてコロ助は持っていた巾着袋からピンク色の癇癪玉をいくつか取り出し、それを暴れる騎士達の足元に投げます。
「うわあ!」
癇癪玉が一斉に弾け、中から大量の煙が噴き出すと彼らを包み込みました。
咳き込んだりはしませんが、騒がしくしていたのが一瞬で静かになります。
「……俺達、何やってたんだ?」
「さあ? ……な、何で縛られてるんだよ」
「わ、分からないがどうやら捕虜になってるみたいだ。おとなしくしてた方が身の為だな」
煙が晴れると、あれだけ反抗的だった騎士達はそれまでのことをすっかり忘れてぼんやりと大人しくなってしまいました。
「本当、すごい効き目ね」
「その中にも彼らの記憶が入ってるんでしょう?」
「みたいだけど……」
感心するルイズとキュルケに聞かれてトンガリは抱えている三角錐型の帽子を見ます。その帽子の先端には小さなシリンダーがついていました。
キテレツが用意した忘れん帽はかぶった人の記憶を吸い出してシリンダーに閉じ込めてしまうことができます。
縛り上げた捕虜達があまりにも反抗的でうるさかったので、眠らせてしまうよりも自分達への敵対心などの記憶を全部無くしてしまおうということで忘れん帽を次々に兵達に被らせたのでした。
帽子を被せられない相手にはコロ助が同じく記憶を無くしてしまうど忘れ玉を使うことで記憶は無くなってしまったのです。
「キテレツ! これ、どうすれば良いのさ?」
「とりあえずこっちに持ってきて!」
地面に広げた数々の発明品の前で腰を下ろしているキテレツの元へとトンガリは駆けて行きました。
「……ったく、うるせえカラスだな。何なんだよ、あいつら」
ブタゴリラが頭上を見上げると、いつの間にか空には何羽ものカラス達が飛び交っているのが見えます。
「やい! カラス! お前らがカーカー鳴くのは、夕方からって決まってるんだよ! うるさいから今は鳴いてないで、さっさと巣にでも戻れってんだ!」
「カラスに怒ったって仕方がないじゃない、ブタゴリラ君」
空に向かって叫んでいるブタゴリラをみよ子が宥めました。
当然、ブタゴリラの文句にカラス達がすんなりと従うわけがありません。
「どうしたの? タバサ」
「あのカラス達が気になるの?」
ルイズとキュルケはシルフィードの隣でじっと頭上を見上げているタバサに声をかけます。
タバサが表情をかなり険しくしているのが二人は気になったのです。
「……ジョゼフ達が私達を見ている」
「どういうこと?」
「あれはガーゴイル。恐らく、シェフィールドが用意したもの」
タバサの言葉に二人も同じく空を見上げ、顔を顰めました。
シルフィードに乗ってアルビオンの戦艦を相手にしていた時もあのカラス達は空域を飛び回っていたことにタバサは気付いていました。
もちろん、その正体がガーゴイルで何の目的で存在しているのかも見破っていたのです。
「今頃、ガリアの王宮で高みの見物をしているってわけなのね」
「本当、ムカつくわ。これじゃまるであたし達はジョゼフを楽しませるためのオモチャみたいじゃない」
レコン・キスタの革命とトリステインへの侵略を裏で操っている黒幕達がたった今、自分達の頭上で監視をしているのかと考えると二人は嫌悪を感じてしまいます。
「どうしたの、ルイズちゃん?」
「何でもないわ。カオルの言う通り、あのカラスはうるさいし目障りって思ったのよ」
近寄ってきた五月にルイズは小さくため息をついて肩を竦めます。
「そういえば、レコン・キスタの艦隊はどうなったのかしらね」
「まだ雲の上にいるんでしょう? 残ってたのも帰っちゃったし」
みよ子の言う通り、数時間前に降下してきた艦隊の最後の一隻はタルブの空を遊弋していましたが、しばらくするとそのまま浮上して雲の上へと戻っていったのです。
村にいるキテレツ達を砲撃してくるのではとも思っていたので不安ではありましたが、そんなことは無かったので少し安心ではありました。
「でも、何でずっと降りてこないナリか?」
「俺達にビビっちまったんじゃねえのか? へっ! 俺の操縦テクニックに恐れをなしたか!」
「もうこのまま降りてこなくて良いよ……」
忘れん帽を渡して戻ってきたトンガリも空を見上げてため息をついていました。
時折、蜃気楼鏡を使って雲の上の様子を覗っているのでアルビオン艦隊はまだ空にいるのは間違いありません。
「何にもしてこないのが余計に不気味だわ。連中がこの程度で引き下がるはずないし」
「もう嫌よ……いつまであんなのを相手にし続けなきゃなんないのよ……」
キュルケが空を睨む中、モンモランシーは露骨に顔を顰めて落ち込みます。
「キテレツ君! もう一度雲の上を見てみましょうよ!」
「ねえ、キテレツ君ってば!」
五月とみよ子がキテレツに呼びかけますが、キテレツは道具を弄るのに夢中のようで何も答えませんでした。
「発明のことになるとキテレツはいつもああなんだよ」
「キテレツの悪い癖ナリ」
「あまり熱中し過ぎるのも考えものってことね」
トンガリとコロ助だけでなく、キュルケまでもが呆れていました。
「う~ん……なるほど、こうすれば良いんだな。で、これを戻しておけば良いわけか」
「キテレツ君ったら!」
「こらっ、キテレツ!」
「うわあ!?」
傍にやってきたみよ子とルイズが大声で怒鳴りつけ、キテレツは思わず仰天してしまいます。
「ごめんごめん。つい夢中になり過ぎちゃって……」
ようやく我に返ったキテレツは二人を見上げながら思わず苦笑してしまいました。
「まったくもう、キテレツ君ったら……あら? それは……」
「これは破壊の杖?」
二人はキテレツが今まで弄っていた道具に目を丸くします。
