「……タバサちゃん。タバサちゃん」
微かに聞こえる自分を呼ぶ声と体を揺すられることで、眠っていたタバサの意識は薄っすらとですが蘇っていました。
どうやら自分はベッドに横たわっているようで、何とか体を起こして意識をはっきりさせていきます。
「良かった。気が付いたのね」
「ミヨコ……」
すぐ隣にはタバサと同じようにベッドから体を起こしているみよ子の姿がありました。
辺りを見回してみると、ここは貴人用の寝室のようで、自分たちは天蓋付きのベッドに寝かされていたことに気づきます。
そしてタバサ自身は魔法学院の制服ではなく今まで着たことがない豪華な寝巻を着ていました。みよ子も同じような寝巻を着させられています。
「……ここは?」
「分からないの。わたしもたった今、目を覚ましたばかりで……」
みよ子も困惑した様子で広い寝室を見渡していました。ここが実家のオルレアン邸ではないことだけはタバサも分かっています。
二人は気を失う前、自分達の身に何が起こったのかを思い起こします。
オルレアン邸でガリア軍に襲撃され、みよ子はガーゴイル兵に捕まった後はすぐに電気ショックで気絶させられてしまい、たった今ここで起きるまでのことは何も覚えていません。
タバサはキテレツの天狗の抜け穴を使って母やキュルケ達を逃がした後、現れたエルフの刺客を退けようとしましたが、その強力な先住魔法の前には歯が立ちませんでした。
全力で放ったアイス・ストームの魔法でさえエルフには通じず逆に跳ね返されてしまい、まともに喰らってしまったタバサは耐えられずに気を失ってしまったのです。
最後に覚えていたのは、使い魔のシルフィードの怒りの唸り声が聞こえてきたことだけでした。
ここまでのことで理解できていることは自分達は今、ガリアによって囚われの身になってしまっているということです。
自分の体を改めるタバサはエルフに跳ね返された自分の魔法で傷つけられたはずの体が無傷のままであることに怪訝に思いました。
タバサ自身でも重傷を負ったと認識していたのですが、その痕跡はどこにもありません。
「……エルフの先住魔法」
恐らくはあの時のエルフが先住魔法を使って治療したのだと察しました。その力はメイジの治療魔法よりも遥かに強い効果であることは明らかです。
「一体ここはどこなのかしら……?」
ベッドを下りたみよ子は窓の外を見てみますが、今は夜のようであり暗くて何も見えません。
タバサもベッドから下りると自分の杖を探しますが、どこにも見当たりませんでした。そもそも自分達は捕まっているのでそれも当然でしょう。
「目が覚めたようだな」
扉が開く音がすると、澄んだ男の声が聞こえます。
二人がそちらへ振り向くと、タバサには見覚えのある男が立っていました。呆気なくタバサを倒して捕えたエルフ、ビダーシャルです。
「あなたは誰?」
「ネフテス……いや、今はただのサハラのビダーシャル。ただのエルフだ」
何故か溜め息交じりにビダーシャルは名乗りました。
「エルフ?」
「下がって」
タバサはみよ子の元まで駆け寄ると、彼女を庇うように前へ出ていました。
「ビダーシャルさん。一体ここはどこなんですか?」
「……アーハンブラ城だ」
みよ子に尋ねられたビダーシャルは僅かですが意外そうに目を丸くして答えます。
「アーハンブラ城……」
タバサはその名を知っていました。ガリア王国の東の果て、エルフの土地である砂漠の国境のすぐ近くに位置する古城です。
ラグドリアン湖からは何千リーグも離れている最果ての地でした。
「どうしてあたし達がここにいるんですか?」
「ガリア軍がここまで連行してきた。脱走することは考えない方が良い。奴らの餌食になるだけだろうからな」
ビダーシャルが窓の外を見つつ顎で指すと、二人は再度窓の方を振り向きました。