それは以前、魔法学院が所有していた破壊の杖と呼ばれる代物、キテレツ達の世界の武器であるバズーカ砲でした。
「おお、それは破壊の杖じゃあないかね。いや、確かばずうか、とかいう名前だったんだっけ?」
「フーケに盗まれたけど取り戻したって奴でしょ? 何であなた達が持ってるのよ」
「学院長先生からもらったのよ」
驚くギーシュとモンモランシーに五月が答えました。
フーケ事件の後、キテレツ達の世界の品ということでオスマンから譲られていたものですが、如意光で小さくしてリュックに入ったままだったのでした。
「キテレツ。そいつを使ってあの船を落とせないか? 如意光ででっかくしてよ」
「うん。僕もそれを考えていたんだ。調べてみて、使い方も何とか分かったよ。安全ピンを外すと、このチューブがこうやって伸びたり縮んだりして……」
「ああもう、難しい説明はどうでも良いのよ。それを使えばアルビオンの旗艦を落とせるのね!?」
「確実とは言えないけど……如意光で大きくすれば威力も上がるから、かなりのダメージを与えられるのは間違いないよ」
ルイズからの問いかけにキテレツは頷きました。
さすがにバズーカと言えどあれだけの大きさの船が相手では船の一部に穴は空けられるでしょうが、それでも撃沈させるのは無理です。
しかし、如意光で大きくすれば一部どころか船の大半は確実に吹き飛ばせることでしょう。
「キテレツ君。やっぱり、ゼロ戦は直せそうにないね。翼が完全にやられてるよ」
そこへ一行の元に半壊したゼロ戦を調べていたコルベールが戻ってきました。
ゼロ戦はブタゴリラが操縦ミスでぶつけたおかげで、左翼の1/3先が無残に捥ぎ取れてしまっています。これではもう飛ぶことは不可能でしょう。
「だから無茶だって言ったんだよ……いくらレプリカが動かせるからって、本物とは違うんだから」
「俺だって、伯父さんみたいに本物のゼロ戦乗りじゃねえんだ。まだまだ、練習がいるってことだ」
「そんな問題じゃないと思う……」
トンガリの呆れた突っ込みにブタゴリラはそっぽを向いて腕を組みます。
「キテレツ。あなたのマジックアイテムでまた雲の上を見たいの。お願いするわ」
「分かりました。ちょっと待っててね」
キュルケに要件を切り出されてキテレツは置いてあったままの蜃気楼鏡を操作します。
すると、一行の前に蜃気楼鏡から映し出された別の場所の景色が浮かび上がっていきます。座標はこのタルブの遥か上空にセットされていました。
「うひゃあ、まだいるよ」
トンガリだけでなくギーシュまでも青ざめた顔をしていました。
そこは数千メートル上空の雲の上という絶景で、すぐ下にはアルビオン艦隊が浮かんでいるのが見下ろせます。
特に一番目を引くのは旗艦のレキシントン号で、他の戦艦とは比べ物にならない巨体でした。
「でも、何で降りてこないのかしらね?」
「う~む、分からんなあ。いくら艦隊の一部を失ったといっても、我々に攻撃を仕掛けられないはずはないのだがね……」
「コルベール先生、そんな怖いことを言わないでください!」
首を傾げるキュルケとコルベールですが、モンモランシーも半泣きの顔で喚きます。
アルビオン艦隊が一気に降下してきて総攻撃を仕掛けてきたらタルブの村はもちろん、草原もろともあっという間に焼き払われてしまいます。
気象コントローラで作った雲のせいで視界が悪いとはいえ、地上の様子は第一波が確認済みなので第二破が降りてきてもおかしくありませんでしたが、その気配さえも無いのが不思議でした。
「何かを待ってるようにも見えるけど……」
「こんな空で何を待つって言うのよ? こっちの艦隊を全滅させておいて、これからトリステインを侵略を始めようって時に」
「ま、まあ……彼らが一気に攻めてこないのは、良いことじゃないか」
同じく首を傾げる五月とルイズですが、ギーシュが引き攣った顔で苦笑します。
「このままじゃあバチが明かないぜ、キテレツ。こっちから上に行って、あのでかい船を落としてやろうぜ!」
「カオル。埒が明かない、でしょ? でも、また降りてくる前に早く対策を練らないといけないのは確かね」
キュルケがブタゴリラに突っ込みつつ、どうしたものかと考え込みます。
「キテレツ。さっきのばずうかを使えば良いんじゃないナリか?」
「お、そうだぜ! それがあるじゃねえか!」
「ちょっと待ってよ。確かにバズーカを使えばあの船にダメージは与えられるだろうけど、当てるにはかなり近づいて撃たないといけないんだ」
「だからどうしたんだよ?」
「ブタゴリラ君。あの船の大砲は舷側だけじゃなく、真下やあちこちに装備されているんだ。それに見た所、数も非常に多い。近づく前にこっちがやられてしまう」
困った顔のキテレツの言葉にコルベールがさらに付け加えて説明しました。
レキシントン号にまともに挑もうものなら艦砲射撃ですぐにやられてしまいますし、そもそも艦隊の中心にいるのですから総攻撃を潜り抜けて正面突破をするのはまず無理です。
「この蜃気楼鏡で隠れていけないかしら?」
「やめた方がいい。きっとばれる」
「そうね。あいつらがいなきゃそれで良いんだけど……」
みよ子の案をタバサとキュルケがあっさりと却下します。
タバサは先ほどからずっと頭上を飛んでいるカラス達を見つめていました。
「あのカラスがどうかしたナリか?」
「あれ、連中のガーゴイルなのよ」
コロ助に答えたキュルケの言葉に一同は一斉に頭上を見上げました。
自分達が敵に監視されている以上、たとえ蜃気楼鏡で艦隊から見えなくなったとしても必ず尾行してくるであろう、あのガーゴイル達が目印になってしまうのです。
しかもこの頭上だけでなく、草原の各所に何十羽も飛んでいるのが見えました。事前に片づけようとしても、キリがないでしょう。
「う~ん。見張られてちゃ、姿も消せないか……参ったな」
「何だよ、それじゃあ宝の餅が臭いじゃねえか」
「はあ? 何のこと?」
「君、ひょっとして宝の持ち腐れとでも言いたいのかね?」
モンモランシーとギーシュがブタゴリラの言い間違いに一瞬、困惑してしまいますがすぐに意味を察して突っ込みを入れます。
「五月ちゃん、ルイズちゃん。さっきから何をじっと見てるの?」
二人が蜃気楼鏡の映した艦隊の景色にじっと食い入っていることに、トンガリが気付いて声をかけました。
「ねえ、みんな。この船って、真上には大砲を撃てないんじゃないかな?」
その五月の言葉に全員が沈黙し、呆然とします。二人の周りに集まると、同様にレキシントン号に注目してみました。
「……そうよ! この船だけじゃない、他の艦隊だってそうだわ。あいつらの大砲って自分達の頭上には撃てないのよ!」
確信したルイズも思わず五月と一緒に顔を綻ばせていました。
「なるほど、言われてみればそうだね。多少角度を上に向けることはできるかもしれんが、さすがに真上となれば砲撃の死角になるな」
「そうか! その手があったんだ! それだったら、あの船に近づくことができるよ!」
納得して唸るコルベールに、キテレツも歓声を漏らしてしまいます。他の一行も同様に満面の笑みを浮かべていました。
「も、盲点だったな……まさか、そんな死角があったなんて」
「それだったら、バズーカを使うこともないよ。モンモランシーさんって、水の魔法が使えるんですよね?」
「ええ。そうよ」
ギーシュも目を丸くしている中、キテレツはモンモランシーに問いかけます。いきなり話を振られたモンモランシーは戸惑いつつも頷きました。
「何か良い方法を考えたの? キテレツ君」
「うん。これを使えば良いんだよ」
期待に胸を膨らませているみよ子にキテレツは頷き、取り出してある道具の中から瓶を一つ手に取りました。
「それは?」
「何かの薬……かしら?」
五月とルイズだけでなく、モンモランシーやコルベール達もキテレツの手にする物に注目します。瓶の中には透き通った飴玉のような薬が詰められていました。
「ひょっとして、水増殖丸ナリか?」
「げ、あの薬かよ」
かなり前、キテレツが作った水増殖丸は一粒水の中に入れるだけで、その水量を万倍にも増やしてしまうことができるのです。
初めて使った時はあわや大洪水になってしまったほどの効果でした。
ブタゴリラはあまり良い思い出が無いので渋い顔をします。
「そうさ。これでモンモランシーさんの水の魔法をいっぱいに増やしてやるんだ。あの船の真上から降らせてやれば、水攻めにできるよ」
「ほう。水の秘薬、というわけかね」
「水攻めって……あたしの水魔法じゃさすがにそこまではできないわよ。第一、大きすぎるじゃないの」
コルベールは興味深そうに見つめますが、モンモランシーは戸惑います。
「大丈夫よ。キテレツのマジックアイテムを信用しなさい」
モンモランシーの肩を掴んでキュルケはしたり顔を浮かべました。
これまで散々、キテレツの発明品を見てきた身として信頼しているのです。
「どうせだったらよ、上から他にも色々落としてやろうぜ!」
「落とすって、何を落とすのさ。あの飛べなくなったゼロ戦とか?」
意気込むブタゴリラに、トンガリはゼロ戦の方を振り返りながら言います。
正真正銘、ただの置物になったゼロ戦はもう質量兵器としてしか使い道がありません。
「瞬間氷結剤や水粘土加工薬もあるからね。そこらへんの石を如意光で大きくしても良いけど……」
「それじゃあ、決まりね!」
これでアルビオン艦隊への反撃の作戦が決まりました。
大砲の死角となる更に上空まで飛び上がり、そこから重量物を落としての爆撃を行うのです。
重くて大きい物を投下すれば、さすがにレキシントン号と言えどただでは済まないはずでしょう。
「嫌よ、嫌よ! 何であたしまであんな空の上にまで行かなきゃいけないのよ! 絶対に嫌ですからね!」
「大丈夫さ、モンモランシー。いざという時には、この僕が守ってあげるよ! それに、君の魔法がアルビオンの旗艦を撃沈するんだ! 素晴らしい名誉だよ!」
「手柄なんか欲しくないわよ! だいたい、あんた弱っちいし、空の上じゃ土の魔法だってまともに使えないでしょうが!」
「この僕もワルキューレを召喚して、彼らの頭に正義の鉄槌を落としてみせるさ! まさしく、天空の戦乙女たちと呼ぶに相応しい!」
「何が天空の戦乙女よ! ……もう、やっぱり遠乗りになんて来るんじゃなかったわ!」
「ああもう! ぐだぐだとうるさいわね! つべこべ言ってないで、あなたも来るのよ! ここまで来たらやるしかないでしょ!?」
露骨に嫌な顔をして文句を叫ぶモンモランシーですが、ルイズの杖が顔先に突きつけられてしまいます。
キテレツ達を無事に帰すためにも、アルビオン艦隊を退けることにルイズは躍起になっていました。
「どうしたの、タバサ?」
キュルケが蜃気楼鏡の風景に見入っているタバサに気が付き声をかけます。
「何を見てるの?」
五月も気になってタバサが見ている物に注目します。どうやらアルビオン艦隊を見ているのではないようでした。
「何かが近づいてきている」
「え?」
「何のこと?」
「ここ」
タバサが指を差した先、そこは艦隊がいるタルブ上空より遥か彼方の空の一点でした。
「……本当だ。何だろう?」
「鳥じゃねえのか?」
「こんな遠くからでも分かるくらい大きな鳥なんて……もしかしたらいるかもね」