見れば窓の外には飛行するトビウオ型のガーゴイルに騎乗している鉄騎隊達の姿があります。
最果ての地の城に幽閉され、ガーゴイル兵とエルフによる監視に、杖を持たないタバサは抵抗する術ががない最悪なこの状況では逃げることは不可能でした。
「私達をどうするつもり?」
タバサは憎々しげにビダーシャルを睨みました。ガリアの刺客であるこのエルフが自分達をただ幽閉しているだけとは考えられません。
「ジョゼフの姪とそちらの娘でそれぞれ処遇が異なる。お前はどうもしない。ジョゼフからはただ守れと命じられた」
「あたしを守る?」
「お前の友がここまで助けに来るとジョゼフは考えているそうだ。それを阻めと、そういうことらしい」
みよ子はキテレツ達のことを思い浮かべます。
きっとキテレツ達だったら、どんなに危険な場所だろうと囚われの身になった自分達を助けるために行動を起こすことでしょう。
「私は?」
再度タバサは尋ねました。みよ子はやけに軽い処遇でしたが、自分に待っているのはそんな生易しいものではないことは想像に難くありません。
何しろ、ジョゼフ達ガリア王家は自分を始末したいがために危険な任務に何度も駆り出してきたのです。
タバサが裏切った以上、本来ならばこんな場所に幽閉せずにとっくの昔に処刑していてもおかしくないのにそれをしないのが疑問に感じられました。
「今、水の精霊の薬を調合している。完成まで十日はかかるが……それ以上費やすかもしれん。とにかく、完成したらそれをお前に飲んでもらう」
「何の薬なんですか? ……まさか!」
みよ子はタバサを見つめて目を見開きます。彼女の境遇を知っていたみよ子はこれからタバサがどのようなことをされるのかすぐに想像できました。
「心神喪失薬。お前の母が飲んだ物と同じ心を失う薬だ」
タバサを見つめるビダーシャルは変わらず冷たい声で告げていました。
自分に待っている運命にタバサは思わず息を呑みます。今、母の心を侵している忌まわしい魔法の毒をジョゼフは今一度、自分に使おうというのです。
「そんな……どうしてそんなことをするの!? タバサちゃんはお母さんが病気になってからずっとまともに話もできなくて辛い思いをしていたのに! ひどいわ!」
みよ子は思わずビダーシャルに噛みつきましたが、彼は冷たい表情を一切変えません。
「ジョゼフからの命令だ。一族に対してここまで非道な振舞いをするのは我も正直、理解できん。お前には気の毒だとは思うが、これも大いなる意思の思し召しだと思って諦めろ」
溜め息をつくビダーシャルはジョゼフはおろかタバサの境遇や待ち受ける運命さえも興味がない様子でした。
「タバサちゃんがその薬を飲んだらその後はどうするの!?」
「ミヨコ」
「どうもしない。心を失った後もただ守れと命令された」
淡々と冷たい言葉を続けているビダーシャルにみよ子は今にも持ち前の気の強さで食いつきます。
そんなみよ子をタバサが抑えていました。今エルフに立ち向かっては何をされるか分かりません。
「ジョゼフからはこう言付けられている。血を分けたお前への最後の慈悲としてお前から奪った王女としての一時をこの城で過ごすことを許す。そして残された時間を友と共に仲良く楽しめ。伯父らしいことを何一つしなかったが故の贈り物だ、そうだ」
タバサは思わず唇を噛み締めます。憎き仇であるジョゼフにそこまで皮肉めいた処遇を用意されるなんて、怒りを通り越して馬鹿馬鹿しいとさえ感じてしまいました。
「何が慈悲よ! タバサちゃんを散々酷い目に遭わせておいて、これから心まで奪おうとしているのに! ふざけないでよ!」
あまりにも無情すぎるビダーシャルの言葉にみよ子は怒りをぶつけます。
「ミヨコよ。我に怒りをぶつけられても意味はない。我はただ奴からの伝言を届ける役目を担わされただけに過ぎん」