身を乗り出すブタゴリラの言葉をトンガリは否定しきれませんでした。何せ、このハルケギニアにはドラゴンや様々な怪物がいるのですから。
確かに、そこにはとても小さな影がいくつか並んでいるのが分かります。タバサの言う通り、僅かずつですが近づいてきて大きくなってくるのが分かります。
キテレツは蜃気楼鏡を操作して、その影がよく見える位置まで視点を移動させていきました。
徐々に、そしてますますその影は大きくなっていき、姿形もはっきりしていきます。
「船だわ」
「四つも飛んでいるナリ。あれは何ナリか?」
みよ子達もその正体が空を飛ぶ船であることを認識しました。四隻の船は真っ直ぐにこちらに向かってきているのです。
「あれって……トリステイン軍の船だわ!」
「な、何ですって?」
「ほら、あの旗! トリステイン王家の紋章よ!」
戸惑うモンモランシーですが、ルイズが指を差した船が甲板に掲げている大きな旗には、トリステイン王家の証である百合の紋章が刻まれていました。
「ってことは、トリステイン軍が来てくれたんだ! いやあ、助かった! 見たまえよ、あの兵を! おお! あれはグリフォン! それにマンティコアやヒポグリフまで! トリステイン魔法衛士隊だ!」
「すごいナリー!」
はしゃぐギーシュの言う通り、船の甲板には兵士達がずらりと並んでいるのが見えます。
さらには船にはそれぞれドラゴンや幻獣達、そしてそれらを操る騎士達の姿がありました。
「まだ艦隊が残っていたの?」
「だが、どれも旧型艦のようだね……かなり急ごしらえだったのだろう」
援軍の登場に浮かれるルイズ達ですが、キュルケとコルベールは素直には喜べません。
アルビオン艦隊がトリステインの主力艦隊を全滅させてからまだ六時間程度しか経っていません。戦争の準備が整っていないトリステイン王国ではそんな短時間で十分な戦力を集めること自体が無茶な話なのです。
あの即席の艦隊も、とにかく兵力を現地に運ぶために古くても小さくても、使えそうな物を片っ端から集めたに違いありません。
多少打撃を受けているとはいえ、即席のトリステイン艦隊とアルビオン艦隊との戦力差は三倍にもなります。
とても正面から立ち向かっても勝つどころか、勝負にさえなりません。
「姫様!」
「え!? お姫様がいるの!?」
「本当だ。アンリエッタ王女様だよ!」
驚くルイズと一緒に五月とキテレツも目を見張りました。
一隻の船の甲板にはキテレツ達も見覚えがあるアンリエッタ王女が、物々しい戦装束に身を包んでいる姿がはっきりと映っています。
「ひ、姫殿下!? おお、勇ましくも何と麗しいお姿だ……!」
「こんな時に何を見惚れてるのよ! もう!」
勝手にうっとりとしているギーシュですが、モンモランシーもアンリエッタ王女がいることに驚いて突っ込みを入れられません。
「ウェールズさんもいるわ! ほら!」
「マジかよ。王子様じゃねえか」
「な、何と……何故、アルビオン王家の皇太子がトリステインに? 先の革命で戦死なされたのでは?」
コルベールが落ちそうになった眼鏡を指で押さえつつも、唖然としました。
みよ子の言う通りにアンリエッタ王女のすぐ隣には一か月前にアルビオン大陸へ渡った際に連れてきたウェールズ皇太子の姿もあったのです。
何もしらないギーシュとモンモランシーも目を丸くしていました。
(姫様、皇太子様までレコン・キスタに立ち向かおうとするなんて……)
まさか王女と皇太子が自ら先頭に立つなんて考えもしなかったルイズですが、自分の親友でもある王女の存在を嬉しく感じてしまいます。
勇気を出して、強大な敵に立ち向かおうとしている姿は五月やキテレツ達のように勇ましく見えました。
「このまま正面対決を挑んだら、すぐにやられちゃうわ」
「無謀すぎる」
キュルケとタバサが深刻そうにトリステイン艦隊を見つめました。
二人の言う通り、戦力差も軍備も何もかも劣っているトリステイン軍では勝ち目がありません。
「大変よ! このままじゃお姫様達がやられちゃう!」
「キテレツ! 早くあたし達も上に行きましょうよ! 姫様達に加勢しないと!」
「ぼ、僕からもお願いするよ! 今こそ、グラモン家の名にかけて姫殿下のお役に立たなければ!」
「待って。僕達がこのままあいつらの上に行くだけじゃ結局、お姫様達の船も攻撃されちゃう」
ルイズとギーシュに急かされるキテレツですが、自分達とその味方を可能な限り被害を出さないようにしなければならないと考えていました。
「アルビオンの艦隊はあれだけの数なんだ。僕達が大急ぎで他の小さい船を攻撃しても減らせないよ」
「でも、このままじゃお姫様達が……」
「何とかするナリよ」
五月やコロ助もキテレツの頭脳に期待します。発明品を駆使すれば、トリステイン艦隊の手助けになることは間違いないはずです。
その方法をキテレツも全力で考えていますが、良い案が浮かびません。
こうしている間にもトリステイン艦隊はタルブに近づいてきています。
「そういえば、ゲルマニアとは軍事同盟を結んでたはずでしょ?」
「こんな短時間で援軍に来るなんて、いくら何でも無理よ」
「何のための軍事同盟なのよ。役立たずね」
モンモランシーの言葉を一蹴したキュルケですが、ルイズが顔を顰めててため息をついてしまいます。
同盟を結んだ以上、味方のトリステインが危機に陥ればすぐに助けを求めて、ゲルマニアは援軍に駆けつけなければならないのにこれでは意味がありません。
「無茶言っちゃいかんよ。彼らはきっとこの状況も狙って、用意周到に不意打ちをして来たんだ」
コルベールに諌められたルイズですが、不満な表情は変わりません。
「せめてお姫様の船がもっといてくれりゃ良かったのにな」
「同感」