平然とみよ子の怒りを受け流すビダーシャルは踵を返して部屋から出て行こうとしていきます。
「そんなことは絶対にさせないわ。キテレツ君達がきっと助けに来てくれるもの!」
「キテレツ。……お前の友の名か」
足を止めたビダーシャルは肩越しに振り向いてきます。
「助けが来るのは期待しない方が良い。お前達蛮人は我には勝てん」
「キテレツ君達はあなたなんかに負けやしないわ! それに、そんな薬を作ったって無駄よ。キテレツ君は今、その毒を治せる薬を作っているんだから!」
「あの水の精霊の薬はお前達では調合できないはずだが……」
その言葉を聞いてはっきりと振り向いたビダーシャルは怪訝そうな顔をしていました。
「では、これもそのキテレツとやらが作ったものか」
「それは……!」
ビダーシャルが懐から取り出した物を目にして二人は目を丸くします。
彼が手にしていたのは天狗の抜け穴のテープがぐしゃぐしゃに纏められた塊だったのです。
恐らく、オルレアン邸でタバサが剥がした物でしょう。
「ジョゼフとあの女は瞬間移動ができるというマジックアイテムを作っていた。そのキテレツという者が作り出した代物を研究して再現したそうだ」
「天狗の抜け穴を……!? どうして……」
何故ジョゼフ達が天狗の抜け穴を持っているのかみよ子は理解できませんでしたが、タバサは全てを確信しました。
あの時、オルレアン邸で何故突然ガリア軍がどこからともなく現れたのかもです。
「そのキテレツとやらは我らでも作り出せぬ品を数多く持っているとジョゼフから聞いている。奴はそれを欲しているそうだな」
興味深そうな顔をしていたビダーシャルは天狗の抜け穴の塊を手に部屋から出て行ってしまいました。
みよ子は慌てて後を追いますが、扉は固く閉ざされていて開きません。
「何でキテレツ君の発明品を……」
「……シェフィールド」
「え?」
タバサの呟きにみよ子は振り向きます。
「ジョゼフ達はキテレツのことも、マジックアイテムの存在も知っている。アルビオンの戦争を裏で手を引いているのも彼ら」
「どういうことなの? それにシェフィールドって……」
二人はベッドに腰を下ろし、タバサは自分がこれまで知り得たことを全て話していきます。
キテレツに母の薬を作ってもらうように頼んだ日の翌日、アルビオン大陸での冒険で暗躍していたシェフィールドと会ったことや、タバサに課せられたガリアからの命令などあらゆることを伝えました。
「そうだったの……」
ジョゼフがキテレツの発明品を狙っていたのも、それを目にしたシェフィールドが元はガリアから派遣された人物だったからです。
アルビオンで使った天狗の抜け穴がシェフィールドに回収され、それがジョゼフの手に渡ったことで恐らくはその天狗の抜け穴を元に自分達で新たに作り出したのでしょう。
「ペルスランさんから話は全部聞いたわ。タバサちゃんが……ずっと辛い目に遭っていたことも……」
みよ子はキュルケと一緒に執事のペルスランからタバサのこれまでの境遇を何もかも聞いていました。
タバサはこれまでずっと辛く苦しい境遇を送っており、今自分達を捕えているガリア王のジョゼフに酷い仕打ちを受けていたことを知って深く同情していたのです。
「ごめんなさい……」
タバサは突然、申し訳なさそうに俯いて呟いていました。
「あなた達をこんなことに巻き込む気は無かった……」
思えば自分は母を救えるということに浮かれていたのかもしれません。
タバサはずっと望んでいた心を失った母を救うことができる方法が見つかったことで有頂天になってしまい、絶対に犯してはならないことをしてしまったのです。
今まで一人で戦ってきたタバサは誰も自分の戦いに巻き込んで危険に晒したくはありませんでした。
そう決めていたはずなのに、母を救えるということに浮かれて大切な友人のことを忘れるどころか巻き込んでしまうという最悪の結果をもたらしてしまったのです。
「ううん。タバサちゃんは悪くないわ。悪いのはジョゼフっていう人でしょう? タバサちゃんのお父さんにやきもちを焼いて、タバサちゃんにまで酷いことをするなんて……」
「私もモーレツ斎達と、ジョゼフと同じ……ただの独りよがりの復讐者……」
タバサはどうにも自分が許せませんでした。
かつてタバサは心を失う直前の母に、「決して仇討ちなんて考えてはいけない」と言われていましたが、その言いつけを守ることはできませんでした。
父を殺し、母の心を狂わせ奪った伯父のジョゼフがどうしても許せなかったのです。
そのためにいつかジョゼフをこの手で討ち取り、父の仇を取ることを誓って今までもガリアからの過酷な汚れ仕事も受け続けてきました。
「私は父様が……キテレツ斎が恨んでいたかなんて分からない……」
しかし、その復讐を果たした所で父は帰ってきませんし、誰かが幸せになるわけでもありません。
ましてや死んだ父がジョゼフを恨んでいたのかも、タバサにその復讐を望んだりしていたかなど分からないのです。
キテレツの祖先の奇天烈斎を陥れた猛烈斎のように、自分がジョゼフを討ち取ろうとしているのも、結局は誰のためでもなく私怨を晴らすために他ないとタバサは自覚していました。
「タバサちゃん……」
「ここに囚われて、心を壊される運命になるのも、私への報い……」
拳を握り締めるタバサの目には薄っすらと涙が浮かんでいました。
母の思いを裏切り、友を蔑ろにして危険に晒してしまったことに強い罪悪感を感じてしまいます。
「大丈夫よ、タバサちゃん」
みよ子はそっとタバサの肩を抱いて優しく声をかけます。
「きっとキテレツ君達が助けに来てくれるわ。必ずここを出て、お母さんに会いに行きましょう? 最後まで諦めちゃ駄目だわ」
「ミヨコ……」
自分を少しも恨んだりしないみよ子を見上げるタバサは彼女の優しい微笑みに涙を零しました。
ここまで窮地に陥っていてもみよ子は決して諦めず、友情を築いている友人達を心から信じているのです。
その友情を孤独な自分にも向けてくれていることが、決して自分は一人じゃないことが、タバサには嬉しかったのでした。
◆
昼下がりの空をキテレツ達が乗るキント雲は飛び続けていました。
少量の仙鏡水を使ってキント雲の雲を広げたおかげで九人全員が余裕で座れるだけのスペースが出来上がっています。
これで長旅でもゆったりと寛ぐことができるのです。
「来たわよ、キテレツ」
キュルケが指差した先、遥か先の正面から三つの小さな影が迫ってくるのが分かります。どうやら風竜に乗っている騎士達のようでした。
ここはガリア王国領内の上空なので、竜騎士隊が哨戒任務を行っているのは当然です。妙な物が飛んでいるのを発見すればすぐ確認のために近づいてくるでしょう。
「コロ助、操縦代わって」
「分かったナリ」
操縦レバーをコロ助が握り、キテレツはキント雲の真ん中に置いていた装置にいじり始めます。
その場で静止したキント雲に竜騎士達がどんどん近づいてきますが、キテレツは落ち着いたまま蜃気楼鏡の操作を続けました。
「キ、キテレツ君。早くしないと捕まってしまうよ。急いでくれっ」
「静かにしなさいよ。これは何回も見てるでしょ」
落ち着きがないギーシュをルイズが小突きます。隣では五月が腰の電磁刀に手をかけています。
ブタゴリラは拝借してきた斧槍を抱えて胡坐をかき、トンガリも少し怖気づきながらも羽うちわを手にしていました。
蜃気楼鏡が作動するとレンズから光が放射されますが、キテレツ達の周りの景色に変化はありません。
しかし、迫ってきた竜騎士達の方は全員が戸惑った様子でした。その場で静止するとキテレツ達を見失ったように周囲を見回しています。