「分身機を使うわけにもいかないもんなあ……」
トンガリもキテレツも頭を抱えて深く悩んでしまいます。
「もっと、いっぱい……?」
そんな時、みよ子は何かに気が付いたように顔を上げました。
ブタゴリラとキテレツの言葉を耳にした彼女は目の前の蜃気楼鏡の光景そのものをじっと見つめだします。
「……そうよ! キテレツ君、それがあるじゃない!」
「どうしたの、みよちゃん?」
「何か思いついたの?」
突然、満面の笑みで大声を上げたみよ子にキテレツとトンガリは怪訝そうにしました。
「これよ! この蜃気楼鏡を使うのよ! ブタゴリラ君の言った通り、もっと味方の船がいっぱい飛んでいれば良い訳でしょう?」
「蜃気楼鏡……そうか! その手があったか!」
みよ子の考えをキテレツも即座に理解して彼女と同じく笑みを浮かべます。
「どういうこと? キテレツ君、みよちゃん」
「これで何をしようって言うのよ?」
「二人だけでずるいナリ! ワガハイ達にもちゃんと教えて欲しいナリよ!」
「囮」
五月にルイズ、コロ助までもが二人に食いつきましたがタバサが一言呟きます。
キテレツの発明品への理解が深い彼女もまた、二人の考えた作戦がどういうものであるかを理解したのです。
タバサの言う通り、みよ子が考えたのは蜃気楼鏡を利用した陽動作戦でした。
トリステイン艦隊がやって来る方角とは別の方角から、蜃気楼鏡で作り出した幻のトリステイン艦隊を作り出すことでアルビオン艦隊に援軍が来たのだと錯覚させようという訳です。
何にも知らないアルビオン艦隊にとっては二つの艦隊を相手にしなければならないため、上手くいけばアルビオン艦隊の戦力を囮の方へ多く引き寄せて分断させることができるかもしれません。
アンリエッタ達、本物のトリステイン軍の船への攻撃も和らげられます。
「へえ、良い作戦じゃないの。ミヨコ」
「平民にしちゃずいぶんと考えたものね」
キュルケはもちろん、モンモランシーも素直にみよ子の計画に感心していました。
陽動はこれまでも散々やってきましたが、今回は偽物の艦隊という今までで一番豪快かつ派手な囮なのです。
単純ながらも非常に効果的な作戦であることは今までも実践して証明しています。
「しかし、このマジックアイテムでそこまでできるのかい?」
「大丈夫ですよ。蜃気楼鏡の映す蜃気楼は、半径20メートル以内だったらどんなに大きな物でも映せるんです」
「う~ん……まあ、君がそう言うんだから大丈夫なんだろうな」
少し懐疑的だったギーシュですが、多少はキテレツの発明品の不思議な力を目の当たりにしていることもあって、納得しました。
「でも、誰が幻を作って囮になるナリか?」
しかし、囮役は地上ではなく空で直接、艦隊の一部を引きつけなければならないため非常に危険であることは事実です。砲撃が直撃しようものなら命はありません。
「僕はパス……」
「何だよ、ダシ抜けだな」
「腰抜けでしょ! じゃあブタゴリラがやるの!?」
「俺はあいつらに直接一泡吹かせに行くから、やらなくて良いんだよ!」
怖気づくトンガリは首を振ってはっきりと拒否しました。ブタゴリラに突っ込みを入れても、本人はしたり顔で軽く流してしまいます。
蜃気楼鏡を持っていかなければならないため、その使い方がしっかり分かっている者でなければ囮役はできません。
キテレツはレキシントン号に直接攻撃するグループを主導しなければならないのです。
「トランシーバーで連絡をし合うから、蜃気楼鏡の使い方は僕が教えるけど……」
「ならばその役、私が引き受けよう。キテレツ君」
そこへ申し出てきたのはコルベールでした。
一同はコルベールが囮役を買って出てきたことに納得しつつも困惑していました。この数時間、何度か蜃気楼鏡をキテレツが操作しているのを隣で興味深そうに見ていた彼なら使い方も覚えているでしょう。
「先生……」
「キテレツ君の超鈍速ジェット機をお借りするよ。蜃気楼鏡とやらでの陽動は私に任せてくれたまえ」
力強く頷くコルベールは地面に置かれていた超鈍速ジェット機を見つめました。
彼が複製した超鈍速ジェット機は魔法学院に置いてあるため、キテレツの物を直接借りることになります。
「だ、大丈夫なんですか、先生?」
「お、囮役を引き受けてくれるのら、それで良いんだけど……」
「私の心配はいらんよ。それより、君達も危なくなったら無茶はせずにすぐ逃げるんだよ。良いね? 間違っても死んだりしてはいけないよ!」
安堵しつつも狼狽するギーシュとトンガリですが、コルベールは自分のことよりも大切な生徒達の安全を第一に考えていました。
コルベールにとってはキテレツ達も立派な教え子の一員なのです。
「コルベール先生……」
一同の顔を見回すコルベールの真剣な表情からは教え子達への強い愛情がしっかりと伝わってきます。
いつもは変人とまで呼ばれることもあれば、一度怒り出せばどんな生徒も黙らせる気迫を持つコルベールがここまではっきりとキテレツやルイズ達のことを想ってくれていることに、誰もが内心嬉しく感じていました。
「分かりました! 先生! 必ず!」
「キテレツ達はわたし達で守ります!」
キテレツとルイズははっきりと頷き、答えました。
一同は絶対にこの戦いを生き残るという約束を、強く誓い合います。
◆
上空数千メートルを飛ぶトリステイン艦隊はあと十数分ほどでラ・ロシェールの山岳地帯へと差し掛かろうとしています。
四隻の船はアンリエッタの乗る一番大きな戦列艦、残る三隻は輸送用のガレオン船で少し小さい全長80メートルほどの大きさでした。
現地へ一早く急行するためにトリスタニアから出発するのにすぐに使える船は、これしか用意できなかったのです。
搭乗している兵力の総数もたった二千人足らずで、短時間で集められたのはこれだけでした。
魔法衛士隊と竜騎士隊はそれぞれの船に一隊ずつが搭乗しており、アンリエッタ達が乗る船にはマンティコア隊がいます。
「艦隊を二手に分けて、敵艦隊から適度に距離を取りながら砲撃で牽制しつつ、旋回をするように。決して、足は止めないようにしてください。その後は手筈通りにお願いします」
「承知しました、皇太子殿。他の船にも今一度伝えましょう」
後甲板では同乗していた皇太子ウェールズとマザリーニ枢機卿がこれからの艦隊戦について打ち合わせをしていました。
アルビオンの皇太子であった以上、かつては自分達が率いていた軍や艦隊について熟知しているのは当然です。そのため、ウェールズの陣頭指揮の元でアルビオン艦隊に挑むことになりました。
「爆薬の用意も全艦、完了したという報せも入っております。魔法衛士隊、竜騎士隊共にいつでも飛び立てますぞ」
たった四隻のトリステイン軍に対して相手は十隻以上と戦力差があり過ぎるので正面対決を挑んでも全滅させることはもちろん、勝ち目が無いことは分かっています。
そこでウェールズが考えたのは、逃げつつ旗艦のレキシントン号に火力を集中させて撃沈することでした。
もちろん、トリステイン軍の火力では不可能ですが、全方位に戦砲射撃が行えるレキシントン号には唯一の弱点があるのです。
真上から攻撃されることを想定しておらず、そもそも大砲を頭上に向けて撃つということができないので、戦艦の真上が完全な死角になっていました。
その死角に魔法衛士隊や竜騎士隊ら飛行部隊を向かわせ、そこから甲板に向かって爆撃を行うことを計画したのです。
出撃前には可能な限りの数の爆薬や燃料油を樽に入れて全ての船に積み込んでおり、航行中も土のメイジ達が錬金の魔法で小麦粉から燃料油を作り出していました。
甲板の中央には二十近くほどの樽が山積みにされています。これがレキシントン号に投下させる爆薬で、魔法で浮かばせたり竜の力で運ぶ手筈になっていました。
爆撃を終えた後は彼らが直接、船上に攻撃を仕掛けることも可能でしょう。
レキシントン号が元はアルビオンの王軍所属であったことと、先の竜騎士隊の偵察でアルビオン軍の竜騎士団は全滅しているという情報を得ていたがために立てられた計画でした。
爆撃部隊の邪魔をする者はおらず、高々度から安全に敵陣の頭上まで飛べるというわけです。
「アンリエッタ」
最後の打ち合わせを終えたウェールズは同じく後甲板で佇むアンリエッタの元へ近寄ります。
「ルイズ達は今、どうしているのかしら……」
遥か先の空を見つめていたその表情には不安な思いがはっきりと表れていました。
「地上の方を偵察に行った竜騎士によれば、既に彼ららしき人影や竜もいないそうだが……」
「そうですか……」
自分の親友や恩人達が数時間前までアルビオン軍と戦っていたのだと思うとアンリエッタは気が気ではありませんでした。
誰に言われるでもなく自分の意思と勇気で行動を起こして戦いに身を投じたルイズ達でしたが、彼女たちは本来なら戦争に関わるべきではないはずなのです。
ルイズにアルビオン大陸での任務を任せた時も他に頼れる相手がいなかったからでしたが、それでも彼女を危険な目に晒してしまうことを申し訳ないとも思っていました。
そして今、行方が分からないルイズ達の無事を心から願っていたのです。
「大丈夫だよ。あの子達はある意味、私達以上の勇気がある。そして、とても抜け目なく賢い子達だ。簡単にやられてはいないはずだよ」
ウェールズに優しく肩を抱かれてアンリエッタは小さく頷きます。
キテレツのマジックアイテムの不思議な力と、一行の行動力や機転の良さは共にいたウェールズも驚くものでした。
アルビオン軍とまともにぶつかり合っても退けてしまうキテレツ達なら必ず今もどこかで無事に息を潜めているのだろうと感じていたのです。
「ウェールズ様。私達は、勝てるのでしょうか?」
「そうだね……五分五分、といった所かな……」
本来なら艦隊の数はもちろん、軍備の差で勝ち目なんてありません。
しかし、キテレツ達が竜騎士団を全滅させたり艦隊に僅かながら打撃を与えてくれていたことはトリステイン軍にとっては勝機そのものだったのです。
これから行う作戦が成功してレキシントン号を撃沈できれば、他の艦隊の戦意を失わせて撤退されることはできるかもしれません。
しかし、作戦が必ず成功すると決まったわけでは無いのも事実でした。
レキシントン号は二百メートルもある巨艦なので、爆撃で混乱させることはできても撃沈までできるとは限らないのです。
さらに、たとて撃沈できてもそれで他の艦隊が引き下がらずに攻撃を続けるかもしれません。
ウェールズの戦略はほとんど賭けに近いものでした。
「すまない……本来なら我らが彼らの反乱を食い止めなければならなかったのに。君をこんな戦いに巻き込みたくは無かった……」
「良いのです、ウェールズ様。遅かれ早かれ、こうなる運命だったのです。私は、ウェールズ様と共に戦場にいられることがとても幸せです」
謝るウェールズにアンリエッタはそっと身を寄せます。
「……たとえ、これから命を落とすことになっても……ウェールズ様と運命を共に出来るのなら思い残すことはありません」
「アンリエッタ……」
親友達の勇気に感化されて自ら出陣したアンリエッタも、死を覚悟していました。
しかし、この戦場で愛するウェールズと共に最後まで勇気を奮って戦い抜いて、敵に一矢を報いて死ねるのなら本望でした。