しばらくするとキント雲の方へ近づいてきますが、それでもすぐ傍にいるキテレツ達の方を見向きもせずに通り過ぎて行ってしまいました。
「よし、このまま前に進もう。コロ助」
「了解ナリ」
蜃気楼鏡を操作したままのキテレツに促されてコロ助はキント雲をゆっくり飛ばして行きます。
後方の竜騎士達が見えなくなるまで進むと、周りに他に何も無いことを確認して蜃気楼鏡のスイッチを切りました。
「へへへっ、ちょろいもんだぜ」
「でもいつ見つかるかと思うと冷や冷やするよ……」
したり顔のブタゴリラですが、トンガリはため息をつきます。
「トンガリ君の言う通りだ。ガリア軍に追い回されるなんて考えただけでも恐ろしいよ」
ギーシュもトンガリ同様にホッと胸を撫でおろしました。
実は蜃気楼鏡でキテレツ達の周りには背後の空の景色を映し出し、装置を調整することで蜃気楼の内側からはマジックミラーのごとく外が見えるようにしてしていました。
竜騎士達は蜃気楼の風景に包まれてあたかも姿を消したキテレツを見失ってしまったのです。
ここまでにも何度かこうして竜騎士達に見つかりそうになっていましたが、蜃気楼鏡を使うことでやり過ごすことができたのです。
「ま、いざって時は強行突破するだけよ」
キュルケは髪をかき上げながら言います。
「でもこれならタバサ達がいる場所まで安全に行けそうだわ。すごいわね、このマジックアイテム」
ルイズは蜃気楼鏡に手を触れながら感心しました。
「でも僕達一体、どこまで飛んでいけば良いんだろう……」
「キテレツ君。もう一度合わせ鏡を使ってみたら?」
ぐずるトンガリの言葉に同意する五月にキテレツはリュックから合わせ鏡とコンパスを取り出します。
合わせ鏡のスイッチを押すと、鏡から放たれた光は一直線に地平線の遥か彼方の空まで伸びていました。
コンパスを確認すると、その方角は南東を指し示しています。
「まだずっと先まで伸びてるわ……」
「ずいぶんと遠くにいるのね。二人をどこまで連れて行ったのかしら」
コンパスと光を覗き見るルイズとキュルケは怪訝そうな顔をします。
「もうかれこれ丸一日は飛んでいるんじゃないのかね?」
「そんなに遠くまで行けるはずはないんだけどなあ……」
キテレツも首を傾げると合わせ鏡のスイッチを切ってリュックに戻します。
先日、キテレツ達はラグドリアン湖を出発した後、合わせ鏡を使ってみよ子達がいる方角を確認するとすぐにそこを目指してキント雲で飛んでいきました。
しかし、行けども行けども目的地にはたどり着かず、合わせ鏡の光も彼方に向かって伸びたままだったのです。
ラグドリアン湖から千リーグ以上も飛び続け、昨晩にはガリアの王都リュティスの上空を通過してしまっていました。
「あたしが一度魔法学院まで戻って、またタバサの家に行くまで数時間程度しか経ってなかったはずだけど……」
「本当にどこまで連れて行ったのかしら……」
キュルケも五月も戸惑いを隠せません。
普通に考えれば短時間であまりに遠くまで二人を運ぶなんてことはできないはずです。
「このまま飛んで行ってガリアで目ぼしい場所なんて……東の果てのアーハンブラ城くらいしかないわよ」
「そのずっと先には何があるナリか?」
持参した地図を広げるキュルケにコロ助が尋ねます。
「アーハンブラ城はガリア王国の国境線のすぐ近くだから……そこから先は砂漠が広がっているわ」
「そうよ。エルフ達はその砂漠に住んでいるんですって。エルフはハルケギニアよりずっと長い歴史を持っている種族で、先住魔法の他にも高度な技術をいっぱい持ってるらしいわ。それで砂漠を切り開いてるってことだけど……」
「うむ。そのアーハンブラ城もずっと昔にエルフと戦争した時には何度も奪い合った古戦場なのさ」