「ウェールズ様。もしも、この戦で生き残ることが出来たのなら……その時には、私の願いを一つだけ聞いては頂けませんか?」
「……ああ、良いとも」
ウェールズはアンリエッタがどのような願いを抱いているのかを察していました。それはきっと、彼女が自分に最も望んでいた夢に違いありません。
その夢はウェールズも内心抱いていたものであり、キテレツやルイズ達の奮闘があったからこそ、今こうして共にいられるために叶えられるかもしれない夢なのです。
二人で全てを捨ててでも叶えたかった夢を叶えるには、この戦いに勝たなければなりません。
「あら? 敵の艦隊が……」
「ん?」
ラ・ロシェールのすぐ手前まで差し掛かった所でアンリエッタとウェールズはアルビオン艦隊の異変に気が付きます。
それまでずっとトリステイン艦隊を迎え撃とうとこちらを向いていた艦隊でしたが、その中の五隻の戦艦が突然方角を変えていったのです。さらには艦隊から抜け出し、全く別の方角へと動き始めていました。
突然の艦隊の行動にアンリエッタ達は面食らってしまいます。
「右二時の方角に、艦隊が出現! 数、四です!」
「何! ゲルマニアの援軍か?」
「まさか、こんなに速く来てくれたというのか」
「いや、さすがに速すぎるのではないか? まさか、アルビオンの増援!?」
その異変はトリステイン軍からも確認できました。
トリステイン艦隊はもちろん、アルビオン艦隊よりもずっと遠くの空にはっきりと少ないながらも艦隊の姿があったのです。
しかし、正体不明の艦隊の出現に船上の兵や将軍達は困惑していました。つい先ほどまであそこには何にも飛んでおらず、これだけ見晴らしの良い空なら遠くから新手がやってきてもすぐに分かるはずなのにそれさえ分からないほど唐突に姿を現したのでした。
「あの艦隊は一体?」
「なるほど……あれは幻だ。キテレツ君のマジックアイテムに幻を生み出す品があったな」
アンリエッタが困惑する中、遠眼鏡を使って様子を覗っていたウェールズが納得したように頷きます。
現れた艦隊はトリステイン艦隊と全く同じ姿をしていたのですが、どこかぼんやりと朧げに見えていました。
キテレツの蜃気楼鏡の力を目の当たりにしたことがあったウェールズはその正体を即座に看破したのです。
「ウェールズ様が話していたという? ……では、あれが異国のマジックアイテムがもたらした力?」
「そうだよ。あの子達の持つマジックアイテムは摩訶不思議な力を持つ品ばかりなんだ。まさかここまでやってくれるとはね……」
ウェールズが感心する中、更なる異変が起こります。
「敵艦隊の上空に正体不明の一団を確認! 敵旗艦に攻撃しています!」
同じく遠眼鏡を覗いていた船員の叫びに船上の困惑はさらに強まりました。
見れば確かに、アルビオン艦隊の上空に二つの影が飛び回っているのがはっきりと見えました。
「あの子達も今、この空の上で戦っているんだ。……ほら、見てごらん」
思わず笑うウェールズがアンリエッタに遠眼鏡を渡します。
「ルイズ……!」
それを覗き込んだアンリエッタは驚き、息を呑みます。
アルビオン艦隊の中心、レキシントン号の頭上に一匹の風竜と小さな雲のような物が飛んでいましたが、その雲の上に自分の親友の姿を見つけていました。
ルイズは手にしている如意光を五月達が放り落とす小さな氷塊に向けて青い拡大光線を照射しています。
すると、見る見る内に巨大化した氷塊はレキシントン号の甲板上に落下し、船員達は慌てて避けていました。
さらに絶え間なく投下されては巨大化する氷塊が船体に激突し、船員達が必死に逃げ惑っています。
元の大きさに戻っている風竜シルフィードの上からもタバサ達が次々に魔法などで攻撃を行っています。
モンモランシーが生み出した水の塊にキュルケがキテレツから預かった水増殖丸を放り込むと、一気に何倍にも膨れ上がって巨大な水塊となっていました。
その水塊から一気に大量の水が滝のようにレキシントン号に降り注ぎ、甲板は洪水のように溢れんばかりの水で満たされ、船員達は次々に巻き込まれて洗い流されそうになっています。
完全にレキシントン号はパニックに陥っており、その光景を目にしていたアンリエッタも呆然としてしまいます。
「あの子達がくれた千載一遇のチャンスだ。彼らの奮闘を決して無駄にはできないな」
ルイズ達は艦隊を囮で引きつけて数を減らしてくれただけでなく、自分達も直接攻撃を行っているのです。
さらなる勝機を与えてくれた彼女達には感謝の言葉さえも出てこないほどでした。
「姫殿下、皇太子殿! 所属不明の艦隊が出現されました! いかがなされますか!?」
「あれは友軍の囮です。気にせずにこのまま作戦を開始してください!」
マザリーニが駆け寄ってきましたが、ウェールズは即座に合図を出しました。
彼の言う通り、これはまさしく自分達が勝利するための絶好のチャンスでした。
親友達にばかり戦わせるわけにはいかないためにも、自分達も動かなければなりません。
「全軍、戦闘準備! 魔法衛士隊、及び竜騎士隊は出撃! レキシントン艦に集中攻撃を!」
アンリエッタは水晶のついた王笏を掲げ、勇ましい声で叫びました。
それに応えるように、船上に歓声が一斉に響き渡ります。
◆
十隻以上残っていたアルビオン艦隊の一部は、突然遠方に現れた艦隊へと急行していきます。
しかし、その艦隊は超鈍速ジェット機に乗ったコルベールが持ってきた蜃気楼鏡から映し出している幻なのです。キテレツ達の陽動作戦であることなどレコン・キスタには知る由もありません。
本隊が手薄になったことで、タルブから一度離れて高々度に飛び上がっていたキテレツ達は一気にその頭上にまで降りるとレキシントン号への攻撃を始めました。
「危ない、避けろお!」
「うわあ! ファイヤー・ボール!」
レキシントン号の甲板上は今まさにパニック状態でした。
頭上から落ちてくる様々な落下物が炸裂し、船員達は完全に混乱してしまっています。
「おらおら! もういっちょ行くぜぇー! ルイズちゃん、頼むぜ!」
「わたしも!」
「良いわよ! やっちゃいなさい!」
コロ助が操縦するキント雲に乗るブタゴリラと五月が握り拳ほどの氷の塊を放り投げると、ルイズが如意光の拡大光線を浴びせました。
一瞬にして何十倍もの巨岩のように膨れ上がった氷塊が甲板へと降り注いでいきます。
押し潰されそうになったメイジ達が慌てて杖を振り上げて一斉に火炎魔法を放ち、すんでの所で氷塊を溶かしていました。
「ええい! ……何をやってる! やれ! 撃ち落とせ!」
甲板の中央には落ちて砕け散った氷が散らばっていますが、騎士達は負けじと頭上に魔法を放ちます。
しかし、ギリギリ魔法が届かない高度にいるために届きません。
「ぐわあ!」
「ガボ、ガボ……!」
同じくレキシントン号の頭上を飛んでいるシルフィードに乗るモンモランシーの魔法で作り出した水が水増殖丸によって洪水と言わんばかりの大量の滝となって降り注ぎ、前甲板は水で満たされています。
船員達は大量の水に飲みこまれ、空の上だというのに溺れかけるという状況に陥っていました。
「よし、投下だ!」
「食らえ!」
キテレツ達と同じように艦砲射撃が届かない高所から接近してきたトリステイン軍の飛行部隊はついにレキシントン号の頭上へと差し掛かりました。
竜に抱えられ、レビテーションの魔法で浮かんでいた樽が次々に放り落とされていきます。
「ぎゃあ!」
落とされた樽に向けて魔法衛士隊と竜騎士達が次々に火の魔法を飛ばすと、中に詰まった火薬や燃料油に引火して次々に爆発し、炎が燃え広がります。
モンモランシーの水魔法が集中している前部ではなくキテレツ達と同じく中央で次々に炎が燃え上がり、黒煙も噴き上げていきました。
もはやレキシントン号の船員達は艦隊を二手に分け、周囲を旋回して砲撃してきているトリステイン軍に反撃する余裕さえもありません。
「おのれ! 目障りな蚊トンボどもめ! 卑劣な真似をしてきおって!」
「司令長官殿。そんなに取り乱していては士気に関わりますぞ。お静かに」
高所に位置している後甲板から船上の混乱の有様を目の当たりにし、ジョンストンは激高していました。
反面、艦長のボーウッドはこんな状況であっても冷静なままでいるどころか、どことなく白々しい態度でいます。
「何だと!? 第一、竜騎士隊が全滅したのは貴様が不用意に偵察などを命じたからだぞ! 貴様のせいで、大切な竜騎士を失う破目になったのだ! クロムウェル閣下! こんな無能な男をこれ以上、この船に乗せていては我らは全滅しますぞ!」
「焦ることはないぞ、ジョンストン君。たかが竜と幻獣が飛び回っているに過ぎんよ」
喚き声を上げて責め立てるジョンストンですが、クロムウェルもまた涼しい顔を浮かべて宥めます。
ジョンストンはその返答に困惑し、どうすれば良いか分からずに狼狽えていました。
「クロムウェル閣下。竜騎士隊も失っている以上、彼らを迎撃することもできません。本艦の受けた被害は決して小さいものではありませぬ。撤退か、退艦も考えた方が良ろしいかと……」
「撤退? 退艦? 馬鹿を申すな。これからトリステインに裁きの鉄槌を下そうという時に、この程度の被害で退くなどあり得ん」
「しかし、敵は本艦の弱点も知り尽くしているようです。このまま立て続けに攻撃を受けていては、いくら本艦と言えども撃沈は免れません」
「余は撤退などあり得ん、と言ったのだ。このままで良い」
ボーウッドからの進言をクロムウェルはあっさりと一蹴していました。
(この男、何を考えている?)
こんな状況であってもクロムウェルがここまで平然とした態度でいられることにボーウッドは疑念を抱いてしまいます。
まだ何か切り札でも隠し持っているのかと思われますが、それが何であるかは想像もできません。
中央のマストの帆には天狗の抜け穴が刻まれており、それが心の拠り所なのだということは察せられます。
あの中からその切り札がこちらに現れるろいうのでしょうが、どんな切り札が残っていてもこのままでいれば確実にレキシントン号は撃沈されるのはもはや時間の問題でした。
(もし逃げたりすれば、私がミス・シェフィールドに殺される……!)
表面上は澄ました態度のクロムウェルですが、内心では恐怖でいっぱいでした。
本心ではボーウッドの言う通りに早く退艦するか、撤退をしたい所なのですがそれはできないのです。
彼はシェフィールドから撤退も降伏も許されず、このレキシントン号に乗ってひたすらにトリステインへ侵攻するように命じられていました。
もしもその命令に逆らえば、どんな仕打ちがクロムウェルを待っているのか想像するだけで恐ろしいのです。
(一体、あの中から何が出てくると言うのか……ミス・シェフィールド、我らを見捨てないでくれ……!)
天狗の抜け穴を通って何が出てくるのか、そしていつ出てくるのかとクロムウェルはひたすらに待ち続けていました。
こうして待っている間にもレキシントン号の甲板の混乱はさらに強まっていくばかりです。それを見る度に、クロムウェル自身さえも恐怖の叫びを上げたくなるほどでした。
「お?」
「何だ?」
突然、中央のマストに大きな影が浮かび上がったのをクロムウェル達は目の当たりにします。
天狗の抜け穴は帆の前側に大きく刻まれており、それに見合った大きさをした何かが飛び出てくるのがはっきりと分かりました。