ルイズ達三人はそれぞれエルフについてキテレツ達に教えます。
「話聞いてると、そのエルフっていうのとここの人達って仲が悪いってことでしょ? ジョゼフっていう王様は何でそいつをタバサちゃんに差し向けたのさ」
「そんなに知るわけないじゃない」
「何にせよ、ガリアは今エルフと手を組んでることだけは確かってことよ」
トンガリの疑問にルイズが声を上げますが、キュルケは冷静に頷きました。
「要するに、その長耳野郎がみよちゃん達をさらってどこかに閉じ込めちまったってことだよ。ほら、食うか?」
ブタゴリラはリュックから取り出していたリンゴを差し出します。
「きゅいーっ! いただきますなのねーっ!」
今朝から人間の姿に変化し、キュルケのマントを羽織っていたシルフィードことイルククゥはブタゴリラからリンゴを受け取ると美味しそうに齧り付きだします。
「まだ野菜はあるからな。腹減ったら好きなだけ食っていいぜ」
「しかし、いくら何でも野菜だけはなあ……」
「じゃあ、あんたが持ってるそれ、あたしにもちょうだい」
きゅうりに味噌をつけてかじりつくブタゴリラにギーシュが苦笑しますが、ルイズは手を差し出します。
ブタゴリラはリュックからキュウリを取り出して渡しました。
「キテレツ。例のあれを貸してちょうだい」
「良いよ。何味が良い?」
「じゃあ、ビスケット味でももらおうかしら」
キテレツはリュックから取り出した木製の小さな胡椒瓶を渡します。
ルイズは瓶からパラパラと粉末をキュウリにふりかけていくと、一瞬だけ光を放ちました。
そのキュウリにルイズは躊躇いなくかじりつきますが、以前のように渋い様子は見せません。
「あたしはチーズ味でももらおうかしらね」
「ギーシュさんはどうします?」
「僕はそうだねえ。それじゃあステーキ味でもいただこうかな」
キュウリと人参をそれぞれ手にしたキュルケとギーシュもキテレツから瓶を受け取ると、中の粉末をかけてから口にしていました。
「う~む! これが野菜だなんて到底考えられないな! やっぱり本物の肉の味だよ!」
ステーキの味と食感のキュウリにギーシュは舌を巻きます。
「パン生地に魔法で肉の味をつけた代用食っていうのが最近売り出されてるみたいだけど……あれって全然美味しくないのよね」
「そうそう。あたしも前に一度食べたことがあるけど、これとは雲泥の差よ」
「野菜のはずなのに、中身は全く別の食べ物なんてとっても不思議だわ」
ルイズ達と同じようにみかんに粉末のふりかけをかけた五月も不思議そうにしていました。
一行が使っている調味料はキテレツの発明品の食物変換ふりかけという代物です。これをかけた食べ物は見た目はそのままで全く別の食べ物の味だけでなく食感や質感にまで変えられます。
ブタゴリラが持参した野菜だけを食べるのにルイズやギーシュ、トンガリが難色を示したのでキテレツが用意していました。
「ワガハイもコロッケ味を食べたいナリーっ!」
「コロちゃんの分もちゃんと残しておいてあげるから」
操縦を続けているコロ助が喚きだしますが、五月が宥めました。
キテレツはたくあん味、納豆味、コロッケ味の他にも新しく作っていたビスケット味、チーズ味、ステーキ味のふりかけを用意しているので一行は満足して半ば錬金された野菜を食していたのです。
「本当に助かったよ。ずっと野菜や果物ばかり食べさせられるのかと思ったからさ」
「ふん! 野菜の本当の味も分からねえ奴らはこれだからな……軟体者め!」
「軟弱者でしょ」
ステーキ味のふりかけをかけたみかんを食べつつぐずるトンガリに腹を立てたブタゴリラに逆に突っ込み返していました。
「きゅい! シルフィは美食家なのね! そういうニセモノのお肉とかお魚とかは好きじゃないのね!」
ブタゴリラと一緒でふりかけを使わないシルフィードは一口でリンゴを丸飲みまでしてしまっていました。
「それじゃあ僕も……あれ? シルフィードちゃん、その目……」
「きゅい?」
キテレツもコロッケ味の食物変換ふりかけを使おうとしましたが、シルフィードを見やった途端に目を丸くしていました。
「シルフィードちゃん、目が赤くなってるわ」
「本当だわ。どうしたのよ?」
五月達が見てもはっきり分かるほどにシルフィードの片目は赤く変色していたのです。
「何だよ。どうしたってんだ? 目が悪いなら目薬をつけた方がいいぜ」
「きゅい~……おかしいのね……何か変なのが見えるのね……」
左目をこするシルフィードのその視界には目の前の光景とは全く別の景色がぼんやりと映りこんでいました。
「きゅい……ミヨちゃん?」
キテレツ達が心配そうに見守る中、シルフィードの左目にはベッドに横たわって眠りについているらしいみよ子の姿が映っていたのです。
「みよちゃんがどうしたのさ? まさかみよちゃんが見えるなんて言うんじゃないだろうね?」
「きゅい! そうなのね! ミヨちゃんがぐっすり眠っているのね!」
トンガリに尋ねられてシルフィードははっきりと頷きました。
「ねえ……それって、もしかしてタバサの視界なんじゃないかしら?」
「どういうことですか?」
「使い魔は主人と感覚を共有できる能力があるのよ。使い魔は主人の目となり、耳となるって言われてるの。その逆で使い魔も主人の見たり聞いたりしているものが分かるわ」
キュルケの指摘に尋ねたキテレツにルイズが答えました。
「主人が危機に陥った時、その能力はよく発揮されるそうだがね。……っていうことはシルフィード。君が今タバサが見ている物が見えるってことは、そこが二人が囚われている場所なんじゃないのかね?」
「シルフィードちゃん。他に何か見えないかな?」
「きゅい~……ミヨちゃんばかりでよく分からないのね……」
キテレツが尋ねますが、シルフィードは困ったように両目をごしごしと擦っていました。
「みよちゃんはどんな感じなの? 怪我とかはしてない?」
「それは全然大丈夫なのね。とってもスヤスヤ寝ているのね。……あ、ベッドから起き上がったのね」
シルフィードの視界にはベッドから下りて窓際へと移動する様子が映っていました。そして、その窓の外には無数のガーゴイル達の姿が映りこみだします。
「きゅいーっ! あの鉄のガーゴイル達が窓の外にいっぱいなのねーっ!」
「鉄のガーゴイル? ひょっとして鉄騎隊?」
喚きだすシルフィードにキュルケが問いかけました。
「きゅい! 羽がついた変な魚に乗ってるのね! お城の外をぐるぐる飛び回っているのねーっ!」
さらに喚き続けるシルフィードにしか見えない、タバサの目にしているという光景を一行は想像して思わず息を呑んでしまいました。
恐ろしいガーゴイル兵、鉄騎隊が厳重に見張っている牢獄こそが一行が目指す目的地なのです。
「キテレツ君。キュルケさんが言っていたアーハンブラ城っていう所を蜃気楼鏡で見てみたらどうかしら? シルフィードちゃんが見ているのと同じ物が映せるかもしれないわ」
「うん。やってみる価値はありそうだね」
五月の提案にキテレツは即座に頷きました。
何百キロ、何千キロも離れた遥か遠方の景色さえも映し出せる蜃気楼ならば安全に偵察が可能です。
そのアーハンブラ城という場所に鉄騎隊達がたくさんいて、合わせ鏡の光もそこに届いているのなら、二人は確実にそこにいる証拠となります。
「確か、砂漠のすぐ手前にあるんだったね。えーと……距離はどれくらいかな……」
蜃気楼鏡を操作するキテレツを一行は見守ります。
「待っててね、みよちゃん……タバサちゃん……」
五月はもちろん、一行は大切な友人と仲間達の無事を願っていました。